舌の色はピンク
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2020年04月23日(木) 漫画ベスト50 [50-31]

一作家につき一タイトルの縛りにしました。
本来つけられようはずもない順位を無理矢理並べているだけなので、ほとんど上下の意味はありません。
なお漫画は楽しいものであってほしいという思いがあり、シリアスだったり芸術的だったりするよりかは、健全で娯楽性の高い作品を好んでいます。


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50.セクシー田中さん(既刊2巻)[芦原妃名子]



アラフォーOLに執着する20代前半OLという取り合わせの妙がまず面白く、またベリーダンスという題材も興味深い。
田中さんという人物像は、この時代にあって誰かに書かれる必要があったのだろう。その担い手が芦原妃名子でよかったと思う。




49.ギャンブル王子嵐(全3巻)[中島徹]



日常の出来ごとのなんでもかんでもを賭けの対象にしてしまう高校生が主人公のギャグ漫画。
ギャンブル狂いの外道担任教師と、家格の再興を夢見る元金持ちを加えた三人で、本当にずっと万事を賭けてる。
キャラがみんな倫理観なくて自分をつくろわずエゴ丸出しなのがたまらない。
「少年雀鬼 東槓」や「玄人のひとりごと」も好きだけど、この漫画はとかくキャラが素敵。ゲスなのに憎めない。




48.マギ(全38巻)[大高忍]



冒頭からずーっと面白い。面白さだけでできてる。
王道少年漫画の大筋を邪道の枝葉で彩っている感じで、重たい話はとことん重たいし、登場人物同士の思想の行き違いも奥深い。
冒険ファンタジーのモチーフに中東が扱われるのは新鮮だった。
必殺技や魔法なんかも、アラビア語っぽい語感があてがわれていてこれが盲点的かっこよさ。




47.初恋の世界(1〜7〜続刊)[西炯子]



地方のチェーン喫茶店店長を務める独身四十女の主人公のもとにやたら料理の上手い男が現れ、ドラマが始まる。
"地方"、"大人の女"、"職務"がキーワードともいえる西炯子の集大成みたいな漫画。
大人というものにも幾多の区切りがあって、いちいちに、それぞれなりのモラトリアムがあるのだと痛感させられる。
しかもこのモラトリアムは運動する。その運動の軌跡を物語として読める作品。巻を重ねるごとに面白い。地道に面白さ増していくのが憎い。



46.ミラーボールフラッシングマジック(短編読み切り)[ヤマシタトモコ]



こんな漫画が読みたかった、というより、こんな漫画が描きたかった、と多くの人に歯噛みさせたであろう傑作。
少なくとも僕は悔しかった。
感動とか熱狂とかいった琴線をひゅるりとすりぬけていく、実にスマートな仕上がりそれ自体に感動する。




45.あさひなぐ(既刊32巻)[こざき亜衣]



青春ものではあるのにキャラクターが軒並み"性格が悪い"ことで評判の薙刀漫画。
正確には、誰にだって嫌いな人間っているし仲のよい相手にだって苛立つことはあるよね、くらいの、きわめて気取らないありのままな人間関係が表れている。
それだけにイイ話が際立つ。感動の押し売り感がない。




44.NANA(既刊21巻)[矢沢あい]



まず話の展開が面白い。人物が生きているから一つ一つのなりゆきが自然。
キャラクターたちが直面する問題はいずれにおいても正答がなく、誰しもに常に多層の葛藤が配されているわけだけども、各々の立場や価値観に根ざした論理展開、行動様式がさらなる無限の葛藤を生み出す始末。
NANAを読んだ男が、あぁこういうとき女の子にはこう振る舞えばいいのか、と学んだ気になるのは大変危うい。この漫画は何かにつけ正答を示していない。
わかった気になっちゃいけないな、くらいできっとちょうどいい。




43.土佐の一本釣り(全25巻)[青柳裕介]



古めの男くさい漫画。
カツオ漁船の船旅の苦労と歓喜が本題のはずだけど、ちょいちょい挟まれる陸に戻ったときの女とのふれあいこそが読みどころ。
一見すればいかにも前時代的な男尊女卑ありきな男女観。
しかし、例えばさだまさしの「関白宣言」が女を服従させるようでいてその実あまりに厳しい克己心を男側に課しているように、この漫画においても、女を邪険に扱いながらその実、男に対してのほうがよっぽど厳しい。イイ男への花道は長く遠く険しすぎる。




42.究極超人あ〜る(全9巻+1巻)[ゆうきまさみ]



高校の光画部、つまりは写真部を題材とした、元祖文化系漫画とでもいうんですかね。
何を目的ともしていない、一風変わった、でもただの高校生活。
先輩-後輩の関係性が今の時代のそれよりずっと色濃く、ちゃんと"先輩が後輩を振り回す"のが楽しい。
そして主人公の"あ〜る"が唯一無二のキャラクター。
忘れられない名言がいっぱい。
“怒ると胃に悪いぞ。胃が悪いとご飯が食べられなくなるんだ。ご飯が食べられないとおなかがすくじゃないか。おなかがすくと怒りっぽくなるじゃないか。怒ると胃に悪いんだ。胃が悪いとごはんが食べられなくなるんだぞ。ご飯が食べられないとおなかがすくじゃないか”



41.PAINT IT BLUE(短編)[松田洋子]



とても女性が描いたとは思えない、などという表現は失礼だし常々避けているが、この漫画だけはそう評させてほしい。
とても女性が描いたとは思えない、男性的な、カビくさく汗くさい、モノクロームの世界。
零細町工場で働くブルーカラーの現場を舞台に、"ひもじいけど幸福はあるよ"という描きかたもせず、"こんな暮らしは最低だ"という描きかたもせず、ただどっしりした読後感を残す。
「赤い文化住宅の初子」の方がお話として好かれるだろうけども、心に残ったのはこっち。冒頭数コマ時点から"すげー"ってなった。




40.げんしけん(全9巻+続編全12巻)[木尾士目]



オタクサークルを描いた大学青春漫画。
今ではもうオタク自体もオタクを取り巻く風潮もすっかり変わってしまったが、連載開始当時の感覚からすれば、斬新な試みかつ見事な成功だった。
漫画の教科書かってくらいコマ割りが上手い。好き嫌いや独自性だとかを寄せ付けない正統派の上手さ。上手すぎるから格別上手いとも意識せずに漫画を読ませられる上手さ。
この上手さがあるから、場の空気の表現も大いに生きる。
ちょっとした沈黙や間、言葉を選ぶ取次ぎの一秒間、遠くにだけ人の気配のある建物の夜の静けさ、相手の目を見て出方をうかがう視線など、漫画でしか表わせ得ない空気感を、もののみごとの原稿上に再現している。




39.刃牙(シリーズ100巻超)[板垣恵介]



少年漫画において"ハッタリ"は欠かせない重要兵器。
この漫画ほど読者へのハッタリが痛快な漫画もそうそうない。
作中の無茶を、ぎりぎり現実にあるかもしれないと思わせるような論拠や情報を示して説明するのだ。これにどれだけ無垢な少年読者が騙されてきたかしれない。
だが少年たちも恨みはしないだろう。
それらは作中の破綻を秩序立たせるために置かれた無機質な設定、では決してないからだ。
面白い嘘なのだ。それも、法外に。




38.ひきだしにテラリウム(短編集)[九井諒子]



漫画という調理器具を小器用にあやつって、無限とも思えるアイデアを食材に、多彩な料理をふるまってくれる。
僕はウェブ漫画に偏見があり、あまり読まない。
"どうせ面白いんでしょ"という目で見てしまうので、読んでも"ほら面白かった"くらいにしか感得できず、自分の未熟さを思い知らされるから。
ところが九井諒子には負けた。"あああ面白かった!"と感動できた。あれだけの感動を認めないわけにはいかない。




37.咲-saki-(既刊20巻)[小林立]



特殊能力ありの麻雀漫画。
巻を増すごとに遠慮なくなってくバトル漫画のごとき能力の数々は、読者から何でもありかよみたいに諷されがちのようだけれど、実のところ能力と勝敗の成り行きは実によく練られている。全然何でもありじゃない。すげーです。
ページの割り振りが大胆で、ふつう10ページかけるようなエピソードをあっさり1、2ページで済ませたりする。そのぶん大ゴマ連発したりもして、かなり特殊なコマ割りだけどめちゃくちゃうまい。
人物の掘り下げが絶妙。膨大な数のキャラクターたちは、1,2ページはおろかほんの数コマだけでキャラ立ちさせられてたりして、余計な説明で埋めない"隙間"がうかがえるのもこの漫画の魅力だと思う。

 


36.ステップバイステップ(上下巻)[安永千澄]



"階段"を共通のモチーフとした短編集。
安永千澄の頭のなかの宝石箱を覗かせてもらったような、貴重な体験をさせてもらった。
とくに上巻に収められている、ひな壇の話の心澄みわたる美しさ!
文学作品をコミカライズしたようなとも言いたくなる一方で、漫画でしか表現しえない作品だとも。
何度でも読みたくなる。なのに今手元になく、その短編のタイトルもわからない。




35.殺し屋イチ(全10巻)[山本英夫]



ラブコメ。
変態猟奇アクション漫画と見るかラブコメと見るかどうかで評価が変わる。
たしかにヤクザが銃をぶっ放す。殺し屋の刃は顔面を切り裂く。彼らの抗争において、またときには抗争に関係ないところで、男性器も女性器も容赦なく破壊されたりはする。
でもこれは、世にも美しく楽しい、ラブコメなのだ。ぜひとも最終巻まで読んでほしい。




34.宮本から君へ(完全版 全5巻)[新井英樹]



会社員の仕事漫画としては異様に過ぎて、あえていうなら青春漫画に近いが、主題は主人公宮本の生き様。
直情的で爆発しやすく、奮闘しようともがく男といえば類型が浮かびそうなところ、読んでみれば無為一無二の人物像が開かれていく。
新井英樹は話が書ける作家。
漫画はジャンル問わず、”展開”はあっても”話”がないことが多い。
この人の書く人物は、…たまたま漫画ページにとじこめられているだけで…人生を生きているので、話になる。
「キーチ!」「ザ・ワールド・イズ・マイン」「愛しのアイリーン」、代表作の多い氏の漫画はいずれも魅力たっぷりながら、作品に込められたパワーが溢れかえっておさまらない「宮本から君へ」を、今は推したい。
 



33.アイスバーン(短編)[西村ツチカ]



絵がいい…。
アートみたいな方面にいききらない、あくまで漫画の領分を土俵にしているところも好き。
読むと脳が解放される。頭蓋骨とかいう狭い部屋に閉じ込められてたんだなと気づく。




32.失恋ショコラティエ(全10巻)[水城せとな]



逃げ出したくなるような恥ずかしいタイトルとは裏腹に、人間の弱い部分や醜い部分や浅ましい部分を暴きたてそこへ幸福も歓喜もくっつけてしまえる手並は神がかり的。
幸福と不幸は共存しているし、希望と絶望は抱き合わせで、いつでも明日は待ち遠しく遠ざけたい。
この漫画は表面的な人間ドラマとしても楽しめるし、奥底にたゆたう"幸福の正しさ"について思考を向けてみても興が尽きない。
「脳内ポイズンベリー」といい「窮鼠はチーズの夢を見る」といい、水城せとなは外れがないです。
現在連載中の「世界でおれが一番◯◯」も度肝を抜かれる面白さ。完結したら順位覆るかも。




31.喧嘩商売(全23巻+続編既刊13巻)[木多康明]



"最強の格闘技は何か?"
16人に及ぶ格闘家たちの生い立ちは、まるで"Wikipediaにある人物ページで面白い記事"の面白味の核心を培養したような強烈なエピソード揃い。
それ自体だけでも面白いし、それがキャラの背骨となるから対決にも深みがある。
「喧嘩稼業」としてリスタートしてからは、ギャグは控えめに、ほぼシリアス路線になってくれた。
ギャグ漫画だった「幕張」にも「泣くようぐいす」にも、きっと木多先生はこんな路線へ舵を取りたかっただろうと推し量りたくなるような試みはみられる。
どっちもできてしまうし、どっちもやりたかったのだろう。今はシリアスをお願いします。
あとこの漫画の主人公佐藤十兵衛は、世間的に褒められた人格をしていない。
いわゆる"卑怯キャラ"だとか"ダークヒーロー"だとかの生ぬるい役どころではなく、本当に"嫌なやつ"なのだ。
それでいて魅力的。木多先生にしか描けないキャラクター。


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次の記事に続きます。


2020年04月19日(日) 小説ベスト50 [10-1]

ああ本当に素晴らしい作品ばかりだな…誰彼に読んでもらいたくて仕方ない。
本なら買い与えるから。お金払うから。感想なんてせがんだりしないから…どうか…


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10.時間[横光利一][中編]【青空文庫】

"どうも考えると面白いもので女達の不倫の結果がそんなにも激しい男達の争いをひき起したにも拘らず、しかしまたそれらの関係があんまり複雑ないろいろの形態をとって皆の判断を困らせるほどになると、却ってそれが静に均衡を保って来て自然に平和な単調さを形成していくということは、なかなか私にとっては興味ある恐るべきことであった。"

