まったりdiary

2010年03月29日(月) 電池を入れよう!

日付詐称日記(9時頃には寝てたらしい)

うちの体重計。(体脂肪計付き)
もう半年以上も前から電池切れでね・・・・動いてないんだ。

だからこれ幸いにと体重計に乗らない日々が。


ええ・・・・あるんですよ。電池なんか。
そこんとこのデスクの一番下の引き出し開ければ(笑)
そこを開けられないオンナ心!

しかし着々と減量中の某Dやんさんに
『追って来い!!』
と檄を入れられました!
某Mっしるさんちのアキラさんにケンカを売りに行く前に
まずは体重計に電池を入れるか・・・(うつむき)


G様。
本当に失礼しました。(↓の件)
TOP画面を見た時は目の前が真っ暗になったです。
時に10万だから画像を替えようとかそんな殊勝な考えなどサラサラなく
ただ単に「ファイル見つけちゃったから!」
・・・・・・・・
すみませーーん!



2010年03月28日(日) 10万HIT ありがとうございました。

昨日、銀ノ星さまから「もうすぐ10万HITですね♪」と言うメールを頂くまで自分ちのサイトカウンターの数字に全く気付いてませんでした。
そして昨夜。
PC内のファイル整理をしてた所、TOP画像の別バージョンが出てきました。
「おや、これもいいんじゃないないかい?」
と画像を取り出し、大きさ調整やらちょっと手を加えたり(描き直し)で格闘し(結局描き直しは諦め)ビルダーを立ち上げて画像UP。
ファイル転送確認の為、そのままTOP画面に飛びました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





え?


もしかして?!やっちゃった?オレ?


しばし硬直。                 


                           証拠写真↓




ジャンピング土下座。(地面にアタマこすりつけ)
こんな管理人ですが、これからもどうかよろしくお願い致します。
来たる5月でサイト開設6周年に突入?
更新も無い状態で本当に心苦しいのですが・・・・(滝汗)
ぼちぼちとリハびってお絵描き始めたいです。

と言いますか、先日数ヵ月ぶりにペンタブ持ちましてお絵かきをしました。
何と「アキヒカ子イラスト!」
ははは!
いつもお邪魔しています、ひろろんさんちのお話読んでちょろりと描いてしまいました。
色も付けずにほとんど下書き絵のような状態でしたが、久しぶりに絵を描いた爽快感の勢いのままひろろんさんちに差し上げてしまいました。
ひろろんさん、いつもいきなり押しつけてしまってすみません・・・・。
そしたら「お礼に・・・」と、ヒカアキを書いてくださいました!

どひゃーーー!
ミジンコで黒マグロを一本釣りですわよ!奥さま♪

ありがとうございました!
また改めてお礼に伺います。


今夜は母と長男とで久しぶりに外食してきました。
と言っても近所の駅前商店街の中にある韓国焼き肉店なんですけどね。
『そこの鍋が食べたい!』
と電話が入りまして行ってきました。

美味しかった!
スープがいい味出してる。
薬膳鍋には「朝鮮人参」が、ごろごろと根っこの先までそのままの形で数本入ってます。
「なつめ」
これも何個も入ってた。
あとは何か名前の分かんないような実や「ニンニク」が粒のまま6〜7個。
ダイコンも入ってたな。
そして骨付き豚肉(スペアリブ)のデカイのが2カタマリゴロリと。
春雨も結構入ってたなあ・・・。
鍋・・・・と言ってもとても小さいんですよ。
一人用?
んでその中に上の具材がこんもりとまさに山盛り!状態で入ってます。
あんなに個性的な具がてんこ盛りで入ってるのに、あのスープは何であんな風にシンプルな美味しさをかもしだせてるんだろうか?
しみじみとした良いお味でした。


まさか後で運ばれてき来る鍋がそんなにボリューム満載だとは思わず、焼き肉を幾皿も頼んでしまってたのでラストではお腹をさすりさすり店を出ました。
ホルモンも美味しかったし、骨付きカルビもジューシーでした。
タン塩も♪豚トロもうっとりやった。



しばらくはダイエット強化期間ですな。

食べてる時、色んな話をしました。
↓で書いた「49日」の話もして。
『みつ君(父のあだ名)今頃はスキップで歩いてるよ、きっと』
「いや、まだそこら辺をうろついてるわよ、あの人は!」
『そうかもね』
「だって、ちょくちょく家の中で”ミシミシ”とか”パキッ”とか聞こえるもの」
『え?そうなん?』

