| 2005年08月05日(金) |
I have no choice |
「もうやだ。またパニック起こしたよ。起こる間隔が短くなってる」
MNに泣きながらメールを打った。お昼に、シャワーから出てきたところでキレた。来ると思った瞬間、「起こすもんか!」という物凄い反発が起きて、無理矢理抑えつけた。息苦しくて窓を開け、それでも駄目で、思わず裸のままドアの外に出そうになった。
MNから返信。「こんなん抱えて生きていくのイヤだわ」という私の文章に対して。
「それでもおれは生きていくしかない。おれには選択する自由が存在しない」
MNは同じパニックを抱えているが、その前に彼は体の自由がきかない。
うんうん。ごめんね、甘えたことを言って。やわらかい涙が出る。私はそういう風に言ってほしかったんだ。
出勤前に高円寺の中古レコード屋へ。LP1枚、CDとEPを合せて15枚くらいで7,340円。結構いい値段になった。
最近はまたどんどんモノを手放している。
夜はかっちゃんが初来店。少し前に彼氏と一緒に住み始めたせいかえらく可愛くなっていて、ちょっとムカつくw
しかし、現在は幸せな状況の筈が、またも悩みを抱えていると口にする。この子も私と同じで、一人でじたばたするクセがある。詳細は知らないけど、知らないままでも気持ちは解る。
いいからさっさと幸せになりなよ。ね?
閉店後。電車に乗ったらiPodでレッチリの Can't Stop がかかった。私がこの世で一番好きなもの。
――――ふと気づいたら西荻にいた。高円寺から荻窪までたった2駅なのに、1駅乗り過ごしたのだ。目はしっかりと開いて窓外を見ていたのに、気持ちが完全にとらわれていたらしい。
何だか逆にそんな自分が誇らしいような気分になる。
悔いなし、と馬鹿なことを考えながら、明け方の澄んだ空気を嗅いで、反対側の電車に乗り込んだ。
I have no choice (俺には選択の自由がない) * This Love / Maroon 5 (2002) の歌詞。
| 2005年08月04日(木) |
I know that you are rotten to the core |
出勤前に高円寺で少し買物。ロック系のポスターの店で、カート・コバーンのポストカードに目がとまる。赤い髪のカートが頬杖をついていて、唇の端が上がっているのが子供っぽい。Ronnyがよくこういう表情をしてるなと思う。
私はコートニー・ラヴが理想なんだから、彼女の愛したカートを好きになっても不思議はないが。
実際彼と結婚したら最悪だろうと思う。ドラッグに溺れてオーバードーズを繰り返し、コートニーがしょっちゅう蘇生処置をしていたという。
最低だ。
世間はカートをカリスマにして、コートニーをあばずれと蔑む。彼の自殺を彼女のせいにし、しまいには彼女が殺したと言い出す。
ふざけるなと言いたい。
私はアーティストのバックグラウンドに興味がないので、彼らについて詳しいことは何も知らないが。ただ、二人の画像はいくらか見ている。カートは、一人の写真ではいつもぎらついた眼をして迫力があるが、コートニーと一緒の写真だと途端にヘタレそのものになる。だらしないほどの表情で彼女を眺めている。惚れこんでしまっている顔だ。同時に甘えきっている顔でもある。
その画像からだけでも彼らの関係が手に取るようにわかる気がする。弱くて甘ったれた男、母親的な愛情に飢えた男が、無条件で抱きしめてくれる女を見つけて、すっかりその心地良さに溺れてしまう。彼女は俺を愛してる、愛してる。俺は彼女といればそれでいいんだ。
そしてその男はダメになる。何故ならもう彼は充たされているからだ。
ふと気づけば彼女は、二人分の人生を背負わされている。彼女が舵をとらなければこの船は沈む。
気丈で明るく頑張り屋の女。一生懸命で、ただの可愛い女。それがコートニー・ラヴだ。全然彼女を知らないけど、その筈だ。
ちぇっ。誰のことを書いてるんだよ。畜生。
何となく眼が離せなくなったそのカードを買って帰り、テーブルの上に飾る。いたずらっ子のような表情がこちらを見ている。
わかってんの?
