舌の色はピンク
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2022年01月30日(日) 名付け検討、口論、人生の祝福

晴れ。
休日トースト、日曜美術館。
月岡芳年。
幕末の時点で人気の浮世絵師で
明治入ってからは
当時は写真もなく文字だけだった新聞において
絵で時事…西南戦争などを伝えられるから
各社からひっぱりだこだったらしい。
絵も良かった。色っぽかった。


図書館では妻のリクエストで名付けに関する本と、
取り寄せていた小川洋子の小箱を借りた。
一旦本だけ家に置いて今度はOKストアへ。
防災用の食品をあれこれ買った。
帰宅後、即風呂。
入浴後、最近読んでた本のスキャン。
これと思ったページだけを厳選して
iPadで撮影していく…めちゃくちゃ面倒だが…
ひたすらやる。


昼は焼きおにぎり。
毎回反省点を正しているから
目に見えて上手になっていく。
ただ今回、途中でサランラップがからんだ。
本体の方。
…もはや世間的にはありふれすぎてて
わざわざ不満の声すら聞かなくなっているが
それでもこれは人の気分を大きく害してくれるものだ…。
爪でガリガリやって、一周して、
まだダメで、…を何度繰り返したろう、
今回ばかりはもう諦めて捨てるのが最も賢明ではあった、
だが買ったばかりの50mものを今時点で捨てるのは
もったいないとかの気分や思想の以前に
モノスゴイ悔しさがある。
結局一点のヒッカカリがどうしようもなく
正常な状態に戻すのは無理だったが
異常なままでも意地でも使い切るつもりでいる。

焼きおにぎりは抜群の出来。
きれいな三角形にできたから
焦げ目も均等についている。
お吸い物の合うこと合うこと。


食後、妻とともに名付けの本を見て検討していった。
収穫らしい収穫はなし。
ただ妻が、徒然草に収録されている
鼎にまつわるエピソードを
ネットから拾って聞かせてくれた。
なんでも何をやっても笑いのとれない若者が
ウケ狙いで鼎(三本足の器機)を頭にかぶったら
もう全然取れなくなってしまって
こりゃもう鼻が削げても無理やり取るかうんぬんかんぬん
という…哀愁がベースにあるドタバタ劇。
ここへきて鼎が株が上がってもうた。


ネットで防災用品を買い足した。
コンロなどの大物をひっくるめて、2万3000円分ほど。
さらに、ネットスーパーで備蓄用の食品などを買っていった。
こちらも8000円ほど。
たぶん一人で生きてたら防災グッズなんか買わないだろうな。
食品の備蓄はまだしも。
でもこれが家庭をもつってことか。
こうして意識がはぐくまれていくんか。


夜は角煮。
いつもはたしか下茹での前に焼いてるが今回は焼かなかった。
まずは豚バラ肉に酒をかけておいて十数分放置。
キッチンペーパーで水分拭き取って
まるっとフライパンへ。
長ネギの青い部分とともに水から1時間茹でる。
その間に鶏むね肉も茹でた。
2週間に1回は用意してる。ほとんどサラダ用。1週間分。

バラ肉の下茹でができたら
フライパンで砂糖をキャラメリゼする。
一度火を止めて、酒とみりんを注ぎ混ぜる。
これに豚バラ肉を絡ませる。
色をまとわせたら、水、醤油、ニンニク、黒酢を入れる。
今回は黒酢をおおく入れすぎた。
なかなか酸味が飛ばない…。
が1時間茹でたらだんだん味が馴染んでいった。
そういやあ生姜を入れ忘れてしまったな。


夕飯まで間があるので
ミヤタクラジオを聞きながら原神。
幸せな時間だ…。
おたより、何度か送ろうか悩んだけど
結局送れていない。
自分がネットラジオしてたころは、
送ってくれれば内容なんてナンデモイーヨと思ってたけど、
いざ自分が出す立場となると
あーでもないこーでもないと苦手なんだな。
ただ今回話題にしていたのが
料理だったからこれならいけるのかもしれない。


小川洋子の小箱読み始めた。
この人の小説、
技術的に高度なことやってんなと
いつも惚れ惚れするんだけれど、
魅力の一つである奇想の部分は
イマイチのれないんだよな。
でも奇想を話に仕立て上げる構成力には感嘆。


日曜のお定まり、19時半から
ダーウィンが来たを見ながら夕食。
角煮めちゃウマ…
酸味もないしトロットロ。
即興で加えてみた白菜もよく合うこと。
これで生姜効かせてたらカンペキだったな。

ダーウィンはサメ特集。
サメよりもアジの群れが衝撃的だった。
海中に漂うアジの群れが
マグロやらサメやらに襲われて
ドンドン数減らしてって
さぁどうなるってところで
一匹のサメに群体ごと取り憑いた。
まさしく取り憑くという表現がぴったりくる。
祟り神的な。呪いの黒いモヤモヤ。
番組ではサメが服をまとう様に例えていたが
どう見てもアジが主役だ。
ビジュアルの衝撃が半端じゃなかった。
まんまと逃げ延びてたし。


食後、たまっていた読書メーター用の感想を書いていった。
今月は1日平均84ページほど読んでたらしい。
おお…けっこうな量を読んでるな。
全然足りないんだけどな。
アジール論、フーリエ、フーコー、
エスノメソドロジー、
日常的実践のポイエティーク…


久しぶりに妻と言い争いをした。
産休に入ってから漫画原稿を描く予定について
創作へのスタイルもひっくるめて口論となった。
ヒートアップしてから中断をはさみ、
二人とも謝るべきところを謝ってから
話はまとまったが、
「もう一人謝らなくちゃいけない相手がいるな」
と改まり、妻のお腹へ二人でごめんなさいをした。
荒々しい声を聞かせちゃって悪かったな。

お腹の子はまだ性別もわからないものの、
一旦は
 はゆちゃん おはゆちゃん
と呼んでいる。
名前が霊性の張力となるのだって実感としてわかってきてる。


妻に義母から電話。
縁が絶えるか絶えないかの関係である義父へ
どのように懐妊を伝えるかを話し合った。
どちらかといえば義父実家との関係性を
今後どのように結んでいきたいかが焦点となる。
おそらく僕なら最善の筋書きを用意できる。
だがそう作為的にしないでも、
なるようになれで済ませたいところだ。
人と人との縁を信じたい。
人生のたゆたいに祝福を求めたい。


2022年01月29日(土) 防災用品、セルフレジ小銭、ボランティア活動

晴れ。
休日トーストを食べ洗濯を済ませ、
10時を前に妻と西荻へ向かった。
神明通りを突き進み、珈琲売店で豆を注文。
その間に僕はTSUTAYAに寄って寅さんを借りる。
出たところで妻と合流。
セルフレジ会計のお釣りについて意見を伺ってみた。
「最近増えてきたセルフレジでさ、
小銭を入れるにあたってさ、
財布からチマチマ目当ての硬貨を取ろうとしないで、
毎回、ありったけの小銭を全部入れてしまえばいい、
という考え方があるね」
「あ。気づいてなかった。なるほどね…」
「そうすれば最適解のお釣りが勝手に出てくるわけだから。
人間相手じゃないからね、
別に多く硬貨を入れたって、時間差もないし。
でも、本当にそれでいいのかな?
なにか反対意見を出せるだろうか」
「とりあえず思ったのは、感染対策的にはよくないよね」
妻が即座に出した答えはなるほど納得できた。
人から人へと出回る硬貨は少ないほどいい。
僕の考えの方は、自動化に慣らされていって
アホに傾いていくという危惧だ。
それは単なる暗算能力の低下なんて話ではなく、
自身の力を発揮する機会を逸してしまうこと、
思考や判断を委ねてしまうことへの危惧だ。
だがこれはイマイチ伝わらなかった。
繰り返し語っていく必要があるだろう。

