ステテコ日和
地球に優しい、目にも優しい
Yes,I love ego☆
No,I love ero

2006年03月14日(火) 犬と変わらない




これまで頑張ってきたことを人に話したくなりませんか?

勉強やスポーツ、友達、旅行、バイト・・・

僕自身は優越感や自己満足が好きです。


でも、「自慢」って「自満足」ってわかっている。

だからなるべくは止めようとは思っている。


頑張ってきたことをみんなに知ってもらいたい。

そんな思いを持つことは少しヤマシイのかとも思う。


下心のない自慢をして、それに対する何らの詮索もない自己開示。

どうしたら痛い目を与えられるだろう。

こんなこと精一杯考えたくない。


写真:『数多の足跡』(静岡県熱海市にて)



2006年03月13日(月) 前後不覚




未来は過去に似ている。

生まれる時も死ぬ時も、結局は一人。

始まりと終わりが似ているなら、その間も大したことは無い。

毎日違うけど、そう大きくは違わない。

人生という括りで見るとつまらないけど、
毎日という括りで見ても疲れるだけだ。


写真:『片栗の花』(京都大山崎町にて)



2006年03月12日(日) リヒトロイメ




僕の写真は簡単なものが多い。

個の集合体を撮ったものや、その逆で全体の中の一つとか。

そして常に非日常なものに眼を向けている。


農村部に行った時のように今日では日常の風景が、非日常であったり。

その対比として東京を好んで撮ったり。


だから当たり前のような写真は少ないように思う。

スナップ写真もあんまり撮らないし・・・


でも、ただ単に風景を撮ってるだけな写真は大多数になってしまう。

プロの撮影場所に行き、同じカメラで、同じ設定で、同じ条件で。

完璧に同じとは言えないが、近いものは撮影することができる。


そんな風景の中に友達の姿があるだけで、唯一無二の写真に変わる。

盗撮(言葉を換えて『隠し撮り』)もサヨナラかもしれない。


いや、やっぱり続けていこう。

せっかく光学12倍買ったし。


写真:『東京自由旅行より』(東京新宿にて)



2006年03月11日(土) むなしさ




成果を出し惜しみできる人になりたい。


あの日の僕はまだ家出したまんまだ。

本当は帰りたい。

そう思いながら、今日も川べりで座っていた。


意味ありげなかっこ.

黙ってりゃかっこがつく。


写真:『斜陽』(神奈川県江ノ島にて)



2006年03月10日(金) nobody




仲良くなるのに近道はない。

それはお客様とであったり、友達であったり、サークル仲間であったり。

年老いてから仲良くなる人もいる。


仲良く見えることを嫌う人もいるかもしれない。

だから離れていく人もいるかもしれない。


ずっと一人だった人が、遺言で「今までありがとう」

どちらかが死ぬまでにそれが伝われば良いと思う。


写真:『さぁ帰ろう』(京都谷山林道にて)



2006年03月09日(木) 5人合わせて・・・




中華まん!!

寒い日にはきっと助けてくれる。

僕は信じてる。


子供はいつのまにか靴をはいていた。

マッさらな滑り台に上れなくなっていた。

そうやって僕らは大人になっていた。


写真:『大人の視線』(三条商店街にて)



2006年03月08日(水) 生米生麦生臭坊主




またちゃんと報告はしますが、とりあえず配属が決まりました。

営業統括部 紳士・リビング営業部 リビング営業担当 家庭用品

8階でしゃかりき頑張ります。

三日坊主にならないように精進します。


写真:『ひらめき!?』(東京原宿にて)



2006年03月07日(火) better days




よく自己嫌悪に陥ったりする。

でもそれはよくよく考えると、とてももったいないことだと思う。

せっかくの思考プロセスがそこで終わってしまう。

そこから先には進めなくなってしまう。


自己嫌悪に陥ることは簡単だ。

堂々巡りばかりで、何も生まれないことを知っていながら。


写真:『S・T・O・P』(東京中目黒にて)



2006年03月06日(月) 旅学




僕の出身は立命館大学。

そこで文学部地理学科地理学専攻で学士を頂いた。

でも僕はもう一つ学士を持っている(つもり)。

それは旅学科の旅学専攻。


BEPALか何かで載ってた素敵な言葉を書いておこうと思う。

「自由な両手は未知への翼」

動けるうちに動いて、働けるうちに働こう


写真:『旅人』(熊本県阿蘇市にて)



2006年03月05日(日) 自分の周りの人のために




現代の医学は人間の生存条件に必死になって闘ってる。

どれだけ生物学的に引き伸ばせるかということだけに必死になっている。

心臓さえ動いていたらそれで良い。

体は生きていても、心は死んでいる。

そんなことわかっているでしょ?

そこに人間としての尊厳はあるんだろうか。


写真:『根深々と』(京都鞍馬寺にて)


 < 過去  INDEX  未来 >


きむそん

My追加