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2003年04月14日(月)

蠢動

この場に書いているのは日記と名乗っていて、あんまり日記らしくない。
その日の行動記録としては役に立たない。その日にあったこととか、あんまり書いたこと無いもの。

家に帰ってきちゃうと、その日あったことって基本的には済んだ事で、
もー何がどーでもあんまり関心ないんだよね。

忘れちゃう。忘れちゃえって思ってるのかもしれないけど。
忘れないでいるほど楽しい事もなく、忘れたほうが気が楽な事ばかりだから?か、どーかは知らんけど。
ほら、全部忘れちゃってるから。

先の予定は一応、警戒して書かないようにしているし。

だから、この日記はアリバイ証明の役には立たない。
思い出アルバムにもならない。

でも、こうして日記を溜めるのって初めてで、最近たまに、4月なら4月で去年の今ごろは何してたんかなーって、読み返したりするんだ。
archivesって、何でわざわざ過去の日記溜めてんのかっていうと、それは自分のため。ためだけ。

読み返すとわりと面白い。


ここには、大体は思ったこと素直に書くようにしてるんだけど、書いてないこともある。
書くだけで画面が汚れそうな事、文字にするのがあまりに怖かったり哀しすぎたりして自分でも触れられず、無かったことにしている事、あんまりにもSEXUALな事、100万分の1にも私が書いていることが分かった時に法的な問題になりそうなこと(守秘義務とか・・・)、その他もろもろは書かないし、書けない。

で、自分で読むと分かるんだけど、そこんとこだけ妙に核をずれて文がぐるぐる回ってて、ホントに書きたかったであろうことだけが白くぽっかり空いてるの。
笑える。

書いてあることはもちろん、行間からもそん時の自分の感情が粒子となって吹き付けてきて、
「まったく、キミってまったくー。」とか、ジャニーズアイドルの歌の歌詞みたいなフレーズを頭に浮かべたりする。

そういう楽しみは別として。
流れ。
その場では何かわからず、しかも健忘症のため忘れてしまう過去の事も、
かなり過去〜ちょっと過去〜最近〜今と流れで見ていくと、繋がりが見えることがあって、これもまた楽しい。

去年10月頃から、何ていってよいのか分からないんだけど、
あえて言うならば"気"とでも言うものがもぞもぞ言い出してる。蠢く感じ。

桜の木の枝に毛虫がみっしりもぞもぞしてるというのではなく、白くのぺっとした腹の皮膚の下で腸が蠕動している、蠢き感。

占星術的には2005年から2008年くらいが、私の転換期なんだよなー。
t冥王星がASCを通るし、t海王星がn太陽を通るし、p太陽とp月が新月だし、年齢域が変わるし、
とまぁ、色々あるんですよ。

その蠢動とでも言うもんがはじまりつつあるって思う。

部屋の片付けという具体的な行動から、食生活の建て直し、
ヨガと腹式呼吸を始めて(NHKのVIDEOで練習してるだけだけど) 身体の中心を整えて、
で、ここ一ヶ月くらいで、TRAUMAを整理しつつ、(いやこれはいいすぎ。認めつつあるだけ。今まで見えないふりしてたから。)、ぐちゃぐちゃになってとっちらかってた身体と心を調えてる。

あんまり絡まっちゃってて自分がどこにあんのかわかんなくなってたから。

絡まってる事に気づいてそれが苦痛だからどーにかしようとしたのが、このPAGEを始めようとした動機。
2000年。

STARTから数えると2年くらいは絡まってるー!って訴えて、それは言わば赤ん坊の泣き声。

泣いてる事で欲求不満は解消してるけど、誰がなにをしてくれるわけでもなし、
自分の力でそろそろどーにかしましょうかねぇ・・・って腰を上げだしたのが、2002年秋。それから半年。


シンクロニシティって、そんなに感じた事なかったけど。
ここんとこ、出会う本の縁を感じてる。


良いんだか悪いんだか、Enagy Flowを感じる。
ここは一つ笹舟になって、乗ってみようと思う。

結局、退屈してるってことなんでしょうねぇ。





2003年04月13日(日)