男女十二人による夜逃げの行軍には乱痴気なパレード感があふれ、そこでは人間の美しさも醜さもありのまま露出して、読んでいると登場人物ともども疲れ果てていく。と同時に笑える。主題にあたる「時間」という観念への接近にはおののいた。間違いなく文学作品にしかしえない接近で、初めて読んだ時には「これは知っちゃいけないやつだ」「考えだすと危ないぞ」と心底身震いしたのだが、読み直したときにはそうでもなかった。たまたまチャンネルが合ったのだろう。




9.第七官界彷徨[尾崎翠][長編]

"――よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。"

愛してるぜ尾崎翠。詩によってしか交通しえない宇宙「第七官界」へのさまよい、たゆたい、いざない。女中部屋で日々、第七官界への観想に耽る町子が、同居する二人の兄と従兄とのふれあいで、何がどうなって、何をどうしたか、そんなことは、どうだっていいじゃないですか。尾崎翠は「言葉は文学の大敵」とこぼしていたそうだ。このひとの文学とやらはあんまり余人とかけ離れていて、ろくろく理解できる気がしない。それでも尾崎翠にしか見えない世界を、尾崎翠にしか書けない文体で、誰もに読める物語にしてくれているのだから、感謝してもしきれない。




8.この世でいちばん美しい水死人[G・ガルシア・マルケス][短編]

"泣いているうちに、あわれなエステーバンがこの世でいちばんおとなしく従順で、痛ましい人間のように思えはじめた。"

大好きだぜマルケス。ラテンアメリカ文学はよく「死者と生者とを区別しない」と評されるが、区別はある。死者はあくまで死者として扱われてはいる。この作品では水死体をモチーフに、美しいイメージの奔流が繰り出される。愛も優しさも怖ろしさも馬鹿馬鹿しさすらもあるこの奔流にすっかり身を任せ、こちらも溺死してしまおう。出来事をリズムよくひたすら叙述していくスタイルは、彼の偉大な代表作「百年の孤独」と共通しているようだ。話に聞くばかりで、「百年の孤独」自体はまだ読んでいない。とっておきとして、読みたくてたまらないのをこらえている。




7.心理の谷[久生十蘭][中編]

"なんでもないことのようだが、このほ、ほ、ほ、は、たいへんに意味深長なのであって、お前などは地獄へでも墜ちてしまえと仰りたい時に、貴子さまが好んで用いられる修辞なのである。"

いくらか漫画的でたわんだ筆運びだけれど、これに小説的面白さを認めないわけにはいかんでしょう。小説としても漏れなく面白いしぞんぶん笑えるし何より人物のひとりひとりがかわいらしい。カワイイという現代的価値観に適応するどころか牽引できるほどの魅力があふれてしまって、それだけにもったいなさを感じる。文章の巧緻ばかりでなく人物のセリフ一言一言にぞんぶん血が通っているものだから演劇でも観たくなる。なのにあまりに文が巧みでセリフが生きているから演劇いらずという生憎ぶり。




6.一千一秒物語[稲垣足穂][短編連作]

"ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた"

メルヘンであり、SFであり、寓話であり、幻想文学であり、詩であり、ところどころ意味不明。僕は初見時、天体にすべてが支配されたようなこの世界があんまり美しくって、涙が出た。感性ののびゆきはどこまでも自由で、文章表現におもねる義務すらない。




5.湖畔[久生十蘭][中編]

"この夏、よんどころない事情があって、箱根芦ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。"

ミステリとも幻想文学ともとれる構成で、あっという間に読める娯楽的中編にもかかわらず、読み手が求める形へと小説内容はいかようにも変容する。文体の魔術師久生十蘭の怪人的傑物っぷりを堪能するにふさわしい逸品。

発電できるほど面白い。一分の隙もないのに、文節は絶えず舞い踊り、行と行の間には宇宙が広がって、まったく物理法則が通用しない精神世界の未踏へとかどわかされる。文字が読めてよかった。そう痛感する稀な機会を得た。(読み終えた当時の感想より)




4.箱男[安部公房][長編]

"ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺りまで届くダンボールの箱のなかだ。つまり、今のところ、箱男はこのぼく自身だということでもある。箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけているというわけだ。"

読み終えてしばらくは一般的な小説が読めなくなった。読者は主観を強奪されて、この得体の知れない小説世界に参加させられてしまう。あの奇天烈な酩酊感、果たして酒や薬ごときで代替されうるものだろうか。
具体例を挙げると、状況だったり人物だったり心境だったりといった場面を説明するために必要な情報においては極めて筆を制限しているくせに、どうでもいいような小物、とるにたらない仕草、ほんのちょっとした設定ばっかり、微に入り細を穿つ描写を惜しまなかったりしてる。こちらが慣れ親しまない格好で、カメラのズームインとズームアウトを繰り返される感じがあって、すっかり酔わされてしまう。こうした手練手管がきっと無数に張り巡らされているから、知らぬ間に心身は乗っ取られ、小説世界に取り込まれ、気がつけばもう抜け出せない。なんともおそろしい。




3.件[内田百��][短編]

"黄色い大きな月が向こうに懸かっている。色ばかりで光がない。夜かと思うとそうでもないらしい。"

不気味で怪奇で薄ぼんやりとして、視界も足元もおぼつかなく、催眠をかけられたようでもあるし、覚醒させてもらったようでもある。小説ひとつでこんな体験をさせてくれるなんて、ほとんど意味がわからない。しかも悪夢めいた調子ばかりでなく、ちゃっかり愛嬌だってちらつかせ、なんともはや、明るいのだ。ずっと、生まれてからずっと、こんな読みものが読みたかったのだと気づかされた。内田百�里如△箸蠅錣院峽錙廚任修林蝋イ鮹粒个靴真佑和燭い呂困澄�つくづくこの作品を知れてよかった。よかったどころか、自分の人生とともにあるのだから、「件」と出会えていない人生は僕の人生じゃない。




2.金閣寺[三島由紀夫][長編]

"が、私もまた、彼に倣って、その景色を地獄のつもりで眺めようと試みた。この努力は徒ではなかった。若葉に包まれた静かな何気ない目前の風景にも地獄が揺曳していたのである。地獄は、昼も夜も、いつどこにでも、思うがままに現れるらしかった。われわれが随意に呼ぶところに、すぐそこに存在するらしかった。"

主格の内面と外面とを反復してやまない不確かな理念や情動や条理を揺り動かすその正体を、しっかと暴き立てずにはおられない三島の解剖癖がぞんぶんに発揮されきって、先生いくらなんでもやりすぎですと呆れたくもなるのに、隙なく圧倒させられっぱなしでいちいち敬服せざるをえない。「言葉にはできない何か」を軒並み言葉にしてしまい、それでもしきれない部分を物語筋に担わせた小説的成功は、いよいよ涜神的ですらある。こんなに完全された作品をわざわざ好きだとも認めたくはない。その上でなお、大好きだと認めざるを得ない。

美意識を絶え間なく刺激するばかりの凄味ある文章で埋め尽くされた一頁一頁は読みながらにして宝物化されていった。ゆっくり大切に熟読玩味しながらもこの小説を読み終わるのが惜しく、最後の章は数日かけて読んだ。人工的な文体もここまで完成されていれば掛け値なしの敬いを捧げる他なく、またそれに対話の瑞々しさが織り込まれるのだからずぅっと才気にあてられっぱなし。主人公の思考は狂人のものとバッサリ処理するより、歴を辿って極めて人間的なものと通釈しないと、せっかく狂気を整序しきった本作品がもったいないよう思う。(読み終えた当時の感想より)




1.細雪[谷崎潤一郎][長編]【青空文庫】

"口数の少ない、いるのかいないのか分からないようにひっそりとしている雪子が一人殖えたからといって、格別家の中が賑やかになるわけもないのだけれども、こうして見ると寂しい彼女の人柄の中にも、矢張明るさが潜んでいるのであろう。それと一つには、三人の姉妹が同じ屋根の下に集ると云うことが、それだけで家の中に春風を生ぜしめるので、この三人の中の誰が欠けても諧調が失われるのであろう。"

事情、世情、人情、愛情、縦横無尽に飛び交う情の間隙を縫って、情け無用の針が人心を突き刺す。俗世と抱き合わせの美、誰にも礼賛されやしない徳、どんなに不確かな足取りだろうと人々は日々を歩いていく。その生きざまに華がある。僕は生まれ変わったらこの本のどこかのページの一字になりたいと心から希う。

十年間読まず書棚にとっておいたのをとうとう読みはじめ、膨らみすぎた期待を更に遥か超える面白さにぐんぐん生命力が湧いてくる。優しい。温かい。幸にも不幸にも愛がある。憂さがられがちな世の乱れを理と情と美の大車輪でつつがなく整えてくれるような物語の描きよう。こんなありがたいものがまだ中巻下巻へと続いてくれるよろこびに小踊りしそう。いっそ死ぬ直前までとっておいてもよかっただって寿命延びるものこんなもの。しかしもう止まらない。(上巻読み終えた当時の感想より)

人物はますます弾みをまして悲喜こもごもの音符が並んだ譜面上を飛び交う。仕方ないよね、と傍目からは言いたくなる事情の掛け合いが立体化複雑化を一向はばからず、人間関係の調律を日頃から好んで嗜む手合いでなければ一家のめぐり合わせを追うごとに疲れきってしまいそうだけれども、自分にはこの上なく興をそそられるし勉強になる。悶着事の教科書のよう。(中巻読み終えた当時の感想より)

散りばめられた布石から起こりうる事柄しか起こらない筋立て。雪子の行く末は「なるべくしてなった」という根の張りを強く感じる一方で、あらましのさなか呼吸ひとつしくじれば別の細雪が演じられたはずの覚束なさも秘めているけれど、妙子の方はといえば「たまたまそうなった」という受難の一方で、どれだけ首尾を全うしていたとしてもこの細雪にたどり着くように思える。物語的運命が人格モデルに超克されている。そんな野暮ったい能書きはさておき本当に面白かった。つくづく幸せな時間だった。谷崎先生ありがとう。ファンレター送りたい。(下巻読み終えた当時の感想より)


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芥川がごそっと抜けていた。
だがまあ抜けていたなら、それはそれで、そういうことだ。
まだまだ漏れはありそう。思いつく限りのお気に入りを以下に羅列。
藪の中[芥川]、河童[[芥川]、地獄変[芥川]、羅生門[芥川]、猫と庄造と二人のおんな[谷崎]、魔術師[谷崎]、痴人の愛[谷崎]、老妓抄[岡本かの子]、方舟さくら丸[安部公房]、ペドロ・パラモ[フアン・ルルフォ]、鼻[ゴーゴリ]、予告された殺人の記録[マルケス]、異邦の騎士[島田荘司]、儚い羊たちの祝宴[米澤穂信]、柘榴[米澤穂信]、白夜行[東野圭吾]、姑獲鳥の夏[京極夏彦]、階段[宮本輝]、春の夢[宮本輝]、恋[小池真理子]、戦争と五人の女[土門蘭]、月と六ペンス[モーム]、シティ・オブ・グラス[ポール・オースター]、桔梗合戦[皆川博子]、屋根裏の散歩者[江戸川乱歩]、事件[大岡昇平]、花束町一番地[久生十蘭]、葡萄蔓の束[久生十蘭]、モンテカルロの下着[久生十蘭]、新釈諸国話[太宰]、仮面の告白[三島]、沈める滝[三島]、三原色[三島]、山東京伝[内田百��]、サラサーテの盤[内田百��]、のんしゃらん記録[佐藤春夫]、文鳥[漱石]、皮膚と心[太宰]、畜犬談[太宰]


2020年04月18日(土) 小説ベスト50 [30-10]

こうしてみるとわりと代表作ばっかり。
とはいえ誰に構うものでもなし、通人からどれだけ半可通扱いされたとしても、好きなものは好き。


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30.青鬼の褌を洗う女[坂口安吾][中編]【青空文庫】

"日本人はいつでも笑う。おくやみの時でも笑っているそうだけれども、してみると私なんかが日本人の典型ということになるのか、私は人に話しかけられると大概笑うのである。その代りには、大概返事をしたことがない。つまり、返事の代りに笑うのだ。なぜといって、日本人は返事の気持の起らない月並なことばかり話しかけるのだもの、今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、いわなくっても分りきっているのだから、私がほんとにそうでございますなんて返事をしたら却て先さまを軽蔑、小馬鹿のように扱う気がするから、私は返事ができなくて、ただニッコリ笑う。私は人間が好きだから、人を軽蔑したり小馬鹿にしたり、そんな気のきいたことはとてもできない。今日は結構なお天気でございます、お寒うございます、私はあるがまま受け入れて決して人を小馬鹿にしない証拠に最も愛嬌よくニッコリ笑う。すると人々は私が色っぽいとか助平たらしいとかいうのである。"

