私の雑記帳
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いろんな自分の荷物を少しずつ処分している。 そんな中、以前から探していたオフコースのカセットが出てきた。 20年以上も前の曲ばかりだが、どの曲も素晴しくて懐かしい。 ここ数日はジャニス・ジョプリンにどっぷり浸っている毎日だが、昨日からはオフコースも加わった。音楽は私の心を本当に慰めてくれる。
Fと再会した三月に、私に書いてくれたラブレター代わりの歌は ジョン・レノンの「LOVE」の歌詞であった。 私の人生の中でも数少ないロマンチックな思い出なので 今や未来はどうなろうと、あの時のことは一生忘れないと思う。 Fはジョンが好きらしいが、私は好きではなく むしろポール(&ウイングス)派なので、割に気が合わない。 で、オフコースを聞いていると「I LOVE YOU」という曲には ラジオから流れてくる風の、ジョン死亡のニュースが流れる。あの事件はそんなに昔だとは思えないけれど、ジョンが死んだとき、彼はまだ40歳だった。(そんな若かったとは・・) ジョンにもpeaceにも興味はないが、オノ・ヨーコにはいくらか関心がある。夫が射殺されてからの長い人生を彼女はどうやって乗り越えてきたのだろうか。
リンダ・マッカートニーは乳ガンで死んだが、ポールは再婚した。 そういえば、ジョージ・ハリスンも癌で死んだ。
ジャニスがドラッグで死んだのは最後のアルバム「pearl」が発売される直前で、彼女はまだ27歳だった。1970年10月というから今年でもう35年も経つ。
出来ることなら、もう一度70年代に戻って音楽を聞きたいと思う。いかにせん、当時の私では幼すぎた。私の音楽の情報源はラジオとFM雑誌だけだった。 初めて行ったコンサートは75年のカーペンターズ。それ以前の音楽となると、リアルタイムというのはほとんどない。
私もずいぶん歳をとってしまったと、しみじみ思う。
昨夜は、深夜まで求人誌を見ていたが、 何一つ見つからず、自分がとことん無能な人間に思えて情けなくなった。
再び習慣になってしまうのが怖くて、 睡眠薬を飲まずに寝ようと試みたせいか、 悪い夢を何度も見て、その度に目が覚めた。 疲れを癒すはずの睡眠で、どっと疲れている。
・・・
夕方、同級生がやっている美容院に、長女の髪を切りに行ったところ 娘の同級生(超超イケメンの男の子)のお母さんも来ていた。 なぜか「(卒業で)もうすぐお別れですね」と言うので、 「(私学を)受験なさるのですか?」と私が聞いたら、 「うちは○中(公立)ですが、S子ちゃんは雙○を受けるのでしょう?」と言う。 「そんな頭もお金もない」と即刻否定したが、 なぜ、そんな話しになっているのかわからない。 同じクラスに英和を受験する子がいるが、そのうちは 会社経営をしていて、有名塾にも通っているし、何から何まで うちと生活レベルが違う。 「てっきり、S子ちゃんは雙○を受験するのだとばっかり思ってた」と言われたが、学力レベルも経済的にもその他、何をとっても遠く及ばない私学受験の噂が流れているというのが惨めな気持ちに拍車をかける。 母子家庭で福祉の世話になっている家の娘が私学など行けるものか。
イケメンの母に「卒業式は洋服?」とも聞かれてしまった。 そういえば英和を受験する娘さんのお母さんは確か入学式の時に着物だった。 私は、着物を持っていない。 着物を着たいわけではないが、そういう会話から浮いている自分が身に沁みる。
長女は帰ってから急に塾に行きたいと言い出すし、その理由もはっきりしない。 なんとなく塾というものに行ってみたい好奇心だけだと思うが そのセリフが、今の私には更に追い打ちになる。
ピアノのことといい、私学受験の噂といい、 なんでこの時期の私に重なるのかねぇ。 いろんなツケが一気にまわってきたのかもしれない。 私はなんだかんだ言いながらも、結構ずるく生きてきたところもあるわけだから、ここで帳尻があうように出来ているのかもしれない。 きっと、いまが頑張りどき。
| 2005年11月10日(木) |
「栄光の架け橋」伴奏 |
今日も職安に行き相談員と話すが、すぐに見つかる可能性は低いから地道に探してはどうか、と言われる。
長女が、小学校の合唱の伴奏に選ばれた。 オーディションらしきものがあり、娘よりレベルの高い子もいたが何せうちが一番早くから楽譜を渡されて練習してきたせいもあり、完成度ということで長女が選ばれた。 しかしながら、ピアノが家になくて、オルガンに毛が生えた程度の超旧式のグラビノーバ(しかもヤフーオークションで購入)しかないのは、いかにもさみしく娘が可哀相。 お友達でもあるピアノの先生とも話したが、グラビノーバではどうしても鍵盤を叩きつける弾き方になりがちだということ。それは私自身がよく知っている。 惨めな我が家の娘がピアノを習っていること自体、贅沢だと思うし、伴奏に選ばれてしまって晴れがましい気持ちとよそのPTAの目(耳)がとても気になる。娘の学年は約140人いて、ピアノを習っている子は何人もいるし、確実にうちより上手な子も何人もいる。
たぶん音楽の先生が娘に目をかけてくれているのは、たまたま以前、私とアルゲリッチを聴くためにサイトリーホールに行ったことがあり(当日、アルゲリッチは病欠だったが)娘がその話しをしたからだと思う。こんな田舎に住んでいて、サントリーホールに音楽を聞きに行っただとか、アルゲリッチは聞けなかったが共演の教科書にも出ていたマイスキー(チェロ)は、生で聴いたとか話したらしいので、先生の関心を引いたのだと思う。(ちなみに、その先生もサントリーホールに行ったことはあるそうなので) べつに親の私が音楽に造形が深いわけでもないし、高尚なわけでもない。教養という意味では皆無である。あ〜ぁ。
娘の伴奏の本番は1度だけではない。 父兄の見学がない、学校内の生徒だけの行事ならともかく、中学も含めた学区の大会でもその合唱をやることになり、そこで最初の伴奏本番がある。そしてその1週間後、月末の土曜日に家族参観があり、5時間目に全学年が体育館で合唱をするが、その時の6年の合唱でも娘が弾く。まるで運動会の時に弾くというのと一緒で、どちらもよりにもよってPTAが山のように集まるとき。 そつなく弾き終えれば、とてもいい思い出になるだろうが、失敗した時のことを思うと、複雑である。
長女はピアノが長いこと嫌いだったこともあるし、家にピアノがないこともあって、決して人より優れているわけではないから。今年のピアノの発表会も身の程知らずの曲を選んで、やはり失敗している。
私が見栄っ張りなのかもしれないけれど、 惨めな思いはさせたくないと思う。 これが他人の子なら「きっと、大丈夫」なんて 私も気休めを言うだろうけれど。 そんな親の気持ちを察して娘は「先生に、断ってこようか?」と言う。 本当は弾きたいくせに。 卑屈な親を持つと子供は余計な苦労をする。 ともあれ、5年生の時はリハーサルばかり弾かされて、本番は ピアノの先生の娘さんが弾いたという寂しい思い出もあるので 1度でも本番でひけるというのは、ありがたいチャンスだと思う。 本人のいい思い出になればよい。
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