まったりdiary

2010年03月21日(日) 今日は春コミ(でも嵐)【追加】ワンピニコ動サンジとエース編

今年新年の占いで
「貴女のパワースポットに行きなさい」
というくだりがありました。

ええ、モチロン自分にとってのパワースポットとはビッグサイト(イベント会場)ですねえ。(笑)
今日は大嵐な空模様ですが(書いてる現在朝5時過ぎ。雷まで鳴ってます)春コミですね。
自分は失礼させてもらいますが、会場に向かわれる皆さまはどうか気をつけ参加されて下さいね。(と言うか電車止まってるよ)


昨年末の冬コミ時は(自分は欠席)、父を病院から一時帰宅させてバタバタしていました。
11月末の時点で主治医から
「あと3ヵ月です」
と言われてましたので悔いのないように、とも思っていました。

そして現在。
今の自分は「父を失った喪失感」よりも看護生活での様々な体験や色んな想いがあまりに強烈過ぎて、未だにそれに気持ちが引きずられていると言った感じの日々を送っています。(PTSDに近いと言ったら分かりやすいか)

父を失って辛くて落ち込む、とかそんな生半可な気持ちではないのです。
何て言うか・・・・・看護していた時に抱いていたがんという病気に対する憎しみや悔しさ、そして悲しみや切なさが未だに根強く胸に巣食ってまして、その気持ちに押しつぶされそうなのです。

腹部リンパに出来ていたがんは、2月頃だったか。
首の付け根、左側の辺りにその姿を現しました。
最初「首の付け根んとこ、何か盛り上がってきたね」ぐらいだったのが、数日であっという間にテニスボール(を半分に切った感じ)以上の大きさの塊になりました。
「信じられない?!何これ?!」って言う位に大きい。
それに押されてのどぼとけが右側にずれてしまった位な大きさでした。

それまでがんは身体の中で暴れている、くらいな認識だったのですが、それが表からもハッキリとわかる様になったと言うのは衝撃でした。
もちろん父もかなり動揺してたと思います。
それががん細胞だと頭でわかってはいても
「これはなんだろう?」
と聞いてくる。(先生にも聞いていた)
そりゃ聞きたくもなりますよね。
自分の首にあんなデカイ、コブとりじいさんのコブみたいなものが出来たら。
「そこまで飛んじゃったんだね(がん細胞が)・・・・」
と答えるしかなかったです。

着ている物を着替えさせる時や、身体を拭く時。
それはイヤでも目に入ります。
本当に憎かったです。その塊が。

あんな物が出来るんだ・・・・と先日友人に話ましたら
「義父もがんだったけど、それ出来たよ。うちの場合は出来た場所が首の後ろ側だったもんだから頸椎圧迫して、半身不随になってしまったんだ」
と言われました。
やはり大きさもうちと同じくらいな大きさだったそうです。
それは御本人も御家族もさぞかし辛かっただろうな・・・と思いました。




・・・・・・・・・・・・・と、ここまで書いてまた寝ちゃった。

雨あがったようですね。
母から49日をいつしようかと言われてまして、いつでもいいよと伝えてました。
昨日4月18日(日)にしたよと連絡がありました。
49日には納骨をするんですが、そもそも49日ってなんで49なのよ?とググってみました。
(すみません、無知で)

『人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩きあの世を目指す。途中7ヶ所の関門を通過する。(最初の関門を通る時が初七日)そこでは生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。
最後の49日目にえんま様の許可を頂いて、お亡くなりになった方も仏様として迎えられます。
その間に、生きている人達は亡くなられた方が無事検問を通過して仏様になれるように、殺生をしたり祝い事等で浮かれる事を自重して、この世からお祈りをします。
(インドの仏教においては、輪廻の思想により49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まると言われていた)』

つまり今頃父はこの世とあの世の間を次の生まれ変わりの為に、てくてくと歩いてるのか?
ぷぷぷ・・・・きっとあのお気に入りの万歩計を腰に着け嬉々として歩いてるんだろうなあ、とか思ったり。
七ヶ所の関所で生前の行いについてのあれこれを吟味・裁かれているのか。
まるでRPGのようだ。と言ったら怒られそうですが、どうしてもえんま様がラスボスに思えて仕方がなくい、いや。頑張れ父。
・・・って自分が言わなくともあの父だったらどの関門もオールオッケーな気がします。
裁くべき罪が無さ過ぎて「オマエつまんねえよ」とか言われてそうです。
ああ・・・それとも碁でも打ってるか?(これについてはまた後で書きたいと)


