舌の色はピンク
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| 2007年03月16日(金) |
ココロのスキマを埋めないで |
恐怖を、 身に迫る恐怖と 死に連結させるグロテスクな恐怖と 想像により喚起・増長される恐怖の三つに大別したとき、 映画・小説などのホラー作品では 上二つには結構強くて、 三つ目も夜中寝るときにちょっとクるくらいであり、 リアルタイムで恐怖することはほぼないんだけど、 「笑ゥせぇるすまん」には耐え切れない。 こわすぎる。 見ながらずっと恐い。
幼少時に植えつけられた 笑ゥせぇるすまんの恐怖は 原体験として今でも尾を引いている。 喪黒福造の真っ黒いビジュアル、 けたたましい笑い声、 不自然なほど緩慢な所作、 左右に揺れる独特の歩法、 得体の知れぬばかりの素性と背後関係、 そして顧客に次々と投じられる不幸への布石……。 あいつは全てがこわい。というかこわくないところがない。 「しごとをしているなやんだおとなたち」が 毎回享楽の一瞬後には凋落していく物語が 社会のことなぞ何も知らない少年には酷に過ぎたのだった。 皮肉の利いた啓発的なメッセージがこれまた 「おとなたちのしゃかいはこんなのか みらいはあんこくだ」 てな風に少年に暗い影を落とさせる因子となり 僕はTVを消してもいつまでも怯えてた。 なんといってもあの顔で丸い指を画面に突き刺し ドーン! ってするのがギャー!
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恐がる幼い僕に対して 兄はよく 「笑わないせぇるすまん」 という即興創作話を聞かせてくれた。 要はなんてことない普通のセールスマンの話に成り下がってる トンデモクオリティのストーリーながらも、 このトラウマを緩和するには多少の効果があった。
しかしさっきYoutubeで 当該アニメイションを不意に見つけてしまい、 恐いもの見たさ、喪黒見たさで鑑賞してみたら やっぱ恐いっていうか ドーン! ギャー!
やっぱり僕の家族仲は冷めている。 陽気極まる明るい母、 計画家でインテリな長男、 遊び人でアウトドア志向の次男、 何事にも兄二人の間をいく末っ子の僕……っていう4人構成。 2年ほど前まで実家に一緒に住んでいた。
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僕ら息子3人には暗黙の了解といおうか、 いつしれずと出来上がっていた絶対的ルールがある。 「家族の前で笑顔を見せない」 それも徹底して…だ。
外向性をいかしてマシンガントークをする母に 息子は耳を傾けながらもまったく笑わないし、 夕食時にバラエティ番組を見ていて 面白い場面に見舞われても 必死で笑いを堪えている男たちがそこにはいる。 なんだこのルール。自分で書いてて不思議になってきた。 でも兄弟でそれを話し合ったこともなく(そもそも会話がほぼ無い)、 自然と発生した取り決め事なのだ。
とはいえ僕たち兄弟は家庭内ツンデレなので 優しさに似た言動をふとした瞬間に垣間見せてしまい 「冷めた家族」の装いが儚くもはがれてしまうことがある。 その気の緩みを母はすかさず察知し、曲解し、歪曲し、 「私の息子たちは普段冷たいくせに実はこんなにも(略)」 と己のブログにしたため、 大勢から好意的なコメントを賜って喜悦に浸るのだ。 いたい。
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海外ドラマのフルハウスみたいな家族愛の真逆を突っ走るも、 こんな家族はこんな家族でアリなんではないでしょうか。 なんてなことを家族仲円満な悪友に打ち明けてみたら 「俺には考えられねーよ! 全ッ然理解できねーよ! アホか!」 と一蹴された。
勤務中は職場でも携帯の携帯はOKで 職務を全うしていれば メール確認くらいなら可、 電話はダメだけど……てなルールがあるらしく 僕も倣って常備してるのだけど 今日昼過ぎに凄まじい勢いで着信があった。 叔父叔母祖母、のべ5人の親戚から 容赦のないコール、コール、コール! そのくせ一親等二親等に該する家族からの電話はない。 母親が死んだのかと思われた。 実家にいる兄ともども現代社会の闇にそうぐうし 惨殺されて 一家で生き残った末男の僕だけがマスコミに追われ 世間の視線から逃れようとするも精神は荒んでいき…… といったところまで邪推は進んだ。
定時を終えて確認してみるに、 どうやら昨日から母淑子に連絡が取れないから 心配しているだけだったとのこと。 親戚一同を巻き込んだ当事者は旅行中でしたという安らかなオチ。
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うちの母親の兄弟5人は仲良すぎで 各々家庭を築いてるのに 親友みたいな付き合いをしている。
反面、我が家3人の兄弟仲といえば お互いのプライベートなんか全然知らないし 全員それぞれ麻雀牌持ってるのに卓を交わしたことなんてついぞ無いし 3人とも寄生獣(漫画)を全巻揃えてたりする。貸し借りしろよ。 決して仲悪いわけでもなしに まったく仲良くないこの関係をしばしば親戚に注意されたりだとか。 たしかに次兄とここ10年で会話した時間なんて 全部をギュッと詰めても2分に満たないから反論できやしない。 それでいてちゃんと独自の兄弟仲が調和、成立しているから不思議。
明日に続きます。
義務教育を終える頃まで 「ゴランノスポンサー」というスポンサーが実在して 業界に幅を利かせていると信じていたことを思い出した。