恍惚。現実の現実性を煮詰めて煮詰めて煮詰めきったエキスを割り下に、適切妥当な言葉の数々で調味を施して、虚構の物語に仕立て上げ、こちらを現実から別天地へかどわかしてくれる。読み終えた後には恐怖の凍えや官能の火照りが心身に残される。そうとも、あちきが小説に求めているのはこれだよと、夢心地の恍惚に浸りきった。(読み終えた当時の感想より)




29.鮨[岡本かの子][短編]【青空文庫】

"はだかの肌をするする撫でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯のように子供の身うちに湧いた。"

それだけでも見栄えする物語の茎に情念の蔦を絡ませて場面ごとの枝葉を彩ってる感じ、美しさに舌を巻く。語句と語句の接続が有機的で文章が実に生き生きしているため、読んでいて一秒も退屈しない。食の写生にやたら定評がある岡本かの子がまさしく食そのものを題材にしたともいえる今作は、そればっかりではなく人間模様にもよどんだ現実感をもりこんで、互いを引き立たせている。鮨そのものはそんなことないのに、鮨を食べる人間はなんとねっとりしていることだろう。




28.アップルパイの午後[尾崎翠][短編戯曲]

"「どこまでチョコレエトなのよ。ひとを打った理由も言わないで月夜の溜息を読むなんて。訳をおっしゃいてば。私今後は拳骨一つだって理由を糺さずには置かないことよ。お人好くしてればきりがないわ。今までだって理由なくいくつ打ったと思ってるのよ。ちゃんと日記につけてあるから、私、いつかは総決算をするつもりよ」"

蓮っ葉な妹と詩を解さない兄の、世にも痛快な口論がそのまま戯曲となっている。「アップルパイの午後」だなんてまるで初期少女漫画のタイトルのようだが、実際、尾崎翠の影響は強くあると松岡正剛あたりが評論していた気がする。まさしく、少女漫画黎明期の"よさ"を結晶化したような気味合い。音読したくなるセリフ回しは何度口にしても飽きない。




27.お絹とその兄弟[佐藤春夫][中編]

"私はそれほど、それに悩まされたほど、度々、その話を聞いたのだ。おかげで私はおきんの話を、今でも、ほとんど彼の女の言葉通りに語ることができる。"

佐藤春夫が実際にお絹さんなる女性から聞いたという触れ込みで話が語られる。たしかにこの話運びは面白すぎて、そりゃあ、何度でも聞きたくなるだろう。しかしいくら話が面白く、言葉通りに語れるといっても、それをまんま文章に落とし込むには絶大な技量を要するわけで、佐藤春夫は実にいい仕事をする。「田園の憂鬱」を読んで以来、おかたい美文家の印象が強すぎるほど植え付けられていたのが、くつがえった。ゆるみ、隙間、あそびといった部分に高等な余裕さが見受けられ、こちらも雑感混じえながら読み進められる感じ。




26.押絵と旅する男[江戸川乱歩][短編]【青空文庫】

"だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違った別の世界を、チラリと覗かせてくれるように、また狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかも知れない。"

乱歩だからといって怪奇物に分類されてしまうのだろうか、たしかに理知が働かせてあるぶん幻想文学のような無重力感はなく、地に足はついているのだが、独特の夢の体感がある。押絵の描写もいい。現実を現実として着実に描写しているから、いっそう非現実的な魔力が効いてくる。多くの少年少女に読んでほしい。空想力をブーストさせる装置の働きも期待できるし、教科書に載せてしまえとすら思う。




25.可哀相な姉[渡辺温][短編]【青空文庫】

"この頃になって気がついた事だが、姉の草花を入れる小さな籠に一輪の花はおろか枯れ葉や花の匂も、ただの一度だって、そこに花なぞの入っていたらしい形跡をみとめ得たためしはなかった。"

ダイナマイトは食べることもできますと言って憚らないかわいそうな姉。気味悪く冷酷で悲しく美しい終焉にある一文が見事で、あの一文だけで、忘れられない作品となってしまった。渡辺温の小説を並べてみると、人物の取り違えとくくれてしまえそうな設定の妙の数々が、たんなる物語上の楽しい楽しいミステリ的な仕掛けなんかでなく、渡辺温という作家がいかに人間界を感知していたかに描出の糸口を見い出せそうで、その視野視力に勝手ながら親しみを覚える。そのつもりで読めば風景ときたらやたら小気味よくさくさく書き捨てるのに人物のほうは名状模様がどうにもクリアーでなく陰湿だ。IDの希薄な人影たち。そんな人物観のある渡辺温だからこそ、この可哀相な姉は、奇妙に特別な同一性を宿わせている。




24.恋と神様[江戸川乱歩][短編]

"こうして私は、彼女の霊を盗んだつもりだった。"

正確には小説でなく、おそらく自身の思い出話に過ぎない。とはいえお話の体裁をとっているにつき、ねじ込んでしまった。文庫で六頁の掌編ながら乱歩で最もお気に入りの読み物なのだ。毒気の代わりには少年らしき可愛げが備えられ、なおかつ背徳的な妖気ばっかりは漂わせ、乱歩学制の入学式にようこそという感じ。深読みするといくらでも怖ろしく読めてしまう底なしのヤバさもある。




23.青の時代[三島由紀夫][長編]

"『あのお嬢さんを愛して、そうして捨ててやろう。何という勝利だろう。彼女が物質を求めているあいだ、僕は誠心誠意、精神的に彼女を愛し続ける。そしてついに彼女が僕を精神的に愛しはじめたら、そのとき僕は彼女を敢然と捨てる。えその至上命令を忘れてはならないぞ。僕が彼女を捨てる自信を得るまでは、どんなに苦しくても、指一本彼女の体に触れてはならないぞ』"

三島はまあまあ読んでいる。冊数だけを勘定すれば五十はくだらないはずで、作品数ならどれだけを数えるか知れない。その並びにあって、誰もにろくろく語られない、せいぜいが実在の事件を題材としている点のみが特色の、あげく三島自身にすら後に失敗作呼ばわりされているこの作品を僕が愛してやまないのは、男と女の接触により生じる言い知れぬ不可思議の、一つの真相に迫ったと信じられるから。主題を小説に組み込むにあたって論理を積み立てていく三島の手口には逆説がつきもので、今作では恋愛劇こそに、その逆説が絶大な効果をあげていた。もっとずっと代表作であり、恋愛劇そのものが主題のはずの「美徳のよろめき」や「愛の渇き」にも劣らないどころか、凌駕しているとすら僕は勝手ににらんでいる。




22.冥途[内田百��][短編]

"けれども私の声は向うへ通じなかったらしい。みんなが静かに立ち上がって、外へ出て行った。"

他の領分ではなしえない啓蒙や啓発を実現する、文学にはそういう力がある。百�里老写悗靴覆ぁL悗魴爾�どころか、読む者のまぶたを閉ざすようだ。そうして、薄闇の世界を深化させる。深く深くもぐりこみ、もう戻ってこれない…と虚脱させてからヒョイと引き上げる。百�里両�説なんて、読んだところで何を得させてくれるわけでもない。むしろ減る。体重も記憶も思想もほのかに減っている。百�里鮟�いては、こんなうす寒い読書体験を知らない。好き。大好きです。




21.田園の憂鬱[佐藤春夫][中編]【青空文庫】

"いや、理窟は何もなかった。ただ都会のただ中では息がつまった。人間の重さで圧しつぶされるのを感じた。其処に置かれるには彼はあまりに鋭敏な機械だ、其処が彼をいやが上にも鋭敏にする。そればかりではない、周囲の騒がしい春が彼を一層孤独にした。「ああ、こんな晩には、何処でもいい、しっとりとした草葺の田舎家のなかで、暗い赤いランプの陰で、手も足も思う存分に延ばして、前後も忘れる深い眠に陥入って見たい」という心持が、華やかな白熱燈の下を、石甃の路の上を、疲れ切った流浪人のような足どりで歩いて居る彼の心のなかへ、切なく込上げて来ることが、まことにしばしばであった。"

都会の喧騒から離れ夢の田舎暮らしへ。美しい文章で美しい風景がつづられ、精神はゆっくりと疲弊していく…。なんだよく聞く崩壊劇じゃないかと思われないのは、美文による重たい説得力があるから。佐藤春夫には幻想文学の向きがあり、この作品にもその片鱗は見受けられた。憂鬱と幻想の相性のよさが物語られている。




20.吾輩は猫である[夏目漱石][長編]【青空文庫】

"ただこの世に産まれてきた賦税として、時々交際のために涙を流してみたり、気の毒な顔を作ってみせたりするばかりである。いわばごまかし性表情で、じつをいうとだいぶ骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやる者を芸術的良心の強い人といって、これは世間からたいへん珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。ためしてみればすぐわかる。"

月並な感想となる。猫を語り手として見た人間社会の面白さ、その毒づきは漱石一流の日本語運用も相まって大いに笑える。実際、もっとも笑わせてもらった小説かもしれない。この愛想ない猫が奇妙に可愛愛く、そしてこの猫のフィルターを通されたが最後、素っ裸にされてしまう人間たちもまた愛くるしくなってくる。かなりの長編なのにするする読めてしまう。まるで映画を観ているみたいに自動的にページが進んでいく心地。




19.お伽草紙[太宰治][長編]【青空文庫】

"「どうも、陸上の生活は騒がしい。お互い批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちょいちょいこううして陸に上って来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするようになって、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思いながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちょっと退屈を感ずるようになったのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ」"

どこに書かれていたものだったか、太宰嫌いを標榜する三島が、しかし君だってお伽草紙は面白いだろうとどこぞの大家に詰め寄られて、答えに窮したというエピソードがあった。真偽はさておき、いわゆる太宰嫌いの人にも好ませる魅力がたしかに今作にはあまりある。とりわけ、浦島太郎には射抜かれた。この亀には「吾輩は猫である」の猫と通じるところがある。違いは弁舌ふるい、対話してくれるところ。切れ味するどい亀の舌鋒に終始たじたじの太郎にもまた愛嬌がある。




18.春は馬車に乗って[横光利一][短編]【青空文庫】

"「まアね、あなた、あの松の葉がこの頃それは綺麗に光るのよ」と妻は云った。
「お前は松の木を見ていたんだな」
「ええ」
「俺は亀を見てたんだ」
 二人はまたそのまま黙り出そうとした。
「お前はそこで長い間寝ていて、お前の感想は、たった松の葉が美しく光ると云うことだけなのか」
「ええ、だって、あたし、もう何も考えないことにしているの」"

ある春が馬車に乗ってやってくるならば、あらゆる春は馬車に乗ってやってくるのだとすら夢見れそうだ。お涙ちょうだいのドラマでなく、あふれる愛の情感に、まだ見ぬ春の美しさに泣けてくる。春は馬車に乗って。春は馬車に乗って。たとえ身じろぎ一つできない絶望のさなかにあっても、この合言葉一つに心を寄せれば、なんだか立ち上がれそうではないですか。春は馬車に乗って。




17.春雪[久生十蘭][短編]【青空文庫】

"新婦は杓子面のおツンさんで、欠点をさがしだそうとする満座の眼が自分に集中しているのを意識しながら、とりすましてはにかもうともしない。"

十蘭との出会いはこの作品だった。読みやすく、物語の表裏もわかりやすい。そして精妙極まりない文章に呼吸が整う。ちょっとくらい体や心が病んでいても正しい生理に立ち直らせてくれる。徹底的に言葉数が節約されていて、一行一行の意味内容が緊密であるから短編のボリュームなのに長編を読んでいるかのよう。まさしく長編らしい道筋の展開もうかがえる。物語は電光石火に駆け抜け、時たま敢えて本を閉じなければ読み手の感興がおっつかない。十蘭には傑作が多すぎて、たとえば「予言」などは「春雪」よりも読みごたえある短編としえるし、長編ならば「地底獣国」にしてみても「魔都」にしてみても、著者の博学に裏打ちされたでたらめ虚構を味わえる点で小説としての面白みはやはり今作に何も劣るまいけれども、僕はこの作品が、なんだかやけに好きなのだ。十蘭にしてはいくぶん情緒的で、やや隙があるからかもしれない。




16.勧善懲悪[織田作之助][中編]【青空文庫】

"ざまあ見ろ。
可哀相に到頭落ちぶれてしまったね。報いが来たんだよ。良い気味だ。"

二人称で進んでいく、ある商売の回顧録。実に軽快で痛快で愉快な語り口にあてられて、とても冷静には読めなかった。織田作之助の書く人間は、その役割を演ずる物語的存在にとどまらず、小説世界の中で生活をしている。営々、人間が営まれている。なんて人間は面白い生き物なのだろうと思わされる。人間をもっと好きになれるような気がしてくる。どれだけろくでもなくたって、人間、そのろくでもなさにすら親しみ覚えられるんだから。文章家の手にかかれば。




15.機械[横光利一][中編]【青空文庫】

"初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。"