岡崎京子の『へルタースケルター』の不穏

岡崎京子の『へルタースケルター』が手元に届いて、そのあまりの突っ走り方に気分が暗くなった。
あんまりに自分や世界観を追い詰め過ぎてて、苦しい。

たけしの事故の前もそうだったけど、こんな作品を読むと、何一つ偶然なんて物はなく、
全てはエネルギーの波であり、たまたま現実世界で事故のような形で噴出したものだけが事件として記憶に残るけれど、それは単に一部高く上がった波頭に過ぎないのかもしれない。

そのうねりを。波の下で重く走る海流を。
見えていた人も不安に思っていた人もいたかも知れないけれど、
だからと言って止める事が出来たとも思えない。


事故でなくとも、何らかの形で噴出したのではないだろうか?
エネルギーを溜めたままではいられない。

もしかして、宝くじにあたるといった、一般にLUCKYと言われる形をとったかもしれないが。
なににせよ。

波は高く上がったのでは。ないかと思う。

運命と自由意志って、何度考えてもわからない。
『へルタースケルター』の読後感はあまりに不穏だ。
その後の事故を知らなかったとしてもやばいと思ったはず。

なにが"やばい"かはともかく、ざわざわした不吉な波動を送ってくる。

運命だったのか。
それとも自由意志だったのか。
自由意志だったとしたら、どこからなら戻れたのか。
何を選ぶ事で、結果事故にたどり着いたのか。

『へルタースケルター』は傑作なのかも知れないけど、きつ過ぎて好きとは言えない。
『リバース・エッジ』とか『チワワちゃん』の方が、愛がある分、息つける。

突風が吹いたり、寒かったり、雷がなったり、天気予報に反して突然雨降ったり、最近の天気もまた不穏だ。
にも負けずに桜がまだちらほら残ってたり、八重桜が咲き出したりしてて。
そんなこんないろいろあるけど、律儀に地球も季節も回ってるんだなーって思うと、
その不変がありがたいような、面倒なような。

それにしても、太陽ってむちゃくちゃ遠くにあるのに、腕に日の光があたるとぽかぽかとぬくくて、
ずーっと真っ暗で真空で静寂な宇宙渡ってきて大気圏抜けて、雲抜けて排気ガス抜けて、ようやく届いて、それでこんなに暖かいんだから、太陽っていう星はそりゃもうultra凄まじく熱いんだろうなーと、
幼稚園児のようなことを考えてしまうのでした。





2003年04月10日(木)

アメリカの"終わりの始まり"って気がする

ananでの木村くん10連覇って、なんか"しこみ"っぽい・・・。

それはともかく、戦闘はほぼDONEのようです。
アメリカもイラクもまだ"終わり"ですとは言ってないけれど。

これからどうイラクの秩序を守るか、実はこれからが大変なのです。
戦闘に勝っただけです。これは"始まりの終わり"にすぎないと言ってる人もいる。
私はアメリカの"終わりの始まり"って気がするけどなー。

寒いね。
春らしい色が着たいのに、寒い。でもセーターやオーバー着れる気分でもない。
なんか、ここんとこ、毎日「寒いよー寒いよー」って言ってる。

ずっと黒MAINな人だった。それ以外もはっきりした色を着る事が多かった。
黒は基本だから、それに汚れが目立たないし、何にでも合う。
つまりCost Performanceがいい!ので、軸には置くと思うけど、最近PALEな色に惹かれるんだ。
しゃけPINKとか、IVORYとか、薄いGRAYとか、BEIGEとか・・・。

そういう色は似合わないと、えっと、つまり母に言われてきたけど、着てみなくちゃわかんないもん!

着てみたいんだもん!!!

