体育祭にまつわるもうひとつ - 2025年05月24日(土) もうひとつ、体育祭にまつわるお話。 ご存じのように私はずーっとPTA役員なんで、こういった行事の際には どちらかというと学校のお手伝いとか運営の側に回ることが多くなります。 当然昨日も受付やら案内やら、色々と駆けずり回っていたわけですが、主には 「敬老席・来賓席近く」におりました。 そこには一般の保護者は立ち入れないようになっており、バリケードを張って 立ち入り禁止の札も掲示してあるわけですが、何とかしてそこに侵入しようと する不届き者が毎年後を絶たないので、毎年私がそこに仁王立ちになって 不届き者を蹴散らすという簡単なお仕事をしていました。 あとは、敬老席から生徒席に侵入しようとする老害を阻止したりとか。 普通のメンタルの人だと結構すり減らすんじゃないかな。 私はもう慣れたけど。 我が子の動画や写真なんて、ほとんど撮れませんでした。 まあそれは毎年のことだからいいんだけど笑 これまでは、腕利きのカメラ好きの保護者たちがいて、その方々がうちの 息子たちの写真をいっぱい撮ってくれてたんですが、その方々は卒業されて しまいましてね。 カメラ好きの知り合いがいなくなってしまったのです。 結果、写真が苦手な私がスマホで撮影した「何を撮ったか分からん写真」と 「どこを切り取ったんか分からん動画」が3つ4つ撮れただけでした笑 仁王立ちの間、おしゃべり好きの委員さんにずっと話しかけられていた んですが、話す内容がほとんどネガティブでね。 途中で嫌気がさしてきて、持ち場を離れて逃げた瞬間もあったほど。 次男と同じ水泳部に所属しているみたいで、うちの息子を好きだと尊敬して いると言ってくれるのは嬉しいんだけど、その方は自分の息子をずーっと 卑下していてね。 *うわ〜すごい、先輩はリレーの選手なんですね、うちの息子は… *先輩は身体が大きいですね、うちの息子は… *うちの息子は… いやもうええて、ていう。 そんな褒められ方しても全然嬉しくないんよ。 ありがたいことにお友だちやら先輩後輩にもうちの次男のファンは多くいる んだけれど、だからって次男と比べて「うちの息子は」って言われても 母の私は困るんす。 私はお宅の息子さんの顔も知らんす。 もっと言うと、知らん子には興味も無いっす。 そんな子の卑下だけ聞かされても、本当に何の感想も無いっす。 ただただ困りました。 「休憩行ってくださいね〜」 と言って持ち場を離れさせようとしても全然行かないし、私がその場にいると 必ず隣に来て話しかけてくるし。 正直迷惑だったしうるさかった。 ただね。 私はこの人、PTA役員に推薦したら引き受けてくれるんじゃないかなと 目論んでいるので、嫌な態度は出さない。 多分あの方は私に好感を持っているし、彼女の息子も次男のことを優しい 先輩として尊敬してくれているようなので、私が声をかけたら嫌な気は しないはず…と踏んでいる。 私は一緒にやりたくないけど笑 ネガティブな人苦手だし。 ネガティブな人って、すごく運営を妨げるからね。 できない理由やらない理由ばかりを述べて、代替案を挙げられないタイプの 人が多いんで、そうするとPTA活動って進まないんですよ笑 「やってみないと分からないよね。いっちょやってみっか!」 というポジティブな人間がいないと、進んでいかない。 「ん〜でも…」「だって…」「○○なんじゃない?」と後ろ向きな発言が 多い人は、私は一緒にやりたくない。 でも来年の総入れ替えに向けては「引き受けてくれる人」にやってもらうしか ないと思うので。 その方々の運営に文句をつけるのであれば、文句言う人たちがやればいい んであって。 私は彼女を本部役員に推薦するよ。 積極的に話しかけていく。 でも彼女の話は聞かない笑 ... それ、カロリィがやる。(長澤まさみ風) - 2025年05月23日(金) 少し前に投稿した、“相棒”にまつわる日記。 実は週末、中学校の体育祭があったのですが、そこで彼女のトンチンカンな 勘違いのおかげで委員さんたち丸ごと勘違いさせてしまい、委員さんが 右往左往する事件を引き起こしてしまいました。 わたくし基本的には口うるさい人間だという自覚はあるんですが、それは相手に 期待している場合であって、「コイツには何言うてもアカンわ」と見限るが 早いか、コミュニケーション量を必要最小限レベルに引き下げて「関与しない」 に方針転換をすることでも有名です。(誰に) 相手が自分にとってよほど大切な存在でない限り、すぐに見放すし手も放すし 関りにいかないことにしています。 先日の日記にも書いたとおり、副会長の相棒は、タッグを組んで今年で4年目。 相棒が初めて副会長になったときは、本当に色々手取り足取り何もかも一緒に やりました。 