Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


全日記のindex  前の日記へ次の日記へ  

*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2008年09月30日(火)  I'll have no such chat

ウィリアム・ピアスンの「すばらしき罠」読了。1953年作。なんでこの本を購入したんだか忘れたが、以前にヤフオクで入手した初版の絶版本だ。
罠にはめられた主人公が、濡れ衣をはらすべく立ち回るというよくある筋なのだが。この男は、ある犯罪を犯していないことを立証する為に同じ犯罪を犯し、自分がはめられた罠から抜ける為に、別の人間を罠にはめるのだ。そして最後は、愛を粉々に砕いて終わる。犯罪は犯罪として、それでも愛だけは守れる状況においてそれを踏みにじる。要するにこの男は最初からずっとただの嘘つきで、自分のことしか考えていない。
これに比べれば、フレドリック・ブラウンの'The Wench Is Dead'で、愛する娼婦と共に、犯罪を抱えて生きることを選択する主人公の真摯な態度は、愛らしいまでに誠実だ。
*ミステリーを読む方にはおわかりでしょうが、ネタバレしないように喋っている為、言葉が抽象的になりがちです。
後書きに「ウールリッチの考えそうな着想」などとあるが。私の愛するウールリッチと比較するのはやめてくれ。ウールリッチは、どんな皮肉でペシミスティックな話を書いていても、痛いほどに誠実で、愚かなほどロマンティックだ。

メールをチェックしていて、Darrenから来ているのに驚く。新しく始めたらしいチャットシステムへの招待だ。興味は全くないものの、何となくサイトのリンクをクリックしてみたら、数秒とたたずにDarrenからチャット要求が来た。すぐさまサイトを抜けて、そのままメールも削除。
Darrenを受信拒否などにする気はないのだが。"your perfect ass"がどうこうとかメールを送ってくる男とチャットする気になれるかっての。
(10/13up)

I'll have no such chat (そんなチャットしたくないわ)  *Arthur McBride / Bob Dylan (1992) の歌詞。



2008年09月29日(月)  Should we talk about the weather? Should we talk about the government?

夜中に、NYから帰ったkenjin(g)からメール。大統領選の話などした後で、「ま、雨続きだし、Should we talk about the weather? Should we talk about the government?ということで」なんて書いてあって、相変わらず私のぐっとくるツボを押さえてるなあと思う。
メールの本題は、ニルヴァーナの映像を見せたかったらしい。カートが途中からギターを捨てて、マイクを手で持って歌っている。
私もこういうのは初めて見た。カート・コバーンというのは歌も歌うギタリストだとばかり思っていたから、確かに、一瞬でもギターを捨てる彼というのは想像したことがなかった。
先にkenjinの説明を読んでしまったせいか、それほど衝撃は受けなかったが、でも、予期していないところにこう来られたら確かに度肝を抜かれたかもしれないな。カートがいきなりギターを捨てる。マイクを持って長くシャウトする。それだけで、ドラマになっている。
kenjin自身はこの映像に相当興奮していて、ひとつのドラマに対するこういう反応の仕方は私に似ていると思う。
しかし。実はちょっと助かった。「kazuの大好きなニルヴァーナ」が、おかげで最近全く聴けなくなっていたのだ。そこにkenjinのおかげですいっと復活出来た。
よし、この方法でいけばいいのか。誰かツェッペリンの衝撃映像送ってちょうだい。(ボンゾがスティックを捨てて、いきなり素手でドラムを叩く・・・のはしょっちゅうやってるか)

Should we talk about the weather? Should we talk about the government? (お天気の話でもする? それとも政治の話?)  *Pop Song 89 / R.E.M. (1988) の歌詞。



2008年09月28日(日)  Jonathan

10月下旬にまた南阿佐ヶ谷ロックバーBセッションに出ることになった。実を言うと私は、毎回自分がかなり出ずっぱりな気がして、そろそろ一度くらい控えめに・・・と前々回くらいから考えていたのだが。逆に前々回からの2回こそが、バンドとしてばっちりやっちまったので。今回は前もってバンドに、「今回はバンドで出なくてもいい」と言った。そしたらMY(b)だけが出ることになった。
しかし精力的で顔の広いMYのこと、 2〜3日の間にギターとドラムを探してきた。それも、どうも「プロ並みに上手い」方々だとの噂である。うーん。
MYに3曲やりたいと言われて私が選んだ。最近バンドでやっている尖った雰囲気とは異なる選曲にしたら、これが何故か、3曲そろいもそろって、「死」に関係する曲。別に深層心理に何があるわけでもないだろうが。

