プラチナブルー ///目次続話

不合格通知
プラチナブルー第4章 辰巳リカ編
April,5 2045

『You failed in this examination.リカ様。今回の試験の結果は、不合格でございます』

リビングの北側に映し出された立体映像の中、
いかにも執事風の初老の男が微笑みながら語りかけてきた。


「よくもそんな残酷な台詞を笑顔で言えるものね」

私は右手に持っていたフォログラム用のコントローラーを男めがけて咄嗟に投げつけた。
勢いよく宙に飛び出したその小さな機械は、男の右耳あたりをかすめ、
そのまま立体映像をつきぬけて奥の壁で見事に粉々になった。
壁には、その衝突が初めてでないことを示すように小さな傷が3つあった。


「ああ、悔しい」

その悔しさは男に命中しなかったためではなく、狙った壁の箇所を外したからでもない。
不合格を突きつけられ、怒りや悔しさ、そして自分の不運や不甲斐なさの混じった感情が
一気に噴き出してきたからだ。

無意識に左手で髪をかきあげながら、フォログラムの前で右に2歩、反転して左に2歩、
それを2度繰り返して立ち止まり、男を上目遣いに見据えた。


「ねえ、次の試験はいつ?」

私は両腕を広げ、懇願するように男に尋ねた。



『次回のミッション公募は未定でございます。
ただ5月に開催されるブロンズリーグの結果如何によっては、
欠員補充の公募もありうるかと存じます』


初老の男は、メモをみるわけでもなく微笑んだまま答えた。


「わかったわ、また知らせて頂戴」

私は初老の男に背を向け、南側のカーテンを開こうと手を伸ばした。


『かしこまりました』

フォログラムの通信が切断されると、初老の男は姿を消した。



力任せにカーテンを右に開くと、まぶたを思わず閉じてしまうような眩い光が飛び込んできた。
私は手探りで窓の鍵を開き、テラスへと出た。

テラスの外は、視界に入りうる160度程度、すべてに高層ビルが聳え立ち、
それが遥か向こうの霞の中に消えていくまで連なっている。

その高層ビルとビルの間に広めにとられた6車線の道路には、
渋滞するわけでもなく数多くの車が等間隔に往来している。

私が生まれた2020年代後半までは、ガソリンで走っていた車も、
今やすべて電気にかわっていて、外の風景からは見た目ほどの喧騒さはない。

むしろトーキー映画を観ているような静けさが、
リカの腹ただしさ止まぬ鼓動を、余計に大袈裟に伝えているようであった。

胸のあたりまである高さの、ステンレス製の手すりにもたれかかると、
34階から見下ろす階下を歩くまばらな人の姿が、ゴマ粒よりも小さく見えた。


(きっと あんなちっぽけな人間にアタシも見えるんだわ ああ本当に頭にくるわね)



指先の記憶
April,5 2045

幾万種類のオレンジ色を混ぜ合わせたような夕焼けの空は、
ゆっくりと暗幕を降ろすように闇に変わった。
規則正しく走る車のヘッドライトの光が、街中を支配している。

テラスで考え事をしていたリカは、肌寒さの残る風に吹かれ、
無意識に身震いしたあと、時間の感覚を取り戻した。

部屋に戻ると、先ほど初老の男が映っていたフォログラムの右側が、青色に点灯していた。
メッセージ着信を知らせるイルミネーションだ。 
その光に触れると、中央に伝言を残した者が投影される仕組みになっている。


『リカ。今日が採用試験の発表の日だったわね。どうだった? 連絡頂戴ね』

(あ、ママからだ。あーん、駄目だったことをどうやって伝えようか・・・)



『リカ。元気にしている? たまには家にご飯食べにおいでよ。
そうそう、来週から彼が出張なの。また、連絡するわ』

(そういえば、お姉ちゃんのところにも随分顔を出してないな。
新婚だから足が遠のくのよね、アタシ)



『リカ〜 たまには遊びにこいよ〜 最近見かけないからみんな心配しているぞ〜
勿論、俺が一番心配しているんだけどな。じゃあな』

(WEB麻雀サークルで、口説き文句が挨拶がわりの部長からだ。何回告白されたんだっけ。
最後に遊んでから、どれくらいになるのだろう。みんな元気かな?)



