舌の色はピンク
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2021年05月31日(月) 平凡的月曜日

昼は昨日とっておいた生春巻き。
あと余ってたカボチャとサツマイモ素揚げした。
…せっかくの生春巻きなのに、
妻の弁当にチリソースを入れ忘れてしまいへこんだ。
自分の方には入ってる。

オリンピコー、今も先行き読めない。
中止を求める声もむなしく開催するんだろう、
が中止すべき状況に傾きすぎてる。
大会規模が縮小するようになってくるのかな。


原神、なんか再ハマりしてしまってる。
深層螺旋12層がクリアできてしまったから希望がある。
クリアっつっても星数は1だから先があるし。
で今はみるみる刻晴が育ってて楽しい。
先生のときほどじゃないけど。
あとリソース管理が好きなのかもしれない。
限りある樹脂をどう切り盛りして
天賦本にまわすかとか…
武器育成、レベル突破などをどの順序で進めていくかとか。
仕事の段取りと同じなんだよな。


仕事がひまひまだった。
流石にこう時間がありあまって
誰とのやりとりもなく過ごせているとストレスもたまらない。
やるべきことは見つけられるし。
面白いことに、文章はなかなか書けない。
いやお話の文じゃなければ書けるのだが、
お話を書くには、ダイブ感が必要だ。
職場でできるものじゃない。
そういうわけで、資料となるものを読んだり考えたりした。


誰をひいきしたりもせず、
誰に対しても一定の善意を向ける。
これはたしかに、理想的な綺麗事のようだ。
しかし、友情を否定している。
友情は特定の誰かを特別に扱う。
友情が美徳とされている限りは、
人々を平準化して相対することなく、
任意の誰かを特別視すること自体は認められるはずだ。
そこには自由もある。

友情も恋愛も、場所性に縛られている。
場所あって人と出会い、仲を育んでいくから。
この場所は、ネットワーク上でもありうる。
仮想空間でも空間と見なして、広い意味での場を考察しよう。


割拠を再開。5章目。
5章目はすでに書き終えてる。
6章目で心理学-認知バイアス、人口地理学-アドレスの話にもってって、
7章目でマンションの方に凸かな…。
でもこれだとビナが出てこない…。


帰宅して妻にチリソースの件をさんざん謝った。
あんまり僕が低姿勢だから妻は調子に乗った。
夕飯はぶっかけ。
めんつゆに醤油足してチューブ生姜溶いて
万能ねぎ、揚げ玉。
昨晩のうち冷凍しておいた大根おろしが解凍しきれず残念。
でもうまかった。


2021年05月30日(日) それでも善人に

今朝はフレンチトースト。
昨晩のうちに卵と牛乳に砂糖足した卵液に
食パンを浸しておいた。
バターで焼いて、うんま。
カロリーのお化けみたいなイメージあったけど
まぁアイスとか足さないならいいのかな…。
休日はいつも食パンの四辺をマヨネーズで囲って
卵を落として焼くトーストにしてるから
むしろマヨに比べたらましかもしれない。
フレンチトースト、本当は厚切りが望ましいけど
8枚切りでもじゅうぶんだったな。
厚切りにしたらその分だけ不健康だしな。


プリチャン最終回。
順当に終わったか。
やっぱクライマックスって難しい。
物語の盛り上がりとしてのクライマックスと、
エピローグ的な締めとあるから、
どうしても似たような演出でくどくなる。
今回はソルルとルルナが宇宙から贈り物して
それが桃山の脳天に直撃して
桃山が目を回してたのが痛快だった。
とうとう粛清かという感じで。
あと最後のライブシーンでは感極まってしまった。
来週からは桃山のナビで
シリーズの振り返りするみたいだけど…。

ミュークルは総集編。
残念だけど仕方ない。


ちょっと自前のwindowsのデータ整理した。
itunesの使い勝手の悪さは
もう本当に数えきれないほどあるし
その一つ一つが馬鹿極まるて感じで
むかむかして仕方ないんですが
アーティスト名をプロパティから変更する際に
勝手に
コロン;
が足される仕様はもう馬鹿とかじゃ足りないレベルで頭おかしい。
入力した時点で勝手に付け足されて
いちいち消去して
適用してみても
勝手に足されたことになっていて
別アーティストとして認識するって
もう
関係者一同全員絶対に二度と社会に出てこないでくれよ。
地面の下で一生恥じていてくれ。生涯を悔いてくれ。
そう呪わずにいられない。


飯は昨日の残りの天ぷら。
フライパンでそのまま焼く。うまい。


図書館へ。
小説借りたくてどれがいいやらねばったが
これというものがなかった。
小山田浩子という作家の小説が借りたくて
検索機では出てくるのに棚になくて
職員さんにたずねようが悩むだけ悩んであきらめた。

古本屋が20%オフだったからこちらでもねばったが
なにも買えなかった。
中国SFの三体読みたいのだけどな。
いま、ようやく古臭い日本文学ばかりでなく
新しめの小説読みたいって気分になってきてるから。

映画も空振り。
こちらは仕方ないか…新作が振るわなかった。

まぁあんまり作品に追われるような気分もなんだし
たまにはいいだろう。

スーパーの帰り、
ベンチが一つあるだけの小さい公園で
ちょっくら座って本を読もうと目論んでいたのだが
いざ公園の目の前まできて
幼児二人を連れた若い家族が先に入ってしまった。
せっかくの休日の憩いが…
という気分が一瞬だけよぎったけれども、
むしろ自分が鼻の差で先に入っていたなら
この一家は遠慮したろうし
結果的にはよかったはずだ。

で、感情と論法が同時に発生してるなあと思った。
自然発生といえる利他的な感情と、
利己を抑えるための意識的な論法。
前者は善意だけど、後者は偽善と呼ばれる。
これが同時発生していた。
「せっかくの休日の憩いが…」
の気分すら通過せずに前者の感情だけが発生してれば、
まぁそれなりに善人らしくはある。
だけど後者には後者なりの価値がある。
これは良識と呼ばれるものだ。
はたして善意の塊ばかりが人間的か?
エゴを自発的に押さえつける方が
立派とまではいかないがより人間的なのではないか?

芽生えた悪意、敵意、殺意をどれだけ押さえつけられるか。
自分はよくない人間である。
その認識を真っ向から受け止めて、
少しずつでも改善していこうとする働きが、
果たして偽善の一言で一蹴されていいものか?
善人になれない偽善者は
それでも善人に近づこうと頑張っている。
人間って、人間の尊厳って、こういうところでしょう。


住まいと仕事の地理学、おもろー。
人口地理学についての本は
タイトルにそう銘打ってるわけじゃないからだいぶ探しにくい。
この本にしても、人口地理学そのものを扱っているわけじゃない。
しかし内容は求めていたものだ。
人間が社会的に生きるためにはある場所に根差す必要がある。
ある場所は固定化されるのが望ましいが人間は静止画では生きていられない。
そこで地理的な移動が発生する。
というような観点から、人口地理学に興味を持ったのだった。
この本では歴史人口学の功績による、
日本の戸籍の歴史から人口移動の歴史を追ってくれてるので助かる。
でも理論はよわめかな…。
アドレスの話が出てきてくれてよかった。

アドレス。
第四の住所。
なるほど現代では人間は、住所が特定されにくくはなった。
ただし多くの現代人が、メールアドレスやSNSアカウントを取得している。
ネットワーク空間に内在するアドレス。
アカウントという、新たな人口概念。