あわや遺伝子情報が書き換えられるほど面白かった。揺蕩う自意識、宙を舞う客観、透き通りゆく他者。「機械」には大笑いできる調子もあるが、それだけにテーマへ辿り着く理路にぞっとさせられる。間違いなく遺伝子情報が書き換えられるほど面白かった。(読み終えた当時の感想より)




14.砂の女[安部公房] [長編]

"だが、何を言っても、女が答えてくれなかったりしたらどうしよう……それこそいちばん恐ろしい返答だった。しかも、その可能性はじゅうぶんにある。女の、このかたくなな沈黙……あの、膝を折ってうつぶせになった、完全に無防備な生贄の姿勢……"

天井の低い廊下をずっと歩かされているみたいな読み心地が僕にとっての安部公房の体感であり、また求めているもの。次から次へ雪崩るように進展する演目のことごとくは目を閉じてもまぶたの裏側にへばりつくたぐいの肌触り悪い異発想譚ばかり。想像力-虚構に偉力の座を奪われてひたすら使い捨てられていく知識-現実のみじめさがとことん快い。そして作者の言いたいことは全然わからない。だから真価を堪能しているとは言い難いはずで、なのにたまらなく好きなのだから困る。紹介のしようもない。




13.続・戦争と一人の女[坂口安吾][中編]【青空文庫】

"私は昔から天国だの神様だの上品にとりすましたものが嫌いであったが、自分が地獄から来た女だということは、このときまで考えたことはなかった。"

「戦争と一人の女」は男性目線だが、「続・戦争と一人の女」は女性目線。圧倒的に後者が魅力的。安吾の魅力がふんだんにつまって、しかも収まりきらず本からあふれかえって、いきおい全身に浴びせかけられるよう。この作品に書かれた女には特異な思念がうずまいている。一人の女、つまり定冠詞つきの個人の、一般的とは言い難い心情の有様が書かれいる。なのに、それなのに紛れもなく、一般名詞としての女を語ってもいるのだ。そしてその女はおそらくは、男のなかにもいる女なのだ。少なくとも、安吾のなかにいる女は僕のなかにもいる女だった。



12.美しき町[佐藤春夫][中編]

"「我々はただそれの形を拵え得るだけである。その『美しい町』が本当に美しく楽しい町になるかどうかは、ただその町に住んだ人たちおのおのの心がそれを成り立たせることが出来るだけである」"

ある資産家個人が、自分の理想の町、「美しい町」を地上に現そうと企画を立ち上げ、画家と建築家を加えた三人で、夜な夜な机上に計画を練っていく。この途方もない事業に三人がのめりこんでいく様がやけに面白い。その「美しい町」とやらに住ませてくれと願うよりも、自分がこの仕事に加われたならと夢見ずにはいられず、いっそ悔しくなるほど。



11.大きな翼のある、ひどく年食った男[G・ガルシア・マルケス][短編]

"間近に寄って初めて分かったが、それはひどく年とった男で、ぬかるみにうつぶせに倒れ、もがけばもがくほど大きな翼が邪魔になって、立ち上がることができずにいた。"

マジックリアリズムに初めて触れた感動は絶大だった。現実離れした空想的な出来事を、さも当たり前のように同じ地平で語りだす。そりゃあ、天使だっている。この荒唐無稽なホラ話に現実感をもたせるから面白い。ホラがホラじゃなくなってくるのだ。現実と空想とを行き来するのでなく一体化させることで二項対立を解消し、公平に両者が均された地平を与えられたことで、これまでに覚えのない初めての景色を見させてもらった。


2020年04月17日(金) 小説ベスト50 [50-31]

一作家につき三作品までで絞っています。
二作品でリスト化していたらどうしても絞り切れなかった。

部分部分、これまで読書メーターに書いてきた過去の感想から拾ってきています。
大体においてあらすじを省いているのは、あらすじをまとめ上げただけで感想文としている読書メーター上のそれがたくさんのいいねを獲得している有様を心憎く睨んでやまない僕のハナタレな怨恨感情がゆえんです。


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50.お供え[吉田知子][短編]

"ふりむくと私の後にも横にも人間の壁ができていた。私の周囲だけが丸くあいている。手を合わせている人、石を投げる人、私に触ろうとする人。"

不気味の極み。視覚も重心も足つきも乱れてはいないのに、身体的な錯覚なく異界感を認識させられていく様子が新鮮で、大いにその戸惑いを楽しんだ。吉田知子の作品にはいずれにも、描かれた対象とは別の気配が死角という死角に立ち込めている。日常の位相をわずかにずらしたところへ迷い込ませて、もう戻れないんじゃないかと不安がらせてくる。これがたまらない。




49.限りなく透明に近いブルー[村上龍][長編]

"僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。"

政治も経済も脳科学もまだ混じ入らない純粋培養の村上龍。作家活動中期からは技術として描写を操るようになるが、このデビュー作の時点では目の前の性、ドラッグ、暴力をただ写生しており、そのせいか、やけに生っぽい、体温的な没入感がある。タイトルがかんぺき。このタイトルの妙について考えるだけで一、二時間は経ってしまうし、その一、二時間には計り知れない価値がある。村上龍には「コインロッカーベイビーズ」「69」「愛と幻想のファシズム」あたりにも十代の当時、必要以上の影響をくらった。「限りなく透明に近いブルー」および、坂本龍一と各界の専門家をゲストに招いた鼎談集「E.V Cafe」は、今でも愛している。




48.枯木灘[中上健二][長編]

"土は秋幸だった。いや、土だけでなく土をあぶる日、日を受けた木、梢の葉、息をする物すべてが秋幸だった。"

和歌山は紀州の地縁をめぐる激情の狂騒。一歩踏み出された足先ひとつにも積年の怒りがみなぎり、静かなる息遣いには猛毒がこもっている。都市からは決して見えないどっぷり濃厚な血の地脈。ここに描かれる者たちの力強さ、重々しさ、生々しさに比べると、お仕着せの道徳観念に頼った自分の生のなんと生ぬるいものかとおどおどしてしまう。




47.シラノ・ド・ベルジュラック[エドモン・ロスタン][長編戯曲]

"哲学者たり、理学者たり、詩人、剣客、音楽家、将た天界の旅行者たり、打てば響く毒舌の名人、さてはまた私の心なき−恋愛の殉教者!− エルキュラル・サヴィニヤン・シラノ・ド・ベルジュラック――"

愛と心意気の物語。岩波の無理やりめいた訳にはめっぽう時代の隔たりを感じさせられるが、シラノの人物像を古臭いとは言わせない。その生き様には普遍の美徳がある。美意識に密着した篤実がたしかに閃いている。仮に彼の弁をすべて舌に覚えさせたなら、その語句だけで人生を過ごせてしまえそう。そんなわけはないんだけれど、そう思わされてしまう感動がある。




46.ドグラ・マグラ[夢野久作][長編]【青空文庫】

"…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。"

読むと精神に異常をきたすことで有名な小説。大学受験の試験日前夜に深夜まで読んでいたことを思い出す。その試験は落ちました。小説のせいではない。この小説はその長さに妙がある。気の狂ったような小説は世にあふれているにせよ、よくぞこんな狂気を理知的に、1000ページにわたって染みわたらせたものだと感心してしまう。しかも文章が壊れたりはせず、文芸作品らしい精妙は保ったまま。いちおう探偵小説にあたるようだ。それだけに、単純に読みものとしての推進力もあ…る。狂ったばかりではなく話が話として展開もしてい…く。…。………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。




45.四十日と四十夜のメルヘン[青木保][長編]

"日記によれば、メルヘンを書き始めたのが七月七日未明のことだった。一枚書き、二枚書き、三枚書き終えたところで落ち着きを取り戻し、即刻その一枚目を破り捨てた。物語の進行をいたずらに早めてしまったためだ。あらすじを追うようなことはしてはいけない。そう思ったから紙を破り、捨てたのである。"

何をどうしたらこんな文章が書けるのやら、皆目見当がつかないどころか、考察しようとする意志も力も霧散されてしまう。レトリックに凝ったところもなさそうな至って平易な記述が連ねられているだけのはずなのに、自分がこれまで磨き上げてきたはずの読解をこうまで揺さぶられてしまうのは、文章にきっと魔術が施してあるから。その魔術が見えないこと見えないこと。話としては、チラシの配達員が配布しきれなかったチラシを自部屋にため込んでいる、このチラシにメルヘンを書き込んでいる…という内容で、しだいに時空は乱れていき、円環構造となり、また破綻し、わけがわからなくなってゆく。酩酊感たっぷり。ぐるんぐるん視界が揺れていくさまを楽しめる。帯には日本のピンチョンと評されていた。ピンチョンよりかはずっととっつきやすいと思う。




44.トニオ・クレエゲル[トーマス・マン][長編]

"黙って孤立して、姿を見せずに働いたのである--才能を社会的装飾と心得る連中、貧しいにせよ富んでいるにせよ、勝手に漫然と横行したり、独特のネクタイに贅をつくしたりする連中、なによりもまず幸福に、愛想よく芸術的に生きることを心がける連中、良き作物は、ただ苦しい生活の圧迫のもとにのみ生れるということも、生きている人が働いている人ではないということも、人は創作者になりきるためには、死んでしまっていなければならないということも、まるで知らずにいる連中--そうした小人輩を心から軽蔑しながら。"

芸術論は批評家の領分としても、芸術家論を語らせたなら何物も小説家には勝れまいと思われる。トニオ・クレエゲルその人は芸術を知り生活を知る青年の代名詞であって、鏡像であって、友達であり、また正視に堪えぬ憎める敵であり…。この小説を読んでも、何も救われたり学べたりはしない。いや救われたり学べたりする人もいるだろうが、そんなところに価値を置く作じゃない。ただ、いい歌声なんです。この青年の歌は。




43.異邦人[アルベール・カミュ][長編]

"顔のうえに大きな熱気を感ずるたびごとに、歯がしみたり、ズボンのポケットのなかで拳をにぎりしめたり、全力をつくして、太陽と、太陽があびせかける不透明な酔い心地とに、うち勝とうと試みた。"

高校生の時分に読み、あぁなんて世界は恐ろしいのだろう、人間が生きる以上はこんな世界と向き合わなくてはならないのか、そんな世界と立ち向かう人間の無力なことといったらいよいよ望みは絶ち切られたぞ、と、うなだれた。ムルソーの論理には一貫性がない。だが心境はうんざりで貫かれている。そりゃあ現代日本でも、多くの人の胸を打つのは至極当然という感じがする。




42.変身[フランツ・カフカ][中編]

"「七時十五分までには、なにがなんでも寝床を出ていなくちゃならない。それまでにはどのみち、おれのことを聞きに店からだれかやってくるだろう。店を開けるのは七時前なんだから」"

異邦人と同じタイミングで読み、あぁなんて世界は恐ろしいのだろう、でもまあ、そんなもんか、と、なんでだか虚無的な心理に陥ったことを覚えている。巨大な虫になってしまっても人間社会の法から抜け出せず、その境目が扉一枚に仮託されている舞台像は、たんなる演劇として見ても面白い。




41.地下室の手記[ドストエフスキー][長編]

"いったい自意識をもった人間が、いくらかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか?"

