舌の色はピンク
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2022年02月09日(水) 明晰、積雪予報、沈黙交易

晴れ。
弁当は昨日のスタミナをご飯にのっけただけ。


賢さについて。
なにかこうある事例について見解を述べたり
所見を表してみたりしたときに、
聞き手はその判断が妥当であるか、情報が正当であるか、
論理的破綻はないか、倫理的に問題はないかなどを審理する。
で。
じゃあそのなんだ…
ここでは死刑制度の是非についてを例にしてみよう。
賛成であったり反対であったり、
部分的には反対とか、現状では賛成だが本来的には廃止すべきだとか、
死刑制度自体は肯定するが刑の執行には難点があるだとか、
文化的には、宗教的には、歴史的には、倫理的には、
法律学的には、社会学的には、医学的には、
人権的見地からは、経済的見地からは、…
などなど、あらゆる立場から、またあらゆる観点から
答えへはアプローチできるわけだ。
当然、どの立場のどんな観点からの意見に対しても、
反証的な意見は出せる。
その反証的な意見を出せる余地が少なければ少ないほど、
もとの意見の正当性は高いといえる。
端的にいって、賢いと見なされるだろう。
だがここで問題となるのは、何が賢いと見なされるかだ。
その人自身か、その人が導き出した意見がか。

僕は、その人自身の賢さについては、
単独の意見からは追跡困難と思われるのです。
というのも、どんな判断であれ、
その人が仕入れている情報を要素としているために、
仕入れていた情報が少ないばかりに
妥当性の低い判断しか導けなかったという例はありふれている。
しかしだからといって、彼の判断能力が低いと判定できるわけではなく、
しかるべき情報さえあれば、彼は誰よりも高等な判断をしおせたかもしれない。

わかりにくいな…。
死刑の例、全然いきてないし。
あと賢さというか明晰さだな。

往年の松本人志を例にとってみる。
彼には、自らの見解が絶対的に正しいという確信がある。
近年は丸くなってきたが長年ずっとその態度は強固だった。
彼の意見には論理の飛躍が度々見える。
しかしそれは部分が省かれているだけで、
彼の言葉を紡ぎ足していくと、
正当性、妥当性の高い絵図が見えてくる。
ところが、事実に即した知識の光によって照射してみると、
見当違いと断じざるを得ない意見が多々ある。
だがそれは、彼の意見は覆せても、
彼の明晰さを崩れさせはしない。

…もうちょっと語りようがあるなあ。
でも一旦はメモとして、ここまで。


明日夜から都内でも積雪が心配されている。
金曜朝は交通に影響が出そうだ。
金曜は祝日だが会社はある。
これだけコロナ感染者ピーク更新し続けてて、
大雪を警戒するようにとの予報があって、
その上全然仕事が入らない日取りの祝日を、
臨機応変に休日にさせようとしない会社の体制は苛立たしい。
様々な思惑が、打算が、了解が、縛りが
立体交差し合って複雑な事情は組み上がっているわけだが
そんな制限は百も承知で、
動ける人間というのはいる。
でもほとんどの人間は動かない。
ちょっと動けば複雑めいた事情なんて
かりそめの馬鹿馬鹿しい虚像であったとすぐに知れるのだが、
誰も彼もまず動こうとはしない。
おおよそそういうふうにして組織は成り立っている。
そして腐っていく。
動ける僕はこの会社自身に潰されてしまったから
今は腐敗していくばかりの光景を静観している。


帰り道、江戸川乱歩作品の朗読を聴いた。
なんとかの指輪。短編。
話自体はなんてこともないが言葉選びがすこぶる気持ちがいい。
地の文のない会話劇。
またそのセリフを読み上げていく女性の声が上品で達者でスバラシかった。
しかもちょうど家の前まできたところで聞き終わるという…。


21時50分帰宅、
妻は友達とZoomで話している。
夕飯の味噌ラーメンを用意…といっても
お湯を沸かして白髪ネギを水に浸しておくだけだから、
すこし原神をして、それからはPCを触って妻を待った。
22時半を過ぎて夕飯。
味噌ラーメンにもやし炒めとメンマと白髪ネギ。実に美味い。
これにコーンバターを加えれば絶頂ものだが
今日は健康を気にしてやめておいた。
妻はたくさん祝福してもらったようだ。
男の子だったら舞台俳優にしてくれ、
そしたら推す、たくさんお金貢ぐから…などと
冗談交じりに激励されたらしい。


内田樹先生の本にあった文を紹介した。
沈黙交易について。
人類史を遡って、原始的な市場の発生をさぐっていくと
“交換”と”贈与”に辿りつく。
それについては文化人類学の基本だが
沈黙交易という言葉は初めて聞いた。
そのミソは、
「何の役に立つのだか知れないもの」が
「誰に贈与されたのだかわからない」からこそ、
返礼義務の精神から”交換”が継続するのだという。
”交換”は、交換し続けることそのものが目的であって、
有用性の確かな等価物を返戻してしまえば、
そこで”交換”は途絶える。
であるから、途絶えなかった”交換”の連続が、
道具や言語や乗り物や道路といった文明を実現させていった…
この時点で相当面白いけど、
この考えを内田先生はレヴィナスに接続する。
私はこの世界に存在してしまった。
他の誰か、あるいは何かからの席を譲り受けてしまった。
“始原の遅れ”。
すでにあるフィールドにおいて、
常に遅れたプレイヤーとしてしか存在できない自己は、
不可避の贈与をされ続けている。
その負い目のような感覚。

僕なりの解釈を交えた論を聞いていた妻は
ニーチェにおける「負債」の観念を挙げ、
その弁別について語り合った。


バナナジュースを飲んだあと、
妻はYoutubeを見ながらマタニティヨガに勤しんでいた。
それなりに動画を吟味していったが
いずれもそれっぽいヒーリング音楽、
真っ白い部屋に観葉植物、
ちょいスピリチュアル入った語り口と。
いかにもセラピー系の色合いが強く妻ともども参った。


1時に就寝。
寝入り話に妻から出されたお題は冬季五輪の新競技。
オリンピックがなくなった近未来、
七輪ピックというスポーツの祭典が日本で開催されることとなったが
見切り発車すぎて競技は一コだけ、
それは竹馬スケートなる競技で…。
という話を昨晩してやった、その続きを語って寝た。


2022年02月08日(火) 家出、幼稚な善意、明晰、歓待の家

晴れ。寝坊。8時5分起床。
ついスマホをサイレントのまま寝てしまうことが増えたようだ。
少し前に、もっと遅い時間に目覚めて間に合った実績があるから
そう慌てずにまずは弁当を用意した。
オムライス。そういえば前回の寝坊もオムライスだったな。
鶏もも肉を切って炒めてケチャップ入れて水分飛ばして
顆粒コンソメ割って入れて
解凍したご飯を入れて木べらで混ぜて
簡易チキンライスできあがり。
バター熱して卵2個を入れて混ぜて火を止めて
予熱で火を通したら簡易オムレツのできあがり。
サラダ菜とともに弁当箱に詰めて完成。
並行して焼いていたトーストを配膳、
コーヒーをガブッと飲んで
顔洗って着替えて洗いものしてトイレ行って
8時28分。
ゴミ出しのない日でヨカッタ。
2分だけテレビを見ながら身支度をととのえる。
10代の家出が増えているという。
反抗期の家出については、
実際決行にいたるかはさておき、
家出したくなるまでは正常な性情だと思う。
ただSNSを通じて事件性に発展するというのは問題だ。
大人側の問題。
番組では女の子の性的被害について取り上げていた。
「うちに泊まっていきなよ」
と呼びかけるのは40代男性に多いそうだ。
僕が厄介だなと思うのは、
彼らにある何割かの下心とは別に、
また同時に何割かの善意がたしかにあるだろうことだ。
それは幼稚な善意であるかもしれないが、
自身への言い訳として強く機能する。
世の中の連中は下心の方にばかり着目するが、
実はこの善意の方が、装置を起動させる
核心的な仕掛けになってるのだ。
…そんな考えを広げてみたかったが、
なにぶんせわしい二分間のさなかであったから
やむなく切り上げた。
「きみは家出するなよ」
「でもいつか、したくなると思う」
「じゃあその時は一緒にしよう」
「困る」
8時31分に家を出た。


冬の朝に ロマンスの神様 を聞く。
広瀬香美の。
いかにもベタベタな90年代J-POPで、
懐かしさ以外にはどうということもないんだけれど、
その懐かしさイッポンで冬には聞きたくなる。
小学生3年生の頃よく後楽園のスケート場に遊びに行っていた。
ローラースケート、ローラーブレードを楽しむ施設だったが
冬場だけはアイススケートリンクとなる。
そこでこの曲がよくかかっていた。ことを思いだす。

SMAPの青いイナズマは
やはり小学校中学年あたりのころに
自分の部屋もなかったかつての住まいで
居間の片隅に陣取ってガンダムのプラモデルをせっせと組んでいた、
あの寂しく孤独で静かに楽しかった時間と空間を思いだす。

