| 2002年12月18日(水) |
例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから |
夕べはご近所で飲んだ。
1件目。Guys。家から3、4分だが、初めて入る。
入った瞬間に名前を呼ばれる。え? 見れば英語学校の受付嬢のやすこさん。そして一緒にいるのは先生のBrian。あらー。一緒に座って飲む。ジン、ギルビー、ロックで。
家庭的な店で、店中で会話する。谷山さんていうお客さんが、私がロック好きだと知って大喜びで話しかけてくる。ランディ・ローズが一番好きだって。 「フリー知ってます?」 って訊くから、今うちにビデオあるって言ったら更に大喜び。哲が持ってきたんだけどね。
0時閉店。終電で帰るはずの谷山さんは、私がこの後もう1件行くと聞いてついてくる。
Tom Boy Clubに移動。先月哲と1度だけ来た、テンプテーションズやシュープリームスのかかる店。
谷山さんとロック話。スティーヴ・バイ、エクストリーム、ヴァニティ・フェア、ライ・クーダー。私ってほんっと音楽の話を合わせられる。我ながら最近そう思う。「これだけ話が通じる人は初めてですよー!」と言われる。いや、浅ーく通じてるだけなんだけどね、実は。
今日は店主にもちょっとだけ話しかける。何が気にいられたのか、私だけ自家製のキウイを10個頂く。キウイ好き。果物だけ食べて生きてけるなら、それでもいいくらい。
お支払い、谷山さんが1万円近く払ってた。わー。二人ともジンをばかばか飲んだからなー。ボンベイ、タンカレー、ゴードン、ギルビー、全部ストレートで。「お酒、すさまじく強いですね!」と言われる。気のせいだよ。
2時閉店。谷山さんちにCDが1000枚、DVDも多数あるから、これから行こうと誘われるが、断って帰る。
家に帰って、何となくフリーのビデオを見る。谷山さんがベースが好きだって言ってたな。そうそう、アンディ・フレイザー可愛いのよね。髪形も服装も動きもレイ・デイヴィスに通じるヴォードビル性がある。本読みながらたらたら見てたら、ビデオが終わって。止めないでほっといたら、何と残り部分に入ってたらしい「音楽の正体」が始まるし。
懐かしい。これ10年くらい前だね。この頃のCXの深夜って毎日ほんといい番組流してた。「TVブックメーカー」、「アメリカの夜」、「バトラーの受難」。「やっぱり猫が好き」はオープニングが矢野顕子、エンディングが忌野清志郎。「子供欲しいね」はテーマ曲がニール・ヤング! 今は週に1分もTVを見ない私だけど、当時はそれなりに見てたのね。
「音楽の正体」はほぼ全回見たはずだけど、強烈に覚えてるのは吉田拓郎の「結婚しようよ」の回だけ。そしたらその回が入ってた。わ、嬉しい。
まずは三和音のお話から。トニック、サブドミナント、ドミナント。懐かしい。ついでカデンツ。どうよ、C-F-G-Cだけで何でも出来ちゃうでしょ? 代理和音てのもあるわけですよ。サン・サーンスの白鳥、綺麗でしょ?
