VITA HOMOSEXUALIS
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3月12日は関西に行く用事があった。
その前の日、厚木の私の仕事場も大きく揺れた。周期の長い横揺れがいつまでも続き、酩酊しているような気分になった。交通はバス以外すべてストップし、私はアパートまで歩いて帰った。
翌日は予定通り新横浜駅に行った。西へ向かう新幹線の切符売場には長い行列ができていた。
大阪で仕事を終えて営業先と居酒屋にいるとき、ニュースを見た。マグニチュードが9を超える大地震、数千人の死者、大津波、テレビにうつる映像は衝撃的だった。だが関西にはその影響はなく、私は予定通り奈良から京都を回って神奈川に帰った。
帰ってみるとコンビニやスーパーからほとんどすべての食糧が消えていた。電池も売り切れていた。ガソリンスタンドには車が長い行列を作った。
原発の事故が伝えられた。初期の対応は良かったように私は思った。しかし、その後じわじわと放射線汚染が拡がっていった。
電力がなくなると言われた。電車が止まった。計画停電が始まり、職場やアパートは突然真っ暗になった。
私の中で何かが崩れたと思う。この世は終わる。そんな感じだった。
その年の夏から秋にかけて、私は若い男とつぎつぎに体を重ねた。それは遊びという感覚ではなく、だからといって本気で誰かを好きになってつきあうというのでもなく、崩れそうな自分の芯にあって行き場を失っている性の熱気を放散しているような感覚だった。
この音楽家とは3年ぐらいつきあった。
恋愛感情が生まれるまでには行かなかったが、新宿で美食と美酒を楽しみ、ホテルで密会するという生活は、それなりに楽しいものだった。
彼が出演する音楽会の入場券ももらった。舞台の上で燕尾服を着て済ましている彼はベッドの上で狂奔している人と同じには見えなかった。しかし、舞台からは客席がよく見えており、「こないだ来てくれてたね」というような会話もあった。
私たちはお尻は使わなかったが、手や口でペニスを愛撫したり、勃起したペニスどうしをごろごろこすり合わせたりするセックスはそれなりに楽しいと思っていた。
だが、ある日のこと、セックスが終わって着替えていると、「これからもつきあえるけどセックスはなしにしてほしい」と言われた。「どういうこと?」と聞くと、好きな人が出来たという話だった。その人には十分かわいがってもらえるという。彼が探していたのは頼もしく頼れるタチのオトコなのだった。たぶん彼はウケだったのだろう。私のペニスが彼のアナルに入らないので、それで彼としては満足も小粒だったのだと思われる。いま彼の前にあらわれた人がどんな人かは知らない。おそらく男らしく、彼を犯してくれる人なのであろう。
私は未練を見せずに引くべきだと思った。一人になるのは慣れている。
その後もオーケストラの演奏会名簿で彼の名前は観た。しかし私はもうその演奏会に行こうとは思わなかった。
私は厚木のはずれのアパートに帰った。
私は着衣のままオシッコを出した。
その液体の熱さが私を慰めた。
立ち上るオシッコの匂いは私には麻薬のようで、私は愉悦にむせ返った。
それから2年、私はネットで出会ったいろいろな人とつきあった。横浜のおじさんは私が余韻を大切にしないといって怒った。ラブホテルは時間ぎりぎりまで楽しむべきもので、精を放出してしまったらそれで終わりではないんだと教えた。ふたりでゆっくりお風呂に入り、ことが済んだあとも二人で裸で寝そべってあれこれ話すのだ。それを覚えなければモテないぞ、と言われた。
韓国の留学生は大きな手のひらに私の精を浮けた。自分は勃起しないと言った。それで良いのか、私は彼に聞いてみたが、はにかむような微笑をたたえて、「これでいい」と彼は言った。
