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母、力尽きる。 - 2026年02月09日(月)

ついに母親が亡くなりましたー。
ガンが分かってから約3年半、ついに力尽きた。

遠方に住んでいますけども、亡くなる2日前には会いに行けたので良しとする。
亡くなった当日も立ち会えたので、良しとする。

いや厳密に言うと、私がトイレ行ってる一瞬の間に亡くなってたんだけども。
それを死に目に会えたと言えるのか、立ち会えたと言えるのかは私の匙加減、
てことで「立ち会えた」こととする。

自慢じゃないけど無職なので、先週水曜日の10時過ぎに父から連絡が来て
「今すぐ来てほしい」
と言われ、12時30分の新幹線に乗ったのだからフッ軽。
私フッ軽。

とはいえ遠いんですわー
新幹線と在来線の特急乗り継いで、病院に到着できたのは夕方の4時半を回って
おりました。

私が病室に着いたときにはもうとっくに意識も無くって、「ただ息してるだけ」
の状態でした。

夜になって、
「今夜は一晩病室で明かすことになるのかな〜、寝られるように準備しよ」
と思って、歯磨きしたりトイレに行ったり…してる間にピ―――鳴りました。

ガン闘病3年半ですからね。
ピンピンコロリとは言わないかもしれませんが、1月の末に緊急入院するまで
は風呂もトイレも自力でできてましたし、2階にある寝室への移動もして
いました。

父いわく、最後の方は危なっかしかったと言ってたけど。

緊急入院してからは「トイレも1人で行っちゃダメ」というドクターストップ
がかかり、いちいちナースコールを押していたみたいですが、金曜に入院
して翌週水曜日には亡くなったんで、ほぼほぼ自力で全てやり切ったと
言えると思います。

他人様になかなか頼れない、甘えられない、自力で何でもやりたい、迷惑を
かけたくない、重荷になりたくないというのがポリシーだった母らしい最期
だったんじゃないかなと思います。(それがポリシーですと本人が言った
わけではないけど、そういう人だった)

ん−−−、幸せな人生だったんだろうかねえ?
亡くなる直前まで父への不満タラタラだったけども笑

通夜と葬儀、ビックリするほど母の友人たちが多く駆けつけてくれましてね。
皆が皆、口を揃えて
「いつも明るくて楽しくて面白い人だった」
って言うんですよね母のことを。

私の妹も、母のことを可愛くてチャーミングなお母さんだったって言います。

多分、母が本性を見せていたのは父と私に対してだけだったんだろうな。
そりゃ、わざわざ通夜の席で亡くなった人の悪口言うわけないから当然
なんだけど、私から見た母は、気難しくてワガママでヒステリックで
エキセントリック、つまりは内弁慶なんですよね。

すーっごく外面が良かった。
多分、母の友人たちに私の知る母のことを話しても信じてはもらえないくらい
だと思う笑

ま、もういいんだ、んなこたぁ。
亡くなった人を悪く言うと、どうやら生きてる側が責められるらしいから。

私にだって外面があるので、外では言いません。
ここでしか。

母のガンが分かった時から、母を亡くすってどんな感覚だろうなあ、私史上
「最も身近な人」を亡くす経験になるなあ、その時を迎えたらいったい自分は
どんな感情になるんだろうなあ…等々色々考えていたけれど。

とても普通にとても一般的な感情が沸いただけ、でした。
母に会えなくて寂しい、と感じるのはもう少し経ってからな気がします。
だって、実家を出てからの年数の方が長いわけだし、数ヶ月声を聞かない期間
もあったし、コロナ禍はまるまる2年間くらい顔も見ていなかったわけだし。