2年目は少し距離をとりましたが、時々口を出し手を出ししていました。 3年目、もう大丈夫だろうと思ってほぼ口出しゼロにしてみたところ、口出し 無しには彼女は行動を起こせない人間だったということが判明しました。 「アノ行事、期限迫ってるけど平気?」 「定例会もうすぐだけど、レジュメ作ってる?」 「アレやってくれた?」 「あの件どうなってる?」 と、スタート時期にいちいち声をかけないと毎回忘れているのです。 正直ちょっと呆れました。 だって3年目です。 「培う」ということばは彼女の辞書には無いんでしょうか。 いちいち私にせっつかれること、何とも思わないんでしょうか。 4年目の今年が始まって間もなく2ヶ月が経とうとしていますが、昨年よりも 明らかに精度が落ちています。 実はうちの本部役員会、メンバーのほとんどが3年生で卒業退任が決まって おり、個人的には非常に大事な年だと思っています。 今年は絶対にコケられないのです。 同じ熱量で取り組んでくれとは思わないですが、来年度の役員を選出する ところまでの責任は私個人は自分にあると思っているので、邪魔されること だけは避けたい。 そこへ来ての、体育祭当日のズッコケ案件。 何があったかというと、彼女がとある件を勘違いしたまま30人の委員さん にアナウンスしてしまい、30人全員に勘違いを植え付けるという事態を発生 させました。 体育祭後にPTAで反省会を行ったのですが、途中からどうも話が嚙み合わ ないなと感じ始め、どこでその話が出たんだろう?私が聞き逃した情報が あったのか?と私は自分を疑い、帰宅してから様々な資料をチェックしました。 だがしかし、委員さんが認識していたようなことは資料のどこにも載っていない。 え、この認識違いはどこで発生したんだ???と混乱していたところ、体育祭 数日前の委員会グループLINE内で、相棒の発言が発端であったことが発覚。 いやいやいやいや おいおいおいおい って思いましたよね。 怒りを感じるというほどではなかったですが、ほとほと困りましたし呆れ ましたし、どうしたもんかという感じにはなりました。 私から見て相棒には、「副会長の発言は、そのままオフィシャルの見解である」 という自覚が抜け落ちていると思っています。 彼女は脳と口、または手が直結しており、思ったままを思った順に口に出し、 思うがままを文章にして即エンターキーを押すのだと思います。 段落分けや改行がされていない、句読点のほとんど無い文字の塊がドカンと 投下されることが多い。 その上、主語がなかったり時系列がバラバラだったり表現が曖昧だったり する部分が多いので、何回読んでもなかなか内容が頭に入って来ません。 たとえば定例会の日時や場所をリリースする程度の簡単な情報なら問題は 無いのだけど、そこに他の条件が加わると(定例会の開始は16時だけど、 このイベントでこの役割の人は30分早く集合してほしいときなど)、 一気に文章がめちゃくちゃになり、委員さんたちがバラバラに集合してくる などという事態が実際に発生しているのです。 それでいて 「LINEで流したのに集合時間に来ない人がいる」 とボヤき、 「私の伝えかたがまずかったのかな」 ではなく、来なかった人のせいになるっていう。 その手の文章の組み立てに関しても、 「この書き方だと勘違いが起きるから、こういう風に書こう」 と最初の1〜2年は口を出していたのだけど、口出しをやめた3年目はもう めちゃくちゃな文体のまま委員会グループLINEに投下されていたよ。 でももう訂正も口出しもやめた。 だってめんどくさいんだもん。 キリが無いんだもんよ。 「直してね」 って言ってもその時直るだけで、その次には生かされない。 その繰り返しだったもんで、昨年は「見限った」状態のまま過ごしました。 しかしながら今回分かりやすく表面化して来た勘違い案件。 ある意味チャンスかなとも思ったので、体育祭当日の夜のうちに相棒に 電話をかけ、言葉は選びつつも 「もう少し気を付けてもらわないと困る。こんな時間にお説教してゴメンね」 と言って電話を切りました。 3年間を通じても勘違いや思い違い、思い込みや認識違いが多発していたこと を伝えると同時に、 「自分の認識で合っているかどうかは毎回疑ってほしい」 と言いました。それから 「アンタは今、私に説教くらったんやで」 というひとことを添えて。 電話の向こうの相棒は、とても相棒らしく豪快にガハハと笑いながら聞いて いたけれど、この年齢の、対等であるはずの立場の人間から夜の遅い時間に 直電で説教くらうってなかなかのイベントだと思う。 私だったら驚く。 勘違いを30人に引き起こさせた原因が自分にあり、その弁明を私にさせた ということの恥ずかしさを、意地悪かもしれないけれど思い知ってほしいと 思う。 