三菱UFJの口座から金をおろし、三井住友の口座へ預金。
共同貯金を二人別々の口座にしたから、
これまでよりも見た目の増え幅が少ない。
共同で見れば今日新たに10万円足されて650万円だけれど
実際にはそれぞれの口座に5万足されて325万円ずつ。
朝三暮四みたいなハナシだけれど…テンション上がんないな。


肉屋に行って豚バラ肉、鶏もも肉、
鶏むね肉、ソーセージを買った。
これで2000円近く。
でも税抜き価格時点から2割還元で
340円ほどの割引券をもらう。
とんでもねー割引率だただでさえ安いのに。

焙煎してもらった珈琲豆を受け取って、
帰り道、妻が花屋に立ち寄っている間、
暇を持て余して十数分間ずっと
地域活動センターの募集要項を見ていた。
地域参画型のイベント企画や
広報誌の作成など、できることはそれなりにありそうだ。
ただし任期が三年間とある。
コミュニティや地域課題の解決について、
それなりに本を読んできたから人よりは知っている方だと思う。
で、よく語られるハナシが、辞められたら困るという。
そりゃそうなんだけど。
軽い気持ちでボランティア始めようとして、
思ってたのと違うとか時間合わないとかで
急に辞めてしまう人は多いらしい。
実際、僕が手を出そうと思っても、
本当に続けられるのか、やはり見当がつかない。
そして家庭環境との折り合いもある。
副業やバイトではなく、
小遣いにもならないボランティア…
でも結果的にはこれが子育てにも役立つ、
そういう考えかたでいいと思う。
たださすがに、妻の出産を控えている身で
初めてのボランティア活動をガッツリ始めようとしても、
向こうも迷惑だろうから今は見送ることとなる。
でもいつかは、いつかはやったんぞ…。

いつのまにやら11時20分になっていたから
帰宅を前に電話で蕎麦屋に出前を頼んだ。
贅沢な話だ。
実店舗を今通り過ぎたところなのに、
コロナ禍で入店したくないからと電話して注文ときた。
帰宅してすぐ、妻は花の始末にアタフタしていた。
今日のメインはラナンキュラス。
色もあいまって乙女風味があった。

帰宅してから10分程度で出前は届いた。
僕はたぬきうどん。妻はせいろ。
妻用にトッピングで大根おろしを注文はしていたが
やや量がこころもとなかったので
冷凍してあった大根おろしを解凍して加えてやった。
一口もらったせいろは美味かったが
この店のたぬきうどんには敵わない。
美味すぎるぞこれは…。
冬の間にもう一回くらいは食べるつもりでいる。


午後はOKストアで買い物を済ませてから、
シュークリームづくりに勤しんだ。
今回はチョコレートシュー。
まずはチョコカスタード。
いつも通りにカスタードクリームをこしらえて、
チョコレートを溶かし混ぜて冷やす。

ちゃんとした工程メモ。
卵黄2コ分とグラニュー糖60gをすり混ぜて
コーンスターチ25g入れてさっと混ぜて
沸騰直前まで温めた牛乳250ml少しずつ加えて
こしながら小鍋にうつして
中火にかけてなめらかなクリームにして
もったりしたらバター入れて火を止めて
チョコ75gを混ぜる。
ラップして冷蔵庫へ。

ココアシュー生地。
薄力粉55gとココアパウダー5gを振るっておく。
全卵2コ分溶いておく。
オーブン200度に予熱。
バター45gを1cm角に切って鍋に入れる。
水50ml牛乳50mlとグラニュー糖と塩一つまみを加えて加熱。
粉類60gを一気に加えて火を止めて木べらで混ぜる、再び加熱。
生地を大ボウルに移して溶き卵を半量加える。
木べらで切るように混ぜる、馴染んできたら練り混ぜる
繰り返し…垂れるくらいにする。
シュー生地を絞り袋に入れて円形にこんもりと丸くする。
濡れた手で先端をおさえる。
たっぷりと水を吹く。
200度で20分、180度で25分、160度で10分焼成。

焼いている間に映画を見始めた。
寅さんシリーズ二作目。
…一作目の方がバツグンに良かったけど
母親の描写みごとだったな。
言葉では言い表しにくい関係性が
サラッと描写されていた。
はたして現代の作品で
あれだけ奥行きある母子関係を描けるだろうか。
寅さんの人物ありきだからなあ。

シュー生地はしっかり焼けた。
うっとりするような最高の膨らみ加減。
今回は上がけ用にチョコレートのグラサージュを用意した。
レシピも見ず、フライパンにドパッと砂糖を入れて加熱、
キャラメルにしたところで火を止めて
生クリームを混ぜ込み、
ブラックココアパウダー、
さらに刻んだチョコレートを入れて
よくかき混ぜながら
とろりとするまで冷ます。
本当はゼラチン、あと水飴も混ぜたら
もっとちゃんとしたグラサージュになるけど
今回はさぼった。

シューの仕上げ。
生地の上1/3をカット。
本体にチョコカスタードを絞り袋でこんもりと注入。
蓋部分をグラサージュに浸す。
粉砂糖を振ってできあがり。
なかなか見た目もよい。
味もよかった。
チョコレート尽くしだから生地が負けるかと思われたが
シュー生地も焼きたてはなかなか強く、
ちゃんと風味を堪能できた。


防災用品の見直し。
買うべきものがたくさんある。
今回は必要となるかもしれないものを
片っ端から揃えていく構えだ。
しかし全方位への備えはかなり難しい。
水害、地震、火事、その他…
なんの災害がくるかもわからんし。
そのときの状況もわからない。
ただ備えはあればあるほどいいということで、
片っ端から買う。
防災避難用リュックは2つ用意してある。
あとスーツケース。


夜は大根を、この前テレビで見たとおりに作った。
大根をカット。
十字に隠し包丁を入れ、面取りをする。
耐熱皿に水を入れて大根を浸し、
表面におでん出汁の素でかける。
濡らしたキッチンペーパーを乗せて
ラップしてレンジで数分温める。
そっから茹でる。キッチンペーパー乗せたまま。
10分ほど茹でたら火を止めて5分おいて味を染み込ませる。
味見してみたところ…美味しくない。
味はいい。
だが大根の食感がかなり悪い。
これが電子レンジによる調理のせいなのか
大根の品質のせいなのかわからない。
また作ってみるとする。

あとスタミナをつくってみた。
定食屋にある、濃いめの野菜炒めだ。
僕が食べたいのは、
両国の定食屋「きじま」の絶品スタミナ。
小学生のときの記憶を頼りに、
ごま油で玉ねぎと白菜とニンジンと
豚バラ肉ともやしを炒め、
醤油と水で溶いた片栗粉を入れてあんにして、
かるくコショウを振ってみた…が
当然ながら記憶の味には程遠い。
で、醤油を少なめにして
ソースを入れてみたら、かなり近づくような気がした。
こちらもまたチャレンジしてみよ。

連城三紀彦の白夜を読み切った。
中盤から後半にかけて
ガーッと読み進めてって気持ちよかった…。
一気読みは久しぶり。
ゼロからこの物語を構築できるのがホント圧巻。
フィクションの凄みを見せつけられた。