現代、ウェブ上で、それはブログでもTwitterでもnoteでもいいが、一人語りは仰山あふれている。ちょっと探せば読み応えのある文章がいくらでも見つかる。そんな渦の真っ只中にこの手記が現れたらどうか? いいねの大嵐だ。片っぱしからブックマークしたくなるほど上等の思弁的な文章が延々続く序盤が好き。



40.雁[森鴎外][長編]【青空文庫】


"「そう物の哀れを知りすぎては困るなあ。君が投げんというなら、僕が投げる」"

まったく何て面白い小説だ! 物語筋ばかりに着目しそうなところをグッと抑えて、中盤以降に展開される人物の掘り下げ方にこそ真価を認めたい。女の心理の抉り出しもさることながら、彼ら彼女らが織り成す何気ない会話劇にも色香を帯びた洒脱感がある。何度読んでも得られるものがあるように思えた。(読み終えた当時の感想より)




39.猿飛佐助[織田作之助][中編]【青空文庫】

"「何? もう一ぺん言ってみろ。出来ぬのかとは、何事だ。人生百般――と、敢えて大きく出ぬまでも、凡そ人間の成すべきことにして、不正、不義、傲慢のこの三つを除いたありとあらゆる中で、この佐助に能わぬことが、耳かきですくう程もあれば言ってみろ!」"

読者を笑わせるために書かれた一品。馬鹿馬鹿しいような佐助の語りはしかし漏れなく一流のセリフまわしで、音読すると魅力が倍増する。僕は全文音読した。たまに吹き出しながら。みるみる元気になっていった。




38.青塚氏の話[谷崎潤一郎][中編]

"「人間の身体というものはね。ある一箇所以外の部分が悉く分かってしまえば、その分からない部分においても、代数の方程式で既知数から未知数を追い出せるように推理的に押し出せるものなのだ」"

変態道に明るい大谷崎の大変態話。その奇抜で秀抜な話自体より、よくもこれだけ谷崎の頭のなかに巣食う谷崎を如意闊達に文章として産み落とせるものだと感動してしまう。よく絵の上手い人に、これだけ何でもかんでも描けたらさぞや楽しいだろうなと安直な羨望の念を抱きがちなのだが、文章術だってしかりだ。谷崎は日本語表現にあたっての言葉選びと組み立てが的確に過ぎ、あんまり至妙なものだから、読書を中断し天をあおぐことしばしば。



37.三四郎[夏目漱石][長編]【青空文庫】

"三四郎はこう云う場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだしたとき、過去を顧みて、ああ云えば好かった、こうすれば好かったと後悔する。と云って、この後悔を予期して、無理に応急の返事を、さも自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。"

漱石は小説を二つに大別しているそうだ。「筋の推移で人の興味を惹く」か、「筋を問題にせず一つの事物の周囲に躊躇低徊する事によって人の興味を誘う小説」か。後者は、今の漫画アニメ界隈でいうところの日常系の味わいがある。僕は漱石の思想や文学性がギュッと凝集された名作よりも、好き勝手に俳味を堪能できる日常系が好きだ。そうはいってもこの日常系はなにしろ本気だ。厳密な日本語の運用により緊密な日常風景が描写されていく。この日常風景を三四郎の目で眺め、三四郎の足で踏み進んでいく感覚はたいへん心地いい。




36.錦繍[宮本輝][長編]

"うっとうしい梅雨の季節に入りました。いかがお過ごしでいらっしゃいましょうか。あなたから、もう二度と手紙など出してくれるなというお便りを頂いてからまだ二ヶ月しかたっておりませんのに、性懲りもなく再びペンを取ってしましました。"

過去に因縁をもった男女二人による手紙の応酬がそのまま小説にされている仕立て。いわゆる書簡体ですか。この二人それぞれの文章が実に読ませる。丁重な言葉遣いの節々に喧嘩腰の皮肉や痛罵や難詰が入り乱れ、独特の愛憎劇を演出している。電子通信が常になった現代の感覚ではもう叶わない感情の交換が描かれ、あぁなんだか羨ましいなとも思う。僕は小説に感動ドラマは全く求めていないけれども、この小説に限ってはストレートに胸打たれるところがある。人間の泥臭い部分が他者に晒されたときいかに滲んでいくものかを書かせたら宮本輝は天下一品。しかも筋立て自体も面白い。謎が自然に展開され自然にたたまれていく。この小説を誰がつまらないと投げるものだろう?




35.外套[ゴーゴリ][中編]【青空文庫】

"この時以来、彼の生活そのものが、何かしらの充実してきた観があって、まるで結婚でもしたか、または誰かほかの人間が彼と一緒に暮らしてでもいるかして、今はもう独り身ではなく、誰か愉快な生活の伴侶が彼と人生の行路を共にすることを同意でもしたかととも思われた――しかも、その人生の伴侶とは、ふっくらと厚く綿を入れて、まだけっして着ずれのしていない丈夫な裏をつけた新調の外套にほかならなかった。"

この作品の主人公、アカーキイ・アカーキエヴィッチにほど肩入れさせられた小説はないかもしれない。哀れなような、応援したくなるような、かつは目を背けたくなるような、自分の泣きどころの一切が濃縮還元されたかのごとき情けない鏡像。どこにでもいるとるに足らない人間にだって、傍からどれだけつまらなく見えようとも、彼なりの生き方はある。そして、彼なりに、生きたところで。




34.きりぎりす[太宰治][短編]【青空文庫】

"ああ、あなたは早く躓いたら、いいのだ。"

太宰の魅力の最たるは、私小説の告白文体にもまして、女性一人称による憑依にあると踏んでいる。複雑怪奇の人間模様を俯瞰の目線で立体化さすのは三島一流の手口だが、太宰は憑依の視線で一枚化させる。このとき女性視点を拝借することによって、語り手は一人称でありながら他者へと化け、二人称や三人称が書き手と同化しうる云々という読み方も可能だろうが、小難しいこと抜きにしても、彼の書く女性一人称は単にいい女だ。それを味わうだけでも十分。




33.美しい星[三島由紀夫][長編]

"彼は地球人の病的傾向をよく承知していた。民衆というものは、どこの国でも、まことに健全で、適度に新しがりで適度に古めかしく、吝嗇で情に脆く、危険や激情を警戒し、しんそこ生ぬるい空気が好きで、……しかもこれらの特質をのこらず保ちながら、そのまま狂気に陥るのだった。"

逆説のミルフィーユ。幾重にも折り重ねられた層のどこを切り取ってみても断面は錯視めいたホログラムとなって、安直な受け売りを許さない。問題提起に対する答えを明かさないのでなく、数多の答えを散弾してくるのだからお生憎だ。被弾した者からこの世の鑑別者の資格を失ってしまう。また一方で、ドラマの独特にはとことん胸躍る。人間でないとされる者たちの行動理念と彼らにまつわる因果律は、こちらの理解が及びきらない不確かな原理をちらつかせて、接近と退避を繰り返し、すっかり酔わせる心地がある。(読み終えた当時の感想より)




32.富嶽百景[太宰治][短編]【青空文庫】

"素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、これは違う、と再び思いまどうのである。"

太宰は人間に執着しすぎるあまり人間模様の活写ばかりが途方もなく得手という印象があったから、この小説を初めて読んだ時には、富士山および月見草へ向けられた眼力に驚いた。太宰節のよくきいた代表的な私小説ながら、これはすがすがしい、明るい太宰。吉本隆明が太宰を評して「優れた文学作品には、ここに書かれているのは私のことだと了解させ、同時に、これがわかるのは私だけだと思い込ませる力がある」といった文をどこかに書いていた。大いに同意する。しかし明るい太宰は別勘定。こんな自分と仲良くなりたいと思わせられるような、他の人にも認めてもらいたい理想的自分がそこに書かれている。




31.肉体の悪魔[レイモン・ラディゲ][長編]

"あまり彼女を、僕に都合のいい方向に導きすぎて、彼女をだんだん僕に似せてしまった。これは自責するに十分価することであり、故意に僕たちの幸福を破壊することだった。"

好きすぎて原題をメールアドレスに採用させてもらっている。青春的と呼ぶには悟りすぎているような、男女の関係を射抜く名言だらけで、それだけでも三島が絶大な影響を受けていたのもうなずける(固執は「ドルジェル伯爵」のほうに向けられていたようだけども)。原題は「悪事を冷酷に行える」といった意味となるらしい。どこか他人ごとのような、恋愛を憑りつかれたものとするような拠り所のなさが、古典的文体によく合っていた。


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次の記事に続きます。


2020年04月12日(日) 映画ベスト50 [5-1]

5.アレックス[ギャスパー・ノエ]




"時はすべてを破壊する"が合言葉。
このテーマでギャスパー・ノエが、やってのけてくれた。
時間軸が逆行していく構成は監督曰く「メメント」に影響を受けたそうだが、出来は比べものにならない。
必然性と偶然性がほどよく絡まりあうシナリオ、精神を引っ掻き回すダンス音楽、霊感を覚醒させるような映像、いずれも隙なし。
極彩色とぐるぐるまわるカメラアングルによるトリップ感はつくづく気持ちがいい。
やりたいことやっておきながら客を置いてけぼりにしない完成度に脱帽。


4.四か月、三週と二日[クリスティアン・ムンジウ]




2007年のパルムドール。
1980年代の独裁政権下におけるルーマニアで、強く禁止されている中絶手術をどうにか決行したい妊婦が街を駆けずり回る。
こんなに暗くていいんだろうかってくらい話も映像も暗い。
その暗さは、夜にろくろく電灯もともっていない当時のルーマニアの暗さを反映しているそうだ。
好きなのは空気感の描写で、とくに「よその家で食事する最中の居心地のなさ」が素晴らしかった。
ほかの映画や漫画でも描かれるところではあるけれども、二つ頭抜けている。
そのシーンを筆頭に、人と人とが接するごとに生じる居たたまれなさの表現が見事だった。
居ることが堪れないのだ。
この映画の登場人物には誰にも決してなりたくないが、どの人物にも自分の影を見出せてしまう。


3.皆殺しの天使[ルイス・ブニュエル]




タイトルで誤解してほしくない、メキシコ映画の大傑作。
ホームパーティーに集まる十数人の紳士淑女。
多いに盛り上がり、夜も更けたころホスト側もそろそろお開きかというそぶりを見せるのだが、しかし…。
あぁもう好きで好きで仕方がない。
不条理ものは、ただハチャメチャなことをすればいいってもんじゃない。
一定の秩序にのっとって、自然の摂理にもとづいて、つまりは条理を捨てきったりはせず、新生の条理を息づかせなければ、単なる無粋だ。
その点この映画はもう文句の付けどころがない。
おれが求めていたのはこれだったのかと、自身のなかでまだ混沌にあった希求が投射され即座満たされゆくあの快感が、きっと過去最高だった。


2.ホーリー・モーターズ[レオス・カラックス]




この映画が僕に、映画の鑑賞のしかたを教えてくれた。まさに蒙を啓いてくれた。
まともな映画じゃない。
なにやら俳優業を営んでいるらしい男が、一日の間に次から次へ、様々な人生を演じていく…とでもまとめられるのか。
その目的もわからなければ、支援しているらしい裏方組織の仕組みもわからない。
何がどこまで現実で、何をどう解釈したらいいのかも考えれば考えるほどわからなくなってく。
だからといって粗雑な作りではまったくなく、豊富なアイディアがきちんとその時々で整序されて収められている。
話を楽しむ映画、話以外を楽しむ映画、だとかの見方から解放されて、
映画の楽しみかたは自由なのだと、無限の平野に立たせてもらった心地がした。
その解放感により安らぎを求めて、もう五回くらいは観たろうか。たぶんこれから先、その数より多く観るだろう。 


1.アンダーグラウンド[エミール・クストリッツァ]




第二次世界大戦中、武器商人がレジスタンス活動のために親友と市民とを地下に潜伏させたきり、終戦後もそれと知らせず彼らに武器を作らせ続ける…という粗筋をもってして、誰がこの映画をこんな風に撮れるだろう。
人物たちは皆よく笑い、よく歌い、よく踊り、よく殺し、よく怒り、よく愛し、ぞんぶんに生きる。
青天井に力強く、底抜けに明るく、快活で、楽しくて、悲しくて、こちらが大事に大事に育ててきた知情意を、こてんぱんに叩きのめされる。
全属性攻撃という感じ。ノックアウト。この映画を観たらしばらく他の映画は観れない、どころか、小説や漫画も一週間読めなくなった。
ジプシー音楽の快調なノリとか、ひっきりなしに画面を賑やかす動物の存在感もいいんですよ。
役者も最高なんですよ。こう…表情とか発声とかちょっとした仕草が、たまらないんですよ。
でまた凄味に圧倒されながらなお、ずっと笑えるんですよ。喜劇も高純度で、ちっとも白けない。
ラストシーンがまた…。夢の始まりのような、さなかのような、終わりのような、もう、全身から涙が出てくるようなかつてない感動が、ごおっと押し寄せてくるんですよ。
なんなんでしょうかこの映画は…まじで…ほんとに…。


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思った以上に、暗くて静かで重いという内容ばかりだった。
僕が悪いんじゃないですね。良い監督がそんな映画ばっかり撮ってるのが悪い。


泣く泣くランキングには記載できなかった、でも好きな映画タイトルもざっと羅列しておきます。
こっちの方がずっと明るい。

羅生門ほか黒澤作品(「まあだだよ」以外)全部、エンドレスポエトリー、小さな恋のメロディ、勝手にしやがれ、ペーパームーン、ダンサーインザダーク、エンター・ザ・ボイド、偽りなきもの、ダークムーン、第十七捕虜収容所、バッファロー'66、ブラウンバニー、バーフバリ、きっとうまくいく、フルメタルジャケット、ある過去の行方、カミーユ・クローデル、コリン、鉄男、シン・ゴジラ、東京物語、スワロウテイル、誰も知らない、星くず兄弟の伝説、バック・トゥ・ザ・フューチャー


2020年04月11日(土) 映画ベスト50 [25-6]

この日記サービスenpitsuには字数制限があり、一記事にはまとめられませんでした。
かつ一日一記事につき、日付を先取りする格好に。


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25.父、帰る [アンドレイ・ズビャギンツェフ]




十数年ぶりに家へ帰ってきた、写真でしか知らなかった父。
父は言葉少なに唐突に、二人の息子を車での旅行へと誘う。
爽快感ゼロ、どころか莫大にマイナスのロードムービー。
もう勘弁してくれと言いたくなる、精神を追い詰めてやまない場面の連続。
愛の話といえば愛の話。
そして嫌になるほど映像は美麗。
 

24.カルネ[ギャスパー・ノエ]




