舌の色はピンク
DiaryINDEXpastwill


2014年12月16日(火) もっと大切なものもなくしてないかい

先日傘をなくした。
骨組みは折れに折れ、ビニール部分は破損著しく、
雨にも風にも到底耐えうるものではない満身創痍の有様でありながら
なお見てくれだけは傘の図像を結んで、
本来ならば壊れて候無用御免と見なされ捨てられるところを
露先と中棒が無事なばかりに現役を強いられてきた傘だ。
僕によって現役を強いられてきた。
さしたる愛着もなかったが
せめて己が手で始末してやりたかったなとも思う。

一方で誰かの手に渡っていたならそれは喜ばしい。
雨にも風にも到底耐えうるものではないあの乞食傘が
誰かの身を雨粒から数滴でも凌いでくれたのなら
もともとの持ち主としては冥利につきる。


ところで今日手袋をなくした。
安物ながら厚手で防寒には至極頼もしく
これで一冬泣かずに済むと無尽蔵の安堵を与えてくれた、
買ったばかりのお気に入りだった。
過ごした時間は短いが愛着はあった。

誰かの手に渡っていたらを思うと
その手を切り落としてやりたい。
なに、なくしたのはおまえのミスなんだから
おまえの手を切り落とせ手落ちだけにって?
なかなかうまいことをいうじゃないか。
そんなことはどうでもいいから手袋をくれ。
あと傘もくれ。あとポテチ買ってこい。


2014年12月13日(土) 巣離れ

東急東横線の学芸大学駅西口から2分ほど歩いた路地裏に、僕の気に入る紅茶専門店があった。老女主人が切り盛りするこの店は15席にも満たない喫茶室がメインの見るからに細々した経営で、『ティールームラビニア』というその名が書かれた看板すらどうか見落として欲しいとの祈りが込められているような小さい地味なものだった。かつてひと目で気に入った。喫茶室は木の香りと茶葉の香りと焼き菓子の香り、窓枠から差し込む季節折々の光線、だれかしら一人は歩いている外の通りの景色とがあいまって、敷坪以上の広々した空間を保っていた。そのわりに飾り気ない内装が一層の寛ぎを誘う。目立つ装飾品といえば店内のどこからでも視角に入る鑑賞花程度で、この花器が春にも雪にも夕暮れにもよく似合った。僕が初めて訪れたのは8年ほど前だったか、当時まだ一人暮らしに慣れない中で、安寧を求めしばしば行った。愛想の良い老女主人が淹れてくれる紅茶をじっくり、その日買った本か漫画かを読んだり読まなかったりしているうちに渋みきってしまう紅茶を一口すするごとに、コップの水で洗い流す瞬間がなによりの幸福だった。店内に目立たない装飾品はたくさんあった。僕が好んでそれ目当てに席を決めていた品はいかにも欧州の味わいの風情で、むき出しの歯車が作動するとブリキ人形数体が踊りだす仕掛けの、いうなれば玩具だったのかもしれない木工細工が、どうかするほど愛おしく、眺めに眺めて2時間経ていたこともあった。客層は有閑の婦人が多く揃い、料理教室の放課後めいた和気は傍目にも安らぎの音楽も同然だった。憩いの索引のような店だった。ドアを開けて出るとどの道もそれは帰り道となった。ついでの事情を差し込んだりせず、どこに寄り道しようとも心揺り動かされることもなく、いつも必ず帰り道になった。そういう店だった。家を越してからは年に一度だけ、決まって挑発的に寒い冬の日に来店していた。いずれの冬の日も変わらず弛緩した。誓いを履行するごとく弛緩した。年を経るごとに周りの人間も各々マチの店に通じていく、その点僕にとってはラビニアは心強い一種の誇りだった。岸の向こうの天狗がどれだけ、小洒落た、美味しい、あるいは安らぐ店に親しんでいても、脳裏に楽園を過ぎらせて、外連味なく胸を張れた。行こうが行くまいが懐に忍ばせていつでも加護を惜しまないお守り、それもひどく美しい一つの貝殻だった。今日ラビニアの閉店を確認して去来したものは喪失感よりも自立を促された心境に近い。僕は大人になった。緩みたいならいくつかのすべを心得てる。観想郷なら今の住処で間に合うだろう。いつか大人に飽いた頃には構わず化けて出てきて欲しい。待ち合わせもせず待っている。


2014年12月07日(日) 攻守専任制

攻守が交代しない競技があったら。

例えばわかりやすく格闘技で。
まず入門時にオフェンス希望かディフェンス希望か決める。
あとはずっと一定。
オフェンスならオフェンスの選手となる。
ジムではディフェンス選手を殴る蹴るする練習に明け暮れ、
ひたすら攻撃力を鍛える。
一方ディフェンス選手もそこはプロ、
回避・防御の技術を極め、
いかな暴力にも耐えうる肉体づくりに余念がない。

