舌の色はピンク
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2021年05月01日(土) 「考えさせられました」

会社の引っ越しの都合で、
平日である昨日とお休みが入れ替わっての土曜出勤。
私物の整理と機器の配線など。
てきぱき順当にこなしてって午前中に終わった。
しかしやはり無能な先輩にイライラしてしまう。
頭のなかが自分のことで手一杯なのだ。
エゴイスティックなわけではないからこそ、
当人にも、
自分は自分が損する格好で〜とか
まわりに気を遣って〜とか
そういう論法がまかり通ってるはずで、
自分を納得させる筋道が出来上がってるからたちがわるい。
世の中には
「上司がバカで死んでほしい」
という声があふれかえっていて
その気持ちがようやくちょっとわかる。
擁護はできる。
できるからこそむかむかする。

帰り道が全然爽快でない。
本来ならないはずの障害物がイッコ挟まれてるわけで
ほんと人生にとって邪魔だな。バカバカしい。
世の人の悩みを体感できるのはいいことだが
ずっとこれが続くのは問題だ。


コンビニ人間読んだ。芥川賞の。
昔だったら
「なんだこの文章!」
とかいって投げ捨ててたろうけど
今はちょっとは小説の読み方がわかるから
これは小説的に上手いのだと見なせる。
しかし主題は全然面白くなかった。
話題になった5,6年前に
タイトルから
そしてあらすじから
想像してみた型を一切はみださない、
さんざんマンガで見てきたようなテーマだ。
読書メーターにはこう書いた。

マンガで済むのでは。主人公は「普通」のひと。「普通」の枠型はあまりに狭小というのは90年代から主題にされ続けてきた現代の共通認識で、「普通」からずれた人があまりにも多いという実情は、逆説的に多くの「普通のひと」 を発生させている。だから本編の主人公も、(既成観念としての)普通からちょっとずれている、そういう類型の「普通のひと」。…結末はお見事ってなったけど、それでもやっぱり2000年代にさんざんマンガでやりつくされてきたテーマとしか見なせない。

追記でこうも書いた。

考えさせられました系のどくしょかんそうぶんがウジャウジャ湧いてそう。主題のパートなんかより、アパートの二人暮らしの空間の手触りがよかった。あの人物像だからこそ立ち上がってくる部屋(生存の証拠)のどうしようもなさとか、その中での虚無的な時間の流れとか…このあたりの描写、ほぼ言葉は割かれてないけども、そこへ至るまでの過程でなんとなく察せられるという、こっちの方によっぽど小説的感興をそそられた。

実際他の人の感想はひどいもんで、
「主人公はサイコパス風味で〜」とか
「独特な思考の持ち主」とか
「普通ってなんなんだろう」とか
どれもこれも気持ちわるい。
何も考えてないから
「考えさせられました」なんて平気で言う。
何も考えてないのが悪いわけじゃなくて、
むしろそれは一つの美徳たりうるはずだけど、
"何も考えてないのに「考えさせられました」"は醜悪だ。

話題作だから読書メーターですぐにボンボンいいねがつく。
読メの呼び名はナイスか。
ナイスをつけた方々の感想は
ごちゃごちゃのたまってるけど要は
「考えさせられました」系だから
本編もこっちの感想もろくに読んでない。
あとはあらすじをまとめてるだけとか…
それで2000ナイスとか。あほっぽ!


夜、映画。
「アンナと過ごした四日間」。
幻の巨匠
とかゆう妙ちきりんなコピーがパッケージにはあった。
ポーランド映画。
セリフが極端に少なく、映像と芝居で見せてくる。
ストーカーの話。
時系列はばらばら。
硬質的なグレーの世界でロシア映画みたい。
映画そのものは、まぁ面白く作ってるわけでもないし
観ている時間楽しませてもらいましたってくらいで、
内容は一年したら忘れてしまうだろう。
観ながら何考えてたかの方が大事だ。
前に一度考えて眠らせてた
マンガのストーカーネタを今一度練ってみた。
ほぼサイレント。
そう、ストーカーの話にゃセリフいらんよな。
主人公の男は懸想してる女の子の部屋を覗き見していて、
やがてそれがエスカレートして夜な夜な部屋に忍び込むようになる。
で、暗い部屋で物音を立ててしまう。
でも彼女は気づかない。ほっ。
部屋で静かに、彼女の寝息を眺めて過ごす。至福の時間。
あんまりリラックスしてうたた寝してしまった。
朝だ。彼女は…まだ寝ている。早く出なければ。
あ、彼女が目を覚ました。目が合った。
が彼女はそのまま何事もなかったように動き始める。
あわてて窓から逃げる男。なんだったんだろう。
今度は昼間にピンポンしてみた。出てこない。
鍵は…閉まっている。
合鍵がある。入ってみよう。開いた。
彼女はリビングでテレビを見ている。
そっと部屋に入ってみる。ノーリアクションだ。
ソファの隣に座って…みてもノーリアクションだ。
彼女がゲームを始めた。格ゲーだ。乱入して対戦してみた。
なかなか白熱した。
彼女との奇妙な生活が始まる。
食事を作ってやったり、洗い物を済ませてやったりする。
夜はソファで寝る。
彼女はベッドで寝ている。
手を…出してみようか。
頬に触れてもノーリアクションだ。ドキドキ。
男は上を脱いだ。ドキドキ。
そこで、ガチャガチャ。キイイバタン。
「うぃーす。
お前電話出ろよ。あれ、明かり…
寝てんのか? 起きろよ、おい」
明かりがつく。目撃。
「は?」
「え」
「は? なに? なにこれ?」
女が起きる。男をねめつける。
「あの、その僕は」
「こいつ誰?」
それぞれの顔。部屋の様相。
見開きで主人公の回想。走馬灯。
これまでの人生のエピソードばららららら。
<誰?>
「誰って…」女が答える。
なんて答える?

