舌の色はピンク
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| 2007年04月09日(月) |
チャップスってなんだ? |
「ブッダチャップス」というフレーズが 突然脳内に発生し 僕はのたうちまわった。 どんな飴だ。 ブディストが僕をボコボコにしてもこちらからは全く文句いえない。
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そういえば僕が通ってた高校って仏教系で、 それと知らずに入学してくる生徒も多く 僕もまた同じだった。 未知の衝撃にぶちぬかれた体験は少なくない。
ふつう授業のはじめには日直が 「起立、礼、着席」 と堅苦しくも美しい日本語の並びをもって 号令をかけてくれるところを、 我が母校においては 「起立、合掌、礼、着席」 だったりした。 お手手のシワとシワを合わせて、な〜む〜 そんな馬鹿な。
毎週月曜の朝礼では校歌の代わりに お経みたいな歌を強制される。 そのメロディーラインといえば陰鬱極まりなく、 サビとおぼしき箇所においてすら 人間が発せらるる限りの低音の底に近い 歌声を響かせる楽曲構成には全生徒が辟易していていた。 一日の始発をきる朝、 しかも週が明けたばかりの月曜に この上ないメランコリーを謡わされるのだ。 自ら仏に〜↓↓帰依し〜↓↓たてまつる〜↓↓ いやいや…。
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でも仏教は嫌いじゃない。 どっちかっていうと高校を卒業してから 宗教学おもしれーなと思い 文献を渉猟した時期もあった。 とはいえ自身の姿勢は無宗教を貫いている。
ブッダチャップス。
温泉に行ってきました。一人で。
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春を前にして区内を離れ西東京へと家を越した知己が、頃日見慣れぬ土地を散策するうちに一つ温泉に入ってみたところ、極楽の意味を知ったらしい。余暇が許すならば是非足を向けてみるがいいと付け足された勧めを僕はいただいた。 彼は湯の練達を自称している。僕は彼の言葉を信頼している。意義ある休日の過ごし方に断案を下すには条件が整いすぎていた。 準備はほとんど必要なかった。タオルを袋に詰めてバッグに収めれば事足りる。しかし道程は片道3時間に渡る小旅行につき、適当な文庫本を本棚から一冊引っ張り出してジャケットの内ポケットに備えた。これで2分後に出発を控えた小旅行は磐石に至っている。 東京最西端である奥多摩へ向かう青梅線には、どう日曜を過ごすとも知れない多くの他人で賑わっていた。知らない声がのべつまくなくやたらに響く。鈍く柔らかい孤独を感じた僕は少々居心地が優れない。しかし30分もして、車窓から覗く景色が緑で埋まる頃には、車内の人影もまばらに落ち着く。孤独は逃げた。トコトントコトン電車に揺られながら初めて訪れる土地を眺めるとフム何とも清々しい。雲影が太陽から空を横恋慕する姦計も、天気予報には反してどうやら失策に終始しているらしい展開の模様が伺えた。生い茂る緑から差す木漏れ日が草地に白髪をもたらしている美麗な様相などは、電車の平均速度を高めた科学の進歩をはばからず恨んでしまうほどだ。 事実恨んでいると、願い通じてか、ダイヤ調整のために中途の駅で数分この早すぎる乗り物を停止させる知らせがアナウンスされ、しめたとばかりに僕は座席を立ちホームに駆け出した。 季節の色気に快さを得て深呼吸により空気を味わっていると、頭上から風に乗った桜の花びらが降ってきた。触覚の機能を極限まで発揮して、国産のダイヤモンドダストを爽快に浴びながら、ふと胸元に異質の感触を覚えた。 「なんだ、いまさら」 今の今まで文庫本の存在を忘れていた。とはいえ、元々は道中の暇を、感性と知識の拡充にあてる目論見の上で無為に逆らう解決法に選んだ所持品に過ぎない。 「いまさらなぁ」 もう一度ひとりごちる。文庫本を要さずとも僕は道中の時間を感性の力学によって心地よく満たす企みに成功している。ならば我が文庫には伊達の号を飾りに与える認可が下りるだろう。伊達文庫氏には失敬して、僕は依然自然と戯れるとする。
