ひとりごと
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テレビがない時代 2007年05月22日(火)

夫が出張の夜、たまには家で映画でも観ようか、とレンタルショップに行ってみた。
DVDコーナーに足を踏み入れるのは初めて!
古い名作映画や話題になった映画、テレビドラマ、
懐かしいアニメがたくさんあってうろうろと迷って歩き続けた。
そして、結局借りたのが「チャコねえちゃん」。
もう40年も前の子ども向けのテレビドラマだ。
長く続いた「チャコちゃんケンちゃんシリーズ」の中で、
私が覚えている一番古いものが、この「チャコねえちゃん」だった。

ひとりの夕食を済ませ、DVDをセットしてテレビの前に座った。
映像はもちろん白黒、シンプルなタイトル映像。
そして驚いたことにこの主題歌を私はほとんど完璧に覚えていた。
一緒に口ずさみながら、懐かしさに胸がいっぱいになった。

主人公のチャコちゃんは小学4年生、弟のケンちゃんは5歳の幼稚園児。
と言うことは、私もまだ4つくらいだったのだろう。
画面で見るケンちゃんは、口もあまり回らなくていかにも幼い。
うんとお姉さんに見えたチャコちゃんも、あどけない少女だった。
これを見ていた頃の私は、もっともっと小さかったはずだ。
時々こわいパパと優しいママ、賑やかな朝の食卓の風景。
テーブルクロスやカーテン、ちらりと見える台所用品がレトロでおしゃれにさえ見える。

最初の1話を見終わり、昔話をしたくなって実家に電話をかけた。
母も「チャコねえちゃん」を見たことを覚えていた。
どんなにチャコちゃんやケンちゃんが幼いか、俳優さんたちが若々しいか、
家や街の様子が懐かしいかを話した。

「これを見たのはまだ西宮のアパートにいるときだったのよね。」と私。
「あの白黒テレビ、まだどこかにしまってあるんじゃないかしら。」と母。
「えぇ〜?それ映るの?」と、笑いあった。
電話口の母の声の後ろから、父の声が割り込んできた。
「そのテレビを買ったときのことをよく覚えている。」と聞こえた。

父が幼い私を連れて、心斎橋まで買いに行ったのだそうだ。
テレビを買って、私にアイスクリームを食べさせて、西宮まで帰ってきたら街頭テレビがあって、
そのテレビの下で財布を見たら5円しか残っていなかった。

びっくり!
それまでうちにはテレビがなかったの!?
街頭テレビって、私が生まれていた時代にもまだあったものなの!?
(私ってそんな古い時代の人間だったのね)
それに、お財布の中に5円って…。
断片的な思い出話だけにリアルで、まだ若かった父の思いが伝わってくる。

そう言う時代だったんだな。
お金をはたいて憧れのテレビを買って、貧しくても楽しくて。
あまりかまってくれなかった思い出しかなかった父が、
私を連れて買い物に行って、アイスクリームを食べさせてくれたなんて。
たぶん2歳下の妹が産まれる前で、おなかの大きい母は留守番だったのだろうな。
そのテレビで、みんなで東京オリンピックなんて見たんだろうな。

私がテレビで見た一番古い記憶は「鉄腕アトム」だった。
それがたぶん2歳の頃。
母が書いてくれていた育児日記によるとその頃の私は「ウルトラQ」が始まると大泣きしたらしい。
(オープニングのマーブル模様が恐かったのは覚えている)
紳士服のコマーシャルソングがお気に入りで、よく歌っていたらしい。
小さい白黒テレビを囲んで、若い家族は賑やかに楽しく暮らしていたのだろう。
「テレビが来る、ってとっても楽しみだったわ。」と母が言った。

テレビは生まれたときから家にあったものだと思っていた。
ない時代があったなんて知らなかった。
たくさん歌を覚えた「おかあさんといっしょ」も「ブーフーウー」もそれよりあとのことだったんだ。
記憶の最初のページを書き換えたような不思議な感じがした。

テレビがまだない時代、明るい昼間やゆったりと過ごす夜、
三人家族は静かな中で団欒していたのだろう。
どんな話をしていたのだろうか。
オレンジ色の電球の下の家族の笑顔をタイムマシンで覗きに行きたい。


バスノォト 2007年04月15日(日)

今朝見た夢の話である。

久々に母と外に出た。
昼食のあと、明るい街を歩いた。
本屋があって、そこに入った。
私はすぐに目当ての本を探し出した。
「ママは?本は買わないの?」レジで私が訊くと、母は
「いいの。ほしい本がここにないから。」と言う。
「どんな本がほしいの?」そう問うと、
母は意外にもすばやくはっきりと答えた。
「バスノォト。」

