木津未来会議の日記
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| 2004年10月20日(水) |
合併に向けての意見交換 |
全員協議会ってご存知ですか? 法的根拠をもたない会議で、議長の招集により開かれる会議のことです。 昨年6月より、合併に対する研究会をこの全員協議会で行っています。会議規則に縛られる本会議に比べ、おたがい忌憚のない意見を発表する場と言うことで、非公開が原則です。議決をとったり、一定の方向を出していくような会議ではありません。
今回は、まず、町長が合併に対する思いを述べられ、その後議員から自由にそれぞれ意見交換をするという形で進められました。 台風接近間近で、大雨、洪水、暴風警報もでており、1時間の予定で進められました。
まず、町長。 以前申し入れのあったところから相手の意思の確認を含め、協議再開を申し入れたいと言われました。 特例債目当てではないけれど、目標は17年3月。そしてできることなら最小の形で特例債も活用できればと言うような思いを聞かせてもらいました。
議員からいろいろな意見が出ます。 「合併は賛成であるが、木津の発言権をもっと意識してリーダーシップを発揮すべし。」 「この3つの枠組以外の枠での考えはあるのか?」 「3町が不可能の場合2町でという考えはあるか?」 「特例債の上限は、3町合併の場合、212億とも言われているが、国の財政難からみても本当に、その額が保障されると思われるのか?」 など、など。
町長の話を聞いていても、住民の意思を確認する姿勢が全く見えてきません。
私は、特例債に対する不信感と、今後の情報提供を会派代表会議での公開でなく、今回のように全員協議会を開催して報告してほしいということ、そして何より住民の意見を収集、確認の上での決定をお願いしました。
でいきたいものです。もちろん議員である私も、議会も。 昨日、議会運営委員会が開催されました。議会終了後。
もちろん私は委員ではないので、傍聴しますと委員長に申し入れました。 すると、そこで、 「傍聴許すことはできません。」と言われたのです。
「なぜですか?議会公開の原則に反します。」
「委員外発言をするような方は、許せません。」
「えっ。」びっくりしました。
確か、委員会条例に「委員会は傍聴は議員ほか委員長の許可を得たものが傍聴することができる」とあったはず。 委員外発言についても委員長が認めた場合には、発言を許可できるともあるのです。
幾度も「納得いきません」と委員会室で求めるも委員長は認めず。他の委員、町長、行政職員も着席しているのに、私は仁王立ち。 「それでは、市町村議長会へ連絡させていただきます。」と事務局からすぐ電話しました。議会の運営についてお尋ねしたいと。
その後、議員に対しては、どの委員会においても出席を断ることはできないと、法令違反であると確認でき、無事途中から傍聴がかないました。
「すみませんでした。そのような決まりがあると知りませんでした」と言われましたが、法令遵守に努めていただかなくては、職員に対して法令を守るよう要求しても説得力ありません。議員も特別職の公務員ですから。
議員となって、6回目の一般質問。 友人から貰った水色のスーツに身をつつみ、いつものことながら、直前まで四苦八苦しながらつくった原稿を抱えて臨みます。 今回は、新町長に問う3問。 1 性急な合併に対して、住民への説明は?今後の進め方は? 2 信頼回復に向けての取り組みは? 3 子育てNO1のまちとは?
木津の議会の、申し合わせ知ってますか?会派の代表がする代表質問は、町長が答弁されますが、一般質問の場合は、部長級が答弁するというものです。 しかし、執行機関の責任者として、町長がまずもって答弁すべきであり、近隣の加茂などは、いろいろ工夫されてます。 今回は、特に町長の公約について聞かせて頂くので、事前の聞き取りの際にも重ねて町長に応えていただきたいと口頭で申し入れておきました。 (〜以前の質問では、他の議員さんが町長を指名されても他の方が応えられる場面がありましたから。〜) そのかいあってか、河井町長の姿勢か、自ら応えられました。3問目についても、部長答弁のあと、答弁を重ねられ、真摯な姿勢が見えました。
さて、内容ですが、私の追求の仕方にまだまだ反省点があります。傍聴に来てくれた仲間たちから、「もう少し迫力があったほうがいい」「再再質問いい事言ってるのにあともう一息ツメが足りない」と厳しいけど優しい指摘を受け、さてまた明日から踏ん張るぞ〜の気持ちがわいてきます。 たくさんの傍聴ありがとう。詳細は通信でしますね。
| 2004年10月14日(木) |
リニューアルオープン |
といってもお店のことではありません。 このHPです。もちろんこの日記をお読みになっているあなたならもうお気づきでしょうけど。
夏より、月に2回の講習を受けつつ改装を進めてきました。3人寄れば〜の言葉どおり、3ヶ月かかってようやくここまでこぎつけました。 以前のHPは、友人の夫さんに気軽にお願いしてましたので、ご苦労を全くわかっていませんでした。改めてお世話になりました。
しかし、それにしてもPCの言葉ってホントわかりにくいと思いませんか?といって、日本語にしたらわかるってわけでもないか。 (そういえば、リンクをはって、さあアップ。したのはいいけど、階層が違うという理由で見えなかったっけ。未だそのイメージがわかってないし。)
以前田舎の母が「ウイルスにかかるといけんから、マスクしてパソコンの前に座っているんだ。」と言ってたことが笑えないくらい、ほんと何度聞いても次の講習の時には、まっさらの頭だった私でした。
とにもかくにも、改装記念日と優しく根気よく教えてくれたTさんに乾杯!
