| 2013年03月21日(木) |
祝☆ましゃデビュー23周年 / 祝☆SHOCK1000回公演 |
本日3月21日は、福山雅治氏のデビュー記念日。
23周年おめでとうございます!
昨夜はちょうど、「福山☆冬の大感謝祭 其の十二」(元日に放送されたものを編集して、映像も音も
さらにステキになったもの)@WOWOWを観ながら記念日を迎えられたので、ちょっと嬉しかったり。
24年目に突入しても多忙を極めていらっしゃるというのが本当に凄い。
音楽も映像もぜーんぶ楽しみですが、まずは「渋みを増した」湯川先生に早くお会いしたいです。
そして本日はもうひとつ、光一さんの「SHOCK」の公演回数が通算1000回を達成。
帝劇内のお飾りも、1000回公演達成を祝って大変ステキなことになっているようで、
公演後にはサプライズのお祝いもあったようで、こちらも本当におめでとうございます。
力強く気持ちのよいエネルギーが満ちあふれるステキな空間が、
1000回の後もずっと続きますように。
| 2013年03月20日(水) |
限界を超えさせたがる監督 |
ちょっと前になりますが、14日に放送された「オデッサの階段」には、
「ハゲタカ」「龍馬伝」「るろうに剣心」で独特の撮影手法をとってきた大友啓史監督が登場。
最新作「プラチナデータ」もかなりの注目度のようですな。
以前、ましゃもおっしゃっていましたが、映像作品には「カット割り」というものがあり、
リハーサルを何度も繰り返してから、そのカット割りをひとつずつ埋めるように撮影していくのが
通常のやり方なのだそう。
ところが大友監督は、リハーサルをほとんどせず、カメラを同時に何台も回しながら、
長回しで一気に撮るのだそうだ。
セリフを間違えようと、殺陣が失敗しようと、他のカメラやスタッフが映り込もうと、
NGにはせず、とにかく撮り続ける。そしてそれを何度も何度も繰り返す。
リハーサルはしないのに、本番はこれでもかと繰り返すのだそう。
「るろうに剣心」で、凄まじいアクションシーンを「まだやるの?」ってくらい何度も何度も
やらされた佐藤健くんいわく、
「大友監督は、人間の限界を超えた瞬間にしか出てこない表情や空気感が大好き。
だからアクションシーンも何回も何回もやらせてとにかく追い込む。
追い込まれないとギリギリ感は出ないだろう、と思っているのか、それともただのドSかもしれない。」
たけるんからのドS疑惑発言に対し、大友監督は、
「僕はドMです。監督というのは、基本的には思い通りにはならない仕事。
思い通りにはならないことを、どう受け入れるのか、というのが監督。だからM。」
という理屈で返していらっしゃいました。
NGでもないのに、何度も同じシーンをやらされることについて、
たけるんの捉え方がステキでした。
「監督は、僕達に『生きて』ほしいのだと思う。
その役になって、その時代に『生きて』ほしいのだと。
だから僕達はとにかく『生きる』。そして監督はそれを切り取る。」
たけるんは剣心として「生かされた」実感があるのでしょうね。役者冥利につきますね。
こういう手法でなくても、役者さんならもちろんどんな細切れな撮り方でも
きっちりその役を「生きて」くれるのでしょうけれど。
「龍馬伝」で人斬り以蔵を演じていたときは、
「今まで経験した中で一番過酷な撮影」とおっしゃっていた健くん。
素足で寒い中を逃げ回るから傷だらけで、さらには吊るされるし叩かれるし、
肉体的にも苦しいわ、心理的にも辛いわで、本当に大変だったのでしょうが、
以蔵でのがんばりがあったからこそ、剣心も開花したに違いないと思うのです。
実際、「るろうに剣心」は大成功でしたよねー。
(とか言いながらまだ観てないわたし。早くWOWOWでやってください。
ひょっとしてもうWOWOWでやってそれも見逃した? っつーかレンタルしてこいよって話ですが。
でもレンタルじゃすぐ返さなきゃならないからイヤなの。ならさっさと買えよという話ですが!)
