「仁先生考案の安道名津」(@セブンイレブン)、食べてみました。
ドーナッツ(というか揚げ菓子系全般)はめったに食べないのですが、久々に食べると美味しいね。
でもこれでまた5年くらい食べなくてもいい気がする。
ま、我が家は白米じゃなくて玄米が常食なので、脚気にはならないはずと思いますが。
昨夜は「JIN」「マルモのおきて」「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」
そして「ホットスポット 最後の楽園」が全て同じ時間帯で重なってしまいましたよ。無念です。
2番組同時録画機能ですら、すでに十分ではないと思える昨今でございます。
さて、「JIN」第七話。
野風姐さんと咲ちゃんのステキな競演です。
野風姐さんは本当にいつもいつまでもお美しいばかりでなく、粋で潔くて賢くていらっしゃる。
あとまだ2年も生きられることに、その間にできることを数えて最高に幸せだと語る野風。
そんな野風を一番理解しているのは咲ちゃんなのだ。咲ちゃんおそるべし。
今日の咲ちゃん
・「黒き水」に果敢に挑む咲ちゃん。美味いはずがないが、ひるむことなく挑み続ける咲ちゃん。
・何かとカンがいい咲ちゃん。(それを泰然とあしらう野風姐さん)
・シャンパンに「これはっ! 口の中でざわざわと!」 表現が適切すぎる咲ちゃん。
・話題を変えることができないときはとにかく飲む! ざわざわしようと飲む! な無鉄砲咲ちゃん。
・ワインも一気飲み!
・そして本日最大の眼福。らぶりーな酔っぱらい咲ちゃん。
「野風さんは本当にお幸せなのでしょうか。お芝居なのではございませんかね。」
仁先生をすわった目で睨みつけつつ「わたくし、おばばになってしまいますよ。」
泥酔しようときっちりした言葉遣いが崩れることは決してない咲ちゃん。
・二日酔いで記憶のない咲ちゃん。(を、からかう野風)
「先生に『いつ結婚してくださるのか』と、そこで叫んでおられんしたよ。・・・戯れでありんす。
・・・というのは戯れでありんす。」by野風
「どちらなのでございますか。」 咲ちゃんも野風も大好きだー!
・「野風さんの夢は叶うのではないでしょうか。野風さんが、この時代の人間が、強い意思をもって
未来を変えたいと願ったことならば、それはもはや修正されるべき歴史ではなく、ただの歴史なのではないでしょうか。
のちの世で先生に出会うべきお方を、野風さんはもう一度作ってさしあげようとしているのではないでしょうか。
かような夢を握りつぶすほど、天は無慈悲ではないと、わたくしは信じとうございます。」
咲ちゃんの考察鋭すぎ。セリフ長すぎ。
・龍馬さんの長芋の暗号も解読してしまう咲ちゃん
大切なものを守るために嘘をつきとおしてきた野風。
雪を見てそんな野風を思い出し、その姿から学んだ龍馬さんの言う
「わしゃこれから大嘘つきになるぜよ。先生が教えてくれた明るい道を潰されんように、
すべてを欺いてこの道を未来へつないでみせるぜよ」や、
先の咲ちゃんの言葉が、「歴史の修正力」に対する最大の切り札になりそうですね。楽しみー。
| 2011年05月26日(木) |
福山雅治「THE LIVE BANG!!」@横アリ |
昨年末の感謝祭以来のましゃライブです。
遅れてきたファンのわたくしも、ようやく4度目のましゃライブ。
ご本人も演奏も歌もおしゃべりも、4度目の今回もやはり最高に素敵で、
行く度にもっと大好きになれる幸せをひしひしと感じております。
ライブや舞台鑑賞はお金も時間も体力もかなり必要な道楽ですし、
何より、それだけのお金と時間と体力をつかって「観なくてもよかったな」とは
なるべく思いたくないので、年々、自分なりの選択基準が厳しくなっている気がします。
自分には合わないな、と思ったら、もう行くことはないし。
だから、また次も行きたいと心から思えるライブや舞台に出会えると本当に嬉しい。
どんだけ遅れてきたファンだろうと、これはいいかも、と思った時点で
とりあえず片足突っ込ませていただいてよかった、と今更ですが思っております。
だって今のあのましゃを見逃すなんて!