全ての音楽は1度(C)から始まって1度に帰る。ビートルズの"All My Loving"はそれを嫌って、あえてDmから始めたんですよ、と言われてちょっとうっとり。
倍音のお話。何故「C-F-G-C」ががっちり出来てるのかの説明。ここまでの説明に番組の殆どを使い、ほぼ終わりに近づいた時に一気に「結婚しようよ」を持ってくる。
妙に素直な笑顔の、若い拓郎の画像を映して、曲を流す。C-G-Am-C。あれ? 3番目のコードが代理和音の6度(Am)だ。
「ここで世間はあっと驚いたのです」と、近藤サト。
本当かよ!!と、10年前と同じ突っ込みを入れる私。
曰く、6度は1度の代理和音であるから、1度の代わりもしくは1度の次に使うのが正しい。逆の6度から1度という流れは音楽理論上ありえない、と。
何故6度→1度がダメなのか、例え理論についていけなくても、耳で聴けばはっきりしている。この流れは間抜けなのだ。女々しくて弱い。未解決のままおめおめと古巣に戻る。無責任な'70年代モラトリアムそのもの。
ところがここからたった1分半の間に、番組が一気に盛り上がる。「結婚しようよ」がかかる。控えめな男性のナレーションが入る。ここを要約することがどうしても出来ないので、全部そのまま掲載する。
「AmからCの不安定な進行の上に、キーワードの『結婚しようよ』が乗ってきます。不安定な進行の上に乗っているだけに、肝心なプロポーズの言葉も説得力を持ちません。他の歌詞も現実感のない夢見がちな言葉ばかり。肝心の結婚しようよという言葉が重みもなく流れていってしまう。これでいいのだろうかという不安な頼りなさが漂います。ところがこの後現れる最後のサビ、ペアルックのシャツを干すという生活感の描写を4−5−1の基本カデンツで語り、しかもそこに『結婚しようよ』という言葉を入れ込んでいるのです。曲のクライマックスで安定感のあるカデンツの中にプロポーズの言葉を入れる。実によく作られています。では最後のサビをどうぞ」
ははは。
泣いた。
10年前も泣いたよ。思い出したけど。
あのね、こんなのフロイト並みの誇大妄想だよ。 「二人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」のどこが現実的なのよ。他に負けないくらい不安定で頼りないでしょうが。
ただ私を泣かすのは、ここで語られている'70年代フォークそのものだ。少しうろ覚えだが、ある日本のクラッシクの大家(だか、作家)が当時のフォークを評してこう言っている。 「その虚無感、責任感のなさ、言語感覚の貧しさは筆舌に尽くしがたい。故に、殺意に近い憎しみを感じる」
────そしてこれこそが正に、私の考える'70年代フォークの真髄なのだ。不安定な進行の上の、説得力を持たない言葉。現実感もなく夢見がちに流れる。不安定な頼りなさが漂う。
──無理やりな結論はいらないよ。そのサビも馬鹿げた夢のまんまだよ。平和な夢の真ん中に置き去りにされて、あんた達はみんな、どうしたらいいかわからずに、何の現実的な知恵も力も持たされずに、子供どうしで恋をしてたんだね。やわらかい木で出来た、切れやすい弦のギターを持って。似たような無意味な言葉を口ずさみながら。大人という生き物が本当にいると信じて。ひと時だけ、甘い自我の存在を信じて。
確かなことなど何もなく、ただひたすらに君が好き (流星)/ 吉田拓郎
例えば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから *流星 / 吉田拓郎 (1979) の歌詞。
新宿ロックバーRSの辻くんに電話して、今朝の件を謝る。全然怒ってない。なんていい子だろ。
それより私だよ。遅刻癖なおせよ。
ロックバーRSといえば。
私がまだ19歳の、多分3月。当時大阪にいた先輩(b)に電話した。ベースの腕は問題ありだったが、見た目がかなり好みだった。私は彼のバンドのボーカルとつきあっていたのだが、彼の方が好きだった。何だそれ。
その彼が電話で言ったのだ。「東京にいるのなら、新宿のRSっていう店が面白いから行ってみれば?」
この一言。この一言さえなけりゃ。
速攻で行った。一人で。初回はカウンターでジンライムを飲み、店員と友達になった。二回目からは他人のテーブルに座りこんで一緒に飲むという荒業を繰り出し(当時RSは平日でも混んでいたので、一人でテーブル席を取るのは無理だった)、どんどん常連と友達になっていった。いつ一人で行っても、誰か知り合いがいる。週に3〜5日は通った。
ある日、珍しく女友達と二人でSRに行った日に、初めて高橋(g)と出会った。高橋はジョン(彼ともこの時が初対面)と飲んでた。あちらに誘われ4人で飲む。閉店時には高橋と二人だった。そのまま彼の部屋に行き、3日間いた。3日めに帰ったのは、うちにマルがいたからだ。いくら水も餌もたっぷりあったからって、ひどすぎる。帰ったらにゃあにゃあ怒る怒る。
