世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月04日(土) 「青春の終焉」と三島由紀夫

  
今日はワインの店で仕事だったのだが、いつもどおり掃除を終えて、新聞を広げてみて、びっくり。ノーベル財団が1963年のノーベル文学賞の最終選考リスト一歩手前の候補6人の中に三島由紀夫が入っていたことを公式に発表したという。なんというタイミングで、また…
動揺。抑えても抑えても、動揺。すっかり調子が狂ってしまった。


記事によると、63年の文学賞に推薦された候補は80名。この中には4人の日本人が含まれており、三島以外の三名は、川端康成、谷崎潤一郎、西脇順三郎であるらしい。


私が動揺したのは付記されていたドナルド・キーンの談話の内容で、三島は作家・評論家として超一流であり受賞の資格は十分あったが、三島が受賞しないように選考委員に働きかけた人間がいた(北欧で日本の専門家とされていた作家とのこと)と書かれていた。


キーン氏が作家本人からきいた横やりの理由は「三島は若く、若い人は左翼」という無茶なものだったそうだが、三島に「左翼だと思われたから受賞を逃した」と冗談として伝えたところ、三島は笑わなかったそうだ。


意図的に横槍を入れた人間がいたことよりも、キーン氏の冗談に三島が笑わなかったということが堪えた。しかしよりによって「左翼」とは…(絶句)


最後にキーン氏は、1968年に川端康成が受賞したことで次に日本人が受賞できるのは早くても二十年後になり、三島は待ちたくなくて華々しい死を選んだのではと、個人的な推測と断ったうえで語っている。これはキーン氏の持論で本にも書いていたと思うけれど…、死の理由がそれだけであるとは、やはり思えない。


川端康成のアカデミーへの推薦状を、本人から頼まれて英語で書いたのは三島由紀夫である。そして、絶筆となった「豊饒の海」四部作の英文翻訳をキーン氏に頼みこんでから自害している。海外でもこの小説が出版されてほしい、そうすればどこからかきっと自分という人間を理解してくれる人間が現れるだろう、と言ったとも伝えられる。


その「豊饒の海」四部作をこの年末に読み始めたばかりなのだが…
三島のあのような死に方は「死なないため」だったのではないかと、いやきっとそうに違いないと、今日、唐突に気が付いてしまった。


三島は忘却という名の死(それは生きた人間の存在すら消し去ってしまう)を避けるために、あのような激烈な死と謎をセットにして遺していったのではないだろうか。「青春」も「文学」も、いまや死に体となり果てた。ずいぶん前から、中学高校で森鴎外の名前を教えなくなったと聞くが、こうなることを三島はあるていど予見していたのではないだろうか。


先日保留にした、三浦雅士の「青春の終焉」という本にも三島由紀夫は出てくる。でも「青春」をキーワードに、青春の作家として三島を扱おうとすれば本丸ごと一冊でも足りない、のみならず、かなりやっかいな問題を扱うことにもなる。だからだと思うけれど、三島はほんの少ししか出てこないし、その扱いもあっさりしたもの。それが、もの足りない。


「青春の終焉」が刊行されたのは2001年だが、書いた当の三浦雅士も現在のように、ここまで「青春」が死に絶えるとは思っていなかったのではないだろうか。
そして三浦雅士曰く「すでに終わってしまっている(予め失われた)青春の作家」村上春樹の少し後方に、なし崩しの終焉から意図的に脱出を図った三島由紀夫という作家がいたことが書かれていないのが、仕方ないとわかっていながら私には気に入らないのだ。(しかも奴、まだ生きているんだぜ)


「三島の貰わなかったノーベル文学賞をどうして村上春樹が貰えるわけがあるんだよ」という私の苛立ちは、川端康成、大江健三郎が受賞したという事実がある以上、当然だと思う。ドナルド・キーンの言葉を待つまでもなく、作品を読めばわかることだ。だから、なぜ最終候補にすら残ったことがなかったのか、不思議でたまらなかったのだ。今日、バイト先のワイン店で私がどんなに興奮し動揺したか。おわかりいただけるだろうか?








