VITA HOMOSEXUALIS
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夏が近づくころ、学校の片隅で生徒たちが「ホモのたまり場」の話をしていた。私は卑猥なその話しに加わり、他の生徒と同じように卑猥に笑ったが、実は興味しんしんだった。
ある夏の暑い日曜日、私は話の中に出てきた新宿の映画館に行ってみた。
そこは普通の映画とポルノを一ヶ月おきに上映するところで、私が行ったときは普通の映画をやっていた。少しためらったが、何も考えてないふりをして私は自動販売機で入場券を買って入った。
重いドアを開けて館内に入ると、ぎっしりと立ち見がいた。
その間をかき分けて進むと、客席はガラガラだった。
そこで私は、この立ち見の人たちは映画を観ているのではないと気付いたのだった。私は思いきってその中に入ってみた。
だいぶ時間が経ったが何も起こらないので、私はもう帰ろうと思った。
そのとき、左の太もものあたりに「さわ」と何かが触れた。 それは満員電車の中で人どうしがくっつくときよりもかすかな感覚だった。最初私は偶然だと思った。ところが、しばらくするとまたその感覚がやってきた。
今や、誰かの手がはっきりと意図をもって、私の太ももをズボンの上からなでているのだった。私は膝ががくがく震えた。それでも我慢して立っていると、大柄な男が私の前に移動してきた。それで完全に画面は見えなくなった。
太ももを触っていた手はだんだん私の前に来た。そして私の股をなではじめた。
その頃にはもう何も疑うことなく、私は男に触られているのを感じた。そうして私は勃起を始めた。
私が勃起すると男の手はそれを感じた。そして規則正しくそこを上下になでた。私はますます大きくなった。
男は私のズボンのジッパーをおろした。
そして私をじかに触ろうとした。
だが、シャツがあり、トランクスがあり、男の手は容易には私を探し当てることができなかった。
私は自分の手で私を外に出した。それは勢いよく「びゅん」と飛び出した。
映画館の暗がりの中とはいえ、まわりに大勢の人がいる中でペニスを露出した。私は耳たぶまで熱くなった。顔もほてっていた。吐く息も熱かった。
男は私を撫で、私を握った手を規則正しく上下に動かした。
しばらくそれが続いたとき、ついに私の腰の底には、射精に至る快感の波が最初は静かに、それからずんずんと強くなって押し寄せてきた。
私の先端からは透明な粘液が垂れ始めた。
私は頂点に向かって腰を引き絞ろうとした。
そのとき、私は自分の左の太ももから尻にかけてのあたりに、何か別のコリコリとした硬いものを感じた・・・
じめじめした梅雨の蒸し暑い晩だった。
その日私は酒店の一角につくる臨時居酒屋で近所のおじさんたちにしこたま飲まされ、熟柿のような熱い息を吐きながらよたよたとアパートに帰って来たのだった。
汗臭いシャツとパンツ姿のまま、私はどん、と横になった。そのまま眠ろうと思ったが眠れなかった。かなりの尿意を感じていたからだ。だが、私は廊下の端にある共同便所まで行くのがおっくうだった。
「このままここでやっちまえ」私の頭の中に、悪魔の発するような、そんな声が響いた。それはいかにも異様なことのように思えた。でも、何もかも投げやりになっていて、どうでもいいと思う自分もいた。どうせ誰も見ていない。誰にも迷惑はかからない。
そこで私はタオルと洗面器を取って、とりあえずタオルの中に吸い取ってしまおうと思った。芋虫のようなペニスを引きずり出した。しかし、オシッコなど出なかった。人間には何かそういう、羞恥で彩られた禁を犯すようなことが出来ない脳の仕組みが備わっているのだ。既に膀胱は破裂しそうだった。だが先端は一滴も漏らすまいとして硬く閉じていた。私はそのせめぎ合う力を何度か味わった。 苦しくなった私は苛立ち、思い切りぐいといきんだ。
腰の下で何かが動く気配がした。
その数秒後、ペニスの先端から黄金の水滴が顔をのぞかせ、涙のように茎を伝わって股の叢の中に落ちた。そのときつんと刺激のある匂いが鼻を打った。
