きょうは、母親が一日わたしと家で過ごす日。 例によって、バイタルサインのチェック。とりわけ「尿量」が大事。投薬・経管栄養・水分補給・体拭・更衣、それから洗濯。ここまでを、自分の食事とあわせて2時間でする。そうしないと、仕事をする日には、どこかで手を抜くことになってしまうからだ。手を抜くこと自体はいいのだが、生存に関わることまで「手抜き」しだすと、これは癖になる。
きょうは「ご機嫌麗しき」ご様子。しばらくわたしの顔をながめて、 「まいいや」とのたまう。なにが「まあいいや」なのか? きょうは、わたしにも余裕があったのだろう。「まあいい」のは何かを追求する。 すると、3度目くらいに、にっこり笑って横を向く。これは「あきらめ」の表情である。コミュニケーションから撤退する仕草。
そうか、「まあいいや」ではないのだ。「あ」の段から、いち音ずつ拾っていく。あ、ピンときた。「歯医者」 彼女は、わたしの腫れた右顎を見て、「歯医者にいけ」と言っているのだった。オムツを替えてもらっていても、「親」をやろうとする姿勢に、一応脱帽しました、とさ。
夏になると、めちゃくちゃ汗をかいて(しかも若い頃のような美しい汗ではない、きたない汗だ)、歯ぐきがやせて、心臓が痩せて、歯茎が腫れる。 これは、ここ数年間の恒例なので仕方ないのだが、それでも、わたしに対する母親の「もたれかかり」を感じて、そいつが一因ではないかと、多少辛くあたったりする。これはわたしの「もたれかかり」だ。 ことほど左様に、「肉親」というのは不幸の原因の最たるもののひとつである。他人であればあり得ない「関係の強制」を強いる。ありのままでない「ありのまま」を、無理やり相手に認めさせようとする。わたしのようにセンシティヴな人間(?)は、早々に音をあげる。
かつて、「親という他人」という話を書いたことがある。 自分の子どもとの関係において、「親」でいる自分への違和感をわりとストレートに伝えようとしたのだが、これは子どもの側からするとどう感じたのだろうか? いまは、いっしょにいなくて良かったかも知れない、とも思う。 いや、いないからバランスが悪いのか? ともかく、親が「のうのう」と自分のありようをわたしに請け負わせようとするのに、我慢がならない。「自分のことは自分でけつを拭いましょう」 介護のことではない。存在することへの緊張感というか、ヴィビッドさというのか・・・。℃ これをきょうの「訪問リハビリ」のPTであるIさんは、なんにも聞かずに解ったねえ。彼女は、母親が4年前に「小脳出血」で倒れた時からのつきあいで、彼女なりの「こだわり」をもって関わってきている。そのこだわりに甘えてはいけない。わたしはどうしてここにいるのか? わたしも、母親も、そのことからあんまり逸れてはいけないのではないだろうか? と思っている。
昨日かいた介護サービスの「O嬢」。 失敗できない窮屈な「ケア・マネ」に、彼女の対応は素晴らしい、と言ったら、「みんな一生懸命なんですけどね・・・」とかえってくる。ちがうんだよね。いくら頭で解っていても、本人を目の前にしたときにどういう感じでつき合えるか、というのは、ほとんどセンスの問題で、いくら一生懸命になっても、むしろ一生懸命になるからこそ難しくなってしまう。これは、介護者の認識レベルの問題ではない。
植木の仕事をしていても、「筋がいい」若者は、なんにも言わなくても木に寄り添うあり方をしている。この枝がこうだから、なんていう説明を一生懸命聞いてくるやつは、だいたい途中で職をかえる。早くほめられようとして「一生懸命」なだけだからだ。しかし、プロの世界はうまくいって当たり前、だあれもほめてなんかくれない。ざまあみろ。
ここで、つねづね問題となっている「理解と自由」の問題。 理解されたって「自由」は遠い。理解というのは、「する側」と「される側」が、割と画然と存在することを前提に成立する。非常に理不尽な関係が「前提」されるわけです。なんでわたしが「される側」なわけ?とかね。 「理解」されて楽になるのは、本人ではなく、保護者とか家族とか、本人を代理できないくせにそれができると思っている馬鹿者だけなのです。 そんなわけで、わたしは「差別」に対して「理解」を目標設定する感覚を、根っこから疑う癖があるという自己紹介でした。
