まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2008年11月30日(日) 心に残ったお話…「愛馬の励まし」より

今週は、12月にも突入だし、
季節的にも、どんどん寒くなっていくし、
それに、このところ、寒々しいニュースが多いので、
本から見つけた、心があたたまるようなお話を
紹介したいと思います。



今日のお話は、
鈴木秀子さんの本からの紹介です。
鈴木さんの本は、どの本も、
心があたたまる、心がきゅんとするような
お話がいっぱい書かれています。




今日紹介する本は、短めのお話が35ほど
書かれている小さな本ですが、おすすめの本です。
クリスマスのプレゼントなどにもいいと思います。



「幸せに気づく時間(とき)」
鈴木 秀子著










さて、今日のお話は…
「愛馬の励まし」

(142P〜145P)



北海道のある農家の話です。
それまで馬で田を耕していたのですが、
機械を導入する必要に迫られ、
馬を手放さなくてはならなくなりました。
家族みんなでかわいがってきた馬です。
しかし、経済的に苦しく、
飼い続けることはできないのです。



「こんなによく働いてくれたのになぁ…
 最後まで看取ってやりたかった、
 本当に、ごめんな…」




馬が引き取られるまでの一週間、
家族たちは馬の体をさすっては涙をこぼし、
謝り続けました。

引き取り手が現われ、
馬を引き渡しました。

家族はみんな、立ちすくんで
馬に近づくこともできません。




すると、馬のほうから、
家族に近づいてきて、
空に向けて
大きくいなないたのです。
明るく大きな声でした。





その瞬間、家族たちは
心に太陽の光が差してきたような、
不思議な感覚にとらわれました。

この愛馬は、身をもって、
自分たち家族を助けようとしている……
そう感じたのです。




凛々しい姿は、家族たちが大地を踏みしめ、
困難に負けないよう力強く生きていくようにと
励ましているかのようでした。
父親が言いました。



「この馬はワシたちに、
 勇ましく生きていくようにと
 励ましているんじゃ。
 しっかり生きていくことが、
 この馬の愛にむくいることじゃ。
 頑張ろうやな」





皆、うなずきました。
そのとき、馬の輝く目から
ひとすじの涙がつつと流れました。
そして、馬は去って行きました。





その後、家族の道のりは
平坦ではありませんでした。
それでも、一つ一つの困難を乗り越え、
今の力強く農業に取り組んでいます。

家族たちの心のなかには、いつも、
無償の愛を送ってくれた愛馬がいます。
つらいとき、苦しいとき、
愛馬の励ましを思い出すと、
勇気と生き甲斐が体に湧いてきました。
そして、厳しい北の大地でも
たくましく生きて行こうと
心に誓うのです。


           〈ここまで引用〉




私は、この話を読んで涙がこぼれました。
心にとても残ったお話でした。



「馬さん、
 ありがとう…」




そう思わずにおれませんでした。
何かが、誰かが、
無償の愛を与えてくれ、
励ましてくれる…
こう実感できることがどんなに
力強い生きる力となるか、
そんなことを考えさせられました。






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2008年11月27日(木) 余裕があるときにチャレンジしてみたこと

今日は、ちょうど一ヶ月前、
「余裕のあるときでないとできないこと」
で書いた、栗ご飯をまたまた作った話だ。

栗ご飯は、栗をむく手間がかかるので、
気持ちも時間も余裕がないときでないとできない、
そんな料理の一つだと、私は思っている。
先日の3連休は、腰痛のために家にいたので、
時間があり、栗ご飯を炊いてみたのだった。



しかし、今回の栗ご飯は、
前回の栗ご飯とは違う。
どこが違うかと言うと、
見た目とか、味でなく、
栗のむき方が違うのだ。

友人が教えてくれた
「簡単な栗のむき方」で、
栗をむいてみたのだ。




このやり方だと、栗がつるりんと
むけそうだから、前回の栗の皮をむく
「栗くり坊主」を使わずにすむのだ。
栗くり坊主を使うと、手が痛くなっちゃうから、
とてもありがたいことだ。




そんなわけで、
この簡単な栗のむき方、を
実際にやってみることにした。





このサイトによると、
簡単な栗のむき方の手順はこうだ。

 1. 沸騰した湯に、栗を入れて3分間茹でて火を止める。
 2. 手で触れるくらいになったら、お湯から栗を
   一個ずつ取り出し、丸い側にぺティナイフで
   切れ目をいれて硬い皮をはがすようにむき、
   渋皮をむく。
 3.渋皮が残ったらナイフで削り取る。