いやいや、長年のファンからすれば、この20年間の彼を見逃し続けてきたなんて
どんだけ不幸なの、ってことになるのでしょうが。
ま、わたしに見る目がなかったのだから仕方がないの。
今、こうしてたどり着けているのだからいいのだ!(なにその開き直り)
前置きの自分語り長すぎ。(反省)
さてさてTHE LIVE BANG!!ですよ。
震災以降、諸々の状況を考慮して巨大セットは全部取り払われ、
ステージ上にはスッキリと2枚のモニターだけ。
でもね、そのモニターにいつも映るのがちょーオトコマエさんですから。もうセットはそれだけで十分。
歌っている時の表情も豊かで、見てて楽しい。
ましゃのあごライン好きとしましては、お顔の斜め下あたりからのアングルが多くて眼福でした。
腕まくり好きとしましては、ヒジから指先までのありとあらゆる動きが力強く美しくてセクシーでした。
こぶし握ってスジばった腕とかもう最高ですってば!(←誰か止めろ)
セットリストは、超ハードなロック、深みのあるバラード、スタイリッシュなインスト、
懐かしさを感じさせるフォークソング調など、福山の音楽的守備範囲の広さを示すバラエティの豊かさ。
どの曲も大好きですが、昨年末に聞いてあまりのカッコよさにお口あんぐりだった骨太なロック、
「逃げられない」がまた聞けたのは嬉しかった。かなり初期の頃の曲らしいのですが、
新参者のわたしには最高にかっこいい新曲以外のなにものでもありませぬ。
今さん、ましゃ、小倉さんのトリプルギターは鳥肌ものです。
曲も素晴らしいですが、どの詞も曲以上に素晴らしいのは以前も申し上げたとおりで。
わかりやすいシンプルな言葉で、人生の真理をさらっと歌い上げてしまいます。
「応援歌」という言い方は、いかにもという感じで実はわたしはあまり好きではないのですが、
そんな「いかにも」な感じはないのに、笑顔で肩をぽんっと叩いてくれるような応援歌も多いです。
「明日の☆SHOW」「幸福論」「少年」は特にお気に入りです。
ふつーに生きているだけの時に聞いてもグっとくるのに、震災後のこの大変な時に聞くと
さらに胸を打つ、という曲もあります。(状況に配慮して歌詞を一部変えた曲もあったようです。)
特に圧巻だったのは、ましゃのギターと井上鑑さんのピアノだけによる「群青〜ultramarine〜 」。
これは本当に素晴らしかった。本当に本当に素晴らしかった!
この歌は、戦場を抱えるこの世界、そこに生きる人間の想い、を歌ったものとわたしは解釈しているのですが、
自分の無力を深く感じながらも、それでも人間の未来や再生を信じてゆくという歌なのです。
多くの命が不条理に失われたという点では戦争も震災も変わらないわけで。
美しいギターとピアノに、力強いましゃの声だけが響くのですが、
フレーズごとの間をゆったり取って歌うので、無音の瞬間というのが何度かありますの。
その瞬間の張りつめた空気がすごく素敵で、この合間に声をかける人がいないといいな、と、
最初の無音の時に思ったのですが、見事に、最後まで誰の声も邪魔をすることがなかったのです。
思わず声をかけてしまう人がいても不思議じゃないと思うのだけどね。あれは素晴らしかった。
最高の歌と演奏の合間には、少しでしたけど楽しいおしゃべりも。
お遊びでも全方位的な気遣いを怠らない態度がもう、エンターテイナーとしてはもちろん、
人間的に素敵すぎる。覚えている範囲でご紹介。
・地方ツアーではその土地で訪れた「ぶらり旅」の写真などを紹介するらしいのですが、
さすがに横浜では、というわけで、その分はいつもより歌を多めに歌うと宣言。
・横浜アリーナは、1995年11月1日に初めてライブをした。
花道の真ん中にその当時のにっこり笑顔のご本人写真が貼ってあり、それを見て
「まー、今と全然変わらない無邪気な笑顔♪」(by本人)。以来、横アリでの公演回数は
27回にのぼり、男性ソロアーティストとしては歴代1位の回数になっただそうだ。
・恒例の出席確認&性別年齢確認。「女性の人!」と挙手させ「女性大好き福山です!」。
「男性の人!」と挙手させ「男性も大好き福山です!」。
「年齢確認をします」で会場がちょっとどよめくと「大丈夫です! 僕は絶対に事故をおこすような
ことはしませんから!!」と言い切り「『自分は若い』人!」。
ほとんどが元気よく挙手して、事故無く出席確認は終了したのでした。
・曲の合間には何回も、スタンド、アリーナ、立ち見、センター、ステージバック、すべてに声をかける。
「立ち見」という言い方もナンなので、「タッチミー」と呼ぶからと。
ちょっとハンデのある方面に、いきなりプレミア感を持たせてしまうのが上手すぎる。
・デビュー曲の「追憶の雨の中」を歌う時、いつもは紙コップにほんのちょっと水を入れて、
次々に遠くまで投げるのだが、この時期に水を掛けるのは冗談でもいかがなものか、ということで
コップには「飴」が代わりに入れられることに。その飴が好評を博したのか、「追憶の雨の中」の
ジャケット写真をまんまパッケージにした「追憶の飴」がグッズで売り出されました。
カラフルなアメ玉がいくつか入っているようですよ。
ステージ上で宣伝しておった。デビュー時のお写真て。笑えます。

楽しかったー。
最後までどうぞ素敵なツアーを!
