少量のご飯を炊くのに 『文化鍋』 を買いました。 直径20cm、4合炊きのものです。もう3度ほどご飯を炊きました が3合ほど炊くのがちょうど良く、炊き上がりもなかなか良いです。
5合以上はなるべく羽釜を使い薪で炊く ようにしています。2〜3合の場合、今まで は土鍋で炊いていましたが、余熱を考慮 して火からおろすタイミングがとりずらく、 そのせいかどうも炊き上がりがべたっとし たようになり不満でした。その点文化鍋は 火からおろすタイミングが明瞭で実にパリンとしたご飯が炊けます。 土鍋に比べると吹きこぼれが多く少々レンジまわりが汚れるのが 難点ですが、野外で七輪を使って炊けばそれも気になるほどでは ないでしょう。
大正デモクラシーから始まった欧米式の生活が戦後の復興で一気 に浸透し、旧弊な日本式のものとの差別化を意識してかなんにでも 文化という冠をつけて売った時代がありました。 『文化住宅』 『文化 包丁』 『文化こんろ』 などなど枚挙に暇がありません。今でも それは踏襲されていますが、逆に古臭く感じてしまうのはいかさま 滑稽です。文化という言葉は便利で良いもののように思われますが、 文化の中には捨て去る方が良いと思われる 『悪い文化』 も多々 あるように思います。例えば喫煙などは悪い文化の筆頭でしょう。
世知辛い世の中で、この暮も温かい正月がおぼつかない方々がいら れると報道されています。昨年の派遣村ほどではないにしろ、今年も それほど状況は芳しくないのが実情ではありますまいか?そんな中に あって炊き立てのおまんまがいただけるのは実に幸福なことです。 若い方のご飯離れが進んでいるようですが、この炊飯文化は日本人 の魂ともいえるでしょう。せめて私は一日本人として、飯の文化を 守り続ける所存です。美味しいご飯が食べたい方はご一報下さい。 炊き立ての飯と自家製味噌のお付けで極上の膳を差し上げましょう。 左様、おかずはやっぱり 『サバの文化干し』 ですかな。
今年もあと五日と押し詰まってまいり ました。餅搗き用のモチ米も精米してきま した。明日道具を整えて明後日搗きます。 お天気が気がかりですが、こればかりは 運任せですから祈るほかありますまい。 お話はガラッといつものようにゲビます。 今年は敢えて日報上では一切触れずに密かに継続していまし た悪酔い撲滅活動 『G-0(ジーゼロ)運動』 が、ついにゴール 間近となってきました。昨年、一昨年と挫折し、泥酔の挙句に あられもなくゲロを吐き散らかし、あえなく2年続けてG-1となっ てしまったわけですが、今年こそは完走したいと思います。
本日これからギターの師匠宅にお呼ばれで忘年会です。明日の 晩は餅つき前夜祭。明後日は餅つき本番、昼から鯨飲。あさって は年越し蕎麦打ち後お疲れ宴会。そして大晦日の大無礼講と、 あと5日の間にものすげぇハードルが続きます。然しながら 大好きなお酒ですし、節度を持って楽しく吞むことこそがこの 運動の本懐、今年こそきちんと完走してご覧に入れましょう。
あーぁ、書いちゃった。
ちょうど二ヶ月前、町内で早朝に大きな火災がありました。 たまたま蕎麦打ちで早起きをして外へ出て何気なく南の方角 を見て愕然としました。小高い丘の上の住宅がもうもうと火を 吹き上げて燃えていました。すぐに家人を呼び、暫く二人で 見ていましたが、火勢は強まる一方で遠くなのに手をかざせば 温かいのではと思うほどでした。8軒が絡む大火事で4軒が 全焼、怪我人がなかったことがせめてもの幸いでした。
普段から火を使い、陶器を焼くときは 1200℃もの温度の火を扱っているの ですが、今回の火事はそれはそれは 恐ろしいものでした。火元は空き家 だったらしく通報が遅れ初動の遅速 が大火災に発展したということらしい ですが、朝とはいえまだ明けやらぬ暗い空にごうごうと炎が 巻きあがるさまはまさに人為の及ばない、荒ぶる神を連想さ せるものでした。毎日のように大なり小なりの火を使ってい ますし、増して火のプロと自負する仕事ではありますが、あの 火事を見て以来とても火が怖くなりました。もちろん、今まで も小さな火であれ侮るようなことはしていませんが、大きな 火のその凄さを目の当たりにしたことで気持ちがバリッと 引き締ったように思います。
焼け出された方の災難を思えばさらに心は痛みますが、失礼 ながらあの火事を教訓にさせていただき、あだやおろそかな 扱いをしないよう、これまで以上に火を畏敬することを肝に 上書きをしました。
どうぞ皆様、この暮に火事など出されませぬよう、 くれぐれも 『火の用心』 をお願い申し上げます。
たくあんを漬けて一月がたちました。 水も上がり、良い香りがします。試しに 一本出して食べてみました。 が・・・ えらい塩辛い。こんなもんかなあと思い つつも釈然としないので、塩の量を調べ たら案の定間違えていました。干し大根 の目方に対して4〜6%の塩加減であるところ、糠の分量に対して の計算をしてしまったようで、ゆうに倍ほどの塩加減になってい ました。只今、塩出し中・・・莫迦に生まれついた上に努力を怠っ て算数が苦手なまま大人になったことを後悔しています。そうい えばいつだか靴作家の曽田さんに手打ち生パスタを差し上げた とき、これまた間違えて水1ℓに100gの塩を入れて茹でてねと 伝えてしまい、大迷惑をかけたことがありました。
