舌の色はピンク
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「中国では体罰とかないの?」 「誰がデスカ?」 「教師が、生徒に」 「教師がッ! まさか、ありませんヨ(笑)」 「あ、ないんだ」 「逆はありますヨ」 「生徒はあるの? でも教師は手を出さないんでしょ?」 「法律がありますカラ」 「え、法律!? え、生徒は?」 「生徒が暴力振るっちゃいけナイ法律はありませんカラ」
「ヤンキーは髪染めたりもするの?」 「髪?」 「髪を茶色にしたり、金色にしたり」 「しないですヨ。退学になっちゃいますカラ」 「え、髪染めただけで?」 「主任に見つかると大騒ぎなんデス」 「でも暴力は振るっちゃうんでしょ」 「いや、主任の前では皆良い子になるんですヨ」 「じゃあ主任は手を出すことも…」 「ないデス。法律がありますカラ」
「じゃあ一度も教師に暴力振るわれたことないの」 「ウーン…あ、小学校のときはありましたヨ」 「あるんじゃん!」 「でも手は出されてないデス」 「え、どういうこと?」 「定規で叩かれただけデス」 「痛いじゃん!」 「痛かったデス」 「だめじゃん!」 「でも、定規で生徒叩いちゃいけない法律はありませんカラ…」
(20091118/同僚×同僚中国人/職場)
| 2009年10月11日(日) |
きれいなものしりとり |
『ド…ド…ドイツ』 「きれいか? だいち行ったことないだろ!?」 『じゃあドイツ建築!』 「理解しているとは到底思えない…」
……
「な…な…菜の花」 『菜の花に見惚れる美意識なんでないでしょ!?』 「あ、ある!」 『わけない!』
お互いの心の醜さが露呈するだけの危うい遊びだった。
| 2009年09月27日(日) |
「ゆずりあいの街、東京」 |
とかゆーポスターがやたら目に付く。 このコピーは支持できないなぁ。
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一般に、ポスターとは広告や規範慫慂に利用される視覚伝達媒体である。…
「ゆずりあいの街、東京」を紐解くと、 「譲り合い」を東京のアピールポイントにしている点で、 「譲り合い」は自明のコンセンサスではなく、 特筆すべきステータスといえる。 すなわち、他の街との差別化を計り得る。…(1)
また、「譲り合い」とは生活習慣上広く好まれる「正の規範」であり、 ラベリングとしては方正を極め、百街がこぞって掲げたい冠である。 しかし、(1)より、ここでは「譲り合い」の冠は東京が奪い、占有している。…(2)
(1)(2)より、このコピーは譲り合いの精神に欠けている。 よって、命題「ゆずりあいの街、東京」が真であるならば、 当該コピーライターは東京人ではない。 このコピーは極めて軽薄な言葉と化すと言える。 命題が偽であるならば、当該コピーライターは社会的良心に背いているから、 市井に糾弾されるべきである。
ゆえに、私にはこのコピーを支持する余地がない。
Q.E.D
| 2009年09月11日(金) |
引きこもりは孤独か否か |
ネットや携帯、その他の交信手段すら絶った引きこもりは よし物理領域なら孤独を手に入れるでしょう、 でも観念的には?
引きこもりが現代社会の患いだったとして、 現代社会てのは偉大なる先人たちの歴史のつみかさねなわけですよ。 あらゆる天分の才が、 科学技術、政治形態、文化水準、 産業、医療、食糧、娯楽、安全、 などあらゆる社会の因子に攻究を重ね貢献し、 近世近代を経て現代に辿り着いたわけですよ。 その結果が引きこもりの登場なわけですよ。 無数の天才たちが導いた。 これって孤独なんかじゃない。
徳川家康が実在したかは科学的に実証し得ないけども、 徹底した懐疑論さえ持ち込まなければ、 徳川家康が実在したとされる時代に、 確実に、間違いなく我々の先祖は科学的に実在していたんですよ。 これって孤独なんかじゃない。
歴史が人から孤独感を奪う。
| 2009年09月09日(水) |
無垢ゆえのブルー供給 |
そうそう昨日荻窪の神社でお祭りしててですね、 神社の近くの電気屋の前に、何らかのキャラクターを模した 空気で膨らませてある置き物があって、 倒そうとしても重心が安定してて倒れないタイプのやつ、 それに対して男の子2人が殴る蹴るの暴行を加えてるところまでは まだよかったんだけど、 その光景からまさに通り過ぎようとしたとき 「ふー。もう行こうぜ! あっちお祭りしてるし」 と言って男の子2人があっさり去っていってですね、
そこに幼さの残虐性を見た。 グロテスクだと思った。 残された置き物の変わらない顔から 彼の感情を読んだりしないよう勤めるのに 相当量のテクニカルポイントを要した。
9月8日 午前8時確認 「曇り後雨 午前中は雨に注意」 え…? 午前…曇り…雨…え…?