これなら、簡単そうだ、と私はほくそ笑み、
たっぷりと鍋に湯をわかし、栗を入れた。




「3分ね、3分」




ゆでるのは3分だ。
そこで、キッチンタイマーをセット。
そして、栗たちをゆで、
きっかり3分に火を止めた。








どうやら、このまま、
手を入れられるほどさめるまで待つらしい。
ということで、手が入れられるほど、
20分ほど待った。
あまり栗が熱くても、むけないからね。

手が入れられるほどになったので、
いよいよむいてみることにした。



「よっし、むくぞ。
 つるりんと、むけるか?」




私は、わくわくしながら、
お湯から栗を取り出し、ナイフを丸い方から、
さして、栗をむいてみた。




「どうだ?」



「ん?……」



「あれっ、つるりんとは
 いかないね」





もうひとつやってみよう。
一つ目はうまくいかなかった。
栗が悪かったのかもしれない。




「どうだ?」
「おっ、今度は、少し
 皮がむけそうだぞ」





2つ目は、少しだけ皮が
つるりんとむけた。



「うーむ…
 これは、なかなか
 サイトの写真のようにはいかないね。
 簡単にはむけないね…」




むけない栗は、いつものように
ナイフで皮をむかなくてはいけない。
私は、むけない栗は、ナイフでむいた。



しかし、何個がむいたら、
そのうちの一つが、やっと
つるりんとむけた。





「お、できた、できた。
 やっとむけたね〜
 つるりん、つるりん」





と、とても嬉しくなった。
ほら、これが、つるりん栗と、
結局ナイフでむいた栗だ。



(右側がつるりん栗)





そして、なんとか、
最後までせっせと
無心で栗をむいた。

その結果…
こう結論を出した。





「そんなに簡単に、
 つるりんとはいかないね」




結果的に、
つるりんとむけた栗と、
ナイフでむいた栗の比率は、
1:9くらいだったのだ。









もしかしたら、私のやり方が
悪いのかもしれないが、
(例えば、お湯をさます時間が
 遅かったとか)
または、栗のよしあしとかが
あるのかもしれないが、ともかく、
うまくつるりんとむくことは
できなかった。




残念!




でも、ものは試しだし、
やってみなければわからないしね。
なんでも、チャレンジだからね。

というわけで、簡単に栗はむけず、
いつも通り手間がかかることとなった。








でも、なんだかんだと言いつつ、
楽しく栗を皮をむき、
おいしい栗ご飯を炊くことができたので、
とても満足したのだった。








でも、悔しいので、
もう1回くらいチャレンジしてみる予定。
少し、やり方を変えながら。
うまくいったら、ご報告します。

みなさまの中に、栗の簡単なむき方を
ご存じの方がいたら、是非教えてくださいませ。
よろしくお願いいたします。






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2008年11月26日(水) 「これから、大変だね…」と勝手に思ったもの

先日の3連休は、遠出しようと張り切っていたけど、
季節の変わり目に、いつもひょっこりと出てくる
腰痛のおかげで、近場の買い物にしか行けませんでした。

最初の2日間は、天気もよかったので、
とても悔しくて、がっくり…
でも、身体からの「休め」の声なので、
いつもどおり、ゆったりと過ごすことに決め、
見そびれていたDVDを見たり、音楽を聴いたり、
たまっていた本などを読んだり、
家であたたかく過ごすことができました。
おかげで、すっかり痛みもなく元気になり、
連休明けから、ウォーキングすることができました。
よかったです。




ということで、今日は、
連休明けに見つけた、ほやほやの発見だ。
でも、発見したものは、





「あらあら、
 これからが大変だね〜」





なんて、思うようなものたちだった。
誰もそんなことを思ってないと思うが、
腰痛上がりの私には、そんなふうに
思えてしまったのだった。




最初はこれだ。
それは、こんな通りにある
韓国料理のお店で見つけた。









この店は、ときどき、食べに訪れる、
小さな韓国料理屋さんだ。
なかなかおいしいのだ。
で、この店の前に、
こんなものたちが山のように
積まれていたのだ。









「おっ、すごい
 白菜の量だね〜
 そっか、キムチを
 つけるんだね。
 これから、大変だ、
 腰が痛くなっちゃうね〜」





でも、キムチ作りは、白菜がおいしい
今の時期にやらなくちゃね。
この店のキムチはおいしいからね。
なんて思っていたら、店主が顔を出したので、
ちょっとだけ聞いてみた。



