<日刊 岡村>
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2007年03月10日(土) 小川市長辞任

相模原市の市長である小川氏が9日に辞任申し出となりました。前回の任期中より体調を崩し前回の市長選挙もかなり危ぶまれておりましたが何とか乗り切りはしましたが今回で3回目の入院と言うことで心中に期するところがあったのでしょう。
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/mayor/html/mayor_20070309.html
 政治家いや政治家に限らず企業のトップでも引退の決断を下すのは難しいものです。企業の創業者などでも素晴らしい経営手腕を見せた方でも引退の時期を巡って晩節を汚した例も数多くあります。

 せっかく頑張って手に入れた地位だし簡単に手放したくないと言う気持ちも分かります。しかしながら情勢変化が激しく問題が山積し次から次へと難題が降りかかる状況では一時も空白は許されません。

 ただこれが国会・県会・市議会議員であれば極論してしまえばその人が休もうが他の議員で議決を淡々とこなしていくので何ら差し支えません。実際この相模原市でも体調不良や心を患ったりして3人の市議の方が長期療養の末(期間も1年と長く奈良市の不正休暇取得の職員ではありませんがこれはこれで問題があるとは思いますが)に辞職されています。

 しかしながら首相や県知事、市町村長などは話が異なります。これらの人は最終決定権者なので議員で代わりは務まりません。それでこの決断になったと思いますが今日この日があることを想定して市長の座を目指す方々もその動きが活発化していましたが遂に本格化します。

 4月の統一地方選挙における県議会議員・市議会議員・神奈川県知事選挙に加えて相模原市長選挙が加わり市民の選挙に関する関心が高まり自らの将来の選択においてじっくりと考えてみようと言う機運が高まることを切に望みます。


2007年03月09日(金) 仲間がいると言うこと

 今日は相模大野駅で駅立ちを行う。良く考えてみれば相模大野駅で伊勢丹側で演説をやるのは今年では初めて(チラシの配布は行っておりますが演説は行っておらず)でした。競争率が激しいため例によって民主・共産党の候補予定者の方々と交代での駅立ちとなる。
 
 非常に気持ち良かったので交代の時間をオーバーしかけ他の方から注意を受ける。最後には公明党の候補予定者も来てそれこそ入り乱れてすごい状態になる。各党ののぼりがはためく中、のぼり旗のない我が陣営は埋没しがちで何か商店街のビラ配りの人達みたいだと一人苦笑。

 その後、相武台団地等の南部の巨大団地にに対してポスティング。これまで良く1人でやっていましたが多くのスタッフでやるとさすがに早いですしメンタルな点(自分1人だけではないと言う安心感)でも非常にやりやすく感じます。


2007年03月05日(月) 候補者説明会

 本日はJR橋本駅で駅立ち。実は前日の日曜日は先週よりわずらっていた風邪が極端に悪化。一日、寝ていたいところでしたがそうはさせてくれない事情もありもう起きているだけで辛いという状態になる。

 そのような中でで迎えた週の頭の駅立ちであり、声もあたかも選挙終盤戦のような感じであり今日一日やろうかやるまいか迷うに迷う。しかしながら先行して駅に行っていたスタッフから「ミウイ」の側に誰もいませんとの報告が入る。これまでの駅立ちでは常にミウイ側では誰かが先行してやっており、今回は駅立ち未実施であったので病気をおしてもやるべきと判断。通常よりの1時間遅れの7時より開始。
 
 天気予報では雨が降るとのことでしたので少し心配しておりましたが雨にもたたられることなく気分良く駅立ちができました。その代償として声は完全につぶれ頭痛・悪寒など風邪の諸症状が一層酷くなる。

 このまま安眠を一日取りたかったが本日はもう一つ大切な行事「候補者説明会」が午後2時よりあい出席。相模原選挙区では定数46(津久井選挙区定数6)のところ58陣営の候補者又はそのスタッフが参加。見知った顔も多く、近寄ってきて「お互い頑張りましょう」「今回も出るんだ・・・」などなど言葉を交わす。

 この後一旦病院にて病気の診察を受けたかったが都内にて会合があり寄れないままそちらに赴く。家に帰り着いたのは23時。お金のない候補は準備など誰にもお願い出来ず全部自分でやらなけれなりませんが病気などで気弱になっている現状はかなりこたえます。早く治して復旧せねば!