・・・・・・っつか母。
その手の現象には極端にビビる性格だったハズ。
「心霊特集」とかの番組なんか見れない位だし。
でもまさか『え?怖くないん?』とかは聞けないじゃん?
「詰め碁集の本、引き出しに仕舞いっぱなしだったでしょ?だからあれをみんな出してあげたのよ」
『あ〜〜そっか、見たくて見たくて引きだしの前ウロウロしてた訳か。あはははは♪』
モチロン出棺の時にも1冊『詰め碁集』は入れました。
「碁石はだめだよねえ・・・・万歩計もダメだよねえ。」(金属・石はダメと言われ諦めた)
あの1冊だけじゃどうも足りなかった模様・・・・。

もう少し入れてあげればよかったね。
すまんかった、父よ。



2010年03月27日(土) 「世界のナベアツ」(そしてまた父の事ですみません。)

どうも「世界のナベアツ」
今年の年末は大活躍の模様(笑)
Aさんっ!ガシッ☆(肩抱きしめ)


オレと一緒に泣こうか?
「明日があるさ」を「夏コミがあるさ」に置き換えてヤケ歌やで。


なんてね・・・。
ではまた父の事を少し・・・・





囲碁が好きな父でした。



自分はもの心ついた頃から、父が碁盤に碁石を打ち付ける音を聞いて育ちました。
もちろん碁盤は足付き。
我が家の日曜の朝のテレビはもちろん
『日曜囲碁講座』
あの独特な秒読みの発声。

「10びょ〜う」

納豆が糸引いてる様な読み方だよなあ、と子供の頃はいつも心の中で盛大に突っ込みを入れてたものでした。

父は会社勤めをしていた頃よく「囲碁大会で優勝したぞ」と、トロフィーとか楯とかもらって来てました。
それでもここ10年は人と対局する事も無く、常に詰め碁集とにらめっこする日々…。

「碁会所に行けば?」
「パソコン買ってインターネット囲碁やってみなよー!(名前はsaiで!・・・ってヒンシュクものだよな)」

何度も勧めてみたのですが、父の中に何か思う所があったんでしょうね。
首を振るばかりでした。
60歳を過ぎ今までの職場を退いても、父はずっと勤めていた会社の系列の友人から紹介された派遣業務に着いて70歳の誕生日まで働き続けました。
(なんちゅうか、週一しか休みの無い自分よりも給料はいいわ派遣なのにボーナスいい感じで出てるわで羨ましかったです)

70を前にしての数年は週に数日の出勤でよく、気は楽であったと思います。
その代わり母が
「家に居る時間が増えて何かイヤだ」
と、よくダダをこねていましたが。
(そう言う割には容赦なくアッシーにコキ使ってたような)


そして70歳の誕生日に退職。
やっと会社勤めと言うものからおさらばしました。
仕事人間だった父。
さぞかしがっくしキてんだろうな?と思いきや。
父はどこで聞いて来たのか、隣のそのまた隣町の公民館の囲碁サークルに入ったんだと母から聞いた時は驚きました。
あれほど何年にも渡って我々が勧めてたのにガンとして首を横に振り続けてて、何で今?!
・・・・っつか何で地元でなく、歩いて40分もかかるとこなのさ?!(駅で二駅先です)
と思いました。

実家に電話。すると
「ちょこちょこと楽しそうに出掛けてるわよ〜♪」
と母。そしてその母の声も楽しそうに聞こえました。
今まで父の休日の趣味と言えばひたすらウォーキングすることばかりでしたから(しかも距離は半端ないし)
母にしてみれば、父が他人と関わる趣味を持ってくれたのが嬉しかったんだと思います。
こう書くと父が人と接するのが嫌いなヒッキーみたいに聞こえるかも知れませんが、そうではなく・・・・と言うか、昔は職場の組合活動で先頭切ってあれこれやってて、やれ週末は全国大会で熱海だの打ち合わせで小田原だのへ出掛けしょっちゅう家を空けてたくらいな人でした。
それが60を境にどちらかと言うと他人との接触を絶つような感じになったのが、母にはどうも解せなかったのでしょう。
(と言うか母は自分の趣味がテニス・ゴルフと完全アウトドア派。仲間でワイワイやりたい派なので、一人地道にやるというものがどうもひっかかるらしく、小学中学と器械体操をやってたおいらは「何が楽しくてそんな根暗なスポーツをやってるのかわからん!そんなものとっととやめてしまえー!」と何度も言われたもんでした。(遠い目))


「この間、囲碁サークルのトーナメントで優勝したんだよ」

とニコニコ言う父。
「ほぅ・・・・それは良かったねえ。そのサークルって人数は何人くらいいるの?」
自分はせいぜい多くても3〜40名だとカタをくくって聞きました。(酷っ!)
「少なくても100名は居るよ。リーグ戦で何日かに分けてやったから」