アカウント。なりすまし。
戸籍。人物の同定。

場所。地理。
ある場所を占める人格の配置。

割拠。
「権力者が、各自ある地域を領有し、
そこをよりどころにして勢力を張ること。」
拠点の統一者が、ある場所を占める。
ほかの人格も居座るような場所で、強く占める。
他の人格の居場所を威圧するように。

まだまだ考えがまとまらないな。






















2021年05月29日(土) 今日は全然

産婦人科へ。
自宅で採精したブツは専用の容器に入れて、
薄いビニール袋で包んだら
 タオルにくるむな
 バッグに入れるな
 人肌で温めろ
と言われてたんで
来院時すごいそわそわした。
ただでさえ気まずい空間なのに
こんないかがわしいものを携えてきて…。
ちょっと待たされてから現れた先生に渡すと
温めなおすから10分ほど待っててくれという。
メシか。
で、その後一緒に見た。顕微鏡による生の映像を。
ほんとにたくさんのクリオネが泳いでるみたいだった。
じゃあ数えますね、と先生がカウンターを片手に目つきを鋭くする。
カチカチカチカチ!
びっくり。
一定の区画内で
元気に動き回るのがどれだけいるか、こうして数えるらしい。
産婦人科医こんな能力まで求められるんか。

結果は正常の範疇ということで、まぁ安心した。


帰って冷やし中華。
キュウリとトマトと錦糸卵。ハムはなし。
うまい。夏だ。

食後妻に誘われるままに
寝室でそよ風を浴びながら漫画を読む。
黄金のラフ。
やっぱり面白いなこれは。
ゴルフに興味ないどころか嫌ってすらいるのに楽しめるんだから本もんだ。
そういえば数日前に
あさひなぐを最終巻まで読みきった。
うーんよかったけど…
やはりインターハイ出場が決まるコクリョウ戦がクライマックスで
あそこで最高潮を迎えてしまった感じがある。
あぁあと作者先生のあとがきが感動的だった。


夕暮れ時を見計らってマルエツへ。
昨日赤黒い夕焼けに見入ったから
それを期待して。
今日のは地味めだったがこれはこれでなかなかいい空だった。
自然現象には小偉そうに品評与えてもいいからいいな。

帰りの川沿いの道で
初老のおじさんと
中年のおじさんが
ほんの一瞬すれ違って
 あっ どうも
 あぁこんにちはー
というやりとりしてていいなと思った。
このくらいでいいんだよな。
当たり前だけど、どのまちづくりの本読んでても
地縁を大事に といった意味のことが
さまざまな文で書かれてる。
それら一つ一つに
ウムウムまったくその通り
と頷いているくせに今の自分はてんでダメだ。
家の前で隣人の姿に気づいてないふりしてやり過ごしたりとか。
でも朝出勤時に近所の人らしき人が現れたら
おはようございまーす
と自分から挨拶はできるようになった。
ゴミ捨て場とか。
やはり挨拶はいいな。とくに攻めのあいさつはいい。


いいことをたくさん探していこう。
いいことはいい。


夕飯は失敗した。
天丼にチャレンジしてみたのだが
海老の品質も悪く
下処理も悪く
揚げ方も下手で
天丼のたれも適当にやったらだめだめだった。
ついでに用意した野菜の方はうまかった。
かぼちゃ、茄子、さつまいも、大葉、
玉ねぎとニンジンのかきあげ。


夕飯後親に電話。
兄はもうワクチンを打ったらしい。
やはり二度目がきついんだとか。仕事にならないとか。


今日は全然考えごとがはかどらなかった。
書きものも全然。
明日は…明日こそは…。


2021年05月28日(金) いらむか

毎日高円寺駅を利用しているわけですが。
途中で通る純情商店街が嫌いだ。
死に体の象徴みたいな道だ。
保険相談店、パチンコ、ハードオフ、タピオカ屋、
唐揚げ屋、携帯修理店、チェーン店、チェーン店、チェーン店。
シャッター街の方がましだってくらいだ。
かろうじて、精肉店が生きているのが救い。
20年前はまだ生きてたと思う。
まだ、ゴイステが歌ってた町だった。

店の入れ替わりが激しく、
そのたびにドンドンとゾンビ化していってる。
最新の店舗はこれもまたチェーンの中華そば店で、
いかにも安っぽい内装が恥ずかしい。
いや安っぽいこと自体はいいのだが
まっこと工場生産的というか、白くて無味乾燥で、
貸し会議室みたいなそっけなさなのだ。
合理性の極致というか。
一番の問題は券売機が外に設置してあること。
これにより、公道に人がたかる。
これが車道とガードレールで隔たれた歩道であるのならまだいいが、
純情商店街にガードレールはなく、しかし車は通るので、
単純に歩道が遮られることとなり、危ない。
ここへ進出するにあたり
市場調査を実施していないはずはないだろう。
入念な下見の上、経営戦略を練り、
券売機を室外に設置するよう決定したのだ。
汚い。

いまはコロナ禍の事情があるから
過密を避けるためという名目が通るのも気に食わない。
あけすけだ。
思い出したがマクドナルドも害悪だ。
人の並びを店舗外に突き抜けさせて公道に迷惑をかけている。
ラーメン屋の行列とくらべてたちが悪いのは、
レジに向かって並ぼうとするせいか、客は店舗から正面一直線に列をなしがち。
たいてい店側の誘導もないから迷惑なばかりだ。


産婦人科に予約を入れた。
明日ケンサ。
なんともまあ恥ずかしいこった。
事前にインターネットで予約を入れたのだが
診察の予約という項目しかなくて
検査を頼めるのか不安だったから電話をした。
「いきなり持ってこられても困ります」
なんてなったら立ち直れないからな。
ものがものだけに。
電話してみたところ問題はなさそうだった。
とはいえこの検査は事前にこう連絡いれることでスムーズになる、
といった意味の対応もしてもらえたから気が楽になった。


かかえていた業務が一通り片付き
ひっさしぶりにまとまった時間が確保できたから
大掛かりなデータのバックアップをしていくことにしたのだが
もう打ち切られている案件の
十年以上前のデータが大量にDVDケースで保管されていて
収納棚の限られたスペースの邪魔になっている。
外付けHDDをわざわざ買うほどのこともないからと、
念のため残しておこうというデータだけ分けてあとは捨てる、
その判断がつきにくければ上に相談してみる、
さらにはさいわい元々あるHDDを1つ空けられそうであるから
大量のディスクをそこへ移しかえればその分もスペースができる、
といった考えを
いつもの先輩にいつものつもりで話しても通じないから
ゆっくりゆっくり要点を繰り返して伝えてあげた。
「どおぅーなんだろうね」
ハイあほ〜。
いつもどおりの、あまりに予想通りな受け答え。
受け答えにもなってない。
どうなんだろうじゃなくて、明確にどうすべきか伝えてるのに。
なんていうか愚痴のレベルが低すぎて恥ずかしい。
もっとレベルの高い悩みならまだいい、
でもこれはお外に出せないというか、
あんまり出来事が幼稚で、
嘆いている側の人間の程度も疑われるお粗末さなのだ。

あと仕事のつきた後輩をあがらせてやってほしい。
ただでさえコロナ禍で、なるべく早く退勤させるようお達しすら下っているのに、
こちらから進言してすら、
「どおぅーなんだろうね」
と応えて答えたつもりになっている。あほすぎる。

でも陰口ひとつたたかず
むしろ庇ってやるつもりで
黙っていろいろ支えてやってたり
便宜をはかったりしてるんだけどな。
いろいろな面倒を請け負ってる。
さすがに馬鹿らしくなってきてるけど…。


