舌の色はピンク
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2006年07月26日(水) けんのん

無事にWワークが決定。
8月から恵比寿の駅ビルにあるカフェで立ち回る。


あぁしかし恵比寿か……。
ちょっと前まで恵比寿のリフレサロンで働いてて
でもそこの店長、社長はチンピラヤクザまがいの連中で
かなり痛々しいビーバップどもだった。
犯罪の証拠を見つけ
それを同僚らに知らせて集団自主解雇して
めでたく店がつぶれてからあまり期間経てないんだよな。

きゃつらに会ったらどうしよう。
凶行を犯さないでいられる自信がない。
毎日呪ってたもんなあ。
飛行機にひき逃げされろとか
死んで生まれ変わった瞬間流産して二度死しろとか
たけだけしくも短冊につづりそうな勢いだった。
身近なアイテムだとライターあたりがあやうい。
手元にあったら燃やしかねない。
ヤクザ炎上!っつって。
バーニングヤクザ!っつって。


2006年07月25日(火) シノさん

中学のときに
シノさん
という同学年には到底思えないほどの落ち着いた佇まいを
かもしだしているクラスメイトがいて
僕は「なんでそんなに優雅で気品があるの」などと
よく突っかかっていた。

ある日いつものように
「シノさんは学年一大人っぽいよ」
と僕が軽口をたたいたところ
シノさんは読んでいた本をパタンと閉じて溜め息を一つついた。
「そんなことないよ」
「なくないって」
「うーん……。……ちゃんと、調査を試みてみたら?」





ドッキューンンンンン



「調査を」「試みて」「みたら?」
いずれもが超中学生級ワード……!
否定の発言にしてかつ 学年一のそれ であることを
実証せしめてしまったこのエロキューション……!

すっごいドキドキした。

成人した今でも日常会話で
こんなセリフ使える気がしないよ。シノさん。


2006年07月21日(金) ご しち ご

朝起きて
昼まどろんで
夜に寝る


イッツサマー。


2006年07月18日(火) 殺害のバージン

今日も例の黒い畜生を
無表情でたんたんと殺害した。

当たり前のことながら、
僕らは害虫を殺したことあるけど
害虫側は殺されたことはないのよね。一個の経験として。
この思想はちょっとしたエロティシズムだ。


外やばい。雨降りすぎ。
かすかにストレスが蓄積されていってるのか
道行く人々の目がきもちギラギラしている。こわい。


2006年07月17日(月) 我が闘争

バイト先の先輩と兄弟話をした。
彼は長男らしく、幼少の時分いかに実弟を苛めぬいてきたかを
揚々と語り誇らしげだった。
僕は笑えない。
僕は末っ子で、6つ離れた次男と7つ離れた長男に
幼きころ数多の虐げを被ってきた。

……

しっぺ デコピン 馬場チョップ
ってポピュラーな遊びが世間的にあるけど、
うちの家庭では
しっぺ デコピン アゴリュクシュだった。

アゴリュクシュとは

まず拳を握り中指だけを人差し指と薬指に乗せる感覚で突き出す。
次に攻撃対象のアゴの下にある窪みに拳の中指の関節をフィットさせる。
しっかりハマッていることを確認してからアッパーの要領で拳を上に突き上げる。

がっつり泣ける。

7つ離れた兄にアゴリュクシュをかまされる恐怖。
しっぺとデコピンは前座というか余興みたいなもので、
とにかくアゴリュクシュだけは避けねばいかんのだった。

アゴリュクシュの言葉の意味はいまだにわからない。
ググッてもわからない。
意味不明。



あと10歳のときに次男に「実験だ」と捕まって
洗面所に連行されて
いきなり金髪にされたこともあった。
文句をぶつけたら顔面に唾を吐きかけられ
その後レモンスカッシュをされたこともあった。

レモンスカッシュとは

対象の鼻を利き腕の親指そして人差し指にて
だいたんに掴みあげ(レモーン)
フルパワーで圧したあげく手前に引っ張る(スカァーッシュ!!)という
猟奇きわまる荒技なのだ。
うたうようにうめけるのだ。