付)amazonで検索をかけていたら「村上春樹の隣にはいつも三島由紀夫がいる。」(PHP新書)という本が出ていることを知りました。すごいタイトル(笑)。どうもこの本は、日本の小説はほとんど読んでいないと語っていた村上春樹が、実はとても綿密に日本の作家のもの(三島を含む)を読みこんでいた…という内容であるらしい。
さもありなんて感じだけれど、今は集中して「豊饒の海」を読むのが先。他者のものの見方に影響されちゃうと面倒くさいことになるから、暫くは読まない。












2014年01月03日(金) 読んだ本(2)

 
 
昨年9月以降に読んだ本の続き。
占星関係の本を読むようになって以前のような読書から遠ざかっていたのが、9月ごろからまた復活。しばらく離れていた分、読みたい(買いたい)気持ちははやって、10月に入るとamazonのユーズドで購入した本がドカドカ届きだした。

ユーズド利用を理由に天使の制止を振り切ったわけだが、たかだか6、7冊の本が送られてきただけで「ドカドカ」なんて表現を使うこと自体が、この買い物が生活に及ぼす影響におののいている証拠。ま、いいんじゃないか。読んでなんぼの人生よ。



「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」三浦雅士(新書館)

あこがれの三浦雅士の著作をやっと手に取ったわけだけれど、これはいささか若年層向け?、にしても、ちょっとあざといと思うのはダイレクトに購買意欲をそそる村上・柴田両名の氏名を織り込んだタイトルと、両名のファンに過剰に配慮した内容だ。

とにかく、春樹と元幸の共通点、いかにこの二人の感性が似通っているかについて書いてある。そして、春樹とサリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの共通点についても書いてある。でもでもやっぱり、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とブローティガン「ソンブレロ落下す」の相似性については触れていない。おかしいだろう、そこ書かないのは。
この踏み絵をきちんと踏んだ上で語る人の言葉しか、あたしは信じたくないんだな。

唯一(!)面白かったのは柴田元幸へのインタビューで、青年時代の柴田氏が英米をバックパック旅行した話にドキドキワクワク。野宿なんてへいちゃらだったそうですよ、柴田さんは。その風貌に似ずタフで行動力があるという事実に、爽快な驚きを覚えた。

「サリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンの三人が、村上春樹、高橋源一郎、池澤夏樹を生んだ」というのは、そうなのかもしれない。
その環境から「柴田元幸の感性が生まれ、その感性がオースター、ミルハウザー、ダイベックに結びついた」のも、きっとそうなのだろうと思う。
「この間におこった変化はとてつもなく大きなもので、たぶん小説というものの性格が変わってしまった」、うん、きっとそうなのだろうね。…だからさ、三行で済む話じゃないか。

この三行の意味するところを掘り下げたければ、実際にそれぞれの作品を読んでみるしかないと思う。そうして、特にお気に入りの作家がみつかって批評も批判も、作品の占める位相も忘れて読みふける。そのずーっと先に、個人の中で評論的な言説が生じたとしたら、それは自然で貴重なものだと思うのです。



「オリーブ・キタリッジの生活」エリザベス・ストラウト(ハヤカワepi文庫)

北米の海に面した架空の町に暮らす、オリーブ・キタリッジという傍若無人、でも自分に正直なおばさんの話です。こういうおばさんは、親しくはなりにくいかもしれませんが、確かに必要な人なのです。

息子-母親問題、避けがたい「老い」という問題等々、普遍的な生活と自然を描いて、読み応えがありました。女性作家ということで、アリス・マンローにも共通する女の皮膚感覚が文章にふんだんに盛り込まれていて面白かった。特に、私自身がもう若くはない、老いを身近に意識しだしたというタイミングで読んでいるので、それが格別の味わいにつながったとも思う。

訳者は小川高義さんですが、たくさんの素晴らしい仕事をされている翻訳者さんで、私はとてもお世話になっています。昨日書いたナム・リーの「エリーゼに会う」も、ジュンパ・ラヒリの著作もこの人の訳で読みました。春樹と元幸だけが優れた翻訳者であるわけでは、全然ないですよね(と、一応書いておく)。