第一案
「赤ちゃん」
「あ、ああ?」
「…」
「お前、おま、すっとぼけんなよ。
赤ちゃん? こいつ、おま、こいつのどこが」
「…」
「お」
「…」
「おぎゃあ」
赤ちゃんの絵。
「おんぎゃあおんぎゃあ」
誕生へ。

第二案
「あんたこそ誰?」
「は?」
「勝手に人の家入ってきて、なに?」
「……。ああ。あっそ。もういいよ。
荷物は捨てていいから。
あ、でも二回目んときのぬいぐるみは、お前、大事にしろよ。
…ちっ。なんだ、くそ」バターン
沈黙
「あの…」口を開く主人公。
見つめ合う二人。
「誰が誰でもいいじゃん」と女。
「えっと…」
「"荷物は捨てていいから。"
"ぬいぐるみだけは大切に。"」
そういって女は部屋を出ていく。
部屋に取り残される男。
男はこの部屋で生活をし続けていく。
これからは一人で。

第三案
「なにが?」
「あ? とぼけんなって」
「ごめん、あのね。何のこと言ってるの?」
「いやいや、こいつ。こいつ何って話」
「こいつ…?」
「いや久々に帰ってきていきなり
裸の知らない男見たらびびるでしょ普通」
「えっと?」
「あ、あの…」
ずいっと前へ出る女。
「あんたこそ誰?」
「あ?」
「仮に、あんたが言うように。
ここに裸の知らない男がいたとしましょう。
で?
いくらこっちから連絡とろうとしても無視されて、
誕生日もクリスマスもすっぽかされて、
ずーっとさみしい思いさせられてた女の子に、
誰が誰だか、わかるっていうの?
ねえ、あんたこそ誰なの?」
「あーーーー…。んだよ、メンドクセェな」
「めんどくさいって何?」
「ま、いいや。悪かっ「ちょっと」たよ。来いよ。
結局あ「やだ」の車おれのになったか「離してよ」ら、見せに来たんだ」
「あ…」
「…あんた、ちょっと落ち着かせてくるから、ここで待ってろよ。
1時間もかかんないから。寒くない? 暖房つけたら?」
「あの…」
オチ未定。


二案かなあ。
今どきの邦画っぽい感じだ。
誰が誰だかの錯誤でかろうじて
僕の主題を保ってるか。


2021年04月30日(金) 他者と地獄

ここ数カ月のBGMは
lo-fi HIPHOPがメインで
夜のあやしげな精神にうってつけ。
これをいろいろ検索してたら
FF7のlo-fi HIPHOPアレンジがあって
その手があったかー
と。

FF7は人気曲、定番曲がある程度固定化されてて
それらに及ばない2軍も十分いい曲多いよね、
みたいな風潮あるけど
lo-fi HIPHOPで組まれてる楽曲は
まずまずのファンくらいからじゃ見向きもされてない
ベンチ入りも怪しいような地味曲ばっかりで
それがいかにもこのジャンルらしく
好もしく思った。

午前中、大泉学園駅へ戸建て賃貸の内見へ。
練馬まではバスを使う。
経路を確認する前に赤羽行のバスが来たから
運転手に
「練馬駅には止まりますか?」
と訊いたら
「止まらない」
とツッケンドンに返されて一瞬むっとした。
けどあれでいいと思う。
丁寧に返す必要なんかない。ですますもいらない。
で、こっちも別にそれに対して
むっ
としていいと思う。
といった話を妻にしてみたけどピンときてなかった。
それもそうか。

物件はやや古く使い勝手も悪そうで、
早々と落第させてしまった。
見どころは階段が二つあること。
玄関の両脇。
一方は書斎専用階段。これは面白かった。
また、もう一方から上がった二階にも、
廊下からではなく寝室から階段が延びていて、
そこからのみ書庫部屋に入ることができる。
備え付けの本棚は楽しかったけど日が差すようになってたから
実際には焼けまくるだろうな。

不動産の担当の方は若めで頼りなかった。
いろいろ話は聞いた。
やはり池袋線は混むらしい。
あと新桜台はこちらに比べると緑が少ないとか。

車で駅前で送ってもらって、
妻の調子が優れないのもありおとなしく帰路へ。
バスで上石神井駅まで行って新宿線で野方。
妻はあのエリアでよく体の調子を崩す。
「くんな、ってことなんかな?」
「でも僕らの家からだと、ルートが悪いから」
「そうなんだよね。歩くしバス乗るし乗り換えて電車乗って…」
まだ、石神井エリアで探していきたいとは思っている。

帰ってアラビアータつくって一息入れて
スーパー行って
レンタルビデオ店で映画3本借りた。

ショートケーキつくった。
スポンジが失敗。
昨日の時点で生地は焼いていて
それも泡立ててる時点ではうまくいってて
うまくいってるとドンドンとボリュームができてくるのが楽しく
それをいつもの型に全部入れたら焼成中に片面からあふれた。
すでに固まりつつもあるから流動性を失って
片一方に生地が偏ったままとなり
熱が均一に通らず結果中央がへこんだ。僕もへこんだ。
へこむとスライスがうまくできない。
スライスがうまくいかないと三枚にカットできない。
やむかく二枚にカット。
通常五層となるところを三層に。
ナッペはなんとか形になった。ごまかし上手。

夕飯は豚汁とアジ。
アジは水煮。
本当は玉ねぎニンジンと一緒に煮込みたいけど
今回は水気切って皿に盛った。
窓を開け放して
ちょっと肌寒いくらいにした室内に風が吹きこむと同時に
豚汁を掻っ込む。しあわせだ。


「はちどり」を鑑賞。ようやく観れた。
何も起こらない地味な映画…という触れ込みだったが
どうやらそれはそういう系統の映画を見慣れていない方々の感想だったようで
これは十分起きてる方だ。話もある方だ。
それでも、余白や間隙が散りばめられていて見ごたえあった。
僕が映画に期待するのは、イメージの積み重ねが何より第一だ。
この映画に埋め込まれている、
"再現されたあるイメージ"を感じ取る時間は心地よかった。
そしていろいろこちらのイメージも湧いてくる。

単純な意味で好きなシーンだと、
両親が大喧嘩して叫びあって妻が夫に傷まで負わせて
家庭崩壊寸前、娘も大泣き…という翌日に
気まずそうに娘がリビングに現れてみると
両親がソファに並んでバラエティ番組見て普通に笑ってるっていう。
もうイッコは主人公の女の子が入院した先に
友人が見舞いに来て
それをおなじ大部屋の入院患者のおばちゃんたちが
「こっちの子も可愛いねえ」だの勝手な評判を立てだす。
二人にはこの時複雑な因縁があり
主人公はカーテンを閉めるのだが
今度はおあちゃんたち
「内緒話するのよ」
と小声ではやし立てる。
上手いよなあ…。