ああ今日は昼飯がうまかった。
牛肉薄切りにタケノコ細切り加えて炒めて
しょうがチューブにんにくチューブ醤油オイスターソース
みりん砂糖塩コショウ!
5分でできる簡易版チンジャオロースって感じだ。
さすがにチンジャオロースには及ばないが
しかしまじうま。やば。

夕飯はサバの味噌煮にした。
醤油砂糖を加え生姜とネギを多めにすると
まぁ当たり前だけどうまい。
録画してたソーイングビー見た。
これまでにあなた方が裁断してきた衣類の端切れを
実はとっといたんでしたーっこれを再利用して服繕ってねー
って内容で
すげえグロテスクだなと思った。
フランケンシュタイン的というか。
衣服が身体の代替物みたいに実感できてこわかった。


2021年05月27日(木) どうするどうなるオリンピコー

ヨイジャナイ思いして
って言い回しがあった。母親に。
ふと思い出した。

僕に対しても使われてたし、
母が誰かと電話してる最中にもよく使っていた。
文脈からはなんとなく、
大変な思いをして〜
といった意味合いが読み取れた。

きっと二十歳を過ぎてからだが、
いよいよ放ってはおけんと発起して
直接訊いてみた。
「それどういう意味なの」
「あんたは言葉を知らないね。
容易じゃない、容易じゃないって、言うでしょ」
言うか?
よそでは見聞きしたことがない。
あわやケンカになりかけたが、
なるほど「容易じゃない」で「大変だ」かと、
なかなか面白く思った。
母は苦難や苦悩のニュアンス(「大変な思い」)で使っているから、
「容易」の字義からすれば明らかに誤用ではあるのだが
「大変だ」がニュアンスを媒介して意味合いを成立させている。

で、今日調べてみた。
「容易じゃない」は茨城の方言らしい。
母は埼玉育ちで、成人してからはずっと東京だから
どこでそんな方言仕入れて来たんだと訝りたくなる。
でも母の姉弟相手には通じているようで、ますます不思議だ。

しかしやはり、難事を示す意味合いにとどまるようで。
辛い目に遭ったといったニュアンスで
「容易じゃない思いをして」なんて言い回しをするとは、
どこからも読みとれなかった。


割拠、
ようやく参考資料も打ち止めってとこまできたから
いよいよプリントしたろかしらな。週末かな。
40枚分くらいにはなるんだよな。
1枚に本の選り抜き8P分くらい詰め込んでるから
単純計算で320ページの情報量か…まじ?
いやいや、これ少なく見積もってだ。
400ページぶんぐらいにはなるな。
…読んだなあ!
だからって褒められるわけでなし、
ちゃんと形にしなくっちゃあな。


東京オリンピックの動向がかなり見ものだ。
誰がどう考えたって中止だろうが、
といえるほど単純な状況じゃなく(当たり前だけど)、
結構の理由も中止の理由も肥大化しすぎていて、
どんな落とし所も正解じゃないし、
なんというか究極にバランスの取れた問題に仕上がってしまったと思う。
もともとが国家的大事業で、
多くの課題もはらんでいて、
そこへきてコロナがドーンとやってきて、
2020年に延期が決定してから
論点はますます複層化していって、
大会まで60日をきった今、
この問題は絶頂といえるほどの高みに達した。
当事者意識を可能な限り遠ざけてしまえば、面白すぎる。

おおざっぱにいって、
中止と唱えれば人道的な立場が確保できそうだ。
しかし、中止になった場合の経済的損失を鑑みれば、
それを理由とした人死にだって出るだろう。
それを理由とした不幸は無数に出る。
そこんとこの因果関係は厳密に立証しえないにしても
(決行しても経済的損失とそれを理由とした不幸は発生する)、
そう主張する立場の人はいくらでも湧くだろう。

だいいち、中止の責任をとれる人間がいない。
権限、代表の立場はあるだろう。
だが名前が置かれているだけじゃない。
そこにいるのは一個の人格ある人間だから、
責任などとれたものじゃない。
下にいる人間は一顧だにしないが、
(貶めたいときに限り、利益追求型といった都合のいい人格を調達する)
彼ら彼女らだって家族もいれば
寝る前にその日あったことを思い返しもする、人間なのだ。
知事も理事も利権屋も。
彼ら彼女らの見える限りの仕事が
下の人間にとっては
彼ら彼女らの人生そのものだが、
実際には、彼ら彼女らの人生は続く。
肩書を失おうと、歴史に忘れ去られようとも。
保守、保身的な打算を働かせるのは果たして姑息だろうか。
そう斟酌してやるのは行き過ぎた温情だろうか。
このあたりの
人間としてのぶれ
も、問題点の複雑化をブーストさせてる。


昼飯は初めての店。居酒屋かな。
飯屋のある区画の外れという立地で、
また今日はここにしておくかと9割がた心に決めつつ
5mだけ進んで大通り沿いも確認してみることにした。
その十数秒のタイムラグで他の客に先に入られたら業腹だなあと思いながら、
果たしてその重数秒で
ほんのわずかな差で4名客が入り口まできていた。
さらに、1名の単独客まで後ろに加わっていた。
最悪だ。
もちろんこの5名に苛立たしさが募ったわけじゃなく、
単に「先を越された」不運を嘆いているわけでもなく、
みそは
「予測できていたのにその結果になった」
てとこだ。

これ、人に言うとすぐ誤解される。
どうでもいいような、自明の、言うまでもないようなコメント返されたりして。
そこがまた腹たったりする。
対戦ゲームでよくある。桃鉄とか。
不利益のリスクを予測しながら、敢えてその一手をとる。
で、結果的にその不利益な不運が訪れた。
予見してようが、望ましくない結果に対しては、面白い気分になるわけがない。
だから、ちょっとはムッとなる。
そこへきて、「ほらあ」と余人がいう。

今回は一人きりだったから、余計なコメントを入れてくる輩はいない。
ただ、脳内で勝手に仕立て上げてしまった。
あまりにも過去の記憶が苛立たしいからだ。
先日書いた、「おやじぃ。」のエピソードも根は同じようなもんだ。
「そのときの正しさ」とも通ずる。

飯はうまかった。
が…
このお店は唐揚げのソースを
おろしポン酢か油淋鶏かお好みで選べる。
おろしポン酢で注文したのだが、
一口目の唐揚げのカリカリサクサクは感動的であったのに、
後半は過剰なソースにやられ
せっかくのからあげがビショビショ。
ソースを別添えにするか、
または二択じゃなくてソースは無しとか、
可能なら少なめとか、
そういうオーダーができたらいいと思うんすけどお!
と思ったけど口には出さない。
フロアの店員にいってもクレームみたいだし、
貴重な意見とも思われないし。
こういうとき客席にアンケート用紙でもあれば役立つのかな。
あったら書いた。今回ばかりは。
だってせっかくの唐揚げがビショビショ!
後半冷えてるししなってるし。
これが油淋鶏ならそういうもんですねって話だけど。


夜は牛肉ちらし寿司。
のつもりが、思いのほか涼しく肌寒いくらいだったから、
なにかあったかいものにしよう
と意気込んでスーパー行って
よくわからないまま
なぜかチキンソテーにしてしまった。
フライパンにオリーブオイルぶちまけて
鶏もも肉置いてアルミホイルかさねて
なみなみ水を注いだ鍋を重しとして載せる。
はじめ強火で焼いて皮をパリッとさせて、
あとは弱火で10分弱。
塩コショウを揉みこんどくのを忘れたからここで振った。
ひっくり返して5分。
その間にソース。玉ねぎ刻んでバターで炒めて
ウスターソースとケチャップと醤油と粒マスタード加える。
こっちにも塩コショウした。
肉の方の火は止めてあとは余熱。
うまかった。肉、柔くできた。


