VITA HOMOSEXUALIS
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| 2016年06月16日(木) |
会社の倒産と共産主義 |
そんな中、会社の経営は坂道を転がるように悪化して行った。
私たちのビジネスモデルを見た皇族他者が雨後のたけのこのように生まれ、それらは我々よりも良い施設を持ち、許認可を司る行政とのパイプが強く、顧客である企業とのパイプも強く、クライアント企業にイソギンチャクのようにくらいついて、媚びたサービスをするのだった。その第一は値下げである。
後発の同業者にはたいていどこか大きな資本が入っている。したがって、この部門で損を出しても他で救済できる。そのため私たちと競合する部分の価格をこちらの腰が抜けるほど下げる。それでは儲からないだろうと思うが、それで良い。極力人件費の安い単純労働者を使って、何をやっているのかは考えさせず、ひたすらスポンサーの鼻の下をくすぐる。私たちはこういう手合に負け始めた。
4.5ヶ月あったボーナスが3になり、2になり、やがてゼロになるのに時間はかからなかった。定昇もベアもなかった。
しかし、会社はそうなってからほどなく倒産した。特別清算を受けることにしたのだ。何とか破産を免れたというのが、会社上層部の安堵であった。
私たちはただちに労働組合を結成した。その一方で、離職票を持ってハローワークに通った。雇用保険の不正受給は犯罪であることを説明するビデオを見せられた。そのビデオにはまだ純真なおもかげを残した杉田かおるが出演していた。
組合を支援しに日本共産党の人が来た、その人たちはハンドマイクを使って激烈な経営者攻撃のアジ演説をやった。これは近隣の住民には響き渡るほどの声であった。「資本家はどこかに隠し財産を持っている、それを吐き出させろ」というのがその主張であった。だが役員はすでに私財を投げ出しており、川崎郊外の閑静な住宅街にある庭付きの一戸建てから人を頼ってある人は妻の実家へ、ある人は娘の実家近くのアパートへと引っ越していた。
しかし、経営陣はいちど組織が変わったときにそっくり退職金を受け取っていて、これは不当だと私は思った。
私たちは会社を相手に裁判を起こし、それは結審まで2年7ヶ月かかった。若い女性の事務員が出てきたと思ったらそれが裁判長であった。裁判といっても事務的なもので、その女性が何かファイルをめくりながら「これ、証拠にしますぅ?」とエンエンと聞いているだけだった。
共産党の活動は勢いを増して行くようであった。私はこの人々(つまり代々木系)とは考えが異なるので共闘はしなかったが、闘った人の話によると、とにかく移動がきつい。今日は朝から○○駅頭で演説とビラくばり。明日は○○駅で選挙応援。明後日は反戦反核反基地デモ・・・
要するに、「自分たちの生活を何とかしてもらおう」と思って共産党と共闘した人々は、「これが何で私の生活に関係あるのだろう?」という集会にたびたびオルグされていたのである。共産党は私たちを「細胞」としか見ていなかった。
| 2016年06月15日(水) |
共産主義の崩壊を目にして |
東ヨーロッパから起こった民主化の波がついにソビエト連邦におよび、ソ連が崩壊した。これによってアメリカ対ソ連、東西の冷戦という時代が終わった。
思えばこの冷戦は長らく世界の情勢に不思議な均衡と緊張をもたらしていた。
たとえば、1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻したために、1980年のモスクワオリンピックはアメリカ、韓国、西ドイツ、日本など50カ国がボイコットした。
それへの対抗ということで、1984年のロサンゼルスオリンピックには、ソ連、東ドイツ、ポーランドなど東側諸国がいっせいにボイコットした。このとき共産主義陣営から参加し、盛んな拍手をあびたのがルーマニアであった。
しかしそのルーマにはは、チャウシェスク大統領の完全な独裁であったことが明らかになり、チャウシェスクは1989年に処刑された。