…それにしても、オリーブ・キタリッジほどの女性でも悩みに悩む、息子-母親問題の苦しさよ。母親であるということは、それだけで純文学を生きるということなのかもしれません。




「千年の祈り」イーユン・リー(新潮クレスト・ブックス)

息子-母親問題も苦しいけれど、娘-父親問題も、そうとう苦しい。そこに中国という社会主義国家の過去の歴史が一枚噛んでいるとなれば、否が応でもその陰影は濃さを増す。ゆえに、読む楽しさよりも重苦しさが印象に残ってしまった。

そして、個人が抑圧されざるを得ない社会に生まれ育ったことを客体化しようと思ったら、逆の位相(アメリカ)に身を置くというのは定石のひとつなのかな、とも思った。

同じ北京出身で「上海キャンディ」を書いた棉棉(ミェンミェン)は徹底的に中国内を這いまわりながら自分を変容させようとしたけれど…、棉棉は異端すぎて(私は愛してますが)、他の作家との比較は無理な人なのかもしれない。




「青春の終焉」三浦雅士(講談社学術文庫)

いつも小説(物語)ばかり読んでいるので、こういう内容の分厚い本は読み通すのに体力が要りました。体力を使った理由のひとつはその文体にあり、おおよそしかめつらしくて、美しさに欠ける。
…ということで、この本はちょいと手強かったのです。うまくまとめられないので、いったん保留。日を改めて別だてで書きます。


※(3)に続きます。







2014年01月02日(木) 読んだ本(1)

 
昨年9月以降に読んだ本。



「月とメロン」丸谷才一(文春文庫)

買ったきり、二年近く放ってあった本。読み終わったあとで、丸谷氏が2012年に亡くなっていたことを知った。
知識人であり、名手といわれた書き手だったけれど、個人的には「ど真ん中」ではないんだなぁというもどかしさがぬぐえない。
ただ、評論や随筆だけではなくて小説を読んでみなくてはわからないな、とは思う。うん、今年は何か読んでみよう。

このあと三浦雅士の本を読んでいたら、丸谷才一の名前がたびたび出てきて、??と思って調べたら共著があることがわかった。
あと、丸谷・三浦両氏とも、吉田健一の仕事に言及していて、丸谷氏は英文学者だったから(ジョイスの訳が有名)それでかなと思ったけれど、いったん英文学者ということに注目してみると、文章の調子や何かについて納得のいく部分は多いのだった。



「トゥルー・ストーリーズ」P・オースター(新潮文庫)

柴田元幸訳による日本独自編集によるオースター本です。
「その日暮らし」という、作家として芽が出るまでの貧乏暮らしを綴ったエッセイが納められていて非常に身につまされました。中にはオースターが生活のためにカードゲーム(野球のゲーム)を考案して、自分で試作品を作って売り込みに行くという、信じられないような話もあって、面白かった。
ちなみに「その日暮らし」の英語による原題は "Hand to Mouth"だそうです。ほんっとうに、身につまされるなぁ…



MONKEY vol.1(スイッチ・パブリッシング)

これは新創刊された柴田元幸責任編集による雑誌です。特集は「青春のポール・オースター」。
こういう雑誌が出たということは、バイト先でとっている新聞を読んで知った。「トゥルー・ストーリーズ」を読んでいるときは、こういうものが準備中であるとはまったく知らなかった。そういえば丸谷才一が故人となっていたことも新聞の文化欄で知ったわけで、新聞からもたらされる情報はけっこう多かった。

ただ、個人的に面白かったのは、オースターへのインタヴューと、「トゥルー・ストーリーズ」に出てきたカード式野球ゲームの写真が載っていたことくらいだったけれども。
いろいろなものが少しずつ載っている雑誌より、濃い目の一作を読む方がいい。こういうとき、年取ったのかなとも思う。



「幻影の書」P・オースター(新潮文庫)