「これから、大変そうですね?」
「ああ、これを漬けるのに、
 なんだかんだ、3日間はかかるね。
 味が染みこんで、食べ頃は1週間後
 くらいかな、来てみて」




なんて、言っていた。
みんなで手分けしてやるとか。
そうだよね、これだけの量だから。
どんな量になるんだろうね、できたら。








作るのは大変そうだけど、
作る楽しみ、食べる楽しみがあるから、いいね。
今度、食べにきてみよう、
きっと、おいしいぞ、
なんて、思ったのだった。





さて、この店を後にして、
裏道に入っていくと、今度は、
こんな道でまたまた見つけた。









ほら、こんなふうに、
車の出入りを開け閉めするところが、
ぐんにゃりと倒れていたのだ。 










「あらら〜
 どうしちゃったんだろうね、
 これは、危ないね。
 直さないと大変だ」





昨日、風があったけな?
それとも、出入りの車でもぶつかったのかな?
などと思い、近寄ってみると、
確かに、端のほうに傷はついていたけど、
これが、ぐんにゃりの原因かどうかは、
わからなかった。

下のレールからはずれているのかも、
なんて思って、ちょっと持ち上げてみたけど、
私などで、直せるような簡単さではなかった。



「人んちだしね、
 直さなくてもね。
 私がやったら、もっと
 ぐんにゃりしちゃうかもね」




と思い、もちろん、
勝手に手を出すことはしなかったけど、
ぐんにゃりと道路にはみ出していて、
やや危険そうな感じだった。
夜になったら、もっと危険だね。
 







「早く直してもらいなさいね。
 でないと、ますます、
 ぐんにゃりとして、
 腰砕けになって、
 大変になっちゃうからね」




と、このぐんにゃりに声をかけてきた。


というわけで、連休明けに、
発見したものたちでした。
やっぱり、ウォーキングができると、
楽しいですね。






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2008年11月21日(金) 世の中、そうそううまくいくもんじゃないね。

《お知らせ》

22日(土)〜25日(火)まで、お休みいたします。
どぞ、よろしくです。 <(_ _)> 




さて、またまた昨日からの続きになります。


私は、ぎんなんがこんなに拾えたラッキーと、
でも、どうしてこれほどのぎんなんを
誰も拾わないのかという疑問を抱えながら、
せっせとぎんなん集めをしていた。

すると、そこに一組のご夫婦が
通りがかって、こんな話を始めた。



「おお〜すごい、ぎんなんの量だね」
「あら、ほんとだ、すごいわね〜。
 毎年、このぎんなんはすごいわね」




どうやら、ここのぎんなんは、
毎年、すごいらしい…
私は、この会話を聞きながら、
そのご夫婦の顔を見た。

すると、ご夫婦は私をみて、
にっこりと笑った。
それで、私は、こう話しかけた。



「袋の予備がありますので、
 もしよろしければ、
 おとりになりませんか?」





すると、
そのご夫婦は、
こう言ったのだ。

「あ、いやいいです。
 ここのぎんなんは
 小さいんですよ」
「そうなのよ。
 小さいのよ」





がーーん!!
ここのぎんなんは
ち・い・さ・い
のだ。





そうだ、そうだ、
私も何となくそうは思っていた。
でも、あまりの量にその小ささを
直視していなかったのだ…
ただただ量に喜んでしまって。

だから、このあたりの人は、
このぎんなんを拾わなかったのだ。
小さいからだ。




私は、この事実を突きつけられて、
ほうきとちりとりで集めて
ぱんぱんになった袋をしばし見つめた。

袋の中のぎんなんたちは、
満足そうにこちゃこちゃと
寄り添って、金色に輝いてはいたが、
確かに、確かに…
小粒っ子たちだった。









小・粒・だね…
ちっちゃいね…
だから、みんな
拾わなかったんだね。





そう実感した瞬間に…
このぱんぱんのたくさんのぎんなんを
後処理する手間と、その手間のわりに
小粒の小さいものしかとれないことに
かなりのショックを覚えた。

私が、袋の中をのぞいていると、
奥さんが、私の気持ちを察したように、
こう言った。



「その量だと、後処理に
 大分かかるでしょう?
 手がかかるのよね、ぎんなんは。
 大変ですね」
「……
 そうですね…
 かかりますね…」




そう言うと、このご夫婦は、
立ち去って行った。
私は、ため息が出てしまった。

今までのラッキーなんて喜んでいた気分が、
いっぺんに吹っ飛んでしまったのだった。
そして、思わず、
ぱんぱんの袋の中の輝くぎんなんたちに
こう話しかけた。



「あんたたちが
 悪いわけじゃないんだけど…
 あんたたちは、
 ちっちゃいんだね。
 だから、こんなにいっぱいに
 落ちているんだね。
 もうちょっと大きいと
 よかったね」




