私の雑記帳
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実は上京しようと思っていたGWだけど、お金がなくて断念。
昨日、電話代を払ったら、今月の生活費はもう数千円!しかない。 お金がないのは今に始まったことじゃないけれど、 もう少し、なんとかならないものか。
憂鬱なことこの上ないのに、最近また彼について思い出してしまって嫌だ。 彼は給料日が過ぎると、貸したお金の返済分として3万を振り込んでくるが、最近は電話すらない。 最後に会ったのは昨年8月、もう8ヶ月も前だ。 そのことは私に嫌というほど「彼は私を愛していない」という事実を思い知らせてくれる。今までも愛されているという実感もなく愛されているなどと心底思ったことはないが、そんな現実をわざわざ直視したくはなかった。 今度いつ電話をくれるのかわからない。かかってはこないのかもしれない。でももしはなす機会があったなら、そんな時また私は彼に愚痴か厭味を口走り、そしてまた嫌われる(疎んじられる)のだろう。 ああ、なんと愚かなことの繰り返しなのだろう。 愚かなことに愛されたいと思う。ただただ愛されたいと思う。
私は彼を憎んでいる。だから、二度と助けない。
私の心の中にあるいくつかの錆びは、決して消えはしない。 憎しみは人を幸せにしてくれない。だから私も幸せになれないのだろう。
ミクシィの日記は友人も読んでいるので、こんな暗い愚痴日記はかけない。特に彼に対する屈折した気持ちはここにしか書けない。 彼に対する憎しみの気持ちは、少しだけ私を奮い立たせてくれる。 このまま惨めに終わりたくないと。いまはこんな状態でも、必ず立ち直ってみせると。そのためには、私自身がきちんと自分で生きなければならない。 身体の調子が悪くても、衰えがひどくなっても、まだきっと頑張れる。
| 2007年04月26日(木) |
「虹とスニーカーの頃」 |
昨日のNHK番組でチューリップの特集を見た。 「虹とスニーカーの頃」を聴くと私が中3、受験生だった頃を 思い出す。私はこの曲でチューリップを知ったようなものだが、 その前から十分にメジャーであった。 時が過ぎ、みな平等に歳をとったが、 財津和夫は渋くてまだまだかっこよかった。 解散はさみしい。
☆
2000年から「3年日記」を時々付けていた。 たぶん2005年頃までは書いていたように思う。 離婚する前のことから、離婚後2年くらいまで。 まさに日常の記録であった。
何を食べたとか、どんな一日だったとか、 子供の記録もある。 でも、思い出したくないことも書いてある。 すでに忘れていることでも記録として残っている。
その「3年日記」を今日突然全部捨てた。 残したい記録については、残念だけど仕方なかった。 これを捨てられたら、私の物への執着もかなりなくなるような 気がした。 さっぱり生きたいのに、物が溢れて捨てられない。 私はかなりの重症だが、これですこし身軽になれるだろうか・・・ 思い出に溺れるだけが人生じゃ、つまらない。
映画「東京タワー」舞台挨拶のmixiニュースで、
<長女の内田也哉子(31)と初共演したオカン役の樹木希林(64)>
とかいてあるが、これは違う。初共演ではない。 NHKドラマ「花へんろ〜風の昭和日記」のたしか第二シリーズで 親子の役で共演している。その時の内田也哉子の芸名は、 たしか、小きりん だった。(希林の子だからだろう)
当時は子供だから芸暦には入れないのかもしれないし、 子役時代は封印なのかもしれないけれど。
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