私の雑記帳
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かつての自分の愚かな行動を思い出さないようにしていたのに、昨夜はなぜかふつふつと記憶がよみがえってきて、とても苦しくなる。 あんなバカな事をしていた自分がいまでは信じられないほど。たぶんこれからも、時々こうして思い出して苦しむ事になるのだろう、きっと一生。
求人誌を見ていると、自分がいかにダメな人間であるか痛感させられる。 甘えた事を言っている場合ではないことは十分に自覚しているつもりだが、私が勤まりそうな仕事がない。先刻妹に言われたことだが、私は興味のないことは結局のところ続かない。では、何に興味があるのかというとそれもわからない。事務も嫌だが接客や営業はもっとダメ。 そもそもがおっかなびっくりの状態なのに、ここのところの肉体的な衰えを思うと、何を初めてもすぐにダウン(精神的にも)してしまうのが目に見えている。 そう思うと、私は全くダメな人間なのだと思う。 どうしたらいいだろうか、先々のことなど不安で仕方がない。すでにいま生活していることさえ、もろい基盤しかないというのに。
ここのところ、すこし躁状態ではなかったかと 思われるほど、衝動買いをしてしまい途方にくれている。
昨日から次女が嘔吐で学校を早退し、今日は休んだ。 高熱も出て、弱っている子供を見るのは 親としては辛い。 しかし私も、ここのところ胃がむかむかする状態が続き ひどい頭痛も続いている。 風邪なのかよくわからないが、調子が良くない事だけは 確かで、寝たり起きたりの生活になっている。
それよりも気になるのは、私の記憶力の低下である。 気のせいというか加齢によるものですませていいのか 心配になるほどひどいのである。 人の名前が思い出せない。何をしようとしていたのか 思い出せない。 思い出せないことがたくさん。 ここ3〜4カ月くらいでものすごい勢いでひどくなっている。 いきなり病気だと短絡的に考えたくはないが、 「一体、なんだろうか」と悩む事に困っている。
明日はPTAの係の仕事で学区の巡視(自転車で)当番である。 たいしたことではないけれど、知らない人たちと組んで 「こんなこと、なんの効果があるのだろうか・・」と思うような 不毛な活動に、面倒くさいと思う気持ちが強い。 いま、胃が気持ち悪くて頭痛もあるのに、出かけたくないが 行かねばなるまい。
もうじき年度が変わる。 そうしたらまた家庭調書なるものが何枚も渡される。 親の職業(勤務先)や、保険証の番号まで書かなければならない。 うちのように、現在無職であると書くみじめさ、 保険証がないと書くみっともなさ、つくづく自分がなさけなく思う。 私に人並みの甲斐性があれば、こんなみじめな気持ちにならなくても済むのに。
| 2007年02月16日(金) |
もう未来を通りすぎたのだ |
私はいつも不機嫌である。
生活の基盤となるものがないことが大きい。
何とかしなければとは思うが、世間に出て行く気力とか 勇気とかエネルギーが足りない。 軟弱というか根性無しというか。
20代のバブル絶頂のころ、私は東京の小さな出版社で 働いていた。当然、貧乏でお金はなく、したがって 欲しい物も買えなかった。でも、若かったから、まだ未来があると 信じていられた。 「いつか、いまの状況を抜けてなんとかなる」と夢のようなことを 漠然と信じていた。 だから貧乏でも、かまわなかった。
今は、中年ババアとなり、未来もなにもない。 娘二人との3人暮らしも来月で5年目に突入する。 この4年はいろいろあった。 不安定な母親に娘たちも大変だろうと思う。 私には確固としたアイデンティティーのようなものがない。 だから、後悔してばかりの人生である。 本当にここ数年間の出来事は、吐きたくなるような 無様な醜いことばかりで、なるべく思い出さないようにしているが それでも、時にはふと思い出して苦しくなる。 どんなに辛い事があっても、昔は頑張れたのは 「未来」にはきっとマシなことがあると信じていたからだと思う。
中年になったいま、私の思うような夢など何も叶わなかった事が 嫌というほど日々胸に突きつけられている。 鏡を見て思う。私がどんなに若く見えたとしても、もうこの衰えは どうにもならない、と。 お金もなく、若さもなく、きれいでも可愛くもなく 生活能力のない、理屈っぽい女が私なのである。
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