もちろんオフェンス層の割合は高くなる。
当たり前だ。誰だって暴れまわるほうが楽しい。
が、ギャラはディフェンス側の方が圧倒的に高い。
加えて客の人気。渋いファンはオフェンスになど見向きもしない。
にわかのファンほどディフェンスに野次飛ばすが、なに、効くものか。
そこはプロ、メンタル面の防備もばっちりである。

隠れた魅力として、実生活でも役立つのはディフェンス側だ。
他者からの信頼度も高い。
就職活動や賃貸の審査でも好評価となるだろう。
その点オフェンス選手は悲惨。
すぐ犯罪者予備軍として扱われるし、
実際犯罪者予備軍でもあるようだ。
あなたはそれでもオフェンス選手になりたいといえますか。


2014年12月03日(水) 君の手は

発熱の確認のため額へ他者の手をあてがうあの芸、
感じとれる熱は能動者と受動者の相対的な温度差に過ぎず
一方の絶対値なんて計れようはずもないのに
あれでいったい何を明らかにできるというのか。
真実究明の意欲が足りないんじゃないか。
怠慢。諦念。横着。
でなければ思い上がりだ。
自分の手が厳正に恒温維持できているとでも盲信しているのか。
まさかな。
寒ければ手は冷える。そんなこと君にもわかってる。
いいんだよ。素直になろう。
君の手は君の生きる日常のなかで、
食べたり怒ったり恋したり歌ったり、花を摘んだり、
誰かを傷つけたり夕闇に怯えたり星に願いを託したり、
そんな何気ない息遣いひとつで、冷えもすれば温まりもする。
嘘をつかなくていい。君は真実に生きろ。
君の手だけが偽物なんだ。わかったね。さあ切り落とせ。
血の温もりより他に真実は求めるな。まだ間に合うぞ。私は間に合った!


2014年12月02日(火)

もう何度も寒いって口に出して言っちゃってる。
それも自分が最も忌み嫌うシチュエーションで。

例えば夏の方がありがちなケース、
熱い陽射しからようやく逃れ
冷房のよくきいた屋内に入り込むやいなや
人は「ハァーあっつい」とか言う。
あたりまえみたいに言う。
あれが嫌なんです。
どれだけ体が火照ってるかしらんけど
ようやく涼める環境へ身を置けたのだろ、
その瞬間に暑いとかいうな、
涼めてる主にも失礼だし、
なんというか過去のことをいうな。
いまこの瞬間に目を向けろ。
「ハァーすずしい」って言え。
そう思うんです。

が、忌みながら自身も今冬同じことをしている。
布団に入るや、風呂に浸かるや、ストーブにあたるや、
「うー寒っ」
この一言が脊髄から高速で這い出る。
滑稽だ。知能の低さをにじませる。
もっともっと律さねばならない。
ちのうのひくさをかくすために。

/

最近よく目にするガムだかなんだかのキャッチコピー、

「息はほぼ、顔」

この一文が見せつけて憚らない、
鼻息の荒さと面の皮の厚さといったら…。
こっちのため息と赤面が到底抑えられない。
恥ずかしい。
こうしてここで取り沙汰するのすら恥ずかしい。
息苦しい。
正面から顔向けできない。


2014年11月28日(金) 宝くじを買ったこと

当たらなかった。
一撃もかすらなかった。

/

「さあ、いよいよ発表だ。」
画面を開く。ドキドキする。
今日は、この前買った宝くじの当選発表の日だ。
ぼくは、(当たってるわけないさ)と思っていたのに、すごくドキドキしていた。
もしも当たっていたら……。宝くじの引換券を見つめる。券が震えてる! と思ったら、ふるえているのは、僕の手だった。
もしも当たっていたら、お母さんに大きな家をプレゼントしてあげたいな、と思う。ぼくの家は昔から小さかったし、お母さんは、そんな家で僕を育ててくれたからだ。だから、当てて、お母さんを嬉しい気持ちにさせてあげたい。今思うと、宝くじは、そのために買ったのかもしれない。そんなことを考えていると、当選番号発表のページが読み込まれた。
「あちゃー、ダメだった。」
当たるはずないのに、やっぱり悔しかった。どうして当たらなかったのだろう? きっと、それは、誰にもわからない。涙がにじんでくる。なにが宝くじだ。なにが家をプレゼントだ。手始めに目についた大きな家を燃やしてやった。おれは昔から火が大好きなんだ。お次は母校に点火。焼き尽くせ。手当たり次第火を放つ。街が業火に覆われる。飽き足りない。空母だ、空母をもってこい…。この国を怒りの炎で真っ黒に焦がして、連中に思い知らせてやるんだ。大丈夫おれならできる。いま生きているこの日常に勝る奇跡はないのだと、命と引き換えに、骨身に沁みるまで、みっちり教えてやるんだ……