出会って食事をし、少々の酒を飲んだだけで別れた人もいた。こういうのはむしろ健全なつき合いの範疇で安心だと思った。それでも何か物足りなかった。
そうこうするうちに月日は経ち、2011年の3月11日になった。
神奈川は私にとって「戻ってきた」という感覚のする土地であった。最初の職場が川崎にあったからである。こんど私は厚木に住んで、バスで職場に出かけた。家賃の安い1Kのアパートを見つけて住んだ。そこは丘陵の底のような土地で、窓を開けてもまわりの家が見えるだけであった。しばらく歩くと畑があった。
そこに住んでからしばらくした頃、私はネットで若い男と知り合った。彼はオーケストラでバイオリンを弾いていると言った。何度かメールをやりとりした後、新宿で会おうということになった。なんでも彼の懇意のワインレストランがあるらしく、おいしいワインと食事が楽しめるということであった。
その日が近づいてきた頃、彼はメールで「おいしいものを楽しむには、それなりのお金がかかりますが・・・」と書いてきた。私がよほど貧乏暮らしをしていると思っているらしかった。
秋の夜、私たちは伊勢丹の角で会った。音楽家というから華奢な人を想像していたが、少し太めのがっしりした人だった。温和な顔をしていた。
裏町をくねくね歩いたところの二階にそのレストランはあった。彼はオーナーと親しいらしく、「こんなのを持ってきて」、「あんなのを持ってきて」と私の知らない銘柄を次々に注文した。彼は私にはヨーロッパを旅して歩いた話をした。私の知らない街、私の知らない言葉、私には想像もできない冒険のような話、それは面白かった。音楽家について語ることと言えば、悪口であった。誰か有名な指揮者の名を挙げて、あの人は意地が悪いとか、あの人は嫌われているとかいった話をした。
私はその話とワインで満腹になり、ほろ酔いにもなったので、こういう機会が何度かあれば嬉しいという話をして別れようとした。だが彼は、「これでお別れはちょっと寂しい」と言った。
それで私たちは花園神社の裏手にあるラブホテルに入ることにした。ラブホテルの前の薄暗い街路で、男二人が入れるタイミングを見計らった。背広を着た男にまとわりついた女性が、おそらく酔ってでもいるのか、嬌声をあげながらそこに入って行くのを見て、私は何となく不潔だと思った。頃合いを見て私たちはフロントに近づき、鍵を受け取って部屋に入った。
私は彼の腰を後ろから抱えて、そっとジッパーをおろし、彼のペニスに触れてみた。
それはまだ小さくて柔らかかったが、すでにその先端はうるうると濡れていた。
「ああ、もう・・・」と私はささやいた。
「シャワーを浴びてきます」と彼は言い、私も入れ違いに入った。
私たちは裸で絡まりあった。彼が上になると重かった。
正直な話、彼のペニスは小さかった。彼は仮性包茎で、勃起すると桃色の亀頭が現われたが、それはまるで豆のように見えた。私には久しぶりのセックスだった。
私たちはほとんど同時に射精した。
まだ人通りの多い靖国通りを通り、満員の小田急に揺られている間、私は股間から絶えず粘液が垂れてくるのを感じた。下腹に重い疲労感のようなものがあった。
地下鉄を虎ノ門で降りて外堀通りを歩いて桜田通りに入る。この道を歩くとかつての政治活動の思い出がよみがえって気分が落ち着かない。
われわれのデモ行進は清水谷公園に集結して出発、まさにこの道を歩いて日比谷公園を目指すのだった。
明るい歩道には急がしそうなサラリーマンや、のどかな若いカップルがいた。