5月きもちい。


2021年05月26日(水) 書いている間だけは

まー
やっぱショックなんだな。
読んでもらえない、反応がないってのは。
ヘテロトピア、なかなかよく書けたと思う。
でも企画側からは無反応。これが現実だ。

馴れ合いとか、いわゆる駄サイクルみたいな輪が嫌で、
これまで避けてきたこの手の企画だけど、
その壇上にすら立てないとは。
というのがショックだ。

SNS上では何者であるかが求められる。
なんだかんだで、数を得ている方々は何者かである。
専門があったり、売り込めるスキルがあったり、
少なくとも人格的統一性…キャラクターがある。
面白いのに、いい文書くのに
数を得ていない…という人は、やはり何者かが読めないアカウントになってる。


作品を読んでもらうことに関しては、
宣伝、告知、
広くいってPR力の問題ともいえるだろう。

だが僕は宣伝を憎む。
広告社会への憎悪が根底にあるから
都合よくひるがえせない。
単に、かっこ悪いからヤダ、としているところも大きい。
それで読まれずに嘆いている方が余程かっこ悪いのはもちろん踏まえた上でだ。

天才の領分で遊んでいたいのだ。
思えばしばらくのあいだ、天才呼ばわりされていない。
呼ばわりは恒常的でなかったにせよ、天才扱いには慣れきってた。
才能を知らしめるだけの活動もしてこなかったし縁も紡いでこなかった。
だからって省みない。今でも自分の天才は疑ってない。
たたかってこ。
何もかもがにくいな。
これでいい。


関係ないけど
自分の得意分野で得意がって、大人ぶるってあるよなあ。

いい年してて…って言い草はだいたいそうだ。
品性。服、言葉遣い、マナー、対応、スキル、
まあいろいろあるけど
相当毛並みのいい手合でも
どっかしらは抜け落ちてる。
そこんとこ置いといて
人を非難がましく品評しだすからな。
ああはなるまいよ。

昼飯うまかった。
昨日つくった担々麺用のひき肉にナスを加えて炒めたもの。
醤油だけちょっと加えた。
あんなに嫌いだったナスを
こんなに好きになれるだなんて思わなかったと
何度でも驚く。

夕飯は冷凍しておいた牡蠣の炊き込みご飯。
それだけじゃなんだからと
余ってた蕪をバターでソテーして
思い出したようにニンニクぶちこんで
バルサミコ酢ぶっかけて
オリーブオイルちょいたらして塩コショウ、
思い付きで洋おかずになっちったけど美味かったな。


やりたいこと、やらねばならないことが多いな…。
昨日、おばから電話が入った。
父が死んで以来ほぼ絶縁している父方親族のおばで、
10年前に彼女を通じて生命保険に入ったのだった。
そっから保険は放ったらかし、毎月8500円くらい払ってるのに
健康そのもので一度も世話にはなってないから
保険とはそういうもの
とわかっていながら
もったいねー
って気持ちがやまないんだけど
いよいよ保険を乗り換えようとは思ってる。36歳を前に。
そのおばはもう当の会社はやめてるらしく、
でもこのまま放っておくと高くなっちゃうよと、
親切で連絡をくれたようだ。
僕は結局電話に出なかったが、母親は電話に出たらしく、
間接的に話を仕入れた格好となる。

引っ越し先を探すだけじゃなく
荷造りをちょっとずつ進めなくちゃならんのが心底面倒だ。
ものが多い。

菓子もつくりたいし料理もこりたい。
流星ワールドアクター進めたい。
原神も。
カラオケ行きたい。
しばらく描いてない絵も描きたい。
小説全然読めてない。
縁遠くなった友人と会話したい。
書きたい。

本命の前に気軽に一本書こうと始めた
『割拠』ですらここにきて手止まってるって参っちゃうな。
でもやる気が。
そがれて。

あーにくいにくいにくい。
にくさあまって
短編小説の書出し5本分くらい用意した。
ネタさえ用意しておけば、あとはお題または主題しだいで書き進められるしな。
書いてる間だけは呼吸できる。


2021年05月25日(火) 無敵の時間

やっぱ
男らしい女らしいを否定する観点がなっとくいかねー。
と急に思った。
既存の価値観、固定観念に縛り付けるなーて話なのはわかる。
それで、本来の自分らしさに蓋をされてしまうっていう。
でもそれごときに抑圧される個性って何だよとも思う。
それに、男らしさ女らしさは本来、美徳を謳っているものだ。
美徳の方までまるごと否定するのはもったいない。
男女ともに男らしさからも女らしさも
美徳を抽出してわがものにすりゃいいじゃんって思う。
歴史と風土から仕上がった素晴らしい美と徳があるのだから。
それとこの手の「受容」の問題、だいたい女の観点だ。
それがいい悪いってことは抜きにして。
もっといえば母親の観点だ。
(まさにジェンダーロール的な見方と批判されそうだがここには逆説のねじれがある)
我が子に優しくしたい、守りたい、のびのびさせたいという接しかた。
飴と鞭の飴。
今は、鞭が徹底的に非難される。女から。(逆説のねじれ)
つまり、我が子に厳しくする、責める、抑圧するといった接しかたは、
「今どき何言ってんの?」レベルで、相手にもされない。
…どちらがいいの悪いのじゃなくて。
どっちもがあって一体化するものだと思うんですねー。
どっちも肯定できないもんですかねー。
男と女は対立でいいんじゃないですかねー。
凸と凹で世代を紡いでいってるんじゃないんですかねー。

こんな暴論めいた主張、もちろんいかようにも、反論はできる。
ただ、反論できるからといって、即座に悪のレッテルを貼ったり、
無意味と一蹴しようとする、そんな輩どもには一切議論の土俵にあがってこないでほしい。


読書してるとき
文字情報が上滑りして
頭に入ってこないことは
誰しもにあるだろうけど
時たまそれが音楽みたいに作用してるときがある。
歌詞なんて聞き取れてなくても歌声は気持ちいいみたいに。
でも、なんとなく耳には残ってたりして。
本読んでてもたまに同じ感じになる。
読んでるけど読めてない、でもなんとなく頭に残ってる。
たいてい他の考えごと、自由空想ができてるから
それはそれで割といい時間なんだけど
繰り返し同じページを読む羽目に陥るのはありがちな悩み。


駅前の広場が形だけ封鎖されてる。
ちっこいバリケードに、
飲酒や宴会はご遠慮くださいとか
広場ではマスクはしてねとか
とにかく集会させないように注意した文言が
小さい文字でずらずら書かれた紙がラミネートされて貼ってある。
これを誰も読んでいない、
いや読んでないふりをして、
連中ずらずら集まって、酒を飲んでいる。

バリケードには立入禁止とは書いていない。
これって同調的なもんだよなあ。
だって他の人もやってるジャン
ていう。
すげえだせえぜ。
ああはなりたくない。


弁当めちゃんこおいしかった。
豚バラ肉と茄子を醤油とバルサミコ酢で炒めてブラックペッパー。
いつも目分量だから味は安定しない。
今日のはすごかった。完成形って感じがした。

夕飯もうまかった。
なにしろ担々麺。
市販の茹でればできあがるそれに、
豆板醤とネギとニンニクと生姜を炒めて
ひき肉とシイタケとタケノコ加えて
醤油とオイスターソースと塩コショウで味を濃いめに整えたものと
白髪ねぎとチンゲンサイを加えればもう最強よ。


