VITA HOMOSEXUALIS
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私が住むことにしたのは熊本市から南に十数キロ、周囲は全部田んぼ、異様な葉っぱのあれあ何だろうと思ったらタバコの葉であった。このへんはタバコ栽培農家が多いのでも有名であった。
ただでさえ田舎の、田んぼに囲まれた広い土地に立った四角いアパートが私のすみかだった。布団や机は厚木から持ってきた。洗濯機と冷蔵庫は買った。エアコンは最初からついていた。
真面目な毎日が過ぎてしまうと、私は退屈になった。こんなところにゲイがいるわけがない。
ところがネットで検索してみると、数百メートルしか離れてないところにレスラー体型のK氏、1.5キロメートルぐらい離れたところに女装の高校生M氏が住んでいることがわかった、Mとはときどきメールしたが、話が噛み合わず、一度も合わないうちに薄くなってしまった。レスラー体型のK氏とは2度ほど会った。彼は体ににあわずやさしかった。しかし、完全なウケなのであった。それで私としては自信がなかった。
だが、K氏は良い人だった。のちに地震の被害に遭って困った時、清水をいっぱい汲んでくれてきた。
私には不愉快な経験もあったことを告白しておく。
それはSNSで知り合ったオトコで、28歳と称していた。彼とは何回か会った。常に携帯電話を2台持ち歩いていて、一度に両方でしゃべっていることもあった。
彼は西日本のある地方の出身で、それは私の出身地から遠くはなかった。父を憎み、母を愛していた。左腕にリストカットの跡があった。彼はニューハーフの子とつきあっていると言っていた。
彼の顔貌は悪くはなかった。目の色が薄いが、それも考えようによっては魅力になった。色は白く、髪は金色に染めていた。ファッション関係で働いているということだったが、彼はじきにそこを辞めた。仕事がきついわりに待遇が悪いからというのであった。
しばらくすると彼はウリ専になった。お客から無理なプレイを強いられるのが辛いと言っていた。そのうちに客の一人が「パパ」になったと言ってきた。「これからはパパのお許しがなければ会えない」とも言っていたが、しばらくすると「パパにお金を返して自由になった」と言った。
そして彼は私がこういうことをtwitterで漏らしたと言って怒っていたのであった。
彼にはもうひとりの友人があった。それはオトコなのに女の声を持っている田舎の大学生で、毎月一回上京して歌のレッスンを受けていた。その友人と私はmixiでトモダチになったが、しばらくすると絶交を申し入れてきた。私の態度がとても悪いからというのであった。個人情報をtwitterで漏らすような人とは友達になれないと言われて、私は一方的につきあいを廃絶させられた。
これら一連の出来事は何なのか私には見当がつかなかった。私は個人を特定できる話をどこでもしていないので、正確に言うと個人情報を漏らしていないことは明白だった。それよりも私は彼とつきあうのに苦労した。常に「今は会える」と言ったり「今は会えない」と言ったり、最初はウリ専の指名次第で、次はパパの命令次第で、私はふりまわされてばかりだった。
もうひとりの歌手の卵は善意の第三者であろうと思う。このおとこはその彼に私淑していた。夢を追うところを尊敬しているとも言っていた。
この「彼」の行動に整合性のある説明をつけるとすると、彼は最初からカネ目的で「パパ」を探して私に近づいた。しかし、私が予想外にカネを持ってないことが判明したため、何とか私と切れようとしていた。そのためにいろいろな小細工や作戦を弄したと考えれば何となく説明がつく。
ファッション関係で働いていただけあって、センスの良さそうな服を着ていた。アクセサリーもいろいろじゃらじゃらとつけていた。
だが、都内一等地のマンションに一人で棲んでいる彼は、会うと「ぷううん」と汗の匂いがするのであった。おそらく、身を飾るわりには清潔な暮らしをしていないのだろうと思われた。