この事情を先輩(埼玉在住)に話すと すぐにご自分の携帯を見てくれた。 「曇り後雨 高波に注意」 え…? 高波…埼玉…内陸…え…?
ゲリラ豪雨ってなんなんですかね、 色々ツッコミどころ多い新語ですけど、 一番気に食わないのは、なんですか、 天気予報側が負けを認めてるというかね、
だって予報向上意欲の放棄じゃないですかそんなもん、 「予期できない、突発的な」を意味するために ゲリラを採用した時点で負けでしょ、誇りゼロですよ、 予報の限界に踏みとどまってへらへら笑ってるというか、 自らの使命から一歩離れた地帯で遊んでるというか、 要するに負けを認めてないですか、
比べて地震速報の方はすごいですよ、 地震なんていわば毎回がゲリラ地震なわけで、はなから予測を諦めたって文句ないのに、 なんでも今度の静岡の地震では直前に「地震起きますよ」の報を マナーモードの携帯にも大音量鳴らさせる仕組みで市民に届けたらしいじゃないですか、 これぞゲリラ予報! ゲリラにはゲリラをの精神、大自然に正面から立ち向かってるってもんですよ、 歴史の積み重ねの表現ですね、美しい人間像がここにはある…
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「"ゲリラ豪雨"ってことばに一番踊らされてるのはおまえだ」 と指摘されたときの抗弁はもってない。
大学の課題に向き合ってる恋人の横で、 あるぅひ もりのなか くまさんに であぁった のくまさんがマゾだったらー とか ゆぅやぁけ こやけぇの あかとぉんぼ のあかとんぼがマゾだったらー とか つらつら物語ぽく一人語りしてたら 「きみ一人でいるときそんなことばっかり考えてるの?」 といぶかしまれた。
四六時中そんなことばかり考えてます。
「だから要は、俺が携帯持たないのは、携帯が便利だからかな」 「道具の便利さ受け入れると自分の能力の減衰を感じますよね」 「そうそう、世の中便利になりすぎてる」 「じゃあコンビニなんかも嫌いなんですか? コンビニエンスっていうくらいですし、便利さの象徴じゃないですか」 「やだねぇ、俺は認めてないねえ」 「でもこの前使ってませんでした? 僕見ましたよ」 「そうだね、まぁ夜とか時間ないときとかね。仕方ないときは、やむ得ず使うときもあるよ」 「あー、なるほど」 「うん」 「……その"仕方ないとき"に活用できてる時点で、便利さ認めてるじゃないですか!」
快感果てしない完璧なツッコミが決まった。
我々人間たるもの、身長が1.5倍になっただけで世界は憂いに満ちる。 猫背を強いられたりとかそういうの。 なのだから、100倍、1000倍と伸長して巨人に変貌を遂げようものなら まったくもって悲惨極まりなく、 まず「空気が薄い」と嘆くことだろう。 デフォルトで高山病。 また高層ビルに倣って、上半身には夜チカチカ点滅する赤いライトを設置せねば 建築法に抵触するやもしれぬ。建築物でもないのに。 雲から飛び出た上半身は常に日焼けしているし 雨が降ったら下半身だけ濡れてる気色悪さに懊悩する毎日。 悲惨。なんにもいいことない。
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