上記に代表される意味不明の「技」に加えて
正規のプロレス技や理不尽な暴力なども
しっかりと被害者されてきた。
そうした通常DVもさることながら
オマエの母ちゃんでべそ、と罵られるなど精神的DVも激しく
僕の実兄たちへの確執はたいへん深いものだった。

小5の折、引越しをして各々の部屋が確保されると
彼らと僕の縁は極端に薄くなっていき
ほとんど話すことさえなくなっていった。
僕の友達が家に遊びに来たときだけ兄弟ぶるという。
いわば仮面兄弟。
部屋に入れば僕が持っているCDや漫画が並んでたりする。
貸し借りすればいいじゃない……。


2006年07月15日(土) K it 殺

溜息で塗り替えられた週末の予定を満喫しております。

HMVのポイント3倍キャンペーンにまんまとノせられ
やつらの商略のままに足労させられた。
はじめ目黒の店舗に行くも
お目当てのブラッドサースティブッチャーズが無く
やむなく渋谷へ向かう。
道中恵比寿あたりで雷雨に見舞われ一回だけ赤信号を無視しつつも
なんとか辿り着き品をゲットして満悦。

一時間後くらいなんやかんやして
さぁ帰途につこうと構えた渋谷駅前で
ケーサツさんに肩をたたかれた。
「信号無視しちゃダメだぜ?」
「え?」
「1時間半くらい前かなあ、………なあ?」
こ、このおっちゃん……!
いでたち的に特徴といえばツートンなメガネくらいなはずだったなのに
確実に僕を捉えしっかりと場所と時刻を告げて
罪を指摘してきた。
できるじゃないか、かっちょいいじゃないか。
素直に謝って反省した。
「気をつけて帰るんだぜ?」
あ あざぁーす 自分気をつけて帰るっす
おっちゃんもお仕事頑張るんだぜ?


そーいや中学時代2ケツしてて
一夜で二度同じ警官につかまったことがあった。
運命を感じる。


2006年07月14日(金) Xさん その運命

昨日に引き続き。高校時代は思い入れ深い。
が、その締めくくりである卒業式に僕は参加できなかった。
同日が志望してた千葉大の受験日なのだった(落ちたけど)。
卒業式をフイにしてまでも臨んだ甲斐はあったと断言できる濃密さで、
かつ壮絶、また衝撃だった。

なにせテストの問題が信じられない構成だった。
国数英の総合問題であるこの試験の問題用紙を開いて
まず数学が第一問目にきていることを確認し、
問題文に目を通すとその一行目が
「ここに、致命的な病を患ったXさんという人がいます」
とあってもう吹き出しそうになり、
全身全霊のガッツをもって笑いをこらえるも
周囲がカリカリ大まじめに取り組んでいて
んな馬鹿なと世界を疑った。

その後問題文はXさんが可哀そう過ぎる運命をたどる物語を
無理やり数学に結び付けていく形式で進められ、
限界を感じていた僕が実際に問題を見たときには
また肺から空気が失せていった。

「問1 Xさんが10年後に死ぬ確率を求めなさい」
僕が死にそうだった。
「問2 Xさんの余命の期待値を求めなさい」
何が期待の値だ。

あとは何年後かに死ぬXさんの遺族に残される遺産の期待値だとか
その遺産の期待値を最大にするときに
どれだけの割合を貯金/保険にまわすかだとか
とりあえずどうあれ何が何でも確実に間違いなく絶対にXさんは死ぬけども
あくまで彼の存在は数的処理の構成要素でしかなく、
そのあまりの機械的な冷徹さに震える僕を
試験官が怪しい目で見ていた。


