今日のおたけび または つぶやき

2006年04月18日(火)  ケリーの話に思うこと


今日はとても不遜なことを書きます。

ケリーのMCが大好きで最高に感動している! という方は読まないでください。

その感動に水を差すつもりはまったくありませんから。

それと、これはあくまでもわたしの聞いた4月9日のMCの感想です。

これ以降はもう、MCの内容は変わっているのかもしれないし。





わたしがケリーのMC(4月9日)に感じた居心地の悪さを、

どーにかして言葉にしようと何度も何度もトライしているのですが、

どうにも上手くまとまりません。

これはもう、語るなってことか。黙ってやりすごせ、ということか。



そうなのかもしれないな。

今までもそういうことはいっぱいあったし。

剛さんがいろいろ経験して成長していけば、

おのずと解決するだろうと思ってきたし。



愛してるとか優しさとか感謝とかありがとうとか、

そんな心地よい言葉がいっぱい出てくるMC。



でも、

ケリーの一言一句を全部覚えているわけではないのだけど、

MCの間じゅう「ひえ〜 そんな話聞きたくないよー」と、

内心すっごくじたばたしていたのは覚えているのです。



たいていの人はケリーの言葉に感動している。

剛さんはいっぱい傷ついたから人の痛みがわかる。

だから人にも優しい。

お母さんのこともファンのことも大事に思ってくれている。

「愛してる」って何度も言って、ファンといっぱい分かり合えてくれている、って。

今までの剛さんのソロコンの中で、一番優しい空気に満ちている! って。



そんなふうにうっとりできればどれほど嬉しいことか。

でもわたしには、やっぱり何か違うような気がしてならない。



剛さんが色々大変なことを乗り越えて、今最高に幸せな気持ちで

ライブを行なえていることは、本当に喜ばしいことだと思う。

剛さんが、剛さんのことを大好きな人たちだけに囲まれて、

「愛されてる」という実感をもって、日々歌っていられるのは素晴らしいことだ。



きっと、いっぱい辛い目にあったから、

そんなあたたかい場所にたどりつけたのかもしれない。

ハッピーエンドだ。



なんてふうにはわたしには思えないのだ、哀しいことに。

自分の言っていること、やっていることは「愛だ!」と

確信に満ちすぎている世界は怖い。

愛なんだから共感してあたりまえ、感動してあたりまえ、

そんな雰囲気も、ものすごく排他的で恐ろしい。



剛さんは本当に愛情深い人なのだろうと思う。

でもごめん。剛さんの言う「愛」の話には、

「愛」に絶対必要な(と、わたしは思っている)「厳しさ」とか「強さ」が

欠けているような気がする。 と、いうことに、今気づいた。

だからあのMCを聞いていると、あんなに居心地が悪かったんだ。



そんなこと言うオマエは何様じゃ! というお叱りはごもっともです。

わたしも自分には甘い。自分に甘く人に厳しい。

でも、その甘さを自覚しているつもりではいるのです。

それは変えていかなきゃいけないことだ、とも思っています。

だから、自分に厳しい人には心から憧れるのです。



ザル頭で一生懸命考えてみたのだけど、

愛とはすべてを受け入れ、すべてを赦し・・・とか言うでしょ?

だから、「愛する」ってことを、

相手の甘えや依存や束縛までも受け入れることと、

間違えたりするのじゃないだろうか。



「愛される」ってことを、

相手に甘えてもいい、依存してもいい、束縛してもいい、

と、間違えたりするのじゃないだろうか。



わたしにはホラーにしか聞こえなかったんだよ。

剛さんのお母さんは、生まれ変わったら剛さんの子どもになりたい。

そして、剛さんも、サインを出してくれたらちゃんと気づいてあげられる

自信があるよ、というお話が。



それを大切な人への愛情だと思い、それを親子の絆だと思う剛さんにも、

それに感動する客たちにも、正直ゾっとしてしまったのです。

恐ろしいほどの依存と束縛と甘え。それは愛とは違うのではないか?

優しさとは違うのではないか?