どれだけ到着を悔やもうともレールが敷かれている以上は電車は進む。やがて奥多摩に着いた。都会の象徴たる東京を連想してこの光景を想起する人間はごく僅かだろう。視界に広がる風景にも僕の目は山々をしか知覚せず、記憶に焼き付ける映像にちっぽけな無機物は捨象された。 駅員に道を尋ね目的地にはスムーズに辿り着く。入浴料を払い、もどかしい脱衣を終えて、ようやく待ちかねた温泉に体を泳がせた。 なるほど、知己の言葉の意味をここに至って知ることができる。いわく、極楽と。 もしもこの世に湯学者なる偏狭な職業に勤めている者が現存し、湯加減という難渋な問題の正解を求めているならば、おしなべて当該温泉を訪れるべきだろう。べきだろうが、当初の目的は忘れるに違いない。職に就くとは社会を強かに生きる術であって、すなわち職務の追及を念頭に置いたごとき煩雑な思考は湯で洗われてしまう。 ただ僕のような、骨髄が思考で支えられている特異な人間には、いくら邪な精神作用を除去する効能がある湯に浸かっていようとも、それの例外を実証せしめてしまう。流石に論理的な思考は省かれたものの、ぼんやりとしたイメージが追懐された。 母親の胎内。 生を全うするための努力の必要性が絶無であったはずの時分。安らぎの骨頂。ぼんやりとイメージ。いつまでもこの安らぎを維持したいと僕の物心は叫んでいた。
まったくどれだけ生物が進化しようと、時の流れには抗う手立てがないのだから、哲学はとことん酷だ。時間制限に追われて湯をあがる。躊躇いは強いが、十二分の快感は得たゆえに理性を働かせ自分を納得させた。
浴場前には休憩室と銘打った大広間があり悠々くつろぐことができた。名称付けるに休憩室とは皮肉なもので、たった今休むにも憩うにもこの上ない安楽を験じたというに、どうやら哀れな引き立て役を用意するのはドラマの脚本の上ばかりではないらしい。 せっかくの引き立て役を嘆くままにするのも惜しいので、一服の時間を設けることで配役家の計らいに応じるとする。 山と川と緑と空と雲と花と――自然を一望のもとに見渡せる席をさいわい確保できた。慣れた動作をもって安いライターで火を灯し煙を吐呑する。 口内を通じて外気に触れた白い透明が中空を舞い、踊り、遊び、まもなく風景に同化する経過を観察していると、体が浮いた。 「魔法だ」 魔法だ。 なんだ、魔法はファンタジーの世界にのみ許されると反論の余地なき教育を施されてきたのに、ふん、こんなところにあるじゃないか。 僕がこの革命的な真理を獲得した瞬間、魔法とやらの結実らしい浮揚感が不意に絶えた。 火照った体は言語中枢を経る足労も煩わしいのか、はぁ、と間の抜けた吐息を脳を介さずに口から漏らす。 僕は自身の吐息を耳で知覚して初めて、それがある呪文の換喩であることに気がついた。 吐息は、帰ろう、と翻訳できた。
魔法の杖が先端に灯す火を灰皿で殺せば、世界にひさしく血が通う。 明日は伊達文庫のやつを愛でてやろう。 ひとつ気楽な予定を講じた僕は、うまく愛でられたら文庫から伊達の名も撤してやるかともうひとつ予定を加えた。
| 2007年04月06日(金) |
ハロー オレはメシューナン |
いま世界人口ってどのくらいなんでしょう。 中国がアレしてなければ65億人ぐらいでしょうか。 そしたら65億の人間は2つに分けられます。 カッコつけられる人間と カッコつけられない人間です。
この広い世には 自ら醜態晒しちゃうぜ病という 奇病があるらしく、 まぁ今僕が勝手につくったんですが まさに僕はその患者なのであります。 悲しいことに。
ふつう自分のかっこ悪いとこなんて 晒したくないはずなのに、 なにか失敗や過失を犯したら 吹聴せずにはいられないサガを背負っているのです。 人に指摘される前に自分で露呈しちゃえって心理? それにしたって言わなきゃバレんのになぁ。