3曲中1曲が、ガール・ブラザーズの'Reaching One'―――ウェンディ&リサがたった1枚別名で出した追悼アルバム'Girl Bros.'の1曲目で、歌詞もそのまま死を悼む内容。だから、普段の彼女達の(私が苦手な)色気のあるファンクとは違い、シンプルなネオアコ風だ。
私はこのアルバムを、2005年に高円寺CROSS ROADでたまたま手に取り、あっという間にのめりこんだ。その後CDライナーを読んで、これが追悼アルバムであることを知った。
亡くなったのはウェンディの兄、ジョナサン・メルヴォワン。キーボーディストで、1996年にスマッシング・パンプキンズの'Mellon Collie'ツアーに参加中に、ドラッグのオーバードーズで死んだと書いてあった。

が、今日ネット検索して初めて知ったのが、その時ジミー・チェンバレンも一緒にヘロインをやっていたということだ。ジミーが911に電話したが、救急車が到着した時にはジョナサンは既に死亡していたらしい。それが原因でジミーはスマパンをクビになったというのだ。
その結果、1998年に、スマパン唯一の、ジミーのいないアルバムが出る。―――'Adore'だ。私がこの半年あまりうっとりと浸り続けているアルバム。
私はジミー・チェンバレンのドラムは好きだし、スマパンの他のアルバムも聴く。一番好きなのは'Mellon Collie'だ。しかし、'Adore'は、ドラマー不在であることでスマパンの中でも異質であり、今現在の私をどうしようもなく魅了している。

ウェンディ&リサにとっての'Girl Bros.'も、追悼アルバムゆえの特異性を持ち、ファンにすらあまり知られていなかったりするが、これ1枚だけが私の心に食い込んだ。

ジョナサン・メルヴォワンという未知の人の死がきっかけで生まれた2枚の異質なアルバム、それが偶然に2枚とも私のコアにしっかりと根を下ろしたという事実が、何となく不思議な気がする。
(10/11up)

Jonathan (ジョナサン)  *Girl Bros. の曲。(1998)



2008年09月27日(土)  嘘をついたりしない

土曜なのでまた古本屋に本を売る。現在約170冊売って6,010円。ちなみに店主にはいきなり興味をなくした。(よく見たら好みじゃなかったです、っていう私によくあるパターンw)
カルディに寄って、キャンベルのミネストローネ、キャドバリーのミルクチョコ、ハバネロコーンチップを買う。

青梅街道の行きつけの美容院に、前髪をカットしに行く。ここには月イチのペースで来るのだが。6月に来た時は「彼氏出来ました」と言い、7月は「入籍したんですよー」、8月は「品川に引越すんです」、で今回が「離婚しました」だ。
担当美容師に毎回かなり面白がられている私だが、今回も「いやーBunnyさんらしいですねー」とウケていた。「というわけで今後もよろしくお願いします」と言ったら笑って喜んでいた。
そういえば離婚した日の授業に来た真理絵ちゃんたちに、帰り際に「あ、そうだ。先生離婚しました♪」と笑顔で言ったら、一瞬真理恵ちゃんが「あ!♪」と言ってその後ふっと黙ったので、「今『おめでとうございます』って言いそうになったでしょ?」と突っ込んだらその通りだった。実際言った生徒もいる。私に直接会ってこの結婚〜離婚話を聞いている人なら、決してお悔やみを言うどころか、うっかり「お祝い」すら言いそうになるのだ。
なのに。日記とメールでしか話を知らないと、私がいくら元気だと言っても信じず、「励まそう」としたりする人たちがたまにいて、これが非常に心外だ。
私にとって「強がり」は「嘘つき」と完全に同義だ。kazuが嘘つきだから離婚したのに、その私が嘘つき扱いされるのは不愉快だ。私は、アホで凶暴で大人気がなくてうかつでビジュアル記憶障害で遅刻魔だが、「嘘つき」ではない。
だいたい、「強がる」なんてかっこ悪いことしないわよ。失礼な。
それに強がるくらいなら、こんな日記なんか書くか。
(10/10up)

嘘をついたりしない  *ダーリン・ミシン / RCサクセション (1980) の歌詞。



2008年09月26日(金)  Don't ask me why

CBSニュースによれば、サラ・ペイリンの支持率――特に女性有権者からのそれが急降下らしい。わずか18日間で47%→34%だとか。残念なことだが、全く意外ではない。
若手の女性でアラスカ知事という際立った人物を選んだマケインの機知は見事だと思ったが、しかし選ばれた人物がそれを受けてたつ器量に少々欠けていたらしい。爺さんは、欠けている部分なぞ自分が補えると思ったのだろうが、予想を超えた注目度だったということか。