私は、力無く、ちりとりとほうきを
自転車カゴに戻し、ぎんなん拾いも
やめることにした。

そして、ずっしりと重いふくろを
持ち上げ、持ってきた袋で3重にし、
これまた、自転車のカゴに置いた。



どうしたものだろう。
これを全部、処理するのか…
大変な量だぞ…




そんなことをあれこれ考えながら、
家まで戻ってきた。
行きはよいよい、帰りはこわい、
って心境だった。
でも、ともかく、
どのくらいの小ささなのか、
いったん確認せねばね。

そう、自分を奮い立たせ、帰ってきてから、
ゴム手袋をはめて、ぎんなんの皮を
引き離す作業をはじめた。

そうそう、この作業の前に、
道路で、このぎんなんたちを
袋の上から、足でぐちゃぐちゃと、
踏みつけて、皮をとれやすくしておいた。
こうしておくと、皮がとれやすいのだ。
そして、その袋から、
一部を取り出して、手でもんで、
中のぎんなんの実を取り出した。



その実を、ちょっと前に拾ってきた、
ぎんなんと大きさを比較してみた。
すると、こんなだった…
どう思いますか?









ほぼ、実物大だ。
もちろん、右が、今日のぎんなんだ。
だいたい、1/2くらいの大きさだった。

これを見て、私は、全部の量を
取り出すことをあきらめた。
全部取り出す気力がすっかりなくなって
しまったのだ。



残念だね。
でも、仕方ないね。




せっかく拾ってきたのだが、
ほんの一部を取り出しただけで、
棄てることにした。

そして、キレイに洗い、
外にほすことにした。
大小入り交じっているぎんなんたち。
(もちろん、小が今日のぎんなん。
 大は、この日別のところで拾ってきた
 数少ないぎんなん)








そんなわけで…
大喜びではじまったぎんなん拾いは、
大きな落胆へと変わってしまった。
でも、私は、ちょっとだけ期待している。



昨年の経験では、大きいからといって
おいしいというわけではなく、
小さくてもおいしいぎんなんもあったのだ。
だから、もしかしたら、
この小さなぎんなんたちも、
「おいしい」かもしれないと。
そうあってほしいと。
そしたら、来年は、小さくても
また、拾おうと。




ということで、
ラッキーなぎんなん拾いの顛末でした。
世の中は、それなりのカラクリがあるんですね。
でも、味見をしてみるのが楽しみ。
すっかり干したら、食べてみます。
味がどうだったか、ご報告しますね。





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2008年11月20日(木) ラッキーだね、でも、どうしてこんなことが?

昨日からの続きになります。


私は、誰かに拾われてしまわないうちにと、
それはもう、大急ぎ足で家に戻った。
しかし、そうして戻っても家にたどり着くまで
25分もかかってしまった…(かなり焦る)

家に入って、スーパーの袋を何枚か取り出し、
(ぎんなんはにおうから、何重かにしないとね。
 それと、どのくらいとれるかわからないしね)

そして、こう考えた。
あのすごい現状からすると、
一個一個拾ったら、手間がかかる、
一気に拾うにはどうしたらいいか?




「そうだっ!!
 ちりとりとほうきだ。
 これを持っていけば、
 一気にとれるぞ!」





この思いつきにすっかりわくわくし、
いつもの「ぎんなん拾いセット」に、
我が家のベランダで毎日使っている、
ちりとりとほうきを加え、
「新ぎんなん拾いセット」として、
現場に持っていくことにしたのだ。





「準備は、完璧だ!」




そして、歩くより、自転車だと決め、
自転車を引っ張り出し、
「新ぎんなん拾いセット」を
詰め込み、大急ぎでペダルをこいで
現場へと急いで戻った。

実際のところ、カゴに入れたはいいけど、
ちりとりとほうきのえが長くて、
カゴにうまく収まらず、
視界が悪くなって、いつのもように
飛ばせなかったけどね。



しかし、今は、
そんなことを言っている暇はない。
ともかく急ぎ戻らねばならない。
なので、必死でペダルをこいだ。





大丈夫か?
誰にもまだ拾われてはいないか?
あのぎんなんたちは、
待っていてくれるか…
どうだろう…
どきどき…





そして、
ついにぎんなん現場に
戻り着いた。




すると…



大丈夫!!
まだ、誰にも拾われては
いなかった。

ああ、よかったぁ!!
さぁ、こうなったら、
思い切り拾わねば…





自転車から降りて、袋をとりだし、
手袋をはめ、新ぎんなん拾いセットの
ちりとりとほうきをとりだし、
ぎんなんを集め始めることにした。
そして、ほうきでどんどんかき集めた。
ほら、こんなふうに。









