かれこれ4ヶ月程も前の話になるのだけど リーディング発表会なるものに参加させてもらった。助っ人として。
数ヶ月かけて講座参加者が書き上げた戯曲(台本)の中から講師が選んだ数本を 同じく講座参加者が今度は"読み手"となって最終日に発表するというモノ。 読み手の人数が足りなかったらしく、『出てみない?』と身内(劇団員)に誘われたのが助っ人参加のキッカケ。 因みにその誘ってくれた劇団員も戯曲講座の生徒(参加者)だ。だが残念ながら書き上げた戯曲は選ばれなかったらしい…内容が複雑だとかで。
"リーディング"と言うだけあって、基本、発表時に『動き』はない。 私もやってみるまでピンとこなかったのだが、朗読劇、と言うよりかはラジオで物語を読んで聞かせる感覚に近い。だだっ広い舞台にちょこんと用意された椅子に座り、講座参加者が書き上げた台本を読んでいくのだ。 我々演劇人はどうしても『読み』だけではなく『動き』に依存してしまいがちであるが 『動き』を封印し、『読み』だけで全てを表現しなければならない難しさをあらためて思い知らされた。 読んでる最中、身体が自然と"前のめり"になっていくのは…もはや演劇人の職業病、 実際に当日観に来てくれた人たちは『すごくウズウズして動きたそうにしてた。二人とも(笑)』と言っていた… まだまだ修行が足りない。
こうして『読み』を特化する機会に恵まれ、読むことだけで物事を伝える難しさ、大切さを知り…とても勉強になった。 早速これからの自身の芝居活動に活かして行きたいと思っている。
約10年振りに立つ(今回は座る?だが…)文センの舞台に浸りながら多くを学んだ1日。 過去に2回、ここの舞台に役者として立たせてもらったことがあるが、ここは非常に想い入れの深いホール。また来れて嬉しかった。
今回の日記を書くにあたり、ふと思い出して冒頭のリンクページに辿り着いたわけであるが まさか私の発表時写真が掲載されてるなんて思いもよらなかった(笑) さぁ、あの写真の誰が私でしょう・・・?
あるコトをキッカケに少しだけ…素直になった。 素直になった気がする。 私を取り巻く状況は変わったわけではないが 逆にコレを機に何かが変わってくれるといい。もちろん良い方向に。
『周りが変わらなくとも自分が変ればよい。』 そんなカッコイイこと、一度は言ってみたいのだけど まだ今は無理だな。
ずっと探していた目薬が見付かった。 少し蒸発しているような気もするが…こんな小さなことでも妙に嬉しかったりする。 昔から消しゴムと目薬だけは使い切ったことがない。あとボールペンもか。 再会したからにはちゃんと使い切ってあげたい。
元々肩は凝らない体質だったが…いっちょ前に凝るようになった。 『肩が凝って目が疲れるんだ〜』って言ったら 『逆だよ、目が疲れてるから肩が凝るんだよ』って言われた。 なるほど、そういうものなのか。 以前は痛いと言っていた肩揉みも、なんか気持ちよかった。 これもまた、新しい自分。 翌日…ものすごい揉み返しが来たのだけど。
新しい自分を、見つけていこう。 そう思うように心掛けてみる。 バカにされても、ちっぽけだと思われても 今の気持ちを素直に伝えれば 意外にそこから新たな自分に出会えたりもする。
そんな気がした。
プライドが高くて見栄っ張り 怖がりで臆病で 恥ずかしがり…
もちろん、私のこと。
でも失うものが無くなってくると 今まで必死に守っていたものが本当にちっぽけに思えて どうでもよいこと、些細なことに思えてくる。 開き直ったわけじゃないのだけど
少しだけ 怖がりじゃなくなった。 自分の弱さを認めるようになった。 以前より…素直になった。 少しだけ。
『助けて』って言えるようになった。 『大丈夫じゃないよ』って言えるようになった。 『ありがとう』って言えるようになった。
いろんなモノを失い それなりに傷ついて そして少しだけ…強くなった。