元々がちがちの保守派なのだ。加えてブッシュと同じで進化論より創世記を好み(驚くなかれ、統計によればアメリカ人の51%が創世記を事実だと思っている)、地球温暖化は人為的ではないと発言する。突っ込みどころ満載なのだ。今まではアラスカという僻地で、その考え方で問題なくやってきたところへ、いきなり全国から注目を浴び、その(マケイン批判を含む)過去の発言までがいちいち取り上げられる。そして彼女はそれに対する準備が出来ていない。
なので、簡単に逆上し、うろたえる。
最新のインタビューでCBSのケイティ・コーリックに、「あなたが昨年までパスポートを取ったことがないのは、世界に対する関心の欠如のあらわれではないかと疑念を持つ視聴者が多いのだけれど」と言われただけで、もう"I'm NOT one of those who..."と動揺で声が裏返り、「私は大学を出たら親が世界旅行していらっしゃいなんていう環境にはなかったの。仕事と家庭の両立で忙しかったのよ。世界のことなら学校教育や本やメディアから充分学んだわ!」(訳は私のダイジェスト)と泣きそうな顔で早口でまくしたてる。ものすごく、説得力がないのだ。常に守勢にまわって言い訳をしている。

ヒラリー・クリントンは堂々と嘘をついて信用を損ねたが、サラ・ペイリンは必死で自分に筋を通そうとして信頼を失っている気がする。その信念はことごとく私と反するものの、見ていて憎めない人物であり、もう少し頑張って欲しい気もするのだが。
結局あの爺さんが、もうちょっと考えておくべきだったということだし、今現在もフォローが足りないのだよ。
(10/8up)

Don't ask me why (何でかなんて訊かないでよ)  *Sarah / America (1977) の歌詞。



2008年09月23日(火)  Come back to me again, and play your sad guitar

グレアム・コクソンが、デーモン・アルバーンが「ブラーは終わった」と発言したのに対し、ブラーのオフィシャルに反論書込みをしたという。なんと、「彼が決めることじゃない」と言ったらしい。
・・・既にバンドを辞めているあなたが言うことじゃないと思うんですけど。「俺のほうからまた彼に連絡入れて話してみるべきなんだろう」とも言っているらしく、復縁希望ありありですね。逃げられれば追うのか? これが、グレアムを復帰させる為のデーモンの「手」だったとしたら、まんまと成功か?

しかしグレアムがブラーに戻ったりしたら、近づきづらくなっちゃうな。今なら(多分)単なるカムデン在住ギタリストくらいの身分だろうから、ロンドンに行って果敢にアタックすればロマンスのひとつも(すみません妄想ですから)

関係ないがフー・ファイターズも活動休止らしい。私の感想はといえば、「ジンナイくんが行くライヴがなくなるなあ」と思ったくらいだ。
前回のフーファイのライヴも楽しかったけど、やはり新譜が今ひとつの出来だったことが、活動休止にショックを受けない理由かな。

Come back to me again, and play your sad guitar (また僕のところに戻ってきて、あの切ないギターを弾いてくれ)  *Groupie(Superstar) / Delaney & Bonnie (1969) の歌詞。



2008年09月21日(日)  バイバイ 君といたってしょうがない

ベイビー(g)はじめ2、3人に、「人妻最後の夜」とタイトルをつけたメールを送る。そしてサルトルの戯曲「キーン」を読む。「狂気と天才」なんていうご大層な副題に似合わず、ほぼコメディといっていい。
その中に、「男が自分のためにしてくれた気違い沙汰―――それを許さない女があるでしょうか?」という台詞があって、ホントよねえー、とうなずく。2003年の彼がした「結婚直前の身でありながら、私を好きになってうちに入り浸った」という「気違い沙汰」、2005年の彼が、私のために妻と子供二人を捨てようとして、双方の親や上司まで巻き込んだ大騒動、など。その時々はそれぞれに辛い思いをしたけれど。彼らがそれぞれ分別をなくしたのが、私への愛情からだと思えば、はっきり認めてしまえば気分はいい。(単にそれぞれ性格的に問題があったのかもしれないけど)
要するに、私を含む多くの女は、男が自分のために馬鹿なことをしてくれるのが好きなのだ。馬鹿な男は愛しい。
私に対して恥をかくのを恐れる男なんて。愛せない。

などと。サルトルを自分の身の上に重ねて読みつつ、人妻最後の夜はふけてゆく。
(10/4up)

バイバイ 君といたってしょうがない  *ぼくはぼくの為に / RCサクセション (1976) の歌詞。



前の日記へ次の日記へ