世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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| 2012年02月04日(土) |
2011年6月のパリ(2) |
ここ二日ほどなんとなく体調がおかしくて、風邪かインフルエンザじゃないかと疑っている。いつ関節が痛くなって高熱が出てもいいように身構えているのだが、来ない。一応、洗濯なんかも全部済ませてあるんだがな。相変わらず薄ぼんやりとした不調感が漂うばかりだ。 -- 昨年6月にパリへ行ったときのことの続き。 あなた変わったわね、、、それとも変わってしまったのは私の方かしら?…みたいな、そんな話です。 ◎東京化したパリ 着いた日に、散歩がてらとりあえず出かけたのはルーブル。美術館ではなくてガラスのピラミッド前の噴水、それからチュイルリー庭園のあたり。1996年に初めてパリへ行ったとき泊まったのがチュイルリー真ん前のホテルで、どうしてもその影響から抜けられない。せっかく左岸5区に宿をとったのに。でもまあ、そういうもんですわよね。いろんな人が自分にとっての「初めてのパリ体験」に基づいて言う。「やっぱりモンマルトルの坂道かな」とか「ラスパイユ大通りよ!」とか。鮭のごとくに遡上して、戻っていくのでございます。 そんな懐かしきリヴォリ通りまできて気が付いたこと。行き交う自動車がヒステリックなまでにスピード出して走ってる、ような気がした。昔はもっとトロトロ走ってたような気がするけどな。パリの景色は基本的には変わらない(変わりようがない)のでよけいにそう感じたのかもしれないが。そして、みなさん、手に手に携帯電話をしっかり持っていらっしゃる。歩行中でもかまわず通話。携帯電話ほどフランス人に似合わないものはないと思っていた私は軽くショックを受けた。

↑この美しい青空がなぜかとっても腹立たしかった(理不尽)

↑外からルーブル館内の彫刻が見える。私の大好きな場所。 でもって、地下鉄。パリの地下鉄は小さくてすぐ満員になっちゃうけれど、誰も押しあいへしあいしてまでは乗らない、次の電車を待つ、というのが以前メトロで見た風景。ところが、今回は押された押された、フランス人にグイグイ押されましたよ。…世知辛い。あまりにも世知辛い。なーにをなさるんですか、マダム エ ムッシュー! 考えてみたらこの前パリに来てからもう12年以上たっているのだ。なにしろ、まだユーロじゃなくてフランの時代だったんだから。でも、もう私の決まり文句「パリは昭和三十〜四十年代の東京にそっくり」は使えなくなっちゃったな…。

↑Varenne駅構内。ロダン美術館の最寄り駅。なので彫刻がある。 ◎パリにも梅雨がある 着いたその日から、小雨が降ったり、晴れ間が出たりというお天気だった。天候のことは気にして調べて行ったつもりだったけれど、まさかこんなに寒いとは思わなかった。なにしろ町ゆくお嬢さんの中には革のジャケットにマフラーなんて格好のひともいたくらい。「晴れて気温があがると泳ぐ人もいる」ってはなしを信じてノースリーブのワンピースや麦わら帽子を持って行った私は、私は、、、。とにかく無印良品のガーゼの長袖ブラウスと麻のパンツではとてもじゃないがしのげなくて、レアールのZARAで紺色のジャケットを買った 寒いばかりではない。湿気が鬱陶しい。歩いていてもスカーフを巻いたり外したり忙しい。ホテルの部屋でも、すこーし蒸し暑く感じることがあって、そういうときには窓を開けてカーテンを引くことにしていた(そうすると、すぐに暑さは解消した)。ヨーロッパといえば短絡的に「乾燥」と思っていた私にはとんだ伏兵だった。 ZARAで思い出したけれど、ZARAだけではなくH&Mとかフォーエヴァー21みたいな安い洋服屋さんがたくさん出来ていて、ほかの都市ならばともかく、パリまでが…と複雑な気持ちになった。なにしろ、どこの駅で降りても必ずこういう洋服屋さんが二、三軒固まってある。長い通りを歩いていると、あれ、この店さっきもあったじゃん、というわけで二軒目に出くわすなんてこともあった。パリだってもう東京とおんなじなのよ、本当に。 ZARAで買ったジャケットは70ユーロくらいだったと思う。けっこう良い買い物だったと思っている。