ママにも、お姉ちゃんにも、友達にも、
『合格したよ』って伝えたかったな。

すっかりと誰かとの接触がおっくうになっていることを自覚しつつ、
クッションを胸に抱き、ソファーに深々と体を沈め、天井を見つめた。

(次こそ絶対パスしなくちゃ。・・・だけど、どうやって?)


どうすれば次のチャンスを手に入れられるかを考えながら、やがて眠りに落ちていた。






奥行きの見えない真っ白い空間。


眩しすぎるライトのためか、部屋全体の色なのかよくわからない。
宙に浮いているような感覚でバランスを崩し、私はその場に座りこんだ。

「リカ。こっちよ」

その声は、緑色のシルクをかけた食卓のテーブルから聞こえた。

「お姉ちゃん・・・それに・・・」

振り返ると、3人が座っている。
お姉ちゃんとお義兄ちゃん。もうひとりは・・・知らない男の人。
テーブルの向かい側に座っている男の顔は、光が眩しくてよく見えない。

「さあ、始めるわよ」

姉がテーブルの上に突如現れた麻雀牌をかき混ぜ始めた。
同時に右側の兄も、そして向こう側の男も。
3人の手がテーブルの中央に集まり左右に揺れている。

(え〜?! お姉ちゃん・・・って麻雀知っているの? 
それに普段はぼ〜っとしているお兄ちゃんもなんだか手馴れた感じだし・・・)


私は本物の麻雀牌に触れたことがない。
が、それが麻雀牌であるということを瞬時に理解した。

カシャカシャという牌がぶつかり合う音は予想以上に大きく、

「こいつは弟の・・・っていうんだ」

という兄の声が掻き消された。


次の瞬間 瞬きひとつで残り6枚というシーンに切り替わった。

七萬をポンしているところに掴んできた七萬。

私は迷わず

「槓(カン)」

『槓をしたときには ここを捲るんだ』

初めて聞いた対面の男の声。
無愛想な顔つきに似合わぬ清々しい声で槓ドラへ人差し指を伸ばす。
魔法のように指1本で裏返されたのは六萬。

「あ」
「おお」

姉夫婦から同時に漏れた声。
対面の男の口元が微かに笑ったようにも見えた。

私が嶺上牌(リンシャンハイ)を取り、親指に力を込める。
盲牌(モウパイ)という言葉さえ知らないこの指に伝わる文字。

(あ、この牌は・・・)

指先から背筋まで、電流がほとばしるような感覚に襲われた。

夢から醒めたこの指先に残る不思議な感触。
両腕で抱き締めたままのクッションを放り投げ、右手を天井に掲げ、親指と中指を重ねた。

(あの牌が何だったのか、確かめてみたい。・・・そうだ、確かめに行こう)

脚を投げ出し、体半分を起こした私の頭上に、クッションが落ちてきた。


サークル・BLUE
April,29 2045

『あ、リカちゃん。久しぶり』
『元気だったか?』


私が久しぶりに顔を出した、WEB麻雀サークル「BLUE」
声をかけてくれたのは、部長の田頭と同級生の西平だった。

元々は10年ほど前に大学生が作った麻雀サークルBLUEのOBが
卒業後、趣味代わりにWEBでプログラムを公開して立ち上げたらしい。
ノーレート・参加自由という気軽さから、高校生や、社会人、主婦も数多く参加。
一時期は登録会員が数万人規模に膨れ上がり、その後、紆余曲折を経て、
幾つかのサークルに分かれた。

