ひとりごと
DiaryINDEX|past|will
親バカです。
ずっと「ひとりごと」が書けなかった。 日々、なにかあって、写真を撮って、心の中では「ひとりごと」を綴っていた。
私は元々ナマケモノで、ぐうたらで、いい加減なので、 毎日きちんと日記を書くなんてことができるわけはないとわかっていたのに。 だから飛び飛びでも、思いついた日だけでも書けばよかったのに、 変なところに神経質で、毎日の分をそろえたかった。 そして言葉が出ないまま、どんどん日は過ぎていって、白紙のページがたまっていった。 「思ったことがそのままアップされたらいいのに」なんて それこそぐうたらなことを考えたりもしていた。
昨日、昔の「ひとりごと」の写真を整理していた。 ついでに昔の「ひとりごと」も読んでみた。 力の入った思い入れたっぷりの言葉が恥ずかしく、でも一生懸命だった日が懐かしかった。 若い写真たちが愛しかった。 こんな日があったのだもの。 それを待って、見てくださっている友だちがあったのだもの。 それがとても嬉しかったのだ。
今もきっと毎日覗いてくださっている方があるに違いない。 ありがとうございます。 そしてごめんなさい。 私が感じたままの未熟な言葉を、きばらずにありのままに綴っていこう。 目に映ったままの簡単な写真を添えよう。 一日一日が、かけがえのない、二度と戻らぬ大切な日なのだもの。
とりあえず、復活します。 毎日撮りためていた「ひとりごと」のための写真も貼りますね。 これからも言葉が出ない日があるかもしれないけれど、 それはそれ、とあっさり思ってやり過ごすことにしましょう。
ネオ・マスカットがやっと実った。 長く蔓を伸ばし、大きな葉っぱを沢山つけ、根をしっかり張って やっと実をつける準備ができて、待ちに待った4年目の実り。
でもベランダの上から軒下に垂れ下がった実には手が届かない。 本に書いてある通りに、摘果だってしたいのに、あれでは何もできない。 収穫の時には高枝切りバサミを使えるけれど、 摘果のような細かい仕事はできそうもない。
ネオ・マスカットは、小さい果実を沢山つけたまま熟していく。 手に届かない葡萄、甘いか酸っぱいか。 果たして本当に食べられるのか?
今日は夏至。 やっと扇風機を出した。 思いっきり掃除をして汗をかいて、シャワーを浴びて冷たい床に座って 扇風機のゆるやかな風を顔に受けた。 磨いた床は夏の匂い。
この一番短い夜、電灯を消してろうそくで過ごそうと言う 「キャンドルナイト」に参加して3回目の夏至。 こんなきっかけでもないと、ろうそくの光で過ごすなんてことはなかったかもしれない。 灯りを消すと、思ったよりも深い闇。 小さな頼りない炎の優しい明るさ、ぬくもり。 明るすぎる日本の夜のことや本当の夜の闇のことを、この夜、 同じようにろうそくの炎を見つめて多くの人が思っているのだろうか。
ろうそくの灯りは、たくさんのことを思い出させてくれる。 小さいころ見た幻燈のようにいろいろな場面が浮かんだ。
北海道で買ったばかりのこのろうそくは灯すと木の香りがする。 あの森の緑やコーヒーの香りも思い出す。 そんな場面も、いつか幻燈の一枚になるのだろう。
昨夜の夢の話。 花嫁さんになっている夢を見た。 ドレスに着替え、ベールをつけ、花を持ち、ふんわりと幸せに浸っていた。 なのに気がつくとお化粧がまだで、あわてて自分で顔を作ったら大失敗。 妹にもらったフランス製のアイシャドウの発色が思ったよりもよすぎて くっきりと紫の隈取りができてしまったのだった。 あわてているけれど、なんだか嬉しくて笑い転げている夢だった。 あれって、幸せな夢なのかな?
あともう少し。
丸く慎重に削った形がかわいい。 なでた感じが ちょっとココの頭に似ている。
結婚した年の初めての梅雨に出会った紫陽花。 母の名前がついていた。
フラウ・ノブコ。 今年も元気に美しく咲いてくれた。
| ボタニカルアート教室は続く |
2005年06月18日(土) |

|