とまあ、こんな感じだったので今日の春コミは遠慮させて頂きました。
決して落ち込んでいるとか言うわけではないのですが上記の事情がございましたと言うことを、またもやダラダラと書かせていただきました、と言うことで。
次回は5月連休のスパコミですね。
そん時はどうか一緒にあちょんでやって下さい。
(姐さま、拍手コメントありがとうございました。そしてパチパチ君も本当にありがとうございます。)


ぷぷぷ・・・・・
こんなの見つけちゃったよ。




サンジ好きだよ。おばかなとこが。(ひど)
ノリノリの曲がいいですねー。
(翼を下さい→彼女を下さい:バージョン)



そしてこれは↓・・・・・・

エーーーース!!(号泣)
アニメまで待てない!!編です。
(ネタバレ入ってます。WJ読んでなくコミック派・アニメ派は見ない方が・・・?)






2010年03月20日(土) 昨夜は

昨夜は結構時間掛けて打った日記が消えて「ををう・・・」
父の事を打ってましたが、流石にまた打つ気になれず・・・・。
そして下でも散々書いたので、今日は別の話題にします。

実は昨日、ここ2ヵ月ほど悩まされてた歯痛を治しに歯医者に行ってきました。
左下奥歯ですが歯磨きの時の水だけで非常にしみる!
痛い!
多分、詰めてある中で虫歯が密かに進行しているのかもしくは詰め物が外れかかってるのか・・・・と思ってました。
で、先生。
必死に詰め物を取ろうとしましたが全く動かず、結局麻酔かけて削りました。


・・・・・・・・・・・・


痛かった。
久しぶりにイヤな汗を大量にかきましたよ。
治療終了後のスカートは汗でびっしょりでした(おもらしに非ず)
あまりの激痛でイスの上で背中が跳ね上がる跳ね上がる・・・・。

「麻酔・・・・効かない?・・・困った。これ以上麻酔強くするとな〜〜〜う〜ん」

とか言いながらガリガリ削ってる。
痛いんですケド。
涙もの。

「ええ〜〜〜っと削れましたが〜〜。特に虫歯もないようですし・・・・何でしょうかねえ・・・・・?あれ?あれれ?これは・・・ちょっとぉーーーー」


どうでもいいけど先生、いちいち煩いよ。

「あ〜〜〜・・・神経が出ちゃってますね〜」

え?神経って勝手に飛び出ちゃうもんなんですか?

「ホラ、この鏡見ててね。空気当てます(シュー☆)
 ジワーって血が滲んできたでしょう?」

ああ、本当だ。
歯のド真ん中。そこ針の先ほどの赤い点がジワーっと浮かび上がって来た。

「もうこうなったら神経抜くしかありませんね。残念ですが。」
この残念、と言うのは自分は神経を抜いたのは1本でこれで2本目になる訳です。
先生にしてみれば「この歳まで(大変に無礼者!)抜いた神経が1本だけなんて凄いですよ」
なんです。
自分は虫歯では無かったけれど原因不明の痛みで結局抜かざるを得なくなった上の奥歯。
歯の神経を抜くだなんてなってないよ!自分!!と思ってた位なのに、この先生との温度差にアタマがクラクラしました。
がこの後の先生の言葉で脱力。

「ボクなんか10本も神経抜いちゃってますからね!」

『先生・・・・そこ自慢するとこじゃないですけど?』

と盛大に突っ込み入れてあげました。
そしてまた麻酔針を何度もブスブス刺してから神経抜き開始。
最初は麻酔効いてなくて地獄の痛みでしたが途中からやっと効いてきました。
麻酔さえ効いてりゃこっちはヒマなので足を上げ下げして腹筋鍛えてみたりしてました。


そして今日もまだ歯は痛いです。
今度は来週の24日だったかな?
しばらく通いです。


そして。
M様・G様・M様・Zちゃん・G様・・・・
拍手・メッセをありがとうございました!



