Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2003年01月16日(木)  I'd love to turn you on

昨日政行くんから来たメール。「キミの、人間本来の欲望を満たそうとしてる生き方に感動した」とある。
私のどこが欲望を満たそうとしてるって? そのセリフはそのままあなたにお返し。
それにしてもあなたのメールって、驚きの連続。吹っ切れ方がもうさわやかなほど。自分がいかに甘ちゃんだか思い知るね。だって、あなたの使う「愛している」という言葉の定義が私にはわからないもの。

愛、か。
ロックの歌詞って、何でこうもテーマは恋愛ばかりなのか。ロックそのものがセクシャルな音楽だから、というだけで納得するにしちゃ多すぎだ。全く乾いたラブ・ソングも多いしね。
今思うには、ロックってのは何かしら欠如感を持った音楽で、基本的に弱い人間の聴くものだと思う。だから若いリスナーが多い。弱い人間は、とにかく自分を認めて欲しい。最も簡単且つ強烈に自己を認めてもらう為には、異性に愛してもらうのがいい。だからジョン・レノンみたいな真性のヘタレは、ああも多くのラブ・ソングを垂れ流すのだ。

勢古浩爾著 「わたしを認めよ!」 のテーマをまとめると、全ての人間の全ての欲望のベースには、他者に承認されたいという根源的欲求があると言う。人はその存在において、古典的承認(家族・性・社会)、そして現在的承認(金・セックス・自己)を必要とする。(この後の段階として、自我固着からくる反承認というのもあるが)
なるほどね。私の意見だが、今は一人っ子や自宅っ子が増えたおかげで、古典的承認に依存して現在的承認をたいして必要としない人種が多くなってきたのではないか。別にそれが悪いとは思わないが、そういう人種がドアーズに心酔するのは難しいだろうな。

話を恋愛だけに絞ろう。ある種のロックを理解するには、たしかにこの現在的承認への渇望が不可欠だ。つまり、古典的承認における性的承認とは、相手を性的な唯一者とすることを言うが、現在的承認におけるそれはまさしく逆で、性的唯一者という意味の消失だから。ね、わかりやすいでしょ? 懐かしのフリー・セックスってわけ。サイケデリックね。'Lucy In The Sky With Diamonds'ね。どうして「セックス・ブーズ・ロックンロール」じゃなく、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」なのか、これで何となくわかる気しない?

それが、問題なんだ。
自己申告しちゃうけど、私、好きになったらそれこそ可愛い女よ? 世界一のおしどりカップルである両親に、性の古典的承認を叩き込まれてるしね。裏表もないし、駆け引きもしないし(少しはしたほうがと言われることもあるが、嫌いなんで)、わかりやすくて浅はかなほど。だから勿論、心から唯一者の承認をしたい。ところが。

そこで、ビートルズの A Day In The Life がかかる。
あ、ちょっと待って! 理性が吹っ飛ぶ。これを理解したい。これにどっぷりつかりたい。かなりの愉悦がバスタブいっぱいに溢れてる。手を伸ばせばすぐそこだ。行けば、決定的な喪失とセットになっているわずか5cmの、ひとまたぎの旅。
くらくらしていると、突如、理性の番人のポールが出勤前のひと時の風景を歌い、一瞬我に帰る。
それもほんの一瞬。またジョンが、言葉さえ手放して迫る。
それからゆっくり言う。

I'd love to  turn  you   on.

・・・もうおしまいだ。

この曲を録る時の、オーケストラへの指示。「他の楽器を無視して、自分の楽器を最高音まで持って行け」 ────まさに、唯一者の意味の消失ではないか。ひとりだけのエクスタシー。

てなわけで。
えんえん語った挙句に、結論として政行くんの説を認めてるような気がするのは何故だ・・・。
それにしても、私にここまで語らすあなたって、やっぱ強烈よ。

I'd love to turn you on (僕はきみを目覚めさせたい)  *A Day In The Life / The Beatles (1967) の歌詞。



2003年01月15日(水)  I Hate Myself And Want To Die

グラスが効かないことがだんだん悲しくなってきた。今になってきづくんだけど、私、ヤク中になりたかったみたい。で、ヘンプ駄目なんだけど、どうしたらいい? 鼻や喉の粘膜弱いんでコカは駄目だし。エックスってどこで買えるの? それとも睡眠薬のほうが?

