陶 房 日 報  とうぼうにっぽう 
陶房かまなりや

2007年03月23日(金)      沖縄すば

鶴見のお寺へ墓参りに行ってきました。
彼岸の中日の翌日だけあって、どこのお墓も花盛りでした。
ちょうど昼時だったので、仲通り商店街の 『おきなわ亭』
で 『沖縄そば(すば)』 を食べてきました。

 沖縄そばは、そばというのは名ばかりの
 中華麺です。おきなわ亭では、隣接する
 沖縄物産センターの工場で自家製麺して
 いて、きもち縮れたコシのある平打ち麺
 は薄味のだしとからんで至極の美味です。
 そして、沖縄独特のトッピング丸蒲鉾と、
口の中でほろりととろける三枚肉が、南国情緒を醸します。
同じ日本という国でありながら、琉球王朝時代からの文化を
きちんと継承している沖縄には、中国との交流の影響が色濃く
残っていることが、この麺からもうかがえます。

なぜに鶴見で沖縄かは、はてなあと思うところです・・・
が、遠い南国の島 『沖縄』 の麺が横浜鶴見でいただける
ということには、一切異論はありません。

まーさむん、くわっちーさびたん。

おきなわ亭
http://www.okinawa-bussan.com/okinawatei/okinawatei.html






2007年03月22日(木)      彼 岸

 お彼岸になって、今日は温かな一日になり
 ました。去年ほとんど花のつかなかった
 辛夷も今年はたわわに花をつけました。
 藪椿も乙女椿もぼりぼり咲いています。
 山桜も開き始めました。
 おっつけ、吉野桜も咲くでしょう。

外に置いた釉のバケツの水溜りにはボーフラも湧きました。

(ええ δ γ ε σ α ことにもアラベスクの飾り文字)

ぼうふらを見ると、宮沢賢治の春と修羅の
『蠕虫舞手』 の、この一節が思い浮かびます。





2007年03月21日(水)      大勝軒

東池袋の 『大勝軒さん』 が閉店しました。
食べに行ったことはありませんが、つけ麺の草分け的なお店
だけに寂しい思いです。昭和36年開店といいますから、私の
生まれる以前から商いをしていたお店です。店主の山岸さんは
叩き上げの職人で、製麺からスープまで一貫したこだわりを
通し、日々研鑽を怠らない姿勢は、多くの支持者を勝ち得て、
小体な店ながら 『元祖行列のできる店』 として地方にも
ファンを多く持つ良店だったといえましょう。

 賄い食から人気メニューになったつけ麺、
 『特製もりそば』 は、麺の量が並盛りで
 260gというてんこ盛り、そしてスープも丼で
 供され、食べ終えたあとにはスープを割って
 飲む、そば湯ならぬスープ割りを出してくれ
 るとか・・・そして価格がなんと650円という
廉価!今時こんな良心的なお店は稀有でしょう。
昨日の最終営業には徹夜組まで現れ、ピークには400人の客が
行列を作ったというから凄まじいことです。店主の山岸さんも、
たかが個人商店の閉店にこれほどのお客さんが来てくれるとは
と、驚きと興奮を隠せないコメントを出していられました。

麺数寄としては、足を運ばなかったことが少々悔やまれますが、
横浜にも各所に暖簾分けの店があり、師匠譲りの実直な仕事を
していると聞きます。いずれ折をみて食べに行ってみましょう。

偉大な麺の先達の引退を惜しみつつ、
山岸さんの今後のご健勝をお祈り申し上げます。





2007年03月20日(火)      アルバイト

倅がバイトを始めるというので、自給を聞いたら800円も
貰えるのだそうで、少々驚きました。とはいえ私らの感覚は
もうすでにひと昔もふた昔も前のものになっていますので、
さして驚くほどのこたぁないのでしょうね、私らが学生の
頃は時給500円貰えりゃぁ高給取りでしたがねぇ。

 私が初めてアルバイトをしたのは16歳でした。
 植木屋の下働きで、1日めいっぱい働いて
 4千円だったと思います。それから数え切れ
 ないほどのバイトをしましたなぁ、板金屋、
 寿司屋の出前持ち、瓦屋、防水屋、土建屋、
 内装屋、交通量調査、コンサートの整理員、
 木こり、大工、稲刈り、芋掘り、養豚場の
 修繕、牧草地の種蒔、道路の舗装、藁葺き
屋根の解体、椎茸の原木伐採、鉄筋屋と。思い返してみると、
どちらかといえば体力を売る商売ばかりでした。(売る脳が
無いですからねぇ・・・)所詮はアルバイトですから、親方が
段取ってくれた作業をただただ消化していただけのことですが、
ちょっとずつ色々なことを学んだように思います。もちろん、
嫌なことも悔しいこともごまんとありました・・・