だがわれわれはヘルメットをかぶって車道を6列横隊で歩き、両脇を機動隊にがっしりと固められているのだった。機動隊は隙があればわれわれを検挙しようと足をひっかけたり、警棒をにゅっと突き出したり、いろいろなことをする。
そのデモの喧騒も遠い時代になり、私は仕事を取るためにそこを歩いていた。しかし、私はそんなときふと恐怖に襲われた。もしもあのときの「同志」に出会ったら、遁走した私は必ず査問にかけられる。それは爪と皮膚の間にマチ針を入れて行くのだ。そうして彼らの言うなりに自己批判するまでそれが続く。言葉はていねいでやわらかだ。自決を迫る侍のようだ。
私は今でもこの恐怖から完全に自由にはなっていない。
いつか彼らが私を訪ねてくる。だから、それまでの短い間、私は奔放な性を楽しんでいたかった。
政治活動にのめり込んでそろそろ疲れ始めていたころ、同郷の友人が東京に遊びに来た。
まさかデモに連れていくわけにも行かず、私たちが打倒の拠点と考えていた皇居前広場や、帝国主義の象徴と考えていた東京タワーに連れていった。その晩彼は私の部屋に泊まった。
部屋は狭く、布団は一人分しかなかった。物入れを作って少し高くしたところに畳を敷いたのが寝台だった。彼は畳の上に直接寝、掛け布団だけをかけた。私はその下の畳みに寝、普段の敷布団をかぶって寝た。
寝苦しさを感じて目が覚めた。彼のすう、すう、という規則正しい健康な寝息が聞こえた。月のあかりでほんのり白く光っている彼の寝顔は彫像のようにきれいだった。私は彼を抱いてみたかったことを思いだした。目を覚ますかな、と不安に重いながら、私は彼の唇にそっとくちづけをした。それは何の味もしないものだった。
私はそっと彼の布団をはぐった。トランクスから白い腿が元気よくはみ出しそうだった。私はそっとトランクスを脱がしてみた。半分ほど脱がすと、陰毛に覆われた彼のペニスが出てきた。
私は彼がいつ目を覚ますかとドキドキしながら彼のペニスに手を触れた。それは包茎だった。私はそのペニスをゆっくりしごいた。ぺニスはだんだん大きくなり、皮が剥けて亀頭が出てきた。「仮性だったんだ」と私は思った。彼の亀頭はピンク色に輝いていて、つるつると針空いたあって美しかった。私は思わずそれを口に入れた。
私は舌を転がして彼のペニスをまさぐった。それはだんだん大きくなった。
「むん」という声がしたので、彼が目を覚ましたと思い、私はあわててペニスから口を放した。でも彼の寝顔は変わらなかった。
そのうちに彼は右手を不器用に伸ばしてペニスを握り、力の抜けたやり方でそれをしごき始めた。
「オナニーの夢を見てるのだ」
「かれはこうやってオナニーするのか」
その持ち方は私のとは少し違い、かるく握った握りこぶしを棹に当てて上下させるのだった。夢でオナニーしているので動作は正確ではなく、しばしばペニスを握り損ねた。
彼が私の目の前でオナニーしている・・・それはかなり衝撃的な光景だった。
しかし、射精までは行かなかった。しばらく手を動かした後に彼は自分の手をペニスから放した。亀頭は表皮の中に戻った。ペニスは再び小さくなり、私はそれを彼のトランクスの中に仕舞った。
目覚めてから何か言われるだろうか? 私はそれを気にしていた。 言われたら正直に言うつもりだった。オマエが好きだからオマエが欲しかった。 断られれば謝ればいい。
でも翌朝はなにも起きなかった。
専門学校を中退してしまった私には高卒の学歴しかなかった。
同じ時期に大学に入った友人たちは卒業して就職する時期になった。
我も我もと県庁や市役所の役員になったり、地元の銀行員になったり、商社や製造業に入ったりした。私は自分だけがひどく遅れているような気がした。その頃はまだ政治運動にかかわっていて、帝国主義政策を進める大企業と官僚機構への反発を持っていた。ではどうやって生きるのか?