この話題だけからそう感じたわけじゃないのだけど、

たぶん、剛さんはまだ、幼児期なんだな、と思いました。



自分がまずいっぱい愛されないと、

愛することができるようにはならない、と言うでしょ。

で、それはまず、ちっちゃい時から親に、家族に愛されるところから始まる。

その頃は、依存も甘えも束縛もあって当然。

いくら甘えても頼っても「小さいのだから」と、ゆるしてもらえて、

おかーさんが他の人と話をしているだけで不愉快になるほど

おかーさんをひとりじめして。


そんな時代を経て、大人になって、ようやく自分から愛せるようになる。



剛さんは、子どもの頃からいっぱいいっぱい愛されてきた人だと

思っていたのだけど、まだ足りないのかもしれないね。

愛したい量が多すぎて、

その割には愛されたと感じる量が少ないのかもしれない。



だから、本当は愛じゃないものまで、愛と感じてしまうのかもしれない。



お母さんと、お母さんみたいなミュージシャンのみなさんと、

お母さんみたいなファンに囲まれて、それで幸せを感じている精神状態は、

本当にヒドイことを言うようだけど、まだ子どもなのだと思う。



哀しいが、わたしは大人な男にしか憧れないし萌えないのだ。

子どもは守らなきゃいけない対象ではあるが、憧れる対象ではないの。



早くに大人になることを求められていたから、

剛さんは人生でのいろいろな経験をすっ飛ばしてきてしまい、

だから思春期をやりなおさなくちゃいけない人なんだな、と

思うことはたびたびあったのだけど、

子ども時代もやりなおす必要があったのだな。



剛さんがいつか、お母さんみたいなミュージシャンがいなくても、

お母さんみたいなファンに囲まれていなくても、

堂々と幸せを噛み締められる、そんな大人な男になったら、

その時にまた、

「剛さんったら、いつの間にそんなカッコイイ男に〜!」って

萌えつつ大絶叫させていただこう。



ヒドイことを言ってごめんよ。

でも、ここまであのMCの空間が居心地悪かった理由を、

わたしは自分のために解明しておく必要があったのだ。

でなきゃ、剛さんをわけもわからず毛嫌いしてしまいそうだったし。



わたしはそんなにオカン話が嫌いなのかな? って、

マザコン界最高峰(?)のリリー・フランキー氏の

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」も、読んでみたくらいですから。


でも、「東京タワー」は全然イヤじゃなかった。普通に感動した。

リリー氏は母上を大切にする、魅力的な大人の男だと思った。

だから、オカン話が全部嫌いなわけではないの。



リリー氏の力まで借りて、自分なりに納得できたことで、ちょっと楽になった。

また同じ話をされても、「はいはい。そーね。」と聞いていられるかも。



でもやはり、歌だけ聞いてうっとりしていたかった、というのが

正直な気持ちだよ、ケリー。





2006年04月17日(月)  皇帝とスフィンクス





ぶた。


いただき物の透明な石鹸の中にいて、ずっと飾られておりました。

このたび、ようやくその石鹸を使いきったので、晴れて世の中に。

意外にかわいらしかったので記念の1枚でございます。



さて、お絵かき堂本兄弟。 >タイトル違います

剛さんが上手なのは今更言うまでもないので、

ここで何かとオイシイのは、やはり光一さんでしょう。

そしてその期待に見事応えてくれましたわ。


ナスみたいな曲線を描いていらした時は、

これがいったいどーやって「皇帝ペンギン」に!? と思いましたが、

アゴの皇帝ミハエル・シューマッハ! >アゴ言うな。



すばらしい。



確実に、堂本光一にしか描けない絵ですね。

そして次のお題「スフィンクス」。

たかみーが大変可愛らしい絵をお描きになるのにも驚きましたが、

誰よりも早くちゃっちゃと描き上げられたのが、あの



風化と侵食の激しいスフィンクス!