いろいろ刺激は調達しているけれど
トキノが書き進められていない。
でも焦らない。
いやちょっとは焦ったほうがいいのか。
でも焦らない。


2022年01月28日(金) 立てこもり中継、個人情報まるだし、世代交代速度

晴れ。
朝っぱらからニュース番組は
埼玉の立てこもり事件でもちきり。
と思ったらリアルタイムで確保。
犯人のパトカーで搬送され、
人質とされていた三人も救急車に乗せられていた。
それかも中継ですといって現場を映し出しながら
事件を説明していたのはNHKでも民放でも変わりなかったが
どう言い繕ってももはや中継の必要はない。
意味はないとは言い切れないが必要はない。
立てこもりと即時報道は
浅間山荘からの神話が永続している感じ。
そりゃ耳目集めるわな。数字とれるんでしょう。
今回の事件は、被疑者のご家族が亡くなった病院から
主治医と理学療法士、介護士が3人連れ立って
被疑者の自宅へ弔問にきたところに猟銃を発砲、
立てこもりとなったらしい、
そのあらましを聞いた妻がそういえばと語りだしたところによると、
10年ほど前に50代の息子が父親を殺害した事件があり、
その動機が、カナエという女みたいな名前をつけられたからだった…
「嫌だね、ネットで調べちゃうと。
本当は気にしなくていいんだろうけど。知っちゃうとね…」
と嘆いていた。


弁当は昨日の筑前煮。
あっためて汁気をぬいて詰めるだけ。
この汁気を抜かなかったばっかりに
過去なんどか煮物の弁当で失敗してきてるからな。
弁当から汁気が染み出してランチボックスはおろか
バッグ内の荷物が濡れてしまうのはとても悲しいものだ。
とてもとても悲しいものだ。


連城三紀彦の白夜読んでる。
他人の人生が書き連ねられているだけで面白いな。
よくいう小説の魅力に、登場人物の人生を追体験できる、
というちょっと浅薄な見方がある。
しかしまあ、個人情報が繊細に扱われすぎる現代にあって、
こうまでまるまると赤裸々々々々々々に
人物の人生を裏の裏まで見せてくれるというのは、
他人のプライバシーを覗き込んでる窃視の背徳感があり、
いやでも興味が湧いてしまう。
こんなに個人情報まるだしってことあるの。
漫画でも映画でもここまで執拗には追わないからなあ。スゴ。


思い出したこと。
この前テレビで
今の中高生に人気の芸人ランキングというのをやっていて
ものすごいこっ恥ずかしさを感じた。
テレビ番組の企画だからそうは見せてないけど、
そもそも今時分の中学生はそんなに芸人に興味ないでしょう。
だから名前を見聞きするだとか、
いつぞやたまたまテレビで見かけてインパクトあって覚えてたとか、
そんな認知度のレベルで票が投じられていったように思えるのに、
ランキング化したら上位が「中高生に人気」となる。
その大人たちの世界の狭さに恥ずかしさを覚えた。

でさらに思ったこと。
今どきは中高生に人気なのはYoutuberなわけでしょう。
…という認識ですらあやしいこと。
ここでポイントなのは後半ではなく前半。
「Youtuberかどうか」ではなく
「中高生」のところ。
僕ら世代が入手した情報からイメージを立てている「中高生」は
現実はたぶん、もう「高校生以上」だ。
2、3年で入れ替わっている世代のエスカレーターの速度に、
多くの大人はついていけていない。
ついていけなくてもいいのだけど
その自覚が足してないことが多い。と思った。


夕飯は豚バラカルビ。
肉屋で買った味付きの、焼きゃあいいやつ。
これをサニーレタスといただく。サンチュ風に。
コチュジャンにもちょっとだけご登場願って…。


Eテレで性と生の学問とかいう番組がやってた。
マスターベーションと言語学、というお題目に惹かれ
自慰を構造主義とかで解体していくのか、
記号論に結び付けていくのか、
それなりの期待を込めて見てみたけど
辞書的な語彙の領域の上澄みをさらっただけで
言語学でもなんでもなかった。
Eテレでこういう真似すんのか。
気分悪いぜ。


妻から
ハイサイおじさん
という曲を教わった。
志村けん扮する 変なおじさん の元ネタらしく、
沖縄民謡がベースにあるようだ。
沖縄っぽい曲とか楽器とか大ニガテなのだけど
(偏見ではなく生理的に)
これにはハマッた。
躁?ってくらいハシャギたおす男女の古いバンド。
そこに祭りとか祝祭の感があって
演奏している場を異空間にしていた。
ドラッグ的に脳にうったえかけるような侵食感がある。
これスサマジー。


2022年01月27日(木) 呪詛、安直の究極、江戸東京博物館

晴れ。
こう記録してみると冬ってだいたい晴れだな。
朝起きて晴れてるとそれだけで気分がいい。

弁当は牛肉と玉ねぎのオイスター炒め。
しかし牛肉が十分量ないし
冷凍保存してから日が経っているので
こちらは自分の分の弁当とした。
妻には冷凍ソースカツとしじみの佃煮。
トースト食べてゴミをまとめて着替えて朝支度完了。

腰はまだ痛い。
腰に負担かかるとわかりやすい信号が走る。
ビキキ って。
年か。これが。もう。
昔の芸人が脳内に登場して
 おし マイケル
と茶化す。
こちらで勝手にご登場願ったあげく悪いのだが
うるせえよと思う。


どいつもこいつも死んじまえという
小便臭い呪念が晴れない。
誰も彼もが幸せでありますように、
生の祝福にまみれて過ごせますようにと心から祈り、
またその理想に向けた社会の実現へと
接近させるような努力だってしているはずでありながら、
無差別的な呪いを膿ましている。

ブッ殺してやりてぇという少年的な攻撃性ではなくて
ただただ死ねというフレーズが無限発生するだけの少女的な呪念。

このテの膿みは珍しいものでもない。
そのへんのひとトッ捕まえても
心中漁れば似たような怨嗟が埋もれているだろう。
ただ、これを外へ表すとイタイとされる。
表すにもレベルがある。
公然と言う。
SNSでつぶやく。
ノートに書き残す。
裏紙に書いて捨てる。
誰にも聞かれない独り言でつぶやく。
心の中だけで唱える。…

うまくいかないことがあったら
やにわに
死ね、死ねというフレーズが湧く。
このとき、死ねという音韻が先立って、
実際の希死は想起されていない。
この際善悪とか小便臭さとかよりも問題なのは、
本来対話をはじめとした関わり合いや
心身の修練によって止揚させていくべき対立概念を
いっせいに無化させるために
死ね
という言葉が採用されている点だ。
安直の究極。
リセットボタンを押したがるガキの心理とさほど変わらない。

が、心の奥やどっかには、あるもんだ。
非論理的な呪詛が。
多少なりとも自意識に敏感な人間には。
それをむき出した者から叩かれるというのも難儀な話で、
僕は見て見ぬふりしないために、
受け入れるために、
自覚深めるためにここに書き残す。


江戸東京博物館が改修工事に入るらしい。
営業開始から30年経ち経年劣化が問題になっているようだ。
30年。
江戸東京博物館は僕が生まれ育った家から徒歩10分程度の場所にあり、
落成を楽しみにしていた覚えがある。
小学校低学年の頃にはよく通いつめた。
地下一階にある視聴覚コーナーは当時
入場料がかからないスペースで
ただ単に暇だったから、ただ単に冷房が涼しかったから、
よく友達と入り浸っていた。
東海道中膝栗毛を題材にしたスゴロク式のビデオ映像がお気に入りで、
飽きもせず何度も何度も堪能していた。
あの場所が喪われてしまうとなると
それなりの寂しさがある。
工事は4月からか。
3月中に一度行けたら…。なんとしてでも行きたい…。