私が参加している「BLUE」はノーレート、ノーランキング。
自由奔放というよりも、部長の田頭雄吾(たがしらゆうご)の人柄で
人を集めているといったサークルだ。

高校時代に仲の良かった神谷詩織(かみやしおり)の勧めで、
なんとなくサークルを覗くようになった。

「あ、誠也くんだ。リカちゃん、一緒に応援して」
「うん。いいよ」

詩織とは、彼女の恋人である西平誠也(にしひらせいや)の試合をいつも応援していた。
バスケットボールの県大会でリカ達の高校に来ていた西平誠也に詩織が一目ぼれをして告白し、
ふたりが付き合うようになってから半年になる。

「君たち高校生?」
「はい」

パソコンの画面から、声が突然、飛び出してきた。
サークルBLUEでの交流は、テキストチャットではなく、
ヘッドフォンマイクで会話が交わされることが多い。
声をかけてきたのは田頭雄吾だった。

「いつも、観ているけど、打たないの?」
「だって、ルールを知らないんです」
「じゃあ、教えてあげるよ。自分で打つともっと楽しいよ」

私と詩織は、応援中に雄吾からルールを教えてもらいながら、
少しずつ、麻雀を覚えていった。

「どうしてあがりじゃないの?」
「うん、役がないからリーチをかけないとあがれないんだよ」

「すご〜い。こんなに点数が貰えるんだ」
「リカちゃん。がんばったね〜」

「え〜 当たり?」
「ごめんごめん。12,000点だ」

「今日は、リカちゃん ひとり?」
「はい」

次第に麻雀の面白さに感化され始めた私は、
詩織が誠也と別れて姿を現さなくなってからも、時々アクセスし続けた。
そして、自分も打ち始めた頃の高校3年生の時には、ほぼ毎日参加するようになり、
高校卒業時には、その腕前は一目置かれる存在にまでなっていた。

「強くなったね、リカちゃん」
「ありがとうございます。皆さんに色々と教えていただいたお陰です」
「高校生でこれだけ打てるようになったのは、誠也と龍正以来だな」
「龍正さん?その人は見かけたことがないけど・・・」
「うん。なんでも、彼が高校を辞めたっての事を聞いたんだけど、最近、来てないね」

強い人との対戦が楽しみになり始めた私は、少し残念な思いで、
発声ではなく、キーボードで文字を入力した。

「そうなんですか」

「そういえば、龍正は学校を辞めてから、家出したらしいよ」
「え? そうなのか?」

そのテキストに反応したのは、西平誠也だった。
雄吾が誠也に尋ねた。

「そういえば、龍正と誠也は同じ高校だったな」
「ええ。なんでも、後輩が隣町の不良にからまれていたところを助けに入って相手を病院送りにしちゃって・・・」
「それで退学はキツイな」
「ちょうど停学中だったこともあって、学校を辞めたのは家庭のトラブルって噂ですよ」
「どうしているんだろうな、あいつ」
「なんでも、オジサンが経営しているBarで時々麻雀打っているって話でしたけどね」
「バーか。誠也とリカが高校を卒業したら、遊びに行ってみるか」
「はい」
「うんうん、私も行ってみたい」

私は雄吾と誠也のテキストチャットを眺めていたことを思い出しながら、
みんなとの再会を懐かしく感じていた。



2ヶ月ぶりのサークル。

「やっほ〜元気だよ〜」
「おお、リカちゃん。高校卒業おめでとう」
「ありがと〜。雄吾部長は大学卒業できた?」
「ううん。ダメ6回生決定」
「あはは」
「ま、人生長いし、のんびりやるよ」
「うんうん」

温かく迎えてくれる部長は、もうひとつの家族のような安心感を与えてくれる兄みたいな存在だ。

「試験はどうだったんだ?」
「ダメだった〜」
「あらら、リカなら難関を突破できると思っていたんだけどな」
「ごめんね〜みんなが応援してくれていたのに」
「医者になるより難しい試験らしいからね。次はがんばろうぜ」
「うん」