昔、そう言う本があったそうだ。
旅行案内のようなエッセイ集のような手帳のような。
バスで行ける都内のちょっとしたいい場所や花の名所、
風景の美しい場所が案内してある。
停留所の間の車窓の眺めも教えてくれる。
そして、そこに行ったときの自分の日記を書き込むところもあると言う。

「それ1冊持って、バスでいろいろなところに行ったわ。」
と母が夢見るように、歌うように言った。
「うんと昔の本だから、もうないでしょうね。」と笑った。
ほっそりとした女学生の母が、春の街をひとりで旅する姿が目に浮かんだ。
土手の菜の花、桜の並木、人々が行きかうセピア色の町並みが見えるようだった。
「探そう!きっとあるよ。」私は言った。

それからいくつの本屋を歩いただろうか。
やっと見つけたのは、古いビルの中の小さな本屋さん。
古書と新書を一緒に売っていた。
様々な大きさの日記や紀行文が並ぶ一角に「バスノォト」はあったのだ。

ざらざらとした表紙の縦長で薄い小さい本。
開いてみると、最初のページに「さあ、バスの切符を買いましょう」とあった。
次のページからは、粗い白黒の写真と明朝体の活字が並ぶ。
初めて聞く停留所の名前やその由来、バスから眺める景色。
きっと今はその風景も変わっているのだろうな、と思った。
そしてページをめくると、細い万年筆での書き込みがあった。
日付は五十年も前の春の一日だった。
降りた停留所の名前、見つけた花のひとむらのこと、雨に降られたことなどが
走り書きのように、でもブルーブラックの美しい文字で綴られていた。
それは紛れもない母の字だった。

私はその本を抱きしめ、会計に向かった。
肝心の母は、もうあてにはしていない様子で雑誌をぱらぱらと眺めているのだった。
使い込まれた茶色い木のカウンターにその本を置き、私は言った。
「これ、プレゼント用に包んでください。」
お金と本を持って、初老の店員さんは薄暗い奥に入った。
もうすぐ包まれた本がやってくる。
母を驚かせることができる。
一緒にバスでどこかへ行こうか。
店員さんはなかなか戻ってこない。

そこで目が覚めた。
夢だとは思えなかった。
だって、バスノォトのざらざらの表紙の手触りだってまだ残っている。
古い本のほこりっぽい匂いも覚えている。
バスノォトのことはずっと前から知っていたような気がする。

リビングに降り、先に起きていた夫に「今見ていたのは、夢?」と聞いた。
「うん、夢やろな。」と答えてくれた。
インターネットで検索しても「バスノォト」と言う本はなかった。
やっぱり夢だった。
少し煙ったような明るい春の朝だった。

母にこの話をするのはまだ先にしよう。
その前に、私はバスを乗り継いで小さい旅をしてみよう。
満タンのバスカードだってPASMOだって持っている。
1日乗車券を買うのもいいな。
愛用のカメラを持って、心の中でバスノォトを綴ってみよう。


私はどこかに行きたかったのだろうか。
それともどこかに行きたかったのは母だろうか。
夢は不思議。


ありがとう 2006年11月09日(木)

首の調子が悪いと書いてからいただいた
たくさんの方の優しさ。

経験に基づくアドバイスだったり
肩こりにいい枕や肩を温めるホットバッグだったり
よく効くマッサージや自然療法の情報だったり
ひとことのメールだったり
食品や本のプレゼントだったり
日記の中の言葉だったり
そっと心配する気持ちだったり。

その温かさが嬉しくて
痛みが和らいだように思う。

ありがとうございます。
本当にありがとう。


彼岸花 2006年09月23日(土)

2週間ほど前から目の調子が悪く、気になってはいたのだけれど
医者にかかるのは億劫だった。
でもだんだんつらくなってきたので、思い切って出かけることにした。
駅前に眼科医があったのを思い出し、
HPを探し出して「土曜日・午前中診療」の文字を確かめた。

金木犀の香りの風が気持ちいい。
こんな日は、歩いて行こう。
去年、夫が駅までの近道を見つけ出したのだ。
森の脇や原っぱの横を通る道はとても楽しい。
花や緑の香りや虫たちの営みの中を、ゆっくりと歩く。