今は、使われる立場でも使う立場でもなく、ある程度自由に、
そのかわり全て自己責任で商売をしています。若い頃はバイト
は気儘で良いなあなどと思っていましたが、やはり、それ以上
でもそれ以下でもないアルバイトは若いうちのものでしょう。

商売はある意味で博打です。スリルのある日々です。
この射幸心にも似た喜びはアルバイトでは得られませんなぁ。





2007年03月19日(月)      ぎりぎり

2007年、声高らかに『Gゼロ宣言』をして三ヶ月、今日は
危うく公約を破るところでした・・・昨日は来春用の味噌を
仕込みました。作業終了後、仲間たちと労をねぎらいながら
の宴となり、嬉しくて鯨飲してしまいました。

 今回は大豆一斗五升ほどを仕込みました。
 午前中いっぱい豆を煮て、午後から豆を挽き
 麹と混ぜて樽に仕込み、道具を片付けて終了
 は午後4時、日の高いうちに始まった宴会は
 おおいに盛り上がり、引けたのはとっぷり
 10時過ぎ、いい塩梅にデキあがって床につき
ました。昏々と眠りこけ、朝、のどの渇きで目が覚めてみると
わずかに頭痛と悪寒がありました。「しまった!」と思っても
最早あとの祭り、恐る恐る起きて水を飲み、自分の体を確かめ
つつ覚醒していく意識に悪寒の増幅がないかを確認しつつ朝の
粥をすすりました。

幸い、朝飯を食べたあとにも発作は起きず、事無きを得ました
が、危いところでした。ぎりぎりでした。土俵際で残しました。
今日は反省をして呑まないことにします。しばらく休肝して、
また気を引き締めて『Gゼロ』 を推進していきましょう。

※『G0運動(ジーゼロうんどう)』
 二日酔いをしないぞという強い決意を込めた自戒的運動のこと。
 Gは吐瀉物(平たくいえばゲロ)の頭文字、横浜市の環境運動
 G30がモデルいなっている。2006年12月26日の陶房日報で宣言。
 あやういながら、めでたく100日間を達成、鋭意継続中。





2007年03月17日(土)      春場所

大相撲春場所が中盤を迎えています。
初日から二連敗の横綱は、少々ちぐはぐな相撲でしたが
ここへ来てエンジンがかかり、本来の強さを見せ始めました。

 栃東関が一人、気をはいています。
 が・・・いつも中日あたりから験を担いで
 髭を伸ばしたりと、内面の脆さを露呈する
 力士ですし、ここ一番で怪我をするという
 悪いクセもある人なので、ここからの後半
 戦が少々気がかりです。
そういった面を克服できれば、綱取りも夢ではないでしょう。

一喜一憂せずに、見守りたい今場所です。





2007年03月15日(木)      清 泉

新潟久須美酒造の 『清泉』 がラベルを変更して一年半。
やっとこの新しいラベルに目が慣れてきました。豪雨の被害と
地震の災害がたて続き、蔵が半壊するという被害まで受けたその
験なおしと、新しい時代への心機一転の旗印となるこのラベルは
浅葉克己氏のデザインによるものです。

 清涼さを象徴する青い横縞に、現代的な
 書体のロゴデザイン。全体にすっきりと纏まり、
 遠目に見てもはっと目に付く斬新な意匠です。
 がしかし・・・私はこのラベルが気に入りません。
 なぜか?・・・ズバリ!薄っぺらで軽いからです。
 今は新鮮さがあるので見ていられますが、もう
あと3年もすると、この手の現代的なデザインは発酵することなく
古びていき、飽きてしまうことでしょう。まるで、バブルの頃の
流行歌のように・・・
ラベルは蔵の体を表します。中身は変わらず清涼で美味なる良酒
ですが、薄っぺらなラベルに引っぱられ、中身まで軽薄なものに
変わることだけは回避していただきたいものです。

創業天保年間、良水で醸す銘酒は何百年経っても清涼でいて
欲しいものです。南無八幡台菩薩、神様仏様、松尾様。




 < 過 去  目 次  未 来 >


陶 房 日 報