先週の月曜日に会って話をしたのが最後なので、まだイマイチ実感としては
薄いのかもしれません。

病院のベッドで息も絶え絶えの母の横で、私と父は談笑してたりしたよ。
今夜はここで夜を明かすのかな〜と考え始めた瞬間のご臨終でした。

動かなくなっちゃった母を見たときにはこみ上げるものがあった。
でもその直後から、葬儀社への連絡、ご遺体専用タクシーの手配、病室の
片付け、関係各所への連絡等々、陣頭指揮をとったのは私だったので(笑)
悲しみを感じるヒマなどありませんでした。

ヒマがあったら泣いたんかと聞かれても、多分そこまでメソメソはしてなか
ったと思うけどね。

母が入院していた大きな病院は県庁所在地にあり、父母が住んでいる実家は
そこから来るまで1時間半かかる僻地なので、帰りは私が運転しましたよ。
なんか、父に任せるとボーっとしていそうで怖かったのでね。
私も私で、全く土地勘のない初めて走る1時間半の夜道なんで、余裕なんて
ありませんでしたが、父よりはマシかと思って引き受けた。

母が亡くなったのは夜9時ごろ。
そこから医師も看護師もワッサワサ動いてくれて、手配したタクシーはすぐ
来てくれて、1時間半かけて家に帰り着いたのは夜中の12時半ごろでしたが、
あんな時間にあのスピード感で動いてくれる社会人の皆様には頭が上がらない。

本当に皆さまありがとうございます。

めっちゃ色々割愛するけど、通夜も葬儀も無事終わりました。
副会長ならぬ、副喪主くらいの働きはしました。
大人の階段を登れた気がします。

喪服パツパツだった〜…


...

近況 - 2026年01月27日(火)

無職は無職なりに、タイミー経験を積んでいます。
といってもまだ3回しか行ってないけど。

意外とね!
意外とマッチしないんですよ笑

私の場合、自分の経歴は飲食店で生かしたいし、できればホールよりは厨房で
とか思いますし。
あんまり朝が早くなくてー、拘束時間が長くなくてー、ランチタイムでー、
できれば乗り換えなしで行けてー、とか舐めたこと言ってると、意外と条件に合ったものは滅多にない。

次男のお受験スケジュールも、着々と進みつつある。
本人のお勉強の進捗状況は知ったこっちゃありません。
あくまで親がやるべきお受験スケジュールのお話です。

アサインメントシートをプリントアウトしてやるとか、ログインして入力する
とか、受験料の振込だとか。

振込系さえ済めばあとは本人しかできないことだけなので、私はほぼ用済みか。
厳密に言えば、第一志望の受験票のプリントアウトくらい。

そろそろ仕事でも探すかな〜と、しばらく休止していた求人サイトからの
メール通知をオンに。

あとは、腰を据えて仕事を始める前に今一度実家に帰ってこようかなと
思ってます。

2月に入ったらすぐに城田優と星風まどかのプリティーウーマン観劇予定。
中旬には、雪組観劇予定。

その次の星組さんは、なんと高校の入学式とバッティングする予感…
諦めるしかないのかもしれない。
くぅー!

タイミー記録はまた次に書くことにする。


...

家庭内面談、長男編 - 2026年01月21日(水)

昨日に引き続き、長男との面談を綴る。

現在、長男は高校2年生。
これがもし中学2年生なのであれば「まだ高校が決まっていない」状態で
あっても何ら問題はなさそうなところ、長男は間もなく高3になろうというのに
「まだ大学に行くかどうかも(親は)知らない」のはちょっと心配。

うちは夫婦揃って最終学歴が専門学校卒。
それも、大学を目指して受験して諦めて専門学校に行ったクチではなく、ハナ
から大学受験ルートを通ってきていないのでつまりは全く知識がない。

高校受験のときも、30年近く前の地方出身の私の経験はほとんど役に立たず、
長男が受験するときにゼロから受験について学び直した感じだった。

大学受験もそれと同じように、長男と共に調べながら学びながら伴走するのかな
と思っていたけれど、伴走しようにも走者本人がスタートする様子が全く
見られない有り様。

といっても、といってももう15歳ではなく間もなく18歳になろうというところ
なので、あまり口を出すのもと思って将来のことについてはほとんど口出し
せずにここまで来てしまった。