畑の中の分かれ道に来たとき、いつも歩く左の道ではなくて
何かに呼ばれたような気がして、森に続く右の道に進んだ。
すると、目の前に広がる赤い花の群れ。
森の入り口の土手に彼岸花がすくすくふわっと咲き乱れていた。
アゲハチョウが私を追い越して、その中の一輪にとまった。
肩にかけたバッグからデジカメを出して、その姿を撮ろうとした。
でもアゲハチョウはもっと森の奥へと飛んでいってしまった。
夢を見ているような気持ちで佇んだ。

「曼珠沙華ですか?」と、突然声をかけられて振り向いた。
いつからいたのだろうか、箒を持ったおじいさんがにこにことこちらを見ていた。
真っ白な髪と、真っ白な長いあごひげ、チェックのシャツにデニムのパンツ。
少し腰は曲がっているけれど、健康そうな顔色と優しいまなざし。
「はい、偶然通りかかったのですけれど、あんまりきれいなので写真を…。」
私はあわてて、デジカメを持ち上げて答えた。

おじいさんは、森の脇にある古い家の前を掃きながら話してくれた。
「前はね、もっといっぱいあったのですよ。向こうからあっちまで真っ赤でした。」
「それはきれいだったでしょうね。今でもこんなに見事なのですものね。」
「そりゃもう、きれいでしたよ。」
と、おじいさんは嬉しそうに懐かしそうに笑った。
「でもね。触っちゃいけません。これには毒があるのです。私が小さい頃、母によく言われました。」
「そう…。毒があるのですね。触らずにこうして眺めていますね。」
と、私は答え、白い長いひげを見ながら、おじいさんのお母さんの時代を思い浮かべようとした。

「それにしても、お彼岸にこうして咲く不思議。自然の素晴らしさ。彼岸花とはよく言ったものです。」
おじいさんは力強く語った。
本当だ。今日はお彼岸のお中日、そして彼岸花は花の盛り。
「ここの曼珠沙華も刈られて少なくなりましたけれどね、毎年きちんとお彼岸に咲くのですよ。
 私はここに住んで40年になりますが、ずっとずっと見てきました。」
遠くを見るように、おじいさんは言った。
私は、もっと緑が濃かったであろう40年前のこの森と隣の家を思った。

「うちの庭はこんなですけれどね。」
と、おじいさんは振り返って、古い家の前の庭を箒で指しながら、照れたように笑った。
野草や背の高い雑草がいっぱいに茂っていて、野原のようだった。
「それでも、自然のままにしておくのもいいかと思っているのですよ。
 手を入れてしまったらもう戻らないから。」
おじいさんの言葉に、私は深くうなずいた。
「それでは、お邪魔しました。どうぞごゆっくり。」
道を掃き終わったおじいさんは腰をかがめ、にこやかに家の中に入っていった。

ふたたび夢から覚めたような気持ちになった。
おじいさんの庭の緑の野草たちの中に、鮮やかに一輪だけ彼岸花が咲いていた。
きっとおじいさんが大切にしているだろう彼岸花。

森の入り口の彼岸花の写真を何枚か撮って、私はもと来た道を戻った。
左側のいつもの畑の道は明るかった。
野の花が咲き乱れ、人影はなく、蝶やトンボやバッタの気配だけが満ちていた。

この地に住んで8年、駅まで歩いて25分かかるのは不便だとよく思うけれど
長い道のりの分だけ、たくさんの風景や、いろいろな人に出会える。
ここでは、物語の中に迷い込んでしまったような不思議な出来事が時々ある。
今まで出会った出来事や人や、たまたま見つけたお店や風景のことを思いながら歩いた。

やがて駅が近づき、現実に戻った。
目的の目医者さんは、駅前ビルの2階。
夢を見ながらのお散歩にうっすら汗をかきながら階段を上がったら、
入り口にはシャッターが閉まっていた。
すぐに気がついた。
今日はただの土曜日じゃなくって、祝日だった…。
またやっちゃった〜。

いいわ。
今日の午前中は、あのおじいさんと彼岸花に会うためにあったのだもの。
ゆっくりと歩きいて花や深い森や広い野原を眺めて、目の具合も少しよくなったような気がする。


金木犀の香り 2006年09月20日(水)

昨日から咲きだした金木犀がもう満開になった。
街も庭も部屋の中も金木犀の香りでいっぱい。

大好きな香りなのに、この中にいると
少しあせるような落ち着かないような気持ちになる。
桜が咲いたときと少し似ている。
ほんの短い間の盛りの花を惜しんでいるのか。

それでも、桜のときほど
哀しくはならないのはなぜかな。


夕空を見に行こう 2006年09月18日(月)