この手のショッキングな映画に親しんでいなかった当時は、過激さばかりに精神を引っ張られてしまったけれど、セリフまわしがすばらしい。
おっさんの体型とかしぐさも、まさに肉屋のおっさん、という感じで、彼のふるう暴力をはじめとした衝動には映像的な説得力がある。
部屋や町並みもこの映画にぴったりで、映画を構成する諸要素の一体感が心地いい。
わずか40分の短編。
思い返せば僕にとってはこの映画がフランス映画の入り口だったかもしれない。 
全然フランス映画のスタンダードじゃないけれど、おかげさまでごく自然に脱ハリウッドさせてもらった。


23.気狂いピエロ[ジャン・リュック・ゴダール]




ゴダールはもうずいぶん長いこと観ていない。
まだ自分なりの映画の鑑賞法が覚束ないころに観たきりで、以降はもったいないからと敬遠してきている。
だから今作も鑑賞してから久しく、内容らしき内容をろくに覚えていない。
観ている最中の興奮だけは覚えている。詩情の刺激が強すぎて鼻血ブー寸前だった。
早く観直したい。観直したらおそらく順位がグンと上がる。


22.時計じかけのオレンジ[スタンリー・キューブリック]




言わずとしれた快作、世間からサブカル御用達と揶揄されようとも作品に傷は全くつきようがない。
開幕2秒からもうずっと見入りっぱなし。
アイデアの質と量がすさまじい。仲間を川へ落とす場面ひとつとっても忘れがたい演出を用意している。
なんだかこの映画はただごとじゃないぞ、と身構えさせられた初見の衝撃はきっともう得られないし、 たしかに大人としてよりかは十代で履修しておくべき刺激物なんだけれど、間違いなくいま観直してもビシバシ刺激いただけるだろうな。


21.ポンヌフの恋人[レオス・カラックス]




パリに実在するポンヌフ橋を舞台にした恋愛劇、とまとめてしまっては、この映画の妙味がうすまってしまう。
「ボーイミーツガール」や「汚れた血」に比べればなりを潜めているにせよ、ところどころに配置されたカラックスらしい映像遊びは十分堪能できる。
この人にはパリがこう見えているのかと、幻想の恩恵にあずかった。
有名な花火のシーンには涙が出る。
ドニ・ラヴァンという役者がこの世にいること、よくぞ役者でいてくれたこと、この映画に出てくれたこと、いちいち一切に感謝したくなる。


20.汚れた血[レオス・カラックス]




愛のないセックスによって発症する病気が蔓延しているパリで男と女が出会う。
どの場面をとってもほとんど見どころしかない映画。
そしてジュリエット・ビノシュの美のすさまじさ。
女優さんが綺麗だあなんていって、そんなものを感想にしては映画に失礼なはずなのだが、ここまで美を体現していると触れないわけにはいかない。
おそらく彼女が出演した映画は20本以上観てきている。そのなかでも群を抜いている。
絵画的な美とは一線を画する。
フレームの中で動き、フレームを躍動させて、秒を追うごとに美しくなるジュリエット・ビノシュ。
かといってその姿に見惚れるばかりにはさせておかない。
決して映画そのものをさまたげたりはしない美しさがどこまでもとうとい。
 
 

19.悪いやつほどよく眠る[黒澤明]




黒澤で一番好き。
汚職事件をめぐる現代ドラマで、主演の三船敏郎は堅物メガネ。
脚本が際立って面白く、事態はハイスピードに進展していく。
いわゆる胸糞展開ではあるはずであるのに、誰も彼も元気で快活だから爽快感がある。
ご多分に漏れず、僕も黒澤を観た後には役者の口真似をしたくなり、この映画は大体1か月くらい影響が抜けなかった。
 


18.CLIMAX[ギャスパー・ノエ]




ダンサー二十数人が集められたパーティで、誰かが酒にドラッグを混入させたところから、狂乱に一切の歯止めがかからなくなってゆくダンスフロア。
ガンガン鳴り響く音楽に、脳天をくすぐってくる極彩色、鑑賞者の頭をもトリップさせてやろうという企図は、きっとものの見事に成功している。
「アレックス」の完成度をあえて切り崩したような「エンター・ザ・ボイド」で示した指向性、嗜好性、志向性を、さらに煮詰めきったその先にこの映画がある。
もう本当に好きなことやったれっていう監督の独尊による毒牙のきらめきを感じる。
映画の面白さ自体よりいっそ、その突っ走りかたに勇気をもらった。
上映時間の半分くらいは地獄絵図なので注意。
おまえほんとふざけんなよって監督に苦情したくなるストレスフル映画。


17.夏の遊び[イングマール・ベルイマン]




スウェーデンの大家、ベルイマンの初期作品。
白黒映画なのに色味を感じられるほど体感的で鮮やかな映像美は圧巻。
男女仲の描写が小説的でしみじみ染み渡る。


16.別離[アスガル・ファルハーディー]




いざ離婚しようと話がまとまりつつある夫婦を主軸に、ガチコチに入り組んだ人間模様が描かれだす陰鬱イラン映画。
心理、真理、審理、倫理の散弾銃。
「利害関係の調整」という観点からみると、その関係性の仕立て方が絶妙で、ただでさえ正答が出せない難題に、人物たちによる虚偽やすれ違いや組み込まれ、ストレスフル。
決して向き合いたくない、人間生活の嫌な部分をあぶりだしてくる。
脚本はじめ芝居も映像も素晴らしいけど、人間関係の難儀な問題ごとに耐性のない人にはあまりお勧めしない。


15.エレナの惑い [アンドレイ・ズビャギンツェフ]




資産家と再婚した中年女性の裕福で理想的な生活。
ゆっくりゆったりとその生活に奇形の手足が生えていく。
白く清くまばゆく広い静寂の寝室を、何一つ損なわずあんなにもおぞましく描けるなんて、ほとんど魔術のようだ。
鑑賞後の余韻が甚大で、うわぁ、うわーぁあ、と何度か言った。
なまじっかフィクションに慣れていると、よくある話だね、で済ませてしまうかもしれない。
しかしこの映画は人間ドラマの微妙な隙間の隙間を見事に射抜いていて、実のところ、多くの物語に親しんでいる人ほど感じ入れるのではないかと思う。



14.ミツバチのささやき[ビクトル・エリセ]




スペインのひなびた村に「フランケンシュタイン」の巡回映画がやってくる。
主人公の少女はその幻影を追って、負傷兵と出会う。
話を読み取ろうとすれば解釈らしき解釈も主題らしき主題もほの見えてくるだろうけども、あまりに美しい映像を前に頭脳は麻痺して、あぁとかはぁとか、感嘆詞ばかり吐くだけの化け物と化してしまった。
このランキングでもさんざっぱら映像が美麗なのなんだのとレビューかましてきているが、ビクトル・エリセはその頂点に立つ。
光と陰、色彩、質感、霊感、肌触りにいたるまで! もうこの映像だけあれば他に何もいらないやと思わせる、楽園的な中毒性がある。
何度でも観たい逸品。
 

13.ボーイ・ミーツ・ガール[レオス・カラックス]




カラックスの長編第一作。 
詩情の炸裂弾。
難解とも退屈ともなじらないでほしい。
天衣無縫な霊感の温泉から湧く湯気の只中を自由にめいっぱい漂わせてもらった心地を愉しめる。
ゴダールの影響を受けてなおゴダールから跳躍してやろうというようなもがきも、もがきそれ自体が芸術化している。
以降のカラックス作品は圧倒的に今作より見やすい一方で、今作こそがカラックスの手引となっているようなところがあり、見返すごとに理解が深まる。
とはいえ理解だなんて、果たして映画にそんなものいるのかは疑わしい。
刺激。
何度見ても力強い刺激がある。
規格外の刺激により感度は否応なく高まり、それからしばらくは他の何を見ても刺激が強まる好循環をもたらしてくれるのが嬉しい。



12.太陽を盗んだ男[長谷川和彦]




70年代邦画が誇る暴風映画。
ろくに目的もなく原発に忍び込みプルトニウムをくすねて自室のアパートで原爆を開発する中学教師…というあらすじだけでも面白い。
主人公を演じる沢田研二がたまらない。
色気のある役柄ではないところがいっそ、名状しがたい魅力を引き立てる。小踊りしっちゃったりねもう…。
敵役にあたる菅原文太もいい。彼との対決シーンは何度見ても笑ってしまう。
全編に渡って破天荒で奇天烈で、勢いよく、広い歩幅で道なき道を走り抜けていく感じ。
観ると元気になる…わけではなにせよ、人体に不可欠ではない栄養素を摂取できる。



11.エル・スール[ビクトル・エリセ]




映画の楽しみ方の一つに、他人様の家を観察させてもらえる役得がある。
繊細に組み立てられ、監督の美意識が投射された人工的な小宇宙にうっとりするのだ。
この映画の舞台となるおうち、"かもめの家"はその最高峰に君臨する。
ただでさえ無上の映像美を誇るビクトルエリセが、またなんとも高雅な家をでっちあげたものだと、頭が上がらない。ありがとうございます。ありがとうございます。
寒村の何気ない道並みだとかもいい。恍惚。ありがとうございます。
映画界、おおよそ2010年あたりからデジタル技術の向上によってか映像画質の水準が高まって、きれいだなーと感興できる作品が増えたけれども、1980年代に製作されたこのアナログ映画を越えられる日はこないんじゃないかと思われ、空恐ろしくなる。現代を嘆くのでなく、あまりにこの映画が美しすぎるので。視力が上がり寿命が延びる。




10.雪の轍[ヌリ・ビルゲ・ジェイラン]




カッパドキアの洞窟ホテルを舞台にしたトルコ映画。2015年のパルムドール。
ところどころ思弁的なセリフが延々続き、退屈かもしれないが、大真面目に追ってみるとたいへん身になる。
体裁は芸術映画。しかし言葉を連ねてひたすらに言い合うその有様は、さながら弁舌のアクション映画。
おっさんどもの顔つき、演技にも目を惹きつけられっぱなしで、190分間全然飽きない。
映像も美しい。美しいだけでなく、その場に居合わせているような臨場感まである。きっと静止画のカットの妙やらを駆使して、魔法をかけているのだろう。


9.黒猫 白猫[エミール・クストリッツァ]




ジプシーミュージックとともに見るものを置き去りにしながらハイテンションで突っ走る喜劇的映画。
パレードスペクタクル。大騒乱の大傑作。
音声、状況、人物、動物、器物、情感、情動がひっきりなしに行き交い、無尽の情報量に陶酔させられる。
それはまるで、…ある設定環境があって、その場面から起こりうるあらゆる可能性を一画面に収めてしまったような、パラレルワールドの出来事を片っぱしからかき集め一画面に収めたたような目まぐるしさ。
そしてうそみたいなハッピーエンド!
デウスエクスマキナがどれだけ強引でも、その力強さに引っ張られるのが快感なのだから、まったく支障ない。


8.さよなら子供たち[ルイ・マル]




ナチス占領下のパリで友達がユダヤ人であることを知ってしまった少年が主人公。
戦争を題材とした思想云々は置いてしまってもぞんぶんに楽しめる。
少年性の描写が見事で、とくに幼い兄弟間のやりとりは、ウンウンウンウンウンウンこうだよねこうだよねこうだよねこうだよね少年てこうだよね兄弟てこうだよね、としきりに頷きながら見入った。
製作は1980年代のようで、この時期ならではのざらついた画質がものすごく好き。


7.僕がいない場所[ドロタ・ケンジェルザヴスカ]




詩人を夢見る少年が孤児院から抜け出したあげくに、町はずれの家屋の隅に隠れ住み、やがてその家の少女と出会うというポーランド映画。
シネフィル方の鑑賞眼からすれば拙さが多く高評価はできないらしい。僕は、好きで仕方ない。
少年と少女のうすぼんやりとした関係性は、恋愛でもなく友情でもなく、他人同士の透明感がある。
楽曲の存在感強すぎて映画とのまろやかな一体化はされていないのかもしれないが、これはこれで独特の情感を印象付けている。
ろうそくが散りばめられた風呂場のシーンはいくぶん漫画的であるし品格ある映像美ではないのだろうがストレートに美景。
全編、ずーっと観ていられる。
この映画をスクリーンに映し続けている部屋に住みたい。


6.ツィゴイネルワイゼン[鈴木清順]




鈴木清順で一番好き。
原作となった内田百�里痢屮汽薀機璽討糧廖廚眩農欧蕕靴い韻鼻△海留撚茲狼喊Г傍喊Г鮟鼎佑董�他にまったく類を見ない一属一種の生き物となっている。
ヨーロッパ風でもなく日本風でもない、鈴木清順ならではの魔術的な色使い。
拍子木の鳴る切通しはよく晴れていて、曇るより靄がかるより一層不気味さがきわだっている。
脚本もキレてる。
"どちらまで?" "はい。ずうっと歩いてまいりましたの"
この二言は、あらゆる映画を通して、僕が最も愛好する会話劇。洒脱で、妖しくて、握力をあしらう色気たっぷり。
このやりとりに一つの宇宙がとじこめられているようだ。
俳優、女優も素晴らしくってですね…。
大楠道代の色っぽさときたらない。大谷直子の艶には妖気が宿されている。
監督を中心としたスタッフ、役者陣、ロケ地までもが一丸となって、ただならぬ悪夢を創生したといおうか。唯一無二の奇跡的な作品。