2007年03月03日(土) 小田急相模原駅にて

 本日は小田急相模原で駅頭の夕立ち。小田急相模原駅で駅頭挨拶をするのは実は4年ぶりで前回の市議選以来です。その時の立ち位置であるりそな銀行(現在は同行撤退後駐輪場となっている)前でスタッフ全員集合。

 しかし4年前と異なり「さうざんろーど・さがみだい」の通行人の数がめっきり少なくなったような気がする。駅前再開発により人の流れ・・・動線が変化したのか、商店街の買い物客の誘引力の低下なのか随分賑わいが減ったようだ。賑わいが減ったのに駅前の大々的な再開発での巨大建造物の工事風景は奇妙なコントラストに見える。

 まぁ、ともかく気を取り直して演説開始!今日は従来のスタッフに加えて4年前に一生懸命お手伝いしてくれた方と以前の職場の部下(あまり部下って感じではなくまぁ友達みたいな感覚でしょうか)も遠路はるばる駆けつけて来てくれてビラ配布を手伝って頂きました。本当にありがたいことです。

 しかも会社の部下に集合場所を「小田急相模原駅」と伝えた積もりが「JR相模原駅」と間違えわざわざ町田駅経由で駆けつけるというオチまで付きました(笑)

 同じ「相模原駅」なのにこんなに離れているのはおかしいとしきりにぼやいていましたが元々は小田急相模原駅の方が単純に「相模原駅」だったようです。しかし後に「国鉄相模原駅」が出来た時に「小田急相模原駅」になったようです。

 しかし今回の米軍再編による「相模原補給廠」の住宅及び野積場部分の一部返還により小田急多摩線が上溝まで延伸となれば途中「相模原駅」も停車するので「小田急相模原駅」が2つ存在することになるので厚木・本厚木駅のように「小田急本相模原」なんて改称するかも知れませんね。


2007年03月02日(金) 戦場音楽

 本日はJR古淵駅にて早朝の駅立ち。誰もいないと思って安心したのもつかの間、民主党の市議候補予定者と現職の県議(本人は来ずにスタッフのみ)も追っ付けで駆けつけあちこちに政党及び候補予定者の顔写真の付いた立て看板や政党ののぼりを設置。

 7時になると共産党のやはり市議立候補予定者と現職の県議もやって来てやはり政党ののぼりと立て看板を設置。

 当方は相変わらずのぼり(相模原市の選挙管理委員会に確認したところ名前が入ったのぼりは元よりスローガンののぼりもイカンとのこと、不思議なのはなぜのぼりは悪くて立て看板はOKかということ、そして未だにスローガンののぼりを立てて活動している候補予定者もいるが何ら注意を受けていないと言うことです)は立てないままですのでややもすると埋没してしまう。

 悲しいのが政党の旗が翻っているので私をその政党の所属だと勘違いしたその政党のシンパの方がビラを受け取った途端、無所属の3文字が目に入り「な〜んだ、違うのか」と言う顔をされます、ガックリ来る瞬間です。

 逆にうれしいのが他の政党の方のビラを受け取らず当方のビラのみを受け取って行かれた場合です。たまたまタイミングが合っただけかもしれませんがポジティブに考えるようにしています。

 それにしても意外なのが他陣営がいた方が私もスタッフもより活動が活性化されることです。戦場で兵士は炸裂する爆弾や砲弾の音「戦場音楽」で闘志がかき立てられるように他陣営のスタッフの声やマイク音が私達にとっての「戦場音楽」なんだなと実感。

関連記事
■神奈川新聞:のぼりへの氏名表示、告示前の禁止を厳格化
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiifeb522/


2007年03月01日(木) 大ピンチ

 本日は小田急相模大野駅にての駅立ち。しかしながらメインのステージは競争率が激しく先に他の候補者に先取される。そのため南口にてまずは「週刊岡村」の配布するも通行人の方が少なすぎスタッフの内の2人を連れて北口のエスカレーター上で別行動で「週刊岡村」の配布。

 前夜、「週刊岡村」を配布しようとして車で出かけたがあまりの疲労感からシートをリクライニングにして眠ったところ朝まで寝入ってしまった。朝起きて慌てて相模大野駅に駆けつけたものの、車中での1泊がよろしくなかったようで昼間は少し熱っぽい状態から夕方には寒気が止まらない。

 諸事情から早く寝る事も出来ず、このような調子で明日の駅立ちは無事乗り切れるのでしょうか、不安です。


岡村まさお