"あなた"は似合わないかもしれないけど、"私"が似合うかどうかは、あなたに決められたくない。
と、今更ながらに思うわけですよ。

柔らか〜い感じのを着たい。
ただ、柔らかいのって、つまり薄いから冷え性は冷えるんだよねー。
ここは腹巻参上!でしょうか。

参上って言えば、WEBで見たNEWS写真で、それはバクダッドの宮殿のだったんだけど、
アメリカが床に書いた文字を中心に撮ってたのね。

"U.S.A were here"とかなんか書いてあって、
で、その写真の日本語のコメントが"アメリカ参上"だったのには、明らかな揶揄を感じて、ちょっと共感笑いしちゃった。









2003年04月09日(水)

松井デビュー

この間知ったのだが、ペタジーニが4試合連続ホームランとかやってたらしい。
知らなかった・・・。って、知ってる人いた?

本日は松井の本拠地デビュー戦。
ペタジーニがホームランで松井4タコでも一面TOPは"松井"であったろうあたりが、大笑い。

まさか満塁ホームランとは!

松井って言って思い出すのは、N.Y.行きを発表する記者会見での、喜びが感じられない悲壮な顔。
裏切ったとか見捨てたとか。そんな圧力を旅立つ若者に背負わせた奴がいたことを忘れちゃいかん。
だれか、ナベツネにコメント取りに行ってくれ。

昨日は、風に押されて赤信号の横断歩道に踏み出してしまった。
今日は予想外の雨。めちゃくちゃ寒い。
世間は荒れ模様だけど、なんか私はよーやっと凪めいてきましたよ。








2003年04月07日(月)

母の呪い。

化粧室で鏡に見入ることが出来なかった。
自分一人だとまだなんとかなるんだけど、何人かいると、恥ずかしくなってしまって、
鏡の中の自分と目を合わせられなかった。

綺麗になることに臆してしまう。いや、結果綺麗だとかそういうことではなく、自分を女として演出することに。
念入りにお化粧直しなんてとんでもなくて、洗って濡れた手を髪の毛になすりつけて、逃げるようにその場をさる。

一体何を気にしていたんだろう。
改めて振り返って、その抑圧の圧力の大きさに身震いがする。

ここ数年、ちょっとずつびくびくしながらもガーリッシュに踏み出してきてるけど、
きっと原因に気づかないと、根本は解決しなかったんじゃないだろうか。

女を匂わせてはいけなくて、(可愛い服はどーせ似合わないよ。)
頼りになる存在で、(しっかりして頭が良くて嬉しい。)
愛想笑いを笑われて、(おすまししちゃって可笑しいの。ほら見てやって。笑っちゃう〜。)
デートの時に服を着替えて出かけることに文句をつけられてー。

つまり、呪い。
母の呪い。

完全無欠の存在はいないから、瑕疵を責め立てる気は無いけど。
そんなもんにずーっと縛られて、自分を押し込んできたんだなぁって思う。

きっと、母に押し込められたのではなく。
自分の中に母を作って、その架空の母にずっと縛られて来たんじゃないだろうか。
彼女はきっと覚えてもいまい。

父が半ば不在の中、生存権(食料とか養育とか)は母だけにかかっていて、唯一の命綱だった。
あらゆる子供はそもそも親に生殺与奪権を握られている極めて無力な存在だけど、
それを日常で意識しているか否かの違いは大きい。

まえに、A.C.の本を読んだ人から、私の事を思い出したと言われた。
心当たりは無いがーと思っていたが、きっと自分の中の母のために、ずっと都合のいい子を演じてたその窮屈さが出たんだろう。

一体何のためにそんなことをやってたんだろうね。
母は私をばりばり愛してて、私を妨げる意図などさらさら無く(少なくとも意識上)、
私は愛している母を傷つけたくなかった。

それに好かれたかった。

でも、もういいやぁー。
なんか疲れちゃった。もうこれ以上時間を無駄にしたくない。

とはいえ、大丈夫だろうか。これからちゃんと自分を産みなおして、しつけて育てていけるだろうか?
でも、このままかちかちに緊張したまま手足も伸ばせずに過ごすのは嫌だ。

だから、ちょっとずつでもちゃんと自分を愛していく。
で、けなさない人を回りに引き寄せるんだ。
誉めて可愛がってくれる人が絶対どっかに居ると思うの。

60億いるんだから。








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