電車内で母親を 「おかあさま」 と呼ぶ幼児がいてなごんだ。 ドラえもんの絵本なんか広げちゃってまあ。無垢! 10年後もそう呼んでいて欲しいなぁと思った。 今日も僕の視界が許す限りの世界はへいわ。
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たぶん日本一書籍パワーにあふれている町に毎日通っている。 いとも簡単に触発され 最近やや離れがちだった活字がまた愛しくなった。 三島由紀夫の中篇「女神」すっげ面白かった。 続いても彼が著した「葉隠入門」を購読したいと目論み。
フーテンの寅さん、とかいうけど このフーテンを辞書で引くと 「定職をもたずぶらぶらしていること」だけでなく 「精神状態が異常であること」とも載っていることに気付いた。 下町気風庶民代表、精神状態が異常の寅さん。 あまりお近づきになりたくはない。
| 2007年03月10日(土) |
能ある鷹はトランスフォームする |
尊敬すべき先輩のお言葉。 爪を隠している鷹なんてまだマシで、 実際に恐ろしくあるのは しゃばい爪を敢えて見せつけ 「プゲラ! アイツ爪見えてんじゃん能無し鷹ww」 と獲物が近づいてきたところに 密かに体内で生成していた毒汁を吐くような捕食者が もっとも恐ろしいとのこと(毒汁…?)。 「もし俺が鷹なら、爪とかそういう攻撃手段を隠す前に、 まず鷹であることを悟らせないね。 人間にトランスフォームして油断を誘うよ。 真の能ある鷹はトランスフォームする」 何者だ。
↑うおお超☆くだらねえええええこと言っちまったあああああ。 いやいやいいかぁたまにはな、ガス抜きガス抜き……。
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そういうわけで花粉の舞う季節がやってきた。 僕は涙とクシャミがでる。 中学ん時に授業中ボロボロ泣いてたら 先生に放課後呼び出されて いじめ的な心配をされたことがあったけど 内心オイシイとか思ってた。
くしゃみ(の仕方)は小学校の時点で自ら矯正した。 人にナメられることが大嫌いだった僕は 「くしゃみに失敗するとネタにされる」 「なんとかスマートにしなければ」 という強迫観念に追われ 限りなく咳に近いとしか傍目からは伺えないくしゃみを 試行錯誤の上開発したのだった。 今ではかなり付き合いの長い友達にすら 僕がくしゃみしているところを見たことないといわれる。 己のくしゃみ技巧が認められた光栄。 とても地味ながらとても嬉しい。 舞い上がってしまうばかりなのだ。花粉よりもね。 ↑うおおおおまぁたくっだらねえジョーク☆かましちまったああああ。
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花粉症は僕もけっこう敏感だけれどそれよりも 僕を産み育てた女、すなわち母が 比肩しえないほどに劇的なレベルに達していて不気味。 時期になると寝込む。 涙とくしゃみと鼻と頭痛と微熱と悪寒と眩暈が発症し 料理に代表される家事全般からの離脱を訴え 日がな一日布団にもぐりこみ 外から花粉を運輸してきた息子たちを嫌悪のまなざしで迎え これぞグロッキー。といった様相をわかりやすく体現してくれる。
そんな悲惨な女が身近にいると かのニーチェも「最良の薬は何か? 勝利だ」との アフォリズムを残している通り 得体の知れぬ優越感で症状が緩和される。
今はひとり暮らしなのでこの効果が適用されずに、ちょっと辛い。 ひとり暮らししていて辛いことのひとつ。。
言語とは基本的には (論理や想起などの絶対的な感得機能を除けば) 異なる主体に向けての相互理解、情報伝達の実現に 強く作用する高等処理能芸だと思うんですが
「あっそ。」って言葉はひどすぎる。 分娩室からシャバの世に裸で放り出されて二十余年、 僕はたぶんこの言葉をまともに用いたことは一度もありません。 発話による会話相手の思惟現出力学をいなすばかりか、 相手の存在性までを否定するかのような 最悪の日本語じゃないでしょうか。
「あっそ。」の「あ」の発音に際して 鼻で笑うような吐息を交えながら 続く促音に向けて醜く頬を緩ませることも怠らずして 侮蔑劇のフィナーレに達する「そ」に呆けたアクセントを添えれば この言葉によるゆるやかな攻撃性は完成します。 攻撃性といえども針のような先端鋭角的刺激を及ぼすわけでなく、 豆打汁にクリームを落とした水分を和えた雨が 音も無く身に染み五臓六腑に泥濘を組成するような、 ひどく濁っている緩慢なダメージを与えると評して差し支えありますまい。 辟易するあまり反吐を出すだけの胆力も殺がれる痛手を被ります。 不快推及をして初めてそのレゾンデートルを満たす他ない 極めて粗悪な低劣措辞としか僕には了解しえません。
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「あっそ。って相槌はムカつく」 の1行に要約できる前置きはさておきとして、本題に入ります。 女性の「あら、そう」は 限りなく美麗な日本語だと思うのです。 この違いはなんなのだろう。 あら、そう。なはんて風にいなされたいなぁなどと 電車に揺られながら妄念遊びを頃日嗜んでいるのでした。
外の暴風がひどい。 風が吹けば俺が怒るとはよく言ったもので、 傘も壊れるし 壊れる間際なんとかコーモリにさすまいと ふんとうしていた僕の努力も虚しく 結局ホネまで折れて原型をとどめなくなった傘に 嘆きを隠し切れないこの青年の茶番劇の一部始終を 物憂げに眺めていた幼児からは嘲笑されるし なんにも楽しくない。
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