夜は筑前煮。
干し椎茸は一晩かけてもどすのが一番おいしいけど
うっかり忘れてたから
水とともに容器に入れてラップして
電子レンジで2分半温めてもどす。
ごま油で鶏肉を皮目から焼き、
小さめの一口大にしたタケノコ、ニンジンを入れる
こんにゃくは別鍋でアク抜き。
しいたけは戻し汁ごと入れる。
めんつゆ、醤油、みりん、酒を加えて
20〜30分ほど煮る。
火を止めて5〜10分ほど置いて
味を染み込ませたらできあがり。

うめえ。


食後、どうしてもとねだられて
数字であそぼをを数話一緒に読んで、
それから子どもの名前の検討をした。
妻は古い電子辞書を持ち出して、
ジャンル別索引から花の名前やら
マイナー日本語を調べていた。
今日あがった候補は「鼎」。
女の子用ではなく、男の子でカナエ。
乗り気になったのはむしろ妻の方で、
提案した僕の方がやや尻込みしていた。
この感じには中国っぽさがある。
また、まず小中学生には読めないだろう。
どんな字であるか口頭で説明しがたくもある。
それに名に意を込められてもいない。
さいわいまだまだ時間はあるので、
これを候補と置きつつ、これからも探していく。


2022年01月26日(水) 寝坊、ユートピア、生と死、ロゴスへの反逆

曇り。
寝坊した。目が覚めたら8時10分。
スマホをマナーモードにしたまま眠ってしまったようだ。
20分で全てを完了させなければならず高速で動いた。
弁当はオムライス。
8分でチキンライスを仕上げて2分でオムレツ。
トーストを焼き、バター塗るのだけは妻に任せて、
着替えながら食べて着替えて顔洗って歯磨いて荷物まとめて
洗い物以外は大体やりきって8時半に家を出た。
やりゃできんじゃん。

オムライス弁当はしっかり美味かった。
あんな粗雑な作り方したのにな。


ユートピア。
我ながら惚れ惚れするアイデアによって
ある像が結ばれているが、
その像の位相をちょっとずらした第二案を夢想してみた。
あまり現実味はないけど。

それは一部の人には理想とされる二重生活、
「都市と地方にそれぞれ拠点をもつ」スタイルを秩序化したものだ。
都市生活に嫌気が差して田舎に移住はしたが、
週に一度なり月に一度なり、街に繰り出したりもしてみたい。
ということで、大都市を…わかりやすく23区を経済特区として、
住人を追い出してしまおう。
それ以外の、店舗を構える店は生きている。
飲食店も服飾店も雑貨店も歯医者もマッサージ屋も
宝石屋も本屋も不動産屋も建設業者も運送業者も
特区内の商業従事者はみーんな公務員となる。
江戸時代にならって木戸門を設えよう。
時間帯によって開け閉めされる。
人々は東京といういわばテーマパークに
「やってくる」こととなる。

言ってることはめちゃくちゃなんだけど
夢想ってのはめちゃくちゃでいいのだ。
核心さえぶれてなければ周縁なんぞどうとでもなる。
核心は、東京という概念から起こせる価値の
極大値の探求だ。
その無防備な東京像、とってもワクワクする。


21時50分帰宅。
ノータイムで夕飯。
っつっても冷凍パスタ。
あたためればできあがる。
しかし2コいっぺんにともなれば
10分ほど温める必要があり、
温めの前後1分ずつを勘定すると
自分でイチから作る時間とそんなに変わらない。
とはいえ二人前で二種類の味が楽しめるのは魅力だ。
妻は蟹とブロッコリーのクリームパスタを、
僕は牛挽肉と茄子のボロネーゼにした。
どちらも美味しかった。油っこくてな。


もっと生物が身近にあった方がいいという話をした。
正確には、死が。
都市生活では死を忌避するあまり
死に類する属性を排斥しすぎてしまう。
虫の死骸でも枯れた花でもそうだし、
老いでも病でも
町のゴミやガラクタでもそうだ。
死から遠ざかった位置を「正常」とされている感覚。
もっと死は生と地続きであると、
不分化のものであると見なしてやるくらいがいい。

これは僕にとってはロゴス市場主義への反逆だ。
何かと何かじゃないことを弁別しないこと。
境界をまやかして、あやふやにものを見ること。
名付けの少ない世界に希望を見出している。
少なくとも日本においては
これこそが希望に通ずるはずだ。
というより、これと逆の道こそが絶望に通じやすい。


寝る前、一緒に数字であそぼを読んだ。
大学数学はサッパリわからない。
数学科だった兄が当時
大学数学は高校までとは全く違う、
ほとんど哲学みたいな領域、
お前は数学と言えば計算と思ってるだろうが
別に計算なんかしない、
数字すらほとんど出てこない…
などなどとどこか誇るように愚痴っていたのを思い出す。


2022年01月25日(火) 有休、寅さん、電車内暴行、小論文

晴れ。
今日は有休。しかも予定らしい予定もない。
のんびり朝食。
弁当作らないでいいと朝が楽。

普段はじっくり見れない、NHKのアサイチを
妻と一緒にアホ面で見た。
シミシミの大根を30分で作るには。
そりゃあ電子レンジ使うんだろうとわかっちゃーいたが
番組では粉末状のおでん出汁のもとを大根に振りかけてから
キッチンペーパーをのせてラップして12分温めていた。
であとは10分煮て5分置いてできあがり。
ずっるー。
そりゃ美味いんじゃないのー。
でも今度やろう。


午前のうちにOKマート行って
また大量に食料品を買い込んだ。
帰宅後、入浴。
長風呂して読書。
それから洗濯。
できる家事を一通り終えて
しばし原神やった。

昼飯は焼きうどん。
キャベツとニンジン、しめじどっさり。
平日昼間に夫婦で飯を食べられるのは良い。
たらふく食らって、
眠気に耐えられないという妻を十数分だけ寝かせた。


映画鑑賞。
男はつらいよ。
子どもの頃に観光バス内の垂れ流しビデオで見たことはあるが
一本通して鑑賞した覚えはない。
何作か見てみるつもりでシリーズ一作目を見た。
渥美清すご…。
こんなにも鋭い口上切れるのか。
勢いづいたまくしたて、
たたみかけが気持ちいい。
寅さんの存在を理非ひっくるめてヨシとするには
現代に馴染んだ見方を一旦カッコに入れてやる必要があるが
そもそも解釈のコードが自分の中にもあると気づいた。
親だな。
あれは実母がヨシとしている人間像だ。

寅さん90分で見やすいし5作目までは見てみたい。
でも最高傑作と謳われる17作目も…。そこまでなっげえな。
週に2本見ればあと2か月。ならいけるか?