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たとえば、僕の目はくさいのです。 いや実際確かめたことはありませんし 確かめようもないですし 人様から「オマエの目くせぇよ」との痛罵を拝受したことも ついぞしてありません。 しかし悲しいかな、理論の上では 僕の目は人様に誇れるような目ではもはや決してない、 世間体に対する不具の状態にあることが導出されてしまのです。
理由はコンタクトレンズにあります。 正確にはレンズケースに満たす保存液。 この液体が、化学薬品の臭害とも認めがたい 得体の知れぬ珍妙奇怪面妖な刺激を嗅覚に訴えるのです。 よってこの保存液に浸けたレンズにも その臭気が伝播することは必然の理でありまして、 あげく当該レンズを眼球に装着したらば いかな悪状がもたらされるかは 以上の論理導引をもってすれば 当方が今また例の文句を反復する酷を犯す憂いを待つまでもなく 英俊たる皆々様の賢察により まごうことなき確答を得られますでしょう。
でも反復しましょう。 つまり僕の目はくさいに違いないのです。 いわゆる目臭男(メシューナン)というやつです。 いわゆるとかいって僕が勝手につくったんですけど。 世界に何万人くらいいるのかな、メシューナン。
| 2007年04月05日(木) |
「……盛り上がりすぎようぜ」 |
浅井健一ソロツアーDVD買った 見た 聴いた かっけえええええぇぇぇぇぇ っけぇぇぇぇぇぇぇ けぇぇぇぇ ぇぇぇーー……(残響音) この人はいつまでもかっこいいなぁ。 映像見ながらのたうちまわりそうになった いやさ のたうちまわった なんかのインタビューで 「昔の曲やりゃいいじゃん。ライブでも弾くよ。 ブランキー時代の曲だって今でも自分でかっこいいと思うしさ」 と言ってた通り ブランキーも演ってくれている。惚れる。
それから 「危険すぎる」のサビにバックグラウンドで挿入されるエロボイスを 椎名林檎嬢(CD版)の代わりに サポートメンバーの女性ベーシストがコーラスしていて その姿といえば気だるさ100%。惚れた。 林タバサさんというそうな。自身でバンド活動もしてるらしい。 アルバム買おかな。
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冗長な話をします。
世の中にはアマノジャクと称される人間が、いる。 あまり好きじゃない。 やたらマイノリティを求めたり 流行りに逆らったり 「オレは流れにのらないぜ」と自己主張してるような方々が。
実際アマノジャクは流れに全然逆らえてない。 すでにある流れ、を見定めてから その逆を行くことで「自分」を保とうとするなんて まったくかっこう悪いと思う。 まず先に「カッコたる自分」があれば、 世間の流れがどうあれ関係ないわけだもの。 もともとの自分の主張がたまたま世間の流れと逆だった、 とあらば認められるものを、 世にひしめくアマノジャクはちょっと勘違いしてるように見えて はっきり言って不愉快だ。 似た理由で「変人」「狂人」に対して 逆説的な憧れを抱いている人もいただけない。
アマノジャクについて一括りにしてしまいつつ 例外については述べぬままにします。 こういった論述では 一般と百般の差異なぞ言わずもがなでしょう。
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とはいえ僕は小学校2年生までアマノジャクだった。 学級会かなにかで 「みんなは、好きな予定と嫌な予定があったらどっちを先にする?」 みたいな論題が挙がって、 「嫌なほうを先にかたづけて、 お楽しみは後にとっておくほうが良いです。 給食でも、嫌いなものを先に食べて 最後に好きなものを食べたほうがすっきりします」 といった意見を誰かがのたまうやいなや クラスメイトのほとんどが フムたしかにそうだ と付和雷同し始めたことに 僕はひとりムカムカしてきて 何も考えず「僕は好きなことを先にします」と手を挙げた。 「どうして?」 「うーん……」 「なんで?」 「えーと……。たとえば、嫌なことを先にしたとき、 好きなことをする前に何が起こるかわからないからです。 いきなり大地震で死ぬかもしれないし。 そしたらソンだと思います」 「(えぇー……)」