ぎんなんは、とりきれないほど
広範囲にわたって落ちていて、
いくらでもとれるといった状態だった。
ほら、脇のここにも…



ぼたぼた
ぼたぼた










しかし…
ここで、ふと、
疑問に思った…





「どうして、誰も拾わないの?
 こんなにたくさんあるのに…?」

「きっと、みんなぎんなんのにおいと、
 皮をむく処理がいやなんだね、
 だから、こんなにあっても
 拾わないんだね…」

「でも……
 このあたりにいる人なら、
 拾ってもよさそうなのに…
 なんで?」




この疑問が、私の中でどんどん
大きくなってきた。
こんないきなりの幸運に合うと、
どうやら、こんなことを考えてしまうらしい。

しかし、私は、この疑問を打ち消し、
せっせせっせと袋に、ぎんなんを詰め込み
15分ほどで、こんなにたくさん
ぎんなんを拾ってしまった。








しかし、まだまだ、
ぎんなんは山のように落ちている。
でも、これ以上拾っても、
後処理が大変だし…
どうしようかなぁ。

もっと拾おうか、
このくらいでやめにしようか…

しかし…
どうして、誰もこの
ぎんなんを拾わないのか…
拾いにこないのか…




などなどと、いろいろと
頭の中でいろんな思いが
渦巻いていた。

すると、そんなところに
一組のご夫婦が通りかかった。



そして、このご夫婦のひと言で、
私は、事実を一気に
知ることになったのだ。
この続きは明日書きますね。






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2008年11月19日(水) わぁ〜私のためにあるようだね、これは…やったねと思ったこと。

今日も秋の話だ。
秋と言えば、昨年も夢中になってやった
「ぎんなん拾い」…これですね。
昨年、拾う楽しさに目覚めて、
今年も拾うぞとはりきっていたのだ。

でもね、昨年は、
9月末〜10月初めに拾ったから、
それからすると、今年は大分遅いことになる。
昨年は、とても暑かったので、その分、
熟するのが、早かったのかもしれないが、
(真意のほどは分からない)
今年は、11月も半ば過ぎになった。
(昨年の話は→「ぎんなん拾い」




しかしながら、
今年のぎんなん拾いは、
昨年拾った場所にいっても
あまり落ちてなくて、
今年は不作かも…
なんてややあきらめていた。





そう思いつつ…
あきらめの悪い私は、
昨年ぎんなん拾いをした場所を、
てくてくと歩き回っていた。
もちろん、
オリジナル「ぎんなん拾いセット」を
袋に入れて持ってね。








でも、やっぱり、今年は少なかった。
少しずつしか拾えなくて、つまらなかった。
なので、もう今年は、ぎんなん拾い、
やめようと思っていた。




そんなある日。




今日は、ぎんなん拾いウォーキングでなくて、
いつも街ぶらぶらのウォーキングで行こう、
と決めて、ぎんなんセットを持たずに家を出た。
だって、ぎんなんセットは、
持って歩くと、荷物になるし、
何となくあやしい感じになるのだ。