訳者の柴田元幸をはじめ、多くの人がオースターの「大傑作」だというので期待して読んだのだけれどダメでした。

私はオースターに関していうと、好きなタイプの作品とダメなタイプの作品がはっきり分かれていて、好きなのは「孤独の発明」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」「鍵のかかる部屋」「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」あたり。
ダメだったのは「偶然の音楽」「ミスター・ヴァーティゴ」。特に印象的だったのは「偶然の音楽」の序盤の文章の息詰まるまでの素晴らしさと、その後の物語の展開とそれにともなう文章の調子の変化。そこにある不整合感。この、途中から何かが違ってしまう感じが「幻影の書」にもあって、ああ、またこれか、と思わざるを得なかった。

とにかくオースターは、柴田訳への信頼感もあわせて評価が高くて、こういうことを書くのはなかなか勇気がいるのだけれど、ストーリーテリングの妙ということでいえば、とてもアーヴィングにはかなわない。長さと大きさ、うねり、そのどれをとってもかなわないと思う。
その代わり「孤独の発明」みたいな世界、狭くて深い穴を真面目に(ケレンは要らない)掘れば、それだけでアーヴィングには書けない世界を出現させられるのに、と思うのだ。

この「幻影の書」を読みながら、私は頭の中で凄く大胆に作品を編集していて、そうしなければ気持ちが悪くて読めないのだった。
たとえば、前半のへクター・マンが出演した無声映画の説明は大胆に刈り込み、後半のへクター・マンの妻との対面シーン(というよりも対決シーン)とその背後にある心理は徹底的に書き込んでほしい!といった調子。へクターの遍歴時代にしても、スポーツ用品店の部分なんてもっと削ってもいいんじゃないか、と。

要するに、作品のパートごとの内容とそれに費やされた言葉のボリュームがアンバランスなんじゃないか?!と思うのですよ。こういうこと思うのは私だけなのだろうか…



「美しい子ども」松家仁之 編(新潮クレスト・ブックス)

とても美しい装丁とお高めの価格で知られるクレストブックスの創刊15周年企画で編まれたアンソロジー。
横浜みなとみらいの仕事場のそばの書店でみつけて立ち読みしようとしたらノーベル文学賞を受けたばかりのアリス・マンローの作品が納められていることがわかり、それ以外にも面白そうな短編が目白押しで、悪魔は「買うしかないよ!」と囁き、天使は「早まらないで。簡単にお金使っちゃだめよ!」と必死に止めた。で、天使が負けたのですね。
でも、買って正解でした。どれも読みごたえのある作品ばかりで、とても楽しめたから。

全12編のうち、特に好きだったのはナム・リー「エリーゼに会う」。読んでいるあいだじゅう、ブコウスキーのことを思い出していた。ブコウスキーの描いた世界のことではなく、ドキュメンタリー映画でみたブコウスキーその人のことを。映画ならばともかく、文章でこういう世界を描くと言うのはあまりないのではないでしょうか。とにかく、私はとてもとても好きでした。

あとは、アリス・マンロー。圧巻でした。静かな生活感のなかに、恐ろしいくらい「人間」が描かれている。
アリス・マンローは短編の名手として知られた作家だそうだけれど、短編作家がノーベル賞を受けるのは例外中の例外だそうだ。欧米では短編小説は習作扱いで作家は長編を書いてこそ作家という扱いであるらしい。
なるほど、例外的に称えられるだけのことはある。うーーーん、と唸らされました。

アリス・マンロー、もっと読みたいけれど、クレストブックスはとても美しい装丁と、少しお高いことで有名。するとまた、悪魔と天使が出てきて…。ああ"Hand to Mouth"は、つらいなぁ…



※(2)に続きます。






2014年01月01日(水) あっという間にお正月

 
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


いやー、ひっさびさに日記更新したら、なだれをうったように、ドドドーと新しい年がやってまいりました(笑)
東京は快晴の元旦となりました。






「さくら」という名の、ピンク色のパンジー。ほかに「ももこ」という名のもう少し薄いピンクのパンジーもあります。
11月(勤労感謝の日)に植えた花たちです。






花期が終わってからただの多肉植物と化していた八重咲きカランコエ。そのうえアブラムシが付いて潰すのに苦労していたのですが、10月頃、ふと見ると小さな蕾が。花が咲くのはまだ少し先になりそうですが。






今年はお節、なーんにも作ってません。ぜーんぶ買ってきたものばかり。しかしこの古臭い味が年々歳々好きになってきているという事実!