↑パンテオンからの眺め。雨のパリ。遠くにエッフェル塔が見える。
私の携帯には万歩計機能がついている。 本日、帰宅時点での表示歩数、16506歩。 有楽町〜日比谷〜有楽町〜銀座、ちょっとフラフラしすぎだろう! ↓日比谷公園。ここが東京のリュクサンブール庭園?
 書き忘れました。昨日の購入本。八重洲ブックセンターにて。 「オオカミの護符」 小倉恵美子(新潮社)
農家に生まれ育った著者が、実家の土蔵の扉に貼られた「黒い獣の護符」の来歴を求めて関東甲信の山々へフィールドワークに出る。 と書くと、どこか山間の里の話かと思うかもしれないが、著者の実家は神奈川県川崎市。東急田園都市線のたまプラーザから徒歩圏の土橋という所。そして、著者は私より4才年下。お婆さんの昔語りというわけでもない。
かねてより「山岳信仰」ってなんだろう、太占(ふとまに。お百姓さんの作付け占い)ってどんなものだろうと思っていた。そして、幼稚園から小学校入学までの2年余りを田園都市線沿線の町に暮らしたことのある私としては、もう興味津々なのだ。
このフィールドワークは既に2008年、「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」という記録映画になっているそうだ(著者はもともと記録フィルムに残すことから始めたのだった)。八重洲ブックセンターでは地下の山歩きコーナーの平台に山積みになっていたが、奥付は昨年12月15日発行、1月20日第二刷ですでに重版になっていた。 これ絶対面白いよー。久しぶりに新潮社のハードカバー買ってしまった。
石岡瑛子さん、21日に亡くなっていた。知らなかった。 夜、NHKで「プロフェショナル 仕事の流儀」の再放送をみる。昨年2月に放送された石岡瑛子唯一のドキュメンタリーフィルム。追悼のための急遽再放送だった。 「こういうふうに時間は流れて、ひとは入れ替わり、時代は移って行くのだ」ということを、つくづく、身に沁みて感じたのは何故だろう。 いくつか理由は思い浮かぶけれども、いまその謎解きをしている時ではないという気がする。言葉になる前のレベルでわかっていればそれで(その方が)いい。 貴重な記録映像であることはわかっていたし、録画することは簡単だったけれども、私にも意地がある。「所有できる」と思ったとたんに関係性は変わってしまう。 一期一会の石岡瑛子は多くのことを語っていた。 口惜しさが、あとからあとから湧いてきたが、それは言っても仕方のないことだ。しばらくは石岡瑛子の顔が、まるで瞼の母みたいに浮かんできそうで嬉しい。
パリ、カルチェラタンの安宿画像を。 窓からの眺め、見るべきものは小さな空(お天気)くらい。

改装したてとおぼしきシャワーブース。 丸いクリクリしたところからもお湯が出る。クリクリを動かしてお湯の方向を調整できるのです。面でお湯を浴びられるので助かる。カーテンではなくガラスの引き戸がピッタリ閉まるので周りがびしょびしょにならないし、寒くない。厳冬期以外はこれでもいけそうです。

意外すぎる美味さで宿替え思いとどまらせた朝食がこれ。パン+コーヒーのみというシンプルさ。いかにも安そうなプラスチックのお盆に載せて配られます。デスクではなくベッドの上に置いて、テレビみながら食べてました。