そして、家から少し離れた、
いつもは歩かない道に入ってみたのだ。
こんななんてことない道だ。











すると…
ぎんなんのニオイが
してきたのだ。
ぎんなんのニオイは、
なんといっても
目立つからね。






「あ、ぎんなんのニオイだ。
 このあたりにもあるんだね。
 どこだろう?」





と、上を見上げて、イチョウの木を確認すると、
少し先に大きなイチョウの木が何本かあるのが見えた。




「あ、あそこだっ!
 このニオイからすると、
 あるね、あるねっ」




などと、ぎんなん拾いセットを
持ってないにもかかわらず、私は走り出し、
大急ぎで、イチョウの木の下に向かった。





すると…

「ひぇーーーー!!
 すごいよぉ〜〜
 わぁーーーー!!
 こんなに落ちてるぅ!!」





と、絶句するほど、
ぎんなんの実が落ちていたのを
みつけたのだった。
大きな道から、ちょっと入った
ところにそれはあったのだ。
ほら、こんなだ。












「ひゃ〜!
 好きなだけ拾ってけって
 感じだね、すごいね〜」




しかし、私は、このとき、
ぎんなん拾いセットを持っておらず、
袋も持ってなかったのだ。
袋がなければ、拾えない。



どうしたものか…
このまま、見過ごすか…

それとも、家にいったん戻り、
ぎんなん拾いセットを
持ってくるか…

でも、その間に、
誰かに拾われてしまったら…
どうしよう…

でも、これを見過ごすわけにはいかない。
こんな、私のために
落ちているようなぎんなんたちを
拾わないのは…罪だな。





などなど、頭の中でいろいろと考えた。
しかし、どう考えてみても、
きんなんたちは、私に
拾ってほしいと言っているように思えた。
そこで、私は決めた。




よっし。
ここはやはり家に戻り、
ぎんなん拾いセットを持ってこよう。
そして、このぎんなんたちを
いっぱい拾おう…





そう決めて、私は家に大急ぎで
戻ることにした。
誰かに見つかって、
拾われないように祈りながら…

そして、今度は、急ぐので、
自転車でこの場所に戻ってきたのだ。
新作の「ぎんなん拾いセット」を持って。



しかし…世の中、
そうそう、うまい話はないものだと、
この後、実感することになったのだった。
この話の続きは、明日書きますね。






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2008年11月18日(火) 世の中、いろんなものがあるんだね、と思ったもの

秋ですね〜すっかり。
秋になると、天気のいい日は、やっぱり
新宿御苑にふらりと行ってみたくなる。
先日も、行ってきたのだが、
本当にすがすがしくて、気持ちがすっと落ち着く。



今は、こんなふうに、
静かで美しい、秋のたたずまいを見せている。












ちょっと前は、秋の菊の花展があったので、
人がいっぱいだったけど、それが終わったら、
平日は、本当に静かになった。

新宿御苑はいつの季節も美しいけれど、
やっぱり秋がいちばん私は好きだ。
今度、この御苑の
「ガイドウォーク」(御苑内を案内してくれる)
に参加する予定だ。

秋の御苑の見所や、
秋に元気な植物たちを教えてもらおうと、
みてこようと思っている。
知らないことがいっぱいありそうだ。
とっても楽しみ。




さて、今日は、
そんな秋の新宿御苑もいいけど、
日常の秋の日もいいね、
って日にみつけた、またまた、
ちょっとした工夫に感心したものだ。
でも、今日は、植物ではない。



今まで、何年間もこのあたりを歩いているけど、
こんなものを今まで見たことが
なかったので、ちょっと感心したのだ。
それは、こんな道でみつけた。










「あれ、何かな?
 棒みたいのが立ってるね」





近づいてみると、
こんなものだった。









「あ、ポストなんだ!
 へぇ〜こんな形のポストも
 あるんだね〜
 はじめてみたね」





そう驚きつつ、もっと近づいてみると、
このポストには、なんと、
インタホーンもついていることがわかった。
小さなね。







どうやら、このアパートでは、
これから、連絡をするらしい。
この道路沿いしか、
設置する場所がなかったのかもしれない。




「ふぅーん……」




意味もなく…
妙に感心してしまったのだった。
かわいいというか、
おしゃれというか、
実用的というか、
工夫されているというか…




「世の中には、
 いろいろなものが
 あるんだね」





などと思ったのだった。
そして、そう納得しつつ、



こんなに目立って、
蹴飛ばされたり、
手紙をいたずらされたり、
ポストに何かを入れられたりしないのか、
などと、ちょっと心配になったのだった。




でも、このあたりは、静かだし、
もちろん、大丈夫なんだと思う。
今のところ、蹴られ跡もなかったし、
平和そうに見えた。

これからも、平和がいいね。
このポストの活躍を望む、
なんて思いつつ、またウォーキングに
戻ったのでした。





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2008年11月17日(月) どんよりした日に見つけた、感心したもの

さて、今日は、昨日に引き続き、
どんよりした日に見つけた、けれど、
今日は、



「ほぉ〜なるほど…
 こんな手があったか…」




などと、妙に感心した方のもの紹介だ。
同じどんよりした日に見つけたものでも、
ちょっと違うぞ!って感じがしたのだ。
どんより→さわやかってとこまでは、
いかなかったけどね。



でも、
手がかかっているというか、
考えているというか…
よくぞ、ここまで…というか、
そんな感じを十分受けた。





それは、これだ。










塀の上に一列にきっちりと、
のっかっている植木たちだ。





昨日の植木たちより、ちゃんと
管理されているって感じがする。
それぞれが、とても個性的な、
形も鉢も、ばらばらだが、
ちゃんと、塀の上に一列に並んでいる。









私は、これを見て、
相当感心した。
庭がない都内ならではの、
塀の使用方法ではないだろうか。





もう、お気づきだと思うが、
一個一個の植木が、ちゃんと枠を与えられ、
(枠でいいのかな?)
しっかりと塀に止められているのだ。
ほら、こんなだ。








しかも、それぞれの鉢の形に合わせて、
とてもていねいにつくってあるのだ。
その上、がっつりと塀に固定されている。









かなり、
がっつりしてるね。





これだと、確かに、
地震が来ても、落ちないから、
安全は安全だね。
なんて、思ったのだった。
ただ、やはり、疑問はあった。



この枠は、
手作りなのか、
どこかで、
売っているのか…

それと、昨日と同じだが、
水やりだ。
できそうにも思うが、
塀と家の間は、
相当狭そうだし…
やっぱり、道路側の方から、
水やりをするのかな…




なんて、考えてしまった。
でも、このお宅では、ちゃんと
水やりをやっていると感じられる。
ここまで、手をかけているからね。
きっと、植木を大切にするお宅だと思うな。