アル中になる気は絶対にない。太るからね。ヤク中なら痩せる一方のはず。その為にやるんじゃないけど。

ああ、ダメだ。
これって鬱なの? 何もやる気が起きない。顔を洗うのにも決心して行動するのに1時間かかったり。コーヒー飲みたいと思いながら、入れるまでに2時間。

泣くし。

銀行の通帳、クレジットカードの明細、労働局からの振込み、税務署からの通知。・・・もう、こんなん見てるだけで、面倒でうんざりして、死んじゃいたくなる。もう、とてもこれを処理するだけの力は、今の私にはない。

死にたい死にたい、って、口ばっかりで。まるで、単為生殖で自己増殖する下等動物みたい!

どうしよう。
私は私が嫌いだ。

手紙135通シュレッダー。

I Hate Myself And Want To Die (私は私が嫌いだ。死にたい)  *Nirvana の曲。(1993)



2003年01月13日(月)  In restless dreams I walked alone

ふと思いついて、写真の整理。いらないと思うものを656枚捨てる。子供の頃のものから、旅行、結婚式、友人の写真まで。実はものを整理して捨てるのが大好き。だからって普通写真まで捨てるかと我ながら思う。実は手紙まで時々整理しては捨てている。過去を捨てるのは、これまた大好きだったりして。

M島から戻って以来、いやな焦燥につきまとわれている。これは、行く前から予想がついていた感覚。とりあえず目の前にあった予定が全部終了したことから起こった感覚だ。しかし、何か新たに行動することでこの焦燥感が晴れるかというと、かなり疑問。

In restless dreams I walked alone (落ち着かぬ夢の中を一人歩く)  *The Sound Of Silence / Simon & Garfunkel (1963) の歌詞。



2003年01月08日(水)  Boy, what I mean is what I say

朝、哲と池袋駅で別れてハローワークへ。失業保険もらってやろうと決めたものの、ここに来るのは気分的に嫌だね。物乞いぽくて。

15分で終了して帰る。帰りの電車内で、すでに自分の雰囲気が変わっていることに気づく。懐かしい孤独感だ。一人で電車に乗ってる。

思えばこの2週間、殆ど一人でいたことなんかなかったんだな。寝てる時ですら、隣室には親がいたわけだし。
この2週間、好きな友達と会えて充実していたにも関わらず、東京に帰りたくてたまらなかった。ロンドンで一人きりでいた時、東京に帰るのが本当に嫌だったことと比較すると、何がしかの結論が出そうだ。

でも独りで生きていけるかも、と思ってしまうことは怖い。そう納得してしまえば、きっとそうしてしまう。そしたらもう戻ってこれないだろう。

いきなり何かが面倒になる瞬間がある。3日前には、この日記を書いてることが心底馬鹿らしくなった。(乗り切ったが) 今まで依存してたものをあっさり見切るのは私の得意技で。好きだったものに一度興味をなくしたら、とことん無関心になる。それでよく周りを驚かせたものだ。
ある日、本を読みたくなくなったらどうしよう、と考えるとちょっと恐怖である。そしたらどうやって生きていけばいいんだろう。

あらゆる愛着は面倒ではある。物事を「ラク」という観点からだけ見るなら、そんなものは一切ない方がいい。生きてるだけで面倒なのに、わざわざ執着を、混乱を、惨めさを、醜さを、持ち込むことはなかろう。

実は、真の愉悦とは、自分自身の内側にどんどん向いていくことにしかなかったりする。だからオースターのGhostsはあんなに美しい作品になるのだ。自分以外は全部幽霊だから。あらゆる芸術は、自分の為にあるDead Poetだから。

でもね、こんな繰言を全部吹っ飛ばすことが出来る言葉もある。
つまり────

今はあなたのことが、本当に好きだから。

Boy, what I mean is what I say (本気で言ってるのよ)  *Write A Letter / Bay City Rollers (1976) の歌詞。(実際にはBoyではなくGirl)



2003年01月07日(火)  Sir Robert Burnett's 47%

羽田に12:45到着。哲が迎えに来てくれてる。家へ着いてすぐルカを兎ホテルに迎えに行く。状態良し。

哲はお酒をやめるんだってさ。で、何で私の冷凍庫からズブロッカ出してんの? そのウォッカ、幸枝のお気に入りでもあるけど、道明寺(桜餅)の味がするんだよね。和菓子飲んでるみたいで、ちょっと苦手。