あんたのせいよ。あんたのせいで彼女は泣いたのよ。ええ、知らないわ。そんなことは知らないけど、でも私にはわかってるの。
私にはわかってるのよ。
(8/20up)
I know that you are rotten to the core (わかってるのよ、あんたなんか最低な男だって) * Boys On The Radio / Hole (1998) の歌詞。
| 2005年07月12日(火) |
Then it fills me up. It turns me on. Take me to the place I lose myself |
二人でVampで飲んだ帰りに、荻窪のスタジオを朝10時から予約(今日はRonnyのストラトの音出しの為)。一旦帰宅する。時間はたっぷりあった筈が、またもRonnyと寝てしまい、その後うっかり眠ってしまって、気づいたら10時過ぎ。結局時間を2時間から3時間に延長してもらう。(実際スタジオを使えたのは1時間半)
最近、リハを含め、うちから二人で出かける前につい「しちゃって」、おかげで遅刻ってことが多い。こう書くと大顰蹙な感じだけど。
私にとって彼と寝ることは、かなり優先順位が高い。彼にとってもそうだと思う。
私の人生で、「男と寝ること」自体の優先度は低い。あけすけな話で恐縮だが、私はかなり高感度なわりには性欲が薄い。たまに行為が面倒ですらある。
でも、「愛している男と寝る」のは別だ。Ronnyが私を抱きたがっている、そのことに私は反応する。彼が私を欲しいなら、私は火がついたようになる。
実は「愛している」イコール「体が反応する」ではない。それはやっぱり全く別で、「愛している」イコール「寝ると幸せ」ではあっても、だから「感じる」とは限らない。(全く感じなくても、愛している男とだけ寝たいけど)
で、Ronnyの場合は。
ずっと前にこの日記に、今まで生きてきて彼が一番好きだと書いた。そして奇跡的なことに、体の反応もそうなんだよね。
だけど。私はやっぱりまだ、Ronnyとは別れる前提にたっている。私の出勤時に彼も帰る為に一緒に電車に乗るが、色々あって、彼に他の女をつくれと勧めるような発言をしてしまう。「どういう意味かわかってんの?」と言われ、わかってるわよ、と思うが、やっぱりわかってないのかもしれない。
夜、前に一度来た40代男性が来店。口説かれているようでもあるが。ロックは何が好きかとしつこく訊かれ、何だかちゃんと答えるのがイヤではぐらかしていたら、会話がとげとげしい雰囲気になってしまったが。
「ストーンズに関しては、あっさり好きと言うには複雑な感情を持っているんです」と言った途端に、彼の顔が輝いた。それどころかいきなりカウンター越しに手を握られた。何だ、単なるストーンズ・マニアだったらしいw
「ストーンズはラジオでしか聴きたくない。CDなんか買いたくない」と言ったのはK叔母。このセリフはまさに私自身のストーンズに対する態度を示している。
本当にロックな人間はギターの練習をしない。じゃ弾けるようにならないだろうが。現にシド・ヴィシャスはベースが弾けなかった。本当にロックなブライアン・ジョーンズはオリジナルをつくるのを嫌った。マネージャーはそれを良しとせず、やはりロックなキース・リチャーズを部屋に缶詰にして、嫌がる彼に無理やり曲をつくらせた。全ては偶然の外部要因のおかげだ。
説明不足かもしれないが、私のストーンズに対する感情はこんな風。で、そのストーンズ・マニアにはそれが充分伝わったらしい。一気に機嫌が良くなったようで、その後えんえん数時間にわたってストーンズのリクエストを受ける。
彼のリクエストでかけたStripped、最初の曲が昨日私が手こずってたStreet Fighting Man―――このヴァージョンを聴いた瞬間に「何だ」と思った。Ronnyが昨日弾いてたのってこれじゃんか。疑問が氷解。これで歌えるわ。良かった。
Then it fills me up. It turns me on. Take me to the place I lose myself (私を充たし、感じさせて、我を忘れさせる) * BLACK AND BLUE / Ronny & Bunny (2005) の歌詞。