「!!!!!」

人との対局は多分10年ぶりに近かったハズ。
その間はひたすら詰め碁集とのにらめっこのみだったんですから。
それで優勝?
へぇ・・・・父って囲碁強かったんだ。(←酷い)

そして大会の参加人数が100名以上・・・・。確かに。
あの公民館はデカイ。
うちの階段の年寄りも電車使ってまでそこの公民館に出掛けてってる位だしな。(地元の公民館には目もくれずに)

そこの公民館へ行く道は、丁度うちの会社のエリア内なので仕事で車を飛ばしていると、時々トコトコと歩いている父と何度かすれ違いました。
後続車が付いてる手前、いきなり停まる事も出来ずさりとて父の姿を見て黙ってられる性分でもない自分はハンドルを握りながら
「おお〜〜〜い」と手を振りますが気がつかないんですよねー。
父は歩くスピードも速いし、歩いてる最中はただひたすら無心に前を向いて歩くことに集中してますから(笑)
しかも、公民館へ行くコースもなぜか超遠回りな道を選んでる始末!
(自分ち)→(公民館とは方向が正反対の隣町)→(おいらが住む町)→(公民館)
ウォーキング好きにもほどがあるよ!
・・・・っつかいくつ町をまたげば気が済むんだよ?!オヤジ!!

そのコースをこっちが聞いてもいないのにニコニコと丁寧に説明してくれる父に向かって
「有り得ねえ!」
「何で?普通は最短コースで行くもんじゃね?」
「これから頭使って疲れるのに、その前から疲れちゃうじゃん!信じらんね〜よ!」
と、何度言った事か・・・・・。

でも父にとっての生き甲斐は「囲碁を打つこと」と「万歩計の数を増やすこと」
この二つなんだよなーーー。
わかっちゃいたけど、自分にはマネ出来ねえ!としみじみ思ったものでした。

ただそのリーグ戦。
父は入ったばかりだと言うことでシードされてたらしく優勝後
『アイツはシードされてたから優勝出来た。』
とカゲ愚痴を叩かれたらしい。
それが悔しかったんでしょう。
次回大会に向けて更に勉強を重ねていたようです。


その矢先のがんの告知でした。


無念だったと思います。
それでも最初の(夏頃)の入院時には欠かさず「詰め碁集」を持参していました。
「あ♪・・・・枕元に詰め碁集♪本のタイトルに”塔矢名人の詰め碁集”とか書いてあったらどうしよう?!」
なんて本気でドキってるバカ娘がここに・・・。
しかしそれも11月からの入院時には持ち込んではいませんでした。
「詰め碁集、持ってこようか?」
って言ってもただ首を振るだけ。
夏の頃の入院はまだまだ希望があった。
入院期間もせいぜいが4〜5日。
気分は「ちょっと病院に外泊?」くらいな感じだったと思います。


9月終わり頃までは新潟から来た親戚衆を連れ、自分で車を運転して食事に出掛けてた位でした。
出た食事もペロリと綺麗に平らげてましたし。
そして10月から始まった猛烈な吐き気。
とにかく見ていられなかったです。
一日中吐き気に悩まされてました。
そんなんじゃ詰め碁集なんか読む気にもならないよね・・・・。

自分、つわりが酷く妊娠する度に一ヶ月で5キロとか痩せてた人です。(3人とも毎回)
吐き気の辛さはイヤと言うほど身に染みています。
毎日買い物の行き帰りに道端でも吐いてましたから。
しまいにゃ吐くもん無くなって胃液→血ぃ吐いてたしのう。
吐くと言うのはとにかく、気力と体力を奪います。
そんな父の吐き気は11月に入って、抗がん剤を止めてからもずっと続きました。
モチロン「吐き気止め」は処方してもらってましたが全然効かない。
「せめて好きなものを食べて欲しい」
と思うのが家族の想いじゃないですか。
特に父は美味しんぼさんです。
ラーメンは池袋のどこどこ。
渋谷系店もあるけどオレは池袋系の方が好きなんだ。
とかこれを食べるんだったら門仲(門前仲町)のあの店。とか話し出すとキリがない。
「桜餅はやっぱり長命寺だよ。」
とわざわざ買ってうちに届けてくれたこともありました。
(その写真は以前フォト日記に上げた記憶があります。)

吐き気が少し治まってきたのはもう本当に最期の頃。
2月半ばあたりぐらいからかなあ。
吐かなくなったわけではなく、一日に2〜3回くらいになったと言うことですが。
もうその頃には病院食などはノドを通らない。
(なので自分が代わりに美味しくいただいていました。)
なるべく口当たりのいいものを・・・・と果物をあれこれ買いました。
「なんで冬なんだよ」
って何度も思いました。
夏だったらもっと果物は沢山あったのに、よりによって今は冬。
高いメロンを清水ジャンプで何度か買ったけど、やっぱ一味足りない。
夜中、24時間スーパーの果物売り場を毎日うろうろ徘徊してはあれこれ果物を手に取ってみては「はぁ・・・・あんま美味そうじゃねえな・・・」とタメイキついてました。