今の若い人々には、なぜ私たちの世代に共産主義への憧れがあったか、なんのために私たちは闘っていたかがわからないであろう。それはすこし説明しておく必要があるだろう。簡単に言えばこういうことである。
世界は戦争の危機に満ちていた。共産主義国家ができようとすると、資本主義諸国はそれをつぶしにかかった。
その典型的な例は、チリのアジェンデ政権である。アジェンデは1970年に合法的な選挙で大統領になった。そして共産主義政策を進めた。その一つが企業の国営化だった。国営化されると資本家が儲けることができなくなる。それでチリの資本家はアメリカのCIAと結託し、あらゆる方法でアジェンデの政策を妨害した。アジェンデの経済政策は失敗に終わったとされ、アジェンデは軍事クーデターに敗れて自殺した。
しかし、私たちは共産主義政策に期待をかけていたのだった。
資本主義の社会では、資本家が大もうけをし、その下で働く労働者は搾取される。もうけの「おこぼれ」として賃金や福利厚生を恵んでもらったとしても、それは雀の涙である。資本家に力があった日本の高度経済成長時代には、どこの企業も今日でいうブラック企業だった。それが当たり前だった。
中には公害を出し、死者まで出す企業があった。しかし、そのような企業を批判すると、右翼ヤクザがやってきた。企業のボスとやくざのボス、地元の政界のボスと警察のボスは一つ穴のむじなだった。
私たちはただ豊かになりかたった。私たちの声を偉い人に聞いて欲しかった。戦争のない世界をつくりたかった。
それはこの資本主義体制のもとでは無理なのであった。合法的にできることは弱々しい嘆願に過ぎず、それはいつも無視された。
だから我々は闘った。組合を作り、労働条件の改善を求めて団体交渉をし、ときには罷業(ストライキ)をすることは労働者の権利なのだった。
だが、組合が強くなりすぎ、労働者福祉を手厚くし過ぎたために衰退した国があると言われていた。イギリスだった。イギリスにサッチャーが現われると、イギリスの労働運動は露骨に弾圧された。
東欧の情勢やソ連の情勢が徐々に西側に入ってくると、それは官僚機構が巨大に膨れ上がって、すでに合理的に機能していない政体であることがわかってきた。共産主義政権は今やプロレタリアートを露骨に弾圧し始めた。
私はそのころ映画を見た。地下集会が開かれている・・・心配する母と子にキスをして、労働者である父が集会に出かけていく・・・彼は秘密の通路を通り、ときに地下にもぐって集会所へ急ぐ・・・このような筋の映画があるとき、昔は労働者は共産主義者、彼が怖れている弾圧は資本家による弾圧だった。しかし、冷戦が終わりかけた今はそうではない、彼は資本主義者。彼を弾圧するのは共産主義政権の威を借りた官憲である。
私は奇妙な倒錯を覚えた。
私たちの戦いはごくまっとうな気持ち、「みんなが豊かで幸せになるように」、「地上から戦いがなくなるように」、最初はたったこれだけだった。
共産主義の崩壊は私の心に穴を空けた。今や人生の真の目的はなくなった。
私は窓もなく、時計もなく、温度と湿度が一定に保たれた実験室にこもり、外界とはひたすれら接触を断って暮らした。h
20代の私は女性ともセックスできた。
良いものだとは思わなかった。腰を動かしていると途中で退屈になる。だが、機械的に射精はした。そうやって二、三人の女性と交合した。
だが、女性とのセックスは畢竟生殖のためである。女性は子供を産みたがり、巣を作り、男との関係を安定した鍋底のようなところに落としたがる。それが家庭である。女性は家庭を作ることを望む。
私はセックスの先にぶら下がっているのがこれほど大きな社会的拘束であるということに耐えられなかった。
女性の気持ちが自分の方に向いて傾斜してくると思うとその女性を捨てたくなった。
セックスをする前はいろいろスリルもある。だんだんと気持ちを盛り上げて行くときには私も興奮した。しかし、射精してしまうと急速に気持ちが離れた。