そういう曲いっぱいある。



会社に妻の妊娠を報告した。
現場の上司ではなく、
人事部、総務部、経理部を兼ねる部署の一員へ、
会社の方の制度がどうなんか知らんから今度教えてね、と。
うちの会社ではまだ、男性社員の育休の実例がない。
特別休暇の規定として、
申し訳程度に妻の出産時2日間の有給が認められる程度だ。
だが4月からの法改正により、
雇用側からも育休について声をかける義務が生じる。
そのあたりは向こうも承知しているから、
では改めて社長と相談してみます、とのことで
今日のところは決着した。

これから面談か、それに近い話し合いが生じることになるのだろう。
育休の期間を最小限にとどめたい向こうからすれば、
じゃあどのくらい休みが必要になるのかね、
といった問い方になってくる。
一方で
育休の期間を最大限に延ばしたいこちらからすれば、
じゃあどのくらいまで休みをとらせてもらえるんですか、
といった問い方になり、これでは話が進まない。
しかし僕は会社に…というより現場の上司に強い不信感があり、
信頼関係のない相手に話が通じるとは思えないから、
交渉など一切したくはない。
そのくらいならここは自分の居場所ではなかったと見限って、
職を辞する構えでいたい。
理想は現場を通さずに社長との打ち合わせで
8週間の休みがとれたらいいのだが、
おそらくあんまり現実的ではない…。


荻窪で富澤商店に寄ってカカオマスを買った。初めて。
カカオニブの方が原型に近く、
カカオマスは砂糖と乳製品混ぜ込む直前のチョコレート。
つまり甘くないわけなので、これを料理用に使うのだ。
今回はパスタで使う。


帰宅後は即座に夕飯の用意。
今夜はこの前のリベンジで、大根の煮ものとスタミナ。
大根は前回よりも電子レンジで温める時間を短くしてみた。
味の染みは物足りなくなったが、食感はマシになった。
それでも歯ざわりの悪さがある。
ちゃんと長時間煮たほうがずっと美味しい。
スタミナは前回醤油味だったが今回はソースも加えた。
しかしシックリこない味。
オイスターソースも加えてみた。
まとまりはよくなったものの、やはり何か違う…。
それでも美味しかった。

テレビはこの前録画しておいた地球ドラマチック、
中国の希少動物を見た。
50mの崖から落ちていくインドガンの雛たちが印象的だった。
ほぼ直角の崖から飛び降りて岩肌に身体をぶつけながら
地面へと落着する。
絶対死んだわ…
と思われるのにヒョコヒョコ歩きだす。
生きものってすごい。


「もう、元の身体には戻らないんだろうなって、ふと思ったんだけど」
と妻が言う。
それは別にネガティブな目線でもなく、
ただただそう実感したらしい。
これを聞いて僕の方にも、何か掴めそうな気がした。
「何かって?」
「こう…。世界の真理のひとつに接近できそうというか…」
それは今しがたまで見ていた夢を起き抜けに思い出そうとする
あの静かな努力に似ている。
ほんの一瞬ゆらめいたそれの影を見つめて、
しかるべき言葉で再編してやれれば、
ある答えを得られる。
これがインスピレーションの気持ちいところなのだが、
今回は捕まえられなかった。
思い描いた像は、
卑近な例でいえば、FF6の世界崩壊前と世界崩壊後だ。
震災、戦災の復興でも似たようなものだけど…。
ここにメタファーが認められる。
ビフォーとアフターの間にある線引き。
捕まえられたら、スゴく面白そうな発想ぽかったんだけどな。
まぁ覚えておけば、どっかでヒラメクかもしれない。

その後しばらく話していたら、
妻にもなにか天啓的なひらめきがあったらしい。
「つかまえた」
という。
だがその真意を聞いても、なにが何やらワカラナイ。
「どうしてわかってくれないの…
こんなに私が、アァーッって感動してるのに…」
「そういうの、当人は直感的にゴールに辿り着いてしまうからね…。
ワープするみたいに。
その道筋がどんなであったか振り返って、行きつ戻りつしてやんないと、
人には伝わらないからなあ」

それからコムナルカが面白いという話を妻に振ってみたところ、
この前ハートネットTVで見かけた事例を紹介してくれた。
ある作家…エッセイスト?が自らの住まいを開放しているという。
100平米ほどの居宅のうち、寝室だけは確保して、
あとは出入り自由にしているのだそうだ。
顔なじみではあっても名前を知らなかったりするらしい。
実に興味深い。
僕の頭に思い描いている在り方に近い。
ただ、SNSにより広まっていること、
イベントごとを催したりしていることなどが
妻には引っかかったらしく、そこは僕も同意見だった。
話の流れついでに、僕が思い描いている一つの夢、
食卓による歓待の家について語ってみた。
理念としては賛同してくれるようだ。
しかし現実には難しいと尻込みしていた。


昭和史。
三河ナントカいう炭鉱事業の会社のスト。
人員整理に対する労働組合の激しい反発によって
労組側がストライキ起こしたり
会社側が会社に与する人間集めて第二労組を組織したり
二転三転した結果まぁ労働組合が負けるという。
それ自体よりも、この会社が担当していた炭鉱で起きたらしい
ガス爆発事故によって500人以上が死亡しているという事実に愕然。
ひとところで500人以上の事故って想像つかんな。


2022年02月07日(月) コムナルカ、料理本自作、宗教、防潮堤

晴れ。寒い。

弁当はガパオライス。
いつも通りにつくって、
サァ大葉を切って散らしたら完成だと取り出したところで、
僅かに二枚入ってるだけという事実が発覚。
大葉が二枚!
10枚68円だとちょっと多いかなと思い
48円のものを中身を見もせず買ったのだが
よもやこんなことになるとは…。


コムナルカ-8号室の住人図鑑-を読み始めた。
旧ソ連にあった共同住宅。
言うなればアパート型長屋的シェアハウスといったところか。
面白い。
読んでてちょっと思ったけど、
会社のオフィスも自席を完全に仕切って部屋に見立て、
フロアからほぼ出ることのない閉鎖空間としてみたら、
その生活空間での日々はちょっとした読みものになるかもしれない。
例えば災害で会社から出られなくなって、
従業員いずれもがフロア内で数日過ごさなければならず、
それぞれのプライバシーを最低限確保するために
間仕切りで自席を区切って…いうなればネットカフェみたいにして。
で、「部屋」を訪れる形式。
うん、これ、いずれ書く本丸の、花束の試作にはピッタリかもしれない。



昼休み、妻から連絡。
職場で、新型コロナワクチン三回目の職域接種の予定が立ったらしい。
どの日でもいいよと伝えたところ、ひとまず3月11日となった。
だが居住区の接種券も明日から発送されるらしい。
そちらが届いてみてからまた医療機関へ連絡してみて、
3月11日より早く打てるようだったらスケジュールを変更する、
という方針を立てた。


夕飯は昨日の残りのシチュー。
これに僕にはカツを、妻にはソースカツを添えた。
テレビはグレーテルのかまどで、
マザーテレサが貧しき人々に配っていたチョコレートを
題材にしていた。
「宗教って大事なんだなあ」
と妻が言う。
月並なコメントではあるが、教会通いしていた時期もあり、
そのあたりの人よりは宗教学に通じているから
それなりの重みは込められている。
「宗教が必要とされない世が実現されるなら
まぁそれが一番なのかもしれないけど、
そうはならないからこそ宗教が大事といえるのだろうね」
僕の方は文化と結びついた宗教学がかなり好きだから
現代社会においてだって
どれだけ宗教に意義があるか、価値があるかをかなり語れはする。
ただこの、
宗教が必要とならない世の中がが一番ではあるだろう、
という観点は、我ながら秀抜なんじゃないかと思われた。
これはとくに、非宗教家にすごく通じやすいロジックなんじゃないか。
だから”こそ”価値が認められるという。


ここしばらく、
妻が料理を覚えたがっている。
何年も前から言ってはいたのだが、
いよいよ現実味を帯びてきている。
ただ、出産後に炊事しなければならないという
ちょっとした強迫観念があったようで、
それは予定上は必要ではないだろうと正した。
「じゃあ、子どもが物心つくまでにはでいいや」
「結局見栄なの?」
「うん」
「子どもに軽蔑されたくないの」
「うん」
「あわよくば尊敬されていたいんだね」
「そう。そうだよ。
料理もできないのかお前は…って…絶対いやだよ。
尊敬されたいよう」
そんな会話をしていて思ったのだが、
料理の超初心者向けのレシピ本を、
自分で作ってしまえばいいのだ。
超初心者向けって、あるにはあるけど、
読者をバカにはしていない。
僕が今回求めるのは、おバカ相手にも通用する、
「ただそれにさえ従えば料理が仕上がる」プログラムコードのようなレシピと、
「従い続けていれば料理の手順、手際、手配が習得できる」体系だ。
だからまずはレトルトカレーから入る。
レトルトカレーとサラダを規定時間内に手際よく配する。
すごく大事だと思われるのだが、
レシピ本ではまず見かけない。

たとえばこんな感じだ…。

 まずはサラダを用意します。
 具はサラダ菜とトマトだけ。
 サラダ菜は食べたい分だけをちぎって、
 水でさっと洗い流します。
 水気を切ったらサラダ皿へ。
 トマトはヘタにあたる上部を切ってから
 縦に半分に切って、
 さらに食べやすいサイズに切っていきます。
 食べない部分はポリ袋に入れておきます。この短い料理時間における簡易ゴミ袋となります。
 それぞれを器に持ったらドレッシングをかけてできあがり。