サイバーカスケードなんていうように
ネットを情報の仕入れ先としてベースにしてるような生活では
知見が偏りがちだから
意識的に
自分と反する立場の声も見聞するようにしてるし
また意識せずともランダムに
そうしたノイズに触れられるようにも心がけている。
だからというわけでもないが、礼儀作法についての本を読みだしてみた。
小笠原うんぬんという由緒正しい宗家の宗主が執筆されたものだ。
もともとある先入観は取っ払って読む。
礼儀作法に興味はある。またそれぞれの由来についてはもっと興味ある。
礼儀作法を大事にするのはいいけど押し付けるな、
という現代人にありがちな声にも乗っかったりはしない。
公平性を保って読む。
ところが書き手に公平性がない。
いきなり現代批判から始まる。若い世代がなってないと。
僕は本には常に公平性を求めている。
そこんとこが欠如していると
もう書いてあること全部がうさんくさく見えて信用ならない。
というわけで残念なスタートだった。
しかし、マナー講師への批判も高まる昨今、
マナーの教え手は、若い"なってない"世代に
歩み寄りがちなきらいはあるだろう。
そうなると、悪い言い方だが
これはこれで「必要悪」だ。
歩み寄らずに、前時代的な観点を保つことが求められる立場で、
実践し続けることが仕事なのだから。
「価値観のアップデート」って言葉は随分流行ったけど
ばっかじゃねえのとも思うのだ。
柔軟性も深みもなくて都合いいばっかりで。


レヴィナスを基本から読み直してる。
というか何度も何度も基本を洗い直してる。
そのたびに考えがずれていく。
他者は、自分が観測してその理知に取り入れた自分の延長としては存在しえない。
他者は自分とは絶対的に切り離されたところで存在している。
これが「地獄」のヒントとなるはずだ。
サルトルにとっては、他者のまなざしに晒される現実が地獄だった。
僕が思い描く地獄は、外へ明かされない言い訳によって構築されている。
私の行動の一つひとつには、それなりの理由がある。
どんなに愚かな、間違ったような行動にも、それなりの弁明が、本当はある。
「なんでそういうやり方するの?」
「どうしてそんな風にしか思えないの?」
といった他者による批判は、彼らが口にせずとも、こちらは勝手に受け取ってしまう。
「でも私にだって、その時はこんな考えがあったんだ。
こうした事情を鑑みて、こうしようと思ったんだ。
そうした背景を説明するのはあまりに面倒で相手にも退屈で、
きっと何時間もかかる。とうていやってられない。
だからわざわざ弁明はしないが、でも本当は私だって、変じゃないんだ」
というような言い訳が渦巻いた心の有様こそが地獄だ。
そしてこれは、他者によってもたらされている。
その他者とは、「自分が観測して勝手に取り入れた他者」であるはずだ。
これは、本来的な意味では他者と向き合っていない。
その人そのものと向き合おうとしたとき、
この地獄からは解放されるんじゃないか?
聞けばいいのだ。そして言えばいいのだ。
当たり前のコミュニケーションだ。
が、しえないよ。そんなことはわかってても、し続けられはしない。
だから、地獄を許容しよう。
せめてこの地獄を愛してやろう…。
という試みを、今回の読み物に込められるかどうか…。
正直なところ、あまりに読者が見えないから
やる気がなくなってる。
ちょっとでも反応があればやる気がでるのは間違いない。
でも今は、あらかじめ考えておいた筋立てに
文章をのっけてるだけの作業で、創作意欲に接続しない。
まいったなこりゃ。
でも人に読んでくれーって頼むのもな。
単純に嫌だし、
完結してようやく意味のある作品だから
現時点で読ませてもそう面白くもないし。
じゃあTwitterでやんなよって話だから、
はじめからこれは織り込んでるのだ。
どんなに反応がなくてもやりきると。
だから、やる気がなくなってもやりきるつもりではいる。
でもそれでもやる気がほしい…。


2021年04月29日(木)

会社引っ越し日。
社員の半分はお休み。
自分は半端な立ち位置にいるから出勤。
それ自体はいいのだけど
やることやって
やることなくなって
あとはいるだけ邪魔になる、
という段になってなお
先輩があがらせないものだからかなり苛立った。
おくびにも出さないが
今日はさすがにその判断が無能すぎて
ちょっと不機嫌がにじんでたかも。
時間にすれば10分や20分のロスだったろうが
無駄で無益な時間に耐えかね
上の者に働きかけてあがった。
こんな気分で連休を迎えること自体が癪だ。
バカバカしい。


妻が
花を買って帰ってきてくれ
夫セレクトで頼むというから
2000円分ぐらい見繕って
よく名もわからん花々を買ってみた。
その物色をしている拍子に
iPhoneがポケットから落ちて
衝撃と水気(今日は雨だ)でお亡くなりになった。
ちょうどこの連休中に交換しようと思っていたから
だいぶショッキングだ。

これについてまた
docomoのありえないような
バカで汚い対応に見舞われたわけだけど
いよいよ書き残すのもバカバカしい。

どれだけ正しい、正当性のある批判に本人からは思えても、
他人からすれば
「でもきっと〜」
といくらだって諭してやれる。
その論法は分かってる。
全面的に相手が悪いということはない。
自分にも非があるはずである。
当たり前の話だが、
ちゃんと自身の日常に一体化させている人は少ない。
しかしそういった一切を踏まえてなお、
「"憎んだ相手は憎んでいい"のではないか?」
とずっと考えてる。
それをなぜ、OKと認めてしまいたいのかも。








2021年04月28日(水) 文句帳

会社が引っ越すから重ための私物を持って帰らないととか
新型コロナの変異株も騒がれだしてて電車に乗りたくないとか
4月の陽気が心地よいとか
もろもろの事由から
今日は久しぶりの自転車で出勤した。
片道1時間くらいか。
ドアトゥードアなら電車通勤と大して変わらない。
果たして気持ちよかった。
坂は多いのが難点か。
それでも運動不足解消にはちょうどいいし。
あ、道は悪路だ。
中野区はいい。
新宿区に入った途端、歩道は狭いし車道には路駐が多い。
ガードレールがないところもある。
早稲田通りを突っ切ってる間、
高田馬場〜早稲田〜神楽坂はかなり気を払う必要がある。
なるべく車道を走ってるけど危ない。
千代田区に入ったらまた安全に。