そんな大友監督、撮り方は独特でも、まわりの意見にはよく耳を傾けるそう。
「観客は正直。だから観客の意見はとても気にするようにしている」と。
「るろう」では、日本ではきわめて新しい試みとして試写会後に観客からアンケートをとり、
それをもとに編集しなおしたのだそうだ。
「つまらない」という意見には対応のしようがなかったが、「わからない」と言われた場面については、
セリフやシーンを付け加えるなどの改善し、結果、作品も確実に良くなったと。
「まわりの意見は聞く。それを取り入れるかどうかは全く別の話だが。
自分としては答えは出ていても、自分とは違う意見を聞きたい。
自分が思っている以上のことを映像に収めたいから。」
最新作の「プラチナデータ」については、
先日の朝日新聞に、原作者の東野圭吾さんとニノの対談が載っていました。
撮影を見学した東野さんも、大友監督の独特の撮り方に驚かれたそうな。
あんなに長くカメラを回しているのを見たのは初めてだと。
ニノ「ああいう撮り方はめったにないですね。」
東野「大変じゃないのですか?」
ニノ「スタッフの方は大変だと思います。でも舞台をふんでいる共演者が多かったので、
舞台っぽくて楽しいと言っていましたね。
監督が役者に対して『今日は何をしてくれるんだい?』というモチベーションを持っている方で、
それに応える人もいれば淡々とやる人もいて、そのコントラストを楽しんでいらっしゃるんです。
だからあまりリハーサルもしっかりとはやらないんですよね。」
東野「たいしたもんだなと思うんですよ、役者さんて。
ただ、尊敬はしますけど、少しもうらやましくはないです(笑)」
なんだか、まんまと「プラチナデータ」も観たくなってきましたよ。
結局、ヤスは最高の父親でしたな。
最高の父親は、これからは最高のじーちゃんにもなるのだな。
地元では「ヤスの馬鹿を甘く見る」という教訓的な言葉もあるくらいなのに、
まわりの人たちみんながこぞってその馬鹿につきあい、いろいろと助けてくれたのは、
なんだかんだあってもやっぱり人が良くて単純な能天気で明るくて働き者で、
愛さずにはいられないチャーミングな馬鹿だったからでしょうね。
美佐子と旭をひたすら愛し続け、すべてはそこを基本に一生ずっと全力投球なんて、
この筋の通り方はハンパない。
通ってる筋がたった一本しかないにしても、そんな筋を通せるヤスはやっぱりステキでした。
ヤスは、どういう親がいい親か、なんて知らないけれど、
大好きで大切な旭をとにかく必死に守り育てようと七転八倒していたら、
いつの間にか親になってた、みたいな。でもこれって一番自然な姿よね。
そんなことを、引越しの荷物整理の際に小さい頃の旭のオモチャを見ながら
「親なんだなー、俺って。親しかこんなガラクタ取っておかないだろ」
って気づいたのも、ほっこりなシーンでした。
そんなヤスだから、最高にステキな父親になっているのに、そんな自覚はない。
「親なんてそもそも大したもんじゃねーんだよ。子どもよりちょっと長く生きてるだけで。
それでもありがてえことに、子どもはちゃーんと育ってくれるんだよ、自分の力でな。
オマエはオマエの力で育ったんだ。」
旭は立派に育ってくれたけど、それでもなお、そんな旭のいざという時の逃げ場でいようと、
故郷に居続けることを選ぶヤス。
「俺は親だから、遠くで笑ってなきゃいけねーんだよ。」
その結論は、馬鹿を支え続けてくれた故郷の人たちにとってもやっぱり嬉しいことで。
でも、旭の逃げ場でいようとしたのに、
まずはケンちゃんの逃げ場として早々とケンちゃんを助けてしまったヤス。
「なんでケンちゃんが来てくれたのにやっさん怒んだよー。よく来た♪よく来た♪ 立派だ♪立派だ♪」
「お父さんとお母さんは、やっさんのために子どもをつくってくれた。ケンちゃんに寂しい思いを
させたのはやっさんだ。すまんっ。」
どちらの言葉も、ケンちゃんを助け慰めるための嘘というわけではなく、ヤスの本心だろうと
思うと、本当にこの馬鹿の一念の素晴らしさに感服するばかりです。
個人的には、これまで重要な場面で数々の大活躍をしてきたクズ嫁に、
ヤスに対して申し訳なさを感じるとか、あんな風に頭を下げたりとか、してほしくはなかったのですが、
ヤスがこれまでの恩義を一度に返すために、クズ嫁の孫を助けたと思えば、ま、あの事故も仕方なかったかなと。
クズも男気のあるいいヤツでしたし。
そんなクズが最後にまた豪快に殴られて、しかも、
「てめーごときのために、なんで俺が帰ってこなきゃならねーんだよ!
俺が帰ってきたのは旭のためなんだよ! ただの人身御供なんだよオマエは! わかったか!」
って、言ってること酷すぎるのに結果としては最善なんだから、やはりヤスの馬鹿あなどりがたし。
たえ子ねえちゃんもいつも最高だったし、照雲夫妻も良かったし。
ほんと毎回毎回、「泣ける」というより、「泣き笑い」していたステキなドラマでした。
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