映画見終えたあとはちょっと読書して
ちょっとトキノ書き進めた。
夕方、妻が仕事を切り上げたタイミングで
西荻にDVDを返しに行…かなければならないはずが、
ここ数日賑わっている
「電車内で煙草を吸っている男を注意した高校生が
十数分にわたって暴行された」事件について
話し込んでしまった。
論点は世間での騒がれ方と同じく
・いかにも危なげな相手に注意をしにいったこと
・暴行されているのに周囲が止められなかったこと
この二点が軸。
僕はこのニュースが報道されてから、
全国の多くの家庭で
子どもをもつ親たちが
「だから危ない人相手に指摘なんかしないように」
といった”正しい”指導をしているであろう教育について
掘り下げて語った。
妻は、周囲の人間が行動を起こせなかった現実と
静観した判断そのものの妥当性を受け入れながらも、
それでもなにか動くべきだったと主張した。
「だって、その後の本人にとって全然違うから。
“あのとき誰も助けてくれなかった”って、
本当に、心に大きな傷を残すと思うよ。
仮に、暴行がいきすぎて亡くなったとして…。
親にしてみても、
“どうして誰も助けてくれなかったんだ”って、
絶対やりきれない。
それがね、”助けようとしてくれた人がいた”だと、
やっぱり、全然違うと思う」
起こった事実と結果のみならず
心理心情に重きを置く見方はいかにも彼女らしい。
世の中捨てたもんじゃないといえる希望か、
世の中やっぱりそんなもんだとする絶望か、
検討するまでもなく希望に寄せる方が
とうといに決まっている。


西荻へはDVDを返しに行くだけだったから
往復10分で済んだ。
ブランキーの不良の森が10分弱。
ちょうど1曲終わったところで帰宅できた。


東京、新規感染者数1万2000人超え。
2月末にある従兄弟の結婚式について
少なくとも妻が不参加となる旨を打診しなければならない。
僕の方はギリギリまでねばってみるつもりでいる。


夕飯は唐揚げ。
昨日の夜に冷凍してあった鶏もも肉を切りもせず
醤油塩コショウ生姜ニンニクの液ダレに漬け込んでおいた。
それを一口大に切っていき水分をとる。
今回はネギダレをかけていただくから
いつもよりしっかり塩分まみれの水分を取っていた。
ボウルに薄力粉をドバッと入れて
肉にまんべんなくもみこみ、
さらに片栗粉をドバッと入れて
肉の表面にまぶしていく。
ネギダレは黒酢と醤油に砂糖を溶かして
長ネギ刻んで入れて煮詰めたもの。
肉をフライパンで揚げ焼き。
両面5分ずつくらい、かるく焦げ目がつくくらいで
油をよく切ってできあがり。
山盛りのキャベツに乗せる。
おぉうまいぜ…。
うまいけど僕はネギダレのビショビショ感が
あまり好きじゃないからそのまま食べた。
が味の調整がうまいこといっていただけに、
そのままだとやや味が薄かった。
まあいいか。
本来は塩分抑えなきゃいけない身の上であるし。


だらっとなんとなくハートネットTVを見た。
健常者と障害者のふたりたび。
前半は男性同士、ヤンキーと車椅子生活者。
二人は旅先でALSの患者を訪ねていた。
車椅子生活者の方がSNS上で交信しているそうだ。
寝たきりではあるようだが自宅の設備が充実していて
視線の動きで文字入力ができ
即時読み上げ音声が出力されもするから
それなりのコミュニケーションがとれていた。
 できることは全部やっておくこと
というメッセージを送っていた。
グッときてしまった。

後半はギャルと視覚障害者。
見晴らしのいい拓けた場所に出てきて
一面に野原を見渡せる光景を見たギャルが
「地球の半分くらい見えるー」
と言っていて
これ出すトコに出せば
まぎれもない名言だよなあと感心した。
彼女にとって地球の半分くらいに違いなかったわけだし
この強固な主観は
詩の本質に迫ってる。


手作りのアジール、寅さんに言及している箇所だけ妻に読ませてみた。
面白い、と
大学一年生向けという感じだね、の二言。
貪欲さが足りない。


本読んでて小論文のことを思い出した。
高校の時きらいすぎた。
苦手だった。
当時すでにエラソーな文章は書き散らしていたし
能力的にはさほど問題はきっとなかった。
しかし、小論文という体裁、枠組み、望まんとするところが
とうとうわからなかった。
意味不明だ。
あと多分、あれって手書きだから
文章を構成する脳の回路がまるで違っていた。
そして一秒も小論文のことを考えたくなかった。
小論文て言葉見聞きするだけで吐きそうだったな。

寝る前に読んでる日本語が危ないの本で
ギャル文字やギャル文化について文人らが
トークをしているさなかでの
高橋源一郎の言が面白かった。
「eggというギャル向け雑誌を購読してみている」
「読者投稿によって成り立っている文化がある」
「数年間追い続けて本を読んだ感想という投稿が一件だけあった」
「読んだ本は”世界の中心で、愛をさけぶ”。」
「感想は四文字」
「『意味プー』」
「衝撃と感銘があった。こんな簡単な小説も読めないのかという驚き」
「そして実は、この四文字で批評が成り立ってるんじゃないかと…」
異様にツボにはまってしまい、しばらく笑った。
意味プー。
ああ、いいな。意味プー…。


2022年01月24日(月) 介護、市民的成熟、自己都合

晴れ。
月曜朝とはいえ明日が休みだと思うと張り切れる。
先週と同じくコーヒーは多めに入れた。
着替えはめちゃ厚着。万全。

弁当は牛丼風。
玉ねぎと牛肉いためて、
肉屋で牛肉買ったらついてきた牛丼のたれを合わせて
ただ煮込んだだけ。

朝イチでヤングケアラー特集。
中学生の頃から認知症の祖母とうつ病の母を介護してきたという
女性を取り上げていた。
直感的に、そりゃタイヘンだ、そりゃかわいそうだ、
といった感情が湧いてくるが、
それはつまり彼女の境遇を特別視しているからであって、
ほとんど「例外者」と見なすに等しい。
だが彼女の境遇はもっと身近でありふれているものであると
認識すべきだろう。
どこにでもいる、スタンダードな例であると。
そうしないと数々の取り組みから振るい落とされてしまう。

番組では、中学生の17人に1人が
ヤングケアラーであるという数字を伝えていた。
衝撃的だ。100人中6人か。
この割合は今後増える一方であるのは間違いなく、
覚悟しておく必要があるのだが
自分自身に覚悟が足りていなかった。
現時点でその数字は恐ろしい。

この先老人は増えるばかりであるし、
若年層は減るばかり。
医療の進歩は長寿化を促し
健康寿命をも延ばしうるけれども、
双方には大きな開きがある。
しかし医療の進歩は「いいこと」で、
長寿化、死を遠ざけうる可能性の検討も「いいこと」だから、
この流れを誰も止められない。

ヤングケアラーを支えるためには
衰弱しつつある行政の福祉サービスだけではまかなえない。
市民の一人ひとりが何かを諦めていかないといけない。
増税と言われれば多くの人間が憤るが
ことを単純化させてくれていると思う。
じゃあ互助的な地縁を結んでいけるのか。
日常的にボランティアに従事できるのか。
消費社会が日々絶え間なく刺激してくる欲望への刺激に耐えられるのか。
「何を諦めていける?」
この問いが迫ってきている。

僕はボランティア活動に従事して行きたくはある。
地縁だって深めていきたい。
何も望んでやりたいわけじゃない。
ただ、諦めの一環として、
見て見ぬふりせず向き合っていくために、
すべきだからやるという話だ。

多くの人が
社会とただ呼び習わしているその社会は、
成熟した市民を成員として構成されている集合体を
前提としているくせに、
自分自身の市民的成熟からは無関心すぎる。

でも考えの及んでいない未成熟な市民も
社会の立派な成員ではあるのだ…。

「人は思っているより多い」
と最近つくづく思う。
なかなか伝わりづらい観念だけどものすごい大事。


弁当美味かった。
自分で作る牛丼より美味かった。さすがにな。

関連会社でコロナ陽性者が出た。
とうとうって感じ。よくここまでもったな。
でも弊社には濃厚接触者なしとの判断で、
 みなさんも気をつけてね
で終わり。
せめて仕事に余裕のある人間だけでも
残業なしであがらせてやれと思うのだが放置。
遺憾ながら自己判断で後輩に定時で上がってもかまわないと告げた。
しかしこの後輩は
「かかっても無症状って話なんで…」
とノンキしていて
結果的に僕の勝手で帰らせたような格好になった。