彼氏(vo)に電話して、別れると言って激怒される。
それからの毎日は、RSと高橋の部屋の往復。二人の時もあれば、菅谷くん(drs)が加わって三人の時も。RSにいようが部屋にいようがやることは同じ。ロックとお酒。それだけ。
当時RSはウイスキーが1,900円でキープ出来た。だからお金のない私たちがあんなに入り浸れたんだ。皆ほんとに金がなくて、MSGのCDを買うから何日か食事を抜いたなんてのはよくある話だった。高橋なんて家に電話もなかった。誰もまだ携帯なんか持ってない頃。
5月に、私は一人でRSにいた。高橋と切れようと決心して、むしゃくしゃして。こんな日に限って知り合いが誰もいない。
長髪の男の子(g)に声をかけ、テーブルに座らせてもらったら、この子が何と高橋の親友と判明。あらま。
彼はもう一人の長髪の男の子と来ていた。背が高くて茶色の髪。痩せて鎖骨が浮いてる。べろべろに酔っ払って目がいってた。バンド何が好き?と聞いたら「ガスタンク」と答えた。これが後のうちのダンナ(b)である。
その後、私は高橋と切れるのに失敗。それどころか彼はギターケース抱えてうちに転がり込む。往復はRSとうちに変わった。相変わらず菅谷くんがからむ。彼は彼で私を散々くどく。彼は自分では気づいていないだろうが、高橋を崇拝していて、高橋のものが欲しいのだ。
漸く高橋をギターケースごと追い出すことに成功。あの直前の時期は何だか忘れられない。ポール・サイモン、ディラン、ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン────特にポール・サイモンのダンカンの歌。それからビートルズのホワイト・アルバム。二人でもうこればかり聴いていた。私は彼の前では24時間緊張していた。彼のことが好きだった。だから追い出した。
8月。ダンナと一緒に暮らし始める。
高橋は私の友達としての位置を取り戻す。おかしなことに、私たち皆でバンドを始めた。私(vo)、高橋(g)、ダンナ(b)、菅谷くん(drs)。また見事にパートがそろってたもんだ。ライブもやった。私は掛け持ちで別のバンドもしてた。ライブの打上げは当然またRS。
RSにいると感覚がおかしくなる。常連同士で飲んでたりすると、そちらへの仲間意識の方が、ダンナとの関係より優先したりする。高橋もこの仲間意識を利用して、私との距離を縮めようとする。当然それらは全てダンナに伝わり、彼は私がRSに行くのを歓迎しなくなる。
結局それから数年かけて、ゆるやかにRSから遠ざかっていった。ダンナの方はとっくにRSに興味をなくしていた。
しまいには年に一度も行かないようになり。
更に数年間行かない状態が続き。
今年の8月はじめにダンナが失踪。9月にRS通い再開。今じゃご覧の有様である。
ほんとにあの店さえなけりゃ、私の人生変わっていたはず。ここに書けないようなことも山ほどあった。何て充実した、何て馬鹿げた日々だったろう。
もう当時の常連は、ジョンを除けば誰一人いない。皆どこかで生活をしているのだ。
私だけが舞い戻って来た。生活から浮き上がって。
| 2002年12月10日(火) |
成田の入国管理局の方へ。これは全部フィクションです。 |
さて、もうひと勝負。成田の入管。
昨日の日記のタイトルにも書いたが、私はヘンプを持ち込むに当たって、全然怖がってはいなかった。捕まったら留置所行って、罰金払えばいいさ、くらいに思っていたのだ。前科ついたからどうってこともない。
実際一番気にしてたのは、私が成田で捕まっちゃったら、迎えに来てくれてるはずの哲に迷惑かけちゃう、ということだけ。
入管、記憶もないほどあっさりとパス。やっぱどこの国でもレジデンツには甘いね。
それよりも出る直前の手荷物検査。何とカウンター前に 「麻薬取り締まり月間」 「薬物の侵入を許しません!」 なんてでっかく書いてある。しかも何故か前の人がやたらしつこく色々聞かれている。係員目つき悪いし。
私の番。にっこり。
「今日はどちらからですか?」
「ロンドンからです(にっこり)」
「申告する物はありますか?」
「ないでーす(にっこり)」
おしまい。
ヴァージンは何と1時間遅れたので、11時着だった。哲ごめんね。
それにしても、寒いロンドンから逃げてきたら、東京に雪が積もっていたのにはびっくり。
帰宅途中でビール、ゴードン・ジン、ズブロッカ、イギリスブレッド、オレンジブレッド、蜂蜜、チーズ(ミラベラ、チェダー)を買う。こういう食事が一番好き。 家にはブッカーズとエズラ・ブルックスのバーボンコンビがお留守番してた。豪勢だわー。家に着くなり、エレガントに鯨飲。
ところでKくん、都合15時間近くも私の胸で温まったグラス、末端価格が跳ね上がってますことよ?