てなわけで、どんよりした日だったけど、
なるほど、なるほど、なるほどね〜
なんて、感心し、新しいことを
発見したような気になったのでした。






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2008年11月16日(日) どんよりした日にみつけた、どんよりしたもの

秋になって、
天気がいいと、透き通るような青空を見て、
気持ちいいわぁと思い、
くもりや雨がふると、
どんよりと暗い空を見上げて、



「ありゃ、なんだか
 空も世の中も暗いなぁ…」




なんて思ったりしている。
だって、夕方でもないのに、
本当に暗い感じがするんだもん。
寒いしね。
ニュースも暗いものが多いってこともあるけどね。
(天気がいい日は気にならないけど)

でも、どんより日でも、
そんな気分に左右されず、
傘を差してでも、
カッパを着てでも、できるだけ、
歩くように心がけている。
その方が、明るい気持ちになれるから。
(事実は運動不足だから)





さて、今日は、
そんな、どんよりした日にみつけた、
ややどんよりとしたものの紹介だ。




なんて言い方をしては
たぶん、失礼だと思うけど、
そう思ってしまったんだもん。



このお宅を見つけたときに、
立ち止まって、まじまじと見てしまった。
見てしまった理由はいくつかあるのだけど、
それは順番に解いて?いこうと思う。
それは、このお宅だ。









置けるなら、どこでも置くよ、
って感じで植木たちが置かれていた。
これは、駐車場の屋根だね。



まず、
まじまじと見てしまった理由の1つが
ここにある。





「あれ、屋根、
 ゆがんでる?」





気のせいか、
屋根がゆがんで見えたのだ。
近くによってみると、
ほら、こんな。








そして、
やっぱりどうみても、
ゆがんでいる…
と思ったのだった。




植木たちの重さでなのかなぁ…
そんなことがあるのなぁ…
ともかく、ゆがんでいる、
と私は判断した。 



ただ、もっと
疑問に思ったことがあった。





「どうやって、植木たちに、
 水をあげるのかなぁ…」





ってことだった。
最初の写真を見て頂くとわかるけど、
窓から手を出してやれそうにもないし、
屋根づたいに水をあげに行くこともできない、
ように見える…

私の考えだと、せいぜいできるのは、
左脇の入り口から登ってやるか、
道路側から、ホースで水をかけるしか、
ないと思うのだけど、どうなんだろう?
それとも…怖い想像だが…
水なんてあげないのか?
常に、雨待ちか?
うひっ、まっっまさかね…



また、この植木たちを置くときは、
どうやったんだろう。
やっぱり道路側から、脚立かなんかで
それに登って、置いたんだろうか…




そんなどうでもいい余計なことを
ついつい疑問に思わせるような…
そんな屋根への置き方だった。




でもまぁ…




よくよく置いてある植木たちを見ると、
気の毒だが…
どうでもいいような
ひょろひょろと生えた雑草たちと、
枯れかけた植木たちだった。









きっと、邪魔になったから、
ここに置かれたんだね…
そして、元の花たちは枯れて、
雑草たちが生えてきてるんだね。
と、想像するほかない状況だった。



でもなぁ…
そんな植木たちを、
こんな目立つように
ゆがんだ駐車場の屋根の上に
置いてはなぁ…



いいのか、
自分ちの顔の部分に
そんなものを置いて…




なんて、人ごとながら、
そして余計なお世話を承知で、
しみじみと思ったのだった。



てなわけで、ややどんよりとした
気持ちになったのでした。
でも、もちろん、この後も、
元気にウォーキングしましたよ。





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2008年11月13日(木) 「愛すること」と「好きなこと」は違う。

さて、今日も昨日に引き続き、
本からのお話の紹介です。
このところ、とてもいい本を読んでいるので、
ぜひ、この話も教えたくなりました。


本のタイトルは、
「自分の中の大事なもの」
で、宗教家のひろ さちやさんの書かれた本です。
本日の「今日のことば」でも紹介した本です。

(紹介したことばは→「青色青光・黄色黄光」








ひろ さちやさんの本は、
大分以前にかなり読んだので、
このところ遠ざかっていたのですが、先日、
ちょっとしたことで、この本を手に取りました。



すると、びっくりしました。
以前は、見逃していたり、
気がつかなかったことが
見えたのです、気づいたのです。
大人になったってことですかね〜

そして、
ああ、こんないいことが
書かれていたんだ…と
あらためて知ったのです。




それで、今日は、そんな
「なるほど、そういうことか…」
とあらためて発見したことが
書かれていたお話を紹介します。





「あなたの敵を愛する」
(P22〜P25から引用)