「写実的」とはこういうことを言うのだわ。

軽く感動を覚えたわたしはアホでしょうか。

絵の上手な友人に忌憚ない評価をしていただきたい。 >そこまで入れ込むものでも



あとね、コンタクトレンズ使用者のその苦労はよーくわかる。

うちは窓とお布団の位置的に、寝たまま月が見えるんですの。

でも、大変に視力の悪いわたしは、夜更けの綺麗な青白い月も、

裸眼では見えませんのよ。(5重くらいにブレて見える)

星なんてもっと見えない。


ま、その分天敵のゴキくんや蜘蛛くんが出現したときでも、

裸眼ならその形状をはっきり認識することなく始末できたり。



そうそう。

武田真治くんが演奏のみならずトークの時も居てくれるようになったのですね。(嬉)

大好きな役者さんなので、トークへの絡みでも大好きになれるといいな。

でもな〜。素では相当に不思議な人という印象もありますが。

とりあえず、ポケットのないドラえもんへのツッコミぐっじょぶ!

これからも容赦なくお願いしますよ〜。




2006年04月14日(金)  『滝沢演舞城』


『獣王星』では光一さんの曲が聞けたし、(とっても好きな予感)

めざましではパラパラを踊る翼が観れたし、(おヒゲ翼ぶらぼー! 男っぽさ3割り増し)

なにかと嬉しい週末です。



つばさー、とても元気そうだったな。よかよか♪ 

「SHOCK」の時より表情が柔らかいです。顔のコワバリが取れたというか。

舞台期間中の、不調を抱えつつの緊張状態は、やはり想像以上だったのだな、

と、あの明るい笑顔を見て思いましたわ。

おさるな髪型も相変わらず精悍。好きだよ、おさる頭。



なんで今頃パラパラなんだ? な疑問はありますが、

ライブで踊れと言われれば、いつでも何度でも仰せのままに。

よろしくご教授ください。←教えられたがり



でも『Venus』は、昨日、新橋演舞場で踊ってきましたよ。

はい。『滝沢演舞城』13日昼の部を観てまいりましたの。



今週は遊びすぎなのは、じゅーじゅーわかっております。

でも、これ以降は5月中旬(MAの『NARUTO』を予定)まで、

お楽しみはないのでございます。



話はちょっと飛びますが、

うちにしょっちゅう遊びに来る息子の友人が、

最近非常にタッキーに似てきまして。

小学校以前から知ってるし、その頃からふつーに可愛らしい子だったのですが、

わたしはジャニー氏ではないので、タッキー顔になるなんて予想はまったくできず。



でも、こう似てくると、タッキーを見ても

「あら、ケンちゃん。(仮名/14歳)みたいな気分で、どーにも

舞台に入れ込めない。意外な落とし穴でございました。

ちなみに、学校では「ウェンツ」と言われているそうです。

なぜみんな「タッキー」とは言ってやらぬのだ?