わかっちゃいたけど物事の基準が自己都合にかかっていて幼稚にすぎる。
僕より歳上なのだけどな…。
なげかわ…し…。


帰りには西荻のTSUTAYAに寄って
映画1本を返すと同時に
寅さんをイヨイヨ借りた。
シリーズ一作目。
こいつ今の社会問題意識を解決はしてくれないだろうけど
糸口を与えてくれそうな気がするんだよな。

夕飯は明太子。
先日の妻の希望をかなえた格好となる。
しじみの佃煮。味噌汁。
美味しい…。しみじみ美味しい。
これに煮物がありゃあ完璧なんだけど。


食後、風呂入るのが煩わしくって
今朝考えた話を妻に聞かせたりした。
そして家を買うことへの戸惑いの気持ちも語った。
…社会善と自らの幸せとを調和させて、
どちらかに傾かずどちらにも折り合いをつけて相克していく、
その答えを出すのではなく絶え間なく答えを出していくことが
「大人」に求められる生き方だと思われるのだが、
社会善と自らの幸せは対立はあまりにも容易く対立する。
家なんぞ買って、安全圏でふんぞりかえってていいの?
って気持ちがある。
正直なところ、妻がいなかったら僕は、
あちこちの都市をまわって地域の事務所を訪ね、
あるかないかの賃金で糊口をしのいで
自分にできる手伝いをしていく、そういう生活をしちゃうと思う。
でも
自らの幸せ
を見限ってしまうのも問題だ。
人には、自らの幸せだって追い求めていいんだよと言ってあげたいし、
自らの幸せあってこその社会奉仕だよとも諭してやりたい。
なればこそ、それをいう自分自身が
"エゴイスティックな"幸福追求をあんまり手放してしまうと
説得力というか
理論に重みがなくなって
ふわふわしてしまう、きっと。


毎日いろいろ考えてるなあ
こんど一日くらいはなぁんも難しいこと考えんと
ただただ遊んだり呆けたりするお休みの日を設けてもいいかもしれない。
なんでもかんでも思考に結び付けられる今は
ある意味では絶好調だし別にそれで疲れたりもしないけど
メリハリはいるからなきっと。


2022年01月23日(日) 読書、アジール、老害

起きたら8時半を過ぎていた。ぐっすり。
よく眠れて気持ちがいい。
でもまだ腰が痛い。
グッと体を起こす際に痛む。
昨日よりはちょっとましになったくらい。


休日トースト食べて
さぁと動き出すこともなくだらだらとテレビを見た。
白井なんとかいう建築家。
渡仏しても勉強つまらぬとかなっちゃって日本戻ってきて
地方の小さい仕事をそつそつとおなしていたようだ。
当時の流行…モダニズム設計に反して
無意味な空間の多い不合理な建物を残している。
自宅は滴々居と名付けているがこれは雨漏れするからとのこと。
いや実に良い家だった。

ソファにかけながら本を読んだりして午前中はのったり過ごした。
寒い。
あんまり寒いから昼飯をはやめに作ることにした。
チャーハン。
ベーコンとキャベツで。
めたんこ美味かった。

飯食い終わって図書館。
返すもん返して、シュークリームのレシピ本借りて小川洋子を予約した。
OKマートで買い物。
結局吉野家の缶詰見つからんかったな。500円…。

妻は文芸同人仲間とオンライン飲み会。
僕はひたすら読書。
その時間の充実にあたっての位置を整える。
居間には一人掛け用ソファを二台並べているが、
一台を90度回転させてクッションをずらすと、
頭と腰を傾けて預けられるようになる。
そのだらけた、安穏とした姿勢で本を読んでいると眠気が襲ってくる。
あらがわず寝る。
起きたり読んだりを繰り返しながら30分くらいは寝たか。


夕方、掃除機掛け。
終わった後に、冷凍しておいたみかんをいただいた。
夏の給食でたまに出るのスキだったのよな。
食べにくいけど。やっぱり好き。


シャルル・フーリエのファランジュについて調べたい。
というかちょっと調べて興味を持ったから本で読んでみたい。
1620人程度の、自給自足の共同体。


Eテレの
ターシャの森という番組を見た。
ターシャ・テューダーはアメリカ人だったと思うけど
番組が取り上げていたのは北欧の一家? わかんねえな…。
三つ編みの似合うやたら可愛い幼女2名が
無口そうなお父さんと
ターシャの残したレシピを参考に
パンケーキみたいなのを作ってた。
見た目がかなり不格好だったのだけれど
幸せココにありという感じで
見せつけられたというな感があった。


夕飯はハヤシライス。
玉ねぎじっくり炒めて、
生のトマト1コ使って、
赤ワイン足して
オタフクソースも足して、
できあがりには生クリームもかけた、
味付けマシマシの極旨絶品の仕上がり。
さらにトロトロのオムレツでも乗せりゃあ
そりゃあ昇天ものの美味しさだろうけど
いかんせんカロリー激ヤバだからなそこまではできない。
でもお茶碗3杯分くらいは食べた。
食べ終わってから眠気。
わっかりやすく血糖値アゲアゲ。あぶねえな。


Eテレで美術番組。
抽象画描いてる78歳のおっさん。
フランスにおける絵画の賞で最高峰の栄誉を授かったりしてるらしい。
でも落書きにしか見えない。
あまりにありふれた月並な感想だけど。
抽象画、抽象画ね…。
おっさんは若い頃ピカソと対面する機会があって、
そのときこういわれたそうだ。
「私は1秒ごとに作品を創り出している。
お前とこう向き合っているだけで
その時間が失われている。
お前は私から生まれる作品を奪っているに等しい」
みたいな言葉。かっけえな。
おっさんがそれにどう応えたか、
おっさんの口述がヤタラわかりにくかったけど
要は目を逸らさなかったから
それで気に入られて
明日からオレんとこ来いってなったらしい。
でも40歳までくすぶってたとか。

もう長らくフランスに住んでフランスで活動しているそうだ。
ところが折悪しくコロナ禍でフランスに帰れなくなってしまった、
その期間に姫路の西島に行った一部始終を取材は追っていた。
この西島は日本神話において、
ここから日本という島国を形作られておりましてうんぬんと
宮司が説明していた。
で今はどうかといえば、
生コン採石のために禿山となっている。
それもまた今の日本を形作っていると思えば、
と宮司は肯定的に捉えており、
おっさんはおっさんで
ウンウンこれはこれで美しいとか言ってる。
でもおっさんは
社会全とか社会悪とかいうレベルじゃなくって
自分の美でしか審理していない。
経緯がどうであれそれに伴う問題がなんであれ、
今見えているその景色が自分にとって美しい……
ここまでいってると、いききってて良いなと思った。

おっさんは島に一つの小学校に赴いて(招かれて?)
子どもたちに絵を描かせていた。
20畳ほどの大きな画用紙2枚に、
それぞれ火の神、海の神というお題で
思い思いの絵を描かせる。
で一段落ついて子どもたちが給食食べてる間に、
上から思い切り水彩を塗りたくっていった。
子どもたちの絵が台無しに。
でもこれも、
自分の美しか見てないという点では良かった。
子どもたちの絵は糧。
大事なのは自分の芸術。いききってる。


妻が文芸同人仲間と話していて
次の同人誌のテーマをどうするか悩んだ結果、
アジールにしたらしい。
別に僕のものではないが、
それでも重要なテーマをぱくられたような意識が働く。
アジール。
時の権力が及ばない場所。
原初にはすべての土地がアジールであり、
権力機構による統治、支配の始まりとともに、
アジールは駆逐されていく。