秋晴れの3連休最後の日、木津2中での町民運動会がありました。30回目だそうです。ということは、私が、中学3年くらいから始まったんだと考えながら、開会式を聞いてました。
さて、大会名誉会長としての挨拶。「河井町長」と指名されて。真っ白なブレザーが素敵です。 あれっ?なんかおかしいな?と感じたのは私だけでしょうか? 「このたびの選挙で町長になりました河井です。みなさまのご支援ありがとうございます。今後はより一層町政の推進に努めたいと思います。」から始まる挨拶でした。当選のお礼に聞こえたのは私だけ? 続く議長の挨拶も「河井町長ともに、今後とも両輪となって課題解決に全力を挙げてのぞみます」が挨拶の冒頭に。はたまた、伝宝府会議員も「河井町長を応援させていただきました〜と。」
ここは町民運動会。その挨拶として、後援している側や来賓の挨拶としては運動会にふさわしくないものを感じました。 そういえば、先に男女共同フォーラムでの町長の挨拶も冒頭に選挙へのご支援を頂きと挨拶されていたし。公選法のあいさつ行為の制限ご存知のはずですよね。
| 2004年10月08日(金) |
大義なき戦争への加担 |
とうとう報告されました。戦争前のイラクには、大量破壊兵器はなかったとの米政府の調査団による報告です。 あの3月20の時点でイラク侵攻に踏み切った最も重要な根拠が間違いであったのです。
フセイン政権を倒さなければ、今見つからなくても、いつ何時大量破壊兵器の開発に手を染めるかわからないからという理由もあげられてました。 北朝鮮による脅威がある以上、アメリカに協力すべきだというようなことも日本では言われてました。 そして、イラクに大量破壊兵器があるという差し迫った理由での攻撃だったのです。
しかし、今回の報告により、戦争の正当性は全否定されました。
華氏911で見たシーンが思いだされます。生活するため、学費を稼ぐために、兵士として志願する若者たち。戦争突入を決めた議員へ兵役加入の案内を渡すムーア監督をよけるように通り過ぎる議員たち。そして、最愛の息子を失い、減額して支給された手当てを受け取り、やり場のない怒りをぶつける母の姿。
日本は、終戦後初めて外国へ自衛隊を送りました。人道支援のためとして。もちろん大義なき戦いに傷つき、負傷したたくさんの人びとを救いにですが。 政治の役目を改めて考えます。武力による何も生まない解決ではなく、対話による解決を目指したい。
高の原小学校に行ってきました。昨年まで末娘が通っていた学校です。子どもが卒業したあとも続けて、ボランティアに登録させてもらってます。地域へも広がっている高の原小の取り組みです。 朝学習の時間を利用しての読み聞きかせです。
我が家の子どもたち3人次々とが登校したあと、台所の片付けも洗濯もそこそこに、いえほったらかしにして、今日の本2冊とエプロン片手にいちもくさん。8時半より15分間の時間を楽しみに急ぎます。 今日のクラスは3年生。Nさんと一緒です。キンコンカンコン♪の合図とともに、子どもたちの元気な声。 「おはようございます。」「さあ,今日の本は。」と始まります。 子どもたちの反応が楽しみ。その場の状況によって反応が変わり、なんともこちらが試されているようで、何がおきるかわからない、これまた楽しい。
そんな時間が好きで、皆さんの協力の元、続けさせてもらってます。
「生き生き日本語聞いてえな」「しゅくだい」の2冊を心行くまで楽しませてもらって、さあ、今日もこのまま役場へ直行。
木津未来会議

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