今私が求めることは "カラダ"よりも"手を握る"こと そのほうがいいし それだけでいい。じゅうぶんだ。
せっかくだから この日記のスタイルも変えようとか、いろいろ考えたのだけど。 やっぱり長年貫いてきた自然体=書きたい時に書きたいように書くスタイル が一番しっくりくる。そこに落ち着く。 間が空いても相変わらず一貫性のない書体が私の日記クオリティのようだ。
久しぶりに台本を書いた。 …と言っても私一人で書き上げたのではなく、昨年の公演で一緒に舞台に立った人と二人で。 設定だけ決めて、後は二人で交互に数ページずつ書き上げていく。 メールに添付された途中まで書かれた台本を読むと『おっ、そうきたか』 と自分の書いた話が予想もしない展開へと持っていかれるので、 私も負けじと『なら、これでどうだ!』と書きなぐる。 私も相方を驚かせたいが為に、少々道を外れた展開を書き上げる。 あー、なんか交換日記みたい(笑)
そんなこんなで、2月から書き始めて約4ヶ月… 1回につきだいたい2週間〜1ヶ月預かりで4、5回やりとりして先日無事に完成。 ほんと、台本なんて久しぶりに書いたわい。
まぁ、登場人物は全員身内(劇団員)と半分"お遊び"の台本なんだけどさ。 おかげで登場人物設定はすごく楽だった。 それで、先日読み合わせしたのですよ。その台本を。 笑ったわ。馬鹿馬鹿しすぎて。
歳をとってもこういうお遊びを真剣に出来るのって、 貴重で素敵で素晴らしいことだと思う。
もうひとつ 良い知らせというべきか、前進報告と言うべきか。
この6月から 新しいピアノ教室に通い始めた。 半年前…12月のレッスンを最後に、しばらくピアノ教室から離れてしまった私ではあるが。 気分を一新して もう一度、本腰入れてピアノと戯れてみようと思う。
でもね…
この半年間 悪いことばっかりでもないのですよ。 ただただ「自分はもうダメだ〜死んでやるぅ」って ヤケになったり殻に閉じこもり続けたワケでもないのですよ。 何もしなかったわけじゃないのですよ。
何より たくさんの人たちが、私を支えてくれました。 親身になって助けてくれました。 手を差し伸べてくれました。
休み休みではあるものの 時に足掻こうとする私を待っててくれたり 迷ってる私の背中をポンッと押してくれたり 恐る恐る踏み出す一歩の先をそっと照らしてくれていたり…
たぶん この人たちがいなかったら 私はとっくに…消えていたのだと思います。
『無理をしなくていい』 その一言でどれだけ私は救われたことか。
でも天邪鬼な私は、そんな彼らの優しささえも どーせ"友情ゴッコ"なんでしょ。と冷たい反応をしてしまう時もあります。 慣れない優しさに当惑し、 温かくて居心地の良いこの関係も 一時的なモノでいつかは消えてしまうに違いない。そう思ってしまう時もあります。 そうして後で傷つくよりかは、 やっぱり「自分は独りなんだ」と今言い聞かせたほうがいいんじゃないか …そう思う時もあります。
だけど彼らはそれでも私を待っててくれる。 こんな私に温かい手を差し伸べてくれる。 だから思う 所詮の友情ゴッコでも、束の間のぬるま湯でも… 私が今彼らによって助けられているのは事実であるし 紛れもなく救われている私がいる。 じゃぁ…それでいいじゃないか。 そう思うんです。
なんであなたは私の為に泣いてくれるのか なんであなたの手はこんなに温かいのか なんであなたの言葉はこんなに響くのか
今回のことがなかったら 私は彼らの優しさに気付くことはなかったでしょう 立て続けに私を襲った今回の良くないこと そこに敢えて感謝を見出せと言うのであれば そのひとつは、彼らという存在に気付いたことだ。
私は 彼らの優しさと温かさに 『生きる』ということで応えなければならない。
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