(以下、自分用覚書のセットリスト) 5月25日横アリ
vs〜知覚と快楽の螺旋〜 (インスト) THE EDGE OF CHAOS〜愛の一撃〜 想〜new love new world〜 Peach!! Hello 明日の☆SHOW 蛍 蜜柑色の夏休み 石塊のプライド 幸福論 はつ恋 アンモナイトの夢 (インスト) 群青〜ultramarine〜 HARD RAIN 逃げられない Revolution Evolution (インスト) Gang★ RED×BLUE 化身 少年 心color〜a song for the wonderful year〜
(アンコール) 家族になろうよ 追憶の雨の中
(Wアンコール) 最愛
| 2011年05月24日(火) |
児玉清さんと福山雅治さん |
77才で亡くなられた児玉清さん。
ドラマや司会など、TVで拝見するどのお姿にも、上品で知的で穏やかで明るいお人柄が
感じられる方でした。なかでも一番印象的だったのは、自分の子どもほどに年齢が離れた役者さんたちへも、
礼儀や敬意をちゃんと払い、言葉の選び方ひとつひとつにも気を遣いながら丁寧に接する態度でした。
年下相手だろうと、エラソーだったり横柄だったりなんてことが微塵もなく、
あるいは、旬のタレントや俳優の若さや人気に対して卑屈になったり、なんてこともなく、
相手が誰だろうと気持ち良い態度が全く変わらない、本当に「紳士」という表現がぴったりな
方だったな、と思います。
ましゃも「たまラジ」で追悼の想いを込めて児玉さんとの思い出を少し語られておりましたので、
ちょっと抜粋。(たまラジHPでは全文読めます。)
「初めて僕がお会いしたのは、2003年のドラマ『美女か野獣』で共演させていただいたときでした。
児玉さんはいつもひとりでスタジオの中にいらっしゃることが多くて『一人になりたい方なのかな』
と思ってたんですけど、僕も余計なお世話といいますか、ちょっとコミュニケーションを、なんて勝手に思いまして、
『児玉さん、児玉さん、』なんて、よくスタジオの中でお話させていただいていました。
とても知的な方で、読書家で書評家でもいらっしゃいましたから、本当に色々なことをご存知で、
雑学的なことも文学的なことも大変勉強させていただきました。」
「児玉さんが『僕はオリンピックに行きたいんですよ。一生に一度でいいから』なんてお話をされていて、
僕はちょうどテレビ朝日さんの方でオリンピックに行く機会が多かったので、『じゃあ、是非一緒に行きましょうよ。
僕、ちょっと番組の方に言ってみますよ』なんて言って、2004年に一緒に行く機会をいただきまして。
テレビ朝日さんの方からも快諾していただいて。」
この時のことが児玉さんは本当に嬉しかったらしく、日経新聞の「交遊抄」でこう書かれていました。
「人見知りが激しく偏屈を装っていた僕がドラマの現場で初めて心を開いた友が福山さんであった。
僕がオリンピックオタクであることを知った彼はさりげなく『次のアテネに一緒に行きましょうよ』と言った。
が、番組(「美女か野獣」)も終わり、彼の言葉も冗談と片付けたか、すっかり忘れてしまっていた。
ところが、なんと二年後のある日、突如彼から電話がかかってきた。ちゃんと番組を用意して、
僕を夢のアテネへと誘ってくれたのだ。喜びも爆発的だったが、福山雅治というすてきな若者との
心の交流を通じて、信頼という一番大切なものを改めて教えてもらった思いがした。
そして生きることにまた新たに燃えたのだ。」
ましゃの言葉に戻ります。
「その後もメールのやり取りはずっとしていたんです。で、『龍馬伝』で共演ってことになったんですけど、