私は東北大震災のあった2011年のことを書いている。多くの死者を出し、街を一瞬にして瓦礫の山に変えてしまった津波の影響も一段落したとき、今度は福島原発の事故がいかに深刻かを知らされる運命になった。
私はその夏福島に行ったのだが、着の身着のままで避難させられたふるさとは、放射線が忍び寄っているというだけで見た目はどこも変わらない。破壊された跡もなければ崩れたわけでもない。相変わらず庭には花がさいており、洗濯物さえ干したままだ。家の窓の向こうには開いたままの本も見える。それでも立入禁止区域に指定されたとこには、たとえ目の前で静謐な姿を見せていても、そこに行くことはできないのだ。ペットの犬は無邪気に吠える。それても犬を置いたままにしなければならない、飢えて死ぬか、野犬になるか、わからないが引き裂かれるのだ。
福島のこの異様な美しい風景は私に異様な衝撃を与えた。これが世界の破滅なのだ。いま我々は破滅に向かってあるき始めたのだという自覚だ。
夏の間は計画停電で私の住んでいた厚木のあたりも突然暗黒になった。だが、それももう落ち着いた。電車はもとのように輝いて走り、店には再び食料品があふれた。
寒い冬が来たころ、私は3歳年上の電気屋さんと親しくなった。私よりも年上なので、顔は若くない、長年の現場仕事で鍛えられた渋い顔だ、作業服に包んだ体は引き締まっている。外見に惹かれたわけではない。私はには共通の趣味があった。おしっこが好きだったのだ。最初はメールでやりとりしたが、そのときはあまり詳しい話はしなかった。車で20分ほどの私のアパートに彼がやってきたり、一人ぐらしの彼のアパートを私が訪ねたりした。
何度か体を重ねたあと、彼はMでウケであることがわかった。私は縛るのは嫌いだった。彼は何度か私の服上に自分の尻をおろし、私のペニスを挿入しようとした。しかし、抗うつ薬を飲んでいた私には勃起力がなく、私は彼を満足させることができなかった。私はいつも涙ぐんで彼にあやまった。彼は「いいよ、いいよ」と言ってくれた。
しごく寒い日。私は仕事で失敗した。私はみじめだった。彼の携帯に電話した。
「いまから行ってもいい?」
彼はいいと答えた。彼の家にあがると私はビールも飲まず、彼に抱きついた。
「抱いてほしい。辛いことがあった」
抱擁し、愛撫しているうちに私は彼の耳元にささやいた。
「オシッコ、したい、ダメ?」
彼の息遣いは荒くなっていた。「いいよ、やろう」
彼は布団を敷き、その上にビニールシートをかけた。その上をシーツと毛布で覆った。
私たちは裸になった。寒い夜道を歩いてきて、私のペニスは蚕のようにちぢこまっていた。そのかわり、尿意は相当腹を押していた。彼のペニスが私の腹を這った。私は興奮して勃起してきてしまい、おしっこが出せる状況ではなくなった。
「何かあったの?」彼は聞いた。
私は言おうかと思ったがそれが言えず、口から出かかった言葉を飲み込み、急にみじめになって涙を流した。ひとたび涙が流れ始めると止まらなかった。呼吸が小刻みになり、鼻水が流れた。すすり上げても流れ落ちる鼻水の方が強く、私の顔は恥で真っ赤になり、必死で身をよじっているとおしっこが出た。
ほんの少しだった。
「出たね」耳元でそうささやかれて、私は逆上した。
下腹が暖かくなった。彼もおしっこを出したのだった。黄金の熱い水が私の腹の上でしばしたゆたい、腰の脇を流れ落ちてシーツを濡らした。
私は「うー」とうめき声を上げて下腹に力を入れ、いきんだ勢いでたくさんのおしっこを出した。ふたりの下腹がぬるぬると滑った。
甘い、恥ずかしい匂いが私たちを包んだ。上になり、下になった。彼のおしっこはいきおいがよくなった。「君が来る前にビールを飲んだ」と彼は言った。「ぱんぱんだ」何度かいきんでいるうちに私のおしっこは噴水のように止まることを知らなくなった。彼はそれを口で受けた。飲んだのではなく、口を開けが、彼の口に入ったおしっこは私の胸や腹の上に落ちてきた。