 現在のレトルトカレーは、ほとんどが
 お湯で温めるかレンジで温めるかを選べます。
 出来上がりはどちらでも変わりません。
 より楽なレンジで温めるとしましょう。

 レトルトカレーの包装箱にある説明に従い、
 必要に応じて器を用意。
 電子レンジで温めます。
 指定時間でアツアツになっていなければ、
 もう20秒温めてみましょう。 

 レンジにかけている間に配膳をします。
 サラダと水を食卓へ。
 箸とスプーンも忘れずに。
 カレー皿に白米を盛ります。
 温まったレトルトカレーをかけて、
 包装袋は臭うから、さきほどトマトのヘタを入れたポリ袋に入れてからゴミ箱に捨てましょう。

…ていう感じか。さらに後片付けとかも入るわけだけど。
しかしこのアイデアは妻には受けなかった。
何分、相手が夫といえでも自分より長じている分野について
教えを請うのは悔しくある、
むしろ夫相手だからこそナオサラ悔しく、
かなうなら独学で道を切り開いていきたいのだという。
しかし夫に頼るのがベストであるとも認めてはいるから、
用意してくれるなら見てみたいもんだといった話に落ち着いた。
こうなってみると俄然やる気もなくなってくる。
ウーン。よっぽど気が向いたらになるか。


内田先生の合気道の話はいつも興味深い。
今回の本では呼吸法について触れていた。
通常、運動においては
身体をどれほど統御できるか、
どれだけの力を発揮し、蓄積していけるかに意識が傾きがちだが、
そうではない、
身体とは9割は思い通りにはならない、
呼吸法に通じるほどその自覚を深めていけるようになった…
といった話をしていて興味深かった。
それは自己肯定とはまた別のレベルの、自己への畏怖となるらしい。


昭和史、伊勢湾台風。昭和34年。
台風で死者行方不明者合わせて5000人以上とか…。
ある地帯では120日間にわたって水がひかなかったとか。
想像もつかないような大災害だ。
こっから災害対策が強化されていったらしい。
そういえば週末にテレビで防潮堤の特集をしていた。
90人が暮らす離島に10億円かけて防潮堤作ったけど
当初の名目であったはずの保護対象である農地は
今や荒れ果ててて誰も管理しておらず
島民も減る一方でなんのために建てたんだかという。
それでいて島の風景が変えられてしまっている。
「この島から人がなくなってもあの防潮堤だけが残る」
と島民はぼやいていた。
また一方では宮城の例で、
やはり十数億円かけて立派な防潮堤をおっ建てた。
震災の事例を鑑みて高さは10m。
どれだけの水害にも対応できるとの触れ込みで
もともとは住民の合意も得ていたはずだったが
いざ建てられてみるとこれが想像以上に高く、
住民からすれば、やはり風景が変わってしまったという。
海とともにあった暮らしから、
景観としての海が奪われてしまったわけだ。
ある漁師は
「もう陸からじゃ波の具合もわからん。
船の具合もわからん。かえって危ないよ」
と笑っていた。
一方で県知事は、自分はどんなに非難されても
まったく引くつもりはない、
住民の命が最優先である、
数十年後、数百年後までを見越して、
あってよかったとされればいい、
そのためなら私はこの職を辞すことになっても構わない…
とまで覚悟を決めている様子だった。
景観の問題はまちづくりでもよく出てくる。
安全性と景観とはたしかに対立しがちだ。
だからこそ合意形成が必要になってくる。
そこに求められるのは説得よりも納得だ。
コミュ力って程度の言葉に言い表されるほど
コミュニケーションの力は矮小じゃない。
課題解決にあたっては工学的観点のみならず
人文学の価値を見直すべきだと思う。
究極的には、人命が最優先、とされなくたっていいのだ。
「いつ死んでも構わない」というつもりで生きていられる、
僕はそれこそ
きれいごとの頂点みたいなところにあるお題目、
「今を生きる」
の真髄だと思っているし、究極であると信ずる。
なかなかそうはなれないから
社会的な取り組みが必要になるというだけだ。


あと昭和34年に美智子様が皇室で嫁がれたらしい。
皇族全然わかんないんだよな…。
あの品のいい老婦人が美智子様か。
今は上皇であらせられる当時の皇太子様のお相手を、
宮内庁はじめ華族から探していたらしい。
しかしおの候補も皇室入りは躊躇したようで、
ご本人もほとんど結婚を諦めかけていたらしい。
そこで民間から、美智子様に白羽の矢が立った。
大手企業の社長の娘。
聖心女学院の英文科を主席で卒業。
スポーツも得意で文武両道。
容姿性格とも優れていたとのことだ。
そりゃ宮内庁に目ぇつけられるわ。


2022年02月06日(日) お世話お節介、小説語、公害

曇りがちな晴れ。さぶい。
休日トーストを食べ、布団を洗濯。
洗濯機のまわっている間、
やたら寒かったのでダラダラ妻とテレビを見た。
おしり探偵。
一人じゃまず見ないが
幼児返りしている妻は楽しんでいる。
おしり探偵。
衝撃的な見た目だ。
尻に目鼻がくっついて、肛門で喋っている。
こんなオゲレツがEテレで番組張ってるのか…。
今回は導入編というところで
事件が発生したところで終わった。
「こいつまさか、”事件を解ケツ”とか言い出さないだろうな」
「どうだろ。
あ、でも、失礼こかせていただきますって決め台詞あるよ。
それ言って屁をこく」
「馬鹿野郎」
しかも下半身からじゃなく、尻をかたどっている顔面から
屁をこくらしい。
馬鹿野郎。


洗濯物を干して朝風呂。
パッパッと風呂掃除も済ませて10時半。
ミュークルドリーミー。
今回とってもアタリ回だった。
ユニ様がとうとう身代わり人形であるパチパチブーを
ちあちゃんとすり替えてみせたが、
これまで過ごしてきた日々が忘れられず、
自ら返してくれと涙ながらに懇願。
また、アックムーちゃんに与していたアッキーも、
なんか急に地球災害的な衝撃をもってして
僕が間違っていたーとか言い出して改心。
このアニメらしい無茶な急展開がすさまじいテンポで繰り出されていって
あっちゅーまに和解に進んでいった。
もう後一ヶ月かそこらで今期も終わるのだな。
ミュークルドリーミー、続くんだろうか…。
まだアサヒとの恋物語とかも残ってるけど、
このアニメその気になったら5分で何でもかんでもたためるからな…。
読めない。


昼飯は炊き込みご飯。
これに味噌汁と、菜の花の天ぷらを添えてみた。
爽やかな苦味が美味しい。
しかし衣が活躍しすぎて
美味しいは美味しいのだけれども
ちょっとスナック菓子みたいになってた。


食後、区議会会議録を読みきった。
実に面白かった。
妻は自室で何やら作業をしていたが
13時過ぎからおひるねを所望。
しかしベッドの寝具は洗濯している。
居間のソファを移動し、簡易ベッドの体裁を整えてやった。
スヤスヤ気持ちよさそうに寝ていたが、
僕は映画が見たいのに見られず、
また毛布もないから寒かった。
暖房、きいてるはきいてるけど
真冬のさなかにあってこの部屋はぬくもらない。
おとなしく小型電気ストーブの前で小川洋子を読んだ。
で読みきった。小箱。
ううん?
やっぱ自分には小説を読む能力がイマイチ足りないと見える。
往年の日本文学はするする読めるが、
近年の、いわば小説語で構成されきった小説らしい小説が、
頭に入ってこないところがある。
それでもそれなりに楽しんではいるのだけれど。


ナントカ15時前に妻に起きてもらい、
フォレノワールを食べた。
味のすっかり馴染んだ二日目の理想的美味しさよ。
あっというまの出来事だけれど多幸感あった。


食器を片して、寅さん3作目鑑賞。
自分の縁談そっちのけで他人の縁談をまとめてた。
その行動力とか勢い、スピード感は学べるものがあった。
学べるというのは、実演できそうという意味だ。
やろうと思えばやれるお手本を示してもらった。
ただ終盤眠気に耐えられず多分数秒レベルで何度か寝た。


映画見終えてから、干していた布団を取り込み寝室にセット。
細々した家事を済ませ、16時半、図書館へ。
返すもん返して、新たに会議録を借りてきた。
コロナ禍前のものが欲しかったが一冊しかないし
なんかそれが分厚かったので
コロナ禍による第一回目の緊急事態宣言が発令されたさなかのものを。
一度家に寄って、ポストの上部に恩を置き西荻へ。
DVDをポストにさくっと返却。
道中、芥川の「捨て子」の朗読を聞いていた。
Youtubeから再生しイヤホンで聞く。便利な世の中だな。
なんかやけによくできたイイ話ではあった。
教科書通りのイイ話っつうか。

OKストアで買いものして帰宅。
部屋をあらかたキレイにしてから掃除機がけ。
毎週日曜日のたしなみ。
冬はまだいいけど
夏が近くなったら週一回が足りんよなあ虫さん嫌だから…。
5月には妻は休みに入ってるわけだから
いよいよガンバッテもらいたい。
腹膨らんでるとはいえナンボなんでも
クイックルワイパーくらいはかけられる信じたい。


