VITA HOMOSEXUALIS
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彼と連絡が取れなくなって半年以上も経ってから、私はウリ専の店に接触した。
今でもウリ専と寝ることを卑しいもののように思う人はいるだろう。私もそれを良いことだとは思ってない。
だが、ゲイの男性にとって、どうしても日常生活では自分の性癖を満たすことができないとき、ウリ専は泣く泣くの避難所として機能しているのではなかろうか。
じっさい、ウリ専の店には都会から出張で来た人が多い。ゲイとしての自分の欲求を満たしたいと思いつつ、それができなかった長い生活があるのだ。男性相手の風俗の店があるところに出張、これは彼にとって千載一遇の好機なのだ。
ウリ専で働く男の子は欲が深いわけでもなく、とりわけエッチなわけでもない。体を使うアルバイト系のつもりでやっている。よくしつけられていて、礼儀も正しい。見目も麗しく、こんな息子が居たらと思うほどだ。
それでも決心までには時間がかかった。ミックスルームの方が気楽ではある。だがそこで好みの相手に会えるとは限らない。
そこで私は思い切ってメール予約した。寒い日だった。4月に彼と連絡が取れなくなったのだから、ちょうど今ぐらいだ。
指定された場所で待っていると顔が火照ってきた。
しばらくしてから浅黒い背の低い男性が来た。浅黒い顔だったが形は整ってい、笑うと白い歯が美しかった。肩幅ががっしりと広く、上腕も太い。「何か運動やってますか?」と聞くと、マラソンを走るという話たった。「おとうさんと走るんです」と、親子二代のランナーのようだった。
個室に着くとシャワーに誘われた。そこが非常に寒いところであった。
個室は狭く、暖房が入っている。だが、シャワー室は階下にあり、長い階段を降りて広い台所を突っ切り、浴場に行かなければならない。民家を買い上げたのであり、食堂には誰もいない。そこには暖気はほとんど届かず、外と同じ温度である。そこを全裸でタオルを腰に巻いたままで通過する。
歯の根も合わないとはこのことだ。シャワーを浴びながら彼のペニスをそっと見るとちぢこまっている。陰毛の草むらに隠れている。「やっぱり寒いよね」と私は言う。「寒いっす」と彼は返す。
私は歯を磨く。しばらく震えが止まらない。
彼が部屋に帰ってくる。「暖房強くしましょう」彼は言い、設定を28℃にする。
それでも寒い。暖気の吹き出し口に二人並んで立ち、タオルで体を隠しながら暖気を浴びる。
しばらくしてようやく人心地がついた。
彼との逢瀬が終わり、しばらく放心した日々が続いた。強引に連絡を取ってみる方法もないではなかったが、それは彼がいやがると思い、遠慮していた。
実はその遠慮は今でも続いている。私の携帯には彼のアドレスと電話番号は残してある。ときおり彼のアドレスにメッセージを送ってみる。返事はないが、送信不能とも言われないから、何かしら届いているのではないかと思う。電話すれば出ないこともないだろう。だが、私はそうしない。
彼の方から私にコンタクトしてくる気にならなければ、私が一方的に押しかけても無理が残る。だから音信不通のままなのである。
だが、連絡が取れなくなってから一年もすると、ようやく私も落ち着いた。彼を思い出してオナニーすることもなくなった。彼の細い肩や薄い胸板、そのわりに厚い唇や太いペニスの記憶が私を悩ませることもなくなった。
そうなったときに私が思ったのは、私たちが同性に対して抱くのは恋愛の感情なのだろうか、性欲なのだろうかということだった。
私は明らかに相手に恋愛の感情を持ったこともある。高校生のときや大学生のとき、また、ずいぶん年月が経ってから、若い人々にものを教える仕事を始めたとき。そして「彼」。そういう相手はたかだか数人にしかならないが、たしかに私は彼らとの言葉のやりとりを楽しみ、言葉の中にときどき秘めた思いを入れるのを楽しみ、ふとしたときに彼らが見せるしぐさや表情に魅力を感じてうっとりした。
だが、そのような相手のほとんどは同性愛者ではなかった。
もし彼らと抱擁ができていたら、キスができていたら、ペニスをまさぐることができていたら、私の幸福はどんなにか舞い上がったことだろう。
しかし、現実はそうではない。私ははっきりと言われたこともある。
「あなたのことは好きです。愛しています。けれど、体をくっつけるのだけは、僕は生理的に受け付けられないのです。ごめんなさい」
謝られることではないのに、彼は真剣に謝った。私は涙のにじむ思いで、この謝罪に感謝した。
それでは、自分の恋愛感情が相手から肉体的には受け入れられないとなったとき、私たちはそれを素直にあきらめることができるだろうか?