それで私の頭は真っ白になってしまった。
それからも力を入れ続けると、オシッコはだんだん滑らかに出るようになった。タオルでそれを受けたが、タオルがだんだん濡れて熱く、重くなってきた。洗面器にしようと思ったが、仰向けになったままの姿勢では液体を洗面器に受けることは出来ないのだった。
そのうちに、それは噴水のように吹き上がって止まらなくなった。パンツの脇が濡れ、シーツが濡れて行くのがわかった。一部は畳にも吸い込まれたようであった。それはまことに奇態で哀れな放尿だった。私は低い声をあげて涙を流した。
やがて腰回りはぐっしょりと濡れ、タオルはぽたぽた水滴を垂らすようになった。私はそれを顔に押し当ててみた。刺激のある、しかしどこか懐かしいような、甘い香りがした。
いつしか私のペニスは勃起し、先端からぬらぬらと先走り汁を垂らしていた。
私はそのまま左手をペニスに当て、上下にしごいた。オシッコで濡れ、先走り汁で濡れたペニスは手がよくすべり、激しく手を動かすと細かな白い泡が立ち、私の手が動くたびピチ、ピチ、といやらしい音を立てた。
ついに快感の疼きがやってきて、私は大きな声をあげ、思いっきり射精した。
それは腰が抜けるような快感だった。精はほとばしって私の腹にも、胸にも、太ももにも飛沫を散らした。
その晩のオナニーはこれまでに経験したことのないほど強烈なものだった。
ぼんやりとかすむ頭の中で、私は「明日洗えばいい」と思い、濡れたものを洗面器に入れて、下は裸のまま共同水道でタオルや下着を見ずで濡らした。
その晩はいつになく熟睡した。
こうして私はおシッコ遊びのファンになってしまったのであった。
酒店には高校生のお嬢さんがいた。私はお嬢さんと呼んでいたが、世間でいわゆる不良の一人であった。高校には特別なカウンセリングのために通っていた。タバコを吸い、酒を飲み、私をときどきトモダチとの飲み会に連れて行った。それは決まって近所の「もんじゃ焼き」の店であった。「おまえ、もんじゃって知ってるか?」お嬢さんはからかうように言った。私は知らなかった。
あるとき、社長(オヤジさんのことをこう呼んでいた)と奥さんと、社長のお父さん(おじいさん)が旅行に出て、店には私とお嬢さんの二人になった。そこは夕方になると店の一角でするめを焼き、即席の飲み屋に変わって、近所のオヤジたちのたまり場になっていた。私はその日もその準備をしたが、社長がいないことを知っているので客は誰も来なかった。
しばらくするとお嬢さんが「今日はもういいよ。店を閉めよう」と言った。私はシャッターをおろした。お嬢さんはこちらを見てにやにやしていたが、「おまえ、これ何かわかるか?」と薄いビニールの包みを私の目の前でひらひらさせた。それはコンドームだった。私はこっくりうなずいた。「押し入れから見つけたんだ。うちのパパとママ、あんなジジババのくせに、まだやってんだ。きったね」とお嬢さんは苦い顔をした。
「おまえ、ヒマだろ、そのへん片づけてアタシの部屋に来いよ」
私はうろうろと店仕舞いの仕度をして、二階のお嬢さんの部屋に上がっていった。部屋に入るとむっと女の子の匂いがした。大きなベッドと鏡台の周囲にはたくさんのぬいぐるみがあり、この人もわりと普通の少女なのだと思った。お嬢さんはベッドに仰向けになって寝ていた。
「こっち来いよ」お嬢さんは寝たまま私を呼んだ。
「おまえ、誰ともつきあってねえだろ。一人でむんむんしてんだろ。オナニーしてんだろ。やらせてやるからよ。これつけろよ」そう言うとお嬢さんは下半身に来ているものを脱いで、コンドームを投げて寄越した。下半身だけとはいえ、私は女性の姿態を初めて見た。お嬢さんの陰部は濡れて輝いていた。それを見ると私のペニスは勃起してきた。私も下半身を脱いでコンドームをつけた。
「痛え、ばか、そこじゃねえよ」「何やってんだよ」挿入はうまく行かず、私はお嬢さんに怒鳴られた。そのうちにコンドームの中に射精した。