夕飯はシチュー。
そういえば肉を買っていなかった。
が豚バラ肉を冷凍していた分がちょうど足りた。
今回はオーソドックスに。
といってもうちのオーソドックスなので、
玉ねぎニンジンしめじがドカ盛りで、
肉とジャガイモは少なめ。

シチューを煮込んでいる間、
万葉ことばの本を読んだ。
著者の人物像がなんだか素朴で好感もってしまう。
万葉ことばの使用例として、
私だったらこんなふうに…と文例を挙げてくれるのだけど、
いずれも変哲がなくていい。
「七夕伝説の織姫と彦星ではありませんが、
年に一度の逢瀬とばかりの機会に…』
といった文例を挙げて、
こんな同窓会のお知らせが来たら
おしゃれこの上ないですねと自ら言う。
モノスゴク良いと思う。
こういう人がもっと純粋に尊敬される世の中になったらいい。


夕飯はシチューに加えて、冷凍のカツを出した。
これとサラダ。
たらふく食った。
テレビは北京オリンピックのために
ダーウィンが来ないからと
録画データから映像の世紀を見た。
少しずつ見続けているわけだけどまだまだ先が長い。
今日もヒトラーさんが元気に演説している。


食後、妻は居間にとどまって手帳をこしらえていた。
テレビは何も見るものがない。
録画データからザ・ノンフィクションを再生。
おせっかい不動産。
やってることはスバラシイと思えるけど
番組構成とナレーションが低劣すぎて踏み入ったところはワカラナイ。
嫉妬はしかけた。
ボランティア活動が仕事と一体化しているような働き方だ。
それでいて利益は上げている。
どう低く見積もろうとしても、立派な人だ。
実践してる人間は強いな。


図書館で借りてきたたまごクラブを一緒に読んだ。
ベビー用品をまとう赤子どもはやけに可愛い。
写真を見ていてカワイイ、カワイイと連呼している僕を見て
 ダメだこの人
と妻はつぶやくが向こうも似たようなものだ。
他人もいいところの赤子モデルを見ていてこれなら
我が子に対してはどうなってしまうことだろう。


入浴前にもう一度フォレノワールを食べた。
なんて美味しいのだろう。
これもっと色んな人に食べさせてやりたい。


内田樹先生と、なんとかいう人類学者との対談の本を読み始めた。
内田先生、これからは農業だ、と時代を見抜いて
ご自身も着手しなさってるらしいが
なんでも不在地主で資金だけ提供しているらしい。
根っからのシティボーイだから虫とか嫌なんだそうだ。
スゲーわかる。


妻、ここ数日はお腹の子に
 ハユタロウ、ハユタロウ
と呼びかけている。
どこまで本気なのだか、
 いい名前だと思うんだけどな
とひとりごちている。


キッチン掃除。
これも日曜日のたしなみとして習慣づいている。
キレイになると気持ちがいい。
キッチンペーパー1ロールを一週間程度で使い切ってしまう。
洗いもの用のスポンジも。
家事やコストの面では別にいいんだけれども、
思想的には問題だ。
環境破壊やらSDGsやらとはまた別で、
大量生産大量消費社会に背を向けたい身であるから。
今はまだ及ばない。


昭和史、公害まできた。
キツすぎる。
小学生のころトラウマになったんだよな。
「戦争でもないのに?」
っていうこの世の不条理に耐えかねた。
ただその地域にいたからって、
その日その日を暮らしていた人々が
あるときから人生ブッ壊される…しかも取り返しがつかない。
一回キリの人生がボロクソにされるって。キツイよ。


2022年02月05日(土) ホラーとエロゲ、区議会会議録、マッサラな自己

休日トーストを食べて洗濯。
OKストアで買いもの。
うだうだと本など読んだりしていたが
思い切ってチョコレート細工に手を出した。
チョコレート細工…。魔の道だ。
用意がものすごい面倒くさいし
実作業も面倒くさいし
後片付けにいたってはそれまでの面倒くささを全部足しても
到底かなわない面倒くささ。
しかも大抵上手くいかない…。
とりあえず用意として、OPPシートを二枚隙間なく並べて
マスキングテープを裏から貼って合着させた。
チョコレートはひたすら刻んでボウルに入れる。
でも今回はテンパリングをかなりサボった。
2/3量を湯煎にかけて
本来なら50度まで温度を上げるわけだけど
少量だから温度取りづらいので感覚でやった。
で残りの1/3を入れて混ぜる。
光沢が出てきたような気がするからそれでヨシとして、
OPPシートに塗った。
今回は円形に形作りたいので
スポンジ用の15cm型に巻く格好にしたのだけど
2枚分合着させた境目がくにゃりと折れて
我が野望はついえた。
この時点で手はチョコだらけだし。
それでも冬だから固まってくれるのが幸い。
目当ての形にはならないまでも、
曲線にはなったから見栄えはどうとでもなる。
あまりのチョコも適当にOPPシートに塗って
くるりと曲げたりしておいて冷蔵庫にしまった。

昼飯はオーブンで焼くだけのピザを二枚。
マルゲリータとジェノヴェーゼ。
どちらも美味い。実に美味い。
一枚あたり200円程度でこの幸福感味わえるのは
現代の強みだよなあ健康には悪いけどな。


食後、妻は怖い話を読んでいた。
彼女は怖い話が好きなのだが、
怖がりたいわけではないらしい。
それどころか恐怖的演出が出てくると
嫌になってしまうとも。
そんな性情を長年見てきては
何言ってんだこの女と散々こけにしてきたけれども
ようやく合点がいった。
僕にとってのエロゲーと同じなのだ。
そのジャンルで実現している作風が好きなだけで、
そのジャンルを規定する要素そのものを好んでいるわけではない、
むしろジャマですらある…という点で一致している。
すごいスッキリした。


僕は昨日こしらえたスポンジをカットし、
ダークチェリーを挟んで、
生クリームでナッペした。
なんか大分うまくいった。上手上手。

で西荻へ。
妻のリクエストに応じ、焼肉屋で
ヤンニョムチキンをテイクアウトで買った。
注文してから会計でびっくり。
1740円!
うそだろ…。ちょっとした持ち帰りメニューで
700円かいいトコ900円くらいとにらんでたので衝撃だった。
店内で5分ほど待ち、受け取ってみるとボリュームがある。
「温めるときは、あの、電子レンジで温めればいいですか?」
「うん? 冷たくても美味しいよ! ヤンニョムだからね」
僕はどう温めるのが美味しいのか聞きたいのだ…。
あとヤンニョムだからと言われても理屈がわからない…。
でもこういう理をすっとばした応答、好き。

できればさくらんぼかアメリカンチェリーを買いたかったが
さすがに時期からずれていると見えて買えず。
フォレノワールのデコレーションにしてみたかっただけだから
なくてもいいわけだけど。

帰宅後、フォレノワールを仕上げ。
刻んだチョコレートを上から散らし、
ミントを飾り立て、不揃いのチョコレート細工で囲う。
当初の予定とはずれたものの、
なかなか絵にはなった。
ケーキ表面に散らしたチョコレートが土のように広がり、
その端々からミントが生い茂っているようなビジュアル。
でダークチェリーがゴロゴロ並んでいる。
それなりに美しい。
しかしこの作業中に雪が降った。
ほんの一瞬だったが降った。
そのため急きょ洗濯物を取り込み、
ちょっとだけ手間取った。

がまぁ完成。
妻のカメラで写真に収めてもらい、
さらにコーヒーを淹れてもらっていただく。
美味しい…。
美味しいけど出来たてでまだ味が馴染んでおらず
甘みと酸味とが独立しているような感じ。
明日のほうがもっと美味しくなる。


それから腹の冷えているという妻に
お吸い物をやって、
僕はだらだらとゲームしたり本読んだりをした。
本というのは真っ当な本ではなく会議録だ。
居住区の区議会の。
これが相当面白い。
図書館の新着図書コーナーに陳列されていて
エッ貸してくれんのかよと思って手を出してみたわけだ。
まず国会中継や都議会中継なんかのテレビ映像と比べると
こちらは全部文章だからカッタルサがない。
あと話題が身近で具体的。
施設がどうの、この前の計画の報告がどうの、
あの辺の道が、公園が、家賃がうんぬん。
しかし当たり前っちゃ当たり前だけど
問題にならない点は話題されないから
全文に渡って難点ばっかりが並んでいて
オイこの辺問題ばっかじゃねーか
と鼻白みそうになる。
そんなことはないのだけど。

地域の問題を把握するって大事だと思う。
そりゃそうだろうで流してはいけない。
やれ国交が、輸出入が、アメリカの株価が、
フランスの教育が、指定都市の地価がなどと
国内外の事情を小偉そうに語っていたところで、
自分の住んでいる地域のことを何も知らないんじゃ
いまいち説得力に欠けるというか
いやハッキリいおうすげえダセエよ。
実際、ビジネス市場で会社員をさんざんやってきたあげく、
定年退職した後に居住地域のことを
何も知らなくって取り残される年配者は多いと聞く。
ちょうカッチョ悪いと思うのだけど。
まあ僕は国内外の事情も地域の課題もろくに知りませんが。
危機感はある。強めの興味も。