それは少なくとも自分にはできないのである。
私には、感情はどうあれ、肉体の性欲として男を求める心理が働いている。
だから「ハッテン場」と呼ばれるところに行って、感情も何も無縁な性器と性器の接触を求めるのである。
これをやった後は本当に後悔する。
「またやってしまった」、「また負けてしまった」という悔恨は消えない。
しかし、肉体の性欲が飢えてくると、言葉さえも交わさずに射精しあうことが普通に思えてくる。
別れは突然やってきた。
春になり、彼はとある官公庁に就職した。やっと見つかった職場であり、決まってからもいろいろ参考書を買ったりして、彼は一生懸命やる気になっていた。彼が住むところはだいぶ田舎だったが、私は遊びに行くと約束した。
彼が就職してから一ヶ月ほど経った。何の連絡もなかったので、私は彼にメールしてみた。
その返事は要領を得ないものだった。「もっと詳しく知らせて」と私はドイツ語で書いた。
そのドイツ語の返事に、彼は職場に合わなかったこと、辞職しようと思っていることなどが綴られていた。
私は呆然としたが、止めなかった。自分で決断したのなら、それが一番良いことで、私はいつでも彼を応援するつもりだった。
それから一ヶ月ほどして、彼に会った。まずまず元気そうだった。これからは文学がやりたいとか、福祉の仕事をして人の役に立ちたいとか言っていた。そのときはセックスはなしで、私たちは話をしただけで別れた。
もう一回、一ヶ月ほどして経った。彼は少しやせたようだったが、元気だと言った。このままくすぶるつもりはない。いつか必ず文学で芽を出すと言っていた。
それ以来、彼からの連絡は途絶えた。
もちろん、私は何度も彼のことを思い出した。
滑らかな白い肌、華奢な顔立ちに不釣合いなほどぼってりと大きく、形の良い桃色の唇、蒲柳の質ではありながら、それなりに盛り上がった肩や二の腕の筋肉、そうして、ごわごわと縮れた陰毛の草むら、堂々と自己主張するペニス。
私は彼を思い出してオナニーした。
もう一度会いたいという気持ちはあった。だが、こうなると彼も強情なのだった。私と会えば何かが崩れると、あるいは甘えが出ると思っているかぎり、彼は私には合わない。
私は彼を渇望した。
あまりにも渇望で苦しいときには、着衣のままオシッコを漏らして、一瞬の熱い幻惑の中で自分を慰めた。
私は今でも彼に会いたい。
だが彼は去った。
しばらくのあいだ、愛する人がいることの恍惚を味わいながら暮らした、
私は何度博多へ行ったことだろうか。九州新幹線の早割が役に立った。ほとんど半額なのだった。
昼に博多に着く。アミュプラザの8階に丸善がある。私たちはそこで待ち合わせる。お互いに本が好きだから本を見ている。少しはにかんだ彼と出会う。
それから軽い昼食を取る。彼は本当に少食だ。
それから私たちは美術館や博物館に行くことが多かった。博多やその周辺、太宰府近辺まで入れると、常時何かやっている。彼は美術にも詳しい。
それから私たちは阪急デパートの地下で何かしらちょっとした食材を買って行く。それから彼のマンションへ行く。彼はまだ若いが、事情があって3LDKのマンションに一人で住んでいた。彼は料理も得意である。買ってきた食材で何か軽いものを作ってくれる。
私たちはETVの討論番組を見ながら食事をした。古市憲寿が出るやつだ。現代社会の問題に対する彼の論調は鋭かった。
それからDVDを見る。彼が借りてきたものもあり、私が熊本から持っていったこともある。
物語が始まると、彼の人格は二つに分かれる。物語に没入して登場人物になりきってしまう彼と、その物語を文学理論に基づいて分析する彼とである。私はその思想に圧倒される。
