世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年03月07日(金) 速度に追いつけない

 
このまえ更新してからもう一ヶ月たったなんて信じられない。
この一ヶ月間というと…

・その後、もう一回雪が降った。
・ソチの冬季五輪が始まって、終わった。
・気分的にあまりぱっとしなかった、腰痛出たし。

おおむね、こんな感じだっただろうか。


ソチ五輪は、観ないはずのフィギュアスケートを結局観てしまった。
男子フリー、羽生弓弦が最初の四回転を失敗したときはイスから飛び上がってしまい、その後は心配で正視できず。
金メダル確定後、録画をゆっくりみました(なんや録画しとったんかい)。


浅田真央のフリーは、もう転ぼうが何しようが見届ける覚悟でいたから、必要以上にドーンと構えていたけど(これは高橋大輔のときも同じ)、なぜか失敗する気がしなかったな。後日ともだちと話したら、やっぱり同じことを言ってた。



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この間に読んだ本。


「美しい星」三島由紀夫 (新潮文庫)

「岬にての物語」三島由紀夫 (新潮文庫)

「女神」三島由紀夫 (新潮文庫)

「作家の猫」 (平凡社コロナブックス)



何をムキになっているのだ!と自分に突っ込みたくなるような三島馬鹿っぷりですが。


「岬にての物語」は短編集だけれど、読んだことあるような気のする作品がちらほら。実際大昔に読んだことがあったのかもしれない…
「女神」も短編集だけれど、この二冊のなかにはのちに「豊饒の海」四部作のなかに再生されるモチーフがたくさん出てくる。


だからというわけではないのだけれど、この前四部作について「エンターテインメントとしてとても上等の小説」と書いた言葉を自分で疑うような気持にもなった。あれは、エンターテインメントと言いきれるようなものだったろうか…?

つまり、四部作を読んだあとでその前に書かれた短編を読むと(いくつかの例外を除いて)、どうしても物足りなさがつのってくるのだ。
そうやって、ひとりで三島作品との距離を訂正し続けながら確定できずにいた二月。


例外的にこれは!と感じた短編のひとつに「雛の家」(「女神」所収)があって、これは怖かった。でも…この小説にも既読感があるんだなぁ。アンソロジーか何かで読んだのだろうか。

この忘れっぽさ、どっちつかずの記憶を気にしていたら、もう一日も暮らせません。









2014年02月08日(土) 降りも降ったり

 
確かに予報の時点で、雪雪雪…とは聞かされてましたけど。







ゆうべ、夜中の二時過ぎにはすでに粉雪らしきものが舞っていた。
今朝、起きてみたら、この通り。ソチより降雪量の多い世田谷区ってどうなの。
この粉雪を、冬季五輪開催の地にこそ…!









ベランダの植物のためにタープ状に雪除けを張ったけれど、効果なし。
スキー場みたいな細かい吹雪で、このあとベランダ真っ白に。
鉢は玄関へ避難させました。







(あああ、明朝は雪掻き。で、腰痛。雪降ったときのお約束)









2014年02月07日(金) 「豊饒の海」四部作

 
三島由紀夫、「豊饒の海」四部作を一月下旬に読み終えたことは以前書いたとおり。感想のようなものを、まとめておく。


「春の海」「奔馬」「暁の寺」は同じ新潮文庫でも改版後のもので、(恐らく)文字遣いを若干改め、字も大きくなっている。
「天人五衰」だけは旧版で、昭和五十六年に出た第六刷。こちらは字は小さいけれど、書体(明朝?)も美しく頁全体が締まって見える。


最初の三冊を読んでいるときは気が付かなかったけれど、たとえば「春の海」の松枝清顕がちょっと馬鹿みたい(実際にそういう若気の至りキャラが清顕の持ち味でもあるのだが)に感じるのは、この新版の頁から受ける印象と関係があるのではないかと思った。


そもそも「春の雪」は、好き嫌いの分かれる小説だとは思う。あんな金持ちのぼんぼんの我儘し放題の話を、絢爛豪華に語って聞かされてもなぁという人(特に男性)は多いと思うのだ。それを格調高めに成立させようとしたら、刊行当時と同じ文字遣いできめないと…、平成の世の中のスタンダードに従わせようとしてもなぁ…、と微妙な違和感を持った。