自転車通勤いいすな。考えごとがはかどる。
帰りはちょっと飛ばした。
50分くらいで帰れた。
意外と落合〜中野間が長い。上り坂もきつい。
店はちゃんと軒並み閉まってたけど
路上飲みは多くて
駅前にも人だかりが見られた。
高田馬場がひどかった。
大学生とサラリーマンが集まりまくり。
うるさくて立ち姿のいちいちに品がなくて
雑魚の見本市という感じ。
あぁいう時間ないと
連中は人生に何の楽しみもないんだろうな
と決めつけてやる。

返って、牛カルビと豆もやしのナムルでドンブリを。
高校時代に購買でよく
牛カルビ丼食べてた。驚異の250円。
しょっぱくて甘くてめちゃくちゃ美味かった。
あれを再現したいのにできない。
全然繊細な味ではないのに。


docomoのアプリがゴミです。
現実のゴミはゴミでなんらかの利用価値も見いだせるけど
アプリのゴミは真なる意味でゴミだ。

もともと回線プランを決める時点で
ドコモショップの店員とこんなやりとりがあった。
「その時点でどれだけの容量を使用したか、いつでも確認できますか」
「はい、こちらアプリで、いつでもすぐに」
いつでも、も、すぐに、も、ウソだろうと思った。
能動者にとっては嘘ではない。
が受動者にとっては、実現されないという点で嘘も同然、で意味で。
サービスというのはそんなもんだ。
だから
「どうせ不具合や不備を被るのは目に見えてる。
業腹だがそのつもりで使っていこう」
という、ある意味では穏便な気構えでいたはずなのだが
ふたを開けてみれば
到底許容しえない
想像を絶するゴミアプリなのだった。

ただでさえアプリを起動するのに1分ほどかかる。
その後、バージョンアップしろと毎回のように通知。
バージョンアップしないと最新データが取得できない。
今月のデータ使用料の項目ページに遷移する際に動作が不安定になる。
そして、データ使用料更新の操作をしてから取得に2分ほどかかる。
この間、アプリから離れて別の操作をするとやり直し。
何も触らず端末の画面が落とされてもやり直し。
さらにこの間、取得中といった情報が表示されるわけではないから
なにかうまくいってないんじゃないかと不安にさらされることになる。
まさにゴミだ。
百歩譲って、
そうそううまくサービス提供し続けられないのだという
向こうの都合の背景を推し量ってやったとしても、
それならばdocomoは全ドコモショップの店員に
「通信量はゴミアプリでしか取得できないが
ゴミアプリだから
いつでもすぐにというわけにはいかない、
とお客様に通達するように」
と指導しろよ。
バカか。

バカなところと
商売の汚いところが合わさって
つくづく現代の醜悪にさらされて
心の底から気分が悪い。
木っ端の詐欺企業ならもすこしうまくやるものを
王様商売してるからその程度まで低い。
あんなバカみたいな広告たくさん打ってないで
その予算をもうちょっとこっちに回せよ。
こんなカスみたいな出来事に
心と時間を奪われるのがバカバカしいったらない。
そして、だからこそ泣き寝入りして黙認、
というユーザーたちに甘えてさらに助長する悪の連鎖。

今ここに書く文章は感情を第一にしてるから
文法めちゃくちゃなのはいつもだけど
今日は殊更に勢い任せ。
バカ企業が。汚い、汚い。


2021年04月27日(火) ルール、看板

グリザイアの果実、
作中BGMはエレメンタルガーテンが噛んでる曲だけよくて、
この季節によく聞いてる。
ボーカル曲はみちるのED曲だけずばぬけてる…のだけど
歌詞がめちゃくちゃ恥ずかしい。
どんなムチャな歌詞にも感じたことない感情が押し寄せてくる。
「逆上がり パンツ見えた? 気にしない ちょっとする」
ていう…。
これを男が作詞して女に歌わせてるのがかなりやばい…。
単純な下ネタとかお下劣とかじゃなくて
ちょっとしたかわいらしさみたいな風味をもたせてるから
それでやばくなってんだと思う。


テレビでたまにある、
芸能人がものすごい意気込みでSNSに進出したけど
○千人しかフォロワーつかなかったんですよ〜アハハハ
みたいな自虐、やめた方がいいと思う。
これが何百人でも何十人でも同じ。
なんだったら一人でも。
いや一人ならわかりやすいか。
その人、その人たちにめちゃくちゃ失礼なのだ。
普段何千といいねを荒稼ぎする人が
渾身のネタで数十しかいいねを獲得できなくて
「滑った」とかいうのもきつい。失礼すぎる。
こみパのちゃん様を見習え。
あんなに莫大な売り上げ数を誇ってた神サークルの主催が
一度落ちぶれるとこまで落ちぶれて
どうにか再起して挫折しそうになって諦めず
なんとか新刊書き上げたのに全然売れず
それでも信じてようやく一冊買ってもらったとき
涙流して喜んでたろ。
あのシナリオすっきだなあ王道だけど。


地元の商店街歩いてると
公道にせり出した看板が当たり前みたいに乱立してる。
毎回蹴っ飛ばしてやろうかと思う。
それ自体が危ないし。
車が通るとなお歩行者の可動域が狭められて危険だし。
売上をわずかでもあげたいという私利私欲のために
公共に迷惑を与える極悪人にゃよろしい銃声聞かせてやるぞ。
という規範意識とともに、
いーじゃん堅苦しいこと言うなよ
なんでもかんでも規制しちゃあ町が窮屈になるばかりさ
いいよいいよのびのびやれよ
という昭和回帰欲みたいな意識もある。
後者の方は
だからなんでもオーケー受容するぞ
ってわけでは当然なくて、
互いに言い合える関係性というか。
邪魔だぞ馬鹿野郎
とか言いながら、でも一律のルールに訴えるわけじゃない。
個人として許したり個人として批判したりする。
それはもう、その時々の気分で。
こっちの方が健全なのは間違いない。
だからってそれじゃ立ち行かんから
ルールになってったんだろうけど。
大抵は、できないやつのためにルールが用意されるんだよな。
それなのに、できないやつこそが
ルールをじゃまっけに扱いがちだったりする…。
うちの仕事だと、
納品したデータのバックアップはできれば当日、
当日が無理なら翌日でもいいからこれこれの処理をしておいてくださいね〜
と何度伝えてもウッカリが発生し続けたから
毎日必ず朝イチでそのチェックをしろというルールを設けてしまった。
ほぼできている人間にもそのルールを強いるのはこっちもストレスだ。