長男は、高校入学直前の春期講習を最後に一旦退塾。
私立高校に進学したというのもあり、「私立高校というのはどうやら手厚い
らしいね」をいう噂を真に受け、当然本人が大の勉強嫌いというのも相まって
塾は辞めていた。

が、昨秋になって大学が云々という話が現実的になって来て、だったらアンタ
今すぐにでも塾に行って何とかしないとダメじゃないのという話になり、
慌てて再入塾するに至った。

再入塾したときに塾長さんと交わした約束は、
「とりあえず大学受験を見据えて取り組む。『受験をするか否か』は、高2の
最後に再確認するので、それまでに決心しておくように。」
というものだった。

だがしかし11月に再入塾してからの彼は「塾行ってるだけ」にしか見えない。
2026年になり、決心はついたのか、何か自分で調べたのかと問うても、反抗的
な態度をとるばかりでちっとも話が進まない。

つまりは「全く決められていない」。
だったら部活に全振りするでも良い。
バイトに明け暮れるでも良い。

とにかく何かに一生懸命取り組む姿が見られればまだ良いものの、そういった
姿勢は一切見えない。
一切だ。

いっっっっさいである。

なので当然長男にも、次男に言ったのと同じことを言った。

*今後、真剣に取り組む姿勢が見られないようであれば、教育的課金を打ち切る。
*それを判断するのはお父さんとお母さん、先生方。
*「高校に行かない」選択肢は一般的に考えて無い。親には子に「高校に入れる」
までの義務はあると考える。だがそれ以降は、義務教育ではない。

ここまでが長男に伝えたこと。
でも続きが少しある。

長男は、高校に入ってからずっと「バイトするする詐欺」で、昨年の夏に
いちどだけ集団面接を受けるも落とされて以降全く何もせず、結局バイト歴は
ゼロ。

私は長男の目の前で、自分の弟(息子から見ると叔父)に電話をかけた。

「あ、もしもしこんばんは。唐突にゴメンやねんけどな、もしうちの長男に
農家の研修受けさせてくれって言ったら、受け容れてもらえる?ズブの素人
でも、行って役に立てることはある?」

と聞いたのだ。

「あ、ああ、いいよ。素人だろうが、できることは山ほどある。」

と即答。

「ありがとう」ガチャリ。

私「長男、聞いたか?農家の研修受けさせてくれるってよ。春休みの1週間、
住み込みで行って来たら?」

目を真ん丸にした長男「え、え、え、待って待って待って、それオレもう
行くことになったの?行かなきゃいけないの?」

私「うるさい黙れ。もう一件電話かける。ピポパポピ(古)あ、お義母さん
ですか?あのー、長男なんですけどね、もし長男がそちらで酪農の研修とか
受けたりする間、そちらに居候とかさせてもらえたりします?」

義母(東北在住)「えー!いいわよ!来るの?こっちは若い人大歓迎だから
ね!色々なところで移住促進も酪農研修もやってるわよ!」

私「ですよね!ありがとうございます!じゃ今から長男と話してみます!」ガチャリ

長男「え、え、え、待って、牛?オレ牛育てるの???」

と、長男の目の前で、現実的に行けそうなアルバイト先を2件見つけてやりました。

私「いいか?本気出せ。行動に移せ。今お母さん行動に移しただろ?これが
行動力だ。自分が動いたら、事態も動くんだ。まずは実行に移せ。ゴチャゴチャ
言ってないで行動せい!」

と言ったら、必死の形相でアルバイトを探し始めました。
ここまで言ってようやくですよ。
これから本腰入れて受験勉強やらなききゃいけないって時期になって。
遅いんだよ。
いちいち遅い。

行くんだろうか、大学。
大学受験に際して、親が出来ることは少ない気がする。


...

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