彼のおしっこは勢いが強かった。どぼどぼという感じで私の腹に撒き散らされた。シーツはびしょ濡れで、水たまりができた。
私たちは濡れた腹をこすり合わせた。がまん汁がたれ始め、腹はぬるぬるになった。私はまた手でしごいた。おしっことがまん汁が混ざった粘液がしごかれて細かい白い泡になり、手を動かすたびにぴち、ぴち、といやらしい音を立てた、
私はおしっこを吐き出している彼のペニスを加えた。苦く甘い水が口にあふれ、鼻にも入り、私音鼻から鼻水になって出た。呼吸が苦しく、私はあえいだ。あえぐとさらに快感が強くなった。お互いにシックスナインでおしっこをかけあった。
正常位に戻り、濡れたペニスを甲わせした。私は腰を浮かせて振り、射精した。
彼も私の腹の上で激しく体を上下に痙攣させ、射精した、
ふたりの狂乱のあと、おしっこの水たまりはたちまち冷たくなった。
私たちはこぼさないように注意してシーツとその下のビニールシートを浴室に運んだ。その下の布団にもいくつかシミができていた。「気にするな」と彼は言った。私は泣きながらうなずいた。
熱いシャワーを浴び、私たちは体にしみついたおしっこの匂いを洗い流した。私はあだ泣き止まなかった、彼の首にしがみつき、子供のように嗚咽していた。
私はバスタオルを羽織った。彼はホットウィスキーを持ってきた。私は嬉しいのと、情けないのでいつまでもしゃくりあげていた。
「遠慮するなよ、またいつでも来いよ」彼の言葉を跡にして、私は再び暗い夜道を進んだ、「あんなことをしてはいけない」と思った。帰り道は冷たく、私はまた涙と鼻水を垂らした。
私はまたネットで別の青年と知り合った。駅で待ち合わせようと携帯で相談し、私は駅に急いだ。そのとき彼からメールが入った。
「きょう、いくらくれますか?」
と書いてあった。
私はカッとなった。しろうとだと思っていたのに、商売にだったとは。私は「そんなら、いいです」という返事を出して彼との連絡を切った。
ただ、その年は不思議な年だった。震災が起こり、原発事故が起こり、人々は明日に大きな不安をいだいていた。
年末も迫った日、私は彼に連絡をとった。「いくらだ?」と聞いた。「フェラで5000円てとこですか}と返事が来た。それで私は会ってみることにした。
駅に現れたのはノートを抱えた大学生だった。スポーツをやっているらしく、がっしりしていた。これから別のバイトにも行かなければならないからあまり時間がない、とも言った。
それでも私はまずビールに焼肉で彼をおごった。出身地はわりと近く。野球部で、甲子園に出たこともあった。今は経済学を勉強している。私の職場と目と鼻の先の大学である。こんな純朴な青年が本当にひとり商売のウリ専なのだろうか?
私は疑問にも思ったが、彼を部屋に連れ込んだ。彼はすぐに私の服を脱がそうとした。私はその手を止め、トイレに行ってくる仕草をした。彼はうなづいた。私はトイレから帰ってきた。今後は彼がトイレに入った。その間に私は部屋の照明をできるだけ暗くした。お互いに歯磨きをした。
彼は私に近づいてきた。服を脱がそうとした。ハグしようとした。どれもガマンのならないほど下手くそだった。だから私は自分で脱ぎ、自分で抱きしめた。彼の体が固くなるのがわかった。
彼を押し倒した。かすかに震えていた。彼の黒っぽいペニスは大きな剣のようで、私が触れるとガマン汁を垂らし始めた。「うう」、「うう」という声を出して、彼は勢い良く射精した。 それから彼は無言で私のペニスをくわえた。 プロにしているだけあって、それはかなり巧かった。口の中で亀頭を舐めながら、息を吸い込んで陰圧を作った。彼が顎を上下させるたびに「ズズ」、「ピチ」という音が響いた。 私は気持ちが良くなり。彼の口の中に思いっきり射精した。
彼は次のバイトに行った。もう一度連絡してみようと思ったら、登録の電話番号は切れていた。
私の目の前で元気よく串焼きや唐揚げを口に運んでいる青年は、中国の福建省から来て中央大学で経済学を学んでいる留学生だった。短い髪は少し刈り上げられたようで、清潔な白いワイシャツを着て、顔立ちもなかなあ整った好青年だった。