クラスメイトの視線はともかく、小2にしては あながち即座一蹴することもかなわぬ意見であったとは いまだに自負しているものの、 このとき (多数派を敵にまわして自分の立場をつくってから 意見をノべたってこんなん茶番じゃないか) と自己嫌悪した。
以来、徹底して流れに対する自分を意識している。 僕だって流行りは好きじゃないけれど、 徹底と飾る以上は流れを察知することも肝要と思う。
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ナンとかカンとか小偉そうに述懐してみたところで、 3年ほど前QUEENのアルバムが買いたかったのに 当時プライド(ドラマ)の主題歌の影響で QUEENの国内人気が高まっていたために 「ここで買ったら俺ミーハーみたいだ」 なんて踏みとどまったこともあったりと、まだまだ……。 精進が足りない。がんばります。
いま誰と一番連絡を取り合ってるって、 12歳の女の子、だ。 ロリペドじゃないですよ マジで いやマジで。 いとこなのです。 恵比寿や白金に憧れている ずいぶんマセたオシャレッ子で、 とめどなく オトナ的話題トーキョー的問答をメールしてくるため 応対してやっている次第。 『質問ばっかりしてごめんね……』 かわいらしいじゃないの。
しかし僕はオサレに一直線な子供は大嫌いだ。
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芸術とは感性を発揮して無価値を価値に転化させることだ、 と僕のなかで定義していて、 絵画でも音楽でも文学でも勿論だし、 詩やデザイン(ファッション含む)も、 笑いもこの定義にあてはまると思う。
松本人志が幼少期、 貧乏の家に育っただけに 満足できるだけの玩具を与えられずに 「この環境でいかに遊ぶか」 を自分で考え独自の遊戯を追及していったことが 後の笑いの骨格を養うに繋がっていたとは 有名なエピソードだけれど、まさに。
子供が既成価値に物欲を抱くのはしかたないにせよ、 それが容易く成就してしまうとは悲しいばかり。 服に代表されるファッションなんて 子供にとっては あらかじめ値打ちの見出し方が画一されている 悪質な思考停止システムだ。 感性の育みには邪魔なだけじゃねぇのかあぁ熱くなってきた。 服は夜脱ぐために着るのだとは村上龍の弁。 こんなんも子供は絶対理解しえないし。せめて二次性徴を待て。 仮に言葉の上で呑み込めたとしても正確に解釈できるわけない。 子供に化粧をさせる親は 彼らの顕示欲を満たす以上に 子供の可能性を略奪している危険をわきまえてるの? 誰かの所為にしたいか知らないが ちゃんと教育して叱ってくれ。
そういえばこの前車にひかれた。 そういえば、で済む問題でもないんだけど まぁ無事だったんで。
ひかれたってーよりは踏まれたのだ。 狭い路地で無防備に片足を伸ばしていたら 強引に曲がり角を攻略してきた時速2kmくらいの車に 小指のあたりをギュムゥー……っと。踏まれた。 時速2kmくらいの車に。かっこわるい。
にしても車だ。 一般的には重いとされている、あの。車。 その痛みたるや 絶叫、悶絶、卒倒……を免れえない…… くらいのレベルに達していたらよかった、いっそ。 実際は 「あ、車にひかれてる今。今現在。今朝。 痛いし。重いし。ひかれてるし。 これって交通事故になんのかなぁ」 などと無表情で感想する程度の 中途半端なぬるい鈍痛にすぎなくて ある種の喪失感があった。
いや、大事に至らなくてよかった。 20分で治まる苦痛で 貴重な体験ができたと思う。