| 2005年07月09日(土) |
Rescue me before I fall into despair |
最近妙に眠くなる。特に勤務中に。ヘタするとお客の目の前で寝そうになる。睡眠不足なんじゃないかって? ええ、そりゃそうよ。きちんとベッドに入って寝ることなんて、Ronnyがうちに来た時だけだもの。
最初は「眠れない」だった。この日記の第一日目のタイトルは「インソムニア(不眠症)」
ベッドに入っても2〜4時間で目が覚める。眠りが浅いらしく、妙に寝覚めがいい。目覚めた瞬間から普通に動ける。
次第に「眠らなくていい」「眠りたくない」に以降した。今では「寝る」という発想そのものがない。起き続けている中で時々限界に来て気を失う、というのが私の睡眠の取り方だ。
最近時々襲ってくる、この猛烈な眠気。体調不良を伴う感じのこの睡魔。
今夜はRonnyとメールのやり取りをしている最中に来た。はじめは体がぐったりとして、ずるずると倒れこむ感じになる。メールを打つのも辛くなり、彼に対してかなりとげとげしい文章を打った挙句、しまいにはそのまま眠ってしまった。ほんの短時間の、電球が切れかけているような、接触不良めいた眠り。
意識を取り戻してから、ああ今夜は電話で声が聞きたかったのにな、と悲しくなる。
この数日、ネット上で見られるライヴ8の映像にはまっている。何しろ凄いラインナップだ。
しかし、昨日見たスティングが一番良かった。興奮気味の司会者に紹介されて出てくるや否や、'Message In A Bottle'に突入する。速い。明らかに走っている。確信的に堂々と、周りを引っ張って。ドラマーが必死についていく。まるで、知的な犯罪を思わせるようなスリリングさ。
'Message In A Bottle'―――疑問符で始まり、シンパシーを示し、切なさを残して去る曲。
たとえ他の何百億と言う壜が私の岸に流れ着いても、それで私の悩みは少しも解決されないのだけど。
それでも、世界に向って、虚空に向って、私は助けてと発信する。
Sending out an S.O.S.――――この日記を書く。
Rescue me before I fall into despair (私が絶望してしまう前に助けて) * Message In A Bottle / Police (1979) の歌詞。
朝まで仕事して、寝ないで12時からRonny(g)とスタジオ入り。の、筈が。
30分遅刻。家から5分のスタジオだってのに。このスタジオに近いからって今のマンションに引越したってのに。ああ私の馬鹿っ。
3時間かけて(私は2時間半だけど)、何となく持ち曲をおさらい。次回のライヴまであと18日だが、未だにセットリストすら決めていない。というか、前回のライヴ以来17日間、全く何もしていない。
実は意識が今月18日のXeroXのリハの方に向いちゃっているのだ。といっても、それに向けて何をするわけでもないのだが。
リハ後うちでRonnyと昼間から飲み、さらにジンをフラスクに入れて出かける。
今日はジェフ・ベックのライヴなのよ。私が一昨日、ヤフオクで最後の1分までバトルして入手した、一階ブロック最前中央寄り。6/30のお礼の意味を込めて、Ronnyへのサプライズ・プレゼント。
CB(g)のチケット(私たちより更にいい席)も取った。彼は大のジェフ・ベック好きで、今年2月には、赴任先のロンドンで偶然ベックに会って話をしている。
そんなCBと18:45に現地集合。の、筈が。
家を出たのが18:20って。Ronnyとゆっくりべったりし過ぎた。慌てて東京国際フォーラムに駆けつけ、入口でスタンバってたCBにチケットを渡す。一人すっ飛んでいく彼を見送り、この期に及んでトイレに駆け込むRonnyを待つ。19時をわずかに過ぎている。まさか定刻に始める気じゃないでしょうね。そんなのロッカーの風上にもおけない。レッチリはちゃんと軽く20分以上は遅れたわよ?