若い頃の失敗ならいざ知らず、そろそろ50にもなろうといういい 中年がこのような失敗を繰り返すのはやはり、基礎的な能力に 障碍があると言うほかありますまい。 あーあ、怪獣ブースカの しょげたときの気分です。
しおしおのぱ〜
本年最後の窯の窯出しを無事に終えました。概ね良い窯でした。 教室もひと段落し、窯も納めて、ホッとしたら気が抜けてしまい、 今日はぼーっと過ごしてしまいました。やるべき最低限のことは しましたが、着陸した後の飛行機のようなノロノロとした1日でした。
画像は焼成中の窯の温度を視覚的に測る 道具です。ドイツ人のゼーゲルさんに因ん でぜーゲルコーンと言います。このコーン 焼成前は真っ直ぐな三角錐で、土の台に 10度ほど傾けて立て、窯の中の見やすい 場所に置いておきます。設定温度になる と溶けて倒壊します。画像奥はウチで使っているSK8番(1250℃)の 物、手前は最近信楽に行った方からお土産にいただいたもの。信楽 のはえらい溶けてます。この具合だと1300℃くらいにはなっている でしょう。俗に伊賀、信楽は三度焼けと言われるほど耐火度のある 強い土ですから、これほど焚いても作品はビクともしないでしょう。 弱い土ならドロドロに溶けてしまい形をとどめないことでしょう。
実は先日、窯にコーンを入れ忘れ1000度を越えてから窯の中を見て 気づき、意識を失いかけました。恐ろしい現実が直視できず 『何で? 誰が?え?ナニ?』 などと口走りながら窯の前に茫然自失しなが らも、遠のく意識を覚醒するべく二三発自分にビンタを呉れて立ち 直りました。よく考えればこれがなくても窯は焚けます。修行中の 貧乏なころはコーンが買えず、無しでも焚いていました。あの頃を 思い出して、久しぶりに窯の色と音と自分の経験をフル活用して 焚き上げました。結果は上々、少し慎重になりすぎて焚きすぎた 感はありましたが、問題はありませんでした。でもねえ、さすがに あの窯は出すときに恐ろしかったです。もうあんなことは無い様に したいものですが、便利なものに頼り切ってしまうのもいけないで すねぇ。両面の反省が残った窯でした。
今年はずいぶんあちこちに旅行をしました。こんなに動いた のは初めてではないかと思うほどです。2月に女房が京都へ 旅をしました。4月には揃って沖縄へ、夏には友人達と軽井沢 へ遊山をし、11月には常滑、更に釜石へ行って来ました。 出不精の私としては破格の旅三昧であったと思います。
画像は常滑旅行の帰りに知多半島を巡り、 美浜町の網元直売店で買ったシャコです。 とぼけた顔の甲殻類ですが、なかなかに 狡猾で手にはハンマーのような武器まで 備え、貝も割るというから侮れません。 活きの良いものは生でいただくのが美味 ですが、私は茹でたものが好きです。きれいな紫色にうであ がったのを丁寧に剥いてお皿に並べ、わさび醤油で食せば お酒が捗ることは請け合い、天ぷらにしても美味です。横浜 では小柴のシャコが有名ですが、近年めっきり漁獲量が減っ て漁業関係者は頭が痛いそうです。
私はもう今年はどこへも行く予定がありませんが、かかあは 何と今日からまた京都へ行っています。何やらアイヌ刺繍の 貴重な展示会があるらしく、研修と称して赴きましたが、展示 を見るだけに二泊三日はいかにも大仰ではありますまいか? しかしそんなことを言えばまた大不興を買うのは目に見えて いますから、寒〜い早朝に不平ひとつ言わず、新横浜駅まで 車で送ってやりました。只じゃぁ癪なので千枚漬けが食いてぇ なーと、耳元で囁いておきました。
さて今年もあと10日、どうぞ皆様お怪我の無いように、 何かとせわしない年の瀬をご無事で乗り切って下さい。
今朝は横浜新井町も冷え込みました。 本年納めの窯に火を付けたのが朝の5時、 その時点でざっくりと霜柱が立ち、日が 昇って明るくなるとバケツの水が凍って いるのに気付きました。さらに、屋根庇 からは5寸ほどの氷柱が一本。暖冬などと いう雰囲気は吹き飛んで、思わず箱根駅伝のベンチコートを着込み、 バケツの氷を割ってみたところその厚さ5mmほど、初氷としては厚い ほうでしょう。なんとも寒い寒い冬の朝でした。
そんな中、冬山での遭難のニュースなどを聞き、心が痛みました。 人間は死にそうにならないと生きている実感を味わえないのであろ うことは痛いほど理解できますが、死んでは花実が咲きません。 より、自分らしく生きるための行為として決死の冒険を試みる姿は 潔いものです。が、やはり生きて帰ってこそだと思います。今回の 遭難で生還された方はこの先随分とさいなまれることとは思います が、自暴自棄にならずぜひとも生き抜いて欲しいと思います。
地獄も極楽も、この世にあるのだとつくづく感じます。 それでも生き物は、生きるしかないのだと思います。 泣きながら、笑いながら。
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