2010年03月18日(木) 父のこと。(今までのあれこれです)

父にがんが見つかったのは昨年の6月末の事でした。
その様子は昨年の日記(ここの日記に移る前の日記で)に書きました。

「顔色が悪いから病院で検査してもらえ」
とここ数年、母は父に言い続けていたらしいのですが、元から持病のあった父は毎月病院で血液検査等をしてもらってて自信があったんでしょう。
「その必要はない」
とガンとして聞かなかったんだそうです。
実際、毎月の検査での肝機能の数値はこれ以上はないくらいに正常値だったそうですし。
自分は父のあの顔色はウォーキングでの日焼けのせいかな?とか単純に考えてたくらいでした。

それでもウォーキングから戻ってそのままグッタリしてしまうような日が続くようになり、流石に本人も「これは?!」と思ったのでしょう。
それと前立腺肥大か?みたいな症状も出始めていたので泌尿器科で検査をしてもらって、『膀胱がんです。』と医師から告げられたのが昨年6月末。
『上んとこにも影があります。そちらの検査もしてみて下さい』
と言われ肝臓にもがんが見つかったのでした。

開腹手術なのかと思いきや、カテ−テル術だと言う。
腿の血管から管をガン細胞部分近くまで通してそこから抗がん剤を一気に投入するんです。
部分麻酔なので本人の体力の消耗も無く危険度も少ないので、今はよく行われているみたいです。
膀胱がんの方は抗がん剤を入れる前に、そのカテーテルを使って膀胱内のがん細胞を吸い出し、改めて抗がん剤を投入。
4日後には退院。
その一週間後の検査で『ガン細胞、消滅してますね。』と言われました。
念の為、一週間置きにこのカテーテル術での抗がん剤投入を全行程9回行うと言われましたがこの抗がん剤。
やはり膀胱内が相当荒れるらしく、我慢強い父がかなり痛がったそうです。
尿が溜まり始めても痛い。
トイレを済ませても激痛。
トイレをガマンしても激痛。
ほとんど一日中痛かったんじゃないだろうか?
『これね〜、みんな途中でイヤんなっちゃって(痛みで)3〜4回辺りでリタイヤして病院に来なくなっちゃうんですよ〜』
と、のどかに先生はおっしゃってたそうだ。

その治療と並行して肝臓の方もカテーテル術を行っていきました。
なので7月8月は病院を出たり入ったりの繰り返しで。
どちらもせいぜい4〜5日入っててはスグに退院と言う感じでした。

うちの父は何と言うか・・・・「その時の状況を楽しむのに長けている?」節がありまして。
術後すぐ病室に戻ってしばらく様子を見てもういい時間になってきたので母と
「もう帰るからねー」
と言うと、
『今まで、本当に世話になって・・・・・うっ』
とか言いつつこちらに手を伸ばしてバタリ☆とベッドに手を落としたり・・・・とシャレんならない演技かましてくる。
「明日も来るからさ」
と言うと
『明日、まだ生きてたらね・・・うん・・・会えるよね・・・・・(しんみり)←クサイ演技』

マジでシャレんなんないよ!的な冗談を平気でかましてくるんだよ。



それでも順次出てくる検査結果を見るたび、がん腫瘍の大きさがみるみる小さくなって行ってるのが素人目に見てもよくわかりましたので
「何だ!楽勝じゃん♪」
なんて思っていました。
9月末までは。
10月に入ってから父は時折激痛に見舞われるようになって行きました。
自分は同居していないのでその時の様子はあとから 母に聞いたのですがそれはもう酷い内容でした。
「あまりの痛みに耐えかねて、壁に頭を打ちつけている」
「ここが痛い・・・・とかそういうもんじゃなく、内臓全てを取り出したくなるような痛み」
だと言うのです。
それはいきなり始まって数分で治まっていたらしいのですが、かなり我慢強いあの父が「殺してくれ」と身をよじり泣いた・・・・と聞きました。
母は転げ回る父の身体を押さえつける訳にも行かず、ただただ抱きしめ二人で泣いたそうです。

9月末に3回目の肝臓のカテーテルを行った時
「今回は抗がん剤、多めに入れときましたよー」
と言われたとかできっとそのせいだ。
とずっと言い続けて我慢していたらしいのですが、流石に病院へ行き外来で薬を貰って来よう、と病院へ行ったのが11月2日。
『入院しましょう』
と言われそのまま入院となりました。