| 2002年12月09日(月) |
Can't you see that I am not afraid? |
フロントに6時のウェイクアップ・コールを頼んでおいたが、電話が来たのは6時25分。最後の最後まで・・・
TVのニュースはとにかく夕べも今朝も寒い寒いと言い続け。明日は雪かもとのこと。逃げなきゃ。
朝食してチェックアウト。アールズ・コート・ロードのクリーニング屋に寄り、彼らが戻し忘れた靴下を片方受け取る。(このクリーニング屋は3回利用したが、戻ってくるたびに必ず何かが足らないし、他人のものも紛れ込んでいるのであった)
最後の最後まで・・・
今朝は相当気温が低い筈だが、スーツケースをひきずって歩きながら全く寒さを感じない。去るのが悲しいだけ。
ピカデリー・ラインでヒースローへ。相当余裕を持って着く。
ぼーっとしながら総合搭乗ゲートの列に並び、ふと気づいたらコートのポケットにヘンプを突っ込んだままだった。慌ててその場で取り出してブラに突っ込む。犬が見えたらすぐに捨てるつもり。
──スウィートな麻薬犬。ニューカレドニアの空港ではにこにこしながら乗客達の間を嗅ぎ回っていた。一度TVで見た麻薬犬は、ベルトコンベアーを回ってきた荷物に飛び乗って、そりゃもう嬉しそうにわんわん吼えていた。働く犬は可愛い。誇り高い顔つきをしている。疑り深い人間なんかだませる。だませないのはあのピュアな目をした犬だけ。
バーガーキングに行きたいのをぐっと我慢。コーヒーを飲む。成田に着く前に100gでも痩せなきゃ。
ヴァージンの搭乗ゲートをくぐる。金属探知機その他一切ひっからず。
飛行機に乗る前にもう一度検査。こんなの初めてだ。やはりあのテロ以来? 女性黒人係員に、まずはリュックの中を調べられる。うわ。煙草の箱開けてるよ。やっぱり荷物に入れなくて良かった。
お次は身体だ。両手で体中を挟むようにしてさわってくる。胸の谷間にも手が来るが、さすがに乳房そのものはさわらない。どっこいそこなんだな、ヘンプが押し込んであるのは。右の乳房の、青い蝶の下辺りだよ。セーフ。
無事機上の人となる。離陸時には窓に張り付いてロンドンに別れを惜しむ。
また隣は誰もいない。"By The Way"のアルバムを5回聴き、アメリカンホームコメディをいくつか見て、あとは本を読む。ジンをもらい、機内食は残す。今度はグッズはスカイプルー、カトラリーはネオンイエローとライトブルー。
さよなら、ダーリン。必ずまた来るね!