世の中は東欧の非共産主義革命からソ連解体へと進んで行った。
私はもうかつての闘士は自分を追いかけて来ないと思った。
私は就職してから朝の満員電車での通勤というものを味わうようになった。
だいたい朝は8時ごろに起きた。急いでヒゲをそり、顔を洗い、歯を磨いて着替えてアパートを飛びだした。
駅まで急ぎ足で5分だった。
それから、どう見てもこれ以上人が乗れそうにない電車に体を押し込めた。
電車はいくつかの駅に停まるが、小さな駅なので人の乗り降りはあまりなく、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態でそうしておよそ20分。わりと大きな駅に着いて私たちは吐き出される。
それからバスで30分。山の中の小さな停留所に降りる。そこから職場までは坂道で、その坂道のふもとに小さなパン屋がある。そのパン屋でパンを買って、始業前の職場で食べる。それが私の朝食だった。
ある日のこと、電車に何かあったのか、いつもに増してぎゅうぎゅうに人が詰め込まれていた。そうなると困ることが起こる。
だいたい、どんなに混んでいても、人間というのはお互い同じ方向を向いて立つものである。つまり直前の人と顔を合わせることはない。
ところがその日はそうではなかった。対面したまま詰め込まれ、動くことができない。私が対面させられることになったのはスーツを着込んだ若いサラリーマンだった。
その男とは体も密着してしまった。
そうして電車は揺れる。
そうするとどうしてもお互いの股間が当たり、その状態でこすられることになる。
私は勃起してきた。相手も勃起してきた。電車の新藤は私たちの勃起した股間に愛撫のようなリズムを与える。
男の顔は赤くなってきた。私から目をそらし、下を向いたり横を向いたりしようとするが、顔も思うようには動かない。私の正面に固定されたままだ。ついに男は頬を赤くしたまま涙目になった。熱い息がかかった。
私の方は、そろそろ下着が濡れ始めていた。
今は相手も何か感じているのは明白だった。
もう少しで振動の感覚から性の快感が湧き上がってくるというとき、電車は大きな駅に着いた。 そこで私たちは降り、20分間の愛撫は終わった。
私は何だか疲れた。相手は私の顔も見ずにそそくさとどこかへ行った。
私はNに住んでいた。同じ職場の先輩でNに住んでいる人があった。私はこの人によく飲みに連れて行かれた。駅前の入り組んだ路地にはたくさんの居酒屋があった。
飲みながら説教をされるのであった。おまえの仕事のここがいけない、あそこがいけない、と先輩は散々にダメを出す。それからほろ酔いになると帰る。
そのあと私は一人で河原に行った。河原には小さなボートハウスがあり、O線の鉄橋があった。鉄橋を電車がゆっくり渡る。川向うの町の灯が川面に映る。その川では大学生たちが屈託なく遊んでいた。近くにキャンパスのあるM大かS大の学生なのであった。彼らは男も女も嬌声をあげてはしゃぎ、水に入ったり花火をあげたりしていた。
私は遠くからそれを見ていた。彼らの境遇と私の境遇はあまりに違う。私がこれまでやってきた闘争は何だったのか。闘争から脱落し、資本主義の歪みに落ちたような今のこの生活は何なのか。どうして私は違う未来を歩けなかったのか。
こんなことを考えると涙が浮かんできた。川を渡る電車の轟音にまぎれて、私は嗚咽を漏らして泣いているのであった。現在はあったが未来はなかった。
銭湯の向いの小さなアパートに戻ると、女との交合の余韻で酸っぱい匂いのする寝具があった。私はそれにくるまり、オナニーをした。オナニーするといつもペニスが濡れた。私はガマン汁を出しているのであった。
私は自動販売機でコンドームを買った。セックスする相手はいなかったが、コンドームをつけて全裸になり、勃起したペニスを布団にこすりつけ、セックスするときのように腰を動かして射精した。コンドームの中に射精すると、周囲が汚れる心配がないので、思いっきり射精できた。