誠也はバスケットボールでの高校時代の活躍が認められ、推薦で大学に入学したらしい。
詩織が浮気をして誠也と喧嘩した時に、彼から相談を受けたの私だった。
それ以来の良き友人だ。

「久しぶりに 一緒に打ってみるか」
「いいですね」
「はい、お願いします。 あ、その前に部長。相談があるんですけど」
「ん? どうした?」

私は、雄吾に本物の麻雀を打ってみたいと相談した。

「う〜ん、雀荘か〜。女の子が1人で行くところじゃないな〜」

雄吾はリカの話に、心当たりの雀荘をいくつか思い浮かべた。
どこも、ろくでなしの吹き溜まりで、リカの麻雀の腕よりもむしろ
高校を卒業したばかりの女の子に勧められるような店が思い浮かばなかった。

「あ、雄吾さん。いつか話していた龍正のいる店に3人で行ってみますか?」

そう切り出したのは誠也だった。

「お、そうだな。雄吾の入学祝と俺の留年祝と、リカちゃんの残念会だ」
「うんうん。 楽しみ〜」
「じゃあ、来週の5月4日の午後8時はどうだ?」
「ええ。僕は大丈夫です」
「アタシも〜」

私はまるで初めてのデートの時のように心が躍った。

(そういえばアタシ・・・初めてのデートっていつだっけ)

再会
May,4 2045

「ねぇ、リカ。ゴールデンウィークにアタシ達、ロスの実家に帰るけど、
あなたのチケットも用意しておこうか?」
「え〜、お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
「そうよ、だって挙式以来、ママ達の顔を見ていないのよ」
「そっか〜。う〜ん、友達と会う予定を入れちゃったよ。アタシ、・・・帰りたいけど」
「何を言っているのよ、本当は試験に落ちて、パパとママに合わす顔が無いんでしょう」
「い、痛いところを衝かないでよ。傷心期間中なんだから・・・」
「あはは、次は頑張ってね ダメならアタシがなんとかしてあげるから」
「うん」
「パパとママにはリカは凄く頑張っているって伝えておくわ」
「ありがとう お姉ちゃん。大好き」


私は先月、19歳になった。
高校卒業を機に、祖父母と暮らした家から出て、パパ名義のマンションに引っ越した。
物心付いたころから、仕事の関係でパパとママはロスの自宅で暮らしている。

私には6歳違いの円香お姉ちゃんがいる。

妹の私が云うのも変だけど、
いまだかつて、お姉ちゃんよりも素敵な女性に出会ったことはない。

いつも優しく、放たれる言葉は表現力豊かで心に響く。
核心をついた洞察力、それでいて決して誰かを傷つけることなく機転の利いた言い回し。
お姉ちゃんは私の憧れだ。

「リカはアタシとそっくりね」
というお姉ちゃんの言葉が何よりも嬉しかった。


『アプローチした男性と同じ数を撃墜したオンナ』
という噂はあながち嘘ではなく、私の知る限り特定の彼氏はいなかった。
中学に入学した頃に、背丈が追いつき、外見と声色はそっくりになった私。

「ごめんね〜病弱な妹の面倒見なくちゃいけないから・・・」
「仏教徒じゃないとパパが交際を認めてくれないの・・・」
と、撃墜の片棒を担いだことは、今となっては時効だ。

同じように、私宛の男からの電話も、
「ごめんね、アタシ、男に興味ないから・・・」
と、私と同じ声色の姉が断ったお陰で、すっかり『男嫌いのリカ』の印象で過ごさざるを得なかった学生時代。

「お前、レズビアンなんだって?」
「勿体無いな〜俺と付き合って試してみろよ」
と、近寄ってきた男達がろくでもない奴ばっかりだったのが、
ノーマルな私を、男と縁のないライフスタイルに拍車をかけた。
同時に、男子にかけるコブラツイストの技には、ますます磨きがかかった。