Can't you see that I am not afraid? (びびってはいないわよ?) * Touch Me(さわってごらん) / The Doors (1967) の歌詞。
| 2002年12月08日(日) |
By The Light Of The Magical Moon / Tyrannosaurus Rex |
ロンドン最終日。寒い。
テンプル駅からコートルード美術館へ。あまりに寒いので室内にいたいだけの理由で美術館へ来た。美術館を含むロンドンの名所は、前回の一ヶ月間の滞在中にほぼ行き尽くしている。コートルードは数少ない残りのひとつだ。
ところがこれが結構良かった。フランス印象派を中心にあるわあるわ、マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、コロー、ボナール、モジリアニ、ウィスラー、シスレー、マティス、ドガ、ピサロ、デュフィ、ゴーギャン、ロートレック、ピカソ、ルソー、etc...
カンディンスキーだけの部屋もあり、自分が結構カンディンスキーを好きなことを知った。絵柄はミロやクレーを思わせるものから、レイモン・ペイネに似たものまで色々だが。
しかし実は私が一番気に入ったのが、"Landscape by Moonlight"という作品であった。題名通り、月明かりに照らされた風景。単純な作品だが、この色。戸外の風景がこういう色を出す時間はほんのひとときに限られている。水と木と荒野、月とそれにかかる雲。その絵の前に立っていると、自分の顔が月明かりに照らされているような気分になる。何だか見ているともう嬉しくて、30cmくらいの近さに顔を近づけて、にこにこしながら見ていた。その時たまたま部屋に誰もいなくて、思いっきり油断していたのだが、あとで柱の陰にしっかり監視員がいるのに気づいた。色んな意味で警戒されたかも。
ところでそれが結局誰の作品かというと。"Sir Peter Paul Rubens"──ルーベンスぅ? 私ルーベンスなんか好きだっけ?
ふと見回せばそこはルーベンスの部屋。一周してみるがどの絵も全く心に響かない。うちの父が好きそうな宗教画ばかり。あらま。
しかしこういう単純な絵は、複製にするともうしょーもないだろうなと思っていたら、案の定であった。しょーもな、と思いながら絵葉書を買う。
寒いがやはり最後にもう一度カムデン・タウンに行っとこう。
改札を出たと同時にカムデンの駅が閉鎖。最後の最後までやってくれるなあ・・・
寒いのでとにかくフラスクからジンを飲む。
サイバードッグという店に入る。ショップとカフェ。薄暗い中にスモークをたいて、ロックをがんがんにかけ、売っているものが全て蛍光塗料などで光っている。カフェの店員はそれこそサイバーという言葉にふさわしくて、ピアスだらけのモヒカンの女の子がメタリックシルバーの服を着て、踊りながら私のコーヒー入れたりする。見てたら案の定全部こぼしやがった。いちからやり直しね。
マーケットを回るが、とにかく寒い寒い。どうでもいいようなぼろいTシャツなど買う。
何しろ駅が閉鎖なので、バスでノッティング・ヒル・ゲートへ。バスで隣に座った黒人に電話番号を聞かれる。・・・最後の最後まで、、
今日はもう寒くてダメ。帰って荷造りする。
| 2002年12月07日(土) |
A Design For Life / Manic Street Preachers |
午前中カムデン・タウンに行き、タトゥーを入れる。
入れようと思いついたのはアムステルダムに行く前くらいか。日にちもないことだし、ロンドンに戻ったらすぐにやろうと思った。入れようという思いつき自体と、入れる場所と図柄とが、全部同時に頭に浮かんでいた。
カムデンならタトゥーやピアーシングのスタジオが沢山あった筈なので、とにかくやってきた。
駅を出て一番先に目についたスタジオへ。黒髪のスロヴァキア人のお姉さんが、渋い低音の声で "Can I help you?" と来たので、欲しい絵柄を詳しく伝えて、色々探してもらう。結局ずばりこれという絵柄はなかったので、ひとつ選んで色・デザインを変えてもらうことに。お姉さんが絵柄を私の希望の大きさに拡大コピーしてくれる。
彫師はポーランド人で、ポーランドのヘビメタを部屋に流していた。
まずはタトゥーのコピーをトレーシング・ペーパーのようなものに写し、インクでなぞり、肌の上の然るべき場所にぺたりと貼ると、絵が肌の上にうつる。それを上から彫っていくわけ。
作業をするところはまるっきり歯医者のよう。歯医者のような台。歯医者みたいな椅子に座らされる。彫師は製図のロットリングに使うような器具(ただし先は針)を手に持ち、台のスイッチを入れるとそれがういーんと動く。
相当痛いものと思っていた。時間も何時間もかかるか、下手したらその日だけでは終わらないと。とにかく入れると決めたんだから、覚悟はしていた。
きたきたきた・・・うわー・・・
あれ?
