VITA HOMOSEXUALIS
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私は、この人たちが「過激派」と呼ばれるセクトではないかと疑ったこともなくはない。自分たちはそうではないと言っていたが、なにしろ正体を確かめたわけではない。ひょっとしたら抗争に巻き込まれて人を殺したり殺されたりすることがあるのかも知れない。
しかし当時の私は不思議にそれを恐ろしいとは思わなかった。それでもいいとさえ思っていた。この都会の片隅でアルバイトで体をすり減らし、裸電球の四畳半で絶望を吐き出すようなオナニーをし、ときおりオトコのチンチンを求めてハッテン場をうろつく。そんな生活のどこにも明るい要素は見いだせず、何かやって死ぬならそれで構わない。
ほどなくして私はメーデーに参加した。労働組合の色とりどりの旗が乱立し、代々木公園は立錐の余地もないほど人で埋まり、中央の演題のようなところではひっきりなしに誰かが胴間声で演説していた。私たちの集団は数名しかおらず、どこにも所属してなく、怪しい目で見られた。今から思えばそのときに私ははやばやと自分が仲間になった集団に何かの違和感を持ったのだった。
だが、気持ちが運動に傾いていたときにはそんな違和感は気にならなかった。私はパンフレットを読み、本を読み、階級的なものの考え方を身に付けようとした。自分のうらぶれた生活は帝国主義のもたらす必然の結果だったのだ。その必然の結果がくつがえるのもまた歴史的な必然なのだ。
やがて暑い夏が来て、私は本格的に彼等の仲間になった。
20歳の春になった。
私は相変わらず木造の古いアパートの四畳半に住んで、近所のラーメン屋や定食屋で食事をし、酒屋でアルバイトをして生活費を稼ぎ、どことなく不満なような、鬱積した気持ちの捌け口がない日々を送っていた。
風の強い暖かい日、私はお茶の水駅の駅頭でビラを撒いている人に出会い、何気なくそのビラを受け取った。
そこには反戦の活動をしている人たちのことが書いてあった。1970年代の半ばである。街にはまだ左翼運動の残滓が残っていた。セクト間の対立が激化し、時々内ゲバ殺人事件が起こったりした。
私はそれらを縁遠いものに思っていたが、そのビラに書かれた集会のある晩には、何の用事もなかったので、好奇心の方が勝って、私はある日その集会場に行ってみた。
区立の勤労会館の中にある会議室には黒板があり、小さな教室といった具合に机と椅子が並べられていた。がらんとしたその部屋には数人の人しかいなかった。
やがて講師がやってきて、沖縄や靖国神社の話をした。
それから参加者が一人一人自己紹介をした。
私はほとんど生まれて初めて人前で話をした。
田舎の高校を出たこと。そこは部落差別の色濃く残る土地であったこと。近くに米軍基地があったこと。脱走兵を助ける組織があるというウワサだったこと。
どうしてこんなに喋れるのか不思議なくらい、後から後から話が出てきた。
終わると皆が盛大な拍手をした。盛大と言っても数人なので、たいした大きさではなかったが、私は自分の話が受け入れられたことに何か高揚感のようなものを感じていた。
それから、年長の人に「次の集会にも出てみませんか?」と言われた。それで私は何気なく「そうします」と答えた。
私はだんだん自分が病んでいくと思った。
オシッコを漏らす癖がやめられなくなったからだ。
私はどうしても他人のいるところでそれがやってみたくなった。
私は銭湯で体を洗いながらそっとオシッコを流した。
もっとやってみたくなった。
街角を歩きながら漏らしてみようと思った。最初はアパートのごく近所の商店街を歩いた。これから人知れずオシッコを漏らすと思うと頬が熱くなった。しかし、歩きながらではそれは無理だった。私は電信柱のところで立ち止まり、どこかの場所を探すようなフリをしながらいきんでみた。ほんの少しオシッコが出た。しかし、冬の厚いズボンでは、それは外側から見てわかるほどの染みにはならなかった。
次に私は電車に乗った。尿意を抑えて電車に乗り、扉の近くに立ってじっと漏らした。だんだん下着が熱くなってくるのがわかった。もうどうにでもなれという気分になって、私は漏らし続けた。ついにズボンの前に小さな染みが浮き出るほどになった。