空手バカ一代7話目見た。良回。
名だたる流派に誘われて上機嫌な飛鳥拳。
しかし自身の過激ともいえる修行法に難色を示され、
結局はどの流派にも所属できない。
彼が優勝した大会で解説者を務めていた
空手連盟の権力者が彼を嫌い、裏で圧力をかけていたのだった。
あえなく仕事に出る飛鳥拳。
京都で車屋をやることにして、いい修行になると精を出していたが
客に騙されて駄賃をもらえなくなった。
雨に打たれて笑い出す。おれは裏切られてばっかりだ。
そして幼いころ満州で近所のおじさんに拳法をならったことを思い出す。
彼は店で荒くれものに絡まれても低姿勢で、
すごまれたときには土下座して争いを回避しようとするのだった。
が、
荒くれものがそれでも手を出そうとしてきたときには
強烈な一撃をくらわしてノックアウトした。
やっちゃうんかい。
立ち上がって逆上した荒くれものに対して、またも一撃をくらわす。
おいおい…。
しかし彼は、ワカランやつには何度でも、わからせるまで付き合ってやる、
それができないならはじめから力をふるう資格はない、と弁をふるうのだった。
ウーン、すごい。
やっぱりりっぱな人だ。
飛鳥拳はその後、ただ乗りせしめたオッサンと偶然の再会を果たしたが、
彼のことを許してやった。
詫びの品もいらんといって突き返す。
もうこんな真似をしないならそれでいいと。
かっこつけやがった。
が、いいかっこつけだ。
間違いなく良回だった。


飯の後ちょっと原神やって
気付いたらまた石が溜まってたから
妻に恒常引かせてみたら刻晴出した。
今更感はあるけど…育ててみよう。
刻晴は広告塔みたいなところもあって
プレイヤーたちの間で
彼女面すんなよ
って扱い受けてるのが面白い。


帰りの電車で本読みながら

と一本ネタを思いついたから
夜に書きなぐってみた。
だいたい2000字くらいか。
細かいところと、中盤の中身ができあがってないけど。


/


理科の授業で落下速度について教わり、ぼくには無敵の時間ができた。
ぼくがマンションのベランダから飛び降りたら地面に激突するまでどれだけの時間がかかるのか計算するために、まずは高さを割り出すことにした。
おおよそ37mだった。おおよそ、というのは、落下する物体(ぼくのことだ)の中心部を定めかねたからだ。落下の始点にしてみても、ベランダの柵の上部からなのか足元にあたる地点からなのか、わからない。どうしたって誤差は生じてしまう。
計算式に当てはめてみると、どうやら自由落下ならば3秒とちょっとかかるようだった。
ところがこの計算式というのは、空気抵抗を無視した場合に限るらしく、現実には適用されないみたいだった。ぼくはインターネットと、理科の先生をうまく使って、ぼくの飛び降り時間をなんとか追い求めてみた。
3.6秒。
これが、ぼくの時間だ。
ぼくの手に入れた無敵の時間。

ぼくは何度も何度も、何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、延々、執拗に、
飛び降りている間の3.6秒間を想像してみた。
一度シミュレーションするのに3.6秒しかかからないから、100回試しても6分。
ぼくは一日に1000回飛び降りたことすらある。

ぼくは3.6秒を手に入れた。
この時間、ぼくは自由だった。
ひるがえって、3.6秒を使えば、ぼくはいつでも自由になれた。
体格にめぐまれた上級生から女の子を守ったことがある。
まともにけんかしたなら勝てるはずない相手だった。
そこで、3.6秒を使う。
今にも殴りかかってくる彼を前に、"ベランダから飛び降りる"。
3.6秒が始まる。
この時間、ぼくはなんだってできる。
何千回も飛び降りた経験のなかで、ぼくはなんだってしてきたから。
もちろん火を噴いたり、稲妻を落とすなんて真似はできないけれど、隣町まで聞こえる大声をあげるくらいはお手のものだ。動体視力は人並み外れる。落下しながら7階のカーテンの隙間からお姉さんの着替えを覗いたことも、6階のベランダのプランターからてんとう虫が飛び立とうとしている様子も、5階の手すりに染みた雨粒の名残を見て取ったことだってある。小学生のうすのろな大振りなんかくらうものか。あとはもう、3階地点にまで伸びた枝に手を伸ばす速さで一撃をくらわせればいい。
いや、きっと闘う必要すらなかった。
3.6秒の間なら、ぼくは目玉に指だって突っ込める。

昔、なんとかいう哲学者が、死は存在しないと言い切ったらしい。
自分が存在している間には死はないし、死が現れたときには自分は存在しない…そんなパラドックスを言いのけたそうだ。
ぼくはそうは思わない。
人間の一生なんて宇宙の歴史からしてみたら一瞬だって、テレビで誰かが言っていた。本でも誰かが言っていた。漫画でも、近所のおじちゃんも言っていた。
だったら、人間なんて全員、100年生きようが、即死しているも同然だ。
産声をあげたときからもう死は始まってる。人生は即死の最中に過ぎないんだ。

3.6秒。ぼくは無敵になれる。
3.6秒さえあれば、この先怖いものはない。
どんな退屈も、挫折も、苦労も、いなしてしまえる。
だけど16階住まいの義屋羅串くんが
「へえ、きみも計算家なんだな。ぼくは3.9秒だぜ」
とうそぶいてきたとき、ぼくのなかの数字が惑った。
「ぼくときみが一緒に飛び降りたら、14階の君は0.3秒早くおだぶつってわけさ。
ふ、ふ、ふ。きみの勇気が試されるぞ!」
「ころしてやる!」
「やってみろ! 0.3秒差でぼくが勝つ」

義屋羅くんばかりでない。
最上階に部屋のある角安詩夢ちゃんも、ことあるごとに屋上を遊び場にしている合符音くんも、ぼくより長い無敵時間を誇っていた。
「さあ、一緒に飛び降りてみたらどうだ!」
きたないやつらめ!
でも、それからは何度3.6秒を試しても、上の方から彼らの声が聞こえるのだった。

だからぼくは3.6秒を捨てることにした。
そしていま、せっせせっせと、落とし穴を掘っている。
誰か誤って落ちてしまったら困るから平時は蓋をしているだけであって、いわゆる落とし穴の意義は満たしていないかもしれない。単なる穴といえば穴だった。
ぼくの部屋のベランダから落下したらちょうどここへ落ちる。
1階の住民には、夏休みの自由研究という言い分で納得してもらえた。
ぼくはたっぷりひと夏かけて、この穴を掘れる限り掘ってみせよう。
そういう夏にしよう。
すでにぼくは4.1秒を得ている。
まだ合符くんには及ばないが、義屋羅くんにも詩夢ちゃんにも勝てる。
この夏はきっと忘れられない夏になる。
穴を掘りながらぼくは、ふとした遊び心で、マンションのベランダ群を眺めながら、4.1秒をつかってみた。
ぼくの住む部屋の縦のラインを除いた全住民がいっせいに、同じタイミングで、ベランダから飛び降りる。
……みたいだった。
みんな、何考えてんだろう。


/


最後の「--みたいだった」はある映像で、
ここの単語がそのままタイトルでいいだろう。
中盤の、無敵の時間となる理屈付けは、見せどころだ。
ムチャだけど説得力がある、そんな文章に、まあやろうとすればできるだろう。
ただし文字数がいる。
あとはお題次第か。
ラストは変えてしまっていいし。