そのころ私は朝の出勤前にオナニーし、夕方職場から帰るとオナニーし、寝るときにもまたオナニーした、一日三回必ずやるのだった。
まもなく私は彼女が別の男といい仲であることを知った。それは私が知らなかっただけで職場の誰もが知っていることであった。
その男には妻子があった。
つまり彼女はその男と長い間不倫の関係にあった。
私と一夜セックスをしたのは彼女にとってみれば「息抜き」のようなものであった。
そのことがうすうすわかってからも私と彼女は酒を飲み、私の部屋でセックスした。
だが、それはいずれその男に知られることとなった。
彼は表立っては私に何もしなかった。自分も彼女と不倫の仲であるから、公然と私を非難したりすることはできなかったのだ。
そのかわり、彼は仕事のうえで私をいじめ始めた。
ちょっとしたミスを大きく怒り、「若いからって甘ったれてんじゃない」と叱責した。私が何かしようとすると意地悪くそれを妨害した。
だから私は女に絶望したというよりは男に絶望したのだった。
しかし、私はまた女にも絶望した。
私はだんだん彼女からは距離を取り始め、数回セックスした後にはもう、彼女と抱きあわなくなっていた。
私は目前の男女というよりも、男女の関係一般に絶望しはじめていた。
働き始めた私はまわりから「坊や」とか「研修生」とか呼ばれていた。
最初は洗い物のような仕事しかさせてもらえなかった、もともとアトピー体質だったので、洗い物の消毒薬で手がやられて、ひび割れができた。それでも一生懸命洗った。
仕事を覚えるまでにはおよそ一年かかった。その間にはたくさん失敗もした。荒くれた職場だったから、ゴツッと殴られたり、ゴム長の上からではあったが、ゴンと足を蹴られたことも何回もあった。
二年経ったころ、「研修生」と私を呼び捨てにしていた二つ年上の先輩女性と私はほぼ同じ仕事をするようになった。この女性は酒が好きだった。彼女とはたびたび飲みに行くようになった。
あるとき、二人で私のアパートの近くでさんざん飲み、気がついてみると彼女が家に帰れる終電車が終わっていた。「キミんちに泊まってく」と彼女は言った。二人でふらふらと私のアパートに向かった。「部屋で飲み直す」と彼女は言い、赤い顔のままで冷たい日本酒をあおりだした。それから、仕事の愚痴を言い始めた。それは二人の共通の女性先輩の悪口だった。
彼女ら二人はどちらも私にとっては怖い先輩で、二人でタッグを組んで私をしごいていると思ったので、本当は仲が悪いということは私にとっては少し痛快なことだった。
「もう寝るぞ」と彼女は言い、下着だけになって私の布団にもぐり込んだ。布団は一組しかなく、私も下着になってその隣に寝た。
どちらからともなく体が近づき、私たちはキスをした。それから抱きあった。彼女はブラジャーをはずして大きく盛り上がった乳房を出した。黒ずんだ乳頭が硬くなっていた。私はそれにむしゃぶりついた。
私は彼女の股に手を当てた。そこはずぶずぶと底なしの沼のように濡れていた。私が指を入れると彼女はびくびく体を震わせて喘いだ。
彼女は私のペニスを握った。「大きい」とつぶやき、ゆっくりとしごき始めた。 私はその手を止めた。両手で彼女の股を押し広げ、じゅぶじゅぶと露を出し続けているところに自分のペニスの先端を押し当て、そのまま中まで進めた。
私は腰を動かした。彼女は「う〜」と低い声を出し、それは次第に「あぁ」という高い喘ぎ声に変わって行った。
私が射精しようとすると彼女は「ダメ」と押しとどめ、私のペニスを膣の外に出した。それで私は彼女の腹の上にドクドクと精を出した。
彼女の目に涙があった。彼女は泣くのかと思った。彼女の顔は歪んだが、泣かなかった。鼻水が一筋垂れた。「女性の鼻水は初めて見た」と私は思った。私は再び興奮して、彼女の口の中にペニスを突っ込んだ。彼女は上手に舌を使い、私を射精させた。
「おんなとセックスできた」と私は思った。これは自分の人生の成功のひとづたった。
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