私は電車を降りた。下着はだんだん冷たくなって行った。アパートに帰ってすべてのものを脱いだら、下着はぐっしょり濡れるほどになっていた。
こういうときは決まって異様な興奮を感じ、ペニスにそっと触れただけで我慢汁が溢れだし、数回しごいただけで勢いの良い射精に至るのだった。
私はあるときジャージをはいて商店街に出て、それは寒い晩のことだったが、ほの暗い街角にたたずんで、ジャージがぐっしょり濡れるほどオシッコを漏らした。オシッコはなぜか片側の脚だけを濡らした。靴下も濡れ、靴の中も濡れた。歩くたびにぐしゅ、ぐしゅ、という音が立った。私はひそかに誰かに出会うことを期待していた。だが、誰にも出会わなかった。
アパートの自分の部屋では、毎晩のように下着を濡らし、毛布を濡らし、布団を濡らしてオナニーした。自分でも情けないと思った。なんでこうなってしまったのか、わけがわからなかった。それでも、ひとたび漏らす快感を覚えると、普通のオナニーはドライで、いかにも面白くないのであった。
木枯らしの吹く冬となった。
私の部屋には古道具屋で買った炬燵があるばかりで、暖房はなく、畳の床は冷えた。私は布団にもぐり込んでオナニーした。だが、じきに普通のオナニーでは飽き足らなくなった。
私は「オシッコをしてみよう」と思った。じっさい、排尿は排尿で射精とは違った快感がある。
私はシーツの下にビニールシートを敷いた。これは黒いゴミ袋を割いたものだった。シーツの上にバスタオルを敷いた。手にはハンドタオルを持ち、灯を消して全裸で布団に横になった。
これから起こることを想像すると勃起してくる。しかし、勃起しては排尿はできないのだった。私は心を静めて尿意をペニスの先に集中する。しかし、寝た姿勢での放尿は容易ではない。私は懐中電灯を持ち込み、自分の腰やペニスを照らした。尿意があるのに何かが邪魔をする。私はしばらく苦しんだ後、思い切っていきんだ。腰の下で何かが動き、ペニスの先に水滴が光るのが見えた。私はもっといきんだ。水滴は少し勢いを増し、ペニスの脇をしたたり落ちて腰を濡らした。
しばらくいきむとラクにオシッコが出るようになった。ハンドタオルはぐっしょりと濡れた。私はそれを鼻先に当てて匂いを嗅いだ。甘いような、切ない刺激臭が鼻を打った。私はさらに放尿を続けた。腰の脇はぬるぬると濡れて、腰の下に敷いたバスタオルも暖かく濡れ始めた。私は乱暴な気分になった。
毛布や掛け布団は汚すまいと思っていたが、少しなら汚しても構わないと思った。海中伝統で用心深く水滴の出具合を見ながら、私は毛布をほんのちょっと濡らした。私の判断力はだんだん失われてきた。
私の腰はもうじっとり濡れているのだった。私は突然バスタオルやハンドタオルをはねのけ、濡れた下半身をむちゃくちゃにシーツや毛布になすりつけた。私はまたいきんで更にオシッコをほとばしらせ、寝具を濡らした。これ以上放尿を続ければ本当に何もかもびしょびしょになるというところで私は我慢した。
それから濡れそぼったペニスをしごいた。それはすぐに大きくなり、我慢汁でぬるぬるとすべった。私はぐっしょりと濡れたタオルを鼻に当てたり、舌でなめたりした。またそれを全裸の体になすりつけた。オシッコと我慢汁の混ざった液体は白く細かな泡を立て、私が手を動かすたびにピチャ、ピチャと淫乱な音を出した。私は涙を流していた。
そして腰が爆発するような射精をした。
オシッコを漏らしたいという私の欲求はだんだん強くなって行った。
その年の暮れ、私はまた『薔薇族』を見て手紙を出した。
しばらくすると返事が来た。私が住んでいるところからさほど離れていない住所が書いてあった。私は「会いたい」という葉書を出した。相手も電話は持っていないようであった。
二回ほど葉書のやりとりがあり、ある寒い日の午後、私は彼を訪ねて行った。指定された電車の駅で待っていると、打ち合わせた時刻に青年がぶらぶらと歩いてきた。明らかにこちらを見ている様子だった。私は「失礼ですが、DDさんでしょうか?」と声をかけた。