さて、滝城です。

凄かった。とても面白かった。


これまでの「SHOCK」の歴史の中で何度も観た演目や演出も

いっぱいありましたが、だから二番煎じ、とは思わなかった。

むしろとても嬉しくて懐かしかったし、

受け継がれてよいものだと思ったし。

それに、演者が違えば、印象はがらりと違うものです。



しかし、あらためてしみじみ思ったのは、

舞台とは大変な修行の場なのだな、ということで。


「SHOCK」で自分を痛めつけるだけ痛めつける座長を観てもそう思ったが、

こちらの滝座長も、階段落ちこそないが、


逆さ吊りのままそんな激しく急降下してこなくても〜、

>マジで頭の上に落ちてくるかと思った。

そんなくるくるくるくる回らなくても〜、

>ツバサはフライング中に伸身のまま前転をしていたが、
 滝座長は、それプラス膝を抱え込んでボールのように高速で前転する


そんなどしゃぶりの中でずっと闘わなくても〜、

>最後には水を溜めた池に背面から倒れこむ。

と、非常に激しい動きの数々に、その身を大変に案じてしまう。



舞台人の中でも、座長という人たちは、特に厳しい修行者なのだな。



そうそう、SHOW MUST GO ON に相当する言葉が、

ちゃんとこちらの舞台にもありましたのよ。もちろん日本語でしたが。

ちょっとニュアンスは違ってしまうのだが、

和洋問わず、どーしても言わせたいんだねこの言葉を、と思ったり。



で、滝座長はJrたちを本当によく束ねている。

プロフェッショナルな舞台に、ちっちゃい子がわらわら出てくるのは、

実はあまり好きじゃなくて、今回もその面ではちょっと警戒していたのです。

でも本当に一生懸命で、てきぱき美しく動いていて、観てて気持ちよかった。




これは本当に、自分が手本となってがっつりひっぱっていく滝座長と、

それをしっかりサポートするABCら、

おにいちゃん格のJrの力量のおかげかと。



SHOCKではなかなか追いきれなかった、

ABCのダンスやアクロバットを、あらためてしっかり堪能したのですが、

踊りもアクロバットもカッコよすぎ〜。

どんな時でも絶対に笑顔の塚ちゃんに、わたしが癒されすぎ〜。



ABCはあれだけ踊りまくり回転しまくり跳びまくりの上に、

フライングやイリュージョンでの大変重要な役割も数多く務めていて、

ひょっとして、滝座長よりも体力的にも精神的にも大変なのでは、

と思ったほどです。



本当に凄いです、ABC。

なのに塚ちゃんのあの笑顔。 ←相当ヤられたらしい。

たとえ普段の素のお顔も笑顔で、笑顔こそが彼の標準装備なのだとしても

やっぱり笑顔というのは人を幸せにするよなー、と思う。


彼らもいつか、MAみたいに単独のステージや舞台ができるといいね。

がんばれABC。努力は裏切らないよ。 283のパクリです



ショータイムでは、ヨコ大倉くんだけでエイトの曲を何曲か歌っていましたが、

ふたりだけなのに、なんだかしっかり充分関ジャニ∞でしたよ。(ニュアンスでわかって)



さて、滝座長にもどりましょう。


やはりわたしは、ショータイムよりアクロバットより、

義経様に再会できたのが一番嬉しかったです。

「滝城行こ♪」と思ったのも、滝沢義経をまた観たかったからですし。



時間も短いしセットにも制約があるのに、

ストーリーは非常によく出来た構成で、

頼朝との確執から義経の悲劇の最期までを、

大河ドラマとはまた違った面白さで見せてくれました。



義経のお話なのに、

コウイチ座長風味の「ちちうえー!」な場面があるのですよ。

(義経の父上だから義朝の亡霊が出てくるわけだが)

義経とハム様の融合だー! と、すんごく面白かった。



和モノをずっとこなしてこられたせいか、

もはやスーツよりも和装の方がはるかにお似合いな感じの滝座長。

義経の鎧姿はもちろん、遮那王の若々しい装束も。

で、殺陣がとにかく速い。キレイで速い。


所作と殺陣で鍛えられたのか、

踊りまで、以前より上手になられた気すらいたします。



そして、やっぱり凄かったバンジーとフライング。

わたしは、天井からぶら下がっている檻(っつーかカゴ?)の真下の席でしたので、

(そこでABCが出初式みたいなアクロバットしたり滝座長が歌ったりする)

滝座長がバンジーでくるくる回りながら客席を横切っていく度に、

飛び散る汗を何度も全身に浴びてしまいましたの。

おかげで、



たっきーとは、もはや他人の気がしない。 >出ました変態。



翼と他人の気がしなく早くなりたいのに、>日本語正しいでしょうか

たっきーが先でしたか。ありがとうございます。殿の御意のままに。

>完璧に他人のままです。



そうそう。

新橋演舞場に入り、ロビーの椅子に座ったとたん、

お弁当(「タッキー込みご飯」ってやつ)を食べていらしたご婦人にいきなり

「何回目ですか?」と尋ねられまして。

「初めてです〜」と初心者丸出しの笑顔で答えましたら、

お箸を動かす手は止めずに「わたし18回目なんです〜。」と、とても嬉しそうに。



おおらかだわ〜。微笑ましいわ〜。

帝劇ではそれは言わない尋ねない、のが

いつの間にやら暗黙のルールになりましてよ、

なんて余計なことは、ひと言も申し上げませんでしたが。



滝座長、および一座の皆さん、

素敵な舞台をありがとうございました。

千秋楽までどうぞご無事でご活躍くださいますように。


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