現代の子どもたちに、
これという逃げ場のないのがカワイソーだと妻が言う。
しかしここにはパラドックスがある。
子どもたちにとって大人たちの目が届かない逃げ場が
もし本当にあるのなら
それは大人たちにバレていないわけだから、
こうして間抜けにも僕たちは、
逃げ場がなくてカワイソーだね、と言いおおせてしまう。
という逆説が成り立つ。
そう言い聞かせてやると
自分なりに納得していた。


寝室では日本語文衰退の憂いみたいなテーマの本を読み進めた。
国文学研究者や中国史研究者、小説家、俳家といった
現代国語の関係者を多く集めて
彼らの意見を寄せ集めた
軸があるようなないような
芯が通っているような通ってないような本。
語ってる面白いんだけど、
現代への憂いみたいな部分には難がある。

老害、について。
もう10年くらいは前だったか、
現代的価値観に対応しきれていない年配者の振る舞いや難癖を
老害
と名付けて反感の共有ができたところまではよかったにせよだ、
今や「老害的なもの」を片っぱしから「老害」とレッテル貼りしてしまい、
明らかに行き過ぎている。
なんでもかんでも肯定するわけにはいかないが
なんでもかんでも否定的態度で臨む構えも愚か。
温故知新の言を持ち出すまでもなく
前世代の言には玉もある。
それを石々のなかから発掘せよという話でもあるし、
また「自世代の肯定」にも接続されるがこれについて省く。


それらをこんなにも踏まえた僕がなお思う。
この本、「老害」臭が強い…。
「だから今の若い人たちには想像力がないんです」とか言っちゃう。
いや、発言の切り抜きじゃなく全体の論に沿ってみれば、
僻見や牽強付会が認められるとはいえ一聴の価値はある、
しかしこんな語り口じゃ
“此岸の面々”の納得は得られても
“彼岸の面々に”一聴してもらえんだろうという。
一部のフェミニズムもそうだけど、
「向こう側に声を届ける」にあたって
声を大きくすることばかりが取り沙汰されて、
耳を傾けさせる態度にかけているのは問題だ。


読書、読書、読書。
読書量が足りない。
全然足りない。


2022年01月22日(土) シュークリーム、映画、夜散歩

晴れ。8時起床。
どっさり洗濯して干したら
OKマートへお買い物。
防災用のつもりで食料品をかなりの量買い込んだ。
吉野家の牛丼缶詰を2コ買った。
ほぼ5割引でも490円。
ただし2024年までもつ。すげえ。
と思ってたら帰宅後、1コしかないのに気づく。
会計後、商品を入れる際に落としてしまったかと、
一応店舗に電話を入れた。
届いてはないが、もしそれらしきものが見つかったら
電話をくれるとのこと。
忙しいところに申し訳ないが490円はデカイ…。


昼飯は焼きおにぎりと先日の豚汁。
鯛味噌でこんがりと。
午前中に見たEテレの料理アニメを信じて、
一度両面を焼いてから味噌ダレを塗って再度両面を焼いた。
たしかに形が崩れず、かつ美味しくできた。
晴れた日の和室に
焼きおにぎりと豚汁の湯気はよく似合う。
気分のいい休日。


午後、西荻へ。
肉屋で肉を買い、古本屋を見て、
八百屋で野菜を書い、TSUTAYAで映画を借り、
そっからさらにもう一つの古本屋へ行って、
でリサイクルショップでテレビについて相談。
家電の寿命は7年ほどという業界基準みたいなものがあるらしい。
で、
リサイクルショップに買いに来る人というのは
賃貸住まいの一人ぐらしが多く、
すると多くの賃貸契約が2年であるから、
買い替えを見越して最低でも2年は動くような製品を売りたい、
だから店が中古品を買い取れるのは製造5年以内のものとなる…
とても納得のいく説明だった。
うちのテレビは何も不具合ないけれど
もう10年経ってるからきっと処分には費用がかかってしまう。

帰り道、これまではたぶん休業していた古本屋が開いていたから立ち寄る。
けっこうカタメ。
久生十蘭の未読作が売ってたから買った。
さらに本屋に寄って本を買う。
今日は合計で4000円分くらい買ったか。
手作りのアジールが手に入ってよかった。
日常的実践のポイエティーク、
すぐ中古で見つかるだろと思ってたら全然ない。
新品で買うかな。


帰宅して、シュークリームづくり。
何はさておきカスタードクリームを用意。
薄力粉20gは振るっておく。
ボウルに卵黄2コと上白糖46g入れて白っぽくなるまですり混ぜる。
薄力粉を加えさっと混ぜる。
沸騰直前まで温めた牛乳265mlを少しずつ加える。
こしながら小鍋に移す。
バニラオイルを数滴加える。
中火にかけて木ベラで絶えず混ぜながらとろみをつける。
筋がしっかり残るくらいもったりとした状態になったら火から下ろす。
バットに広げてラップを密着させ、粗熱をとってから冷蔵庫で冷やす。

シュー生地。
まずは準備。
全卵2コを小ボウルに溶いておく。常温に。
薄力粉35gと強力粉35gを計量し、ふるいにかけておく。小ボウルに。
天板をキレイにしておき薄くバターか油を塗って、強力粉を薄くふる。
セルクル5.5cmを用意しておく。
絞り袋と丸口金、星口金、霧吹きを用意しておく。
・無塩バター 50g
・水 120ml
・塩 2つまみ
・グラニュー糖 小さじ1
・生クリーム130ml
・ラム酒 小さじ1
・カスタードクリーム 300g
・粉糖
それぞれ用意しておく。

1.バターを細かく等分に(1cm角に)切って鍋に入れる
2.オーブンを200度に予熱する
 ☆予熱完了後も必ず10分以上は熱しておく
3.水120mlと塩二つまみ、グラニュー糖小さじ1を加えて中火にかける
 ☆しっかり沸騰させる
4.粉類70g分を一気に加え、すぐに火を止めて木べらで混ぜる
 ☆全体がまとまってきたら再度中火にかけて、よく混ぜながら加熱する
5.鍋の底に薄く皮膜が張るようになったらすぐに火を止める
 ☆生地の温度が80度を超えると油脂が出てきてしまう
6.生地を大ボウルに移して、溶き卵を半量加える
 ☆木べらで切るように混ぜる 馴染んできたら練り混ぜる
7.全体がよく混ざり合ったら残りの卵を少しずつ加え、切る練るを繰り返す
 ☆卵2コ分より少なくて済むかもしれないし、もっといるかもしれない
  様子見ながら加減する
 ☆木べらから垂れた生地が、10cm高さくらいの三角形になったら生地完成
8.シュー生地を直径1cmの丸口金をつけた絞り袋につめて、
 天板に直径5.5cmの円形で8個絞り出す
 ☆こんもりと丸く
 →あんまり平べったくせず、立体的に(縦にも盛る)
9.濡れた手で先端を軽く抑える
10.30cmくらい離れたところから、霧吹きでたっぷりと水を吹く
 ☆生地を大きく膨らますため
11.200度のオーブンで20分、
  180度に落として25分、
 160度に落として10分焼く
 ☆オーブンの開閉は迅速に行う
  ☆焼成するまでは絶対に開けないこと
12.出したらケーキクーラーで冷ます
13.カスタードクリームをなめらかにしておく
14.中ボウルに、生クリームを入れてラム酒足して九分立てにする
15.カスタードを混ぜあわせる
 ☆泡立てず、さっくりと
16.直径1cmの星口金をつけた絞り袋に詰めて、
  シューの上三分の一をカットして(組み合わせが乱れないよう注意)、
  クリームをたっぷりつめる
17.粉糖かけてできあがり