運動の先輩たちは肉体労働のアルバイトをした。そうして、就業条件に難癖をつけて、一時金をせしめて退職し、また別のアルバイトに就き、また同じことをする。要するにジゴロなのであった。その生き方も私には出来なかった。
夜でも朝でもない薄明の空を飛んでいるような気がした。私は高校の同級生と瀬戸内の島に旅をした。その子は役人になることが決まっていた。
私たちは小さな島の尾根に着いた。南側の斜面には一斉に除虫菊が咲いていた。北側の斜面は棚田になっていた。私はそこで幻影を見た。遠くから、獲物をかついた漁師がこちらに向かって歩いてくる。ドビュッシーの『祭』の音楽がかすかに響く。その人の群れはだんだん大きくなる。祭の音楽は昼間部の行進曲になり、音がぐんぐん大きくなってくる。その一番の大音響のとき、獲物を抱えた祭の列は私の側を通り過ぎた。オトコたちは大きな魚を抱えて、赤銅色の顔を輝かせていた。女達はそんなオトコを夢見るように見、捧げ物を持っていた。
やがて幻影は消えた。取り残された自分。どこへも行けない自分。何も役に立たない自分。私はぽろぽろと泣いた。彼が私を優しくなぐさめた。
「オレらはなあ、今の時点で自分の棺桶の大きさが決まってしまうんよ」、「それが決まらんおまえはいいよ」と彼は言った。
その夜、民宿で枕を並べて寝た。少し寄っていた。私の手は彼の股間に伸びた。最初は柔らかだった股間は私の手を感じると硬く、大きくなった。
「あれ?」と彼は小さい声を出した。
私は彼のペニスを握り続けた。彼は何も抵抗しなかった。彼のペニスからはガマン汁が流れて濡れた。しかし彼は射精しなかった。彼の勃起は次第に落ち着いてしまった。
私は二重に負けたのだと思った。就職の決まった彼に負け、射精させられなかったことで彼の克己心にも負けた。私は本気で泣いてしまった。彼は私の手の甲にキスをした。それが彼の精いっぱいの行為の表現だった。
それ以来40年、彼は新聞の人事欄に写真が出るほどの大物になった。
| 2016年08月29日(月) |
少年の日の回想(3) |
高校にはブラスバンドがあった。
野蛮なブラスバンドで、一日の練習のほとんどの時間を、ピーピー豆のようにBbの音を揃えるのに費やしていた。
このブラスバンドは野球の応援をした。暑いグランドのスタンドで校歌や応援歌を吹く。生徒たちはグランドに集められて練習をさせられた。集合が遅いと言ってはなぐられ、元気がないといってはなぐられ、歌が音楽のように聞こえるといってはなぐられ、まるきりリンチのような練習だった。下級生のときボコボコに殴られて涙顔になっていた少年たちも、自分が上級生になるとにたにた笑いながら下級生をなぐった。
ブラスバンドはどんな応援歌でも必ず、ピッコロからチューバまでが同じ旋律を吹き、各小節の頭あにドオン、ドオンと太鼓が打ち込まれた。
私はこんな練習が嫌で、先輩が後輩を苛めるのも嫌だった。だから後輩にも優しい態度で接した。
ブラスバンドの並んだひな壇を私は見回っていた。それも、他の同級生のように怒鳴りながら、バンドの連中を脅かしながら回るのではなく、ていねいに、やさしく姿勢の注意をしたりしていた。
ユーフォニウムを吹いてたのは小柄なSというオトコだった。Sは私を見て軽く笑った。私も笑い帰した。これはあり得ない応対で、笑いかけられたときには「何がおかしいか!」と殴るのが正解だった。ただ、私たちは笑い合って、こんなことがバカバカしいということをお互いに了解したようであった。Sは私の首を抱き、頬にチュッと接吻をした。「あんたという人を知ってるからあ」と彼は言った。
練習のあと。私たちは学校の裏山で会った。彼はブラスバンドへの不満をいろいろ訴えた。私も学校への不満を語った。
私たちは抱擁した。抱擁すると彼のペニスが硬くなっているのがわかった。
「立ってるじゃん」と私は言った。
「先輩もじゃん」と彼は答えた。たしかに、私のペニスはビンビンで、先端からはすでに汁が流れていた。
私たちはそのままキスをした。彼の唇はほのかにミルクの香りがした。
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