全然痛くない。何か、かりかりやられてるけど、痛いとまでは思わない。
えー、刺青ってこんなもんなの? こんなに簡単なの?
作業は順調に進み、20分くらいで終了した。彫られている最中も、何だか気持ち良いくらいで、過程としても結果としても、とてもエレガントな仕事をしてもらった気がする。
終わったので鏡で見てみる。"Beautiful." の一言だった。右の胸の上、シャツには隠れるがブラからは出る位置に、夢のように綺麗な深い青の蝶。
ヒーリングクリームを塗りラップして、上からテープで止める。
3、4時間してから取るように言われる。特に痛くもない。
彫る間、セーターを脱いでいたので、結構身体が知らないうちに冷えていた。バックス・ヘッドというパブでヒーターの横の席に座り、ビターを飲んでジャケット・ウェイジズ(ジャガイモの皮つきの部分を揚げたもの。サワークリームをつける)を食べる。まだ身体が温まらないので、ジンももらい、自分のフラスクからこっそりどんどん注ぎ足しては飲む。気づいたらかなりの量を飲んでしまっていた。
食べたばかりなのにまたストールのチャイニーズを見てしまう。ああうまそう。ダメよダメダメ。でももうすぐ帰るんだし。あああ買っちゃった。またそんなに山盛りで・・・。食べながら歩く。うまいー。
酔っ払い、お腹いっぱいの状態で、へろへろふらふらとカムデンの街を歩き回る。ふわふわして何とも気持ちいい。
マーケットのストールでまたJoに会った。"I'm drunk today." と言ったら笑っていた。赤い絞り染めのブラウスを買う。クリスマスに我が家に招待しようと言われたので、明後日帰るのだと言う。残念。
一度ホテルに戻り、マニック・ストリート・プリーチャーズを見に行く。ウェンブリー・パーク駅はゾーン4。今までで一番辺鄙な場所だ。
会場のウェンブリー・アリーナだが、どうも気に入らないつくりだ。ステージから向かって奥に縦長に伸びていて、角ばった長方形なのだ。1階は前半分がスタンディング、後ろがシート席。2、3階は、左右に座ればステージから90度顔を背けるかたちになるし、正面の奥は遠すぎる。
前座が何と元ストーン・ローゼズのイアン・ブラウン。しかし歌が下手だね、この人は。どういうわけか「ビリー・ジーン」なんか歌う。マイケル・ジャクソンが聴いたら失神しそう。いいけど、させても。
マニックス登場。1曲目は"Mortorcycle Emptiness"。後ろにずっとビデオ映像を流してるんだけど、この1曲目の映像のロケ地が何と日本(渋谷)で、 「三千里薬局」っていうでかい字がずっと映っている。ニッキーが子供みたいに飛び跳ねているのが可愛い。
昨日のプライマル・スクリームを見たあとだけに、今日のマニックスというのが本当にきちんとしたコンサート作りをしているという印象が強かった。歌・演奏ともにかなりしっかりしている。客の喜ぶ曲ばかり立て続けにやり、最後は"A Design For Life"でしめて、何とアンコールなしですぱーんと終わった。客がそれにきっちり納得しているのがまた凄い。
しかしこのバンド、デビューは90年代に入ってからの筈なのに、音がもう'80年代のロマンティックな夢の名残とでもいった感じで、こんなバンドが未だに生き残っているということが、いかに根強い固定ファンを多く持っているかという証明である。昨日のオーディエンスはライブを楽しんで賑やかに帰っていった。今日のオーディエンスは感動に打ちのめされて無言で帰るのだ。
帰りに出口のところで一人の男性が連れに一言 "Special people...!!" とだけ言ってため息をついていた。幸せなバンドである。