ヘテロトピア、Twitterに投稿した。
企画者まわりからの反応は一切ないし
ツイートアナリティクスで
メディア参照数見てみても10に満たないし
どう考えても労力に見合わないけど
kizzさんがふぁぼってくれたからいいや。
書いてる時間が楽しくて、
あとは一人でも認めてくれたならそれでいい。


2021年05月24日(月) なんでもない月曜日

よつばと!最新刊をようやく読んだ。
さすがに作風にぶれを感じる。
年月感じさせるナー。
ていうか連載開始18年て。ぎょっ。
でも最後のお話には泣きそうになった。
まさか泣かせに来るとは…
と思ったけど実はあの場面は
ただとーちゃんが泣いているシーンだというだけで
読者を泣かせにかかってきているとは見なさないでいいだろう。
よつばが
泣いてるの
って言及しているのが証拠だ。


弁当は昨日多めにつくった炊き込みご飯。
牡蠣と生姜と舞茸の。うまし。
ダシ汁入れ忘れたけどな。
牡蠣のダシでかんべんしてもらお。


鬼滅すっご。
女性向けファッション雑誌にジャンジャン特集されとる…
わざわざ表紙に据えた特別版まで発行して…集英社本気だな。


だるさ、月曜だけどちょっとマシ。
"ヘテロトピア"の推敲を手がけてて楽しかった。
アルフォンソリンギスの
何も共有しない者たちの共同体、
むっずかしーとばかり思ってたけど
身になってる。
やっぱ買お。


ほぼネガティブ感情に見舞われない一日だった。
というか一旦悪循環から抜け出したところなんだろうな。


えー、ちまちまと
流星ワールドアクター進めてる。
世界観はハードボイルドっぽいのに
キャラクターたちに全然その気がないから
イタくないというなんか異色作。
尻切れとんぼで終わると専らのウワサだけど
6月には続編が出るそうだしそれを買えばいいんだろ。
今のところ面白い。
事件進展と日常パートが一体化してて全然飽きない。
次から次へと読めてしまう。


あ、思い出した。不愉快なことあった。
うちの会社には
社会に不適応とされそうな人材がもともと多く
まだ技術職の色が強かった頃はその傾向が顕著で
いろいろあってヤベェ人たちは一掃されたけど
まだ空気感にはそんな調子も残ってて
たまにオイって思う。
いやもともとそういうのが苦手な人たちはそれでいいとして
お前外ではじゅうぶんコミュ力発揮してるだろうって人間が
社内ではろくに挨拶も返さなかったりする。
そういう輩にはこちらも挨拶などぜん
などと引き下がろうとも思わないので
何年でもやってやるぞというつもりで
挨拶はし続ける。
会社引っ越しによって
これまで顔を見合わせる機会の少なかった連中で
一部この手のぶしつけな手合いがいたから
しぶとくやってやろうと思う。

挨拶って
「する分には奨励される」
っていうめちゃくちゃ楽でわかりやすいツールだと思うんですけどね。
何も考えないでいい、判断しないでいい保証つきっつうか。
昔は
ここは挨拶すべきかしないべきか…
とぐるぐる思考高速回転させること多かったけど
だんだん
あ する分にはいいんだ
ってなってった。


夕飯はレトルトカレー。
月曜だから仕方ない。
引っ越しを前に備蓄を消費しておきたいし。
引っ越し先見つからないけど。

食べながら見たグレーテルのかまど、
今回はドイヨシハル先生…漢字わからん
のキャビネットケーキだーっつって
彼の生い立ちまで紹介してた。
両親ともに料理研究家だったんだそうだ。
お父さんが
一般に家庭料理を広めたひとなんだとか。
ドイ先生自身はその道を受け継ぐ葛藤があったらしく
なんで料理を極めたいおれが家庭料理なんか…
と思ってたそうで、
でもあるとき
山で例えるなら料理屋ってのはいわば山頂だけ、
でもふもとの方にだってきれいな景色も花もたくさんある、
そんな感覚を実感したらしい。
そしてその感覚を世に知らしめている。
りっぱな人だ。


りっぱな人、

生の実感

お気に入りのワードとなってきている。
勲章みたいなものだ。


2021年05月23日(日) ヘテロトピア

サラメシで
中小企業のOLが会社のビルの屋上で
キャンプ飯してるのがなかなかよかった。
同僚誘って3人で。
コロナがきっかけだったらしい。
2人はあらたにキャンプグッズ買ったんだとか。
限られた休憩時間で調理するために
自宅で材料切ってまとめてあって
あとは煮たり焼いたりするだけという。
火の気は気になるけど
消火器用意してたし
煙はあがらんようにしてるんでしょう。
このビルの大家さんが
隣のビルに住んでいるらしく
時たま屋上同士でくっちゃべるらしい。
これはいい。
近隣にとっては声うるせえんだろうな
とも思えるけど
許容した方が町が生きる。


プリチャンがまじなけた。
来週で最終回か。
思ったよりズーンと来たな…
さいきんはミュークルの方に心がいってたけど
ここ最近のクライマックスへの盛り上げで
だいぶプリチャン愛が戻ってたようだ。
プリチャン及び桃山のキーワード
「やってみなくちゃわからない」
「やってみよう」
ってやっぱ素晴らしい。
そのワードを盛り込んだ歌を
今回は主要キャラ全員で歌っててまじなけた。
ジーン。
デジタル化したキャラたちがライブして
前時代のいいねを集めて
宇宙空間から到来しつつある
バグの隕石にぶつけて解消させるって
本当に本当に意味わからないけど別にいいと思う。


ミュークルは日常回。
あんなに友達っていってたコトコトを
ことこ先輩があっさり修正しまくるの怖いし面白いし最高だ。
来週はまた実写回らしい。残念。
でも全体のクオリティ保つためなら…いいさ…


昼は蕪とベーコンのクリームパスタ。
そういえば昨晩は蕪の煮物を出したんだった。
フライパンで蕪をかるく煮て
電子レンジでもどした干しシイタケを加えて
めんつゆ醤油みりんで味を調えただけの。
蕪はいいっすね。和でも洋でもいける。


割拠の1から4をまとめたものを
Twitterにあげた上にプライド捨てて読書メーターにもあげてみたが
一切誰からもなんの反応もなく
これには心折れそうになった。
だいぶつらい。
大仏ラライのライ。
ほんならもうええわ、誰が投稿なんかするかよ

へそ曲げたくもなったけど
勝手な都合で毎日小出しにTwitterにあげてきたわけだしな…
それもまだ3割という中途半端なところでまとめられてもっていう…
いやそういうのはあるが…
でも実際誰も…
うーん…
前向きな方向にもってくことはできるが
ここには正直に書こう。
心底うなだれた。

息抜きがてらに
傷ついた記憶
の読みものの方を手掛けておいてよかった。
こちらはほぼ仕上がったので妻に読んでもらった。
面白かったとはいうが
語り手が結局何の話をしていたのかは伝わっていなかったようだ。

伝わるか伝わらないかのギリギリ、
でも伝わる寄りで…わかりやすくなりすぎないように、
というラインを攻めたつもりだったけど
僕の意図するところを読み取りやすいはずの妻に伝わっていなかったのだからと、
最後の一文をあらためた。
これならまぁ伝わるだろ。
勢い任せな割にはなかなか面白く書けたと思う。
まだ最終稿とはいいきれないとはいえ
あとは単語の言い換えくらいだろうから
今の時点でここにも残しておこ。