やがて夜も更ける。私たちはお風呂に入る。お互いに体を洗う。キスをする。大きくなったペニスをにぎりあう。
私たちは寝床に入る。
熱い愛撫が続く。
喘ぎ声が漏れる。
唇を重ねる。
舌を這わせる。
少し唾液が溢れる。
乳首を吸う。
脇腹し舌を這わせる。
ペニスを咥える。
塩味の我慢汁を舐める。
音を立ててペニスを吸う。
彼の足を高く立てて曲げる。
彼のアナルにゆっくりと硬いものを挿入する。
彼の目が潤む。
彼の我慢汁がシーツを濡らす。
彼は私にしがみつく。
まだはやい。
私たちは少しの間離れる。
荒い息をする。マンションのまわりの灯が見える。電車の音がする。
私たちはまた組む。私は彼の体を全部自分の中に入れたい。今度は彼が上になる。彼は挑みかかる。私のペニスを弄ぶ。私は我慢する。私は腰を浮かせる。二人のペニスが触れ合う。突然私は乱暴に二本のペニスを握り、お互いをこすりつける。彼は荒い息をする。私が上になる。腰を振る、
正直なところ少し疲れたと思う。
もう一度戻る。もっと腰を振る。彼は声を漏らす。私は彼の口を自分の口で塞ぐ。息ができない。二人は上気して赤くなる。彼は涙ぐむ。私も目が潤む。もっと熱くなる。水洟が垂れる。獣がじゃれあっているのと変わらなくなる。激しく腰を振る、射精する・・・
私たちはお互い仰向けになり、手を握り合って放心している。なんとすばらしい夜だろう。なんと切ない夜だろう。私たちは二人で一つの体に溶け合いたい。
彼は東京の大学院で文学の勉強をした。大学院が終わって、就職先を探すために九州に帰ってきた。
私とはゲイのSNSで知り合った。ネコと料理が好きな文学青年だった。彼は資格試験を目指していたので、日記には試験準備のこととかがよく書いてあった。
私たちはお互いにトモダチ申請を承認しあい、もっぱらSNSの上だけで付き合っていた。試験が済むまでは誰にも合わないと彼が決心していたからだった。彼の書く文章には繊細さと太い根性と、澄み切った知性が感じられた。私は彼が好きになった。
彼にバカと思われたら悲惨なので、私の文章も練り直した。
一番気になるのは、彼にはすでに相方がいるのかということで、あるときそっと聞いてみると、「そういう人はいない」ということだった。私はとても安心した。
彼は一次試験に合格し、8月に会えることになった。その前に私たちは写真を公開した。気品のある中性的な顔立ちで、女性と言っても通るほどだった。鼻筋の通ったところと、小顔のわりには唇が肉感的に厚いところに私は惹きつけられた。
私はJR九州のネット会員になり、熊本から博多まで安く行ける切符を買った。
新幹線の改札口で私たちは初めて会った。彼は小柄で、肩も背中も透き通るような感じだった。彼は顔を少し傾けて挨拶した。かぼそい声だった。
私たちは丸善に行って、本のことを話した。彼と私とで趣味は異なるが、私も遠い昔を思い出して、神話や伝説、文学への興味を復活させようとした。本屋を歩きながらお互いに棚から取り出した本を見せたり、再び書架に戻したりするときに、私はちらっと彼に触れることがあった。そのようなことがたびたびになるに就いれて、私はこの妖精のような青年を抱きたくで仕方がなくなった、ペニスが大きく膨れ上がり、先端からガマン汁が出始めて気持ちが悪かった。
日が暮れるころ、私たちは「百道」という海岸にいた。心地よい海風が我々をなでた。そこで、彼の家族はなかなか複雑であること、両親は離婚し、今はマンションに一人で住んでいること、近くに父親が住んでいて、ときどき料理や洗濯を頼まれることなどを、彼はやわらかい声で話した。人前で怒鳴ったことなど生まれてから一度もないといった感じの声であった。