なんてメチャクチャ言いつつ飛び込んでみたら。何だ、まだ始まってないじゃん。余裕でもう一度外に出て、自販機で飲物買って戻ったら。
――始まってた。うわっ。二重扉の内側を開けるまで気づかなかった。何て防音のしっかりしたホールだ。
とにかく席へ。ブロック最前なので手すりを越えればすぐだが、席が高くなっていて手すりは肩より高い。Ronnyが先に手すりを飛び越え、すぐに私を引っ張り上げた。手を貸してもらうくらいのつもりでいたら、見事に一瞬で持ち上げられて驚く。
意外と頼もしいんだなあ、と思わず惚れぼれ。
会場はすでに総立ち。前に目をやれば。
アンプが積み上げてあるだけのシンプルなステージ。そこにきれいなブルーのライトが落ちて、深海のような紗をかける。ありふれた金色のライトがあたり、非日常でない「セッション」をうつし出す。
黒いシャツ、黒いジーンズ、スニーカーの、「ギター・ヒーロー」が、無粋なシールドを引きずって弾いている。
以下は、ジェフ・ベックをただの1曲も知らず、「どうせベックなんて、テク頼みで深みのない非人間的なつまんない音楽なんだわ」と長年偏見を持って食わず嫌いをしてきた者の書いたレポです。
腕が太い。手が――掌がでかい。親指が太い。でかい手がギターを掴んで軽く振り回すと、びくともぶれない太い、それでいて何ともきれいな音が出てくる。
ギターという楽器は本来嫌いだった。特に、きれいな音が嫌いだ。'Cause We've Ended as Loversのギターなんて、嫌いな音の代表格の筈だ。こういう曲が大衆受けするのを知っているので、更に反感があった。だが今実際に見るベックは、生のベックの音は、ただただ素直で、アグレッシブでもデリケートでもない、クリスタルでもメタルでもない。
チョコレート・バーみたいだ。外が硬く中が室温で軟らかい。ソリッドでかたちのはっきりした愉悦。
以前に哲(b)にジェフ・ベックを聴かされた時、その曲に全く感動出来なかった為、それまでのベックに対する偏見を確認するだけの結果となったのだが。今にして思えば、作品重視の私はベックの曲にジミー・ペイジ(当時の私のベスト1ギタリスト)のそれのような構成力や深い表現力を求めていたらしい。今、それが大間違いな態度だったことがよくわかる。
これは、ギターを「鳴らす」人だ。
楽器とは、人間の動作によって音が出る物をいう。ベックはギターという楽器を最大限に鳴らす。
instrument(楽器)という単語は、ラテン語の「築く際の手段」という意味から来ている。つまり大抵の人間には、ギターは「表現手段」なのだ。だがベックはギターを表現する。ギター職人クラプトンは、ギターを弾いて世界に貢献する。芸術家ジミー・ペイジはギターで世界をつくりだす。ジェフ・ベックにとっては、ギターが「世界」だ。
よく、何で「三大ギタリスト」があの三人なんだ、と言われるが。今回ベックを観てわかった。あの三人は見事に三者三様で、ギタリストのありようの三大サンプルとなっているのだ。
ベックはまるで、アナウサギが無心に地中に巣を掘るように、ひたすら自分のギターに没頭する。子供のような探究心が、飽くことなく自らの楽器に注がれる。
ステージ上にいてすら彼は、その探求の途上にあるらしい。その証拠に、音色が気に入らないとみるや、いきなり足元のエフェクターを踏んで音を一瞬でクリアにしてしまい、満足そうに弾き続ける。・・・あまりのことに呆気に取られてしまった。
ベックへのかつての反感の主な理由は、彼がオーディエンスを無視しているように感じたからだった。私はそれを、彼が大衆には己の音楽を理解する能力がないと思っているからだととらえていた。だが実際には彼は、他人にかまっちゃいられないくらい、自らのギターに魅せられていただけだった。これじゃ逆に好感が持てるくらいだ。
そしてベックはどんどん弾きつづける――ギターも変えず、チューニングすらせずに。どうやらこのツアーでは、そっくり同じオフホワイトのストラトを2本用意したらしいのだが、途中交換したわけでもない。
聞けばベックは、チューニングの狂ったギターでも、指やアームで音程をなおしながら弾けるという。・・・んな馬鹿な。いくら私がギターにど素人でも、そんなことはにわかには信じ難い。でも、じゃあどうしてたんだろう?