ゴードン切れちゃったから、ジンを買いに行ったら、ロンドンのホテルでずっと飲んでたバーネットがあった。
買ってみた。安っぽーーーい味だ。でも、この香りの懐かしいこと。今回のロンドン滞在を象徴する香りになっちゃってるな。



2002年12月22日(日)  Do you need anybody? ---I need somebody to love

やらなければいけないことを全部棚上げにして生きてる。脇において。支払い停止にして。それこそ70年代フォークみたい。

「アビーロードの街」なんてタイトルがすでに安っぽい。バンド名もかぐや姫ってんだから。歌詞の浮ついた感じは救いようもなく。メロディも情けない。ヘタレの一言。で、これが。

30年近い時を経て、私の心に沁みる。1973年から。ナフタリンの香りがしそうな年代もの。


あの日の君は傘さして 青山通り歩いてた
君は雨の中 丁度今日みたいな日だった
ビートルズの歌が 聞こえてきそうと
二人で渡った 交差点
いつもは君と歩く道 今日は一人で歩いてる

通りがかりの喫茶店 ガラス窓越し雨の街
いつもなら君を 無理して笑わせている頃
となりの二人は 見てきたばかりの
映画の話しを あれこれと
一人のテーブル つまらない 君に逢えない水曜日

車の流れが耳につく 話し相手も居ないとき
ポケットを探り やっと見つけた十円玉
公衆電話だから 大きな声で
言えないけれど 好きなんだ
地下鉄駅まで帰る道 青山通り雨通り



この腑抜けな歌は、たった2行を言いたい為に歌っている。

公衆電話だから 大きな声で
言えないけれど 好きなんだ


あとの曖昧かつ無意味な歌詞は全部、この言葉の持つ重みを出す為に、ふわふわと周りにまとわりついているだけ。結局この頃の若者にとって、重要な意味を持つのはただひとつ、子供同士の恋だけだったから。

多分この状態というのは、ほぼ毎日(水曜以外?)会っていて、つきあっていると言っていいんだろうけど、特に具体的な約束はないというところか。
今では携帯が、なんて話は省く。大きな声で言えないということはボックスではない。当時電話ボックスは少なかったんだろう。どこかの店先か。赤かピンクの電話かな。
やっと見つけた10円でかけるわけだが、当時は10円で3分話せた。恋心を告げるにはちょうどいい時間か。今では10円だと1分しか喋れない。かなりさっさと用件に入る必要がある。
公衆電話は彼女につながるツールで、それはぽつりぽつりと街に点在する。用事はない。全然。
そしてこの 「好き」 にも何の意味もない。言われた相手も、だからどうするわけでもない。なので、後は雨の中をまた歩いて帰るだけの1行で終わることになる。70年代フォークの作り手たちは、自分たちの行動の無意味さをちゃんと知っていたりする。

それでもね、それだけに。
そのぼんやりとした曖昧さが、胸を打つ。本当は相手のない恋の告白。雨の街で公衆電話の受話器を握りしめて、そこには自分しかいない。モラトリアム。浮ついた青臭い恋。性別もほぼなく、顔もない。
切ない、という気持ちが実は、愛の欠如からくることに気づいていない、子供の恋。

そんな恋が、今でもそこらに、落ちてるんだろうか。

Do you need anybody? ---I need somebody to love (誰かにいてほしいかい? ―――僕は愛するひとが欲しいんだ)  *With A Little Help From My Friend / The Beatles (1967) の歌詞。


2002年12月19日(木)  Helpless, helpless, helpless. Baby can you hear me now?