キリスト教という宗教においては、
「あなたの敵をも愛しなさい」
と教えていることは、みなさんも
聞いたことがあるでしょう。




わたしたちは、
仲間を愛することはできるかもしれませんが、
敵を愛することはなかなかできません。
そのむずかしいことを、キリスト教をはじめたイエスは、
みんなに「しなさい」と命令しているのです。
ところで、日本のおとなたちのうちには、



「敵をつくってはいけません。
 みんなで仲良くしなければいけない」




と主張する人がいます。
つまり、敵なんかいないと、いうのですね。
しかし、わたしはその考えに反対です。
イエスが言っているのは、




「この世の中には、
 敵はいる。
 しかし、
 その敵を愛しなさい」





ということなのです。
イエスは、敵なんかいない、とは言っていません。
わたしは、イエスの考え方のほうが正しいと思います。
敵はいるけれども、わたしたちはその敵を
愛さないといけないのですね。

でも、敵を愛するなんて、
とてもむずかしいですね。
そんなこと、できないよ……
と言いたくなりませんか。



しかし、こう考えてみてください。
もしもあなたが、
「敵を好きになりなさい」
と言われたらどうしますか?




わたしであれば、そんなこと、
絶対にできないよ……と答えます。
また、実際にそうだと思います。
戦争の時、敵を好きになることなんてできません。
それは絶対に不可能なことです。




ここで大事なことは、
「愛する」ことと、
「好きになる」ことは
違っている…
ということです。

つまり、
「あなたの敵を愛しなさい」
というのは、
「あなたの敵を好きになりなさい」
ということではありません。





好きにならなくてもいいのです。
きらいでもかまいません。
きらっていても、その人を
愛することができるのです。

だから、イエスは、
「あなたの敵を愛しなさい」と
言われたのです。
わたしはそう思います。

 

むずかしいですか?
こういうふうに考えると
わかるでしょう。




あなたのクラスに、
あなたのきらいな人がいるでしょう。
もちろん、その人は敵ではありません。
たんに「きらいな人」です。
でも、ここではかりに、その人を敵だとしましょう。

すると、イエスが言っているのは、
あなたはその人を好きになりなさい、
ということではないのです。
その人をきらいなままでいいけれども、
その人を愛しなさいということです。



きらいなままで愛する……
というのは、
どういうことでしょうか?




まず、
その人をいじめないことです。
きらいだからいじめたくなりますが、
そうすると愛したことになりません。
だから、
きらいだけれどもいじめないのです。

それから、
その人の大事なもの……
いのちや財産など……
を奪わないことです。
そしてまた、
その人を助けてあげることです。

きらいだけれど、
その人を助けてあげることができれば、
それが愛していることになるのです。


(ここまで引用)



私は、この話を読んで、本当に
「なるほど、そういうことか…
 「好きなこと」と「愛すること」
 は違うのか…」
と、心からそう思いました。



つまり、愛するというのは、
「相手のことを尊重すること」
なのだと、思ったのです。
もっというと、
「尊重し、助ける」
ということですね。




「好きなこと」は、素直な自分の感情で、
「愛すること」は、想い、行動することなのだと。
そして、だとしたら、
こんなこともあり得るのだとも。



●好きで、愛してる。
(好きだし、尊重し、助ける)

●好きだけど、愛してない。
(好きだけど、尊重せず、助けない。
 好かれること、愛されることだけ望む)

●きらいだけど、愛している。
(きらいだけど、尊重し、助ける)

●きらいで、愛してない。
(きらいで、尊重もせず、助けない)




こうしてみると、
「愛すること」がいかに大切なことかが、
わかるような気がしました。
そして、尊重はできても、助けるまでいくには、
かなりの努力がいるとも…
みなさまは、どう感じるでしょう。

最後に、この本では、
こんなことを言っています。




「自分のことを
 きらっている人がいます。
 きらっていても、
 好きになれなくても、
 いいのです。
 でも、そんな自分を、
 愛してあげてください。
 自分を好きになれなくても、
 自分を愛することはできるのです」





奥深くて、読みごたえがある本で、
読書に秋に読むのに、ふさわしい本です。
時間をつくってでも、読んでみてくださいね。
(宗教のことが書かれていますが、
 押しつける本ではありません)









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