一部の最後にやった"Scatterbrain"が素晴らしかった。後日初めてCDで聴いてみたが、明らかにこの日の演奏のほうが速かった。なのに、あの目まぐるしい高速のリフを、とてつもない技量とリズム感で、一音たりともおろそかにせずにぴたっと決めてみせた。しかも印象的にはたいしたことはしていないかのようにさらりと。
――――Scatterbrain(注意散漫)どころの話ではない。おそろしい集中力だ。思わず「すごい・・・」と声が出た。
観る前は、よほど退屈するかと覚悟していたが。退屈する暇すらない、あっという間の2時間だった。セットリストはこちら。
ところで。あのボーカルはいらない。"People Get Ready"だっていっそ歌抜きでやればいい。あの曲は最初はインストの予定だったというから、この機会にそのバージョンを聴かせてくれればよかったのに。
帰りはRonnyとCBと3人で、新宿ロックバーCTへ。今日もマスターは、ローラ・ニーロの後にホールをかけるといった荒技までして、私の好きなのをかけ続けてくれた。心から感謝。てか、楽しいーーーw
もっと遊んでいたかったけど。「二人きりになりたい」と言われて終電で帰る。
今日のライヴは本当に楽しかった。横にいるRonnyが私と同じように楽しんでいて(彼も私と同じくベックに苦手意識があったのに、同じく今日のライヴでそれが消えたのだ)、二人で同じ興奮をわかちあえたのが幸せだった。
おまけに。初めて見たベックの動きが、Ronnyに似ていたので笑った。右の腰でギターのボディを持ち上げるところなんかそっくり。どうやら本人もそう思ったようだ。(後日知り合いにも言われたらしい)
おかげでベックにはすっかり好感を持っちゃったよw
Blackbird (黒ツグミ) *Jeff Beck の曲。(2001)
| 2005年06月29日(水) |
Music seems to help the pain |
帰宅したのは朝5時過ぎ。7時にはRonnyが車で来る。9時に家を出る。今日は茨城の元ダンナのお見舞いに行くのだ。山のようなCD・レコード・DVDを届けに行く。
車の助手席に乗るのは大好き。今日はRonnyの車に乗って遠出だから、もうドライヴ気分でわくわくしていた。Ronnyがコーヒー、パン、クッキーなどをたっぷり買っておいてくれたのを見て大喜び。しまった、CD持ってくるの忘れたわ!と思った瞬間、山のように持っていたことに気づいて笑う。
とりあえずはRonnyのCDでツェッペリンを聴く。霧雨であいにくの天気の筈だが。しっとりとした空気と薄いグレーの色彩が、私の興奮を軽く抑える感じで心地良い。
会うのがちょうど10日ぶり。こんなに離れていたのは2月下旬以来二度目。あの時は、一度別れたつもりでいた。今回も同じようなもの。どちらもつまりは、彼のお休みをたった一回会わずに過ごしただけなんだけれど。
手を伸ばして抱き寄せたい、と軽く思いながらずっとそれをしない。あちらも同じ気配だ。
別に今すぐ抱きしめてもいいんだ。今は何のこだわりもなく好きだから。だけど何となく、まだ距離を縮めない。
13時半に到着。Ronnyはそのまま近所のファミレスで待っていてくれることに。
大量のCD・レコード・DVDを運び込む。その数およそ800枚。直接CROSS ROADなどに持ってきてくれたもの、都内・大阪・那覇から小包で届いたもの。中でも浜松からのCDがすごかった。ダンボール3箱ぶん。届いた時、一体送料がいくらかかったのか宅配業者に訊ね、金額を聞いて更に頭が下がった。送ってくださったのは、かつてSad Cafeに一度だけ来たことのあるお客さまで、私のbbsの「救援物資募集」の書込みを見て送ってくださったのだ。
ストーンズのジッパー付のSticky Fingersのレコードといったレアものから、心を込めて焼いてくれたCD-Rまで、色々なものがぎっしり。どれも趣味の良いラインナップで、私が欲しいくらい。
これらを着くなりまずは元ダンナに説明。全部誰からなのかを言い、その人の説明もする。メモを取りつつ聞く元ダンナ。顔が喜びでぽかんとしている。
18日のRonny & Bunnyのライヴ音源も聴かせた。私のオリジナルには、「すごいね、まるっきり洋楽だ。邦楽の要素がまるでない」とのコメント。
初めて体のことをじっくり聞いてみた。
まとめると。長年の過度の飲酒からアルコール性肝硬変になり、肝機能が低下した為、腸内で発生したアンモニアが解毒されないまま心臓に入って全身を循環し、結果脳を侵して肝性脳症になったらしい。
記憶を失くしたりイライラしたり、腸の機能が低下したり、腹水が7Kgたまったこともあるという。果ては両膝から下の感覚がなくなり、歩けなくなった。
ところが。先月担当医が変ったら、歩くコツをおしえてくれたんだそうだ。まずは筋トレを充分にさせておいた後で、「膝から下はないものと思って」歩くよう指示したらしい。義足の人と同じ考え方で、その通りしてみたら、少し歩けるようになったんだという。実際歩いてみせていた。