「あ〜あ、やっちゃった。ばっかだねえ。こいつホントうすのろ」私はお嬢さんにさんざんののしられた。
「いつまでも突っ立ってんじゃねえよ。はやく始末しろよ」そう言われてコンドームを外し、ゴミ箱に捨てようとすると、「自分で持って帰るんだよ、バーカ」という声が聞こえた。
私は暗い夜道をコンドームをぶら下げて帰った。それを側溝に捨てた。
しばらくして例の「不良の仲間たち」の飲み会があったとき、私は「ホモ」だといううわさを立てられた。実際にこのつきあいの仲間には若い鳶の男と自動車工の同性カップルがいた。彼らはわざと私の前でキスをしたりした。「おめえ、おんなダメなんだろ。これ見て感じるだろ」、彼らはキスをしながらケラケラと私の事を笑った。
高校を卒業すると私は東京に出てきた。
初めて見る東京は見渡す限り山が見えない。どこへ行っても祭りかと思うほど人が多く、人々は急ぎ足で歩く。その話す声はまるで怒っているかのように尖って聞こえた。
私は今スカイツリーがあるあたりの近くに住んだ。それは木造の古い二階建てのアパートで、ぎしぎしときしむ階段を上がった二階の端が私の部屋だった。廊下を挟んで片方に三部屋あり、階段を上がった手前からトラックの運転手、バーテン、そして私の部屋があった。廊下の向かい側は階段を上がったところが共同トイレと洗面所で、二部屋あり、それぞれ学生が住んでいた。
トラックの運転手はほとんど部屋にいなかった。バーテンは昼間は部屋にいて、ギターをかき鳴らして「旅の宿」を歌っていた。学生は同じ学校に通っていて、出身地が一緒らしく仲が良く、いつもどちらかの部屋にいた。
階下には大家さんの部屋と、二部屋を子供連れの一家が借りていた。その他に誰がいたかは知らない。
裸電球のぶら下がった四畳半が私の住むところだった。古い畳は少しふわふわした。私は布団と小さな机を買い、品川の方にあるコンピュータの専門学校に通った。アパートの近くの酒屋でアルバイトをした。「岡田商店」と白く染め抜かれた青い前垂れをして、ビールケースを運んだり品物の数を数えたりするのが仕事だった。
ともかく一人になった。そこには大きな解放感があった。私は裸になって思う存分オナニーをした。同居する家族をはばかることもなく、誰にも見られず、隣のバーテンや向かいの学生を気にする必要もなかったので、私は喘ぎ声をあげてペニスをこすり、雄叫びをあげて射精した。
このアパートは私が出てから取り壊された。シロアリが食っていて危険な状態だったという。
17歳にとって18歳になるということは老化なのであった。
それは汚れた大人の世界に向かうということであり、感性に蓋をするということであり、現実と妥協するということなのであった。
その頃私はまた一人の同級生と親しくなった。この子は本当にかわいい子だった。私たちはたびたび老化する悩みを話しあった。手紙を出し、小さな几帳面な字の返事が来た。それは私のかばんの中に忍ばせてあるのだった。
私たちはたびたびお互いの家に遊びに行った。自転車で15分ほど離れている彼の家は農家だったが、土地を売ったので金が手に入り、綺麗な洋風の二階建てに建て替えたのであった。居間にはシャンデリアがぶら下がっていた。しかし、農家である本質は変わらず、シャンデリアの下にはタマネギが積んであり、ベランダには切り干し大根が干してあった。
二階の彼の部屋で、ときに私たちはお互いの息が頬にかかるほど顔を近づけて小声で話した。彼の息は少し乳の匂いがする。
私たちは未来の夢などは話さなかった。話すことは後悔であったり、不満であったりした。
私は、オナニーをするときに彼の顔を思い浮かべた。そのことに私は最初はとても驚き、何か許しがたいことをしているかのように思った。だが、空想の中で私は彼にくちづけをし、彼の体を裸にし、彼のペニスを舐めるのであった。そう思うときだけが性的に興奮できた。私は多くの同級生とは違い、女の子の姿を思い浮かべてオナニーすることはなかった。