今夜はまたご近所で飲んだ。同じコース。最初Guysで、次がTom Boy Club。
気づいたのは、女一人で静かに飲むのは意外と難しいということ。まず店の人が話しかけてくる。退屈させないようにとの配慮だろうが、実は私は退屈なんかしないのだ。話し相手が欲しければいくらでも調達は出来る。あえて孤独に飲んでやろうと思って、うちの父が若い頃好んでいたという「群集の中の孤独」というやつを味わうべく、わざわざ出かけて来ているのだ。でもそれがなかなか。
Guysでギルビーのストレート2杯飲んで出る。

Tom Boy Clubでは今日はザ・バンドのCDを持ち込んでかけてもらう。"Stage Fright"と"Up On Cripple Creek"を両方聴きたかったので、18曲も入っているベストを持っていったら、全部通してかけてくれた。こうなるといよいよ一人静かに酔いたいものだが。
隣の親父が話しかけてくるのだ。しかも酔払ってるので同じことを何度も聞く。奢ってくれたんじゃなければ災害に近かったな、あれ。
親父、自分が読書好きだと言い張る。「何であなたは中原中也なんか知ってるんですかあー。普通知らないでしょう。まして音楽詳しい人は知らないでしょー」って・・・中也は教科書にも載ってるよ・・・音楽好きは中也知らないって・・・アンダースローされた灰が蒼ざめるわよ。ついでに朔太郎の青猫も月に吠えるわよ。
「あなたは作家はじゃあ誰がいいんですかぁー?」って言うから、どの国にしますか?って聞いたら青ざめやがった。米?英?仏?独?露? 黙ってるので、日本にしておいた。谷崎三島太宰川端安部公房坂口安吾筒井康隆、最近ならば町田康。親父、こんなひねりのないラインナップなのに黙り込む。「・・・川端は、あれはノーベル賞なんか取ってるけど、良いんですかねえー」なんて言うから、「川端は一級のポルノです」と答えたらまた黙る。この親父に「眠れる美女」や「片腕」のエロを説明したところでしょうがないか。
親父、逃げようとして、「いやあ、僕は純文学より推理小説が好きでねえ」などと口走る。
・・・私には自分の目がきらりと光るのが見えたね。その発言、追いはぎにあってノーマン・ベイツの家に逃げ込むようなもの。さあ、どう料理してやろうかと爪を研ぎながら、まずは一般的な話題から、と、「この前、鮎川哲也が死んじゃいましたねえ」と言ったら、しーんと黙り込んだ。どうやら親父、江戸川乱歩しか知らないらしい。ふー。爪をひっこめる。つまんなーい。引っかく価値すらないや。セバスチャン・ジャプリゾくらい言いたかったなー。

どういうわけか私は時々、初対面の相手に中途半端な文学論だの音楽論だのを挑まれる。私は音楽も本も語れるほどの知識はないのだが、相手がうわべだけの薄っぺらな知識を振りかざし、自分の言葉で喋っていないと知った時には、足腰立たなくなるまで叩きのめすことにしている。
この時の親父は余りにも知識がなく、また基本的に気のいい親父であったので、特に攻撃しなかったが。
こちとら普段、綱島さんのような最高の知性を相手に会話しているのである。そこらの50代風情がなめてかかると痛い目見るわよ。綱島さんに言わせれば私の精神年齢は70歳。今まで生きてきて一番の褒め言葉。

それでもジンはおいしい。シュタインヘイガー、タンカレー、ボンベイ。
ラッキーが買えなかったのでやむなくマルボロを吸う。店のマスターが、 「さっきから見てたら吹かしてるだけじゃない。そんなんだったらやめなよ。体に悪いからさ」と言う。あらら、ほんとだ。どういうわけか私、すっぱすっぱ吹かしてた。 苛々してたのか?
にしても今日はやたらと説教される日だ。酒は控えろって哲に言われるし。まるでガイ・フォークスに火の用心を説かれてるみたいね。

3時頃店を出る。またキウイいっぱいもらう。食いつなげそうなくらい。

いい感じにほろ酔い。そしてまた哲に電話しちゃった。これが大失敗。
ほんと、酔払って電話なんかするもんじゃないね。 意識に一枚何か被さってて、自分の声が少し遠くて、だからまるで説得するかのように、自分の本音に向かってわめきたてる羽目になる。
――――「もう会わない」って言ったんだ。

幸いなことには電話を切った瞬間にすいっと気絶。コート着たままソファで4時間寝てた。60時間以上寝てなかったからね。今回は精神状態至って健やかなままだった。最後おかしな電話しちゃったのは、あくまで私の気持ちと、ジンの後押し。

それでは今日のタイトルは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの名曲から。

Helpless, helpless, helpless. Baby can you hear me now? (私、ダメなの。聞こえる?)  *Helpless / Crosby, Stills, Nash & Young (1970) の歌詞。


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