そんな姉が去年、お見合いをし、突然、『結婚する』と、言い出した時には、私は耳を疑った。
いや、正確には自分の目を疑った。

「素敵な王子様が、いつかきっとふたりの前に現れるわ」
小さい頃に、怖い夢を見て、布団の中の暗闇で抱きしめてくれた彼女。

結婚式で見た新郎は、王子様というよりも、ごく普通の男性だった。
きっと、王子様というのは普段は平凡な男の姿をしているに違いない。
私は私自身をを慰めようとしたけれど、
お姉ちゃんの見たこともない幸せそうな顔を見て、そう思わずにいられなかった。

学生時代の大樹パパの雰囲気そっくり、というママ。
円香が選んだ男性なら間違いない、というパパ。

「親バカだ、アタシの好みじゃない」
と云ってしまえばそれまでだけど、

「本当は、理想が高すぎ?アタシ」
と、冷静に考えたこともあるんだ。

男の理想の高さなんかよりも、現実の目の前の問題に向き合うことしかできない。
私はまだまだ子供だ。



5月4日 19:00

田頭部長と西平君との約束の時間まであと1時間。
凄く楽しみにしていた時間が近づいてくる。
私は化粧台の前でメイクをしながら、
姉と同じ顔を持つ女性になりきれる自分を誇りに感じていた。


5月4日 20:00

「辰巳(たつみ)さん、しばらく会わないうちに綺麗になったな〜」
真顔で声をかけてきたのは、西平誠也だった。

「あ、誠也君もまた背が伸びた?」
「うんうん、3年の時に10cm伸びたよ」
「すっご〜い。なんだか、詩織にフラれて小さくなってた男の子と同じ人だとは思えないわ」
「う、その節は大変お世話になりました。」

深々と頭を下げた誠也が顔を上げると、2人は声を出して笑いあった。

「お前達、もう来てたのか。」
振り返ると部長の田頭雄吾が近づいてきた。

「ちわーす」
体育会系の誠也の挨拶。

「初めまして、田頭部長、辰巳梨香(たつみりか)です」
私は田頭部長とは初対面だった。

「おお、リカか、・・・というかお前、本物はめっちゃ綺麗やな〜」
「わ〜嬉しい。部長は本物もめっちゃお上手でんな〜」

私は大袈裟にとおどけた。

「俺のパソコンが幾ら旧式やゆうても、こら、まいった」
「あはは、そんなにカメラ映り悪いんですか、アタシ」

「いやいや、マジで絶句や。反則やで、この美しさは。なあ、誠也」
「ええ。僕も半年振りに会ったんですけど、一目惚れしちゃいますよ」

「あはは、2人ともありがとう、じゃあ両手に王子様で行きましょう」
私は、アルマーニのスーツを着た雄吾の左腕に自分の右腕を絡ませ、
誠也の右手に自分の左手を重ねて歩き出した。

人混みの流れと同じ速さで歩いても、皆が3人を振り返っていく。
モデル風のいでたちの雄吾に、スポーツマン風の誠也。
私にとっては心地良い非日常の時間が流れはじめた。

他愛もない話をしながら10分ほど歩くと
「確か、そこを右に曲がったところだ、ほら、あのBar雀って看板・・・」

「椎名龍正の顔を知ってるのは、誠也だけだな。」
「ええ、僕が先に入りましょう」

店のドアを開けたのは誠也だった

『いらっしゃいませ。何名様ですか?』
薄暗い店内、奥のカウンターから聴こえる若い女性の声。
なんだか、聞き覚えがある・・・?