お屠蘇のあとはイタリアワインで、TVみながら一日中お節、です。
サッカー天皇杯はマリノスが優勝しましたが、現役で走り回る中村俊輔と中澤佑二をみていると、今はいつなんだろう?という、少しばかり不思議な気持ちになりました。










2013年12月31日(火) 大晦日

 
さっき、書きかけのままになっていたテキストをアップしました。
実に9月末日のやつだった。いやはや。


今日は仕事納めで(って、大晦日ですが;)7時半ごろ帰宅して蕎麦を作って食べました。
元旦と二日は休みなので、9月以降読んだ本のことをアップしようと思います。秋以降はけっこう続けて読みましたよ。15冊くらい?


先週、辻邦生「安土往還記」を読み終えて、近所の古本屋で三島由紀夫の豊穣の海四部作、文庫本で四冊ひもでくくって1050円だったのを買ってきて読み始めたところ。
そういえば、三島由紀夫って出生時刻がはっきりわかっているのですね。ネットで調べたら出てきた。しかも太陽星座、山羊座だった。意外(盲点でした)。
ホロスコープ作って読んでいたら、ドキドキするやらせつないやらで、長時間続けて読むのは無理でした。


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今年は、本当の意味でターニングポイントになった年。来年は勝負の年になると思うけれど、大切なのは、生きていて楽しいかどうかだと思った。
勝負なんていっても、生きていくために避けられない勝負のときもある、という意味の勝負でありまして。


欲望には忠実に。出来る限り嫌いなことはせずにすむよう、やっと正しく自分本位に生き始めた年でした、今年は。
それでは、みなさん良いお年をお迎えください。
新しい年も、よろしくお願いいたします。








2013年09月30日(月) 下駄をあずける話

 

いつまでも暑くて、やたら台風がきたこの9月。
15、16、17日の三日間、アメリカ人の心理占星術の先生の来日セミナーを受講した。

二日目、三日目とも朝、ものすごい雨と風。傘なんか全然役に立たない。
駅まで行くのも一苦労だけど、電車が動いているのか遅れはどうなのかなどなど受講以前から大変なことだった。


ところで、私はこのセミナーを一年以上前から楽しみにしていたのだけれど、それと同時にかすかな不安も感じていた。
それは、先生との相性。私はひとの好き嫌いが激しくて、特に先生(絶対的な存在)には小うるさく人格を求めるようなところがあるのだ。
自分で書いていても嫌な奴、そして、なんて子どもなんだ、と思う。


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占星術では修行や弟子入りは8ハウス案件といわれていて、この8ハウスというのは、一般的に「変容」や「死と再生」に関係するなどともいわれ、理解するのが難しい。

要するに、いちげんさんお断りで誰でも簡単に出入りできるわけではなく、さらに自分一人の思い通りにならない場所、自分ではなく他人のもの、ヒエラルキー(地位の高低をあらわす階層構造)等々はみーんな8ハウス。「下駄をあずける」という日本語があるけれども、いったんは自分を捨ててそこの掟に従う、そうすることで何かを得る場所が8ハウス。

だから、大企業も裁判も結婚/離婚問題も、さらにはセックスも(!)、全部8ハウス案件なのですよ。

そして。私は8ハウス問題を抱えている(8ハウスべた)という自覚が、少しまえからあった。なにしろ「下駄をあずける」のが下手。なので大きなものと衝突することになる。だってそこは元々私の場所(もの)じゃないんだから、戦っても、そして仮に勝てたとしても、結局あちこちに痛みが残るのはこちらなのにね。


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そういう8ベタ(←略した!)としては、直感的に不安を感じないこともない来日セミナーだったのだけど、その私の背中を、それならなおのこと、ぜーったいに行くべし!と押してくれたのが内田樹「死者と他者 ラカンによるレヴィナス」に出てくる、レヴィナスと彼のユダヤ教の師匠シュシャーニ師をめぐるエピソード。