「そうだよ」と少しかん高い、か細い声が答えた。彼の顔を見ると、私は軽い失望を覚えた。目が小さく、低い鼻がひしゃげたような、頬にあばたのある、じゃがいものような顔だった。彼は袢纏のようなものをひっかけていた。足が細いと思った。
私は彼の後について行った。彼の住んでいるところは、私の住み処よりはマシだったが、やはり古い木造のアパートで、彼はその狭い二階に住んでいた。部屋の中には火の気がなかった。本棚にぎっしりと本が並んでいた。
「学生さん?」私は聞いた。
「大学やめちゃったんだ」彼は答えた。
「たくさん本読んでるんですね」というと、「あまりじろじろ見ないでください」と言われた。彼は東北から出てきて東京六大学のひとつに入ったが、大学の生活にむなしさを感じて退学し、そのときは写真植字の工房で働いているという話だった。
その当時の大学には、まだ大学紛争(当事者は「闘争」と言った)の名残があった。セクトの残党が激しく内ゲバを繰り返している頃だった。彼はそんな学園に倦んだと言っていた。
「おとことセックスしたことあります?」彼は突然聞いた。
私はその「セックス」の意味がわからなかった。お互いにペニスを手や口で弄んで射精に至った経験は何度もあった。しかし私は純粋な「おとこ同士のセックス」とはアナルセックスのことではないかと思っていた。それならば経験はなかった。私はあまり経験のあることを知られたくないので「ちょっとつきあったことならあるけど」と答えた。
「オレはあるよ」彼はぶっきらぼうに言った。「いろんなおとこと寝た」
しばらくして日が暮れると「お酒飲みに行こうか?」と彼は誘った。それで私たちは電車で池袋まで行き、小さな居酒屋で少し酒を飲んだ。酒を飲むと頬が熱くなって、少し足下がふらついた。私たちはよろけながら彼のアパートに帰った。
「寒いじゃない」彼は言った。「暖まろうよ」
私たちは体を近づけて抱擁した。私と彼の息遣いは荒くなった。私たちはお互いに着ているものを脱いだ。全裸になるとお互いの体がほてっているのがわかった。彼は激しく私の肩や乳首や脇腹に唇を這わせた。私も彼に絡まった。
私たちは敷きっぱなしの布団の上に倒れ、お互いをむさぼりあった。私も彼も勃起し、先端から透明な粘液が絶えず流れ出ていた。私は少しだけ彼の肛門に自分のペニスを当てた。しかし、それは中には入らなかった。彼もまた私のアナルにペニスを立てた。それから私たちはシックスナインの格好をし、お互いのペニスを頬張りあった。
しばらくしてお互いに射精した。
私たちはまだ少し息をはずませながら並んで寝た。
「なんでおとことやるんですか?」私は聞いてみた。
「やっぱり、さびしいからじゃないかと思う」彼はぽつりと言った。
「おれ、田舎に帰ろうかと思う」
彼のまなじりに涙がたまり、すうっとひとすじ、耳の方に流れた。
時刻はまだ宵の口ではあったが、私はのろのろと服を着、彼のもとから去った。
ひとりでアパートに帰るとき、彼の数年間の東京での生活を思った。雪深い北国の村から上京して大学に入り、そこで何があったのだろうと思った。私にはよくわからなかったが、彼がその生活に傷つき、おとこの体を漁ることでその傷を癒そうとしても、それは癒されなかったのだと思った。
それからしばらくして、私は再び彼のアパートに行ってみた。
そこは空き室になっていた。
一年経った。
私は十九歳になった。
彼との間はまだ続いていた。
私はその頃にはもう自慰をする必要を感じなかった。
性欲が高じれば彼に連絡をし、彼のところに行って絡み合えば良かったのだ。
あるとき、私は電話をせずに彼のところに行った。いつもは私から彼に電話して彼のところを尋ねるのであった。私の住んでいるアパートには大家さんの部屋にしか電話はなく、親族以外からの電話は取り次がないということになっていた。
それは木枯らしが吹きそうな晩秋の日であった。もうすっかり日が短くなり、中野の彼のマンションが見えるところに来たときには、灯ともし頃になっていた。
マンションの玄関から二人、人影が出てきた。顔がわからないくらいの暗さだったが、私には、そのうちの一人が彼であることがわかった。私は電柱の影から二人を見た。