「3人・・・え? なんでお前がここに・・・」
「誠也君?・・・あ、リカも一緒?」

ネオンの輝く通りから暗い店内に入り、明るさに目が慣れるまでに数秒。
それ以上に、この沈黙が、時間を止めたような気さえした。

目の前に現れたのは・・・リカの高校時代の友人、そして誠也の元カノの神谷詩織だった。

Bar雀
May,4 2045

間接照明の光が、奥行き7m程の店内の壁伝いにあり、5つの弧を天井に映し出している。
天井のダウンライトは北斗七星をイメージしたような配置で、磨きぬかれた木製のテーブルを輝かせていた。
シックな革張りの椅子と、カウンター奥、いわゆるバックバーのカラフルなボトルの色とが、
コントラストを奏でるかのように並んでいる。

バーテンダーの、いやオーナーのセンスの良さを感じさせるには充分な雰囲気の店だ。


「どうした、ふたりとも立ちすくんで」
「お好きな席にどうぞ」

雄吾がドアを閉めると、詩織のビジネスライクな声で、一寸止まった時間が再び動き始めた。

奥に2人連れの男性客が座っている。

中央付近の椅子を最初に引いたのは雄吾だった。
私の背中をそっと押すように、引いた椅子に座らせてくれた。

「ほら、誠也も、突っ立っていないで座れよ」
「は、はい」


「リカは、アルコールは大丈夫なのか?」
「うん。家族でワインを飲んだことしかないけど」

母や姉を見る限り、アルコールへの耐性は強い遺伝子のようだ。
同じ質問を誠也にもしている雄吾。
カウンターでは詩織がおしぼりの準備をしている。
すっかりバーテンダーの仕事が板についている感じだ。

(何でまたこんなところで働いているのだろう。進学したって聞いていたのに・・・)


詩織が雄吾におしぼりを渡した。

「こちらへは、初めてですか?」
「うん。後輩の友人がいると聴いてね」
「ああ、なるほど、龍正先輩の・・・」
「ええ、しかし若い女性のバーテンさんも珍しい」
「私が任されているのは10時までで、そこからは忙しくなるので先輩が・・・」
「なるほど、実は今夜来たのは・・・」

来店した経緯を雄吾が詩織に話し始めると、詩織は言葉を交わしながら、
リカと誠也にもおしぼりを渡し、テーブルに布製のコースターを置いた。


詩織は口元に微笑を浮かべてはいるものの、一瞬、横目で私のほうを見た。
それはまるで、
「なんで、アンタが誠也とここに居るのよ」
と、語りかけているような気がした。

誠也は、ただ黙って詩織の横顔を見つめている。

「ジントニックを3つ」
「はい」

詩織がカウンターの向こうで身を翻してグラスを用意し始めると、雄吾は首をひねった。

「あのバーテンさん。何処かで会ったことがあるような・・・」
「部長。アタシと一緒に、誠也君の観戦をしていた女子高校生ですよ」
「あ、あの時のか・・・」
「はい」
「・・・っことは、誠也」
「ええ」