そして肝臓の方の主治医から、
『実は肝臓の外側のリンパの部分に豆粒ほどのがんが取りついていたのは分かっていた。けれどこの部分に手を出すと半身不随になる危険性があり手出しが出来なかった。なので肝臓の方の治療に専念する他手立てはなく、その間にリンパ部分の豆粒大のがん細胞がみるみるうちに大きくなり他臓器を圧迫する位にまでなってしまった結果がこの痛みであった』
と言う説明を受けました。
肝臓の方のがん細胞は、三度の治療で当初の三分の一以下程までに小さくなっていました。
たった三回の治療でここまで小さくなるんだ・・・・・。ならあと数回やったら完治とまでは行かなくてもかなり小さくなるのでは?
なんて思った程でしたが現実はそう甘くは無く
『こう言った状態ですので、もうこれ以上肝臓の方の治療を行い続けても患者の身体に余計な負担を掛けるだけになりますので肝臓の治療はもう終わりにしましょうか?』
と主治医から切り出された時、後頭部をハンマーで叩かれた様な気がしました。
デスク上の盤面に貼られたMRI画像の一つ一つについて説明を受けておきながら、話の流れ的にはもう手立てが無いのだ・・・・という雰囲気になっててもまだ、頭のどこか片隅では
「まだ大丈夫」
とう意識があったんです。
「え?終わり・・・ですか?」
としか答えようがありませんでした。

リンパの部分については肝臓や膀胱の様にカテーテルを用いた治療は出来ない。
なので全身に回ってしまう点滴による抗がん剤治療しか残されてはおらず、身体に負担を掛けずだましだまし弱い抗がん剤を続けるか、それとも強い薬(新薬)を使うか・・・という話になりました。
この先生はがん研有明病院から引き抜かれてきた方です。
父が入院する前この病院のHPを調べて知ったのですが、この先生はがん研究にかなり力を入れてらっしゃる方で(特に進行性・転移性肝臓がん治療)サイトに治療方法と治療例がかなり詳しくのっており、最初は「セカンドオピニオンを・・・」なんて考えていた自分も先生が書かれたこの文献を読みデータを見て「この先生だったら!」と全てお任せしていたのです。

「Uさんは(父の事)年齢が70歳代です。そして抗がん剤の副作用が出やすい体質でしたね。今まで苦しかったんですもんね。」(そうなのです。巷で言われている「お酒を飲んで顔が赤くなる体質」なのです)
「この薬は副作用が非常にきつい。吐くだけでなく全身が真っ赤になり激痛が続きます。」
この病院ではまだ2名しか試してないらしく、一人は好転(若かった)もう一人は亡くなられたとか。(高齢)
その他の治療法も提示して下さったんですが、今すぐに答えをださねばならんのか?という焦り。
しかも命が掛っている。
頭の中がぐるぐるしました。
母も迷っています。
父もまかなり迷っている風でしたが結局、新薬は使わず騙しダマシ弱い抗がん剤を使っていくと言う事にしたのでした。



2010年03月17日(水) い・・・・

い・・・いかん。


あまりにいかんぜよ。
昨夜寝たの多分8時だよ?ビューティーコロシアム観ながら!
(どこで?とは聞かないで)
目覚めたら7時だったよ。


ちょっと寝過ぎ。



2010年03月15日(月) 拍手を・・・

K様・S様・C様・R様・・・・・・

拍手メッセージをありがとうございます。

毎日続いていたあのもの凄い緊張感が無くなり
今はどっぷりと気が抜けております。
看護に通っていた日々の方がある意味、辛さの頂点だったかも知れません。

花粉症が酷くなってきました。
同志の方々・・・・。
しばらく我慢の日々が続きますが頑張りましょう。



2010年03月10日(水) 月曜から・・・・

月曜から仕事復帰しているので流石に疲れてしまって連日爆睡しています。
お陰で沈み込むヒマもなく・・・で有り難いことなのかも知れません。

S様、A様、M様、G.N様、H様、Y様、S様、M様、K様、R様、N様、U様・・・・・
拍手・メッセージ・メール・・・本当にありがとうございます。
皆さまの温かいお言葉のひとつ一つを噛み締める様に、何度も何度も読み返しては
涙が零れます。
心から、本当にありがとうございました。
またゆっくりお返事させて下さいませね。


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とりとんぼうず [MAIL]

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