その二人は握手をし、軽く抱擁し、彼はもう一人の男の頬に接吻したように見えた。
その相手の男はこっちに向かって歩いて来た。小太りな中年の男のようだった。彼はマンションの中に戻って行った。
私はこれまで彼の部屋に他の男の匂いや影を感じたことはなかった。しかし、考えれば私と会っている時間は短く、それ以外の多くの時間を彼は持て余しているに違いなかった。そこに他の男を引き込む余地が生まれても不思議はないのだった。
私は妙に納得し、そのまま踵を返して自分のアパートに帰った。
私はそれきり彼に会うことはなかった。
彼は二、三度私の住むアパートに電話したようだった。電話は取り次がないくせにお節介焼きの大家のおばさんがそれらしいことを伝えた。
私はまた一人になった。
私はこの自称医学受験浪人生が好きになったかと言われれば、そうでもなかった。
彼は私のことが気に入ったのかもが知れないが、それは貧乏人である私が彼の豪奢な生活のことごとくに驚き、感嘆してみせたからであろうと思う。じっさい、木造のぎしぎし音を立てる私のアパートと、瀟洒な鉄筋コンクリートの彼のマンションとの間には雲泥の差があった。一度彼は私の部屋に来た。物珍しそうに調度も何もない煤けたアパートを覗いていたのを覚えている。
それでは、さほど好きでもない彼と私はなぜ長い間付き合ったかと言えば、それは全くセックスのためであった。
彼のペニスは大きかった。引き締まった腰に蓄えられたエネルギーが全部ペニスに集約されているようであった。
それは大きくて、よく濡れた。私と彼が舌をねっとりと絡めてキスをするとき、彼の腰から手を入れてペニスに触ってみると、たいていそれはぬるぬるした粘液にまみれていた。
彼は乳首をよく感じた。乳首をいじっているとじきにぷくんと硬く盛り上がる。私がそれに舌を這わせると彼は熱い息をもらして喘いだ。
彼はちょっとしたことで泣いた。それは全く彼のナルシシズムを示しているようであった。彼の態度が気に入らないときなど、ちょっと強く私が文句を言うと、彼の目にはうるうるした涙が湧き上がり、それはすぐに目から溢れ出て頬を伝った。
そんなとき彼は決まって鼻水を垂らした。それは涙が鼻に溢れてくるのだったろう。両方の鼻の穴からにじみ出た鼻水が真ん中で合流してつうっと唇のところまで垂れることもあったし、涙の勢いが強いときは両方の鼻の穴から二本の光った鼻水がついと垂れ下がることもあった。
彼と私はあらゆるセックスの遊びをした。たいていは私が彼の部屋を訪れ、簡単な食事をする。ビールを飲むときもある。それから少しテレビを見る。それも私の部屋にはなかったものだ。それからシャワーを浴びる。シャワー室には二人で入る。二人で裸になってシャワーを使いながら、お互いの体を愛撫する。
私たちは勃起したままシャワー室を出る。今度は彼のベッドルームに行く。そこはいちおう勉強部屋のはずなのだったが、大きな机が所在なげに放ってあるほかには、数冊の参考書とマンガ以外に本らしいものはなかった。
私たちはお互いに裸のままベッドに転がる。それからキスをする。頬と言わず、首筋と言わず、唇も肩も乳首も、すべて吸い尽くす。その口はそれからだんだん下半身に下がってくる、そうしてへその周辺を舐め、少し湿った陰毛の叢にたどり着く。
私は彼の股を広げてやる。彼は膝を立てる。彼のペニスはもうびくびくと隆起している。私はそれを頬張る。
私のベニスも勃起している。私はそれをいくぶん乱暴に彼の口の中に突っ込む。彼は喘ぎながら舌でそれをなめ回す。
私は彼をひっくり返す。彼の股を開く。米印のような形をした肛門が現れる。私はそこにくちづけをする。舌先に力を入れて肛門を舐め、その中に舌先を押し込もうとする。彼は悲鳴のような声をあげる。
私たちはほとんど肛門性交はやらなかった。手か、口か、股でイクのだった。
お互いに二回か三回か果て、再びシャワーを浴びなければならないほど汗と唾液で体がぬるぬるになるまで、果てしなく私たちの性戯は続いた。
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