でも期待はしていない。 申し訳ないけれど、彼女は私の中ではもう期待するに値しない存在になった。 次の定例会レジュメも、私が作るつもりでいる。 委員会のグループLINEに何かを投稿するときには、送る前に私がチェック するようにする。 夫からは、 「任命責任はあるでしょ」 「責任取らなきゃ。面倒見なきゃ」 って言われた笑 そうよね。 彼女のやっていることに不満を持っちゃダメだわ。 他人様のやってることが気に入らないなら、自分でやるしかない。 それがボランティア、それがPTA。 ... 人生は選択の連続 - 2025年05月20日(火) 特定の誰って話じゃないんだけど、何もかも手に入れようと奔走してる人 多過ぎやねん。 ほんで、手に入らないものを数えて 「あれも手に入らない」 「これも手に入らない」 って嘆いてるように見える。 もしかしたら私は他人様から見たら何でも持ってる人に見えてるのかも しれなくて、アンタは何もかも手にしてるからそんなことが言えるんだって 言われるかもしれないんだけど、それは多分そうじゃないと思うんだよな〜。 私も昔は人と比べたり人を羨んだりしたこともあったけれど、それをしなく なってからのほうが、案外すんなり色んなものが自分の身の回りに近づいて きたような感覚があるよ。 AかBかで迷ったら、自分の責任でAを選ぶんだよ。 Bを選ばなかったことを後悔したり誰かのせいにしたりするんじゃなくて、 Aそのものと、それを選択した自分を大事にしていったら良いと思うんだよな。 たとえばそれを人に相談して「Cって選択肢もあるよ」って言われた場合は 「なるほどそうか、そういう見方もあるか」と、Cを選択するって手もある。 その場合も、必ず「自分で選択する」ことが大事で。 自分の中での最優先事項を優先して選択していくと、なりたい自分とか理想 の生活とかが自分に近寄って来る気がするよ。 自分から向かっていかなくても、自然と寄って来ると思う。 少なくとも私はそういう感覚。 私がいちばん大切なのは私。 その私を大切にしてくれる人々を敬い感謝すると、それがかなりの確率で 自分に返ってくる。 不思議なことに、それを続けていると自分の苦手なことや嫌なモノやヒトが 離れていくよ。 宗教かよ。 うんでも宗教のスタートってきっとそこ。 ま、何事もバランスが大事ってことなんだけどね。 「ピンピンコロリが良い」か、「とにかく長生きしたい」かで、選ぶ道は 違ってくると思うんで。 「ひとり静かに自由に暮らす」か、「他人とぎゃんぎゃん言いながら暮らす」か。 「今この瞬間のために注ぎ込む」か、「先を見据えてセーブする」か、「先を 見据えつつ半分だけ注ぎ込む」か。 思い通りにいかないなって時期は、ただひたすらに自分を愛し自分に身近な 人を愛し、目の前のことに一生懸命真摯に取り組むんですよ。 ていうかこんなこと、日記だから書いてるけど私別に他人にこの考え方 強要してませんからね笑 あくまで「自分はそう考えて行動している」というだけで。 こんなこと布教しはじめたら、いよいよ何かの怪しい教祖様になっちゃう。 あとは、考えられる限り、自分が気付く限りの世の中のルールというルール を守るようにするってことですかね。 信号無視なんて言語道断、私は横断歩道のない場所を渡るってこともここ 10年くらいは止めてます。 子どもが生まれてからはとにかく色んなルールを遵守して生きてます。 横断禁止と書かれていなくても、横断歩道がない場所は渡らないようにしてます。 「ちょっとくらいいいや」「私ひとりくらい」「あの人もやってるし」という 次元で物事を考えないようにしている。 そうすることで、ホントに色んな手に入れたいものが近寄って来るから。 自分の近寄ってきて欲しいものが近寄って来るよ。 類友って言葉もあるくらいで、自分に見合ったものが近寄ってきます。 なので自分が存在したい場所にあろうと意識することが大切かと。 「ちょっとくらいいいや」「私ひとりくらい」「あの人もやってるし」という 考えがよぎっている間は、そういう種類の人が寄って来るってだけの話です。 だからといって、それをしている人を批判はしない。 選択は人それぞれ自由だから。 「私はやらない」だけ。 自分で「やらない」を選択しているだけのこと。 ものっすごい傲慢な考え方だなって自分でも思うから絶対に口には出さない けど、ホントにこの私の生き方を皆実践してみるといいよ!とは思ってる笑 むちゃくちゃ幸せだしめっちゃ楽しいしオモロイし、美味しくて賑やか でおっかしくってドキドキでワクワクの毎日を送っております。 ...
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