そんな事を思い出しつつ、きっと父は今頃あちらで自分が食べたかったものをお腹一杯食べてんじゃないかな?
と思わずにはいられません。

ああ・・・・フォト日記に上げた時の桜餅の画像、見つけた♪




食べ応えありますよ。



2010年03月25日(木)

21日↓の日記で父の事でのあれこれでの現在の心境がまるでPTSDみたいに・・・と言う書き方をしたのはイカンよな…と思いました。

昔、ハタチそこそこの頃、伯母を看取りました。
寝たきりでしたので着替えから下の世話まで全て一通りやりました。
そんな経験をしていても、この4ヵ月間の出来事はあまりに強烈過ぎて未だに心が引きずられっぱなしです。

昼間、休憩時間を使って夕飯を作りに帰り夕方。
仕事を終えたら家には寄らず制服のまま病院へ向かっていました。
昼間は母が病院に行ってました。
最初11月の頃は、父のがんはもう手遅れなのだ、という事実にアタマが付いて行かず心の置き所が全くありませんでした。
昼間、何か父にあると母が携帯に「今日は吐いて大変だったから、食べ物持って行っても多分ムリだと思うよ」とかあれこれ伝言を入れてきました。
そんな言葉を思い出しながら病院へ向かう夜道に泣いてしまうこともしばしばで。
だからなるべく暗い道を選んで歩いてました。(苦笑)

流石に泣き顔のまま病室には行かれないので、病院近くで一旦休み、明るいアニソンとかガンガン聴いて気持ちを奮い立たせて病院のトイレで化粧直しをして(苦笑)行きました。
病室には長くて4時間以上はいましたので帰り道は神経の糸がプッツリと切れたようになり、また泣く・・・・と。
もう後は家に帰るだけなので大手を振って大泣きですよ、小学生のように。

そんな毎日が当たり前になってたので、今のこの生活の方が「非日常」に思えて仕方がないのです。

そして正直、父が亡くなってからあまり泣けないのです。
もうあの頃泣き尽してしまったのかも知れません。
色んな事は月日が解決してくれるんだろうとは思います。
けれど、それだけではどうも自分はダメみたいです。
なのでここの日記で心の内を文字にして吐き出してあの頃の自分が昇華出来れば・・・・と思います。

そんな昇華作業に付き合わされるゲスト様には大変申し訳無いと思うのですが、自分はどうも文字にして解消するタイプみたいなので・・・・(苦笑)

なのでもうしばらく、父のあれこれ話にお付き合い下さいませ。
あ・・・・もう日付が変わってしまう。



2010年03月24日(水) 下の日記で

下で「スパコミ行かれねえ!!」と叫びましたら

>パワースポット、5月3日のイベントに行けないとは何という不運。どうして3日がいつもお仕事なのかわかりませんが、是非忘年会に世界のナベアツでも呼んで日頃の”3”に対する憤りを発散させたらいかがでしょう?

というコメントをいただきまして!(姐さま爆笑です)
本当に。
この会社に入ってからは3日と言う言葉は、自分にとって鬼門になりました(笑)
うちだけでなく全国の営業所でも3日はそうなんだろうなあ・・・・。
と思っていたらそうではなく、3日にやる締め作業を1日にやっちゃってたり2日にやっちゃってたりしてるとこも結構あるらしく・・・・。
(それを元に社長がやる本社への報告締め切りは4日)

以前、3日が日曜とか祝日にブチ当たって休日出勤ばかりしているおいら達をフビンがって1〜2度、2日にずらしてくれた事がありました。
でも今回は5月2日は日曜。
あえて日曜にズラしてくれるかと言うとそれは考えにくい。
しかも長い連休なのでどちらにしても、通常の仕事で1日は出なけりゃなんないので同じ事だなー。

あ〜〜4日にでもずらしてくんないかなあ。

とにかく今自分に出来ることは社長に向かって念を送ることのみです(笑)
そして忘年会には「世界のナベアツ」を呼んでうっぷんを晴らしてやります!



2010年03月22日(月) ショック・・・・・

今年のスパコミ・・・・。

ジャンプ系は5月の3日・・・・ッスか?






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





ガクリ☆
(うなだれ)

3日は日曜で会っても祭日であっても出社の日・・・・
今月の3日も父が危篤の中、病院に連日泊まりみの中、そのまま出社したのです。


号泣。


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とりとんぼうず [MAIL]

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