/


テーマ;傷つけられたお記憶

タイトル:『ヘテロトピア』


あの愛の真相ともいえたあたたかな場所を何ものかにうばわれて以来、私はもう25年眠っておりません。
催眠術師が、哲学者が、娼婦が、詐欺師が、強姦魔が、花の香りで、晦渋な書物で、豊満な肉体で、型破りのメンタリズムで、秘伝のカクテルで、どうにか私を眠りにつかせようと方途を尽くしてくれました。
果ては長広舌が自慢の校長先生、しまいには絞め技の精髄を極めたプロレスラーまで、意気昂然と我が家にやってきては、敢え無くすごすご帰っていったものです。
脳外科医に至っては私の頭蓋骨を射殺すようにねめつけ、七晩で七人の患者を殺めたのだといういわくつきのドリルを操り小さく穴を開けると、開ける前と変わらぬようきっちり元通りに整形し、身動きできない私の隣ですやすや眠りこけてしまいました。
そういうことではないのです。
私が眠りにつくとは、そういうことではない。

それでも私は毎夜0時になると、ベッドに横たわり目を瞑ってみます。
最後に眠れたあの日を思い出してみるのです。
そこはあたたかく、安らぎ、何ものにもおびやかされず、生の喜びからも死の恐れからもまぬかれている時空間、この世すべての愛をたゆたわせた小さい海でした。
今となってはそれこそ夢のような、現実ならぬ現実の異郷、決して取り戻せはしない、恋焦がれるばかりのトポフィリアに過ぎません。
けれども、この記憶を思い返すと、かすかながらに眠気の核のようなものがうみ出されます。
ここからが大事業なのです。
核からかろうじて弾かれた波長を頼りに、大気中に動揺する眠気の分子をかき集めていきます。
目に見える物体ではありませんから、まぶたは閉じたまま、体外へ神経回路と電気信号を延ばして、撃ち落とすようにつかまえます。
眠気の分子には時間の都合がありません。
過去から未来にわたる全時代を通じての眠気をある程度…目玉二つ分ほど…収集できたら、今度は、記憶を失わせていきます。
漢字を忘れ、平仮名を忘れ、今日の悲しみ、昨日の慈しみ、月の名前、戦争史、神話、鯨の描きかた、鶫の鳴き声、恋、感情、生い立ち、…めまぐるしくイメージされる何もかもを忘れていきます。
記憶を手放していくごとに、私の輪郭はやわらぎ、境界を失い、生も死もあいまいになって、やがて世界と同化していきます。
ところがようやく私が私を手放しかけた頃、夜は覚醒している。これは世界と同化した私と同一のものなはずであって、いやおうなしに夜の覚醒は共有されてしまい、せっかく失えつつあったシルエットの正体も気取られて、そうして、今夜も眠れない夜を過ごします。

いよいよ私は堪忍ならない。
だって、これではあんまり、生物としていいかげんではりませんか。
こんな不条理の根は絶たねばなりません。
私は我が身の複製をこしらえました。窮余の一策とばかり、分身の方に眠ってもらう手筈です。
分身は我が身が実現させた異郷で、今は生も死もなく眠っています。
分身が見る夢を思い描いてみます。
分身は孤島でした。
孤島のくせに橋をかけられて、一方的に物資を運び込まれていました。
孤島は日に日に大きくなっていきます。
孤島は孤島を囲む海が好きでした。
謎めく海の向こうへとつながる橋にも愛着がありました。
孤島にとって日々とは橋との対話でした。
「この向こうには何があるの?」
「向こうにだって? もう、取り返しのつかない夜が、一面に!」
孤島はまた、かつての私でした。

いったい誰があのつながりを断ち切ったのか?
そのお節介者を私は決して許さないでしょう。
仕掛け人の手がかりはあります。
しかしいま、私自身もまたその仕掛け人の立場を継承しつつあります。
まもなく分身は眠りから覚め、やがてはあなた方に見つかり、取り返しのつかなくなることでしょう。
この先もしも私の分身を見つけた方がいたら、どうか優しくなでてあげてください。

あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば。


/


これでだいたい1600字くらいか。
思考整理のため、自分で自作を解説する。
語り手は「母親の胎内にいた時間」を眠りと表現している。
胎児は生きてもなければ死んでもいない、
このあいまいさこそを真なる眠りとしている。
羊水に満たされた空間を恋しく思い返している。
胎内の外は
あなたがた=他者が横行する夜。
語り手はこんな恐ろしい世界に生まれたくはなかった。
ずっと安心安全の胎内にとどまっていたかった。
しかし橋を…へその緒を断ち切られた(傷つけられた記憶)。
語り手にとってはその記憶こそが呪いの発端。
であるのに今また、分身=孤島=胎児を自らの身から生み出そうと、
仕掛け人(母)になってしまう。
この子はあなた方=他者に発見されて、
取り返しのつかないばかりのこの世に生み出されてしまう。
だから優しくしてあげてね。
あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば
=
あなたに母体とのつながりを断ち切られた恨みがないならば
=
あなたが祝福されて生きているのならば。

最後の一文は
「そのあたり」から「へそのあたり」に変えた。
わかりやすくするため。
どちらにせよ意味合いは複数とれるようにしてある。
「そんな記憶のないほど無神経ならば」とも読めるし
「へその緒を切られてなければ(=そんな人間はいない)」とも読めるし
ようは
この子をこれからおびやかすであろう他者を
威嚇しているのだという意図さえなんとなく読み取ってくれればいい。

ウン、
こうして自作を解説するのは
まさしくギャグの受けどころを自ら説明する愚に等しく痛々しいものだけど
まぁいいとして
やっぱりなかなか面白く書けていると思う。
それなりに読み取ってくれればだから
読み手の読解力に加えて
ちゃんと読んでくれるのかって問題もあるけど
今回は
少なくとも企画者が読んでくれるわけだから
まーまー真面目に読んでくれるだろう。

傷つけられた記憶
ってテーマを見てすぐに、
ストレートに書きたくないなと思った。
思いながら次に、
なんとなく
「〜以来ずっと眠っておりません」
という文が浮かんだから一文目に置いてみた。
人間がそんな何年も何十年も眠らないわけないよなあ
だから眠りっていうのがここではちょっとずれた意味なんだろう
と自分で解釈を推し進めて、
ドグラマグラに胎児が見る夢ってあったなあってイメージから、
そうなると傷つけられたはへその緒あたりか、
となるとそれはよくもこの世界に出してくれたなって話になるなあ…
こんな調子で書き進めていった。
だから、主題は後からきた。
自らに伝えたいことがあっての創作でないならこんなものだ。
今回伝わる伝わらないいってるのは手段の、方法論の領域の話だ。
おかげで枷の少ない分自由に書けて楽しかったけど、
本命の、割拠の方はそうはいかない。
やるきださんとな…。


2021年05月22日(土) かりそめの所与

昨今の騒がしい人たち。
権利を所与のものとしているようだ。
権力構造の上部に居する者たちの既得権益を憎みながら、
どうやら人権をそうとは見なしていないらしい。
はじめからあり、あって当然のもの、
おびやかされるはずのないものであると。
勿論、建前はそうだ。
理念の上では、現代の民主主義国家にあっては、
人権とはあって当然のもの、何の対価もなしに与えられるもの、
おびやかされてはならぬものであると。
そしてこの理念は達成されるべきものだ。
人権は目に見えない。
自然発生する形而下の事物ではないから、
保証あって初めて成り立つ。
これは民主主義国家が保証するものだ。
だが彼らは、この構造を省みようとしない。
理論の中に組み込むことはあるかもしれない。
しかしそれは、あらかじめ自分が掲げたい主張あったうえで、
都合よく批判しやすい一角を配置しているに過ぎない。
いやんなるな。