2020年04月10日(金) 映画ベスト50 [50-26]

僕個人独断による好みだけで順位づけています。
ジャンルはほぼヒューマンドラマ。英語の映画はめったに観ません。


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50.アンダルシアの犬[ルイス・ブニュエル]




スペインの鬼才ルイス・ブニュエルが画家のサルバドール・ダリと共同制作したことで有名な映画で、なにしろダリだから、やってることはシュールレアリスム。
はじめからそのつもりで鑑賞していてもなお、何が何だか、頭が狂わされていく。
実験的とも芸術的ともとれる突飛な映像の数々は、たんに映画をおもちゃに遊んでいるのだと捉えれば、理解不能と一蹴せずにするやもしれない。
荒唐無稽ともとれるあらゆるアイデアをぎりぎり映画としてつなぎとめるために、男と女を配置しているのが面白かった。
なんであれ、男と女さえ置いておけば映画の体裁にはなるのだ。


49.たかが世界の終わり[グザヴィエ・ドラン]




観る気の失せるどーしようもない邦題だけどほぼ直訳のようだ。
死を間近に控えた主人公がそれを告白しようと数十年ぶりに帰省した実家で、家族は延々ずっと意味のないような話をし続ける、という劇像がこの映画の見どころ。
怒れる兄のいかれたような怒涛のセリフまわしが秀抜で、心に残ったのはほとんどここくらいだけれども、このワンポイントだけで戦えるほどよかった。
景気よくまくしたてるフランス語が耳に心地いい。言ってる内容は苛烈なんだけれども。


48.田舎の日曜日[ベルトラン・タヴェルニエ]




話らしい話が何一つない、田舎の日曜日、としか言いようがないフランス映画。
片田舎の老人の哀歓なんぞいくらでも味付けできるだろうに、安直な色気に誘われず終始平熱で描いてくれていた。
癒されるといえば癒されるし、しみじみしながら考えさせられもする。
威圧はされない。ただ緩やかに圧倒される。
老人が元画家という設定もあいまって、日光や緑のみずみずしい印象派絵画を想起させられる映像美は、是非ともブルーレイで堪能していただきたい。


47.トスカーナの贋作[アッバス・キアロスタミ]




舞台はイタリア、仏伊英の三か国語を操るジュリエット・ビノシュを主演に描かれるラブロマンスと見せかけて、プロットは至ってややこしい。
美術館の案内をしていたところカフェの店主から夫婦と間違えられた男女が、それを否定せず夫婦関係を演じてみせる。これがカフェを出てからも続く。
二人の関係や語られる思い出話は、何がどこまで真実なのか疑わしいまま話が進んでいく。
節々に芸術論めいた印象的なセリフがあったはずだが思い出せないのが惜しい。
小説ならばページに折り目をつけるし、漫画ならすぐ探し出せるのに、映画はこの点つくづくもったいない。
再鑑賞の楽しみが用意されているのだと思っておこうか。


46.嘆きのピエタ[キム・ギドク]




ただでさえ不穏なノワール映画の多い韓国映画のなかでもとりわけ胸糞展開に定評のあるキムギドクの代表作。2012年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞。
天涯孤独らしい冷酷な借金取りが、自分の母を名乗る女が現れてから生き方を揺さぶられていくさまは、まあそこまで迫ってくることもないのだけど、ひもじい工場の色のなさやら、生の実感が希薄なアパートの部屋模様だとかの映像がいちいちよかった。
ラストシーンがきわめて美しく、あの画に辿り着くためにシナリオが書かれたのではないかと勘ぐってしまう。


45.トリコロール/青の愛[クシシュトフ・キェシロフスキ]




ポーランド出身の監督が、フランスから依頼されて製作したらしい三部作の一作目。
自由、平等、博愛を象徴するトリコロールの、自由が本作の主題となる。
その自由は孤独と背中合わせで、アパートの階段につましく座り込むジュリエット・ビノシュが言葉より多くを表現していた。
タイトル通りの、青を基調とした画面の美麗さにひたすら感動されっぱなし。
ちょうどこういう鉄面皮な映画が観たいタイミングであったこともかち合って背筋に快感物質ほとばしった、と当時の感想メモに残っていた。


44.ありふれた事件[レミー・ベルヴォー, アンドレ・ボンゼル, ブノワ・ボールヴールド]




どこにでもいそうなスーツ姿の男が当たり前みたいに殺人を犯していく日常を追ったベルギー映画。
登場人物がカメラで彼を撮り続けているというフェイクドキュメンタリーの体裁。
暴力描写が映画的なアクションでなく、ありのままの暴力が振るわれているようで、こたえる。
登場人物が撮影した映像をそのまま映画として見させられているわけなので、緊迫したシーンでカメラが地べたへほっぽかれると、ただ静止した背景を映し出しながら、遠くから叫び声が聞こえてくるという演出となり、想像力がぞわぞわ働かされる。
この映画を観ることは鑑賞というより体験に近かった。


43.セリ・ノワール[アラン・コルノー]




これまたノワール映画。話よか、おフランスの小汚いアパートの描写が印象的。
そして主演役者のすばしこい動作しぐさがとてもとても好き。
カメラも脚本もまるで彼の魅力を喧伝するために練られたかのごとくで見ごたえある芝居。
あの人コントローラーで操作できたら楽しいだろなと夢想せずにはいられなかった。


42.エリザのために[クリスティアン・ムンジウ]




「4ヶ月3週間と2日」がルーマニア当時の独裁政権下の実情を怖気だつほど容赦ないリアリズムで見せてくれたから、社会派の期待が背負われるままに「汚れなき祈り」も「エリザのために」も、同じ地平から評価が定まってしまわれそうなのをグッとこらえて、いや「エリザのために」は違うんじゃないか、脱社会派なんじゃないかと思われた。
というのも主人公である父役が今作では何かと国家の政情を言い訳に仕立てて憚らないから。父(父権)と国家は権威的な主題になりがちだが、彼を取り巻く構造を紐解けば、娘/妻/母/浮気相手と、人生の熟した男に隣り合う"恐るべき女たち"のひと揃いは、並べて国家と対立させられていない。
ロンドンに留学さえすれば何もかもが好転する、リスのほっぺをつねる御伽話のような生活が待っているとおそらく本気で信じ込んでいるこの父役の滑稽さには、ルーマニアのどうやらたしからしい不安定さを差し引いてなお、逆説的に"まだ全てを国のせいにしているの?"という軽侮が呼びおこされる。
こうなると、次回作はいよいよ、国家批判みたいな壮大さとは切り離された純粋な空き地から淡々と人間ドラマ描き出してくれるのではと期待も高まってくる。4ヵ月…ではそんなところからばっかり魅力掘り出して脳みそ揺さぶられていたしていた手前、どうしても願ってしまう。
だいたいが、ルーマニアこんなに大変なんですよと訴えられても、壁もガラスもペンキも引き出しも床もラグも時計も椅子もひび割れた小物も控えめの街灯もあれもこれも映像に収められたことごとくが人を悠々うっとりさせるに足る趣きなのだから本心から気の毒がれやしない。きゃあ、かわいいね、となる。
(鑑賞直後当時の感想メモから抜粋)


41.ラブレス[アンドレイ・ズビャギンツェフ]




薄い雲に陽の光を遮られっぱなしのロシアの寒空がびしばし肌に伝わってくる。
話は救いようがなく陰鬱だけれども、不遇からスタートした話が、順当に進展していくだけともいえる。露悪的に不幸を描いてやろうとするような煩わしさはない。
ただこの世界、別に普通にこういうこともあるよねという感じ。
この監督はそこんとこほんと上手で、いつもたらふくご馳走さまです。


40.悲しみのミルク[クラウディア・リョサ] 




動ける写真集、物言う写真集。
母親の体験した苦しみが母乳を通して子供に伝染する“恐乳病”という、ペルーの言い伝えなんだか作り話なんだかが題材。
映像美と、残虐なアイデアの数々にうたれた。
ジャケットに採用されている一コマは筋書き上重要でないシーンながら鮮烈な印象をたたきつけてくる。
こういう芸当が映画ならではの強みで、かけがえない味わい深さ。


39.ドッグヴィル[ラース・フォン・トリアー]




だだっぴろいスタジオに家具やドアを配置して線引いて役者置いて動かして、これを舞台とし村だと設定する、異色の手法で撮られた映画。 
かつてないような画面のなか意地の悪いドラマが繰り広げられていく。
ラース・フォン・トリアーのファンは人間の本質が〜などといかにも深長な評しかたをしている気がするけども、むしろ人間の表層によっていかに悲劇がうまれるかとか、上っ面のほうに着目した方が興味深いよう思える。どこまでも上っ面が面白いので、本質とやらは他に任せましょう。
気がるに見始めて、だんだんギョッとしてくる心地がたまらないので。


38.めざめ[デルフィーヌ・グレーズ]




幾人かの女性を主人公として、闘牛を軸に彼女らの因縁が絡まり合っていくフランス映画。
全編に渡って右脳開きっぱなしの映像。
大胆で挑発的で好戦的なつくり。監督は女性だそうで、この映画を見た後しばらく女性監督作品をあさった。
脚本もよかった。
始終暗示の網が密に過ぎるきらいはあれどあざとくもなく、急所では鋭利な台詞で突き刺してくる。
"いいもの観た。すぐさまもう一度観れる"と、鑑賞直後の感想メモには残っている。
しかし悲しいかな、近所のレンタルDVD店からは姿を消してしまった。買わな。


37.哭声(コクソン)[ナ・ホンジン]




ある村で一家皆殺しの惨殺事件が立て続けに起こる、その真相を追うという韓国映画。
これはホラーにあたるのか? サスペンスホラーかサイコホラーとでも呼ぶのか。
これまでに見た映画のなかではもっとも恐怖した。
息をするのもためらわれる恐怖は、想像によってもたらされる。
凄惨な殺人現場は結果だけを示すにとどまり、決定的瞬間は映し出さず、ひたすらに不穏さを放ちっぱなし。
しかし鑑賞者は何が起こったかなど想像するひまなく、次の事態に備えなければならない。
次に何が起こるのか、何が起こってしまうのか、延々想像を強いられストレスを過大に負わされる。
事態の真相をめぐって、終盤には幾人かの証言がまとまってくるが、どの説をいかに採用しても"矛盾を起こすこととなる"脚本は圧巻。
韓国映画の本気という感じ。とはいえこの映画のせいで、他の韓国映画が霞んでしまってもいる…。
 

36.フランケンシュタイン[ジェームズ・ホエール]




まごうことなき名作。製作公開は90年前なんですって。
余計な贅肉が削ぎ落された、見どころしかないシナリオ。
怪物を狩りに夜な夜なぞろぞろ農具持って繰り出していく村人たちのパレード感が素晴らしかった。
全員に共有されることとなる思い出の夜という感じで。
あの行軍に加わりたいと願わされてしまったし、加わったような錯覚に陥りもした。
そんな楽しみかたは稀かもしれないが、おそらくは誰しもが数多の観点からいかようにも楽しんでしまえる名画。
 

35.カノン[ギャスパー・ノエ]



 
なんとかっこえージャケットなのか…。
娘に倒錯した愛情を抱いている馬肉屋のおっさんが主人公で、笑いもしないししゃべりもしないが、罵詈雑言だらけのモノローグはとめどない。
不満、怒り、不満、怒り、不満、怒り、不満、怒り…。
ひたすら鬱屈としたおっさんを嫌悪させられながら、なおも惹きつけられることとなる。
同監督「カルネ」の続編。僕は「カルネ」の方が好きだけども、あっちは短いから、「カノン」の方が映画的には楽しめる。


34.アモーレス・ペロス[アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ]




ある交通事故を因果の基点として3人の運命が描かれるメキシコ映画。
立体交差したいくつもの物語筋が絡まりほどけていく快感。
150分あるとはいえ、娯楽映画の調子もあってすんなり観れるから、誰彼問わずお勧めできる。
ただし壊れゆく男女仲の描写は生々しくかなりつらい。
なんちゃって、映画は生々しくてなんぼですから。素晴らしい生々しさだった。
その容赦のなさにどうぞ胸を締めつけられていただきたい。


33.殺しの烙印[鈴木清順]




"男前ーの 殺し屋はー 香水の匂いーがーした〜"という稀代の名曲から始まり、人を食ったような場面を挟みながら、殺し屋のお仕事が描かれてゆく伝説的な日活アクション。
かっこいいんだか笑わせるつもりなんだか、理解不能な狂った場面が多く、よくわからないまま脳がふつふつ沸騰させられてしまう。
最近、脳、沸騰していますか?
脳はたびたび沸騰させてやらなければゆっくり死んでいってしまうので、この映画には医療的効能もあるといえる。いえてしまえる。