彼とは経済の話をした。その頃は中国の経済がたいへんな勢いで上を向いているときだった。彼は毎日勉強に忙しくて遊ぶ暇はないと言っていた。ただ、自分は国際的な企業で働きたいと思っている。中国にはそういうネットワークがある。そういう彼の言葉を聞いて、私は「華僑のことかな」と思った。
日本は良いところで、日本人はとても親切にしてくれるとも言った。日本の大学生活を楽しんでいるようであった。
しかし、ひとたび話が南シナ海の国境問題や南京の虐殺に及ぶと、彼の言葉は一転して中国政府の公式発表と変わらなくなるのだった。
私たちは連れ立って居酒屋を出て、多摩センター駅前の通りを歩いた。晩秋が近く、木々の枯れ葉が道路に舞い散っていた。
彼はもちろんゲイなのだった。その世界の世話人になっている中国の「おじさん」がいて、その人の世話になっていた。
私たちは尖閣諸島をめぐって議論したばかりだったので、私は「彼とはこのまま別れるのかな」と思っていた。それでも私たちの足は公園の方に向かい、照明のない暗がりの方へ進んだ。枯れ葉を踏む音が大きく響いて、私は少し不安になった。
私たちは並んで立った。彼は私の股に手を入れてきた。私のそれはもう大きくなっていた。私も彼の股に手を入れた。彼のそこはすでに大きくなり、だらだらと粘液で濡れていた。彼は私に顔を近づけてきた。頬が赤くなっているのがわかった。少し目を閉じて口を開け、うっとりしたような表情だった。彼は私にキスしてきた、舌を絡めたっているとパトロールの懐中電灯が近づいてきた。私たちは慌てて体を離し、ペニスをズボンの中にしまった。
パトロールが行くと再びペニスを出してこすり合わせた。彼は私に体重を預けてきた。
私は彼のペニスをこすった。それは粘液でぬるぬるになり、彼は「ウ」というような声を出して射精した。枯れ葉の上に精液が落ちる「ボト」という音がした、
彼は私のペニスを握った手を動かした。私も射精した。
私たちは公園のある丘を降りた。「これからも会えるかな?」と私は聞いた。
「無理、無理」と彼は答えた。
東北震災の年の夏、私は福島を訪れた。放射線の影響を受けた地域は、見た目には被災前と何ら変わりないのに、立ち入りを禁止される。家も庭も畑も、手にとるように目の前に見える。慌てて避難してきたから、庭には洗濯物が干してあり、部屋には読みかけの本が開いてある。それなのにそこにはもう近づけない。このままにしておくと荒れてしまうのに、どうすることもできない。
それから私は山口県の島に行った。そこは原発反対を堅固に押し通してきた島である。本土とわずか数キロしか離れてないのに、埋め立てられた本土の海岸が死滅しているのに比べて、この島の海岸は美しく、海は透き通り、海中にはいろいろな生物が見える。大きな川のない島ではいきおい自給自足でエネルギーもまかない、廃棄物も島の中で処理してきた。江戸時代からそうやって環境を守ってきた島であった。
その島からの帰り道、私はネットで知り合った大学生とホテルで出会った。
ネットでは彼は悪ぶっており、男同士のセックスの世界もよく知っているような書きぶりだった。
だが、明らかに似合わないサングラスをかけてロビーの椅子に固くなって腰掛けている彼を見ると、この世界は初めてなのだとわかった。私は彼を部屋に誘った。
手にしたアイスコーヒーのグラスがテーブルに当たってカタカタ音を立てるほど彼は緊張していた。「今日は何をしていたの?」と尋ねると、「大学で実験していました」と消えそうな声で答えた。二言三言ことばを交わしているうちに彼の頬は紅潮してきて、やがて耳まで真赤になった。
私は彼を立たせ、ゆっくりワイシャツのボタンを外していった。薄い胸が現われ、それはひくひくと波打っていた。私は彼のズボンのベルトを外し、腰のところを開いてジッパーを下ろした。彼のペニスは大きく勃起して、トランクスがテントのように張っていた。彼は苦しそうな息を漏らしていた。私の手はそっと彼のペニスに触れた。「はぁ」というような声とも息ともつかない吐息を彼は漏らした。ペニスの先はもうトロトロに濡れていた。