夕飯、ヤンニョムチキン。
結局レンジで温めた。まぁ美味かった。
そしてボリュームがスサマジかった。
焼肉屋で出す量かコレ。
四人前だとしてもサブメニューとしては多いんじゃないか。
味は濃い。甘辛。かなり甘いし辛い。
唐揚げ風の鶏もも肉に…
コチュジャンとケチャップと、
ハチミツあたりで甘みを足しているのかもしれない。
自分で作ってみたら改良していけそうだ。
しかしカロリーおばけだなこりゃ。

21時くらいまでノンビリして、
それから映画を観た。
バーバリアンズ。
セルビアの若きまなざしとかなんとかサブタイトルがついている。
予想よりも面白かった。
映像的には後姿のカットが印象的、町を踏み歩く姿がすてき。
部屋や道並みも美意識に則って切り取っている。
シナリオとしては、大きな展開はない。
なんにもない空っぽの非行的な青年、
なにがしたいことがあるわけでもなく
なにやってもうまくいかない。
デモから発展した暴動についていきながら
警官隊と戦うよりもその辺の靴屋で盗みを働かこうとしている友達の方が
よっぽど肉感のある生き方をしている。
結末が良かった。
何にもうまくいかず何も成し遂げられないまま
群れの中に出戻って匿名の青年となる…。
その表現手法によって、
現実にもあるであろうデモ隊、暴動隊を構成する一員が、
どこにでもいる青年(名無し、無個性、無属性)であると証されたようだった。

しかし妻はつまらんかったと酷評。
何も起こらなかった、
もっと起承転結のある映画かと思っていた、と。
 アーハイハイこれがオシャレな映画なんでしょうねえ
とくさしている。
僕が鑑賞後に感想を書き残している姿を見ても
「何書いてるの? 感想? つまらなかった、って?」
しかし、つまらないと思ったならつまらないと感想する。
これは重要なことだ。
自身の直感的な感想を、理性的な批評で上書きしてはいけない。


三島の対談集、読み直し終わってしまった。
やっぱ面白いな。どの部分をとっても。
野坂なんとかさん…火垂るの墓の原作者にあたる作家だったか。
彼の弁で、
 自分はあんな反戦的なモノを書いているけれども、
 どこかにはアメリカこの野郎もういっぺんやったるか、
 核兵器がなんだ細菌兵器を太平洋にぶちまけてやるぞ、
という思いがあるというのが印象的だった。
また、三島の発言を受けてとはいえ
 白人女に生殖器を突き立ててやりたいような衝動がある
といった本音も吐露していて(言い方もっと露骨だったけど)、
しかし一方では、
 もう戦争なんか嫌だ、もうあんな思いは金輪際ごめんだ、
という萎えた心もあるらしい。
三島が組織していた楯の会に真っ向から反するような
いわば「日本男児らしからぬ情けなさ」を白状しているわけで、
かえってなんともはや強靭な人だと感服した。

自己を見つめる、自身に正直になる、
まっさらなスナオな本心をとらえる、
って難しいとつくづく思う。
僕はこの日記でなるべくそれをやってきている。
まっさらって醜かったり愚かだったり
論理的に破綻してたりするもんだ。
それを言葉で捕まえようとすると、どうしても秩序立ってしまいがち。
体裁調えたりもするし見栄もつきものだし。

ところで三島といえば一般には、
セルフプロモーションに優れた劇場型作家という見方がある。
彼の文体もあいまって、自己を”装飾的に”扱い、
本来の自分自身の弱さと高潔すぎる理念とのギャップに葛藤し、
…といった評論がされがちだが、僕はそうは思わない。
彼にとっては性情と理念は離反し難く癒着しきっている。
ギャップの生じる隙間もないほどに
性情と理念が無限連続体をなしている。
だから三島が
「自分は自身の政治思想を芸術に(小説に)込めていない」
というの、すごくわかる。
でも大抵の三島論は彼の小説から
政治思想までをすくいとろうとするんだよな。

本来のマッサラな自己そのものを見つめる、
という一つのアクションがあったとして、
三島の場合はそのアクションが起動したと同時に
(即座にではなく同時に)
自己装飾が発生する。
仮面が素顔になりうるわけで、
これはこれで極致なのよな。


2022年02月04日(金) 立春、ココアスポンジ、口論

晴れ。寒い。
立春につき
暦の上では春ですがと
今年もテレビがうそぶいている。
毎年必ず言う。
「暦の上では春」と言ったら
必ず、もれなく、確実に、
「ですが」
と紡がれるこの滑稽さ。

ダンボールとペットボトルを捨て、
朝食はトーストのみ。
弁当は炊き込みご飯。


セトウツミ読み終えた。面白かった。
この人のやる、方法論的な漫才会話は好みではないけれど、
あんまり高度だしさすがに天才を感じる。
なによりキャラを気に入ってしまえるのが漫画の強みだ。
内海いいよね。
実生活でも、こいつが笑うと嬉しいとか勝ったとか
成功感に浸れるってあるけど
内海が笑うとその感覚を疑似体験できる。
ごちそうさまでした。


夕飯は茄子の蒲焼き。
ヘタだけ切ってラップして2分あっためて
包丁で切り込み入れて開いて
サラダ油で焼いて焦げ目がついたら取り出して
醤油と砂糖と酒を中火で煮つめてトロリとしたら
ご飯に盛って山椒振って万能ネギ散らしてうなぎ丼風完成。
味噌汁とサラダ添えていただく。美味しい。


夜、明日のケーキのためのココアスポンジを焼いた。
今回はボリュームを出したいが、
容器へ注ぐ生地の総量は控えめにしないと
膨らみきった後に萎んで
かえってボリューム不足となるキケンがある…
ことについては、もう知れている。
だから理想的に言えば、2台焼くべきなのだ。
1台を3枚にカットするより、
2台を2枚にカットして過剰分を余らせるほうが、
手間はかかるものの確実にキレイな仕上がりをねらえる。
しかしまあ流儀に反する。余らせるというのは。
でどうしたかというと
ココアパウダーをいつもより少なめにした。
プレーンのスポンジ生地に比べて、
このココアパウダーは膨らみを悪くする…ように僕は実感している。
スポンジ生地は密度が低いほうが触感がいい。
味もよく染み込むし。


入浴後、夫婦間でちょっとした口論があった。
お腹に赤ちゃんがいる、というより居続けることとなる妊婦は、
否応なしに毎日毎時お腹のそれを意識せざるを得ないが、
男の方はその感覚のないぶん、
自ら意識していかねば追いつけない…という自覚はあったつもりなのに、
イマイチまだ足りていなかったようだ。
いや並大抵の男よりはずうっとできている自負はあるが、
ことこの話題に関してはどれだけ自分に厳しくてもいいだろう。
徹底的に話し合ったすえ就寝は遅くなったが、
仲良く寝た。


2022年02月03日(木) 節分、鬼の意義、売らない店

晴れ。
なんかめちゃめちゃ寒い。
あと2週…いや10日持ちこたえれば…
でもその後花粉飛び出すのと
虫が起き始めると考えると嫌だけど…


今日は節分。
農水省がどこまで真面目なんだか
豆まきコンプライアンスというのを押し出しているらしい。
投げてオシマイじゃなく環境配慮を見据えようとか
鬼役となる人へは許諾を取りましょうとか。
まぁアホくさいけど名目上はワカランでもない、
が、そのなかにあって
「全ての鬼が悪いと決めつけない」
という項目があって、これは聞き逃せねえよと思った。
いかにも多様性と相性のいいお題目だが
悪の取扱いが転倒している。
「悪を肩代わりさせた表徴的存在」を
鬼と名付けデザインしているのであって、
悪でない鬼は鬼とは呼ばれない。
順序が逆なのだ。
共同体の外にある異人、ストレンジャー、アウトサイダーに
悪を押し付けて共同体内部の安寧を担保する、
そういった装置として機能していた「鬼」に
人性を認めてしまうと鬼は鬼である意義を失う。
それは鬼じゃない別の何かで、
いうなれば同じ地平にある人間となる。
そいつに豆を投げつけるってメチャクチャだからな。
豆まきする以上は、鬼は
悪や不幸や災厄の”表徴でなければならない”。
これは、敵とか対立相手とかにもそれぞれなりの
正義や大義や事情があったりするのを斟酌しましょう、
という認識の是正とは全く別のレベルの話だからな。
ここを混同すると道を誤る。
教育に悪い。
ひじょうに。
農林水産省ふざけるなよ、と憤激がやまない。
だいたいお前らが口出せるのは
食べ物や資源をムダにしないようにね、までと違うんか。
個人的にはおおよそ省庁というものの
…少なくとも表面上の…動きや声明を信頼してきていたから
その分だけ今回は失望した。


アサイチで 売らない店 特集。
製品をお試しできる店舗が増えているとのこと。
その場で買って持ち帰ることはできないが
QRコードから情報を読み取って購入することは可能のようだ。
なるほど現代的ではある。
在庫をかかえるリスクもほぼないし、
店舗スペースも極小で済む。
なにより、おそらくはこれもまた間口だ。
今はまだ「オンラインを通じて買うこともできますよ」だが、
これ本来的には、オンラインでのショッピングを前提とした上で
「オフラインで試すこともできますよ」だ。
段々と慣らしていくわけだ。