この共演にあたっても最後の最後に背中を押してくださったのは児玉さんでした。児玉さんは常々僕に、
『あなたは一見飄々としているように見えて世間では二枚目風に思われているけど、僕が知っているあなたは
もっと骨っぽくて男らしいところがあるから、そういうものが見たいな。』とおっしゃって下さっていて、
『龍馬は本当にぴったりだと思うよ。』とも言って下さって。
僕は自分ではそういう風に自分のことを客観的に見れないので、ああだこうだ、うだうだ迷っていたんですけど、
児玉さんがそこまでおっしゃってくださるんだったらやってみようかなと思って。
最後のひと押しというか勇気をいただいて『龍馬伝』をやることになったんです。」
「『龍馬伝』の中では父子という関係だったんですけど、お芝居をしてても役柄の設定以上の何かを感じられました。
あえて愛情と言わせていただきますけど、児玉さんがそういうお気持ちで芝居場に立ってくださっていたので、
役柄を越えた生の感情というものを、親子のシーンの中ではいつも感じさせていただきました。
児玉さんが演じられていた八平さんは第七話で亡くなったんですけど、その後も本当に一年間ほぼ毎週、
メールを下さいまして。『今週はあれが良かった。これが良かった。』って。
当然お芝居で迷ったりすることもあるんですけど、児玉さんがいつも応援して支えて下さっていたので、
それで乗り越えることができた『龍馬伝』だったと本当に言える存在でしたし、作品でしたね。」
児玉さんは龍馬を演じる福山のことを、最後まで本当に父のように見守ってくださったようで、
NHKスタジオパークで語っておられた大好きなエピソードがあります。
寺田屋で襲われた龍馬さんが、材木屋の屋根の上まで逃げて瀕死の状態で父の名を呼ぶ、
というシーンがありますが、この場面をご自宅のTVで見ていた児玉さん、
龍馬さんの「父上・・」という呼び掛けを聞くやいなや、
「呼ばれた! 行かなきゃ行かなきゃ!」と、思わず立ち上がってあたふたしてしまったと。
児玉さんが龍馬の父を演じていたのはもうずいぶん前で期間も短かったのに、
福山が龍馬を演じている限り、ずっと龍馬さんの父でいてくださったのでしょうね。
ましゃは児玉さんが亡くなる2週間前に、ご家族もご一緒の場でお会いすることができたのだそうです。
2時間ほどお話をし、長居をしてしまったので帰ろうとすると「もう帰っちゃうの?」とおっしゃられたとか。
ではもう一度ましゃの言葉に戻ります。
「一見クールな、ハンサムなという感じがしますけど、実は児玉さんの方こそ大変男気がある方。
でもそれを表には出さず、シャイで少年のような、本当に少年のままの77歳でした。
お芝居の方もいつも、最後まで悩み迷いながらやっていく、そういう人間らしい方でした。
『俺はこうなんだ。だからこう行くんだ。』っていう雑な感じではない、大変繊細な人柄で、
本当に僕の憧れとする、理想とする児玉さんでした。あんな素敵な方にはなれないと思いますけど。
僕は親父を早めに亡くしていますから、東京の父みたいな感じで勝手に慕ってたんですけどね。
僕もなかなか実感がなく、受け入れられていないというのが正直なところです。
作品の中では児玉さんという方は永遠に生き続けますし、永遠に龍馬の父でございますから、
色々な思いに寄り添いながら、もうしばらく、共に過ごしてゆければと思っております。」
最高に自然体で素敵な40代オトコマエさんと、最高に紳士で少年な70代。
年齢は親子ほどに離れていても、相通ずるものがあったのでしょうね。本当に素敵な関係です。
児玉さんのご冥福をお祈りいたします。
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