ようやく誠也が言葉を搾り出すように発した。

「あちゃ〜。道理でテンション低目なわけだ」

雄吾は左手で自分の顔を掴むようなポーズで、2度3度、頭を横に振った。


テーブルにグラスが3つ並んだところで、雄吾が椅子を60度ほど右に回転させ、

「それでは、リカの麻雀と、誠也の未来の恋に、乾杯しよう」

と音頭を取った。

「かんぱ〜い」

なんとなく不穏な空気を感じていたアタシは、部長の気遣いで心が穏やかになった。
グラスがぶつかり合う音色が心地よく響く。

「はい、誠也君もかんぱ〜い」
「ん、乾杯。さあ、飲むぞ」

と云うや否や、私の持つグラスから音色の響きが消える前に、誠也はジントニックを飲み干した。

あっけに取られた私を他所に、

「おいおい、豪快な奴だな」
「ええ、体育会系ですから」
「酔っ払っちまったら麻雀どころじゃなくなるぞ」
「大丈夫っす」

会話しながら、部長は詩織に人差し指でおかわりのサインを送っている。


「リカ、麻雀は面白いか?」
「うん。楽しいよ〜、あがれる時は・・・ね」
「ははは」
「部長は、いつ頃から始めたんですか?」

部長と誠也の麻雀を始めたきっかけから現在までの話を聞き入りながら、
腰を落ち着けて30分くらい経っただろうか。

「ああ、誠也君、耳が真っ赤だ」

私は誠也の赤い耳を掴んで振り向かせた。
普段は二重瞼の大きな瞳が、眠そうにうつろになっている。

「リカしゃん、麻雀打つか〜。あ、この耳、ロン」

私の右の耳を指先で掴み、ろれつの回っていない声の彼。

「あはは、できあがっちまったな、誠也。ちょっとトイレだ」

部長は私と誠也の頭を撫でながら、奥にある化粧室に入った。

奥の2人連れの客についていた詩織が、雄吾のためにおしぼりを準備し、私達の前に来た。

「なに、アンタ達、つきあっているわけ?」

唐突に詩織が私達に言葉をぶつけてきた。

(なにを言い出すかと思えば、この子は・・・)

私は心の中では即座に否定したものの、変換する言葉を失った。
すると、誠也の左腕が私の腰にのび、そのまま体ごと彼のほうへ引き寄せた。

「詩織・・・お似合いだろ? 僕達…」

失望の裏側
May,4 2045

「お似合いだろ?僕達・・・」

誠也が吐いた冗談に、詩織のポーカーフェイスが崩れていく。

(ちょっ、ちょっと待ってよ。誠也君・・・洒落になってないから それ・・・)

詩織の口元が動く前に、フォローしようとした瞬間、店の電話が鳴り始めた。

『はい、Bar雀でございます。・・・あ、おはようございます。先輩・・・
いえ、5名様です。・・・ええ、・・・はい・・・かしこまりました。・・・出しておきます。』


詩織が受話器を置いたときには、雄吾が席に戻ってきた。
おしぼりを受け取りながら、雄吾は詩織に向かって話しかけている。

「そろそろ、麻雀が打ちたいんだけど、龍正はまだかい?」
「ええ、先ほど先輩から、本日は欠勤する旨の電話がありました・・・」
「あら、そうなんだ。残念だな〜それは」

詩織は申し訳なさそうに雄吾に一礼したあと、奥にいる2人の客にも説明に向かった。

(ふ〜、部長、ナイスタイミング)

「部長、その龍正さんという方がお休みだと、打てないんですか?」
「うん、そのようだ。仕方がないから、今度にするか」
「う、うん・・・」

私は玩具を取り上げられた子供のような気分になった。

(あ〜楽しみにしていたのにな)

「誠也、歩けるか?」
「空は・・・飛べますが、・・・歩くのは絶対、無理っす」
「おいおい、そのでかい図体を誰が運ぶんだよ」

「冷たい水とおしぼりを持ってきてくれる?」

今度は雄吾が申し訳なさそうに詩織に手招きをしている。

「あらあら、誠也君たら・・・どうぞ、奥の部屋のソファーを使ってください」
「すまないね、これから稼ぎ時の時間だというのに」
「いいんですよ、田頭さん、Closedのボードを出しておくようにと電話でいわれましたので・・・」
「ありがとう」
「こちらからどうぞ、少し間口が狭いですけれど・・・」

詩織はカウンターの後方の小さな扉を左手で示した。
雄吾は上着を脱ぎ、誠也の腕を肩に回し、詩織の後に続いた。

壁にかかる時計の針は、8と9の間で短針と長針を重ねている。

(アタシのゴールデンウィークは1時間足らずで終了か・・・こんなことになるなら、お姉ちゃんと一緒にロスに帰ればよかった・・・)