公道にせり出した看板は
道路交通法と道路法と
あと自治体ごとの決まりとか景観に関する条例がどうとか
かなりがんじがらめらしい。
防災上の観点からも問題ありらしい。
そりゃそうだ。
正式に届けを出して許可されないかぎりはアウト。
あとは訴える人がいるかどうか。
たしかに、街のために店に賑わっててほしいというのはあるもんな。
ましてや個人経営っぽかったら、
いろいろ大変なんだろうし…と斟酌したくもなる。


でもその日の気分で
許したり咎めたりしていいと思う。一番人間らしい。
向こうも、常に出すんじゃなく
今日は人通りが少なそうだとか
どうしても今日だけは売り上げたいんだとか
そういう人間らしさがあればいい。
当たり前みたいに
だって皆やってるじゃん
とかいって悪びれないやつが最悪だ。
通行人をなめてるし
通行人をなめてるってことは
客をなめてるってことでもあるし。
入店した人間だけが客って意識ならそれも最悪だし。
つぶれたほうがいい。


週に4、5回通ってる近所のスーパー、
有線でかかってる売れ線JPOPが耳につらい。
なるべくイヤホンで遮ってるけど
ちょいちょい忘れてしまったり
バッグの深いところに入り込んでたりすると
耳に入ってくることになる。
もう誰に気を遣う必要もないし
伏字もいらないよな
あの髭男オフィシャルなんとかみたいな
ダッサイダッサイ
ダサさを煮詰めて
ダサさだけを一子相伝してきた一族のなれの果てみたいな
三下どものカス曲が耳につらい。
あんな音楽(音楽とは思わないが)を
好き好んで聞いてる連中がいるって信じられない。
全員の耳の穴を耳の穴よりはるかにでかい耳栓で閉じてやりたい。
正座だ、正座。
これからは何をするにも正座しながら過ごすのよ。
ついでに視力と握力も奪っておくわね。

これを
好みがどうこう
みたいな扱いされたらかなわん。
全身から汗が噴き出ろ。噴き出続けろ。
三分目くらいで慌てだしてヤバイヤバイとかいって
なすすべもなく涸れろ。

というのは本気で思ってるわけではないですが
瞬間的には激情が沸き立つ。
自分を戒めもする。
なにしろ自分が好んで聞いている音楽だって
あるいは音楽以外の趣味も
他の誰かからすれば許しがたかったりするわけで
それも
アホな連中はどうでもいいけど
そうでない人からもありうるだろう。
そうでないからこそというか。
だからいくらオフィ髭なんとかが
ダ、ダ、ダサくても
聴いてる人までを貶めちゃならん。
というのを全部ひっくるめて激情が沸き立つ。


妻が職場で
隣の席の人から
週末こんなケーキ食べたんですよ〜
と写真を見せられて、
うちの夫はこんなケーキ作るんですよ〜
と写真を見せ返し、
キャーすごいキャーの声を頂戴したらしい。
「マウントとりにいったんけ」
「そう。自分が作ったのでもないのに」
「わるいやっちゃな」
「あのね、すごく素直に言うとね。
私、マウントとるの好きなんだと思う」
笑った。
世間的にはもはや一般化された悪徳だが
こう居直られると健全な気もしてくる。
また、この言いぐさの肝は、
だからこそ"マウントとられると腹立つ"という点だ。
そこんとこの敵愾心には世間の声と差がない。
「もっと皆マウント取りに行ったらいいと思うよ。
マウントの取り合いなら、楽しいじゃん」
どこまで本気かは知らないが
少なくとも話している今この一時に限れば本心からの言葉なのだろう。


2021年04月26日(月) 月曜はつらい

月曜はつっらい。
よくある精神的なそれじゃなくて
単に体が重い。
怠さが他の日に比べて抜群にひどい。

体の怠さを初めて感じた日を覚えている。
小学校3年生の体育の時間、
体育館で縄跳びをし終えたインターバルの合間に、
なにか背負わされたような重みを胴体に感じた。
「さっきまでと全然違う!」
と思ったし、
「これから先ずっとこうだったらどうしよう?」
と思った。
実際、それから先ずっとそうだったわけだけど。

月曜は単に眠いのと、
たぶん日曜日に
体重をソファに預けた姿勢を長時間取り続けているのが
関係している。

それでも飯は作ったし洗い物もやった。
マグロのブツを丼にしたやつ。
刻みのりワサビ万能ねぎと、アボカドが余ってたから足した。
アボカドってマグロだかトロの味を再現できるのが強みなんだっけ。
じゃあマグロそのものがあるんだからいらないじゃん、
という考えもよぎったけど
いやマグロアボカド丼てやつも街中で見かけたことあんな
とも思ったから結局足した。
美味かった。あんま変わんなかったけど。
月曜は刺身系に世話になることが多い。楽だから。
なにしろ帰宅して20分後には飯を食べ終えてる。

少年のアビス2巻読んだ。おもろ。
一気に深み増したなあ。
1巻で散りばめてった種が芽吹きつつあるのか。
新たな要素もキャラもなく、
すでに物語に配していったありもんで
展開させていく感じが
地方都市の閉そく感と接続してなんだか巧妙だ。

狂ったラノベのタイトルをたまたま見かけて
あんまり衝撃的で覚えてしまった。
「パワハラ聖女と絶縁したら何もかもがうまくいって最強の冒険者になりました
〜ついでに可愛くて優しい嫁がたくさんできた〜」
もうホントにバカだなというか
女を敵にまわしたくて仕方ないんかっていう。
ついでに、から畳みかけていく加速度がすさまじい。
そしてどこにも書いてないけど
「可愛くて優しい」の裏地に「巨乳」という二文字が透けて見えるようだ。
なんなんだろうこれは。
こんなこと言ってるくらいだからモテが欲しているのだ。
女からの。
それでいて、女から嫌われたくて仕方ないんかっていうような
この言いぐさ。
ここまでいくと腹立たしさも恥ずかしさもないし
ただただわななく。


