うさぎのつぶやき

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2005年01月16日(日) ◆同期会-1-

三年前の年末に、PCクラッシュした事があります。

結局入院する事になってしまい、それまでどっぷりと浸かってネット生活を楽しんでいたので、
ぽっかりと穴が開いてしまいました。
で、その間に会社勤めをしていた頃の友人探しをしたのです。

その見つけ出した友人「E子」とは折に触れやり取りするようになりました。
遠く離れてはいますが、私の気持ちの中ではいつも彼女が存在しているのです。
そしてその彼女から先日、久し振りにMailが入りました。

と言うのも見つけ出すきっかけを教えてくれたもう一人の友人「H美」からその前日、
電話が入ったのです。
これと言うほどの用事ではなかったのですが近況報告を兼ねての電話でした。
朝の方付けが終わった時でしたので、ゆっくりと話をし懐かしい思いにも浸ることが
でき、その時に当然「E子」の話が出て、「いつか皆で会いたいね〜。」「会おうよ!」
と進んでいきました。

「H美」は四国におりますし、「E子」は神奈川です。
ですから「真ン中辺りで会うと言うのはどう〜?伊豆の辺りでもいいし・・・」というのです。
そうね〜、私も会いたいしちょっと考えようかッという事で
いつになるか分からないけれども、そう遠くないうちに会おうよという事になりました。
そんなこんなをその日のうちに「E子」にMailしたのです。

その返事が届いたと言うわけです。


  『(略)ほんとに遠い昔になっちゃったね。

  みんな元気でいるのかなあ。

  あの時代の同窓会、できるといいな。

  今のところ3人は集まれるね。

  集まるんだったら大阪がいいなあ〜。

  なんてね(ずっと行ってないので)

  久しぶりに懐かしい思いに浸りました。

  ありがとう。』

そういう文章で括ってありました。


 「E子」「H美」共に私と同じ宮崎出身です。
それぞれ高校を卒業してすぐに親元を離れ、遠く宮崎の地から一緒に大阪の会社に
就職し、一時代を過ごした、いわば戦友みたいなものです。
宮崎にいる時には全く知らなかったもの同士ですが、寮では同県人同士の部屋割り
でしたから「E子」とは同じ部屋でしたし、「H美」は隣の部屋でした。

大阪出身の人たちの洗練されたスタイルや物腰に見劣りしないよう、そして田舎者だと
笑われないよう、精一杯背伸びして、いっぱしの都会人ぶって、毎日を過ごしていましたし、
皆、口にこそ出しませんでしたが、同じ思いだったのではないかしら。

慣れないスーツ、ハイヒール、そしてメイキャップ・・・。
もっと言えば、電車ひとつとっても宮崎にはJRしか走っていませんので、地下鉄などは
もう都会の象徴みたいな感じでした。
その地下鉄に乗って淀屋橋(大阪の中心にあるオフィス街です。)まで向かうのですが、
朝のラッシュタイムさえも私は何か嬉しかったりしたものです。

どれをとっても精一杯、筒一杯まで背伸びして、今考えるといじらしくもあり、おかしくもあり・・・。


そんな青春時代を一緒に過ごした仲間です、なんとも言いようのない不思議な連帯感
みたいなものが、未だに残っているのですね。

  『ささやかな青春時代だったけれど、

  楽しい時を送れたのはあなたと知り合う

  ことができたから、

  今でもそう思っています。

  あの頃の同期会、実現させたいよね。

  でもってやはり場所は大阪がいいね。

  淀屋橋あたりでね。

  前向きに考えようかな。』

そういう言葉で締めくくり、返信Mailを送りましたが、なんともほっこりした気分に
させられた一日でした。

さぁ、春が来る頃までに楽しいお知らせができるでしょうか・・・?


2005年01月03日(月) ◆お正月

新年おめでとうございます。穏かなお正月を迎えられましたでしょうか。

 少子化が進む中で、家族のあり方も少しづつ変化して「盆と正月」という言葉にこめられた
特別なイベントは、すっかり死語と化してしまったような感のある最近のお正月事情。

 それでもその変化のさまを目の当たりに見てきた私は「何がいいのか悪いのか」「何を残すべきなのか」
そして「どう伝えていけばいいのか」と言うような事を、私なりにもっと真剣に考えてみようと思っています。

      **********************************

 幼い頃、お正月とお盆の時期は必ず父の故郷である都城へ家族揃って出向いていました。
祖父は私が二歳の時になくなりましたので、物心ついた時には祖母しかいませんでしたが、
父の兄弟八人のうち五人が都城におりましたので、六家族が皆本宅に集まるのです。

どの兄弟にも三人の子供がいましたから計三十人と祖母の大所帯です。
大人たちはそれぞれ話に花が咲き、子供達はワイワイがやがやと走り回り、とても楽しいひと時でした。
どういうわけかお酒を嗜む者が少なく、ただ独り二番目の叔父だけが赤い顔をしてご機嫌だった事を覚えています。
 

 十八人も子供がいればお年玉も大変な金額になるという事で、大人達は考えました。
皆でお金を出し合い、人数分のおもちゃやお菓子など、子供の喜びそうなものを買ってきて、
その一つ一つに三メートルくらいの紐をつけるのです。
そしてその紐を誰かが束ねて握って、子供達は小さい順に紐を引っ張ります。
お目当ての物がゲットできれば大喜び、外れれば悔しがる。

今その光景を思い出してみると、子供達はもちろんですが大人達も結構楽しんでいたような気がします。

 祖母と同居していた長男である叔父夫婦はそんな大所帯の賄を一手に引き受けて、ご馳走を振舞い
世話を焼いてくれました。。
これは私の親戚が特別だった訳でもなんでもなく、当時あちこちでよく見られるお正月の一コマだった
のではないでしょうか?

 一体何がどう変ったしまったのか・・・?
じっくりと考えてみると、結局「ゆとり」という事なんじゃあないかしらと気づきました。
誰でもきっとそういう些細な喜びを感じる感性は持っていると思うのです。
ただ時代があまりにもハイスピードで過ぎていくものだから、それについて行くだけで
精一杯なのかもしれない。
 

道路わきに咲いている名もない花に目をやったり、街路樹の裸木に小さな新芽が芽吹き始めていたり、
おじいさんやおばあさん、そして家族の何気ないSOSのサインに気を配ったり、そんな本当に些細な事を
感じる「ゆとり」を忘れてしまっている、

そんな気がしてなりません。


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