私も少し自分の仕事の話をし、どうして九州にやってきたかを話した。
日が暮れて海風が冷たくなり。海岸に遊びに来てる人たちの姿が黒いシルエットになった。
そのとき私は彼を抱き寄せてキスをした。少し舌を入れた。
キスの時間は短かった。彼は顔を赤らめてうつむいた。少し涙ぐんだように見えた。
私たちは、無言で肩を組んで百道海岸から出た。稚加榮で食事をし、ラブホテルに入った。彼は自分の肛門を念入りに清掃した。彼はいわゆる「ウケ」なのだった。
彼のアナルは十分開発されていた。私が突っ込むと彼は静かに悲鳴をあげた。それでも彼のペニスは反応し始め、先端から透明な粘液を涙のようにたら、たら、と垂らし、寝具を濡らした。
「おもらししちゃった、おもらししちゃった」と彼は震え声で言い、そのことが彼の興奮を高めているようであった。
最後は二人で激しくもみ合い、おびただしく射精した。
熊本の寓居に帰っても、その晩のことはじっと思い出された。そのうちに彼から再びメールが来て、今度会う日も決まった。
ついに私の生涯最高、最大の恋愛について語ろう。
その人は福岡に住んでいた。私は熊本だった。私はJR九州のネット会員になり、ほぼ半額で切符が買えるサービスを利用して足繁く彼のところに通った。
そのきっかけはこんなことだった
(以下次号)
私は全国規模の掲示板で岩手県に住む配管工と知り合った。
あちこちの仕事に車ひとつで走り回り、時には仙台や福島まで出張するのだった。狭いアパートに済んでいて、そこには酒の空き瓶が転がっている。私たちは写真を交換したからこういうことがわかるのだ。彼は赤茶けた髪の毛で顔の細い、げっそりした凄みのある顔立ちだった。背は相当に高く見えた。
彼のメールは次第に短いものになった。無駄なことを言いたくないというより、もとから長い文章を書く力を持っていないようであった。
私たちには共通の趣味があった。着衣のままオシッコをすることであった。まず私が風呂場で撮った写真を何枚か送った。風呂場で取らないと椅子やカーペットが被害にあう。風呂場で十分だ。しゃがんで放尿すると股の切れ目の直上からパンツが濡れて行くのがわかり、やがて尻の割れ目に沿って黄金色の液体がじょ〜っと流れ出る。
私は携帯を持った手を濡らさないように注意した。濡らしたら見えなくなる。なかなかうまく撮れない。そのうちに尿意は下火になってくる。
それでも、下着が濡れていることがわかる写真を何枚か送った。
彼からも返信が来た。相変わらず文章は下手くそだが、写真がついていた。
最初は室内でトランクスを履いてうずくまっている図。
トランクスがテントになり、その上を覆っているジャケットの前も膨らむ。
膨らんだ頂点のところに小さなシミが浮かぶ。
次の写真ではその染みは少しずつ大きくなる。
やがてトランクスはびっしょりと濡れる。次の写真で彼はズボンを脱ぐ。
下着から下に向けて幾条かオシッコが流れた線が走っている。
ガマンしきれなくなった彼はペニスを引きずり出す。 濡れて光るそれが姿をあらわす。 「あは〜」という声と共に彼はあっと叫び、白い放物線を描いて果てる。
最初は「偽物の写真かな?」とも考えた。
しかし、こんな手の込んだことを偽装するより、自分で出して後始末した方が簡単だ。だから贋作ではないだろうと思った。九州と東北、こんなに離れて住んでいるのに、オシッコを漏らしたり、下着を汚したりすることの好きな人はいたのだった。
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