| 2004年08月02日(月) |
すべてはコミュニケーション権から |
きょうは、庭のゴヨウマツとモチノキの剪定をしながら、介護サービスの人たちのやりとりを、遠くから聴いていた。いぢわるな「利用者の家族」である。 午前中に訪問看護があり、これは母親が入院していた病院からの派遣。 わたしとは非常に気が合う。本人主義の徹底した看護士だ。持ち時間目一杯に看護メニューをこなし、わたしが差し出す冷茶をごくごく飲み干し、冷やしたタオルで額の汗をぐいっと拭う。おみごと。(ときどき抱きしめたくなるくらいだが、それはセクハラになりそうなので抑制)
昼の介護サービス。Oさんは、年若いのに「本人」とのやりとりをきっちりとする。車椅子移乗の際にも、「どうですか?車椅子に乗りますか?」体拭の時も、「からだを拭かせてもらってもいいですか?」きっちりやる。しかもマニュアルでない雰囲気を持っている。おみごと。
午後の介護サービス。昼とはちがうひと。 入院以前から「家事援助」で、家に出入りしていたひとなので、母親との信頼関係はとれている。しかし、母親を「先生」と呼ぶ。 たしかに、家庭科の補助教員として、わたしが中学に行った頃から「先生」をしていた。わたしから見れば、ずぼらな「先生」だったが、高校の頃つきあっていた彼女も教わっていて、なんとやりづらかったことか?(やりづらいって何を?) そんで、「先生、先生」といいながら、介護者自身が思いっきり先生をしている。近所中聞こえる声で「あ・い・う・え・お」とか、発声練習を「させる」のだ。どういう「関係」なのだろうか?
わたしは基本的に、「本人」の自由はコミュニケーションからしか獲得できないと確信している。発語が困難になるまでの期間、彼女がつくってきた「関係」が、いま彼女に逆襲しているだけのはなしなのだ。「先生」と呼ばれながら「あいうえお」することへの抵抗感は、次に目指すコミュニケーションへの、かなり大事なプロセスだと思っている。権利を獲得する闘争は、小さなベッドの上から始まっているのです。
| 2004年08月01日(日) |
植木屋さんの介護日記開設 |
いよいよ植木屋さんの介護日記開設の運びとなりました。 男性で仕事を続けながら、在宅介護にふみきったことは、大きな一歩だったと思います。 その日常のありさまや、母上、植木屋さんのお気持ちを日記に書いていただいて、多くの方で共有していただけたらと思います。 竹薮自身とてもたのしみにしています。 感想はこれまで通り長電話におよせください。
ご紹介に与りました植木屋です。 どれくらい続くか、それはわたしのバランス次第ですので、突然書き込まなくなったからといって、母親が死んじゃったということではありません。 きょうは日曜日。介護サービスも訪問看護も、デイ・ケアもありません。 今年のお盆は「新盆」なので、ここいらの田舎では、一応来訪者のおもてなしがうるさい。できないことはできない、というわたしの日常感覚は、仏事の中でどの程度許容されるでしょうか? そんなこといいながら、きょうは近所の魚屋にお盆中の「仕出し」を頼んで、「子ども一同」の「盆灯籠」も発注せざるをえないような、周囲の流れに巻き込まれています。
日課 6時起床・・経管栄養の調理(件の粉寒天仕立て)・自分の飯の仕度 7時バイタル・チェック(体温・血圧)・清拭・自分の食事 8時経管栄養注入・水分補給・・・・・8時30分までに終了
お盆前なので、家の庭の手入れ、暑くてやる気が出ない。 やる気を出すため、道沿いの生け垣から手をつける。途中で投げ出せないのでつらい。 午後4時掃除とも終了。このかん、昼飯の時間に、母親水分補給。 暑いので、尿量が減らないように気をつけています。皆さんも気をつけてね。
午後5時くらいから、まずビールだべ。つまみを造りながら経管栄養の準備。自分用、炒りナス・豚バラ柳川、サラダを造ろうと思ったが、面倒になり中止。・・・朝同様バイタルと経管栄養・最後に胃ロウチューブ滅菌のため「穀物酢」の希釈したものを注入。
ここまで記入しながら、あしたからはこんなのやめようと思う。 母親とのやりとりについては、あした言及しよう。
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