私は彼に惹かれていると思った。その思いを手紙で伝えたかった。しかし、素直な言葉はいつも出て来ず、かわりに私は彼を落胆させるようなことを言うのであった。
私にはもう一人、弓道部の友だちができた。
それは小柄で美しい少年で、内向的で文学的と思われていた。赤い皮の表紙のノートに銀色のペンで詩のようなものを書いていた。家が学校に近かったので、帰りがけに誘われたのが親しくなったきっかけだった。彼のお姉さんはとても美人だという噂があった。
彼の家は広くはなかったがひんやりとして落ち着いたところだった。居間には大きな書棚があり、中央公論社の「世界の名著」というシリーズが並んでいた。やがてお姉さんがお菓子と紅茶を運んできた。
「バッハはお好きですか?」と聞かれて、バッハが何者かも知らなかった私はびっくりした。それでとっさに「はい」と答えてしまった。
「じゃあ、リヒターでいいかしらね?」とお姉さんはLPレコードを取り出し、音楽をかけた。何か静かな、さざ波を刻むような音楽が聞こえてきた。私はコチコチに緊張した。
「本を読めよ」と彼は言った。私はそれまでマンガとSF小説と、遠藤周作がふざけて書いている笑い話しか読んだことがなかった。「SFが好きなら安部公房なんかいいかも知れない」と彼は『箱男』という本を貸してくれた。
彼と話していると自分がすうっと純粋になって、精神的に高いところへ上って行けるような気がした。私は彼に手紙を書いた。彼からも返事が来た。それから文通が始まった。毎日学校で出会っているのに、私たちは手紙で話しあった。郵便で送ることもあり、かばんの中にそっと忍ばせておくこともあった。
私の手紙は彼のものにくらべるとずいぶん稚拙だった。しかし、手紙のやりとりをするようになると、私は自分が彼を好きになって行くのを感じた。同級生たちは女の子の話をし、誰が可愛いとか、どの男とつきあっているとか、そういう話ばかりしていたが、そういう話が幼稚に思えた。
先輩が卒業してから、私は幼なじみの同級生に生活態度を注意されるようになった。
「これまでみたいなこと続けちょったらホンマにダメになるぞ」と言われたのだった。
彼は、小学生の頃から知っている。近所の大きな醸造元の三男坊だった。背が高く、頭も良く、運動も良くできて、皆のリーダーだった。高校生になると、浅黒い彼の顔はギリシャの彫刻のように引き締まって輝いていた。
「オマエ、体を鍛ええよ、素材はええんじゃから」
彼はそう言って私の頬を両手で包んだ。若い木の香りのする彼の顔が近づくと、私は気が遠くなるように感じた。
私は弓道部にいて、練習が終わると鹿皮の「ゆがけ」で臭くなった手を洗うためにグラウンドの隅の水道のところに行った。そこは陸上部のフィールド競技の練習場の隣で、走り高跳びの選手だった彼の体が若い鹿のようにはずみ、弓のようにたわみ、バーを越えるのを私はうっとりと眺めていた。
ときどき、練習が終わると私たちは自転車を並べて帰った。
私たちの高校は海を見下ろす丘にあり、下り坂から夕陽に輝く海が見えるのだった。
しばらく自転車を並べて走ると砂浜だった。私たちは松林の中に自転車を止めて、遠くにヨット部の練習の帆が見える海を眺めながら並んで座り、ときに寝ころんで、いろいろなことを話した。
「おまえ、卒業したらどうする?」私はあるときそう聞いた。
「おれ東京に行く。東京の大学でドイツ語を勉強して貿易の仕事をやるんじゃ」彼はきっぱりと答えた。そんな先のことまで決めていることに私は驚いた。
「そんならおれも東京行こ」私は何も決めてなかったが東京に行きたくなった。
私たちは制帽を枕にして寝ころんだ。「おまえの心臓、ぬくいのう」彼は私の胸に手を当ててそう行った。私も彼の胸に手を当てた。「おまえの心臓もぬくい」
彼の心臓は力強く脈打っていた。
それから5年後に、その心臓は止まるのだ。だが、そのときはそんなことを知るはずもなかった。
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