経営不振の続く百貨店でも
この形式を取り始めているらしい。
かつては百貨店は、商品を売り場に陳列したことが
画期的な商売であったと何かの本で読んだ。
江戸時代を経て明治に入ってもなお、
店舗における売買と言えば客は店の主人に欲しいものを告げる、
すると店の者が製品を棚や箱や蔵から出して見せてくれる。
そういう商売が常道であったところに現れた百貨店の方式が、
その後には新たな常道となって、今また翻るわけだ。
劣化していってんな。
江戸時代でいい。

さらに、YAMAHAが製造している、
歌ってコミュニケーションの取れる小型AIロボットも
紹介していた。
なるほどたしかに可愛らしい。
愛玩的な要素だけでなく、
高齢層の孤人化が問題視される昨今にあっては意義もある。
だがそれは、その場限りの目的がかなえているだけで、
孤独や孤立を構成している素地については、
解決するどころか逆の取り組みとなっている。
共生型社会のジャマをしている。
「人とつながりにくい世の中だから」
といって、
「人とのつながりにくさ」を強固にしている。
その危険性に無自覚、または目を背けて。
大反対だね。

しかし火の鳥のロビタを思い出す。
つくづく手塚はエライ…
人と寄り添い合えるようになったロボットについて、
最大限に魅力も恐ろしさも描いてみせておいて、
いいとも悪いとも言わない…
かつ
いいとも悪いとも言ってる…


弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。
鉄板で美味い。


妻の定期検診。
退勤後、無事だったとの報告だけ先に聞いた。
これでめでたく名実ともに安定期入りしたこととなる。
ホッッッッッッッッッッ。


西荻で肉屋などに寄り、19時20分頃帰宅。
夜は妻のリクエストでキンパ。
恵方巻きの代わりとでもいうのか。
韓国の海苔巻きなわけだが
作ったことも食べたこともない。
とりあえずほうれん草のナムルを用意。
しいたけは甘めに煮る。
牛肉をごま油で炒め、コチュジャンと焼肉のタレで味付け。
たくあんもかるく炒める。
卵焼きは長めにカット。
海苔巻用の海苔を巻き簾に広げて、
奥1/3を残して白米を薄くのせる。
さらに具材をのせてって、巻く。巻く。
巻いたら15分放置。
全体が馴染んだらカット。
重ねて盛り付け。
まあ美味い…か。うん美味い美味い。
ただ調味料の総量の割には、遠慮がちな味だ。
もうちょっとこう…なんだ…塩気か辛味かの刺激が欲しい。
次にやることがあるとしたらトビコかな。
今回の収穫は巻き簾の扱い。
もう気負いなく巻けるぜ。次は巻き寿司にしよ。


食後で身体が暖まっているうちに
庭へ出て福豆を投げることにした。
自前の庭があるというのは実に頼もしい。
ただ暗いし夜だし、ちょっと控えめに投げていった。
鳥の餌用に枝から吊るしている落花生のリングを
ゴールに見立てて豆を投げ入れていったりした。
大量に余った分は、別の枝に吊るしている鳥の餌用の籠に入れた。
食べるのだろうか。


チョコシューを食べた。
これは先日の余りを冷凍保存じていたもの。
を、半解凍したシューアイス。
美味い。市販品と遜色ないな。
ただ食べ終わった後が虚無だった。
食べたという事実の記憶だけあって
なぜか精神的な実感がなかった。


そっからお義母さんと電話。
という妻がかけた電話をスピーカーホンにして
三人でしゃべった。
安定期に入った報告と、防災についての相談。
互いの最寄りの避難所くらいは
把握しておくことにしましょうと述べた。
また、緊急時には安否確認の連絡を優先しないことを伝えた。


ベビー用品のレンタル用カタログを見た。
膨大な数だ。
見るほどいらんものまで欲しくなったり、
必要だとカンチガイしていくことになるだろう。
選択肢って多けりゃいいわけじゃないのにな。


昭和史を読んでいて
洞爺丸沈没事故というのを知った。
犠牲者1100人。
1500人あまりが没したタイタニック号沈没に次ぐ
世界的にも稀な海難事故らしい。
知らないもんだな。
ていうかタイタニックが映画の影響で有名すぎるのか。


図書館で借りてきた小川洋子、なかなか読み進まない…。
文章めっぽう上手くって小説的に高等で
それだけにナカナカ入っていけない。
小川洋子はストーリーや人物よりも、
なんといっても描写こそ小説の真髄だという理念があるそうで、
創作にあたっても風景や場がまずあって、
その器として人物の動きが用意されていくのだと述べている作家。
まったくもって高等で、
かなうことなら僕も追いかけたいものだが、
いかんせん登っている山が違う。


トキノはこれまで僕が手がけてきた作品に同じく、
論法が肝となる話だ。
作者には何か言いたいことがあり、
それは作品に明示されてもいる。
ただその答えへとたどり着くための道筋を
作品のなかから手繰ろうとすると、
読み手はこんがらがる…ようになっている。
僕が提供したいのは、
読み手の頭のなかでこんがらがった論理の糸筋が描く絵図だ。
その読み手当人にしか描き得ない
「体感的な思考風景」
に美を、あるいは面白さを見出してもらいたい。

という目当てはある。
でも小説的にはやっぱり
小川洋子だったり保坂和志がいうように
描写が先立つというか
描写そのものが小説の本体になってる方が高等だって思う、
憧れるような心持で。


2022年02月02日(水) 戌の日参り、絵馬に見る真心、NFP

晴れ。7時半起床。
のんびり起きてのんびり弁当を作る。
といっても炊き込みご飯を温めて
サラダ詰めるだけ。
朝食は普段のトーストに加えて、
ヨーグルトにレーズンを入れてハチミツをかけたものと、
ソーセージを茹で焼きしてブラックペッパーとマスタードをかけたもの。
半休日なので。美味しかった。

旧布団を洗って干した。
これはもしもどちらかがコロナにかかったら
夫婦が別々に寝られるようするため、居間に置いておくもの。
昨日敷布団も来たし。
食料の備蓄も十分あるし。
それなりの準備は整っている。


今日は土用の戌の日ということで
大宮八幡宮へ安産祈願のお参りに行く。
といっても正式な祈願を頼むまではしない。
なんかえらい料金とるみたいだし、時間もかかるようだし、
何よりコロナ禍でそういった集まりを避けたいので。
だから軽いデート気分で家を出る。
久しぶりにおめかしした妻が
写真撮ってよと庭へ出ていった。
iPadで何枚か撮る。
その度に妻はふざけたようなポーズをする。
「ポーズが下手だね」
「そうなの」

富士見ヶ丘駅への道すがら、
成人年齢引き下げについての話をした。
18歳で成人ですとしておきながら
酒タバコを20歳まで禁じる、
それでは筋が通らないではないかと妻は主張する。
いくらかの方面から検討してみたところ、
酒タバコが許されてないのでは
「成人リストのチェックが満たされていないことになる」、
という見方をしているようだった。
井の頭線に乗っても話を聞き続けたが、
西永福に降りてからは街の観察に入った。
西武池袋線や西武新宿線にも見られる、栄えすぎない、
駅前商店街を起点とした地元住民のための繁華という感じで好印象。

5分少々歩いて大宮八幡宮へ到着。デカイ。
入口となる参道際にかなり目立つログハウス風の民家があった。
全力出した山小屋というか。
そのちょっとさきには幼稚園。デカイ。
多くの子どもたちがワンサカ遊んでいて賑々しい。

目当ての神社にはそれなりに人がいたが
なにぶん敷地が広いから気にならない。
賽銭50円だけ奉納してお参りをした。
無事に子どもが生まれますように、
元気に育ちますように、
妻の身体も健康を保てますように…。

境内に何千枚と重ねられている絵馬を見てみると、
JO1とかいう、おそらくは男性アイドルグループへの
応援とおぼしきメッセージがずらずら並んでいた。
何らかの聖地なんだろうか。
そのほか、合格祈願であったり
願いごとなんでもの枠組みがあったりしたが、
安産祈願の絵馬たちを見てちょっと驚いた。
「子どもが元気に/無事に/健康に生まれますように」と、
ちょっぴりずつ書き方は違うが、
意味としてはほとんど全く同じ文が何百と並んでいる。
まじりけなく、その一心なのだ。どの人も。
泣きそうになってしまった。
折しも自分もそう祈ってきたばかりであるし。
まぁその思いのある人がここへ来るのだからとまとめれば
それまでなのかもしれないが、
しかし親の…あるいは親になろうとしている人の
真心というものを迫真に実感して、
きっともう、人目がなければ泣いていた。

ただこの神社自体はあまり好かない。
あちらこちらにノボリが立っていて、
あれもできるこれもできるという執拗な案内に辟易する。
商売っ気についてはまだしも、
玄妙さや厳かさのないことには失望する。
神社なんていう空間には文字がなければないほどいいのに。

さて去りましょうと来た道を戻る途中、
幼稚園にはさっきよりもさらに多くの子どもたちが遊んでいた。
…この神社には出産を控えた多くの夫婦が来る、
その夫婦たちはお祈りした後に
“元気に遊ぶ子どもたち”を見せつけられるのだ…。
いや別にだからどうってわけでもないけれど。