| 2007年03月31日(土) |
月刊シュールジャーニー アキバ編 |
昔のバイト仲間で編成された 「月刊シュールジャーニー」という組織があって、 別に何も発刊しないし 旅に出るわけでもないけれど、 ただ単に語呂のよさから勢いで立ち上がったお遊び集団に過ぎなく ラーメンツアーとか アメリカ特撮映画鑑賞会とか まぁ若者らしいコトをしている。
今回のテーマは「アキバ通になろう!」だった。
発端は大塚で猫耳女と絡んだこと(日記3/4)。 実は以前も似たような顔ぶれでアキバに行っていて、 でもそのときは情報不足からあんまり楽しめず、 今回は前に参加できなかったメンバーも加えてリベンジを企てたのだった。 反省を知らぬ僕たちは今回もまったく懲りずに ノープランの行き当たりばったり作戦を決行。 超面白かった。
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メイド喫茶はガチだろ。 っつーコンセンサスから、テキトーにぶらついて発見した店に入って驚愕。 「ファミコン席もただいま空いてますが、いかがなさいますかぁ?」 ファファファファミコン席だとォーッ テンションが上がりまくる成人男子4人。 案内されてみると、広めの店内の中心に設置された巨大なモニター、 そしてファミコン、20程度のカセットソフト…… あ 熱い 熱すぎるぜ! 他の客に注目されながら マリオや魔界村やスパルタンXなどのレトロゲーに盛り上がりまくり、 完全にメイドそっちのけだった。 むしろメイド邪魔だよみたいな。 ファミコンしてる感覚も、友達の家のニュアンスに近いものがあり、 こっちがゲームしてんのに ときどき声をかけてくるメイドが 「友達ん家のお母さんみてぇだな!」 ってことになって僕らはお母さん喫茶と名づけてゲラゲラ笑った。
メイドさんは「これだから男の子って……!」といった反応を見せてくれて そこだけもえた。 いやそれは勝手のいい妄想か。 完全に童心に帰った僕らは 「お前んちいっぱいファミコンソフトあんな!」 「お前んちのお母さん美人だな! コーヒーうめぇし!」 とか仲間内で言い合ってゲラッゲラ笑ってたんで 正直迷惑な客だったかもしれない。 なんと言ってもメイドさんそっちのけだし。
「食器お下げいたしまーす」 (何だよ母さん早く部屋でてけよ……! 今盛り上がってんとこなのに…!)
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あと道端でアイドルグループみたいな連中がコスプレしてて、 「「「「わたしたちー」」」」 「「「「四人揃ってー」」」」 「「「「フジケイコでーす☆」」」」 とか叫んでいた。 いったい誰がフジケイコなんだ。 ボンジョビかお前ら。
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その後飲み屋を探して、 ヨドバシの最上階にある飲食フロアーに行って これまたテキトーに入った無国籍料理店が 安くて美味くて量も盛りだくさんの大当たり。 大満足だった。 アキバ極めたと思った。
どの店でも「月刊シュールジャーニー」で領収書をきってもらっている。 体裁だけは取材気取り。そんな企業ありやしないのに。
紅茶飲もっ☆ と思って湯を沸かそうとしたら ガスがつかない。
……。
郵便受けを確認すると はたして東ガスから 「金を支払わぬ不埒な不届き者に供給するガスはない。 無法の無頼漢に対する我々からの制裁である。かしこ」 という旨の犯行声明を記した届けがたしかにある。
ていうか待待待待待てよって、 請求書来たか!? 12月分未払いって、えー、 1月2月分は払ってあるからなあ、 間違って他の郵便物と一緒に捨てちゃったか!? なんにせよ止められたことに違いはないし、 しかも土日を挟む巧妙な手口にはしてやられた。
ウッワーひどい、アホか! アホか! 俺は! わー わー 銭湯行こう銭湯!