私はグラスに結露した水滴を指で2回なぞり、ハンカチで包んだあと口へ運んだ。

しばらくして、雄吾が部屋から出てきた。
詩織は、再び奥に座っている2人の客のところへ向かい、領収書を書きながら会話をしている。
私は部長の上着の両肩の部分を広げ、腕を通すのを手伝った。

「ご苦労様でした」
「ああ、介抱する相手がリカなら、ソファーで添い寝してやれるのにな」
「きゃはは、じゃあ次は、アタシがべろんべろんに飲んでやる」
「おう」

今夜、初めて会ったというのに、雄吾部長といると、張り詰めていた気持ちがほぐれる。
きっと、お姉ちゃんと同じ年ということもあるのかもしれないし、
サークルでの会話で、ある程度、想像していた人物像と相違ないからなのかもしれない。

(こんな人がお兄ちゃんだったらよかったな)

「悪かったな リカ。楽しみにしていただろ?」
「ん? 麻雀?」
「そうそう。俺と誠也は、リカに会えることが楽しみのひとつだったから・・・ほら、麻雀はいつでも打てるからな」
「いいな〜。アタシね、この間、本物の麻雀牌に触る夢を見たんだ」

私は、先日見た不思議な夢の話を部長に話した。
記憶を辿るように、身振り手振りを交えて。
雄吾は煙草に火を付け、天井に向かって息を吐いた。

「へ〜」
「なんかね、触ったこともないのに、ツモった牌がなんだかわかったの」
「盲牌(もうぱい)のこと?」
「うんうん、それそれ。で、確かめたかったんだ。その感触を」
「なるほど、で、なんだったんだ その牌は・・・」
「え〜とね・・・ こんな感じの牌」

私はその親指に感じたイメージを言葉にしようとしたけれど、
上手く説明できずに、両手の人差し指で自分の口の上から、外側45度に弧を描いた。
そう、それは三毛猫の髭というよりも、100年前の男爵の髭に近いイメージだ。

「ああ、髭ね、髭 それは”東”だったんだろ?」
「すっご〜い。部長、超能力者?」
「あはは、髭は基本だよ。基本」
「きゃはは、おもしろ〜い」

「お話し中のところを、すいません」

話に夢中になって、詩織がカウンターの前に来ていたことに気づかなかった。

「ん?どうぞ?」

雄吾が灰皿に、2度3度煙草の灰を落としながら、カウンターのほうへ体を向けた。

「実は・・・奥のおふたり連れのお客様も、麻雀を打ちにいらっしゃっていて、
よろしければ・・・ご一緒しませんか?という伝言をいただいています」
「ほんと?」

思いもよらぬ申し出に私は無意識に言葉を発した。

詩織が、私の言葉には黙ったまま頷き、

「いかがですか?田頭さんは・・・」
「おう、折角のお誘いだ。リカ、デビュー戦、いってみるか」
「うんうん、いくいく」

私は心の中では、兎のように飛び跳ねていた。

「それでは、おふたりをご紹介します。どうぞ、さきほどの奥の部屋へ」

カウンター経由で、その入り口の小さな扉を雄吾の後に続いて前屈みで入った。
部屋の中は、12畳ほどの広さだろうか。一面の白い壁に、窓はどこにもない。
右手のソファーには誠也が眠っている。
中央にあるテーブルに向き合うように、2人の男が座っていた。

「お誘い、ありがとうございます」

雄吾がふたりに向かってお辞儀をしながら前に出た

「こちらは、田頭さんと、辰巳さん」

詩織が、まず、アタシ達2人を先方に紹介した。

「そして、こちらが・・・光宗さんと、河合さん」

(あ、この2人、お姉ちゃんの結婚式で・・・確か、新郎側でピンクレディーのUFOを踊った人達だ)


「よろしく」
「よろしく」

ほぼ、4人同時に挨拶を交わした。

「お飲み物が必要な時は、おっしゃってください」

詩織は、入り口右手の、誠也の眠るソファーに腰を下ろした。


目次続話
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