32.トリコロール/白の愛[クシシュトフ・キェシロフスキ]




トリコロール三部作の二本目。
幕間的な位置づけらしく、男女の愛憎劇という筋立ても明確で、いわゆる難解な芸術映画とはちがい取っ付きやすい。
僕にとっては、シナリオよりも映像と、そして音が好みでたまらなかった。
前作でも感じた音への拘りがより執念的に覚醒しきり鬼気となって襲いかかってくる。
冒頭2秒で催眠にかけられる。
床の軋み一つとってもまじないじみているのだから手に負えない。その美術の御業にひたすら酔いしれてしまった。


31.居酒屋[ルネ・クレマン]




エミール・ゾラの小説が原作の白黒映画。 
快活で大声張り上げっぱなしのフランス語が耳に心地いい。
製作公開は1950年代だそうで、この時代はどの国の映画も人物がみんな元気でびっくりする。
今作は主人公の人格がたくましく、鉄火肌で、まさに烈女と呼ぶにふさわしい。
貧しいけど、大変なことも多いけど、くじけないで頑張っていこう。
という目で見ていると危ういかもしれない。
タイトルが抜群で、お話とは因果を描くものなのだなあと感慨にふけった。


30.裸足の季節[デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン]




封建的観念から家に閉じ込めれる女性たちという因習を悪し様に描ききったトルコ映画。
いささか女性側に寄りすぎていていまいち主題にはのりきれない。
問題提起するならば公平である必要はなくとも公正さは不可欠ではないかと、身構えてしまう。
とはいえそれらを差し引いても十分に楽しめる。
のっけから制服姿の美少女たちが海でキャッキャし始めたのには心配したが、話が進むにつれて彼女ら姉妹のキャラクターや関係性に通底する透明なところにドンドン惹かれていった。
イスタンブールに行きさえすれば何もかもが解決するというような夢物語を胸にしたエクソダスの行方は、クライマックスで、その映像に託される。
あの美しい映像を、そこから引き起こされる夢のようなイメージを多くの人に体感してほしい。


29.第七の封印[イングマール・ベルイマン]




ペストはびこる中世を舞台にしたなんだか哲学的なスウェーデン映画。
聖書を背骨とした解釈によってベルイマン独自の死生観を紐解くのが本来望まれる見方かしれないが、ジャケットひとつとってもわかる通り、ビジュアルだけでも楽しめる。
なにしろ騎士が死神にチェスを挑むのだ。
そこにはシナリオとしてよりいっそビジュアル的な快感がある。
難解だ、で済ませてしまってはもったいない。
全ての寓意を読み取って組み立て直し立体図を描いてやろうなどと無理しないで、豊富に配置された妙趣を点のまま楽しむだけでも十分だと思う。


28.セールスマン[アスガル・ファルハーディー]




フランス住まいのイラン人夫婦が主役。
引っ越したてのマンションで妻が何者かに性暴行される。その犯人を夫は捜索し…
とまとめるならばちょっとシリアスサスペンス映画なのだが、そこはアスガル・ファルハーディー。ただではすまさない。
この監督は現実(の過酷)を見つめる視力が常軌を逸しているようなところがあり、それを見事に映画におとしこめるのだから参ってしまう。疲弊なしには付き合えない。
たいへん理知的で浮つかず地に足がついている。ただしずっと1.5Gの重力をかけられている。
人間と人間が接するにあたっての深刻な悶着をフィクションで味わいたい層にはうってつけの作品。 


27.ヴェラの祈り [アンドレイ・ズビャギンツェフ]




"子供ができたの。あなたの子供ではないけれど"
ゆったりと重苦しく、静かで美しいロシア映画。
タルコフスキーの系譜を思わせる映像美は、しかしタルコフスキーよりずっと柔軟で簡明、好みのツボのことごとくを揉みしだいていただいた。
好みのツボというものは時に譜面の音符みたいに配置されて感覚器官の正常を試してくる。今回、映画の進展に合わせて的確な音楽が打ち鳴らされていった実感があった。
また、車をいかに走らせるか、車をカット割にどう組み込んでくるかって、映画監督各々に千差万別の個性があるなと、今作で初めて意識した。
何気ないけど独特の呼吸があるんですね。それがやけに心地いい。


26.裁かれるは善人のみ [アンドレイ・ズビャギンツェフ]




ロシアの片田舎に住む修理工が、市長にその家を奪われるかどうかの瀬戸際でもがき、苦しむ。
国家-町-家庭-個人と、マクロからミクロまでが一脈に見通せるような仕掛けでドラマを描ききっている。
人間が人間として生きるにあたり避けられない重苦しいところをほじくってくるやり口はズビャギンツェフさすがの手並み。
しかし社会問題、倫理観、宗教観による要請はあるにせよ、やはり単純に、好きなんだと思う。
不遇で辛辣な人間模様を描くのが。この監督は。好きこそものの上手なれ。上手です。素晴らしい。
そして相変わらず映像は美麗。
衝撃的なジャケット写真として採用されたその場面は、たいそう清らかで、おごそかな救済の力学まで見受けられ、大事にしたいと思った。


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次の記事に続きます。


2019年12月31日(火) 夢見るキリンの足を払う

あの到底受け入れがたい事件から5ヶ月あまりが経った。
今も全然受け入れられずにいる。
あれっきりアニメは観れていない。
被害者の方々を思えばただただ悲しくなる。
そろそろ個人的な惑乱については整理できるだろうか、おそるおそる試みてみる。

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ルール違反だ、

と思った。
子供じみた深刻さのない言葉選びだが、事件直後に僕を覆った実感はこの一語に凝縮される。ルール違反だ。
当然言うまでもなく、ルール違反どころではない。
理屈を並べ立てても理屈を抜きにしてもルール違反どころではない。
事実は小説よりも奇なりと言う。
当然だ。小説には、虚構の物語にはそれなりの縛りがある。
物語でやったら当然許されないようなくだらない展開を、現実は軽々しく実現してみせる。
だが一方で非現実には超越性がある。時空の尺度は無用だ。
たとえば、これまで描かれてきた数多の非現実の世界による人物の数を足してしまえば何兆人になるだろう。
「その星には人間が百兆人いた。」
これだけで今その数に百兆が足された勘定になる。
ところで現実にいる我々はその百兆人に手出しができるだろうか。
できなくはないだろう。
「…と思われたが勘違いだった。」
とでも一文足してしまえばいいのだ。
これがルール違反かと問えば、当たり前だと憤慨する層もあるだろうが、
フェアでないだけでルールには則っていると僕は思う。
非現実の世界に文法という手立てで干渉しているに過ぎず、秩序を乱してはいないからだ。
成文している時点で成立している。
しかし現実世界の全人類を皆殺しにでもしてしまえばどうだ、
創作者も観測者もいないのだから、このとき虚構の世界も死滅すると言えるだろう。
これが、ルール違反だ。
僕には思いつかないやり口だったけれど。

折しもあの時期僕は漫画の案を練っていた。
その漫画では、虚構と現実とを転倒させる手品を理論立てて仕掛けねばならず、
だけれどメタフィクションの手法には頼るわけにはいかず、
現象学やら、ウィトゲンシュタインやらの論法をこねくりまわして、
なんとかどうにか正当に越境できないものか、
昼には小難しい本とにらめっこ、夜には中高生向けの思想入門書を洗い直し、
あぁでもないこうでもないと大渦に溺れて、数日間煩悶としていた。
何に追われてもいない趣味の領域だけにいかにも楽しい戯れで、まったく一筋縄ではいかねえやと、お悩みを弾ませ蹴飛ばし転がしていた。
一瞬で木っ端微塵になった。

ああなんて無力なんだろうと思った。
非現実は現実よりも広大で、膨大で、強大であるはずなのに。
世界の摂理を容易くひっくり返せるはずであるのに。
現実世界からルールを違反されてしまえば無力化するのか。
そんなんありか。
悔しさで神経が焼き切れた。
ありなわけないだろう。
でもどうやらありえたらしい。

悔しくて悔しくてたまらない。
大半の趣味人の声に反し僕はいわゆる表現規制に異議をとなえるつもりはなく、
その考えの背景はさておき、極端なところ焚書でもなんでもしてみせろとすら言ってしまえる。
創作物なんて後ろめたいものだ。
であるのに絶えないところに尊厳がある。
砂にだって絵は描けるし、口が利ければ物語れる。
誰だって夢を見る、その夢を他の誰かと共有する術もある、
ありもしない夢を創出だってしてやれる。
どれだけ規制されようが、弾圧されようが、にらまれようが、
こけにされようが、ふみにじられようが、冒涜されようが、
忌まれようが貶められようが吊るしあげられようが、
物語は絶えず生み出されていく。
そう信仰していたから、悔しくて悔しくてたまらない。

整理しようと努めてみたところでなんの結論も導けはしなかった。
決して侵犯されえないはずの夢の世界だって聖域には程遠いのだと知れた。
悔しい。たぶんこれから先もずっと悔しい。


2016年05月08日(日) 踏切が叶える住みよい街づくり

隣町にいわゆる「あかずの踏切」というのがあって、
つかまる度に、さぞ周りも苛立っていることだろうと様子を伺うと
地元住民らしき方々はちっともじれていない。

当たり前だけど彼らはこの踏切に慣れきっている。
というか、馴染めない人間は淘汰されていくはずだ。
僕はせっかちの性分であるからそもそもこの街に住もうとすら思わない。
この街に住み続けているのは、
踏切に5分や10分待たされた程度で気分が乱されたりしない、
心にゆとりのある、おおらかな、優しい優しい、
洗練尽くされた紳士淑女だ。

そこに門外から、街の秩序をわきまえない僕のような粗忽者が現れるから
だんぜん話がややこしくなる。
こういうやつが踏切でひとり勝手に苛立って
全く罪もない前の人を突き押したりするんじゃないのかとすら思う。
心優しい住民が走る電車の餌食になるのだ。
しかしそんな事態になっても周りはなお慌てたりしない。なにせおおらかだ。
粗忽者はエイヤエイヤと次々に電車に向けて人を投げ込み続ける。
あかずの踏切はあかない。
みんなが笑ってる。
おひさまも笑ってる。
ルルルルル。今日もいい天気。


2016年03月13日(日) ガールズ&パンツァーについて一考

遅ればせながら、
このたびTVシリーズに加えOVAならびに劇場版までをいっきみしました。
すばらしかった。いいぞ。ってやつですね。

の一言で済ませてもいいんだけど自身の覚え書きもかねて、
個人的な見方を以下に記してみます。



とにもかくにも戦車道という題材が抜群に魅力的でした。
かねてより、戦争を扱った作品にはいちいち悲壮感だとか教訓だとかの
野暮ったらしい後ろめたさがつきものであるのに辟易してまして、
時代劇での「戦」がちっとも不謹慎でないのと同じ地平に立つには
あと何十年待てばよいものかと、僕はやさぐれていたのです。

戦争そのものは悲惨である、忌避すべきである、
肯定せざるべきものであるのは自明だとして、
「それはそれ」としてみれば、戦争には面白みのある要素が、
消費者を楽しませる娯楽的材料が盛りだくさんなんですよね。
それらはフィクションの作品で描かれる分には問題ないはずなんです。
だれも時代劇の戦を不謹慎だなんて叩きません。
SFも同様ですね。日本にあってはロボットアニメで顕著です。
しかしこれがWW2を扱ったとなると途端に大人たち、身構えてしまいます。
作品の送り手だけならまだしも、受け手にしてみても
「これを楽しんじゃっていいのかな」という気負いが発生してしまうものです。
ずっとそう縛られ続けているんです。


そこでガルパンです。戦車道です。
戦車といえば戦争の兵器である、
この連想はそうそう断ち切れないことでしょう。
しかし作中のセリフにもあるとおり、
「戦車道は戦争とは違う」のです。
殺傷のための剣術が武芸としての剣道へ化けたのとまるきり同じ論法で、
殺し合いからは切り離されて独立して、
一側面においてのみとはいえ大げさにいえば
「脱・戦後」を果たしているんです。すげえよ。
ガルパンには押し付けがましいメッセージなど皆無で、
物語は明るく健全で、キャラクターも前向きで、後ろめたさがまったくない。
その清澄さが、これまで余計な気負いに縛られていた人々の魂を解放してくれた、
フィクション作品のいちジャンルが自由な未来を歩める手続きを済ませてくれたのだと、
ごくごく個人的な小さくか細い声ながらも、偉大さを讃えたいわけです。


で。今後現れやすくなるのであろう「解放された作品」の最適な好例を、
ほかでもないガルパンそのものが、劇場版で示してくれた。
きもちよかった。びっくりした。
それだけでも泣きそうになるくらい感動したのです。


何より、以上の見方をまるごと全てのけても、ガルパンはすばらしい。
あの作品をかこむ全ての人間が好循環の幸福を楽しんでいるような、
そう見える現象もてつだって、ただひたすらに味わい尽くしています。


れどれ |MAIL