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手っ取り早く引き落としにしていれば 生ずることもなきアクシデントではあったけど 目に見えないところで自分の金が動くよりは 毎回 数千円とはいえ確実な支出を逐一実感したいために 現金払いを続けているので。 しかしウームまさかガス止められるとはなぁ。 なんかベタな一人暮らしの問題例って感じだ。
ガス止められたってことは 風呂が沸かせないから銭湯行かなきゃいけない、 お湯が沸かせないから紅茶飲みたきゃ店行かないといけない、 料理もできない…… ……いやあんま困んないな? 普通に数日は過ごせそうだ。
| 2007年03月29日(木) |
バンソーコーでいいじゃん |
蚊、貝、イルカ、会計、印象、運動会、インセンティブ、 ブエノスアイレス、スーパーマーケット、トップマネージメント、 東京理科大学、クラミジア感染症、宇宙論的証明
↑文字数を一文字づつ増やすしりとり。 一人でも遊べる。電車待ちのあいまがお薦め。 二人でやってみたらえらく冗長でチョー盛り下がった。
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自分のボキャブラリーの貧困を嘆くことは多々あり 例を挙げるなら「バンドエイド」なる単語が思い出せず 今までに幾度も窮地を迎えてきた。 どうしても「絆創膏」がちらつきその地点で堂々巡りしてしまう。 バン までは辿り着くのに この思考法においては バン より先の前途が 暗闇の密室に閉ざされ何も先に見えなくなる。
現に今日の昼 「そうだバンドエイドのことを日記に書こう。 さすがに日記の話題に挙げれば海馬に焼きつくぞ」と 現実的かつ建設的な立案にほくそ笑みながら 実行を怠らぬよう脳内表明したにも関わらず つい今しがたキーボードを打とうとしても もう忘れているのだった。 バン……バンなんとか……バン… バン…ババンババンバンバンいや違う……これはドリフだ…… 10分かかった。
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幼いころにバンドエイドによる危害を被り おぞましいトラウマとなって深層に住む自我がその存在を拒否している…… とは考えにくいし、 はたまた前世でバンドエイドを犯人とする 陰惨な事故に見舞われ生涯を終えた…… なんて考えたくもないし、 さっぱり原因がわからない。
心の傷、を原因にあげる段階で なにかひとつウマイこと言えそうな気配も感じたけれど 寒いに過ぎる事態に陥りそうな予断にひざまずき いちかばちかの挑戦も放棄した惰気が いくじなしの実を結ぼうとも それを忸怩、慙愧。とすらも解さずに 英断と呼んで愛する僕は今日も元気です。 自分の話に耳を傾けてくれた人様を煙に巻いて 目線を主題から遠ざけさせてしまうことが特技です。
内閣府が編集している経済財政白書を 昨日今日と読んでたのだけれど 内閣なかなかやってくれるというか 気が触れてますな。
各年代の労働力、生産年齢人口の増減について述べている項で 当然ながらも国内における人口減少問題が挙げられていて、 このままでは日本の人口減りすぎちゃうよ大変だよ… っていう旨の常套句が並んだ最後に 「今後、出世率と死亡率が2000年の水準で一定に推移した場合、 3300年には日本の人口は2人になるとの試算がある」 と記されている。
へそで茶を沸かすなんて簡単なことだと実感した。
いや、そりゃ算術的に漸減さしていけばそうなるだろうさ、 一向に試算だってしてくれても構わんですよな、 でもわざわざ記載するってギャグ……か? 中学生の自由研究レポートのテンションじゃねーか! 少なくとも僕は電車内で吹いちまった、 人口2人は果てしなくツボなのだった。 良識ある一般乗客を装うことに全身全霊を尽くしたけども けっこうこらえきれなくて ゲフンガフン咳をしている変な男に成り下がってしまった。
人口2人の日本て ほんとどんな社会ですかって やっぱ「需要と供給が重要だ。」とか言ってるんだろか 、 「治安は維持したい」「失業率が50%に達した」 「まずいぞ円が暴落している!」とか。 人口2人なのに…。 あぁでも楽しそうだ。 こんな楽しい想像を膨らまさせてくれた 天才的官僚に感謝する。
なんか内閣連中(財政政策周り)のイメージが一変。 随分と楽しそうなところのようなしてきた。 「ちょ、これ記載しときゃウケんじゃね?」 「ヤバくね? シャレんなんなくね?」 「バレなきゃいいんじゃね? 小さく載せるわ」 「マジで!? お前マジウケんだけど!」 的な。
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