私の雑記帳
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2011年06月23日(木) 乾いている

数日前、薬で朦朧とした意識のときに妹にひどい愚痴と妹に対する強い不満をメールにして送信していたことが、今日送信メールを消そうとして気が付いた。今更言い訳できない、酔っ払いの失敗と同じ。明後日、妹の招待でフォーシーズンズ丸の内に泊まるのだが、会うのが気が重い。

いつまで経っても情けない自分・・

現実は辛い。辛くて辛くて逃げたい。
でも、そんなときにパソコンやネットだけに逃げても救われない。
愚痴を吐くのは、ガス抜きとして必要とは思う。
でも、それだけでは救われない。

録画していたバラエティ番組(「サラリーマンNEO」)を見て一瞬いろんなことを忘れて笑った。笑った次の瞬間に悲しくなって涙が出た。
笑ったり泣いたり出来るうちはまだいいのかね?悲しいね。


2011年06月14日(火) 落ち込む

焦って焦って苦しい。

このままじゃいられない。
でもどうしようもない。
苦しい、苦しい、苦しい。

いつになったら、びくびくしないで
落ち着いた生活ができるのか。
語学を勉強したいし、ピアノだってまたお稽古したい。
趣味のこと、いろいろやってみたい。

でも私は一人ぼっち。

「こんなことも知らないの?」と
心の中では人を見下すくせに、自分は
そんな人間より下流にいる。
そんな嫌な人間だから、穏やかな生活に恵まれないのかもしれない。

不謹慎だけど、また入院したい。
病院はいい、そこに存在する大義名分があるから。

自分の居場所は自分で作るもの。
こんなところで、愚痴を吐いてたって
生活が変わりはしない。
まして、他人が変えてはくれない。

どうすればベストなのか、バカは私にはわからない。


2011年06月11日(土) 今週の覚書

先月に引き続き、今週の月曜(6/6)に面接に行った。
ガラスに加工を加える仕事、個人の電気店であった。パート4〜5人でやっている会社で、超地味である。面接で私はパートのみなの仲について聞いてみた。すると経営者は困ったような苦笑いで、仲は悪いという。ベテラン二人がお互いの悪口を言い合っているそうだ。もう、ダメである。そんなところで働けない。こんな末端の仕事でも耐えられるのはもう人しかないのに。面接はあともう1人くらいしかいないと言っていたから、どうなるのかとても不安だった。今回も、採用でも不採用でも憂鬱という状態、馬鹿みたい。

翌日に電話をくれると言ったのに電話はかかってこず、次の日に履歴書が返送されてきた。添えられた手紙の文面は文例集から抜き出して継ぎ接ぎしたような文章で、B5の用紙の全体から四分の一の上部に、改行なしで印字されていた。もう少し、上手に作れないものかと思ったが、そんな程度の会社の作業員の面接に落ちるのである。しかし落とされてほっとする自分もいるのである。

火曜日は一昨年壊れたエアコンを不動産屋がやっと交換してくれて、その工事の人が来た。部屋の片づけが一苦労だったが、恐ろしく散らかった部屋が見せ掛けだけでも少しは片付いている。精神衛生上、とてもいと感じる。どうせまたモノが溢れて雑然としてしまうのだろうけど、この爽快感を忘れたくない。

木曜日は、月に一度のメンタルクリニック受診。
先生が以前私が話した些細なことを覚えていて、驚愕。私はこの先生が好きなんだけれど、仮に個人的に親しくなったとしたら、仲良しにはなれない人だろうとは思う。
もう10年もお世話になっているが、先生も私のような患者にはもはや新しいアドバイスもないのだろうと思う。
お昼は、知人に誘われていてランチ。いつもの店がダメなので私が必死に探したところ、灯台下暗し、なんと地元近くにしゃれた店を見つけた。口コミも頗る良い。家具とかキッチン関係の日用品を扱う店が喫茶や食事もやっている。目の前が田圃というなかなかよいロケーション、遠くに富士山も見えたりする。こんな田舎にしゃれたお店、店員も感じがよく食事も地産地消で、よい感じ。伝票の代わりにレゴの小さな人形が置かれて、会計はそれを
レジに持っていくしくみ。また行こうと思う。

金曜は、父を誘って買い物に街まで行く。すっかり弱くなった父だが、体を動かす機会を作ってやらなければならない。今は小康状態のようなので、ゆっくりだけど歩いて買い物もして、いつもの生活の10倍以上歩いたようだ。
時々誘ってやりたい。
夕方、父の知人から速達でまた原稿をパソコンでうって欲しいという依頼が。PC知識のない私はどうしてもワードで作ることしか出来ない。しかしワードで作るのは本当に面倒でややこしい。簡単な旅行計画と会計報告書なのに明け方までかかってしまった。
その知人から来週は父と私を、鰻屋に誘われている。嬉しいけれど、ちょっと面倒。

今日はそんなわけで、寝たのがもう朝だったので、起きたのは11時頃。
惨めな自分をどうにか立て直すには、やはり工場の作業員のような仕事ではなくもう少しやりがいもあるような仕事に就かなければ無理なんだとは思う。でもそこには対人恐怖が付きまとう。
東京時代の知人に、なにか新しい事業を始めないかと何度も聞いているのだが、そう簡単にもいかない。

こんなふうに嘆き悲しみ愚痴をこぼし、私は年をとって朽ち果てていくしかないのだろうか・・?


pearl〈パール〉 |MAIL

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