ぶらんこ
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山奥の小さな駅にいる。 観光地なのかもしれない。古い小さな駅だが、周囲にはそれなりの人々が電車を待っていた。
そんな中、構内の段差のところに座ってギターを弾きながら歌っている男性がいた。小さな紙切れに書かれたのは楽譜らしい、それを見ながら弾いている。 よくよく見ると、なんとそれは南こうせつだった。わーーーこうせつだ!!わたしは嬉しくなってそろりと近付いて行った。
彼はとてもみすぼらしい格好をしていて、どうも暮らしぶりが良くない感じがした。 それでも囁くように歌うその歌声は昔ながらのこうせつの声で、ちっとも衰えている感じはなかった。 「こうせつ、カッコイイ!」 思わず、声を出して言ってしまった。こうせつはふと指を止め、わたしの事を見上げて言った。「君は僕のことを知ってるの?」 「もちろんです!大ファンです!」 こうして、わたしはこうせつと一緒に座り、彼のギターに合わせてともに歌った。 こうせつは嬉しそうにしていた。間近で見たら、あぁこうせつも年取ったんだなぁ、、、と感じた。
こうせつはどこかの街の何かのお店でレジ打ちをしていた。その姿を見ながら、生きていくって厳しいな、、、と思った。 こうせつは音楽の世界にいるべきなのに。と、心から悔しく思ったが、それも生きるってことだよね、と納得している自分もいた。 なんだっていい、素晴らしいものは素晴らしい。 こうせつはやっぱりカッコイイ。
"Mom!"
娘の呼ぶ声で目が覚めた。 なんだ? 夢は見ていなかった。いや、見てたかもしれないが、娘の夢ではなかった。逆にその声でかき消された感じ。
娘はもうここにはいない。
それは目覚めてすぐに気付いた。 だから、はっきりと聞こえた彼女の声の余韻を想うでもなく。 なんなんだ自分、と、少々気恥ずかしく、 いやしかし、もしかすると本当に彼女が私を呼んでいるのかも、と思い直す。
それからLINEで娘に声をかけた。
「おはよう」
「おはよう。何?どうした?」
そっか、なんでもないんだな、と思う。 事情を話すと、案の定、「大丈夫だよ」との答え。
なんなんだ、自分。
淋しくなったか
淋しいか
とぅじなさ ぬ
とぅじなさ ぬ
「誰かのことを想うとき その誰かはあなたの近くに一緒にいますよ」
そういうことだろう
奴の魂が会いに来てくれたのか わたしの魂が会いに行ったか
どっちだろうね
ヤハリ コバナレ デキテマセンナー
と、
誰かが笑った。
ぶふふ。あなたも一緒にいる ってことか。
ちゅうことは
とぅじなさ ぬ
イッチムン
じゃろ
50になっても
アイカワラズ ジャ
不思議なことに、現実にあなたに会った日その時のことを、わたしは覚えていないのです。 いちばん最初にネットで話したことはこんなにも鮮明に覚えているのに。 あれがすべてのはじまりだったから。
まだPCを使いはじめて浅い頃だった。ネットにもまだ慣れていなかったと思う。 そうだ、ようやく「検索」なんてことをするようになったのだった。ほぉなるほどこんなことも出来るのか、と。
そのとき出てきたのがあなたの紹介文だった。 訪ねていくと、まだ、テキストだけのとっても簡素なHPだった。確かわたしは掲示板にコメントを残したのだ。 わたしも島っちゅです、と書いた記憶がある。 とにかく嬉しくて仕方がなかった、同郷の人と出会えたことに。
あれからどれくらい経ったのか。 もう15年くらいにはなると思う。
頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった
何が起こっているのか処理できない
それでも仕事に戻り
現実に何かに対応しているわたしは誰なのだ
ときおり 魂が抜けていくような違和感
信じられない 信じたくない 信じない
その繰り返しで
心は置き去りになる
なんで どうして なぜ
声にならない叫びで
胸がつぶれそうだ
こんなにも
こんなにも
遠く感じるのは
初めてのことです
あなたに
さよならを言いに行きたい
元日の朝。薄暗い中犬たちを庭へ出す。東の空、低いところが赤橙色に染まり始めていた。 あぁ初日の出・・・!と思いつつ、犬たちのpoopを探す。 外気温13℉だったか。雪がないので、それほど寒く感じない。
初日の出というと、遠い昔、亡き兄に連れられて初日の出を拝みに行ったことを思い出す。 どれくらい前だったろう。わたしは小学5年生か、もっと前か。
大晦日の晩に、兄貴が「明日は初日の出を見に行くぞ」と言い、「やった「やったー」とはしゃぎながら寝た。 わくわくドキドキしながら寝たのだが、兄貴に起こされたときには行きたいなんて気持ちはとうに消えていて、げんなりした。 本当に、行くのか?なんで?という気持ち。 どこへ行くのかもわからない。というか、初日の出というものに対する想いさえ、怪しかった。 世の中では、初日の出を拝んで新年を祝う、という習わし(?)があったことは知っていた。 でもそれは、TVや本の世界で、自分にとっては無縁のものだった。 お日さんを拝むなんて・・・という感じ。
兄貴がなぜ、初日の出を見に行こう、と思い立ったのか、謎だ。 この話は、兄弟姉妹間で何度か登場したのだが、兄貴のその時の心情を知っている者は誰一人としていなかったと思う。 記憶の糸をたぐって、当時の兄貴の置かれていた状況を鑑みて、もしかしたら・・・という予測は出来るかもしれないけれど。 そういう話も以前、姉たちとしたような気もするが、今は思い出せない。 今度、帰ったときにでもまた訊いてみるかな。。。
兄貴の車に乗せられて、わたしたちきょで一行は、初日の出を見に出かけた。 場所は南のほうだったと思う。 当時はトンネルもなかったので(確かね)とても遠いドライブだった。 本当にたどり着くのか、、、と思った。というか、車の中で寝ていたように思う。 着いたら起こしてくれるだろう、と。
長い長いドライブだったことを覚えている。 なのに、肝心の初日の出を拝んだ記憶がない。 曇り空で日の出を拝めなかったのか。或いは、時間に間に合わなくて拝めなかったのか? いや、見たような気もする。 黒い雲が横たわっている中から、うっすらと赤い色が滲み出てきて、お日さんが昇ってきた。 そんな気もする。
でもそれはわたしが作り出した記憶なのかもしれない。
今になって思い出すのは、兄貴がわたしたちきょでを一緒に連れて行ったこと。連れて行きたいと思ったこと。 それだけだ。
兄貴はどんな想いでわたしたちを連れて行ったのだろう。
きょでがなしゃ、という言葉がある。
父親を早くに亡くして、母親はいつも仕事に精を出していて、きょでとばかり一緒にいたせいなのか。 きょでの数が多いおかげで、どぅしを切望することもなかったのか。 よくわからん。
が、きょでつながりは強いみたいだ。 そんな気はまったくなかったが、いつからかそれを認識するようになった。 良い意味でも悪い意味でも、きょでがなしゃ。
さて、今年はどんな年になるだろう。 きっと素晴らしい年に違いない。心からそう思う不思議。
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