微妙と書いたけれど、四部作のあとに新版の文庫で読んだ三島の「美しい星」、読んでいる間じゅう、読んでいる自分が馬鹿みたいだった。一度旧版との比較が頭のなかにできてしまうと、新版の頁面て、ほんとに馬鹿っぽくて嫌だ。老眼が進んできている私の眼でも旧版、十分に対応可能であることがわかったし、むしろその方が充実感がある(馬鹿っぽくない)ので、これからも出来る限り旧版で読みたいと思っている。


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「奔馬」は、主人公の飯沼勲という国粋主義者の青年が、腐った資本家に天誅をくだして切腹して死にたがっているという話。この主人公は、とにかく早く腹を切って死にたい、もう切腹するのが人生の望みのすべてで、死にたくて死にたくてたまらないのである。もちろん犬死ではなく、志に死ぬことが重要なのだが。


この飯沼青年の心に寄り添いながら、なんとか早まった考えを改めさせようとするのが判事である本多(四部作を通しての語り手であり三作目以降の主人公)なのだが、三島由紀夫はこの一作の中で、飯沼と本多というふたりの人間のオピニオンを鋭利に書き分けている。小説家なのだから180度意見の違う人間を書き分けられるのは当たり前だと思うかもしれない。


だが、その後三島がどんな最期を遂げたのかを知って読むと、なかば狂信的に腹を切りたがる青年を描き、かつ、その青年を愛情を持って諌める知的な大人の言説をきっちり書ききるというのは…。
そんなこと(世を憂えて腹を切るなんてこと)が理解されないのは百も承知、でもって考えられる最良の助言はこうだよね、という声なき声が聞こえてくるようで読み手としては複雑である。
(これを書いた時点で、三島はまだ自決する意志を固めていなかったのではないかな)


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「暁の寺」から、二作目まで狂言回しだと思われていた本多繁邦が主人公になる。この四部作自体が輪廻転生をモチーフにした小説ではあるけれど、この巻はとくに大乗仏教等についての説明が多くて大変(笑)だった。だって、急にそんな難しい話されても、にわかにはわかりかねますって。


この巻では「奔馬」で死んだ飯沼勲の生まれ変わりと思われる人物としてタイのお姫様(月光姫=ジンジャン)という女の子が出てくる。
ジンジャンがまだ小さな子供だった頃、タイの離宮で遊ぶ彼女が本多から献上された指環の真珠を舐めるシーンが描かれているのだが、一読、これは森茉莉だなと思った。


この場面のジンジャンはまさに「甘い蜜の部屋」のモイラそのものだ。
三島由紀夫は森茉莉の文才に惚れ込んで、彼女を、それこそお姫様のように扱った。森茉莉は「甘い蜜の部屋」のあとがきに、執筆にかかった十年間という苦しい日々を支えたのは三島由紀夫と室生犀星の二つの霊であると書いている。


「甘い蜜の部屋」が完成した時点で三島の没後五年がたっていたが、三部に分かれて発表された小説の、少なくとも第一部を三島は読んでいた。そのとき彼から寄せられた絶賛が、森茉莉を支えていたというのはよく知られた事実なのだ。個人的には、ジンジャンの真珠のくだりは森茉莉へのメッセージ(挨拶)のようなことではなかったかと思っている。


それにしてもこの四部作、エンターテインメントとしての読み応えがすごい。とくに後半の後半くらいからの畳みかけ、物語を完結させる力が尋常ではない。途中いろいろ思うことがあっても、このクロージングにやられてしまう。巻き込まれる。
この「暁の寺」のどんでん返しもとても面白かった。はー、そうだったのかー!って。さすが稀代の流行作家。


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本来、五部作になるはずだった「豊饒の海」シリーズが四部作で終わってしまったのはなぜなのか。三島由紀夫は三作目の「暁の寺」を書き終えたあと「実に実に実に不快」になったとエッセーに書きのこしているそうだ。作品世界が完結して閉じられるとともに「作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になったのである。」…だそうだ。
なにがあったかはわからないけれど、確かに、ここで何かがあったのだ。


三島の最後の小説となった「天人五衰」のなかで、なんてことを書くのだ、それも四十年以上もまえに!とショックを受けた部分がある。本多が養子に迎えた透という青年に食事のマナーを教えながら話す言葉。



「きちんとした作法で自然にのびのびと洋食を喰べれば、それを見ただけで人は安心するのだ。一寸ばかり育ちがいいという印象を与えるだけで、社会的信用は格段に増すし、日本で『育ちがいい』ということは、つまり西洋風な生活を体で知っているというだけのことなんだからね。純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ。」



