僕の生きる道
ぼく



 動揺

MRI、CTと僕は検査が続いた
オペ用に自己血採取も行われる予定だ
日に日にオペが近づいてくる
体を切って臓器が空気に触れるということは
ものすごいダメージだと聞いている
僕は力を授けてもらい、回復する能力があるのに
手術をする必要があるのか?という疑問があった

今日は検査だけの日だったが
担当医を訪ねてみた
担当医は言った
「25日の検査でやはり癌が進んでいるから臓器を取るよ」と

僕は動揺した
癌だけを取り除くのなら仕方がないとも思えるが
臓器ごと取るというのは、失ってしまうのだ
生きていく上で支障がなくとも
これでいいのだろうか──


2004年10月29日(金)



 自己血採取

僕は今日、オペでの輸血用に血液を採った
1度に400ccもの採取だ
来週また採取され、あわせて800ccの保存となる
エイズだ肝炎だと騒がれる今日、自己血採取は
当然の準備のようだ

僕はもともと血は濃いほうなのだが
自己血採取に応じて、鉄剤を飲まされている
これが体に合わず、胃の状態がすこぶる悪い

薬だけのせいなのか、ガンが原因なのか
こんな些細なことを考えるだけでも胃痛は起こる


2004年11月02日(火)



 検査結果

国立でのすべての検査結果が出た
肺や脳への転移はなかった
しかし、皮膚組織に癌が浸潤しており
リンパ腺から転移する可能性が高いため
広い範囲での摘出手術をすると言われた

僕はまだ家族には病気のことを言えずにいた
今日の結果が出たら言うつもりだった

しかし、僕は納得できなかった
初めに告知された頃の頭痛や空咳もなくなっており
顔色もとてもよく元気を取り戻してきているのに
なぜ18日オペなのか
なぜ医師は確認もせず、体を切ろうとするのか
国立病院はきっと患者が多すぎるのだろう
一人一人の患者の話を聞く余裕はないのだろう


僕は決心した
病院に頼ることをやめることを!
そして家族に伝えた
「検査の結果は取り敢えず大丈夫だった」と


2004年11月09日(火)



 医師の威厳

今日僕は、担当医に手術の中止を求めた
担当医はとても驚き、僕には手術しかないと言った
僕が「もう少し考えさせて欲しい」というと
「君にはそんな余裕はない」と切り捨てた
僕が「他の病院も回ってみたい」と言うと
「私の診断が間違っているというのか!」と
感情むき出しで怒鳴った
・・・国立病院の医師はそんなに偉いのか?・・・

結局担当医は僕に親をここへ連れてくるよう言い
11/15に診察予約を入れられた


しかし僕は二度とこの医師に診て欲しくはないと思った
と同時に、絶対治してみせる!と心に誓った
もちろん治す手ごたえを感じているから
家族には伝えるつもりも全くない


2004年11月11日(木)



 失業

実を言うと僕は、国立病院の初診の日に
雇用主に求められていた診断書をもらっていた
診断書には、術後2ヶ月の療養が必要と記載があり
来年1/18までの療養期間が明記されたいた

オペをやめたことを職場で話したが
雇用者はそれを認めてはくれず、また週明けから
入院の予定だったため、業務も他の人を見つけていた
僕は有給を消化するという形で、今月いっぱいで
退職となった





2004年11月13日(土)



 担当医との別れ

僕は今日を最後にすると心に決め病院へ行った
担当医は「今日も親は一緒じゃないのか?」と
言ったが、半ば諦めているようにも見えた

担当医は「こんなケースは初めてだ」と言いながら
僕に一筆書くよう言った

──前略・中略
  本人に告知したにも拘わらず本人の意思で
  手術を受けませんでした
        平成16年11月15日
        担当医  xxxx
         患者   xxxx


・・・国立病院の医師は責任が大事?・・・


2004年11月15日(月)



 原因

僕は思い出していた
国立病院の医師が言ったことを

僕が数年前に体調の変化で検査したとき
既に僕の細胞は変化し始めていたように思ったので
「僕は数年前からガンになっていたんじゃないんですか?」と
聞くと、医師は穏やかに答えた
「君のガンは、たぶんごく最近細胞変化したものだと思うよ」と

人間の治癒力は実は意外と強いものらしい
ガンになるには僕の抵抗力が極度に弱まったんだと
考えられるらしい
つまり、一番の要因は極度のストレスらしかった

・・・思い当たる節がある・・・
あまりにも同時期に過度なストレスが僕を直撃していたんだ


2004年11月23日(火)
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