読みもの書くの楽しい。
ただ140字に収めるのに苦労する。
文内容を犠牲にしてもいる。
それでも楽しい。
あとはもうちょっと読まれさえすれば…
誰一人として読んでない可能性はだいぶ高いので…
ちょっとでも反応があれば…
ほんのわずかでも…


2021年04月25日(日) 日曜

ミュークルドリーミーみっくす。
ときわちゃんの回。
なんか今回は振るわなかったな。
全体的な…なんだろう脚本か…?
久しぶりにプリチャンのほうが見ごたえあった。
クライマックス感あるけど一か月遅れで終盤扱いなのかこれ。

昼飯に素麺つくって
食べ終わってすぐタルト焼いた。
焼成しながらサーモンとアボカドのサンドイッチをこしらえて、
タルトが焼き上がり次第近所の広場へ出向き
青木淳吾の
このあいだ東京でね
を読んだ。
あーすげーえ。
小説でしかできないことを
小説文を駆使してやってのけてる。
視点のドライブ感。
読書メーターの誰かの感想に
街が視点として描かれ人が風景として描かれ
ってあってなるほどって。
ところどころは読み疲れて飛ばして読んだ。
普段扱う言語としては処理できない文だから
使われきてない回路通すから
とっても疲れるのだ。
それ自体が醍醐味で凄味なんだけども。
しかし何より悔しくなるからもう読みたくない。

帰ってきて一息ついてタルト食べた。
あまおう、すご。
とちおとめと全然違うな。甘味がオッ上品に広がって。

夜は
アジの梅肉ちらしをやった。
アジおろしてたたきにして酢飯に混ぜて
梅肉と大葉を散りばめる。白ゴマをふる。

ブルガリア映画見た。
ソフィアの夜明け。
めちゃくちゃよかった…!
いい映画って冒頭一秒で雰囲気ある。
一秒は言い過ぎでも二秒とか三秒とかのカットで。
意味にあふれない、ただ映像を写してるだけの映像というか。
今作は昼の退廃的な街並みもいいし
夜の奥行きある街並みもいい。
ところどころで4カ月3週間と2日を思い出したな。
気まずい食卓とか。
僕にとってこの映画で一番の見どころが兄弟の描写で
とりわけ食卓は象徴的だった。
食卓の場面って複雑な事情を持ち込めがちなんかもしれん。
そう思ってみればいくつかの映画でもそんなんあった。


休日あっちゅーまにおわっちったな。
全然読みものを書くの進まん。
とくに今日なんか、青木淳吾とブルガリア映画のせいで
自由に世界観を構築させるタイプの読みもののアイデアばかり湧きいでて
かえって困った。


2021年04月24日(土) 晴れててあったかくて涼しくて気持ちいい

いい天気。
共同口座に預金するのと
家賃半額4か月分と
奨学金と実家に入れる金と生活費で
一気に40万近くおろしたドーン。

昼飯のチャーハンべらぼううまかった。
じっくりたっぷりネギ油をこしらえてから
国産ニンニク炒めてベーコンも加えて
キャベツ長ネギはサッと炒めて
卵べしゃ
ごはんトパッ
がしがしがしがし
べらぼううまかった。

飯食ってすぐ実家へ。
毎度自転車で45分ほどかけて行くのは
運動不足解消のみならず
いろいろ思考をめぐらせることができて
かなり有意義な時間になるから。
でも往路は大してものを考えなかった。
イヤホンから聞こえてくるやくしまるえつこの声聞きながら
ほんとそそる声だなとびっくりしてるあいだに着いた。

小学校だか中学校だかの
教員手伝いのパートをしている母は
忙しいなりにそれなりにうまくやってるようなのだが
校長先生がきっつい人らしい。
語気を荒らげたり言い方に配慮がなかったり
非を認めなかったりと前時代的で
そのせいでやる気をなくしてしまい辞めてった若い教師も
何人かいるんだとか。
が、話を聞いているとそんなに母は
彼女(校長)へ悪印象を抱いてないような口ぶり。
どうやら正面切って勝ち気、という人はへっちゃらのようだ。
「だって、ウチの家系がそうだからね」
なるほどだ。
パワハラ上等なのだ。
荒々しくやり合える相手は
よっぽどやりやすいらしい。

ついでに母の日の相談をした。
コロナを警戒して翌月は来ないから
花でも贈ろうかと思っている。
そう伝えると、花はいらないとの答え。
でも鉢植えならありらしい。

あと、祖母の手術が難なく成功したそうだ。
「あれ笑っちゃうわよねえ。
手術中にいつ終わりますかって聞いたら、
もう終わってますって。言われたって。
あらいつ手術したのって。うふふ。
手術っていっても内視鏡のあれなのに。
手術っていったら切ったりするものって思ってるのね」
「内視鏡の手術ってどんななの」
「知らない」
じゃあ笑うなよ…。

それから今も実家に住まう次男が
一瞬だけ廊下に現れたが
ちゃんとお兄ちゃんに挨拶しなさいよと母は言う。
しかし僕ら兄弟はまったく仲は悪くないのだし
ろくに口を聞かないといっても
これはこれで一つの兄弟像なのだという意味のことを伝えた。
長男にはかなり面倒になってきているうえ
近年はすっかり蟠りのない会話ができるようになっているが
僕からすれば次兄に対しても長兄と同等の信頼を寄せている。

昔を懐かしんで復路ではミスチルのクロスロードを聞いた。
冷静になってみれば
何がいいんだか
っていういかにも売れ線のポップスに過ぎないけども
7歳か8歳くらいの頃
狭いマンションの一室で
兄二人と布団を奪いながら夜の自由時間を過ごしている間
よくこの曲が流れていた。
実はそんなに繰り返しかかっていたわけじゃないかもしれないのだが
やけに思い出深い。
そこにいるだけでいじめられるから隅っこで気配を殺し
ひっそり兄の漫画を盗み読んでいた。
この頃は貧乏していて、母は毎日がつらく、
思い返すと泣けてくるそうだが、
僕にとっては幼少期のかけがえない記憶で、
なんだったら
いつでもあの空間を追い求めてる。
最高の片思いとかいったか、
夜に放映していたドラマを
家族4人そろって布団の上で見た時間を忘れない。
福山雅治のHelloを聞くたびに思い出す。
自分というものの起点、因果の発生が
あの時あの空間にある気がする。
この思い出は単に感覚だけで
まったくエピソード性がないから
人に聞かせる意義も文章に残す機会もなかった。
でももし自分が消失してしまったら
この思い出はこの世から消え失せてしまうのだなあと思い
書いてみた。
しかしそれは誰のどんな思いででも同じだ。
記憶は記録できるが
思い出は記録しえない。
当人の感覚は完結性が高すぎて外部保存できず、
当人の消失とともにこの世から抹消されるさだめだ。
もしかしたら
プルーストの失われた時を求めては
この限界を突破してるのかもしれないが
読んだわけじゃないのでわからない。