ユダヤ教では、師を持たない独学者にはタルムード(教典)の解釈が許されていないそうで、「死者と他者」にはその理由について、次のように書かれている。


“独学者は己の声ひとつしか知らない。声と声が輻輳するときに初めて欲望が生成することを知らない。だから独学者はすべてを既知に還元し、テクストの意味を残りくまなく明らかにし、聖句に「正解」をあてがい、解釈の運動を停止させ、タルムードに「最終的解決」をもたらすことになる。独学者は呪われなければならない”


…だから、学ぶものは師を選び、下駄をあずけ倒す。レヴィナスは自分の師であったシュシャーニ師を回想して「ごく普通の人間たちの基準からすると、浮浪者に似ていなくもありませんでした」と語ったそうだが、その老人を恐るべき知者とみなすものにとって老人は恐るべき知者であり、浮浪者とみなすものにとっては浮浪者にすぎない、と、内田樹は言うのだ。


読んだ当初、痛いところを突かれたという気持ちはあった。そしてその痛い記憶がよみがえってきて、再読再思。結果、黙ってゲタ預ければいいじゃん!だって、たったの三日間でしょ!!ということになったのだった。



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優秀な通訳さん付きのセミナー第一日目を終えた夜は、脳みそパンパンで、疲れているのに寝付けないという状態に。
また予想通り、私の中の反抗心も、抑えても抑えても頭をもたげてきて、むーん、やっぱり!だったのだが、こうこなくちゃ勉強にならないし、成長もないですもんね。


そんなこんなで、結果的にはすごく良い経験ができた。占星術のことはもちろん、下駄の預け方や、自意識の持ち方やなにかについて。お高いセミナーで金銭的には目から脂汗がでたけど、行って正解だった。


しかしさ、独学者は呪われなければならない、て。
このメッセージの捨て身さ加減ときたらちょいと凄いじゃありませんか。
この捨て身に救われたんだな。内田さん、さんきゅー!!

















2013年09月23日(月) ひとはそれを「政治」と呼ぶ

 

矢作俊彦の「ロンググッドバイ」ですっかりいい気分になって、同じ作家の「悲劇週間」と「ららら、科学の子」を買ってあったのだった。続けて「悲劇週間」を読みかけたのだけれど、いつもの矢作作品とは調子も雰囲気も違っていたので、いったん後まわしにして「ららら、科学の子」を手に取った。


これは七十年代、学生運動の季節に、少しばかり考えが足りなかったがために警官を殺しそうになって、文化大革命下の中国へ逃げた(密出国した)男が、三十年の時を経て密入国の形で帰ってくるという話。
この主人公は長年、骨身に沁みこむような辛苦の日々を国外で暮しながら、パスポートもなければ飛行機に乗ったこともなく(!)、生まれた国へ帰っても長年の行方不明という理由から戸籍抹消されている。
携帯電話が鳴っても、それが何なのか、どういうことなのか、わからない。
リアル浦島太郎なのである。


いまや中年となり果てたこの男は、あのとき、あまりにも不注意だったのだ。この世の中に、目には見えないけれども厳然と存在する力学を甘くみてしまった。ひとはこの力学のことを「政治」と呼ぶのだろう。
広義の政治は、永田町や政治家とその周辺にある力学だけを指すのではない。職場や身近な人間関係の中、いわゆる「世間」のなかに不可侵の力学として「政治」の網は張り巡らされている。賢い人間というものは、意識的であれ無意識であれ、普通、その力学とは戦わない。正面から対決するのではなく、力の流れ方をみて「対処」するのである。


読みながらずっと、主人公の不注意、愚かさ、かなしさを、我がこととして感じずにはいられなかった。私が甘くみたものの正体を、この小説を通してはっきりと知ったと言っていい。これまで何度も読後感として「ビタースイート」という言葉をつかってきたけれど、これはそんなこじゃれた言葉では間に合わない。これほど舌に苦い読書があったとは。普通に本を読んで得られる経験を超えているよ…

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ところで、このまえ、矢作俊彦の「ロンググッドバイ」を読み終えるやいなや、その舞台である横浜と数十年ぶりに縁ができたと書いた。一度、横浜へ出かけたいと思っていたら横浜の方(横浜でお店を経営している女性)からお声がかかったのだ。