ちょっとだけ時間があったから
駅の手前で何か買い食いすることにした。
良い匂いに惹かれてパン屋へ。
妻が勝ったカレー風味のパンを一口もらった。美味い。
「かるいお出かけに過ぎないけど、
買い食いとはいえこう何か食べると、
ちょっとはデートの風情があるね」
というと、妻は愛嬌に満ちた声でウンと笑った。

西永福駅で別れ、僕はこのまま出勤。
隣の永福町駅で、なんらかのトラブルがあり
数分の足止めを食らった。
明大前で乗り換えた際に男子大学生の集団とすれ違い、
フレッシュさに驚いてしまった。
若い。みずみずしい。
自分自身を観察して老いたと認識する機会増えたけど
若い人間目の当たりにしたときにはドカンとくるな。
イキイキしてるもんな。

明大前から新宿線直通の本八幡行きに乗れるはずが、
先程の遅延が影響して新宿までしか行けず、
終点となる新宿駅から都営新宿線のホームまであほほど歩かされた。
ここでいうあほほどというのは
道行く人間が全員あほに見えてくるほど、
自分以外の地球上の人類全員があほに思えてくるほどという
病気的な狂気に駆られた状態を指します。
で自分自身もあほと化してようやくホームに着いたら
まさに目の前で電車のドアが締まり走っていくという。
もはや立っていられず四つん這いの獣になって
七つの大海が涸れるまで絶叫、眠れる神々を呼び覚まし、
すべてを業火で焼き尽くして永い眠りについた。


神保町には12時10分ほどに着いた。
時間に余裕があったからちょっとだけ散歩。
数日前、主人が亡くなったとニュースになっていたさぼうるには
臨時休業とだけ貼り紙がしてあった。


仕事は平常運転。
というか暇め。
陽性者が一人出たものの
幸いそれ以上の影響は今のところ見えない。

しかし東京の新規感染者数が
21000人超え。おえ。
都は病床使用率が50%を超過しても
今回は緊急事態宣言を渋りたいらしい。


夕飯はハヤシライス。レトルトの。
妻は早めの花粉症のせいであるのか
鼻がデッぱなしであったが
それでも味わえたようだ。
自作に比べれば肉が断然少ないのが残念であるが
味は申し分ない。とても美味い。


NFPについて妻から尋ねられた。
「知らない」
「じゃあいいかな。きみが知ってたら教えてもらいたかったんだ」
「ちょっとは聞かせてくれよ」
私もうまく説明できないけど、と前置きした妻の弁によれば、
オンライン上をはじめとしたデジタルリソースの
所有権の売買を成立させる技術や仕組みのようだ。
「Twitterでの、一番はじめのツイートの所有権を
オークションにかけて売ったり」
「あ、それは知ってる」
数ヶ月前に話題になって、それなりの興味をもった。
この話題にはいくらかの見地からのアプローチができる。
「僕は私有とか公有とか共有について興味のある方だから、
その視点からいうと…。
もともと、手元にあるなんだって、
これは自分のものだと自分ひとりが主張しても
証明されえないわけだね。
国家っていうのはもともと、
国民の私有財産を保証する機構であるという見方がある」
「それ、面白そう」
「NFPが実現するビジネスモデルについては、
僕はもちろん反対だけれども、
所有とはなんなのかについて
無自覚であった人々に問い直しを促す効能については、
よくやってくれたもんだと思うよ」
それからさらに、NFPは他分野において
市場の間口になるとの見解を示した。
「真っ先に思いつくのはメタバース」
「関係あるの?」
「メタバースって、仮想空間が用意されるわけでしょう。
オープンワールドのフィールドさながらの。
そしたら、その空間内での土地は売買の対象となるよ。
必ずなる。
その土地に建築物をおっ建てたりするわけだ。
人気のある土地は値上がりしたりしてね。
今はまだ、仮想空間の土地なんか買って何になるの?
って意識の人も多いだろうが、
NFPはその間口にもなる。
大麻が覚せい剤の入口になるみたいに」
「うわあ。その未来、嫌だ、すごくありあり想像できる。
うわあ、サイアクだな」
サイアクなのだが、
嫌悪感を共有できたことで気分はマシ。


トキノの大筋が書けた。
ヤッター!
手応えある。
こっから推敲。まだ完成には時間かかるなあ。
でも時間かけるだけで進んでいく段階に入ったといえる。
時間かければかけただけ完成度も高まる。
なのに寝る前の30分は原神にあてた。
これが今の自分なのだな。

毎日少しずつ読み進めている昭和史、
ようやっと戦後処理に入った。
こっから特需、復興、高度経済成長期と
昭和のフィーバーが始まる…。


2022年02月01日(火) 理想的夢想の妄想、三島と石原、男像

晴れ。
寒い。あと2週間…あと2週間経てば気温が上昇し始める…。
花粉も飛び始めるけど…。

弁当はゴマ油で鶏もも肉とキャベツ炒めて
醤油塩砂糖オイスターソース黒酢入れて
ジャーッと強火にして水分飛ばしてできあがり。


夢想、理想、妄想。
出勤途中にも思うようになった。
どこを歩いていてもマンションがある。
そこでフラリと立ち寄って、
任意の部屋にオーッスと入っていてたらいいよなあと。
そういう部屋があったらいい。

やっぱ出入り自由が大事だ。
お店のいいとこってそれよね。開かれてる。
今からいいっていい?もないし、
ピンポンもない。
勝手に行って勝手に入る。勝手に帰る。
あれがいい。

本音の本音で、
今自分がやりたいことを真正面から捉えてみると、
来た人間に食事を振る舞うハウスの住人になりたい。
ここに来ればタダ飯にありつけるという空間。
貧乏学生も落伍者的なおじさんも
生活に倦んだ人妻も
趣味をこじらせた独身男性も
ここには何かあると信じてやってきた会社員も
暇をもてあましたフリーターも
小腹を空かせた子どももやってくる。
社会的弱者のアジール…という志向性を
帯びてしまうかもしれないが、
そのくらいのコンセプトを置くわけでもなく、
ただ、歓待の現場がほしい。
それは自分がほしいから。

ああ…こう恥も外聞もなく書き出してみると、
本当にそれは、夢のような空間だな…。
なにかこう、噛み合っている。
自分の理念と嗜好と生き様と目標と
能力と立場と…噛み合っている。

一時期カフェを運営したい、と思っていたけれど、
あれは目的じゃなくてきっと手段だった。
本当の目的意識はこちらだ。
家族でも友達でも仲間でも客でもない、
でも他人でもない、
そういう人間たちと
“そのときどき”で関係性を形成しては洗い直していく、
これが僕にとっての聖域だ、きっと。
いつかはできるんかな、
とりあえず目標が見えたから
そのいつかへ向けてやることやっていこ。


我が社にとうとう新型コロナの陽性者が出た。
よくここまで持ちこたえたなという感じ。
こっからボロボロいくんだろうけど。
第一号となる彼は営業部所属。
僕の部署とは関わりがほとんどないが、
まわりまわってということならば
どうとでも感染ルートはある。
今は互いにマスクをした上で同空間にいるだけなら
濃厚接触者とは見なされないらしく、
その基準に甘えて会社は何も手立てを講じないようだ。
なめとんのか。


多くの人にとって
血縁の家族が一個人として軽蔑の対象だったり
相容れない仲だったとしても
家族は家族として認めざるを得ず
捨て去ってしまいきれないように、
国においてもそれは似たようなことが言えると思った。
つまり、よくカンチガイのナンチャッテ左翼が
日本への不満、愚痴を並べて
アメリカではどうのドイツではうんぬんと語る様に対して
「じゃあ日本を出ていけよ」
って意見が飛びがちだけれど
生まれも育ちも日本なら
生半可な絶望ではそうそう捨て去れるもんじゃない。
それを、家族への意識と結びつけてみると納得しやすいと思った。
ふと思っただけで、だからどうって話じゃないけど。


帰り道は小説を読むつもりが、
妻の構って攻撃に負けてしまいクイズに付き合った。
妻が頭のなかに思い浮かべたキーワードを当てるというもので、
少ないヒントからガンバッてアプローチしてみたが、
一問目の「食べ物四文字」「タから始まる」(たこ焼き)
二問目の「漢字一文字読み四文字」「ある生物と組み合わせた慣用句がある」(餞)
三問目の「食べ物四文字」「私が好きな料理」「パ行から始まる」(パエリア)
いずれも最終的には答えられたものの、
カンが悪いなと思ったと帰宅してからなじられた。

夕飯は炊き込みご飯。
市販の混ぜて炊きゃあいいという製品に
昨晩からもどした干し椎茸とニンジンとタケノコを刻んで入れる。
醤油とみりんもすこし足した。
副菜の茄子は天ぷら風にした。
これにサラダと味噌汁。
うーん美味しい。
ちょっと多めにしたのにペロリだ。


石原慎太郎がお亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。
やはりというか巷では功罪が話題になっている。
功罪。清濁。賛否。
プラスマイナスの絶対値が大きい人。
べつに取り立てて好きってわけじゃないにしても、
総合的に魅力のある存在であったんだとは思う。
しかし文学者としてはあまり触れられていない。
僕が印象深いのは三島由紀夫との対談で、
後輩にあたるものの意見をガンガン衝突させてて、
三島はユーモアにまぎれさせつつも
「君が共和制をとったらおれは君を殺す」
「ちょうど今日は真剣も持参してきている」
みたいな剣呑な言葉を向けていて
かなりヒヤヒヤする内容だった。
あんなに緊張感のある対談見たことない。
いや書き起こされた文章を読んだだけだけど。
でもその場に立ち会わせられているような臨場感があった。
そのちょっと後に楯の会で例のクーデターまがいと割腹やってるから
冗談が冗談になってないんだよな。