| 2012年01月27日(金) |
生きてるだけで丸儲け? |
少し前に書店で「愚の骨頂」という本を立ち読みしておりました。内容はマツコ・デラックスと中村うさぎの往復書簡です。その中に収録されていた対談で、1958年生まれのうさぎさんが、子供の頃は家の中に新しい家電製品が増えていく様を驚きをもって眺めていた、洗濯機やテレビのない家に次々に文明の利器が登場した。だから携帯電話なんてまったくSFの世界の出来事だと語っていた。
同年代の私としては「うちもそうだった。だから、二十一世紀は生きてるだけでサバイバル、奇跡みたいなものよ!」と思いながら読んでいたのですが、マツコ(38歳)は、そうはとらなかった。かなりショックを受けた感じで、えっ、あんたってそういう年代を生きてきたひとだったの!少し勘違いをしていた、ならばもっと敬意をもって接しなければいけない、というような意味の言葉を返していました。
それ読んで、まさかひと回りくらいの年齢差でそんなに生活実感に差があるとは思っていなかった私は非常に驚いたのですが、そのうちに、だんだん気分が良くなってきた。私が(私も)マツコに敬意を抱かれているような錯覚に陥ったのですね。要は、そんな年寄りだとは思わなかった、もう少し大事にしてあげなきゃね、ってそれだけのことなんだけれど、勝手に勘違いしてぐんぐん気分がよくなってしまった。ほかの人ならともかく、マツコだからね。嬉しさも何か格別って感じだったのです。 -- 長い間ずーっと頭痛の種だった画像処理ソフト問題にケリがついた、と思います。 二十一世紀を不器用に生きるストレンジャーも、これでやっとストレスなく更新ができるようになる、はずです。 -- 本日の購入本。古書店、即興堂にて。
ユリイカ臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」 2002年10月刊(青土社) 年末に買おうと思って買いそびれていた古書。矢川澄子は1930年生まれ、2002年没。 「古きものへの敬意」の次は「不滅」への欲望か、と、軽口叩こうとして、考えた。「不滅」って何だろう。どういうことなのだろう。 これは無理だという気がする。「不滅」については死ぬまで何もわからないだろうと言う気が強くする。人間が知らなかったり解明出来なかったり、知らなくてもそれでかまわないことというのが数限りなくあって、「不滅」はそういった、眩しさに目を細めることそれ自体が幸福といった類いの謎めいた光源なのだと思う。そりゃ欲しくもなりますよ、このユリイカ。
積もった雪に太陽が反射して、まぶしい朝だった。 玄関から通りまでのアプローチを雪掻きしてから東京へ。予定通り映画「ニューイヤーズイブ」を観る。舞台はニューヨーク、時は大晦日。とっても洒落てて、泣かされて、最後は元気が出る、アメリカンハートウォーミングという言葉を思い出させる作品でした。ウェルメイド。
もともと私はオムニバス映画とか、複数ストーリー交錯映画って大好きなのだ。造りそのものがすでにお洒落。これで中味も良ければ、傑作短編集を堪能するのと似た感じを味わえる。「ニューイヤーズイブ」は長編だけれども、なかに、微妙に袖擦れあいながら交錯する複数のストーリーが入っている。しかも新旧豪華キャスト競演でとっても贅沢。
ボンジョビくんとミシェル・ファイファー姐さんに「お久しぶりです!」と心のなかで挨拶をし、サラ・ジェシカ・パーカーの声の可愛らしさを初めて知って「あら素敵!」と驚き、デ・ニーロの芝居に「すれっからし爺め!」と悪態をつきながら泣かされている間じゅう、私の精神年齢は確実に二十歳に逆戻りしていたと思う。
…いやいや、待てよ。そもそも私の精神年齢って普段からそんなものだったんじゃなかろうか。そう思ってみると妙にしっくりくるんだよなぁ…(すんごいことに気が付いちゃった)。 -- 本日の購入本。丸ビル青山ブックセンターにて。
「カスバの男 モロッコ旅日記」 大竹伸朗(集英社文庫) 「大和なでしこ整体読本 身体を取りもどす七つの力」 三枝誠(ちくま文庫) ここのところ、謎の古代文字だとか、占星術だとか、エーテル体だとか、怪しい読書ばっかりだったので、やっとまともな、しかも凄い当たり本に、、、と書きかけてふと気づく。これ二冊とも結構なスピ系じゃないの? しかも「男」に「なでしこ」で陰陽になってるー。 いずれにしても「カスバの男」が文庫本で手に入るとは。ありがたいことでございます。
