| 2011年03月03日(木) |
ハリポタ最終章を読み終えてしまった |
雪もちらついた寒い寒い月曜日、用事があって久しぶりに東京の実家を訪ねたら、
家の中のにゃんこが8匹になっておった。(以前に行ったときは4匹だった気がするのだが。)
さらに庭にゃんこも数匹おった。にゃんこパラダイス!
人見知りしない4匹が出てきてくれたので、存分にもふもふスリスリさせていただきました。
かわゆすー♪ ちょーかわゆすー♪ 撫でまくるのに夢中で写真を撮り忘れましたよ。
わんこもにゃんこも苦手だった母が生きていたら、こんな猫屋敷には絶対ならなかっただろうが、
もはや住んでいるのは兄夫婦だけなので、ふたりで日々かいがいしくお世話をしているようです。
よきかな。よきかな。
さて、ついにハリー・ポッター最終巻を読み終えてしまいました。

(これは「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」のポスター)
素晴らしかった! 読めてよかった!
想像をはるかに超えた壮大で重厚な結末には、久々に最高のカタルシスを感じました。
「最後に明かされる衝撃と感動の真実!」なんて言っては、あまりに陳腐な表現かもしれないけれど、
すべての謎がするすると解き明かされていくラスト5章の展開は本当に感動的でした。
ハリーの生い立ちから17歳になった今までのすべての出来事とその理由が、
彼の両親の子ども時代にまで遡って解き明かされるのですが、
それらの伏線がすべて、1巻から7巻の計10冊の中にちゃんと納められていたという驚き!
結末を知らずに「どうなるの?どうなるの?」とドキワクしながら
読み進めていた時も最高に楽しかったですが、
結末を知ってからもう一度読み返せば、1冊目からすでに「この人のこの言葉が」「あの人のあんな表情が」、
実はどんな深い意味を持っていたかということがよくわかることになるわけです。
つまりもう一度最初から読み返さずにはいられないということで。
作者は最終章を一番最初に書き上げ、それを大切に金庫にしまってから第一章を書き始めたということで、
それはこの見事な伏線の敷き方をみればあきらかですが、それにしても凄すぎる。
登場人物の数もハンパないしね。主要な登場人物だけでも100人くらいはいるし、
たまにしか現れないけど最高にいい味を出してくれるバイプレイヤーとなったらもう数百人もいる。
彼らひとりひとりが強烈な個性を持ち、大変な人生を抱え、それぞれが複雑にハリーの運命に関わってくる。
その深遠な人間関係が、長く遠い結末に至るまで全く破綻することなく描かれ続け、
最後にあんなステキな大団円におさまるというのは、もうどんだけ神業なのでしょうか。
はー。小説家って凄い。お話を書ける人って本当に凄い。
ひとりの頭の中に、現実の世界なんかじゃ観れない出来事、たかだか100年の人生なんかには
おさまりきれない出来事、まさしく別のひとつの宇宙、観たこともないパラレルワールドが存在しているわけですよ。
本当にすごいなあ。
しかしこれほど濃い最終章、夏公開の映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」では
いったいどのように描かれるのでしょう。
PART1が、ホグワーツから遠く離れた荒れ野などでの辛い逃亡シーンばかりで寂しかったのですが、
PART2ではホグワーツに戻っての最後の戦いとなるので、その点は本当に楽しみ。
ハリー・ポッターの魅力の原点は、ホグワーツ魔法魔術学校にありますものね。
| 2011年02月27日(日) |
「ろくでなし啄木」@天王洲 銀河劇場 |

千秋楽ぎりぎりで観劇できました。よかったー。
2階の立ち見でしたけど、銀河劇場はとてもこじんまりとしていて舞台が近く感じる劇場で、
視界をさえぎるものは全く無く、1幕2幕ともに1時間15分ずつというのも立ち見に優しい♪
三谷幸喜脚本の舞台を拝見するのは初めてでしたが、評判どおり本当に面白かったです。
出演は、藤原竜也(啄木)、中村勘太郎(啄木の友人でテキヤのテツ)、吹石一恵(啄木の愛人トミ)の三人だけ。
この三人が温泉に出かけたある一夜の出来事を、啄木の死後12年たって再会したテツとトミが回想する、
というシーンから始まります。生活にだらしなく金に困っていた啄木が三人の微妙な三角関係を利用し、
愛人トミを使ってテツから小金を巻き上げようとした、というのがその出来事の顛末だったのですが、
それは表向きの理由で、啄木の本当の意図は・・・・というお話。
膨大なセリフ量なのに、この三人のスピーディでコミカルな掛け合いが素晴らしくて。
序盤は勘太郎が際立っていて「これ勘太郎の一人勝ち?」と一瞬思ったほどです。
テキヤっぽいノリの良さもあり、海千山千の凄みもあり、トミに対する断ち難い恋心も見せ、
本当にろくでなし野郎な啄木への純粋な友情もあり。