自転車こぎながら
友達少ないよなあってぼんやり考えた。
増やそうと思えば増やせるんだろうけど。
友人の友人みたいな関係性で広げていくのが
自然で健全だってイメージはある。

友人の友人は、なんでだか初対面で
殺すぞ
って思ってしまう。
いや別に殺害したいわけじゃなく
単に敵意をもってしまう。
女性なら別だけど。
知らない男ってだけで
知り合った瞬間は
ぶっ殺してやる
くらいの気合が破裂する。
一瞬後にはしぼむし、
すぐに和やかな仲が紡がれることはわかってるんだけど。
それでもだ。
知らない男は大体敵だ。
だから知り合っていけない。
しかしこれはこれで大事な自分らしさだとも思う。
ぶっ殺すぞ
って気持ちがもてなくなったら
例の、あの、
大人になってしまう。


緊急事態宣言下で活動が抑制されるから
古本屋とか図書館でいろいろ仕入れてきた。
中野区立図書館はまだ方針が決まってないようだ。
ホームページの方をごらんください
と言われた。
オツカレっス。自分応援してるっス。


青野くんに触りたいから死にたい1巻
面白かった。ホラーでもあるのが楽しい。


夜は映画を。
前々から気になってた
TOKYO!
を。
オムニバス三本のうち
初め作品は知らない監督で
イマイチだなあと思ってみてたけど終盤よかった。
イマイチなのは脚本。
それも多分、ホンとしてはいいのだけど
日本語にしたときのト書きがよろしくないのだと思う。
それを口にしていく役者人もよくない(加瀬亮はよかった)し
芝居の演出も行き届いてない感じ。
ゴチャゴチャした部屋は好み。
話はよくできた読み切り漫画みたい。
二本目は本命のレオスカラックス。
ホーリーモーターズの野人の元ネタがこれか。
銀座であれをやってくれるのは満たされるものがある、
街中を闊歩しながら無意味に無法を働いていく
というのは僕の中にもあるイメージで、
ひとつの完成形を見た。
しかしこいつは…
おれたちの東京をめちゃくちゃにしやがって…
ニュース番組のとこなんか完全にふざけてるし。
でも、映画だった。
刑務所内だろうが裁判中だろうがカラスの鳴き声がところどころ入る。
現実がどうあれ、レオスカラックスにとってのTOKYOはそうなのだ。
三本目、ボンジュノ。
いっとう良かった。
というかボンジュノの他作品と比べてもパラサイト含めて
このシェイキング東京がいちばん。
日本でロケして日本人しか使ってないんだから
理論上は日本人でもこの映画は撮れるはずなのだと思うと悔しかった。
香川照之の一人芝居ずっと見てられるし
蒼井優はかつてないほど美人に撮ってもらってた。
音楽もよかった。
なにより脚本か。
引きこもりと地震。
引きこもりが引きこもりに会うには。
途中、街中ですりガラス越しに見た女性の人影が消えるとこ怖すぎる。
あれがあるから、
引きこもりが外にでましたという希望きらきらのシーンじゃなく、
不安や精神的歪み、非日常の世界といった重みが
グッと作品を締め付けてるのだなあ。
かえすがえすも素晴らしい。
人を食ったようなラストはいただけないけども。


2021年04月23日(金) 攻撃的

緊急事態宣言が出るとのこと。
それにともなって勤務形態が普段と変わる。
だから各部署の責任者にあたる人間が
その調整をしていくはずなのだが
決めなければならない何を質問しても
どうなんだろうね
の一言でワンクッション置く。
低能なのは知れてるから
こちらから問題点を整理しきってやって
ほとんど方針を指図してやるくらいのヒントも与えてやって
そのうえでイエスかノーで答えられる質問形式にして
そこまでやっても
わっかんないんだよねえ
と独りごちる。
わかんないならわかる人間に確認しにいくのがお前の役目です。
僕はそういう停滞がばかばかしくって嫌気さすから
率先して動いて見えにくい事情を明らかにして
その都度妥当案を練って関係者から承認を得ていく
という役回りをかつては引き受けていて
実務のみならずそういった立ち回りが
当時の上司からたいへん評価されていた
のだけど上司が入れ替わってから逆の評価になった。
余計なことはするなと。
そして責任者が僕から低能の先輩に入れ替わり
ばかばかしい停滞に毎日悩まされることになった。
簡略化するとこんな感じだけど
なんともはやありふれた話だ。
それも二十代半ばくらいの仕事の愚痴でよく聞くような。
とても人に話せたもんじゃねえや。


毎日通ってる庚申通り商店街に
ホラーカフェとかいう店ができて
まぁ好きな人は通えばいいんじゃないですか
くらいのつもりで大して興味ももってなかったのだけど
いつも暗い2Fの窓に人形が置いてあるのです。
呪怨?ぽい、青白い子供の。等身大に近いサイズで。
それが外へ向けて体育座りしていて。
ものすごい不快だ。
ホラー好きなやつらは勝手にこの店の中で楽しんでりゃいいにせよ
そうでない人に向けてまで何してんのって
不快で不快でしかたない。
ホラーが苦手ってわけでもない僕ですら
視界の隅に違和感を感じてそれを視認した瞬間はギョッとしたし
ましてホラー嫌いな人からしてみたらしばらくは脳裏に焼き付くだろう。
「反応を楽しむ」みたいなお寒い趣味も働いてるんだろうし
抗議含めていっさいリアクションしたくないけど。
あれやめてもらえませんか
なんて言われたら連中はもう達するほど喜んじゃうもんな。
ゲスだ。