| 2012年01月23日(月) |
2011年6月のパリ(1) |
いま雪が降っています。もう積もり始めている。 けっこうビショビショした雨が続いていて、寒い割にまったく雪降らないなぁと思っていたけれど、ついに。それとは別に数時間前からたまーに雷鳴が。それも長ーーーーいシャッターを延々と降ろしているような、アクセントのない大きな音が続くという不思議な雷鳴。そしてその上、地震もあった(最近多い)。降雪+雷鳴+地面がぐらぐら、この三種同時進行は結構シュールだぞ。嫌いじゃないぞ。ただ、これ以上大きな地震は勘弁してください。 明日は早起きして、雪掻きする。それから有楽町で映画観て、日比谷のクリニックに行く。ブーツ履いて、ダウン着て、帽子も被っていくんだ(←るんるん) --
昨年6月にパリへ行った時のことを書いておきます。6月9日に日本を発ってドバイ経由で10日の午後パリ着。5泊して、日本へ帰ってきたのは16日、だったかな(すでに忘れかけてる)。パリは三回目だったけれど、今回印象的だったことをテーマ(?)ごとに少しずつ書きます。 ◎安宿の洗礼を受ける
今回のテーマは「左岸を攻める」だったので、ホテルも5区カルチェラタンにした。でも、5区、6区のホテルは小さくて高い。文化の香りって高くつくのですよ。いきおい金額はそこそこ払って、与えられる環境は「安宿スタイル」ということになる。それでも清潔なベッドとバスタブだけは確保したつもりで宿へたどり着いたら…バスタブがなかった。 変形のせまーい部屋に猫の額ほどの中庭(地面はみえない、銀色のダクトのようなものがあった)に向いた窓がひとつ。セミダブルのベッドにかけられたカバーには小さな焼けこげ。ベッドサイドテーブル1。白いペンキの塗られた洋服ダンス1。机とイス、各1。入り口ドア横の高ーい所に壁掛けテレビ。あとは洗面台、トイレ、そしてシャワールーム。冷蔵庫とエアコンはなし。以上。
成田空港の薬局で買った入浴剤「草津の湯」どうしてくれるんだとは思ったけれど、堪えたのは部屋の狭さと古さ。むしろシャワールームは改装工事したばかりのようで、新しくてきれいだった。とにかく明日にはここを出ようと、着いたその日には思ったのだけど…。翌朝、ドア脇にあった机を窓の前へ移動。ひとりで顔を赤くして机をひきずりながら、パリまで来てあたしは一体何やってんだろうとは思いましたけどね。でも、これでかなりマシな部屋になった感じ。 そして!特筆すべきは!朝ご飯のパンとコーヒーが美味い!!クロワッサンとフランスパン、小さなバターと苺ジャム。金属のピッチャーに入った熱々のコーヒーとミルク、大ぶりのコーヒー茶碗、これらをプラスチックのお盆に載せて部屋へ持って来てくれるというシステム(食堂もバーもなんにもないんです)。これで不味けりゃ決心も固まるんだけれど、めちゃくちゃ旨かったんだ、パンもコーヒーも。苺ジャムなんて給食食べてた大昔を思い出すようなしろものだったのだけど、けっこういけるんですよ。あと、意外なことにベッドの寝心地が良かった(!)。まったくどうなってるんだろうね、このホテルは。 (シャワーブースと朝食のトレーの画像はあとからアップしますね)
結局住めば都的なことになって宿替えはしなかった。フロントの女性もお掃除の人も、日によって、人によって、親切不親切のばらつきが凄かったり、バッチリ安宿の洗礼を受けた感じですが、面白かったと言える程度の経験ですみました。
そういえば最近になって、ロラン・バルトが1980年に交通事故に遇った(結局その事故が原因でバルトは死んだ)その通りに、件の安宿は建っていたのだということが分かった。バルトはコレージュ・ド・フランスで教鞭をとっていた「左岸の人」だったのだから不思議とまでは言えないけれど、左岸を攻めたいと思った理由のひとつがバルトその人であった私は、絶句。かなりジンワリきました。(2)に続きます。
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