私は彼をベッドに誘い、お互いの裸体を絡ませた。彼は身を固くした。
彼はほとんど動かないままであった。胸まで飛び散るほどの射精をしたときも、彼の体は凍りついたように固まっていた。
私はゆっくりと彼の精液を拭いてやり、ベッドの上に起き上がって自分の精液も始末した。
そのとき彼は横を向き、ひくひくと体をくねらせ始めた。手でしきりに顔を拭っていた。くすん、くすん、という息遣いが聞こえてきた。私はそっと彼を見た。彼は泣いているのであった。喉が震え、ひく、ひく、と嗚咽を我慢している。時折涙が溢れ、彼はそれを不器用に手で拭う。彼は鼻水をすすりあげる。
「初めてだったんだね」私は声をかけた。
かれはこっくりと頷いた。
私たちはシャワーを浴びた。彼はごしごしと顔をこすり、涙や鼻水の跡を消そうとした。頬の紅潮は収まっていたが、今度は体全体が青ざめたような様子だった。
彼は裸のままトイレに行った。小便を放つ盛大な音が聞こえてきた。
それから駅前の中華料理屋で食事をして別れた。私は彼に悪い事をしたように思った。「ありがとう」とメールを打ったが返事はなかった。
だが、翌日彼から届いたメールには、以前のように悪ぶった調子がうかがえた。
彼の精と私の精を拭き取ったティッシュペーパーはおよそ一箱の半分にもなり、大きな牡丹の 花のように私の部屋のゴミ箱におさまり、その精の匂いは数日部屋に漂っていた。
「あっ」という小さな叫び声とともに胸まで飛び散った彼の精は濃い真珠の粒のようにキラキラ輝いていた。
その少し前、小柄な体のわりには大きな彼のペニスを口に入れて私は舌と首を熱く動かしていた。舌の先に塩の味が感じられ、私は彼がガマン汁を流し始めたことを知った。
私たちは狭い寝台に裸で抱き合い、硬く反り返ったお互いのペニスをこすり合わせ、体のすみずみを愛撫し、舌を絡めた濃厚なキスをした。6月にしては寒い日だったが、私たちの体は熱くなり、背中に少し汗が浮いた。
彼はこうなることを期待してやってきた。だから私が部屋の灯を暗くすると自分から服を脱ぎ始めたのだった。
私たちは焼き肉を食べた。彼は大きな会社の技師で、工業高校を出たあとすぐにスカウトされ、職能のコンテストで入賞するほどの腕前だった。
駅前で待ち合わせていたとき、私はどんな青年が来るのだろうと思った。遊び人のような想像をしていた。学生ではないが、けっこう忙しいという話で、私は彼のことを水商売でもしているのだろうと思った。だが、現われたのはこざっぱりした素直な青年で、朴訥な印象を受けた。後にわかったことだが、そのとき彼は郷里から出てきて一年しか経っていなかった。
私が驚いたのはその顔の美しさだった。今までたくさんの男と逢ってきたが、これほど整った顔立ちの青年は見たことがなかった。
私たちは並んで手をつないで仰向けになった。私は彼に九州の隠れキリシタンの話をした。「まだ若いのだから君はこれから結婚するだろう。ゲイは良い夫で良いパパになる。優しいから」私がそう言うと彼は「イヤだ。結婚なんかしない」とつぶやいた。
私は彼に本気で恋をした。私たちはTwitterでしばらくつながっていた。寮に住んでいる彼は好きな先輩のことが気になったりオナニーをしたりした。郷里から友人が訪ねてくるときにはゲイビデオの隠し場所に困っていた。
その年の夏、彼は知らない人と逢い、生まれて初めて尻を与えたらしいことをTwitterにつぶやいた。私は彼に振られたと思った。それは寂しい喪失感だった。
私は今でも彼の面影や姿態を思い出す。体をひくひくさせながら短い喘ぎ声を漏らし、私の口の中で痙攣しながら塩辛い粘液を漏らしていた彼のペニスを思い出す。
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