ところで
ある人が攻撃的な態度してたから
その人に対しては因果応報とばかり
攻撃的に接していい
ってのはちょっと違うと思う。
自分もそれに近いことやってしまうことあるけど反省が必要だ。
これは連鎖の構造をもつから。
AさんがBさんに厳しくあたっていました。
それを見てきたCさんはAさんに厳しく接するようになります。
「あなたがBさんにしてきてたほど厳しくないよ」
という言い分がCさんにはあります。
しかしAさんからすると、
BさんはかつてDさんに苛烈な厳しさで接していたから、
「あなたがDさんにしてきたほど厳しくないよ」
という言い分があるのです。
Cさんはそのあたりの事情を知らない。
AさんもBさんもDさんも言いたくはない。
しかしまたDさんにも似たような背景があったかもしれず…
って。


生クリームあまってたからカルボナーラ作った。美味しい。


2021年04月22日(木) いろいろ考えてんな

文化大革命についてちょっと調べた。
もともとのイメージとして、
悪名高い文革のせいで
中国はその文化や文物、歴史が積み重ねてきた風習を
バキバキ破壊されて
儒教思想も根絶やしにされて
そうして今の中国になっていった。
歴史で学ぶ中国と今の中国が結びつかないのも文革のせいだ。
という見方があった。
調べた限りそう誤ってもなさそうだったが
一部の意見としては
文革が破壊せしめた文化文物は
広大で深遠な中国文化のほんの一部に過ぎず、
莫大な歴史を誇るかの国においては
その影響などたかが知れている。
そーゆー話があった。
これがどれだけ正しいかはともかく、
なるほど自分は
文革がとかく悪の原因になっていると見なした方が
自前の思想の論法が成立しやすいから
安直にその図像に飛びついていたきらいがあったな
と反省した。
こういうことって多い。
自分で描いた絵図のピースを埋めるために
よそから引っ張ってきた断片の形を
都合よく歪めてはめてしまうこと。
いや、歪めるというほどじゃない。
曲解や牽強付会くらいなら皆意識してる。
あらゆる物事には正誤も善悪も多元的に含まれている。
少なくとも、そう前提すべきだと僕は思っている。
そのバランスを無意識的に偏らせて扱ってしまうルール違反を
世の多くの人が犯している、
だから自分は気を付けよう本当に気を付けようと、
かなり警戒していたはずなのに
まだ自覚しきれてなかった。

意見。主張。論考。
対立するどっちの意見も正しい。
どんな正しい意見にも穴はあるし
どんな愚かな意見にも正しさはある。
そんなことは当たり前だ。当たり前のはずだ。
でもなかなか共有されてない。
だから正論なんて恥ずかしー言葉がはやる。
コロナ禍は世間に潜んでいた多くの問題を暴いてってるが
意見の対立については
みなさん身近になってよかったと思う。
意見の対立慣れをしてないと被害者意識ばかりもってしまうから。
コロナ禍で目下いらいらしちゃうのは
「〜しないと意味がない。」構文。
もともとコロナとか関係なく大嫌いな言い回し。
全然何にも考えてないんだなって思う。
ただ強調したいからその言い方を
慣用句的に採用してるに過ぎない、
軽い軽い、上滑りの日本語。
だいたいほとんど意味はあるし。
本気でその意味を見いだせてないならまんまバカだ。
さすがにそこまでバカとは信じたくないから、
ただ強調したいだけで何も考えず
その言い回しを使ってる三下という見方にとどめておいてやる。


ここの日記には
かっこつけずてらいもなく
文章も練らず
ただネガティブな感情を書きつけてしまおうと決めてる。
こうしてみるとTwitterなんかでは
ずいぶんかっこつけてたんだなあと気づく。
そして毎日いろいろなこと考えてるもんだなあと再認識。
Twitterでは考えがキッチリ整理されたうえで
ちゃんと健全な出口を用意して
さらにそれが140字×3程度にまとまらないと
投稿もしないようにしているから。
ここでは書きなぐってるだけなので
毎日じゃぶじゃぶ所感が出てくる。
今日こんなことを思った。
ってだけなら無限に出てきちゃうもんな。
頭のなかの一日は24時間よりはるかに膨らんでる。

あぁそうだ
TwitterでRTされてきたツイートで
まともな人はTwitterやめてったから
今残ってるのは異常者だけ
みたいなしょーもない
いかにもTwitter的痛々しさにまみれた文を読んで
いちぢるしく気分が害されてたことをここに記録しておきます。
自虐風なのが本当に痛々しい。
帰属意識まみれで恥ずかしいし
これに無批判に賛同してる連中って
「ほんと私の周りって変わった人ばっかりなんだよね」
とか
もっと言うと
「濃いメンツと飲んだ!」
みたいな言いぐさをどう捉えてるんだろう。
お前らがみたいな連中が一番
こうした言いぐさをイタイイタイ!って面白がってたんじゃないのかって。

あともういっこTwitterで。
グルメ情報や美食の美学を書きつらねているアカウントを
フォローするでもなくリストに入れるでもなく
たまに覗いていて
しかしどうやら人格的には好めない。
彼なりの思考様式は確立しているし
文章の節々に知性が散りばめられ
世間的に見て賢い人ではあるのだろうとは認められる。
ただ気に食わない。
人格よりは価値観の問題だろう。
勝手にツイートを追っていながら
ひそかに敵愾心を燃やす一人相撲をとっていたのだけれど
何日か前のツイートで大塚英志の名前を自前の論法に援用していた。
それを見てどこか安心してしまった自分を恥じた。
大塚英志は文芸評論も創作もいくつか見てきたが
くだらん男だ。
生半可なくだらなさじゃなく
日本の文化にとって害悪と見なしきってるから
はっきり悪い言葉で貶す。
アホをもっとアホにさせるアホの活性剤みたいな男だ。
こんな愚劣の筆頭みたいな輩を好む人間が
この世から一人でも少なくなればいいと本気で思っている。
なのに、今回そのアカウントの彼が大塚なんとかの名前を
(好きかどうかまではわからないが)引っぱってきたことで、
僕は瞬間的に、
ほらねやっぱりこの男も下らん男だった、
と自分に言い聞かせる心理を作用させていたのだ。
これはとても、とてもとても醜いことだ。
劣等感まるだしだ。
フェアーでもない。
品もない。強さも。知性も。
ただ、この作用の構造自体は、
人間が人間と関わり合うフィールドにおいて、
多かれ少なかれ、見えにくく働いてるとも思う。
覚えておきたかったのでここにメモ。
へこんだが…。


れどれ |MAIL