2014年11月27日(木) 秘宝 宝くじ

宝くじを買った。はじめて。
先日のビンゴの当たりに味をしめたわけではない。
同僚の興に応じて持ち前の酔狂を発揮したまでのことで、
決して先日のそれは関係ない。

だからちっとも当たるとは思ってない。
かといって当たらないとも思ってない。
どうでもいいのだ、どうでも。
当たるとか当たらないとか。
あ、そんなもん買ってたっけ。くらいのもんなのだ。
くらいのもんとしている奴が当たるものなのだ…

/

朝のワイドショーの番組名はどうかしてる。
ワイドショー自体その存在自体が
後ろ指差されて然るべきなのは言うまでもないとして、
せめて番組名くらいは自粛して欲しい。
ハイ人が刺されました、「スッキリ!」
ハイ地震が起きました、「とくダネ!」
あたまわいてる。

/

あんまり外が寒いから
寒い
と口に出すのを禁じることにした。
もともと意味がわからないと思っていた。
寒い。だからなんだよっていう。
言ってみたところで寒さは変わらないし
聞いた人間にどうすることもできないし。
やめた。
あと外が寒いだけじゃなくて屋内も存分寒い。
あと口にしないだけでココなんかでは寒いって打ちまくる。


2014年11月23日(日) 妖怪ウォッチとはなんぞや

これだけ世間賑わせ大流行中の妖怪ウォッチ、
その実態をろくに知らない。
だけど小学生を中心に青天井の人気であることは聞いている。
そんな20代はたぶん多い。

見知らぬなんらかのグッズだとかを目にしたときに
あれ妖怪ウォッチネタなんじゃねーの? と思ってしまう。
知らないから。
とにかくなんでもかんでも妖怪ウォッチ関連に見えてしまう。
他の流行りものならなんとなくは見当がついたりする。
だけど今ばっかりは初めて触れるものすべてが
妖怪ウォッチ関連なんじゃないかと疑ってしまう。
街歩きして生垣に見覚えない花をみとめても
あれ妖怪ウォッチネタなんじゃねーの? と思ってしまう。
疑心暗妖怪ウォッチ。
いつか理解が及ぶまでこの胸に巣食う闇が晴れることはない。
これこそが時計じかけの妖怪そのものだ。


2014年11月22日(土) 陽気にあてられた一日




友人いかれぽんちの結婚式に出向く。
ウェデイングケーキを新婦から
あーんされて口に収められきれず
落ちてそのままにされた残骸が本日のベストショット。

/

二次会のビンゴ大会でオマール海老をあてた。
こういう機会にちゃんと景品あてたのは初めてだった。
運の運用の仕方を心得た気がした。
やりかたがわかった。
宝くじもたぶん当てられる。
当てられるのが確実。
確実すぎて当たったようなものだからもはや買う必要ない。


2014年11月20日(木) 電車に乗る権利がない

電車の電光掲示で遅延情報が流れてきて
ふと視線送らせると
「鹿との衝突により遅延」
という一文だけ見えた。

ずいぶん直接的にものをいう。
鹿との接触事故の増加については聞いている、
だからって、ぼかさないんだな。
いつもの曖昧な言い回しで責任の所在不確かに濁したりしないんだな。
鹿には人権ないもんな。
配慮するだけ無駄だもんな。
人でなし。

これが兎だったら同じく兎との衝突によりと知らせるのか。
ゴリラだったら。河童だったら。ミュータントだったら。
答えの気にならない疑問ばかりが頭を巡る。
鹿は生きているのか?
その電車は何両編成だい?

/

それはそれとして
今日また電車のアナウンスのハメ技に見舞われた。
電車内と電車外の陣差を活用した彼ら一流の得意技だ。
乗り換えの案内で
乗車中の客に向かって
「2番線の電車は〜駅行き、乗り換えのお客様は3番線へ」
などと平気でいう。
乗車中の客は今停車中のこの電車が何番線に停まってるかなんて
ろくすっぽ把握してないものなのに。
頑張らないと見えないよホームのそれは。
駅名の件と同じ。車内アナウンスだけにたちが悪い。
みんな気になってるはずだろうにどう思ってるのだろ。
いちいち気にしちゃいけないんだろうか。
それならばこうして嘆いている限り電車に乗る才能はない。
電車に乗る権利がない。


れどれ |MAIL