だけど今日はさらに、クッキーシューにするために…
クッキー生地。
無塩バター40gをさいの目にして常温放置、
粉砂糖30gをふるっておき、、
薄力粉80gも別にふるっておいて、
全卵15gを常温にしておく。
無塩バターを泡だて器ですり混ぜ、
粉砂糖をを入れてよく混ぜる。
さらに全卵を少しずつ入れて混ぜ、
薄力粉入れてゴムベラで切るようにサッと混ぜる。
汁気がなくなったら生地をまとめて、
冷蔵庫で二時間寝かせる。前日に用意しておくのが理想。
二時間経ったら薄い円形に整形。
シュー生地の上に重ねて焼成すればクッキーシューとなる。

クリームはカスタードと生クリームを半々混ぜたもの。
これを焼きあがったシューに絞っていく。


夕飯前に映画見た。悪人伝。
マ・ドンソクが観たかっただけだけど…
凡作だった。
というか思ってたより娯楽映画にふりきってた。
音楽いらない。台無し感ある。
でもアクション映画としてならいるんだよな。
韓国ノワール映画の魅力って暴力にあって、
バイオレンスじゃない、むきだしの暴力が病みつき要素あって、
その象徴がマ・ドンソクであるのに
今作はいかにもバイオレンスだった。
これならアメリカ映画でいいんじゃないのっていう。
終盤も生ぬるいし。
ラストは取引の説明なくていいだろ…。
エンディングロールも音楽じゃなくて
暴行してる音とうめき声だけを淡々と流すだけでいいのに
なにかと勿体ない映画だった。


夕飯はお刺身。
妊婦だからと念のため絶っていた妻に付き合って
僕が口にするのも3ヶ月ぶりほどになるか。
冬の寒ブリ。
きくきく。
副菜として添えた大根はじっくり2時間にて
茅野だしの味をしみ込ませたもの。
美味しかったな。
味噌汁も同じだしでいただいて美味しかった。


クッキーシュー、ザクザクに仕上がって面白い。
砂糖溶かしてキャラメルがけにした。
めちゃウマ。
でもキャラメルの味が強くって
せっかくカスタードクリーム美味しくできたのに
(正確には生クリームと混ぜてるからクレームディプロマット)
風味が感じ取れないようになっちゃったな。
これならクッキーシューの時点で十分に美味しい。
でもキャラメルかけると見た目がグッとよくなる。


夜、妻と散歩した。
話題は主に、家の購入について。
こうした
スケールの大きい話、取り返しのつかない話、
自分の未来を規定していく話を
好まない夫像というのは世間にありふれているが、
自分もまたその一角だ。
そんなことよりも与太話か、
社会的不安についての分析、
世相、人文について語っていたいと思ってしまう。
しかし妻が懸念するように、
ローンの支払いを想定すると
家を買える年齢が迫ってきている、
確かにもう悠長に構えてはいられないのだろう。
だが都市社会学や都市史といった都市論を学ぶほど、
この「ローンで家を買う」という秩序体系自体に
反感を覚えてもしまう。
踏み切れないのは理念に因るところが大きい。

7分歩いて西友へ。
キッチン消耗品、
それなりに品質の良いマスク、
節分に向けて福豆とかを買う。
5%オフだったけど3000円越え。
出費かさんでるな。


男の子の名前が難航している。
コレ、という字や音がなかなか思いつかない。
なまじっか大量のフィクションに触れてきているから
すぐにコレはあの作品で見た、コレあのキャラを彷彿とさせられる…
とかいってすぐNGにしてしまう。
冗談交じりに、
 全一
という名前を出してみた。ゼンイチ。
全であり一。一であり全。
いいじゃん、と妻が笑う。
まさかな。
しかし我智(ガチ)は即座に否定されたというのに。


2022年01月21日(金) 腰痛、不届き者

晴れ。
豚バラ肉と茄子のバルサミコソテー。

ペットボトルの処理をしている最中に
腰をやった。
わかりやすく
 ビキビキッ
ていう。
ぎっくり腰だったら動けないレベルだろうから
それに比べれば随分軽い。
ただどの姿勢をとっても痛い。
歩けはする。ゆっくり慎重になら…。


最近よく THE BLUE HERB 聴いてる。
リリックがどうのというつもりはなく
とにかく声がいい。
曲もあいまって耳に気持ちいい。


来週の火曜日に休みを取った。
用事があるわけじゃない。
ただコロナの急速拡大に対して
会社が何一つとして措置を取らないから
自主的に一日だけでも出勤を控えておこうとする
いわば自助努力だ。
映画でもみよっかな。


弁当美味かった。
鉄板だなこれは。


東京新規感染者数9700人。
うええ。


帰りの電車、
空いても混んでもいない、
車両内にちらほら立ち乗客がいる程度の
混み具合だったのだけど、
僕から2,3mほど離れた位置にいた男性が
何かを落とした。
金属音。
しかしなんの音かまでは判別がつかない。
多くの乗客が音の鳴った方を見やった。
そこまでは日常の風景だ。
がしかし、何の音か判別がつかなかったせいか、
誰も彼も視線を切らない。
つごう1分ほど、そっちの方を見続けていた。

日常風景が変わってしまったのを実感した。
度重なる無差別殺傷事件とそれをとりまく報道、
わめきたてによって、以前よりも人々の警戒心は
あきらかに強まっている。
公共の場はもうすっかり安全ではない。
すくなくとも、安心できる場ではない。


あと駅についてからの帰り道、
暗い通りを歩いていると
自転車乗ってタバコ吸ってる不届き者が
すぐ横をよぎっていった。
まぁそれはいい。よくないけどいい。
それから1分ほど歩いた地点で、
側溝に捨てられている煙草を発見した。
まだ火がついている。
車も通ってはいなかった。
まず間違いなくさきほどの自転車男だ。
歩きならまだしも自転車からなら、
ここという吟味もせず投げ捨てたのだろう。
危ない。本当に危ない。
庭から伸びた枝葉、
道路際に追いやられた塵芥、ゴミに
どううっかり火種がうつるか知れたものではない。
この乾燥しきった真冬、たやすく火事になりうる。
しかしこんなもん完全犯罪だ。
ボヤが起ころうと、監視カメラもなしに
犯人の特定には至るまいよ。
いらいら…。
「いや燃えないから。火事とかなるわけないからw
心配しすぎでしょw」
みたいな態度とられようものならお前、おまえ…。
……。…。
暗い気分になった。


そうして帰宅してみると。
妻が伝説の少女漫画、フルーツバスケットを読んでいる。
今無料配信しているらしい。
読むほどに心がほだされていっている。
みんなイイコでみんな幸せになってほしいとのことだ。
そう言っている妻は全くひねこびてない。
今巷ではタコピーの現在が話題だが
これも読んだそうだ。
しかし子供が憂き目に遭っているのがつらいらしい。
フルバの方ははみんなイイコで、みんな幸せになってね、
みんな幸せになるんだよと繰り返し繰り返し呟いていた。


夕飯、ペペロンチーノ。
ベーコンとたっぷりキャベツで。
美味しい。
すっかり失敗知らずで美味しく、
味付けは申し分ないんだけれども
店の麺とは食感に隔絶の差がある。
レベルアップ計ってみるか。


夜になっても腰の痛み引かず。
ジンジンてレベルだから日常生活に支障はない。
これが始まりじゃないといいのだけど。


れどれ |MAIL