…驚くというか、呆れるというか。1970年の時点でこういう認識だったのだ。もしあのときに死ななかったとしても、バブル、携帯電話、ネット社会、草食男子etc、とても堪えられなかったのではないだろうか。仮に生き続けられたとしたら、間違いなく、先の科白を吐いた本多繁邦そのひととなっていただろう。


四部作の幕をひく「天人五衰」の最後について、すべては水泡に帰したかのような解説もあるけれど、私は門跡(聡子)は、尼僧になった時点でそのように思う(そのような現実を生きる)ことに決めていた、だからそれに従って話しただけだと思う。
ただし、四部作刊行当時にリアルタイムで読んでいた読者のすべてが、そのように割り切れたかというと、そうではなかったのだろうなとも思う。


五部作で書かれるはずだったものが、ある時(「暁の寺」完成時?)四部作になった。そのとき同時に「天人五衰」の幕切れも、三島の心境を反映したものに書き替えられたのではないだろうか。


いずれにしてもこの四部作はエンターテインメントとして、とても上等の小説だった。あのような最期を遂げた作家の絶筆として「天人五衰」はあまりにも確固としたクオリティを保っていると思う。
ただ、三島の初期の短編などのくさいくらいの文学性がなつかしくなったことも事実。なので、このあとは長編ではなく短編を読んでみようかと思っている。









この帯。ミシマはこういうのが嫌だったんじゃないの。












2014年02月03日(月) 生ロビンソン

 
妹と二人でスピッツのライヴへ。会場は相模大野グリーンホール。
昔、制作会社に勤めていたころ、よくスピッツのCDをかけながら仕事をしたものだった。当時はまだMP3やダウンロード以前の世の中だったので、何百万枚もアルバムが売れた時代。


その後、姪(妹の娘)にプレゼントしたスピッツのアルバム「ハチミツ」を聴いて、姪よりも妹が夢中になった。いまや妹は筋金入りのファンクラブ会員なのである。今頃になって、草野正宗の生声で「ロビンソン」を聴くことになるとは思わなかった。いい声だった。


東日本大震災のあと、草野正宗は歌をうたえなくなってツアーをキャンセルした。当時、新聞でそう読んだ。
今日、久しぶりにホールコンサートの二千人位の観客のひとりとなって彼の歌を聴きながら「これは出来ないわ。どんな日本語も力を持つのが難しいときに、自身の詞を朗々と歌い上げるなんてことは」と、はじめて合点がいった。


こういうことは理屈ではなかなか(私は)理解できなかったし、理屈でわかっても意味のないことではある。白状すると、当時の私は「アーティストとはいえ繊細すぎやしないか。キャラにはあってるけれど」と密かに思っていたのだ。
震災のころと今と、私自身の生活も変わったので、そういう要素も大きいかもしれない。


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小田急沿線に住んだのをよいことに、公演後もスタバでお茶を飲んでゆっくり帰宅した。
とても楽しかったし、この年齢ゆえのライヴの味わいというのもあるなぁと思う。ただ、実感としてオールスタンディングはもう、ちょっと無理かもしれないと思った。









2014年01月30日(木) 降りそうで降らない

 
15日、法事の相談のために横浜で妹と会った。
みなとみらいのマークイズでランチ。楽しかった。
せっかくなので、そのときの画像をあげておこう。






横浜美術館。
予報では雪が降るかもとのことだったけれど、降りそうで、降らない。







なにか枯れ枝にたくさん実が付いているのだけれど。なんだか、わからない。







食事したレストランの席からの眺め。妹は雪が降るのを期待していたのだけれど…
姉は、雪よりグラスワイン。降らなくてもゴキゲン。







妹が拾ってきたさっきの木の実。スマホで検索して名称がわかったのだったが…
ワインでいい気分の姉は、聞くとほぼ同時に忘れてしまった。
この冬、冷え込みは厳しいけれど、東京横浜は雪が降らないなぁ(落胆する妹)。









2014年01月27日(月) どの程度と理解すればよいのか?