それらを絶妙に表現する声色の使い分けも見事でしたが、何よりその身体能力。
歌舞伎がご本業ですから美しい身のこなしが身についておられるのはあたりまえですが、
とても実写とは思えないほどキレとスピードのあるコミカルな動きをなさる。
あの身軽さはサダヲちゃんを超えているかもしれない、と思いましたよ。
それほど動きながらも、膨大なセリフを息を切らすことなくつねに明瞭にドラマチックに
客席中に響かせる。いやもう勘太郎本当にお見事でいらっしゃいました。
で、中盤からは藤原竜也演じる啄木の見せ場。
トミやテツに甘え、取り入り、気づけば言葉巧みに丸め込んでしまう様子が本当に「ろくでなし」なのだけど、
その言葉を聞き入れずにはいられない魅力が彼の演じる啄木にはあって。
熱く激しく自分の想いをぶつけてくる啄木には、舞台上のふたりのみならず、客席内すべても
丸め込まれてしまう説得力がありました。
映像でしか拝見したことがなく、ナマ藤原竜也くんを拝見するのは今回初めてでしたが、
映像以上に素晴らしかったです。さすがです。
ふたりから想いを寄せられるトミ役の吹石一恵嬢はこれが初舞台だったそうですが、
この芸達者なおふたりに挟まれても全く遜色なく演じておられて、素晴らしいマドンナでした。
どたばたとすったもんだの一夜のあと、三人がそれぞれ別の場所で朝日を浴びながら
ものを想う場面があるのですが、この終着点が素晴らしい。
そしてその朝日にふさわしい、清々しい三人でした。
ドラマも舞台も、やはり脚本がすべてだと、最近強く思います。
根っからみーはーなワタクシですので、視聴・観劇意欲は出演する役者さんの顔ぶれで決まりますが、
作品の面白さの9割は脚本にかかっているのではないかしらん、と思う今日この頃。
特に今期のドラマとか観てるとね。いくら素晴らしい役者さんでも、脚本と違うセリフは言えないのだし。
ああしかし!
三谷幸喜作品の舞台まで今後チェックしたくなると、更に首が回らなくなってくる恐れが。
| 2011年02月25日(金) |
のこり1130ページ |
春一番ですかー。
暖かくなるのはいいけど、埃っぽいなまぬるい風というのは、やっぱりイヤですな。
さて、今一番楽しいのが読書中の「ハリー・ポッター」(携帯版)シリーズ。
ようやく最終章「ハリー・ポッターと死の秘宝」にたどり着きまして(まだビニールがかかっているが)、
これを読みきってしまうのが本当に楽しみでもありすごく寂しくもあり。
おもしろいんだものー。(今さらだけど)
読みすぎて目の奥が痛くなる前にやめねば、と思うのだけど、「痛いー、やばいー」となってから
無理やり休憩に入る日々。
これがあまりに面白すぎて、それに対して今期のドラマが全般的に面白く無さ過ぎて、
ドラマの感想を書く気になれませんことよ。(「デカワンコ」だけは大好き!)
魅力的で個性的な登場人物(&生物&生きてないけどいる存在)の数々、
ファンタジーとは思えないほど緻密に作りこまれた世界観、
壮大で深遠な多くの謎と、その絶妙なちりばめ方。
残酷で醜悪で卑怯きわまりないこともいっぱいだが、それをしのぐほどの
美しく雄雄しく面白おかしいこともいっぱい。
少年少女たちの会話がとても洒脱で粋で、比喩や皮肉もなんとも見事で、
国民性や時代の違いももちろんあるだろうけど、自分が十代半ばにこんな風な会話は
絶対できなかったな、なんて思ったり。(今でもできないけど)
ハリー・ポッターに限らず、(特に海外の)児童文学を読むたび思うのは、
児童文学って、親からの虐待、子ども同士のいじめ、横暴な教師、など無しには
ほぼ成立しないみたいだ、ということ。これらが出てこない話はめったにないですもの。
この3本柱の他に、さらにその物語固有のプラスアルファな困難が付いてようやく完成、みたいな。
自殺大国ニッポンの国民としては、こういう設定でも主人公が「自殺」を選ばないストーリー展開が
本当に素晴らしいと思います。ハリーなんて両親を殺され、預けられた家では虐待され、魔法学校の
アホな学友にも虐められ、横暴な教師にも虐待され、さらに最凶の魔法使いから命を狙われ、
なんて状況なのに、絶対「もう死んだ方がまし」とか思わないからね。
命を落さなきゃならないのは、闘って自分が負けた時か、人を助けるためにどうしても必要なときだけ。
ま、主人公が自殺しちゃったら全くお話が進まないわけですが、
ここまで過酷な状況にありながら「もう死んじゃお」って思わないんだ、なんて思う自分は、
今の自殺多発社会にじゅーぶん毒されているな、と思います。
どこまでも「どうしたらこの状況を切り抜けられるか」に取り組み続けるのが
人間の普通で自然な姿なのだろうけど。
しかしその普通で自然なのが、なぜかとってもむずかしい。
さー、読むぞー。
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