それだけでもびっくりなのに、この「ららら、科学の子」の主人公が密入国で三十年ぶりに帰ってくるのが、世田谷! 私は去年の春、長い間の念願かなって生まれてから五歳までを過ごした世田谷区へほぼ半世紀ぶりに転居して戻ったばかりなのだ。


「ららら、科学の子」の主人公は、みつからないように注意しながら実家がいまどうなっているのかを確かめに行く。小説の主人公が、実際に私が住んでいる場所の「近所を歩いている」という感覚。
さらに主人公が松陰神社のそばの世田谷区役所へ自分の戸籍がどうなっているのか調べにいくくだりを読むにいたって、なんだかクラクラしてしまった。去年、転居時に転入届と戸籍の移動のために、自分も同じ場所へ行ったときのことを思い出したのだ。


救いがあるのかないのか良くわからない小説だけれど、書かれてから十年後のいま読むからこそ、単純なハッピーエンドなんかあるわけないし、ひとからどう見られようと自分の人生の主人公である自分だけに、人生の分岐点における決定権があるのだということがよくわかる。


刊行時点でかなり評価の高かった小説と記憶しているけれど、当時の自分にはいまのような理解はできなかったと思う。あらゆる意味で、奇跡的に、ベストのタイミングで読むことのできた矢作作品。








2013年09月18日(水) 横浜事変

 
矢作俊彦「ロンググッドバイ」という小説のことと、読後に起きたことについて書いておきます。

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昔は好きだったり、素晴らしいと思っていたものが、時を経て姿を変えたときに、それでもまだ変わらず好きだ、素晴らしいと思えることはまれだ。このごろとみに「悪く言う気にはなれない」から静かに目を伏せ、口をつぐむことが多くなった。


にもかかわらず、矢作俊彦の描く横浜はなぜ今も、特別な魅力を放ち続けているのだろうか。横浜のみならず、往事の活気を失った横須賀ドブ板通りでさえも、彼の物語の中では特別な空気、それでもここでは余所では起こらないことが起こる場所なのだと思わせる特別な空気に包まれている。


これはおそらく作家の脳の仕組みにかかわる話なのだろう。世の中をどのように認識するかということに関しては、人間は持ってうまれた自分の脳みそのパターンの奴隷なのではないかと、私はそう思っている。つまり、矢作俊彦にとって世界(横浜、横須賀)はこのようにしか見えないのだろうな、と。トシちゃんのロマンチック脳炸裂。


ところが、困ったことに(幸いにして?)私も負けず劣らずのロマンチック脳ホルダーでございましてね。すっかりワクワク、物語を楽しみ尽くしたあとで、これは一度ヨコハマへ行かねばでしょう!という気持ちになってしまった。横浜は長く住んだり勤めたりした場所だけれど、みなとみらい地区が出来上がりかけたころから疎遠になって、今のヨコハマのことはほとんど知らない。


それで、物語のラストシーン近く、母親の捜索を依頼した海鈴(若くて美しいバイオリニスト)が野外コンサートをするランドマークタワー脇のドックヤードガーデンあたりを一日散歩しに行ってみるか、と思っていた折も折、某所から仕事の依頼メール。そのメールには「×××プラザ×階のお店に出ていただけませんか。いえ、ぜひいらしていただきたいのです」と書いてあった。


…ちょっと待て、その×××プラザって、ドックヤードガーデンに隣接して建っている商業ビルとちがいますか。おい、おい、なんだこれ、おい!!


というわけで、いまでは月に6日ばかり湘南新宿ライン(こんな便利な電車むかしはなかったな)に乗って桜木町まで通っている。
海をバックにたつ大きな観覧車と、日本丸の帆柱を動く歩道の上から眺めながら、晴れでも雨でも、朝でも夜でも、絵になる眺めだなあと感心してしまう。


これで仕事がうまくお金に結び付くともっといいんだけど…、それは矢作俊彦「ロンググッドバイ」とは関係のないことでございましたね。








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