25日の法事は、お天気にも恵まれどうにか無事に終えたのだけれど、翌日も今日も明日もずっと仕事。
なので、曜日の感覚がぐっちゃぐちゃなのである。


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その後「豊饒の海」四部作を読み終えたのだが、しかし、読んでいる間じゅう、符牒めいた、妙な偶然の一致に見舞われ続けた。



たとえば…
「春の雪」にはタイ王室の王子様二名が留学のため来日、小説の主人公たちと学習院の同級生になり親交を深めるというくだりがある。


このタイ国とのかかわりが「奔馬」「暁の寺」にもうっすらと引き継がれていくのだが、小説中に、タイのクーデターは日本のように血なまぐさい騒動にならず静かにいつのまにか起っているのはなぜなのか、というような記述があって、この部分を読んでいるちょうどそのタイミングで、現在のタイ国でクーデターらしきことが起きているのではという報道があり、ナンダコレハ?!と思わずにはいられなかった。



その次が、地方裁判所。
四部作を通しての語り手であり、最後には主人公として老いさらばえた姿をさらす本多繁邦。彼は大阪で裁判官をしていたのが、ある理由から辞めて、弁護士になる。


その本多繁邦が東京(霞が関)の地方裁判所へ出かけてゆくという場面を読んだとき、その週、たまたま霞が関の地方裁判所一階でひとと会うことになっていた私は「ほうほう、あの裁判所は大昔からあそこにあったのだね。建物はさすがに建て替わっているだろうけれども」くらいに思っていた。
で、実際に自分が出かけていく前日の晩になって気がついたのだ。地裁で人と会う約束の明日が、一月十四日(三島由紀夫の誕生日)であることに。



それから、神社。
21日の深夜、TVをつけたまま画面は観ずに音声だけ聴きながら片づけものをしていたときのこと。TVではパワースポットとしてご利益のある神社ベストスリーの紹介、というようなことをやっていた。


そこで第一位(?、多分)として紹介されたのが、多摩川浅間神社。都内田園調布にある神社で、富士吉田の浅間神社の分社として建てられたとのこと。お社を新しく建て直したばかりなので、清新なパワーに満ちているとか、なにかそんな話だった。浅間神社ってどこにでもあるなあ、多いなぁくらいに思って床に就いたのだったが…


翌朝、休みなのを良いことに目覚めてそのまま、布団の中で読みかけの「暁の寺」を開いた。すると、読み始めてすぐに「富士吉田の富士浅間神社まで、二台の車に分乗して遊山に行った」という文章に遭遇。またかい!


本多繁邦は富士の麓(御殿場ニノ岡)に別荘を建てて、そのお披露目で友人知人を招待、皆でタクシーに乗って件の神社へ出かけて行くのであるが…ナンダコレハがおさまらなくて、物語の流れに再合流するまで一寸時間が要ったのだった。



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こういうことが重なると、これがどの程度のことなのかわからなくなってくる。たいそうなレアケースなのか、意外によくあることなのかがわからない。


そして。
24日の夜、画家の妻フロイライン・トモコ嬢に会ったので、つらつらこの話をすると、自分も「天人五衰」を読んだ直後に関西(京都?)へ出かけてあるお寺へ行ったら、そこが小説に出てきた月修寺のモデルになった寺と聞かされ、驚いたことがあると言われた。
そこは一般公開されておらず、内部の見学はかなわなかったそうだが、お寺へ至る道を歩きながら強い既視感に襲われ、ここへは以前確かに来たことがあるという気持ちになったそうだ。


それじゃあ三島の小説には何かその手のことを起こさせるようなパワーがあるのかもね、などと軽く言い合って、二人してなんとなく納得したような感じになったのだが…どの程度納得していいのか、分かりづらい話ではある。











2014年01月23日(木) なにやら落ちつかないこの頃


25日の土曜日に法事(母の十三回忌)を控えて落ちつかない。
いずれにしてもあと数日で終わることなので、とにかく無事に、できれば楽しい集まりになるようにと思っている。


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14日に遅ればせで初詣に行ったので、その画像をアップしておこう。
明治神宮の大御心(御神籤)、今年は二十三番。



(二三)誠
  とき遅きたがひはあれどつらぬかぬ
  ことなきものは誠なりけり


  ひとによって早い遅いの違いはあっても、誠から出発したことは
  必ず成し遂げられる。どんなに巧みな手段手法でも、心の真実が
  がなければ成功はおぼつかない。誠をもって初志貫徹すべし。
  (誠実は成功の基)



…ことしも有り難いお言葉の書かれた紙片を、スケジュール手帖の表紙カバーの折り返しに大切に挟みこんだ。これでよし。















明治神宮へは行きも帰りも参宮橋駅から歩いていく。西参道は人もまばらでとても静か。
熊笹の道では風がたつのを待ってしばらく立ち止まります。
この熊笹の葉のたてる音を聴くために西参道を通るようなもの。









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