2006年07月13日(木) 追懐

高校時代につけていた日記を読み返したら
感慨深いものがあった。

/

あまり目立たないキャラで過ごそうとしてた高校時代だったけど
3年生のときだったか弁論大会のクラス代表に選ばれた。
内容は静かに平坦な人生を歩みたいとかそんなだった。
僕は「弁論なんて書けねーよ」と原稿を前に苦しむ友達に
「じゃ俺が書くよ」と安請け合いして
自分の提出した原稿と真逆のテーマ(波乱万丈な人生を歩みたい)を書いて提出したりと
皮肉をもって反発的だったにも関わらず
その意を解さない教師陣から代表に選ばれ不本意だった。

当日、本番で壇上に立ってマイクに向け
「こんな弁論大会なんて下らない」
と2000人の前で原稿を切り裂いてやったときは痛快だった。
なんで学校から個人の主張を強いられなきゃならないんだ
弁論なんてしたい奴だけがすればいいんだ
来年からは廃止していただきたいだとか
ほぼアドリブで攻撃的な弁論、をしてやり
まあまあ生徒ウケは良かった。

だけど教師陣までが笑みを浮かべていたのは果てしなく不快だった。
僕は叱られることを前提に原稿を破った。
こんな下らない大会を台無しにしたかった。
彼らに叱られた場合の抗弁も徹底的に論理武装していたし
教師陣を敵にまわしたかった。
だけど彼らは笑みを浮かべていた。誰も僕のことを叱らなかった。
「所詮は生徒のたわごと」という、オトナ目線で処理されたのだった。
僕は敵を定めていたのに敵は僕を認識していない。
とんだドンキホーテ、だ。

翌年も変わらず弁論大会は開催されたらしい。
僕は今でもあのときのオトナたちの歪んだ笑顔を忘れられないでいる。


2006年07月12日(水) 万感の一夜

夢の話です。
久々の大長編でした。

僕は友達の家に泊まりに行きました。
その家は「家主である父親に顔を見られた部外者は
残念ながら殺されなければならない」という
猟奇極まるルール(ルール)があり
僕はあっさり顔を見られて死ぬことになりました。
友達を含め家族たちは僕を助けようとしてくれて
どうにか逃がそうとしてくれました。
玄関間際で家主に鈍器で殴打され逃走計画はあえなく破綻します。
丁寧にベッドに寝かされて
ジェイソンのマスクを顔に装着させられました。
家主が部屋を出て行ったことを確認してから
僕はマスクをはずしました。容易に取れました。
再び脱走を試みようと部屋のドアを開け
リビングにたどりつくと家主が
「あれ? お前はさっきの奴か?」
と質問してきました。
「そうです」
「あぁそう。じゃ部屋に戻ってな」
発狂しかねない恐怖でした。

もう死ぬしかなかったところで
家主の携帯がなりました。
会社からだったようです。
「あとはよろしく」
と家族に一言残して、家を去っていきました。
僕はきっかり15分様子を伺ってから脱走しました。

家に帰って、事細かにその恐怖体験と
家主に向けた呪いの言葉をパソコンに向けました。

翌日
学校のHRで先生が
「おおおおおお前のな
お前のパソコンのデータが全部流出したぞ!!」
と激白してきました。
僕は絶叫しました。

咆哮しながら駆け出して
4Fの美術室に逃げ込み夜まで潜むことにしました。
いつのまにかクラスメイトが僕と一緒にいて
「事務員に見つかったら死ななきゃならないよ」
というルール(ルールだ)を突きつけてきて
慎重に計画的に学校を抜け出すことにしました。
すぐに事務員に見つかりました。僕は死ぬことになりました。


この後もまた何度か「死ななければならないルール」が
蔓延しくさってる世界のなか
おののきながら逃亡を続けていくのですがあまりよく覚えていません。
最終的に「死ななければならないルール(笑)」と
おかしくなってきて
自分の笑い声で目が覚めました。


2006年07月10日(月) 妄想内予想

「お前私のこと好きだろー」
↑こんなこと女の子に言われたらはげしくときめく。
「どうしたの私に惚れた? 惚れた?」とか。
自分でもどうかしてると思う。


れどれ |MAIL