しかしかなり厳しい食事制限をしているようで、お酒は勿論のこと、肉・魚・動物性の油も一切禁止らしい。これを言った時の元ダンナは、笑いながら泣き出しそうだった。飲み食いするのが大好きな人だったから、一緒にいる頃は彼に美味しいものをあげるのが楽しくて、買って帰ったり、料理したり、食べに行ったりした。お金も惜しまずに使った。
正直、来た当初から、いるのが気詰まりな部分があった。元ダンナが私が来たことを本当に喜んでいて、意識がこちらに集中しているのを感じたので、そのことにうろたえてしまったらしい。最初はこれでは数分と持たないように感じたが。
CD類の説明をし、体のことを訊き、話をするうちに、予定していた2時間が経過していた。Ronnyに迎えに来てもらう。
帰りの車中で、いつもより早口になっている自分に気づく。元ダンナといる間中、弾丸のような早口で喋っていたのだ。彼といた頃の私、短気でせっかちな私が甦っていた。いづらさは罪悪感の裏返しで、そのことを払拭したくて喋っていた。その余波がまだ残っている。
Ronnyと話しながら、徐々にそれを元に戻していく。
帰る途中、たまたま眼に入った葛西臨海公園の観覧車に乗る。眼につくわけで、後から知ったが高さ117mで日本最大級らしい。
高所が苦手な筈の二人が、先月何となく観覧車に乗ったのだ。それに続いて今日が二度目。あの日と同じでお天気がよくない。そのせいか乗っている人が殆どいない。
密室が地面を離れるや否や抱き合った。それまで殆ど触れてもいなかった。ずっとこうしたかったと言われる。私もそう。
15分かけて一周する。薄曇りなので景色はよく見えない。切り離された気分で宙に浮いている。二人きりで。
Ronnyの地元の大和市へ20時前に着く。彼の車を置いて、電車で下北沢へ。ヘヴンズ・ドアというロック・バーへGeoffのライヴを観に行く。
Geoffはベーシストだがギターもやる。N.Y.でサミー・ヤッファ(元ハノイ・ロックス)とセッションしたこともあり、一昨年に私が知り合った頃は名の知れた日本のプロ・ミュージシャンとバンドをしていた。今はMissing Sceneというバンドを組んでいて、今日初めてそれを観に来たのだ。3人構成で、彼(アコギ)以外にカナダ人(vo)と日本人(エレキ)。
Geoffの安定したストロークから生まれる安定した音、構成のしっかりした曲、安心して聴ける歌とハーモニー。さすが、さらっとクオリティが高い。あえて難を言えば、性格の良さがまるわかりというか、謙虚過ぎる。せっかくいいものをつくっているのだから、少なくともボーカルはもっと押し出しを強くしないと。(後日Geoff自身が全く同じことを、「それが僕らの課題だ」と語った)
0時過ぎの電車でRonnyと荻窪へ帰る。長くて楽しい一日だったが、ようやく二人きりになれる。
Music seems to help the pain (音楽が苦痛をやわらげる) * Take Up Thy Stethoscope And Walk(聴診器を取り上げて、歩け)/ Pink Floyd (1967) の歌詞。
常連の一人が遅くに来店。他に客がいないので、一人で私を相手に話し込む。肩肘を張って生きているひとで、嫌われる性格であることを自覚しながら、「本来は好かれる筈だ」という思いも捨てられない。
非常に弱く、だが自分では強いと思っている。ひとは結局愛される為には先に愛するしかないが、それが出来ずに足掻いている。
そうやってじたばたしている人間は嫌いじゃない。私も同じことをしてきたから。
だけど人は皆忙しいので、私も結局は彼を捨てて帰る。
雨の中、明け方の誰もいない道を通って帰る。通りをはさむ家々の前の鉢植が気に障る。プラスチックの鉢に安っぽくて趣味の悪い花。レイアウトも何もなくごたごたと置かれている。ゴミを積んであるのと変わりない。
私は花が好きで、大泉学園の3DKにいた頃は、各部屋に花を飾っていた。小手毬、トルコキキヨウ、カサブランカ、カラー、オンシジウム、スカビオサ。でも民家の前に見かけるのはベゴニア、ペチュニア、パンジー、プリムラ――明らかに安さと丈夫さで選ばれた品のない花たち。
紫陽花も嫌いだ。ぼてぼてとして繊細さに欠け、大抵は色変わり中だから、薄褪せて汚い青紫やピンク。小さい花がびっしりと集まっているさまは、タガメの卵塊でも見ているようでぞっとする。
そんな6月の景色の中を歩いて帰る。
うちについて、玄関をくぐってほっとする。そして思う。私は要するに、「ただいま」と言いたいだけなのかもしれない。
私が欲しいのはそれなのかも。今、帰ってきたわ。あなたの為に帰ってきたわ。
繭(まゆ)。お嬢ちゃん。あの子が生きていてくれたら、それだけで私のこの3年間は変っていたんだろうか。
ただいま *矢野顕子 の曲。 (1981)
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