パソコンに向かっていた顔を上げたら
お向かいのマンションがオレンジ色に光っていた。
夕焼けだ!
外に飛び出した。

空が光っていた。
ざーっと吹いた風は涼しく首筋に爽やかだった。
森からツクツクホウシの声が風に乗って流れてきた。
お向かいの窓から、トントントンとリズミカルな包丁の音がした。

気持ちのいい空の下を私は歩いた。
刻々と変わっていく空の景色を自分の心とカメラに収めた。
泣きなくなるようなきれいな夕方だった。

こんな美しいものを見るとき、私は自分の子どもがほしくなる。
子どもに見せたいと思う。
「空がきれいだよ。夕空を見に行こう!」と、子どもと外に出たい。
一緒に空を眺めたい。

その子が大きくなったとき、風に吹かれたり、本を読んだり、誰かと話したり、
そんななんでもないときに、ふと思い出してくれるだろう。
美しい夕空のことを。
風の音やセミの声や母の手のことを。
「夕空を見に行こう」と言う言葉を。


さよなら、カオナシのパン屋さん 2006年07月11日(火)

開け放した窓から夜風と一緒に
「いつもなんどでも」のオルゴールが聞こえてきた。
私はお財布を持って外に飛び出した。
おなじみのパン屋さんの車が来たのだ!
いつものように、うちの前で車は止まって待っていてくれた。
「こんばんはー」「毎度どうもー」と挨拶を交わした。
扉を跳ね上げたハッチの中には暖かい光に照らされたパンが並んでいた。

私のお気に入りは「とうふブレッド」。
このお店オリジナルのお豆腐を練りこんだ天然酵母の食パンだ。
トーストにすると歯ごたえが快く、香りよく、中はふんわり。
優しい甘味がおいしいパンなのだ。
一斤380円はちょっと高めだけれど、これを買うのが週に一度のささやかな贅沢だ。
たまに買うライ麦パンや菓子パンも楽しみだった。

今日はどうしようかと棚を見回す私に、パン屋のお兄さんは
「あのですねぇ」と、真面目な顔で声をかけてきた。
なんの告白?と、向き直った私にお兄さんは言った。
「残念なのですけれど、パンの販売は今日で終わりなんです。」
「えっ?そうなんですか!?どうして…?」

要するに、あまりうまく商売ができなかったらしい。
手間のわりに、売れなかったと言うことだった。
今日のパンを最後に工場も閉めてしまったと言う。

「えぇ?残念!おいしいのに。」としか言えない。
そんなわけでは私にはどうすることもできない。
「毎週とても楽しみにしていたのに…。」
「かわいがってくださったお客様には申し訳ないです。」と、お兄さんは頭を下げた。
「もうこのパンは食べられないのですか?」と聞いた。
「いつかまた違った形で販売することがあるかもしれません。」と、
道の先を見ながら小さい声で答えてくれた。
「そのときには教えてくださいね。」
「はい、真っ先にお知らせします。」と約束してくれた。

今度いつこのパンが食べられるかわからない、と思うと、いくつも買っておきたくなった。
食パンなどは冷凍して保存できる。
そうだ、今まで食べたことがなかった菓子パンやロールパンも買っておこう。
気になっていたあのパンもこのパンも、もっと早く食べておけばよかった。

「それではこれだけお願いします。」と、選んだパンを台に並べた。
2000円以上になってしまった。
それでも、まだ棚の中にはたくさんのパンがあるのだった。
「まだ、こんなにいっぱいあるのですね。」と言うと
「今日は最後なので、たくさん積んできたのですけれど…。」とお兄さんは苦笑した。
午後9時半、これからあとは、もうそんなに売れないだろう。
「あれもこれもほしいけれど、食べ切れなくて残念。」思ったままを言った。
「ありがとうございます。もう本当に十分です。今までありがとうございました。」

とても寂しくて名残惜しかった。
でもいつまでも、パンを前にうつむいているのも気恥ずかしくなって
「では!ほんとに今までありがとうございました!」と、わざとあっさりと明るく言って
家への階段を上がり始めた。
「どうもありがとうございました!」と、お兄さんの大きな声と、
ハッチを閉める音が背中に聞こえた。
振り向くと、赤いテールランプが一度強く光って、車が走り出すところだった。
車の屋根の鐘が「カーン…」と鳴った。
「いつもなんどでも」のオルゴールを夜の街に響かせながら、車は行ってしまった。
音楽はだんだんと小さくなって、やがて聞こえなくなった。

さよなら。
カオナシのパン屋さん。
どうもありがとう。
もう火曜の夜のオルゴールは聞こえない。

小麦アレルギーになってからお休みしていたパン作り、
そろそろ再開しようかな。


2年前のカオナシのパン屋さんとの出会い


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