週末にネットから注文した荷物がどかどか届く。
一通り開けて、防災避難用リュック、サブのリュック、
スーツケースにとりまとめていった。
どえらい量だ。
それも6月にはまた開けて、見直さなければならない。
しかし、ただただリスクを回避するためとはいえそれでも、
ちゃんとしてるなあと他人事のように感心してしまう。

入浴前、中、後に三島の対談集をパラパラと読み直した。
つくづく面白いな…。
二十歳そこそこの頃に読んだ頃よりもずっと内容が汲み取りやすい。
ただ二十歳そこそこの頃の吸収力が当時めいっぱい
吸い取ってくれた成分を下地にせしめたから今これだけ読めるともいえる。


男の行く先、女の行く先について、妻と話をした。
妻の弁としては、
女性はこれからも女性の立場を向上させたり
守ったりするために戦い続けていくだろう、
しかし男性の方は自分たちを守るために戦えるのだろうか、
女性にはそのために戦ってきた歴史があるからいいが
男性の方にはその術法が蓄積されていないから
かえって困るんじゃないか、という。
ごもっともな話だ。
僕は、男性と一口にいっても、
大雑把に言って僕らより上の世代、僕らあたりの世代、
そしてこれから下の世代といる、
それぞれにとってこの問題は変わってくると整理した。
「下の世代だね。これから大人になっていく男の子たち。
彼らはすごく大変だと思う。
頭悪いような言い方しちゃうけどさ、
カッコイイ男って何?なんだよ。下の世代にとって」
なかなか深みのある論題に思えたので考えてみることにした。


明日は早起きする必要もないからと、
のんびり1時ごろ就寝した。


2022年01月31日(月) 仕事の悪、根性論、対応諦めない従業員

晴れ。
月曜の朝は気力充溢でもないしなんだか慌ただしい。
弁当は角煮を温めて詰めるだけなのだけれど
冷めると豚バラの脂…ラードが白く個体化してしまうから、
自分の分はもうそれでいいとして、
妻の分は弁当箱に詰めずに
飯どきに温めてもらうことにした。


出勤して即、営業から大きめのミスの報告が入った。
すでに印刷所で刷った本の片ページが、
本来あるべき位置より数ミリずれている。
僕はその仕事にはノータッチだったのだが
たまたま担当から免れていただけで
自分が携わる可能性も十分あったから肝が冷えた。
ただ今回のクライアントは特例的で、
セミプロのほぼ個人といえる相手だったから、
大事にはならなかった。
これが大手出版社相手なら大事故だ。

…しかしそれがなんだってんだろう。
見る人が見ればわかるというズレ。
本来あるべき仕上がりが達成されていないという点で
仕事としてはアウトなわけだが
本の内容を何も損ないはしていない。

うちの会社はそうした細かい部分を調整するという業務を
請け負っているから、
その需要あって成り立っている会社ではあるわけだけど
本来的に立ち返ればそれがなんだってんだろう。
何にも社会に貢献しない。
むしろ窮屈にしている…反対のことをしている…
数十年前だったら何ひとつ問題になることのない事柄。
それを厳正に厳正に、自縄自縛的に勝手に厳しくしていって、
その結果がこれだ。
どうでもいいんじゃないか?

反論はいくらも浮かぶ。
というより、なんだかんだいっても後進を育成するにあたっては、
尋常であればどうでもいいとされる細部にこそ意識を払うべき、
また意識せずとも注意できるようにと僕自身戒めてはいる。
しかし俯瞰で…遠大に見通してみたときに、
これは窮屈な社会像の形成に加担してしまっているといえる。

しょうもない仕事だなと呆れかえる。
そっから銭を得ている自分が恥ずかしい。
これだけの自覚があるのに
なんだかんだ理由をつけて辞めてないし。
自己嫌悪ループ。


唇がひび割れている。
カサカサに剥けているわけじゃないのだけれど
中央部あたりがぱっくり割れてしまっていて
笑ったり食べたりする際に口を大きく開くと痛い。
舐めてりゃ治る、ってつもりでいるから放っておいてる。
気合でなんとかする。

根性論、精神論というのは馬鹿にできない。
世にはびこるエセ合理主義の連中は
すぐにコスパなどといって物事を判断しようとするが
根性ほどコスパに特化した機能もそうそうないのだ。

幸福、不幸、満足、不満足、などは
損得勘定のうえで相対化しうるが
最終的には主観に還元される。
その主観のほうを捻じ曲げてしまえ、
という解決方法は驚異的なまでに合理的だ。
何度でも繰り返すが、
感情は定数化しにくいだけの変数に過ぎず、
式の中に組み込めるものだ。
精神や感情を 理 の外に置いてしまうエセ合理主義者は
その方程式を組み立てられない時点で
自らエセである証を強めているようなものだ。

悪名高いうさぎ跳びにしてみても、
その効果が望みにくいどころか肉体への悪影響があると
科学的見地から明らかにされたところでなお、
やる、やらせる意義はある。
もちろん場や相手によって理非は問われるが、
「だから意味がない」というアンチョクな切り捨てをする
エセ合理主義屋は考えが足りない。
鍛錬者にとっての目標を
「その競技において最上の結果を出す」
と決め込んでいる。
だが実際にはその後も言葉が続く。
「最上の結果を出すことによって…を得る」
となるはずだ。
それは自己実現、栄誉、金、異性、なんだってあるだろうが、
そこからさらに言葉は続く。
「…を得ることによって…を達成する」
さらに
「…を達成することによって…をすることによって…を……」
こう続けていくと最終的には主観による態度が待ち受ける。
精神論はここで作用してくるのだ。
必ずここに影響する。

ちょっと論が弱いか。
もーちっと詰めよう。
あくまでここはメモ書きの場だからな。


夕方図書館から電話が入ってきた。
十中八九、本の取り寄せができたとの連絡だろうと踏んで、
仕事中でもあったから出なかったのだけれど、
1分くらいかかり続けていた。
平日の、夕方とはいえ17時前で…それでも諦めないのだな。
で18時半過ぎの休憩時間に折り返しの電話を入れてみた。
「おそらく取り寄せの件だと思われるのですが」
「少々お待ちください」
こっから4分ほど保留のまま放置された。
そんなことがあるのか…と待ち続け、
ようやく事情の明かされたところによると、
現在システム障害が発生しているとのこと。
どうあれ週末にはまた図書館に伺うし、
まず取り寄せの件なのだろうし、
またそれでなくても緊急性があるとは思えないからと
もう打ち切りたかったのだが向こうが諦めてくれない。
全然苛立ちはしなかったけどややまいった。
早く自席にも戻りたかったし…。
そして結局は取り寄せの件だった。週末に行こ。


あと従兄弟から電話がかかってきた。
こちらも仕事中だったから出れず。
21時50分ごろなら可能、それ以降でもOKと
LINEでメッセージを送った。
で実際には21時30分には連絡可能になった。
というか、最寄り駅から自宅への帰り道の20分弱の間を
この電話にあてるのが最も都合がいい。
折しも妻から、気分が不調との連絡が入っている。
帰宅したら妻を第一にしたいところ…であったけれども、
イトコはじゃあ22時頃にかけますとの返事。
こちらが、それ以降でもOKと添えたのを受けての返事だから
まったく問題はないのだけれど
正直21時半からがベストだ…しかし向こうがこう返事してきた以上は…
とぐるぐる考えて
結局22時の電話を待つことにした。
向こうの都合を優先。

21時50分に帰宅。
妻の気分をなだめて、夕飯を作りながら連絡を待つ。
22時1分に着信。
2月下旬に予定していた結婚式は
コロナの影響をかんがみて延期するとのこと。
がどの月も埋まっているようで、
予定は12月25日となったらしい。
その連絡を一軒一軒にしているわけだ。
タイヘンすぎる…。簡単な言葉でだがねぎらった。


夕飯はうどん。
昨日の昼もうどんだったけど構わん。
なにしろ昨日鶏むね肉を茹でた出し汁が残っている。
豚バラの下茹で汁もブレンドしてあるしなあっ。
さらには白菜まである。
だいぶ薄味になってしまった。
妻は相変わらずぶっかけを所望したから従った。
でも大根おろし添えるのを忘れた…。


図書館の件を話してみた。
その流れで、なんらかの販売店で
店員さんに商品の置き場を探してもらう際にはカッコで
(あなたがその場所を把握していてすぐに示しうるのなら)
と含意を込めるよね、言えないけどね、
そして伝わらず結局は長々と探し回られたりして
申し訳ないわ
ないならないでいいのに待たせないでくれと苛立つわで
もう散々、ってありがちだよなという話をした。


この前図書館で借りてきた本に
万葉かなの本があって
そっから妻が
 はろはろに
という言葉を紹介してくれた。
意味は忘れたがスバラシイんじゃないでしょうか。
はろはろに。
音だけでも。


れどれ |MAIL