本の一部をプリントする手間を惜しみ
最近はiphoneのメモ機能で書類スキャンしてPDF化しているのだが
これはこれで手間取る。
スキャン性能はしかたないにしても、
アプリとしてのメモのUIが悪く、
ちょっとした操作ミスですぐに未保存の書類を消してしまう。
操作ミスというか、誤操作をまねくUIをしている…。
そんなこんなで一時間もふいにしてしまった。
午前中は購入したばかりの録画機器が
前触れなくTVと接続されてないと言い出してその解決に腐心した。
ケーブルは接続されている。
誰も何も触れてないのだから当然だ。
一応引っこ抜いてももう一度同じところに刺してみる。だめだ。
TVも録画機器も電源を落とす。入れる。だめだ。
30分ほどほっといてみる。だめだ。
同じことを何度も繰り返していたら
いきなり認識し始めた。
いかり。

最新の便利品に
時間を割かれるという本末転倒には
つくづくイライラしてしまう。
Eテレの教育番組で早生まれの子供を特集していた。
早生まれの子供は何も悪くないが
学力等に差が出てきてしまっている事実はある、
しかし年を追うごとにこのギャップはうすれていく、
彼らには自己効力、自己肯定感をちゃんと大事にしてやってほしいと。
そんなようなことを言っていた。
だがあくまでこれは、日本の、
子どもたちは4月に一斉に入学する学期制が維持されてたらの話だ。
まずその前提を見定めておくべきだ。焦点がずれる。
じゃあその学期制を変革したらいいのかっていうと
そういう問題でもなくて、
とりあえず今日覚えた違和感は
なんで今生きてる人間の方が
システムに追従していかなくちゃいけないの?という点だ。
隷属っつうか。
あの憎たらしい流行語、
価値観のアップデート
とかいうやつもそうだ、
その最新の価値観の方が誤っているとは考えないんか。
いや誤ってるかどうかの議論はある。
今生きてる人間と比べてどうだって問題だ。

じゃあどうしたらいいの、
って話は
目的でなく手段の話であって、
最終的な目標を見据えるためには
冷静で公平で透徹した目がいる。

社会学、とりわけ社会心理学の本を
いっぺんにゴチャゴチャ読んでるが、
冷静で公平で透徹した目が養われていくようでもある。
これらの本は無批判に読めるものではない。
常に疑いながら、批点を探りながら読み進めることで、
真相に接近するための視力が養われてゆく。


昼飯はチャーハン。
すっかり美味しくなった。
多めの油でじっくり長ネギの青い部分を炒めて、
ネギ油にしてから刻んだネギ投入、ベーコン投入、
卵投入、炊き立てのご飯投入。
強火で木べらでガーッと混ぜて塩コショウ。
ネギ油さえできてれば2分くらいか。
小鍋に酒ちょっと、醤油ちょっと、中華だし入れて火にかけて、
水溶き片栗粉でとろみをつける。
餡かけチャーハンにして、
あとは冷凍しておいた万能ねぎをふる。できあがり。
…ネギの青い部分の呼び名は
あらゆるレシピに
ネギの青い部分
て書いてあるけど正式な呼び名ないんか
と思って
グーグルで検索かけてみたけど出てこなかった。
出てこなかったというのは
"ネギの青い部分のこと"
というワードで検索をかけて
上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったから
これを
出てこなかった
と見なしているだけで
もうちょっと探せば出てくるのかもしれないが、
この場合
調べ上げた結果よりも
調べている実感
グーグルで検索するという行為について
自覚的批判的に向き合ってたいので
これ以上は調べない。
はじめのワードで
上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったら
出てこなかった
という実感をもったのだと。


自転車で荻窪へ。
片道20分くらいだが
フリーの考えごとをするにはちょうどいい。
道中
いかにも個人経営と思しき唐揚げ屋の店舗を見かけた。
ここ1,2年で唐揚げ専門店を称するチェーン店が増えたのは
タピオカ経営と同じ筋にあるともっぱらのうわさで
例の
金賞連発のあくどい宣伝法なども手伝って
つくづく嫌気がさしているが
もともと唐揚げ専門店を営んでいた個人もいるのだ。
相当あおりを受けていることだろう。
商売上の競争としてこれは仕方ない。
とはいえ悪感情は沸き立つ。
勝手な流行で市場を乱しておいて
流行が去ればあとは放ったからしの
暴風みたいなものだ。
2chで
イオンモールだかの出店を
FF5のエクスデスになぞらって
 わたしは イオンモール
 すべての商店街を消し去り
 そして わたしも消えよう 永遠に!
って表現あったけどあれみごとだな。
ほんとそうだ。
既存の秩序を新たな秩序で上塗りするのは仕方ないが
既存の秩序を無にしてから無秩序を招くって
こりゃ悪だ。
法が許してるからといって
感情の方でも許さなきゃならんなんて法はないでしょう。
むかつくぜ。

小学生のころ好んで通っていた
おじさんおばさんによる個人経営のコンビニが
すぐ近辺にできたミニストップができてから
あからさまに客がうばわれていき
それから2年もたずつぶれた。
そこのおばさんはスーパーでパートをするようになった。
僕ははじめミニストップを憎んでいたが
途中からは応援することにした。
小さな石につまづいたのではなく
大きな岩にぶちあたったのだと、
あるいは
大会で自分を打ち負かした相手には
是非とも好成績をおさめてもらいたいと、
そんな心境からだ。
当のミニストップはその後
地道な経営を続けている。
きっと今もあるだろう。

ブックオフが街の古本屋を殺していったあげく、
今ではそのブックオフが、
Amazonやメルカリに殺されかけている。
そこんとこの因果関係には異をとなえる人もいるが
少なくとも後押しにはなっているだろう。
ミニストップと同じ論法で
ブックオフにはガンバッテもらいたいところだったが
これはまぁどこまでいっても感情論だよなあと思う。
Amazonやメルカリが嫌いなのは自分なりの理念に基づくものだけど。

そんなブックオフで4000円ほどつかった。
社会学用語図鑑が買えたのはうまい。
哲学の方で良書と見なせた、イラスト付きの体系的な解説書だ。
こういうの
だんだんと定価で買うようにしていきたい。
もう安く買おうとする根性が身についちゃってるし
実際の支出額痛いから
だんだんと
で済ませたいのが偽らざる正直なところ。
ブックオフより町の本屋の方が大事だし
いずれは
入手しにくい古い本以外は
ほぼ全部新品を…のつもりではいる…
もたもたしてる間に
本屋もブックオフもつぶれてっちゃうが…


夕飯はカツオの刺身。
サクで700円は
ユータカラヤにしては高額だけど
いまいちだった。
鮮度というより単に脂身のなさか。
高知でカツオ食べたいです。
美味しいそうじゃないの。


あさひなぐ25、26巻。
このあたりは毎巻なけるなあ。
やす子先生と真春の取り合わせすばらしい。
お互いキャラとしては
なかなか誰とも噛み合いにくいだろうに、こうするとは…。
あと
「1秒後の旭」
ってサブタイ、かんぺきすぎる。
これ単独でもあまりにかっこいいし、
中身にも適しすぎている。
すげえ、すげえ。


夜、
傷つけられた記憶
が8割がたできた。
あとは全体整えるのと、最終部への接続か。
主題とか
つたえたいこととか
なしにやってると楽だな。
与えられたお題に沿って
思い付きで書けるというのは。


れどれ |MAIL