それにしても、昨夜といい今日といい、オーディエンスの中に上は50代までちらほら見えるというのがすごい。マニックスを見に来る50代の夫婦なんて、日本じゃまずありえない。これはこの国では大人がロックを聴くという環境が築かれていることも勿論だが、大人が子供に馬鹿にされることを恐れていないことも大きいと思う。日本では、大人はひたすら若さを恐れている。色んな意味で。
帰りにマニックスのTシャツを売ってた男性にナンパされる。煙草だけもらっとく。
そういえば行きにはダフ屋にナンパされた。ほんと節操ないな、ここの男たちは。
| 2002年12月06日(金) |
Rocks / Primal Scream |
朝ホテルをチェックアウトし、8時から3時間バーニーズというコーヒーショップで過ごす。ここにはきれいに巻いたジョイントを売っているので、それを吸う。
時間が早いせいか、まともに朝食を取りに来るひとが多く、食後にヘンプを吸う場合もあれば、まれにそのままで出て行く人もいる。私はパンケーキを頼んで激しく後悔。直径が30cm以上あったのだ。コーヒーも飲む。
さて'Orange Bud'の夕べ巻いてもらったのを吸う。その後はホットチョコレートをおかわりしながら、Mekong Hazeのジョイント、そしてWhite Widowのジョイントを吸う。効かないので最後は100%ピュアなのにしてみたが、結果は同じだった。あああああ。
2時半の飛行機で発つ。時差の関係で14:50にロンドン着。さすがにアムスからのヘンプの持込は無理だろうと思っていたら、入管はノーチェック。悔しい。
夕方はBrixton Academyでプライマル・スクリームのライブ。19時過ぎに着く。前座はザ・キルズという男女のユニット。男のギターと、女のボーカル(たまにギターも)なのだが、この女性ボーカルがもうかっこいいこと!
ステージに向かって左がギター、右がボーカル。で、ボーカルは常に左半分を客に向けて、つまりはギターの方を向いて歌う。何と髪の毛全部顔の前に垂らしてて顔が全く見えない。ブルージーンズに黒のシャツ。最初男かと思った。男なら結構理想的。声も低くて、がちがちの硬い動きで歌う。歌いながら煙草を吸い、歌い終わると口に水を含んではステージ上にべっと吐く。音はいわゆるガレージ・ロック。
で、この二人がもうどう見ても出来てる。ボーカルは一切女性っぽさを前面に出さないし、ギターなんか殆ど相手を見もしないのに、お互いの間にすごい色気があるのだ。これはいいコンビだな、と思う。あの'Sonic Boom Sex'のボーカルの子が、いくら一生懸命メンバーと絡んでみても何のいやらしさも出せないのに比べると、まあこっちの方が年上とはいえ、経験の差なのか、迫力が違う。
ライブの間に1回だけすれ違いざまにすっとキスした。ギターの方が背が低い。
でまあ、プライマル・スクリーム。登場したのは21時15分。何のひねりもなくだらっと登場。私は何と一番前にいた。ボビー目の前である。特にファンというわけでもないのに。外国で見るとこうなのかな。だったらカリフォルニア行ってレッチリ見たいなー。
しかし何ともセクシーなコンサートだった。私からすれば、ボビーにどういうセックス・アピールも感じないんだけど、今日のオーディエンスは明らかに相当興奮させられてた。
ボビー自身は3曲目あたりからかなりのってきて、膝ついて座りこんでよれよれな感じ(まさにこの辺が昔私のカンに触ったあたり)。
あえて音楽的な話をすれば、演奏・歌ともにかなりダレてたと思う。まとまりがなく、だらだらしていて、歌は調子が外れてたし、録音してれば聴けたもんじゃないだろう。だけど今日のコンサートは、おそらくオーディエンス的には最高だったんじゃないか。(実際彼らの喜ぶこと喜ぶこと)
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